【手游剧情】パウロ外伝[日]

パウロ外伝

无职转生官方衍生手游《无职转生~就算变成游戏也要拿出真本事~》终止维护后,在其官网公开的游戏内的未完故事《保罗外传》的全部文本。

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CONTENTS

CONTENTS

家出編

1話【パウロ・ノトス・グレイラット】

甲龍歴388年。

アスラ王国の上級貴族、ノトス・グレイラット家に待望の長男が誕生した。
授けられた名前は——。

バレンティナ
「パウロ……パウロ・ノトス・グレイラット……。
わたくしの可愛い赤ちゃん……。
母の元に生まれてきてくれて、ありがとう」

パウロは母親からの深い愛情を受けて、すくすく成長した。
そして5年後。

甲龍歴393年。

ノトス・グレイラット家の屋敷——。

従僕
「坊ちゃまー! 坊ちゃまー!
出てきてくださいませ! 坊ちゃまー!」

従僕
「いったいどこへ行かれてしまったのだ……。
……ああっ、メイド!」

メイド
「はい? どうなさいました?」

従僕
「坊ちゃまを見なかったか!?
どこにもいらっしゃらないんだ!」

メイド
「坊ちゃまでしたら、
先ほど馬屋のほうへ向かわれておりました」

従僕
「馬屋!? まさか外へ行くつもりか!?
クソッ……こうしちゃいられない!」

慌てた様子の従僕がその場を去って行く。
姿が見えなくなると、メイドは「ほぅ……」と熱い息を吐いた。

メイド
「ん……坊ちゃま、彼はもう行きましたよ。
どうぞ、出てこられてください」

パウロ
「うん、そうか」

くぐもった子供の声がして、メイドのスカートがまくれ上がる。

彼女のスカートの中でしゃがみ込んでいた少年こそ、アスラ王国上級貴族、ノトス・グレイラット家のひとり息子、
——パウロだ。

パウロ
「かくまってくれてありがとう。
おかげで助かった」

メイド
「い、いえ……坊ちゃまの願いを叶えることが、使用人の役目でございますから……んっ……」

パウロ
「あいつも父様も、しつこくてイヤになる。
おれは勉強なんてしたくないのに、かってに家庭教師なんて呼んじゃってさ」

パウロ
「それもじいさんなんだよ。
歯がほとんどないから何言ってるかわかんないし、どうせなら、もっと若くてかわいい人を呼んでくれたらいいのに」

パウロ
「おれを膝に乗せて授業してくれる、優しいおねえさんがいいなぁ……。
探せばいると思うんだけど……どうかな?」

メイド
「そ、そうでございますね……ぁ……、
ん……っ、坊ちゃま……その、足を撫でる手を、止めてはいただけませんか……?」

真っ赤な顔で目を潤ませるメイドの姿に、パウロはパッと手を離してスカートの中から出てきた。

パウロ
「ああ、ごめん!
すべすべして気持ち良かったから、つい!」

パウロ
「でも、ずっと中にはいられないね。
だんだん熱くなってくるし」

メイド
「熱く……いえ、決してそのようなことは……!」

パウロ
「しぃー」

真っ赤な顔で声を上げたメイドに、パウロは口の前で人差し指を立てる。

パウロ
「そんなに大きな声出さないで。
あいつが戻ってきたら困るんだ」

メイド
「あ……申し訳ございません!」

パウロ
「いいよ。その代わりまたよろしく」

そう言うと、パウロは廊下を駆け出した。
通りすがりにメイドの尻を撫でるのを忘れずに。

パウロ
(うん、もう少し大きいほうが好き)

パウロ
(さーてと! 明日は誰に助けてもらおうかな?)

上級貴族の待望の長男として生まれてきたパウロは5歳にしてすでに異性への奔放さを発揮していた。

グレイラット家の男はそういった人間が多いとされる。
だがしかし、さすがに目覚めが早すぎだと、屋敷の中ではもっぱらの評判だ。

逃走劇が日常となりつつあった、ある日のこと。
パウロはついに父親に呼び出された。

パウロ
(なんかまじめな顔してる……。
今日の父様はいつもと少し違うような……)

アマラント
「何故呼ばれたかわかるな?」

パウロ
「わかりません」

アマラント
「……ん?」

初めての子供だからか、父親は表面上、厳しい顔をしていても、基本的にパウロに甘い。

パウロ
「わからないって言いました。
父様が考えていることなんて、おれにわかるはずないよ」

アマラント
「む……」

パウロ
(あ、シュンってした)

パウロ
(なーんだ、心配して損した!
いつもの父様じゃん!)

シュンとしたのは一瞬で、父親はすぐに真面目な顔に戻った。
だが無理をしているのは一目瞭然だ。

アマラント
「ゴホン……パウロよ。
そういう口の利き方はやめなさい」

アマラント
「私は日頃から言っているはずだ。
ノトス・グレイラット家の子供として常に貴族らしくあれ、と」

アマラント
「それなのにお前はひとり息子としての自覚もなく、勉強から逃げて、屋敷の中を駆けずり回るときた。
せっかく側仕えをつけたというのに、これでは意味がない」

パウロ
「だって、勉強なんておもしろくないんだもん!」

アマラント
「それでもせねばならん。
ノトス・グレイラット家の息子は素養がないと噂されでもしたら、傷つくのはお前なんだぞ?」

パウロ
「勉強しなくていいなら、傷くらいついていいです」

パウロがきっぱり言い切ると、父親は眉間の皺を揉んだ。

アマラント
「これから先、馬鹿息子と呼ばれるようになれば、お前が領主となった時に苦労する。
馬鹿な領主を敬う領民などおらんのだ」

アマラント
「それに私が言っているのは、勉強のことだけではない」

アマラント
「お前が使用人の尻ばかり追いかけ回していることは、私の耳にも入ってきているぞ。
むやみにメイドに触るのはやめなさい」

パウロ
「は!? そんなのイヤです!!」

呼び出されて一番の大きな声を出したパウロに、父親は目を丸くした。

パウロ
「スカートをめくるのも!
スカートの中に入ってかくれんぼするのも!
お尻にタッチするのも!」

パウロ
「こんな楽しいことは、ほかにありません!
子供の楽しみをとりあげようとするなんて!
父様はれいこくな親です!」

パウロ
「自分は、楽しんでいるくせに!!」

アマラント
「!? な、なんのことだ!?」

パウロ
「とぼけないでください!
父様だって同じことをしてるじゃないですか!!」

気持ちが高ぶっていく。
気づけばパウロの目からは涙が落ちていた。

パウロ
「この間、新入りのメイドが洗濯をしている時、父様はお尻を見ながら『悪くないな』って笑ってました!
とってもデレデレした顔で!」

ちなみにそのあと、父親は新入りのメイドに近づき、腰を抱きながら耳元で何かを囁いていた。

パウロ
「おれ、この目で見ました!
抱きよせたのも! お尻を触っていたのも!
ぜーんぶ! 見ました!!」

パウロ
「おれはダメで自分はいいなんて、ずるいです!」

アマラント
「なっ……!? 馬鹿なことを言うでない!」

アマラント
「そ、そそその時はだな、えー、あー……そう!
新入りの仕事ぶりを評価して『悪くない』と言ったのだ!」

パウロ
「では、ぎゅってしたのは!?」

アマラント
「それは……スキンシップの一環だ!
早く屋敷に慣れてもらうためにしたこと……他意はない!」

パウロ
「……本当ですか?」

アマラント
「……ああ、もちろんだとも。
屋敷に仕える者を心身共に労わってやることも、主人として、貴族としての務めだ」

父親は平静を取り戻そうとするかのように咳払いをする。

アマラント
「ま、まぁ、年上の女に触れることで、パウロも安心感を覚えていたようだからな。
全面的に禁止することは、しないでおこう」

パウロ
「父様……!」

キラキラした目を向けられて、彼はまんざらでもなさそうだ。
それでも威厳を保とうと、険しい表情を浮かべていた。

アマラント
「女に興味があるのは仕方がない。
幼くとも、お前はグレイラット家の男だからな」

アマラント
「だが今後はもう少し慎みなさい。
勉強にも励むように……わかったな?」

パウロ
「わかりました!」

アマラント
「……本当にわかっているのか?」

パウロ
「はい!」

再度訪ねて来る父親に、パウロは大きく頷いてみせる。

アマラント
「ならばいいが……もうすぐ、お前の誕生日パーティーだ。
多くの貴族を招待している」

アマラント
「だからくれぐれも……くれぐれも!
父の言葉を忘れないようにするのだぞ?」

パウロ
「もちろんです!」

背筋が伸び、凛とした威勢のいい返事だ。

まさかこの返事をした息子が、この翌日、こりずにまた逃走劇を繰り広げるなど、アマラント・ノトス・グレイラットは思いもしなかった。

従僕
「坊ちゃまー! 坊ちゃまー!
出てきてくださいませ! 坊ちゃまー!」

従僕から逃げ、パウロは屋敷の廊下を駆ける。

パウロ
(あいつも飽きないよな)

目指すは秘密の花園、もといスカートの中だ。

パウロ
(最初に出会ったスカートに飛び込もう!)

そんなことを考えながら、廊下の角を曲がる。
その先にいたのは——。

パウロ
「母様!」

バレンティナ
「パウロ?」

パウロ
「父様の手先に追われているのです!
かくまってください!」

メイドのものよりも豪華なドレス。
スカートの裾をまくって中に入ろうとした。

が、それは敵わない。

バレンティナ
「こら、パウロ」

母親のたおやかな指がパウロの頬を引っ張って、潜り込むことを許さなかった。

バレンティナ
「淑女のスカートを暴こうとするなんて、十年早いですわよ」

頬をぐいぐい引き伸ばされる。
……しかたない。
パウロはしぶしぶスカートから手を離した。

バレンティナ
「レディに接する時は優しく、敬意を払って、ですわ。
わかりましたわね?」

パウロ
「ふぁい。かーひゃま、ごめんなはい」

バレンティナ
「はい。よろしいですわ」

パウロは解放され頬を撫でる。
母親はくすくす笑った。

バレンティナ
「わたくしの可愛い子は、ここで何をしているのかしら?
今は授業の時間だったと思うのだけれど?」

パウロ
「はい! いつものように、お茶とお菓子をお出しして、失礼してきました!」

バレンティナ
「まあ、さすがパウロだわ。
あなたはとても気が利いて、優しい子ね」

パウロ
「優しいのは母様です。
父様みたいに貴族らしくしろとか、勉強しろとか言わないし……」

バレンティナ
「そういうものは無理に叩き込まなくても、自然と身につくものだわ。
上級貴族の家で暮らしていたら、いずれね」

バレンティナ
「だけど今はまだ、他に大事にしてほしいものがあるの。
優しさや明るさ、元気の良さ……わたくしは、あなたの持って生まれたものが、心から大好きよ」

パウロ
「母様……おれも、母様が大好きです」

両手を広げて抱きつく。
母は抱き締め返してくれた。

バレンティナ
「ふふ、こんなに大きくなったのね」

パウロ
「はい! おれはもう5歳ですから!」

バレンティナ
「なんて頼もしいのかしら。
旦那様は心配なさっていたけれど、誕生日パーティーは大丈夫そうだわ」

笑顔の母に力強く頷いてみせる。

パウロは母親が大好きだった。

メイドのスカートの中も好きだが、母とは比べものにならない。
パウロにとって、一番心安らげる場所だ。

パウロ
(母様が大丈夫だって信じてるなら、パーティーではおとなしくしてようかな)

そして幾日が過ぎ、パウロ・ノトス・グレイラットの5歳の誕生日を祝う、パーティーの当日を迎えた。

アマラント
「いいか、パウロ。
今日は多くの貴族が列席している。
くれぐれもメイドに触れることがないように」

アマラント
「もちろん、メイドだけではない。
夫人や令嬢には、決して! 決して!
決して触れてはならんぞ!?」

パウロ
「わかってますよ」

貴族の子供の誕生日パーティーには、家の財力や権力を誇示する意味合いもある。

ましてや、ノトス・グレイラット家は上級貴族。
豪華絢爛な内装だ。

用意された食事も、音楽を演奏する楽団も、一流のものが揃えられている。

アマラント
「皆様、本日はよくおいでくださいました。
……パウロ、挨拶なさい」

パウロ
「はい!
本日は、わたしの5歳の誕生日をお祝いしてくださり、ありがとうございます」

パウロ
「ノトス・グレイラット家の長男として、これから、せいいっぱい励んでいきますので、どうぞよろしくお願いいたします」

教えられたとおりの言葉をなぞる。
拍手の中、チラリと横を見ると、父が満足そうな顔をしていた。

輝かしい会場で、パウロは多くの貴族と顔を合わせた。

パウロ
(みんな似たような格好のおじさんばっかり……。
名前と顔が合わなくなってきちゃった)

パウロ
(女の人はわかりやすくていいや。
ドレスも髪型も身体の大きさも違うし)

パウロは夫人や令嬢たちを順に見る。
にこやかな表情だ。

令嬢A
「パウロ様! お誕生日おめでとうございます!」

令嬢B
「もしよろしければ、私たちとご一緒しませんか?」

パウロ
「きみたちと?」

5、6人の着飾った令嬢がパウロの前に進み出る。
10歳くらいだろうか。
全員パウロより年上のようだ。

パウロ
(あ、かわいい)

パウロ
「父様、こちらのお嬢様たちを、庭園にご案内してもよろしいですか?」

キリッとした顔で父親に伺いを立てる。
普段めったにしない、よそ行き用の顔だ。

アマラント
「……ああ、もちろんだとも。
しっかりエスコートしてさしあげなさい」

父親は何か言いたげな顔をしていたが周囲には人の目がある。
結局飲み込むことにしたようだ。

パウロは令嬢たちをつれて、ノトス・グレイラット家の庭園に向かった。

庭師が手入れしたばかりの庭には、さまざまな花が咲き乱れている。
庭園に近づくにつれ、令嬢たちの顔が明るくなっていった。

令嬢A
「まぁ! なんてきれいなんでしょう!」

令嬢B
「あちらはどうなっていますの?」

パウロ
「あまり早足だと危ないですよ」

令嬢B
「大丈夫ですわ——きゃっ!」

パウロ
「おっと!」

足を滑らせたひとりの令嬢の身体を支える。

パウロ
(あ……いい匂いがする!)

令嬢B
「パ、パウロ様、すみません……!」

パウロ
「いいえ、いいんです。
もしよければ、お手をどうぞ」

パウロ
(うーん……マナーの講師は、なんかこうやれって言ってたような……)

片手を胸にあて、令嬢の前にもう片方の手を差し出す。

令嬢B
「ありがとうございます、パウロ様。
お言葉に甘えさせていただきますわね」

手が重なる。
貴族の娘らしい柔い手だ。

令嬢A
「ずるいですわ! おひとりだけ!」

令嬢A
「パウロ様、わたしのことも
エスコートしてくださるでしょう?」

令嬢C
「でしたら私も!」

我も我もと令嬢たちがパウロに迫る。

着飾った令嬢たちの色とりどりのドレスが、ひらひら動いていた。

令嬢C
「っ!?」

パウロ
(あ……)

条件反射。

やってしまった。
いつもメイドにしているように、手が出てしまった。

令嬢C
「あ、あの、パウロ様……? 今、私の……」

困惑するひとりの令嬢。
その雰囲気が他の令嬢たちへ広まろうとした時——

パウロ
「土です!」

令嬢C
「は……?」

パウロ
「庭園の土が、はねてしマッタようデス」

イントネーションがおかしい。
それでもニコニコ笑顔で言えば、彼女たちは信じてくれたようだ。

パウロ
(ウソだってバレないように土をつけておこう)

パウロ
「そのままではパーティーの会場に戻れません。
我が家の使用人に命じて、土を落としましょう」

令嬢C
「まぁ! パウロ様……まだ幼いというのに、なんてお気遣いのできる方なのかしら!」

令嬢B
「さすがノトス・グレイラット家のご子息ですわ!」

可愛らしい令嬢たちに囲まれ、チヤホヤされる。

パウロ
(なんだろう? ドキドキする……)

パウロ
(貴族なんて、めんどくさくて、おもしろくないって思ってたけど……)

パウロ
(ノトス・グレイラット家の長男って、すごくいいことなのかもしれない……!)

上級貴族の長男の利点。
パウロは初めてそんなことを考えた。

その日の夜——。

パウロは、令嬢たちと手をつなぎ、腕を組んで庭園を散策したこと、それがとても楽しかったことを、父親に報告した。

アマラント
「方法はどうであれ……、貴族の娘と親交を深められたのは重畳。
今後のためにもなるだろう」

パウロ
「怒らないんですか?」

アマラント
「触るなと言いつけたにも関わらず、触ったという話か……。
今回のことで、お前も心境の変化があったようだ。
特別に大目に見てやろう」

パウロ
「本当ですか!?」

アマラント
「ああ。二言はない。
それよりもだ、パウロ」

おやおや?
不意に父が目を細めて、パウロを抱きかかえた。

パウロ
「と、父様……?」

アマラント
「パウロ、貴族としての自覚が、多少なりとも出てきたようだな」

パウロ
「自覚というか、まぁ……、そんなに悪くないのかもなぁって……」

アマラント
「そう思えるようになったなら、いい機会だ」

アマラント
「パウロ、学校に通ってみないか?」

パウロ
「学校、ですか?」

寝耳に水。
パウロは父の顔を見つめる。

アマラント
「読み書き、算術、歴史、礼儀作法はもちろん、剣術や魔法も教えてくれる機関だ」

パウロ
「そこへ行けと? 勉強はきらいです」

アマラント
「だが、学校には可愛らしい貴族の令嬢がいるぞ」

パウロ
「え?」

アマラント
「ゆっくり考えるといい。
今日は疲れただろう、もう休みなさい」

学校に通うか否か。
パウロは選択肢を与えられた。

……と、思われたのだが。

パウロ
「父様……なんて、れいこくな人なんだ!!」

数週間後——。
パウロ少年の姿はミルボッツ領内の学校にあった。

パウロ
(ゆっくり考えろって言ったのに!)

その言葉があったせいか、完全に油断していた。

少し遠出をしようと父に誘われて馬車に乗り込んだあと、気づけば学校に放り込まれたのだ。

パウロ
(だいたいさー!
こんなやり方じゃなくてもよかったよな!)

パウロ
(あんまりだ! オーボーだ! そのせいで……)

パウロ
「母様にあいさつできなかったじゃん」

大好きな母親の顔を思い浮かべる。
次に会えるのはいつになるのだろう。
考えるだけで気持ちが落ち込んでいく。

そして、貴族の嫡男として、悠々自適に暮らしていたパウロにとって、学校での生活は決して楽しいものではなかった。

入学して数週間で、パウロはすっかり学校が嫌いになっていた。

中級貴族子息
「おい、貴様!
男爵家の子ごときが、私の前を塞ぐとは不敬だぞ!
廊下の端に避けよ!」

???
「も、申しわけございません!」

パウロ
(あー……またやってるよ)

パウロ
(周りもクスクス笑ってるけど、何がそんなに楽しいんだろ?)

威張った中級貴族の子息と、その取り巻きが去って行く。

パウロはその場でうつむいている少年に近づいた。
どうやらパウロより少し年上のようだ。

パウロ
「ねぇ、なんで言い返さないの?」

???
「っ……きみは……」

パウロ
「前をふさいだりしてなかったじゃん。
通れる幅はあったよ」

???
「そんなこと、言えるはずない!
中級貴族の方に逆らったりしたら、家に何かされるかもしれないし……」

パウロ
「? どうして?」

???
「ど、どうしてって……?
普通に考えればわかるだろ……」

パウロ
「普通に……」

???
「……声をかけてくれて、ありがとう。
でも、数学の授業があるから。失礼させてもらうよ」

足早に去って行く背中を見ながらパウロは眉を寄せた。
さっぱり、わけがわからなかった。

パウロ
(これが普通?
貴族にとっての普通ってこんな感じなの?)

パウロ
「ほんと……よくわかんないな」

モヤモヤした気持ちのまま呟く。

パウロはしばらくそこから動けずにいた。
だがそろそろ次の授業が始まる時間だ。
確か、歴史の講義だったか。

少しの逡巡したのち、パウロは頭を振った。

パウロ
(うん、気分じゃないし!)

パウロは教室とは反対の方向に歩き出す。

ただただ椅子に座って聞くだけの授業は嫌いだ。
入学以来、こうして何度もサボっている。

パウロ
(今日はどこへ行こうかな)

貴族の子女が通うだけあって、学校の敷地は広い。
右へ左へ、心のおもむくままに進んで行く。

パウロ
(うーん……)

パウロ
(ひとり探検するのもいいけど、どうせなら誰かと一緒のほうが楽しいかも)

パウロ
(……あ! そうだ!)

思い立ったら深く考えず、すぐに行動に移すのが、パウロという少年だった。

数学の授業が行われる教室の前へ行き、授業が終わるのを待つ。

そして、目当ての人物が出てくると、その腕を掴んだ。

パウロ
「や! さっきぶり!」

???
「き、きみは……なんで、ここに?」

気弱そうな顔の少年は、パウロに腕を引かれて目を見開いた。

パウロ
「数学の授業って言ってたから!
きみくらいの学年が使ってる数学教室の前にいたら、会えるんじゃないかと思って!」

???
「ぼ、僕になんの用……?」

パウロ
「きみの名前は?」

シートン
「名前? シートン・アグ——」

パウロ
「シートン! シートンね!
家名はいいよ、あんまり興味ないし!」

パウロ
「おれはパウロ! よろしく!」

シートン
「よろしくって……」

シートンは困惑している。
パウロが待ち伏せてまで声をかけた理由を、説明しようとした時——。

中級貴族子息
「邪魔だ、退け」

中級貴族子息
「……なんだ、また貴様か。
こうも何度も私の前を塞ぐとは、よほど物申したいことがあるようだな? んん?」

シートン
「い、いえ、そんなことは……!
申しわけございません!」

パウロ
(またこいつか)

中級貴族子息
「私は寛大だからな。話を聞いてやろう」

中級貴族の子息のにやけた顔や、取り巻きたちの嘲りの顔に、パウロは眉を寄せる。

中級貴族子息
「さあ、どうした? 言いたいことがあるなら言ってみろ」

パウロ
「ないって言ってるだろ」

明らかに人を見下している顔が不快だった。
パウロはシートンと中級貴族子息の間に割って入る。

中級貴族子息
「なんだと?」

パウロ
「だから、ないって言ってる。
聞こえなかったのか?」

中級貴族子息
「生意気な態度だな。
新入生のようだが、幼さを理由に、不敬が許されると思っているのか?」

パウロ
「そんなのは知らないけど、きみのことは、見てるとイヤになる」

中級貴族子息
「貴様……!」

中級貴族の子息が激高しかけた瞬間、パウロは後ろから肩を引かれた。

パウロ
(え?)

そして、目の前にシートンの背中が現れる。

シートン
「す、すみません!
僕のほうから、注意しておきますので……!
ほら、きみも謝って!」

パウロ
「なんで?」

シートン
「なんで!? むしろなんでそんな反応なの!?」

パウロ
(それはこっちのセリフなんだけどな)

パウロは首を傾げる。
シートンが言うことをまったく理解できない。

例えば、パウロが父親に『あいつがムカつくんです!』と告げたとして、いくらパウロに甘いところのある父親でも、『よし、わかった。ちょっと潰してやろう』とは言わないだろう。

パウロ
(こいつの家はそうじゃないってこと?
だったら中級貴族ってロクな家じゃないじゃん)

中級貴族子息
「貴様……よほど中級貴族を舐めているようだ。
私に無礼な言動を取ったこと、後悔させてやろう。
おい、貴様の名はなんだ?」

パウロ
「パウロ」

一瞬も迷わない。
パウロは堂々と名前を告げる。

パウロ
「パウロ・ノトス・グレイラット」

シートン
「ノトス・グレイラット……って、え……うそだろ……?」

中級貴族子息
「………………」

中級貴族の子息が息を呑む。
そのまま彼が黙り込むのを、パウロはジッと見ていた。

少しして、中級貴族の子息は口を開いた。

中級貴族子息
「……ノトス・グレイラット家の長男か。
まだ幼いせいで、貴族の礼儀がわかっていないと見える」

中級貴族子息
「いいだろう、私がいろいろと教えてあげよう。
それが年長者の務めというものだからな」

そう言って差し出された手を、パウロは——。

パウロ
「いいよ」

パウロ
「きみに教えてもらわなきゃいけないこと、何もないと思うから」

あっさりと、にべもなく断った。
手を差し出した格好のまま、相手の表情が歪んでいく。

中級貴族子息
「後悔するぞ……!」

パウロ
「たぶん、しないと思うけど」

睨み合いにもならない。
中級貴族子息はシートンとパウロを押しのけるようにして、取り巻きたちをつれ、その場からいなくなった。

シートン
「ねぇ、あの、きみ……」

中級貴族子息たちがいなくなると、シートンがパウロを振り返って口を開く。

シートン
「あ……きみ、じゃなくて、あなたはグレイラット家の方だったんですね……。
僕、そうとは知らなくて……」

パウロ
「いいよ。そんな喋り方しなくて。
さっきまでみたいに——」

シートン
「ほ、本当に申し訳ございませんでした!」

シートンが勢いよく頭を下げる。

シートン
「どうか我が家には、なんのおとがめも——」

パウロ
「いやいや、待ってよ!
シートン、何言ってるの!?」

パウロ
「おれがあいつみたいなこと言うわけないじゃん!」

シートン
「そ……それは……」

パウロ
「!!」

目が合って、すぐに逸らされた。
シートンの目には怯えが浮かんでいて、パウロは血の気が引いていく。

パウロ
(なんで、こんな目で見られてんの?)

シートン
「本当に、すみませんでした。
し、失礼します……!」

逃げ出すようにいなくなったシートンの背中に、声をかけることすらできなかった。

パウロ
(意味がわからない……。
おれはただ……)

パウロ
(友だちになれればって、思っただけなのに)

今までのパウロは、屋敷の中で好き勝手に過ごしていた。
貴族のしがらみや常識を持ちだされても、理解するのは難しい。

パウロ
(……やっぱり、学校なんておもしろくないや)

まったくもって気分が上がらない。
パウロはその日の授業はサボることにした。

勉強は嫌いだ。
小難しい貴族の常識も肌に合わない。
学校なんてつまらない。

入学して以来、初回の授業だけ出席して、それ以降の授業は気分次第でサボっている。

そんなパウロだが、唯一、一度もサボらずに出席している科目があった。

それは剣術の授業だ。

剣術講師
「——今日の授業はここまで。
ああ、パウロ・グレイラットは少し残りなさい」

パウロ
「はーい?」

講師は水神流を主体として使う、上級の女剣士だった。
パウロは彼女の授業だけは欠かさず参加している。

水神流講師
「どうして残されたと思います?」

パウロ
「えーっと、居残りで特訓するため、とか……?」

水神流講師
「違います」

水神流講師
「他の課目を受け持つ講師たちに、あなたに授業に出るよう、しっかり言い聞かせてほしいと言われたからです」

パウロ
「? どうして先生に言うんです?」

水神流講師
「あなたがわたしの授業にだけ、真面目に参加しているからでしょうね」

水神流講師
「というわけです。授業に出なさい」

パウロ
「うーん……、まぁ、先生がそう言うなら……、できる限り、は……」

パウロ
「でも、魔法の授業はなぁ……。
おれ、あれだけはからっきしだから、出ても意味がないというか……うーん……」

水神流講師
「まったく、素直に頷きもしないとは……。
あなたはなんのためにここへ来たんです?」

講師の言葉にパウロはムッとする。

パウロ
「来たくて来たんじゃないです。
父に放り込まれただけなので」

パウロの反抗心を感じ取ったのか、剣術の講師が目を細めた。

水神流講師
「甘えないでください。
これだから貴族のガキは嫌なんです」

パウロ
「せ、先生?」

元冒険者という経歴を持つ水神流講師は、パウロを厳しい顔で見下ろしている。

水神流講師
「チッ」

パウロ
(舌打ちされた!)

水神流講師
「いいですか?
口では嫌だ嫌だと駄々をこねていても、あなたは学校に居続けています」

水神流講師
「どうしても嫌なら馬車を捕まえてでも、歩いてでも、這ってでも帰ればいい。そうしない時点で、あなたは学校に残ると自分で決めているんですよ」

容赦のない言葉にパウロはグッと顔をしかめる。
彼女の言うとおり、学校から逃げ出そうとしたことはなかった。
だから否定できない。

パウロ
「でも……ここは、居心地が悪いです」

水神流講師
「………………」

パウロ
「家格の高い貴族の子供は偉そうだし、低い家の子は、いじめられて当然みたいな態度だ……」

パウロ
「なんだか、ギスギスしてる。
だから、ここは……ちっともおもしろくないです」

水神流講師
「子供ばかりとはいえ、学校は貴族の縮図です。
他人事のように言いますけど、あなたは生まれた瞬間からその世界で生きています」

水神流講師
「その世界が嫌だと言うのなら、自分の足で出て行くしかないでしょう」

水神流講師
「もっとも、学校からですら逃げられないあなたに、出て行くだけの度胸があるとは……ん?」

パウロ
「っ……ぅ……」

水神流講師
「!? ちょ、待って……泣いてるんですか!?」

パウロ
「うぅ……っ、泣いて、ません……!」

うそだ。
普通に泣いていた。

貴族らしくあれと言われて育てられたり、学校に放り込まれたりしたが、パウロ少年は基本的に甘やかされて生きてきた。

ズケズケと図星をつかれ、厳しい言葉を投げつけられ、その結果、涙がこぼれた。

水神流講師
「待って待って待って! 私ですか!?
これは私が泣かせたことになるんですか!?」

パウロ
「泣いて、ませんってば……!」

水神流講師
「ど、どうしましょうか……。
くれぐれも問題を起こすなと、学校長に言われているのに……。
これは、問題ですよ、ね……?」

貴族の子女が通う学校に採用された、元女冒険者。
いろいろと制約もあるのだろう。

水神流講師
「……パウロ・グレイラット、泣きやみなさい。
わかりますよ、泣いている顔を見られて、さぞ恥ずかしいことでしょうね、ええ」

水神流講師
「ですから今回は、お互いになかったことにしましょう。
もちろん、わたしは大人ですからね。
お詫びにあなたのお願いをひとつ聞いてあげます」

ずばり、口止めの買収だ。

水神流講師
「何か私にしてほしいことはありますか?」

パウロは涙をぬぐいながら水神流講師を見た。

パウロ
(して、ほしいこと……。
それはあるけど……でも……)

パウロ
(先生は、動きやすい格好だから、ドレスじゃないから、ムリだ……)

パウロ
「先生には、秘密の花園が、ない……」

水神流講師
「はい? なんですか?」

パウロ
「もぐりこませてほしいってお願いは、できない……」

水神流講師
「もぐりこむ? なんですか、それは?
さっきから、あなたが何を言っているのかわかりません」

パウロ
(秘密の花園に、もぐりこませてもらえない。
だったら……)

パウロ
「お願い、思いつきました」

パウロは講師の目をまっすぐ見据えて、お願いを口にした。

パウロ
「剣術の授業の、補講をしてください」

水神流講師
「補講……」

水神流講師
「少し驚きですね。まさか補講を望むほど、あなたが真面目な学生だとは思いませんでした」

パウロ
「まじめではないって、自分でも思います」

パウロ
「ただ、この学校で剣術の授業だけは、おもしろいって思えるから」

パウロが笑顔で言うと、剣術の講師はキョトンと目を丸くする。

そしてすぐ、彼女はニヤリと笑った。

水神流講師
「そうでしょう? 剣は面白いんです。
この道はどこまでも続き、極みに到達できる者はほんのひと握りしかいません」

水神流講師
「わたしの見る限り、あなたの剣には光るものがあります」

パウロ
「じゃあ!」

水神流講師
「剣術の補講の話、お受けしましょう」

パウロ
「本当ですか!? ありがとうございます、先生!」

思わず、本当に、思わず。

パウロは喜びの感情のまま、講師の腰に手を回して抱きついた。
鍛えられて、健康的にくびれた腰回りだった。

それからパウロは剣術の授業を中心に、少しずつ授業に出るようになった。

もっとも、出席と欠席の比率は、ギリギリ4対6とか、その程度なのだが——。

やがて学校が長期休暇を迎えると、パウロはノトス・グレイラットの屋敷へと、一時的に帰宅することが許された。

パウロ
「父様、ただいま戻りました」

アマラント
「………………」

パウロ
「父様?」

帰郷の挨拶をするパウロを前に、父親は険しい表情を崩そうとしない。

部屋の空気が、父親のまとう雰囲気が、いつもと違った。

アマラント
「私はお前に甘すぎたのかもしれぬな」

パウロ
「え?」

アマラント
「お前の学校での様子の報告を受けた。
随分と不真面目な生活態度のようだ」

パウロ
「それは……だって、机にしがみついての勉強は、おれに向いてませんし……」

アマラント
「言い訳をするな。
貴族らしくあれという言葉は、どうやらお前に届いていなかったようだ」

アマラント
「お前の帰郷に合わせ、新しい家庭教師を数人雇った。
これまでのような態度は許さん。
家でも勉強に励むように」

パウロ
「そんな……!」

帰ってきたばかりで告げられた言葉に、パウロは声を上げる。

パウロ
「せっかく帰って来たのに、家でも勉強しないといけないんですか!?」

パウロ
「学校の課題だってあるし、帰ったらやろうと思ってたことがいっぱい——」

アマラント
「パウロ……パウロ・ノトス・グレイラット。
お前は私の後継者なのだ」

アマラント
「ノトス・グレイラット家の長男として、学校で他の家の貴族たちと顔を合わせた以上、侮られるような素養を見せてはならぬ……わかったな?」

もともと、父には口うるさいところがあった。
厳しいことだって言われた。
それでも、どこかにパウロへの甘さがあった。

パウロ
(父様の目……)

パウロを見下ろす目は、父親としてのものではなく、上級貴族の当主としてのものだった。

パウロ
(なんで、なんで……そんな目で見るんだ?)

少し会わない間に、父親が別の生き物になってしまったかのようだ。

パウロ
「っ……失礼します!」

パウロは父に背を向けて、脱兎のごとく部屋を飛び出した。

長い廊下を走っていく。
何人ものメイドとすれ違ったが、触れる余裕はない。

走って、走って。
辿りついたのは、母親の部屋だった。

パウロ
「母様!」

バレンティナ
「パウロ! よく帰ってきたわね!」

バレンティナ
「一刻も早く会いたかったのだけれど、旦那様がお話があるっておっしゃったから……」

バレンティナ
「さあ、顔をよく見せて!」

母に近づくと優しく抱きしめられ、頬に両手を添えられる。

バレンティナ
「ふふふ、少し見ない間に大きくなったみたいね。
子供の成長は早いわ……」

パウロ
「母様は変わりませんね。
あたたかくて、優しくて、いい匂いがします」

バレンティナ
「まあ! 成長したと思ったけれど、まだまだ甘えん坊さんね」

パウロ
「ずっと、会いたかったんです。
ちゃんとお別れも言えませんでしたし……」

母の腕に抱かれて、パウロは目を閉じる。

パウロ
「母様……ただいま、戻りました」

バレンティナ
「おかえりなさい。
パウロ・ノトス・グレイラット……、わたくしの可愛い子……」

なんて、心安らぐのだろう。

優しくて、柔らかい腕の中にいる、その間だけ、パウロは学校への不満も、父親の厳しい目も、全てを忘れることができたのだった。

2話【剣術の才能】

パウロがミルボッツ領内の学校に入学して、早2年が経とうとしていた。
相変わらず、気分が乗らない授業はサボっているため、剣術の授業以外の成績はあまり振るわない。

父親のアマラントは頭を抱えているようで、パウロへの当たりは年々厳しさを増している。

その日、長期休暇で実家に戻ったパウロは、愛する母親から衝撃の真実を告げられた。

パウロ
「母様……今、なんて……?」

バレンティナ
「ふふふ、だからね、パウロ。
わたくしのお腹に赤ちゃんがいるの。
あなたの弟か妹よ」

バレンティナ
「次の長期休暇の時には生まれてくる予定よ。
……ああ、わたくしの可愛い子……早くあなたに会いたいわ」

パウロ
「………………」

母が慈愛に満ちた顔で、まだあまり大きくなっていない腹を撫でる。

いつもパウロを撫でてくれる、あたたかい手。
その手の優しさは今、パウロには向けられていない。

バレンティナ
「どうしたの? パウロ?
びっくりしすぎて声が出なくなっちゃった?」

パウロ
「! は、はい……びっくりしました。
おれにきょうだいができるんですね……。
おめでとうございます」

パウロ
「あっ! これから剣術の修行があったんでした。
もっとお話ししたかったんですけど……すみません……」

バレンティナ
「いいのよ。精一杯がんばっていらっしゃい。
あなたはお兄様になるのだから、しっかり励むのよ」

パウロ
「……はい。失礼します」

母親の部屋を出て、早足で廊下を進んで行く。
一歩踏み出すたびに胸の中が重くなって、パウロは服の胸元をギュッと掴んだ。

パウロ
(なんだ? なんなんだ?)

パウロ
(弟か妹ができるのは、うれしいことなのに、なんでおれの胸はこんなに……)

パウロ
「ザワザワしてるんだろう……?」

自分でも把握しきれない気持ちを抱えたまま、パウロは敷地内にある剣術の演習場に向かう。

そこには剣術の指南役として招かれている女剣士の姿があった。

女剣士
「遅いよ、坊ちゃん。
決められた時間は守りなさい」

パウロ
「は、はい、すみません……」

女剣士
「よし、謝罪を受け入れよう。
じゃあ剣を構えて。実戦形式でやっていくよ」

女剣士
「遠慮なく打ち込んでいくから、怪我したくなかったら全力で止めること」

パウロ
「え? いきなりですか?」

女剣士
「今日はこのあと旦那様に呼ばれていてね。
ただでさえ時間が限られてるのに、きみが遅刻なんてするから」

パウロ
「その……ちょっといろいろあって……」

女剣士
「別になんでもいいよ。興味ないし。
ほら、さっさと構えなさい……いくよ」

剣術の家庭教師として招かれた彼女は、小柄な見た目とはうらはらに、剣神流の使い手だった。

攻撃的で速度重視、一撃必殺を旨とする戦い方は、パウロが学校で習っている水神流の戦い方とは真逆だ。

ふたつの流派を同時に学ぶのは大変だが、それ以上にやりがいがあり、何より、剣術は面白かった。

剣神流講師
「はぁぁああっ!」

剣神流講師が素早く踏み込んで鋭い一撃を放つ。
パウロはその場に踏ん張り、なんとか剣を受け止めた。

パウロ
(っ……重い……!)

パウロ
(その細い腕のどこにこんなパワーが!?
どうしてこんなに重いんだよ!?)

剣神流講師
「ちゃんと集中してる?
余計なことを考えている余裕があるのなら、次はもう一段階スピードを上げるよ」

パウロ
「え!? まだ上がるんですか!?」

剣神流講師
「余裕を持って学んだところで何も身につかないでしょ。
……ほら、集中して」

パウロ
「は、はい……!」

パウロ
(落ちつけ、おれ!
落ちついて丁寧に対処して――)

結果から言うと、パウロは剣神流講師に手も足も出ず、地面に伏せって倒れることになった。

彼女と同じ剣神流で対処しても力負けし、ならばと、防御に優れた水神流で対処したが、カウンターを取ることはできずに終わる。

パウロ
「はぁ、はぁ……参りました……」

剣神流講師
「動けないの?」

パウロ
「はい……腕も、足も、痺れてて……」

剣神流講師
「そう。助けはいる?」

パウロ
「……だいじょうぶ、です。
もう少ししたら動けると思うので……」

パウロ
「まぁ、どうしてもダメなら、誰か呼ぶので……先生は、行ってください。
用事があるんですよね……?」

地面に倒れたまま、顔だけ上げて言うと、剣神流講師は腕を組んで首を傾げていた。

剣神流講師
「誰かを呼ぶって、誰を呼ぶつもり?
奥様の懐妊がわかって以来、みんなバタバタして忙しそうだけど」

パウロ
「! 母様のこと、知ってたんですか?」

剣神流講師
「知らないほうがおかしいよ。
これだけみんな騒いでるんだから」

剣神流講師
「ノトス・グレイラット家のふたり目の子供。
男の子でも女の子でも、みんなに祝福されて生まれてくるだろうね」

パウロ
「みんなに、ですか……」

剣神流講師
「なんにしても、生まれてくるまでの間と、生まれてからしばらくは、屋敷も落ちつかないと思うよ。
だからその間はしっかり剣の腕を磨きなさい」

剣神流講師
「坊ちゃんには光るものがある。
これから成長して身体ができあがっていけば、腕前はかなりのものになる……気がする」

パウロ
「気がするって……なんですか、それ……。
もっと確信持って言ってくれないんですか?」

剣神流講師
「明言はできないよ」

パウロ
「……なんでです?」

剣神流講師
「才能があっても大成しないやつはしないし、将来的に坊ちゃんが飽きて、剣を捨てる可能性だってあるし」

パウロ
「え……」

剣神流講師の言葉にパウロは目をまたたかせる。

パウロ
(剣を捨てる……)

剣神流講師
「何? その間抜けな顔は?」

パウロ
「いえ、剣を捨てるなんて……、そんなこと、考えたこともなかったなぁって……」

パウロ
「修行はきついし、学校でも家でも、先生たちにボッコボコにされてるけど……おれにとって、剣は一番おもしろいものだから……」

剣神流講師
「ふーん……」

パウロ
「……先生、さっきから反応が適当すぎませんか?」

剣神流講師
「普段の様子を見ているとね。
剣術だけは真面目にしているけど、それ以外はそうでもないみたいだから」

剣神流講師
「わかってると思うけど、貴族である以上、剣術だけできても周りには認めてもらえないよ?」

剣神流講師の忠告に、パウロは苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らした。

パウロ
「先生までお説教はやめてくださいよ」

剣神流講師
「そうだね。お説教はあたしの仕事じゃない。
坊ちゃんの矯正は契約外だし、あたしの受け持ちに関しては坊ちゃんは優等生だから」

そう言うと、剣神流講師はパウロを抱き上げた。

パウロ
「せ、先生!?」

剣神流講師
「ついでだよ。屋敷までつれて行ってあげる」

パウロ
「だいじょうぶです!
だいじょうぶですから! 下ろしてください!」

軽々と抱き上げられて、プリンセスホールド。
どこかの令嬢が喜びそうだ。

パウロ
「ねえ!? 先生、話聞いて!?」

いくらそこから逃れようとしても、剣神流講師の腕はがっちりとパウロを捕まえている。
結局そのまま屋敷まで運ばれることになった。

それから数か月後。

ノトス・グレイラット家にふたり目の男児が生まれた。
ピレモンと名づけられ、両親の愛情を受けてすくすく成長している。

パウロ
「母様、庭園の薔薇がきれいに咲いています。
一緒に見に行きましょう?」

バレンティナ
「ごめんなさい、パウロ。
薔薇は棘があるでしょう?
危なくて、赤ん坊のピレモンをつれて行けないわ」

パウロ
「じゃあ、おれと母様のふたりで行きましょうよ」

赤ん坊を抱いてあやす母を前に、パウロは唇を尖らせる。

バレンティナ
「あら、そんなのダメよ。
ピレモンを仲間外れにしたら可哀想だわ」

パウロ
「でも、おれはいつもは学校にいるし、母様とはたまにしか会えません……。
もっと一緒にいたいんです……」

バレンティナ
「パウロ……そうね。
わたくしの気持ちも、あなたと同じよ。
いつも一緒にいられなくて寂しいわ……」

パウロ
「じゃあ……!」

バレンティナ
「だから今日はここでお茶にしましょう。
あなたの好きなお菓子も用意させるわ」

パウロ
「! で、でも……」

パウロ
(それじゃあピレモンも一緒だ。
母様とふたりっきりじゃない……)

なんだか胸がモヤモヤする。
重苦しくて、どこか面白くない。

納得できないというパウロの気持ちを察したのか、母は困ったような笑みを浮かべた。

バレンティナ
「パウロ、ピレモンはあなたの弟よ。
お兄ちゃんとして、この子と仲良くしてあげてね」

パウロ
「……はい」

パウロ
(ピレモン、ピレモン、ピレモン……。
母様はピレモンのことばっかり気にかけてる)

パウロ
(ピレモンが赤ん坊だから?
それとも、おれよりピレモンのほうが――)

パウロ
(――って、おれは何を考えてるんだ!
弟のほうがかわいいなんて、そんなはずないだろ!)

嫌な考えを打ち消すように頭を振る。
それでも、その暗い考えは完全には消えてくれなかった。

パウロ
(母様がピレモンを気にかけるのは、こいつが成長するまで……赤ん坊のうちだけだ)

胸の中に澱みを残したまま長期休暇が明けて、パウロは学校へ戻ることになった。

そして彼の、弟が成長するまで、という願いも虚しく――。

パウロが学校で過ごしている間に、母をはじめ、父や使用人たちもピレモンに気を取られていき、次第に長男の存在は、家の中で薄れていったのである。

数年後――。
パウロ・ノトス・グレイラット、10歳。

数年の間に講師たちは何も言わなくなった。
今日も今日とて、彼はことごとく授業をサボり、剣術の修行に勤しんでいる。

水神流講師
「うーん、あなたはあれですね」

パウロ
「はい?」

水神流講師
「わたしの教える水神流より、家で習っているという剣神流のほうが肌に合っているようです」

パウロ
「そうなんです、か?」

水神流講師
「自分で気づきませんか?
バランスよく両流派を使っているようですが、咄嗟の判断で動く時は、剣神流の動きになっています」

水神流講師
「貴族が使うのは基本的に水神流です。
貴族らしくないと言えばそうですが、あなたらしくはあるかもしれません」

パウロ
「おれらしい?」

水神流講師
「攻撃の剣神流……。
攻撃こそ最大の防御と言わんばかりの太刀筋……。
まさしくここ数年のあなたを表すかのようです」

パウロ
「そんなつもりはないですけど……、先生がそう言うのなら、そうなのかもしれませんね。
自分じゃわからないものでしょうし」

パウロは茶化すように肩を竦める。
水神流講師が眉を寄せた。

水神流講師
「あなたがそういう態度を取る時は、話題を避けたい時です」

パウロ
「……先生はおれよりも、おれのことに詳しいみたいですね」

水神流講師
「そんなの当然でしょう?
あなたと剣を交わすようになって、もう5年も経つんですから」

水神流講師
「今のあなたを残して行くのは、少し心配ですね」

パウロ
「え?」

水神流講師の言葉に、それまで茶化すような態度だったパウロは、ポカンとして首を傾げた。

パウロ
「どういう意味ですか?」

水神流講師
「まだ正式に発表されていませんが、近々……おそらく来月頃に、講師の職を辞することになりました」

パウロ
「は!? なんで!?」

水神流講師
「簡潔に言うと、子供ができたから、ですね。
今、わたしのお腹には新たな命が宿っています」

パウロ
「ま、待って……え……赤ちゃん……?」

突然の告白に頭の中がこんがらがる。
パウロは彼女の腹部から目が逸らせない。

パウロ
「先生って、結婚してましたっけ……?」

水神流講師
「いいえ、独身ですよ。
やることやっていれば、独身でも子供はできますから」

パウロ
「ち、ちなみに、父親は……?」

水神流講師
「ああ、校長ですよ」

パウロ
「校長!?」

水神流講師
「籍を入れる予定はありませんでしたが、子供ができた以上、責任を取ってくれるそうなので、お言葉に甘えることにしました」

水神流講師
「まぁ、同意の上でのことですから、一方的に責任を押しつけるつもりはありませんでしたが……、やむを得ないという感じですね」

パウロ
「やむを得ないって……。
それで、先生は幸せになれるんですか?」

5年もの間、剣を見てもらっていた相手だ。
パウロにとって他人事ではない。
ジッと見つめて尋ねると、彼女は微笑んだ。

水神流講師
「身体を許すくらい、憎からず思っていた人です。
そんな人と、これから生まれてくる子供と、3人で家族になることは、たぶん、幸せなことかと」

パウロ
「たぶん、ですか……」

水神流講師
「ええ、たぶん、です。
未来に確証はありませんから」

パウロ
「そうですね……。
でも、やっぱり少し心配です……」

水神流講師
「それはこちらのセリフです。
今のあなたを残していっていいものか……」

彼女の言葉にハッとする。

パウロ
(これから子供を産むって先生に、心配かけちゃダメだろ……!)

パウロ
「先生! だいじょうぶです!」

水神流講師
「パウロ?」

パウロ
「おもしろくないことはいっぱいだけど、おれには、剣がありますから!
それに気の合うヤツもいますし!」

それで充分だと胸を張った。
彼女はフッと笑みをこぼし、パウロの頭を犬にでもするようにガシガシと撫でた。

水神流講師
「来月……あなたの誕生日パーティーに、校長が招待されています。同伴させてもらって、最後に喝を入れなければと思っていましたが――」

水神流講師
「それも必要なさそうですね。
顔を見ればわかります。あなたに授けたものは、きっと無駄にならないでしょう」

パウロ
「はい。絶対に無駄にしません」

力強く頷けば、水神流講師は満足気に笑った。
その後、言葉のとおり講師の職を辞した彼女とパウロが会うことは、二度となかった。

1か月後――。

その日はノトス・グレイラット家の屋敷で、長男パウロの10歳の誕生日を祝うパーティーが開かれていた。

パウロ
(前の時よりも豪華だ。でも……)

パウロ
「え? 母様はもうお部屋に戻るんですか?」

バレンティナ
「ええ、あなたも知っているでしょう?
ピレモンが風邪をひいてしまったの」

パウロ
(風邪……そういえば朝、屋敷中がバタバタしてたな……)

パウロ
「……でも、今日はおれの誕生日パーティーです。
父様は他の方たちとの話が忙しいし、せめて母様は傍にいてくれませんか……?」

バレンティナ
「パウロ……」

バレンティナの手がパウロの頬を撫でる。

バレンティナ
「ごめんなさい。
こうしている間もピレモンは熱にうなされて、わたくしを呼んでいるの……」

頬を撫でてくれていた手が離れ、母はそのまま会場を去って行った。
残されたパウロは手の平を握り締める。

パウロ
(ピレモンが生まれてから、母様はあいつのことばっかりだ……)

視線をさまよわせて父の姿を探せば、彼は貴族の男性たちと楽し気に話していた。

パウロ
(おれの誕生日パーティーなのに、なんでだろ?
主役はおれじゃないみたいだ……)

こんなのつまらない。
いじけたパウロが会場を出て行こうとした時、目の前にひとりの少年が立ちふさがった。

フィリップ
「なんでそんなに浮かない顔してるの?
今日の主役はきみなのにさ」

パウロ
「フィリップ!?」

そこにいたのは、パウロの従兄弟、フィリップ・ボレアス・グレイラットだった。
彼は2、3年ほど前からパウロと同じ学校に通っている。

家同士のつき合いもあり、もともとよく知った間柄だったが、入学後は特に親しい関係に発展していた。

パウロ
「なんだ、フィリップも来てたのか」

フィリップ
「なんだって、何? 寂しい言い方するね」

フィリップ
「家同士の関係を考えたら、ノトス家の次期当主の誕生日パーティーに出席しないはずないだろう?」

フィリップ
「そうでなくても、きみの誕生日を祝わないはずないさ」

アスラ王国におけるグレイラット家は本家が4つあり、それぞれ東西南北を守護する武官貴族だ。

4家は力を持つゆえに複雑な関係を築いているが、現在のノトス家、ボレアス家に関して言えば、おおむね友好的な状態にある。

フィリップ
「今日のパーティー、すごく豪華だね。
内装も料理も華やかで、圧倒されちゃった」

パウロ
「うん、最初見た時はおれもビックリしたよ。
おぉ、これは父様張り切ったな! って」

パウロ
(ま、それがおれのためだったのかは、今となってはわからないけど……)

フィリップ
「そっか、叔父上が張り切ったのか。
どおりで素敵なパーティーだと思ったよ。
何よりも素晴らしいのは……」

フィリップ
「メイドの女の子たちが、いつにも増して可愛いことだね」

パウロ
「うん?」

フィリップ
「さすがノトス・グレイラット。
メイドの着てる服まで会場に合わせてあるよ。
パーティー用なのかな? うん、いいなぁ……」

フィリップ
「パウロも知ってのとおり、うちのメイドは獣族の子ばっかりだからね。
その子たちにも似合いそうだ」

フィリップ
「……よし、ぼくの誕生日パーティーでも、メイドのみんなには特別な格好で給仕してもらおう。
長いスカートに隠された……あはっ、楽しみだなぁ」

うっとりと目を細めるフィリップ。
その横顔を見て、パウロは彼の肩をポンと叩く。

パウロ
「フィリップ、顔がすごいよ。
秘密の花園に意識を飛ばしてるんだろう?」

フィリップ
「秘密の花園?」

パウロは目線を動かして、メイドのスカートを見る。
それだけで充分だった。
目を戻すと、フィリップがにっこり笑う。

フィリップ
「ああ、常世の楽園のことか。
あの中はいいよね。心が落ち着くし」

パウロ
(やっぱりこいつは……同士だ!)

どちらからともなく固い握手を交わしていると、ふたりに近づいてくる人がいた。

???
「フィリップ、こんなところで油を売っていたのか」

フィリップ
「兄上こそ、どうしてここに?
挨拶をしてまわっていたのでは?」

パウロ
「兄上……?」

フィリップ
「ああ、会ったことなかったかな?
ぼくの6歳上の兄、ジェイムズだよ」

パウロ
「ジェイムズ……はじめまして。
おれは――」

ジェイムズ
「知っている」

パウロ
(……ん?)

ジェイムズの目は明らかにパウロを見下している。
しかめられた顔と、ぶっきらぼうで不愛想な態度は、決して友好的とは言えなかった。

パウロ
(なんか、はじめましてなのに、態度悪くないか?)

ムッとして睨みかえせば、ジェイムズは鼻で笑う。

ジェイムズ
「お前たちは学校でもつるんでいるらしいな?
フィリップ、従兄弟同士とはいえ、プライベートでつき合う相手はきちんと選べよ」

フィリップ
「選んだつもりだよ。
パウロとはものすごく気が合うんだ」

ジェイムズ
「は? こいつと気が合う?
お前の将来が心配だな」

パウロ
「それ、どういう意味だよ?」

我慢の限界だ。
パウロは苛立ちのまま、ジェイムズと向かい合う。

パウロ
「さっきから好き勝手言ってくれるな。
フィリップと違って、きみとは、はじめましてだ」

パウロ
「きみはおれのこと、何も知らないだろ?
それなのにずいぶんな言い方じゃないか」

ジェイムズ
「そう思うか?
ノトス・グレイラットの問題児」

その言葉に、パウロは眉を寄せる。

パウロ
「それ、おれのこと?」

ジェイムズ
「有名な話だぞ」

ジェイムズ
「ノトス・グレイラット家の長男は、10歳になるのに、剣に現を抜かすばかりで勉学に励もうとせず、礼儀作法も身についていないってな」

パウロ
「そんなことはない!
最低限のことはわかってる!」

ジェイムズ
「最低限で充分だとでも?
ボレアスじゃ考えられないな。
ノトス・グレイラットはそんなに程度が低いのか?」

パウロ
「程度がどうとかはわからないけど、少なくともおれは、きみみたいに初対面の相手を見下したりしない」

ジェイムズ
「なんだと?」

年齢も体格も違うが、グレイラット家の長男同士だ。
ふたりの間に剣呑な空気が漂う。
周囲の大人たちも、次第にその異変に気づき始めた。

フィリップ
「パウロ、兄上もその辺にして。
従兄弟同士なんだから、もっと仲良くしようよ」

パウロたちの間に入ったのは、それまで隣で様子を見ていたフィリップだ。

フィリップ
「ほら、ちょうどいい。
そろそろダンスタイムだよ。
ふたりとも、ご令嬢たちに声をかけてあげたら?」

ジェイムズ
「結構だ。私にはつれがいる」

フィリップ
「ああ、そうだったね。
今日は兄上の婚約者殿が一緒だった。
早く戻ってさしあげないと、ダンスできないよ?」

ジェイムズ
「ふん……では失礼、パウロ殿。
貴殿の最低限身につけられたダンスの腕前を、しっかり披露なさってください」

嫌味ったらしい言葉を残され、パウロの苛立ちが増していく。

パウロ
「なんだよ、あいつ!
本当にフィリップの兄なのか!? ってくらい、嫌なやつだったんだけど!?」

フィリップ
「そうだよ。ぼくの実の兄上だ。
あんな感じだけど本当に優秀な人でね」

フィリップ
「まぁ、あんまり気にしなくていいよ。
それより今日はせっかくの誕生日パーティーなんだから、女の子とのダンスを楽しんだら?」

パウロ
「楽しむって言ったって、相手がいなきゃ……」

フィリップ
「うーん……」

フィリップ
「あ。じゃあ、あそこにいる女の子たちは?」

パウロ
「え?」

フィリップが視線で促す先にいたのは、美しく着飾った令嬢たちだった。

フィリップ
「さっきからチラチラこっちを見てる。
パウロに声をかけてほしいんだよ」

パウロ
「おれに?」

フィリップ
「そうそう! だから、ほら!
早くダンスに誘ってあげて」

笑顔のフィリップに背中を押されて、パウロは令嬢たちのほうへ近づいて行った。

パウロ
「こ……こんばんは、麗しいレディ。
よろしければ一曲ご一緒していただけますか?」

つけ焼き刃。
右から左へ聞き流していたマナー講師の教えを、なんとか引っ張り出して、中心にいた令嬢をダンスに誘う。

パウロ
(こ、これでいいんだよな……?)

冷や汗をかきながらも笑顔は崩さない。

誘われた令嬢はにこやかな笑みを浮かべて、パウロの手を取った。

令嬢
「はい、もちろんですわ、パウロ様。
ご一緒できて光栄です」

パウロ
「よかった。では、参りましょう」

誕生日パーティーの主役とだけあって、パウロは会場の中心で踊らなければならない。

令嬢をエスコートして移動すると、父が呼んだ有名な楽団が演奏を始めた。

パウロ
(ダンス……ダンス……ステップ……ステップ……?)

ダンスレッスンから逃走したのは、一度や二度のことではない。
パウロのダンスレベルは、つけ焼き刃と言うのもおこがましいほど低かった。

パウロ
(ま、周りのステップを見ながら、いい感じに合わせて踊れば、なんとか……!)

パウロは剣術で鍛えた観察眼と反射神経で、なんとか対応していく。
ダンスを楽しむ余裕なんてもちろんなく、表情は険しい。

令嬢
「ふふふ……」

不意に音楽にまぎれて小さな笑い声が聞こえた。
一緒に踊っていた令嬢が微笑んでいる。

令嬢
「パウロ様、もっと私にくっついてくださいませ」

パウロ
「え?」

令嬢
「失礼ながら、ダンスが苦手なご様子……。
周りを見る必要はありませんわ。
どうぞ、私の動きに合わせてくださいませ」

令嬢
「ダンスで大事なことは笑顔です。
余裕たっぷりの笑顔でいらしたら、少しくらいのミスは誰も気にしませんわ」

パウロ
「そういうもの、なのか……。
じゃあ……お言葉に甘えさせてもらうよ」

令嬢に身体を寄せて、彼女の動きに合わせる。

パウロ
「!! すごい……周りを見て動くよりも、こっちのほうが自然に踊れてる……!」

パウロ
「本当にありがとう。えっと……」


令嬢
「お礼なんていいのです。
これで5年前の恩返しができましたわ……」

令嬢の言葉にパウロは首を傾げる。
その反応に、彼女は優しく目を細めた。

令嬢
「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、私は5年前のパウロ様の誕生日パーティーにも来ていました」

令嬢
「その時に庭園を案内していただき、ドレスが汚れていることを教えていただいたのです」

パウロ
「そんなこと……あった、ような……?」

5年も前のことで記憶が定かではない。
パウロが思い出そうと記憶をたどっていると、令嬢はくすくす笑った。

令嬢
「パウロ様にとっては、ささいなことだったのでしょう。
でも、私はとても助かりました」

令嬢
「貴族の娘が汚れたドレスでパーティーに戻ったりしたら、恥さらしもいいところでしたから。
両親には怒られていたでしょうし、評判も落ちていたでしょう」

令嬢
「ですから、これは恩返しなのですわ」

パウロ
「そんなに前のこと、ずっと、覚えててくれたの?」

令嬢
「はい。忘れたことはありません」

パウロ
(なんだ……なんだ、この気持ち……)

胸の奥がぎゅっと締めつけられて、少し息苦しいような、心地いいような、不思議な感覚だ。

パウロ
(それに、なんでだろう?)

パウロ
(ダンスに誘った時より、今のほうがずっとかわいく見える……)

ドキドキしながら令嬢を見つめる。
彼女は頬を赤く染めながら、パウロの胸にすり寄った。

令嬢
「慣れないダンスで、お疲れでしょう?
この曲が終わったらふたりで抜け出して、少しおやすみしませんか?」

パウロ
「あ……うん、そうだね!
きみもずっと立ちっぱなしで疲れただろうし!」

曲が終わると、パウロは令嬢の手を引いて、誕生日パーティーの会場を抜け出した。

そして、彼女とゆっくり話ができるように、誰もいない空き部屋に入ると――。

令嬢
「やっと、パウロ様とふたりきりになれましたわ」

パウロ
「え、ええ!?」

令嬢が正面から抱きついて、パウロの背中に腕を回した。
ダンスの時もくっついていたが、その時とは雰囲気が違うことくらい、パウロにもわかる。

令嬢
「ずっと、こうしたかったと言ったら、はしたないと思われるかしら……?」

パウロ
「ううん、そんなことは思わないけど……。
ただ、急だったから、ビックリして……きみの気持ちは、すごく嬉しいし、ドキドキする……」

令嬢
「では、どうかこの先も――」

頬を撫でられ、熱い眼差しで見つめられる。
令嬢がそっと目を閉じ、パウロは吸い寄せられるかのように彼女の唇にキスをした。

パウロ
(や、柔らかい……!)

令嬢
「ん……パウロ、様……」

キスしながら彼女に導かれ、そのままソファーになだれ込む。

令嬢
「どうぞ……パウロ様の好きなように、なさって……。
それが私の望みですわ……」

パウロ
(おれの、好きなように……)

真っ赤な顔で誘われて、パウロはごくりと生唾を呑む。
知識はあるが、経験はない。
頭で理解しているのは、ざっくりとした流れだけだ。

パウロ
(おれの、好きなように……好きなように……!)

パウロは本能のままにドレスに手を伸ばした――。

女性と言う生き物に、パウロの本能は丸裸にされる。
その行為はあまりにも衝撃的だった。
淡い初恋の予感を吹き飛ばすには、充分なほど――。

令嬢と別れて、パーティーの会場にふらふら戻ったパウロに、フィリップが声をかけてくる。

フィリップ
「令嬢と抜け出して、何してたの?」

パウロ
「……すごい世界に、足を踏み入れたよ……。
これが、大人の階段を登るってことか……」

一度知ってしまったが最後、パウロはその世界から逃れることができなかった。
学校に戻ったパウロの生活に、剣以外に新たな習慣ができた。

中級貴族の令嬢
「ねぇねぇ、パウロ。
次はいつ、私と会ってくれるのかしら?」

パウロ
「んー、しばらくは無理だな。
他にも順番待ってる子がいるし、新規の子だっているし」

中級貴族の令嬢
「もう、冷たいのね!
さっきまであんなに情熱的だったのに!」

中級貴族の令嬢
「……なーんて、まぁ、いいのだけど。
私たちはお互いに割り切った関係だもの。
……でも、パウロ、気をつけたほうがいいかもしれないわよ?」

パウロ
「気をつける?」

制服を着終えたパウロは、中級貴族の令嬢の言葉が気になって首を傾げた。

パウロ
「気をつけるって、何に?」

中級貴族の令嬢
「私みたいに割り切れてない子が、何人もいるってこと」

中級貴族の令嬢
「ノトス・グレイラット家の長男と、こういう関係になって、夢見ちゃう子がいるの。
家格が低い子ほど余計にね」

パウロ
「ふーん……きみは夢を見ないの?」

中級貴族の令嬢
「わたくしの家は中級貴族ですもの。
将来を約束した方もいます。
あなたとはただの火遊びですわ……ってね」

パウロ
「はは、そっかそっか。
おれはきみのそういうとこ、けっこう好きだよ」

パウロ
「貴族らしく打算的なのか、それとも貴族らしくないのか、よくわからない感じが飽きなくて楽しい」

中級貴族の令嬢
「………………」

パウロがニコニコ笑いながら言うと、彼女は顔を両手で覆って溜め息をついた。

パウロ
「? どうしたの?」

中級貴族の令嬢
「……なんでもないわ。
私は少し休んで行くから、パウロは先に出て」

パウロ
「うん、そうする。じゃあまた」

パウロは空き教室を出ると、剣術の修行をするために演習場へ足を進めた。

水神流講師が学校を辞めて以来、パウロは師のいない水神流ではなく、実家で剣を見てくれる講師の剣神流をメインに鍛錬している。

パウロ
(新しい先生とは合わないんだよなぁ……)

そういうこともあり、パウロの学校生活は、剣術よりも女子生徒と遊ぶことに、だんだん比重が傾いてきていた。

パウロ
(このまま剣術がおもしろくなくなる……ってことは、ないと思うんだけど……張り合いがないんだよ)

パウロ
(その点、女の子を口説くのは、張り合いがあっておもしろいし、その先に待ってるのは楽しいコトだし……)

パウロ
「やっぱり、何事もひとりじゃダメってことかもな。
どこかで剣の相手、探せればいいんだけど……」

パウロ
(フィリップはいるけど、あいつ、剣術はからっきしで相手にならないもんな……)

素振りをしながら演習場を見回すが、他には誰もいない。
貴族の息子たちにとっての剣は、義務として学ぶ事柄の一環でしかないのだろう。

女生徒
「パウロ様ー!」

名前を呼ばれてそちらを見れば、同じクラスの女子生徒が演習場の外で手を振っている。

女生徒
「少しお休みになられて、一緒にお茶でもいかがですか?
実家から美味しい茶葉とお菓子が届きましたの!」

天真爛漫な彼女を見て、ぐだぐだ考えていた悩みが姿を消す。

パウロ
(難しく考えるのは苦手だ)

パウロ
(今がおもしろければ、それでいいよな)

パウロはクラスメートの彼女と、ふたりきりのお茶会を楽しむことにした。

女生徒
「パウロ様とこうして時間を過ごせるなんて、まるで夢のようですわ」

パウロ
「ははは、そんな大げさな。
同じクラスなんだし、もっと気楽にしてよ」

女生徒
「だって……パウロ様には、女の子のお友達がたくさんいらっしゃるでしょう?
それも、みんな可愛い人ばかり……」

女生徒
「わたしは、そんなに可愛くないし……。
今日は勇気を出してお誘いして、本当に良かったですわ」

頬を染める彼女の手に自分の手を重ねる。
彼女の頬の赤がより鮮明になった。

パウロ
(おっと? この反応……イケるのでは?)

パウロが直感に従って口説こうとした時、その場に乱入者が現れた。

貴族令嬢
「ちょっとあなた! 勝手にパウロに近づかないで!
ちゃんと順番を守ってちょうだい!」

パウロ
「先輩……」

年上で気の強い彼女は数人の取り巻きをつれて、女生徒を睨みつけている。

女生徒
「じゅ、順番……?
そんなものがあるんです、か?」

貴族令嬢
「とぼけないで。
ノトス・グレイラット家のご子息に関わる話を知らずに、ご本人に近づいただなんて、信じられるとお思い?」

女生徒
「そ、そんな、わたしは……ただ、パウロ様と仲良くできたらって……」

貴族令嬢
「見たところ、家格は高くなさそうですわね。
どうせ玉の輿でも狙って、お手つきになれればと考えているのでしょう?」

女生徒
「お手つき!?
そんな、はしたないことは、決して……!」

パウロ
(あーあ……)

それは、疎いパウロにでもわかるほどの失言だった。

貴族令嬢やその取り巻きの令嬢たちとパウロは、関係を持っている。
はしたないという言葉は、そのまま攻撃になるのだ。

貴族令嬢
「……あなた? 今のはどういうつもり?」

パウロ
(仕方ないか……)

パウロは席を離れて、貴族令嬢の前に立った。

パウロ
「先輩、その辺にしてあげて」

貴族令嬢
「パウロ、これは女同士の話です。
あなたは口を挟まないでくださる?」

パウロ
「でも、おれのことだろう?
彼女とはクラスメートとして話してただけ。
それももう終わるところだったんだ」

パウロ
「だから、先輩さえ良ければ、これから時間あるかな?
一緒に過ごせればと思ったんだけど……」

彼女の手を取って、指先を絡めながら言う。
少し上目遣いを意識すると、貴族令嬢のほうから手を握ってきた。

貴族令嬢
「もちろん、時間はいくらでもありますわ」

パウロ
「じゃあ、早く静かなところに行こう」

貴族令嬢
「そうですわね!
そちらの方を相手にしていては、時間がもったいありませんもの!」

どうやら彼女の機嫌は直ったらしい。
チラリと女生徒を見れば、顔を青くして俯いている。

パウロ
(あの子が忠告してくれたのは、こういうことか。
貴族って、女の子同士でもドロドロしてるんだな……)

パウロ
(ちょっとこういうのは面倒かもしれない。
おれはただ、楽しくすごしたかっただけなのに……)

そして、面倒ごとは更に続く。

翌日、剣術の授業に向かおうとしていたパウロとフィリップの前に、剣を持った男が立ちはだかった。

中級貴族の子息
「パウロ・ノトス・グレイラット!
貴様に決闘を申し込む!!」

パウロ
「……は?」

フィリップ
「パウロ、何したの?」

パウロ
「さぁ……?」

中級貴族の子息
「今回のことは、私だけでなく、我が家への侮辱だ!
決して許さん!」

無駄に偉そうな態度の中級貴族の子息に、パウロは眉を寄せた。

パウロ
「急になんだ?
何を言いたいのかさっぱりなんだけど?」

中級貴族の子息
「とぼけるつもりか?
私の婚約者に手を出しておいて!!」

パウロ
「きみの婚約者?」

フィリップ
「パウロ、きみって人は……。
そういうことはバレないようにするものだよ」

パウロ
「……人のこと言えないだろう?
この前、女の子3人と修羅場になってたのは、どこのボレアス家の次男だ?」

フィリップに呆れたように言われ、パウロも同じような顔をする。
中級貴族の子息は無視されたと思ったのか鼻息を荒くした。

中級貴族の子息
「さあ、剣を抜け!
それとも今すぐ跪いて首を垂れ、私に謝罪するか!?」

パウロ
「謝罪するつもりはない。
あれは完全に同意の上でのことだったし。
だけど、剣を抜くつもりもない」

中級貴族の子息
「逃げる気か?」

中級貴族の子息の挑発に、パウロは冷静に相手を見据える。

身体は向こうのほうが大きいが、筋肉もロクについていない貴族の坊ちゃんと決闘したとして、自分が負ける要素は微塵もない。

パウロ
「軽々しく決闘って言うけど、それだけの覚悟があるのか?」

中級貴族の子息
「なんだと?」

パウロ
「正式な決闘であれば、殺されても文句は言えないし、殺しても罪には問われない。
本当に、きみはそれだけの覚悟があるか?」

中級貴族の子息
「……っ!?」

中級貴族の子息の身体がびくりと震える。
彼の手から剣が滑り落ちた。

中級貴族の子息
「このままで、済むと思うなよ……!
後悔させてやる……!」

中級貴族の子息は顔を真っ赤にして、その場から立ち去って行く。
取り巻きの生徒が落ちた剣を拾い、慌ててその背中を追った。

フィリップ
「大丈夫なの?」

パウロ
「だいじょうぶじゃないか?
前にも似たようなことを言われたけど、その時は結局なんにもなかったし」

フィリップ
「ふーん……」

どうせ今回も口だけだろう。
パウロはそう思いながらフィリップと剣術の授業へ向かう。

彼の元に、父親からの帰宅を命じる手紙が届いたのは、それから一週間後のことだった――。

3話【ノトス家の悪童】

アマラント・ノトス・グレイラット。
実の父親で、ノトス家の当主である彼からの手紙により、パウロは急遽、実家へと戻って来ていた。

アマラント
「何故、呼び戻されたかわかるな?」

パウロ
「わかるな? と言われても……。
手紙には帰って来いとしか書かれていませんでしたし」

アマラント
「最近のお前の行動は目に余る。
学校での奔放な振る舞いを、知られていないとでも?」

パウロ
「そのことですか……。
まぁ、確かに最近は遊びすぎていたかもしれません……」

女子生徒同士の自分を巡るいさかいは、面倒なものに感じられて、楽しい気分を削がれていた。

パウロ
「でも、相手とも同意の上ですよ?
初めてじゃない……他の男と遊んでいる子もいましたしね」

パウロ
「だから、そんなに気にしなくても――」

アマラント
「ふざけるのもたいがいにしろ!!」

怒鳴りつけるのと同時、父親の手がパウロの頬を張り飛ばした。

剣術で鍛えられた腕で殴られ、身体のできあがっていないパウロは尻もちをつき、呆然とアマラントを見上げる。

パウロ
「っ、父様……?」

アマラント
「学校にやれば貴族としての自覚を持ち、ノトス・グレイラット家の長男らしくなると信じていた。
だが、お前は私の信頼をこんな形で裏切った」

パウロ
「裏切ったって……女の子と遊んだことが、ですか?
だけど、グレイラット家の男なら、女の子に興味があるのは仕方ないって、前に言って……」

パウロ
「それに……! 方法はどうであれ、貴族の娘と親交を深められたのは重畳だって!
今後のためにもなるって言ったのは、父様じゃないですか!」

アマラント
「責任を転嫁するな。
女と親しくしたことを咎めているのではない」

パウロ
「じゃあ、何を――」

アマラント
「お前には相手を見る目がないのだ。
ノトス・グレイラット家の長男に抱かれたと簡単に吹聴する、口の軽い相手を遊び相手に選んだこと」

アマラント
「手を出した女の背後関係……彼女がどこの家の令嬢で、誰と婚約をしているのか、我が家とのパワーバランスはどうか、そういったことをお前は全て無視していた」

アマラント
「だから、中級貴族の婚約者などに手を出してしまうのだ。
先日、中級貴族から苦言を呈する手紙を受け取ったぞ」

パウロ
(それって……)

先日学校で揉めた時のことだとすぐにわかった。
パウロはグッと拳を握る。

パウロ
「あいつ、自分でかかってくる度胸がないから、父親に頼み込んだってことですか……!
なんて情けないヤツなんだ……!」

アマラント
「情けない? それをお前が言うのか?」

冷たい声。
怒りでいっぱいになっていた頭が急激に冷やされていく。
父親の視線がますます冷たいものになっていた。

アマラント
「お前の尻拭いをしたのは、私だ。
上手く収めることはできたが、中級貴族に借りを作ったこと変わりない」

パウロ
「!! 中級貴族に借りを……?」

アマラント
「……教えてやろう、愚かな息子よ」

アマラント
「私が貴族の女と親交を深めるのを良しとしたのは、ふたりきりの場であれば、より深い他家の情報を手に入れられるからだ」

アマラント
「ただ己の楽しみのためだけに女を口説き、楽しければどんな女でも構わないと言うのならば、お前はただの色情魔だ」

パウロ
「色情魔……おれは……」

口を開いても反論できない。
心のおもむくまま楽しんでいたのは事実だ。

アマラント
「お前のような兄を持ったピレモンが哀れだな」

パウロ
「え……?」

アマラント
「まだ幼いが優秀だ。
何より、貴族らしい振る舞いを身につけようと、真面目に取り組んでいる」

アマラント
「おい!」

従僕
「……はい。お呼びでしょうか?」

部屋の前にいたのだろう。
アマラントの呼びかけで従僕が中に入ってきた。

アマラント
「パウロを部屋へ入れておけ。
私が許可するまで一歩も外へ出すな」

従僕
「かしこまりました。
……坊ちゃま、参りましょう」

パウロ
「………………」

茫然自失。言葉も出ない。
アマラントは父親の目をしていなかった。

見限られてしまった。
パウロがそれを察するのは、あまりにも簡単だった。

従僕につれられて自室に戻る。
学校から帰ってそのまま父親の元へ行ったため、部屋に足を踏み入れるのは久し振りだ。

従僕
「坊ちゃま、くれぐれもおとなしく、反省してお過ごしください。
旦那様のお怒りはただごとではございません……」

パウロ
「……おとなしくする以外ないだろ」

パウロ
「いつの間に、窓に格子なんてハメたんだ?
父様は最初からおれを閉じ込めるつもりだったんだろう?」

従僕
「……また後ほど、お食事の時間に参ります」

パウロの問いには答えてくれず、従僕は部屋を出て行く。
外から鍵のかかる音が聞こえた。

パウロ
(そう言えば昔から父様は、貴族らしくあれって言ってたよな……)

パウロ
(それって全部計算して、利益になるか考えて動けってことか?)

パウロ
「……そんなのって、なんにも楽しくないじゃん」

楽しいかどうか、心が動かされるかどうか、それだけを基準に行動していた結果が、この軟禁生活だ。

パウロ
(確かにおれは、奔放にしすぎてヘタを打った。だけど……)

パウロ
(自分が全部間違えてたとは思わない)

パウロ
(利益かどうかを計算してしか行動できないなら、貴族なんて、つまんない生き方だ……)

軟禁生活が続く。
従僕が「形だけでもいいので……」と言ってきたが、パウロが反省の言葉を口にすることはなかった。

施錠された扉の向こうは別世界のようだ。
それでも使用人たちの声は聞こえてくる。

メイドA
「家庭教師のみなさんが褒めていらしたわ。
ピレモン様はまじめで優秀なんですって!」

メイドB
「それにとても落ちついていらっしゃるの。
まだ幼いのに、とても紳士的なのよ」

メイドA
「お兄様と違って、小さな紳士様よね。
パウロ様は小さい頃から、アタシたちメイドのお尻を触ったり、スカートに潜り込んだりしてたのよ?」

メイドB
「そのまま成長なさったのね。
旦那様のお怒りを買って、閉じ込められるのも無理ないわ」

メイド長
「ああ、みなさんここにいたんですね。
ピレモン様が呼んでいらっしゃいましたよ?」

メイドA
「まあ! ピレモン様が? すぐ行かないと!」

メイドB
「アタシたちを気に入ってもらえたら、専属のメイドにしていただけるかもしれないわ!
ほら、急ぎましょう!」

バタバタと走り去って行く足音が聞こえた。
どうやら自分たちの声がパウロに聞こえているとは、夢にも思っていないらしい。

パウロ
(ピレモンか……)

ピレモンは何度か、パウロの元を訪ねて来たことがあった。

パウロ
「……なんの用だ?」

ピレモン
「決まっているではありませんか。
にい様のことが心配だったのです……。
ずっとお部屋に閉じこめられているから……」

ピレモン
「鍵を開けてくれてありがとう。
にい様とふたりで話したいから、しばらく外でまっていて」

従僕
「かしこまりました」

従僕が頭を下げて部屋を出て行き、兄弟ふたりきりになる。
ピレモンが幼い顔に似合わずにやりと笑った。

パウロ
(あ……)

ピレモン
「こんなところに閉じ込められるくらいだから、みんなが言ってたのは、本当のことだったんだ!」

ピレモン
「パウロは頭が良くないから、貴族の当主にはふさわしくないって!」

パウロ
「わざわざそんなことを確かめるために、ここまで来たのか?
従僕まで騙して、お前、暇なんだな」

ピレモン
「なんだと!?」

ピレモン
「ぼくはヒマじゃない!
優秀だから時間があまってるんだ!
家庭教師の先生だって褒めてくれるんだからな!」

パウロ
「そんなに大声出していいのか?
外に聞こえるぞ。
使用人の前でネコかぶってるんだろ?」

ピレモン
「っ、な、なんだよ!
ぼくを脅すつもりか!?」

ピレモン
「そんなことしたら、父様に言いつけてやる!
そうしたら二度と出してもらえないんだからな!」

パウロ
(父様の名前を出して虚勢を張る……。
これがおれの弟か……)

パウロ
(しばらく会わない間に、ますますどうしようもないヤツになってるな)

5歳にもならない弟に何を言われても、痛くもかゆくもない。
パウロはゴロリとベッドに寝転んだ。

パウロ
「まともな話はなさそうだな。
おれは忙しいんだ、さっさと出て行けよ」

ピレモン
「どこがだよ! 寝てるだけじゃないか!
ぼくをバカにしてるのか!?
できそこないのモンダイジのクセに!」

パウロ
「それも誰かに言われたのか?
……まぁ、なんとでも言えばいい」

ピレモン
「ッ……ふ、ふん! 強がってるだけだろ?
おまえは閉じこめられて、ひとりぼっちだ」

ピレモン
「父様も……母様だって、おまえのことなんか気にしちゃいないんだからな!」

パウロ
「……ん?」

ピレモン
「みんな言ってるぞ!
おまえはノトス・グレイラット家の恥だって!」

ピレモンはパウロを見下すように笑うと、部屋を出て行った。
扉に鍵がかけられる音がする。

パウロ
(結局あいつは何をしに来たんだ?
……まぁ、どうでもいいけど……でも……)

パウロ
「さすがだな、ピレモン。
お前の笑った顔、すごく貴族らしかったぞ。
……おれの大嫌いな顔だ」

学校やパーティーでよく目にしていた、自分よりも下だと判断した相手に見せる笑顔。
弟はそんな笑顔をパウロに向けていた。

パウロ
(あいつの言ってたとおり、父様はおれを恥だと思ってる……。
愛されてなんて、いないのかもしれない……)

パウロ
(だけど、母様はそんなことないって断言できる)

部屋に閉じ込められたまま一日が終わる。
鉄格子のはめられた窓の外が、すっかり暗くなった頃、部屋の扉が開いて待ち焦がれたその人が、今日も入って来た。

パウロ
「母様! 今夜もいらしてくれたんですね!」

バレンティナ
「ええ、もちろんよ。
わたくしの可愛いパウロ……同じ屋敷にいるのに、こうして人目を忍んで深夜にしか会えないなんて……」

扉を閉める従僕の姿が見えた。
鍵を持っているのは当主のアマラントを除くと従僕だけだ。

バレンティナはアマラントに内緒で鍵を開けさせ、毎晩パウロに会いに来てくれていた。

バレンティナ
「わたくしからも、旦那様にお願いしているの。
早くパウロを許してあげてほしい、って……。
でも聞き入れてくださらなくて……」

パウロ
「母様が会いに来てくださるから、おれは別にこのままでもいいですよ!」

バレンティナ
「まぁ! そんなのダメよ!」

心配させないつもりで言ったことを、母は真っ向から否定する。
そしてパウロをそっと胸に抱いた。

バレンティナ
「パウロは小さな頃から、元気いっぱいの男の子だったでしょう?
こんな部屋なんて、あなたには狭すぎるわ」

バレンティナ
「母様に任せなさい。
必ずあなたをここから出してあげるわ」

パウロ
「……あまり無理はしないでくださいね」

パウロ
「父様がおれを簡単に許すとは思いません。
たぶんあの人にとって、おれは恥ずかしい息子でしょうし……」

軟禁を言い渡された日以来、父のアマラントの姿を見ていない。
最後に会った時の冷たい目が頭から離れなかった。

バレンティナ
「いいえ、いいえ、決してそんなことないわ。
旦那様にとって、あなたは大切な息子よ」

バレンティナ
「それにあの人は今でも、パウロに期待しているわ。
あなたなら立派に家を継いでくれるって……」

パウロ
「え……?」

バレンティナ
「いくら上級貴族とはいえ、剣の腕が立つだけでは生き残っていけないわ……」

バレンティナ
「だから、あなたが将来ノトス・グレイラット家の当主になった時に困らないよう、貴族らしくあれと、厳しく接しているの」

パウロ
「父様がそんなことを考えて……?」

バレンティナ
「ふふふ、信じられないって顔ね」

考えていることが顔に出ていたらしい。
おかしそうに笑うバレンティナに、パウロは自ら抱きついた。

パウロ
「確かに、すんなりとは信じられません……。
でも、母様がそうだとおっしゃるのなら……」

パウロ
「今度、父様に会いたいと言ってみます。
そこでちゃんとおれの想いを伝えて……、わかってもらえたら……」

パウロ
(おれのほうからも少しだけ、貴族の世界と……父様と、向き合ってみよう)

母親の背に腕を回してギュッと抱きしめる。

パウロ
(……?)

パウロは何か違和感を覚えた。
けれどそれは一瞬のことで、甘い香りのする母の胸に抱かれれば、すぐに頭から消えてなくなる。

その小さな違和感を見過ごしてしまったことを、生涯、後悔することになるとも思わず――。

それから数日後。

毎晩パウロの部屋を訪ねてくれていた母親は、何故かぱったりと姿を見せなくなった――。

パウロ
(どうしてだろう……。
母様が来てくださらない……)

パウロ
(まさか父様にバレて、母様も軟禁されたとか……!?)

いくら考えてみても正解はわからない。
部屋に軟禁されている状況でできることは、あまりにも少なすぎた。

メイド
「失礼いたします。
パウロ様のお夜食をお持ちしました」

パウロ
「!! ああ、入って!」

パウロが幼い頃に新人としてやって来た彼女も、今ではメイド長として立派に働いている。
食事のセッティングをするメイド長にパウロは近づいた。

パウロ
「従僕は外に?」

メイド長
「いいえ、扉に鍵をかけて、お仕事に戻られました。
坊ちゃまの食事が終わる頃を見計らって、戻っていらっしゃるかと思います」

パウロ
「そうか……。あのさ、メイド長、ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

メイド長
「なんでしょうか?」

パウロ
「その……きみは母様の様子を何か知っているか?
軟禁されてから会えていないけど、元気なのかな?」

メイド長
「え……あ、それは……申し訳ございません。
部屋の外のできごとを坊ちゃまに伝えぬようにと、旦那様から指示されております……」

パウロ
「そこをなんとか、教えてもらえないか?」

メイド長
「……申し訳ございません」

メイド長の顔を見れば、口先だけでなく、本当に申しわけなく思っているのだとわかる。
それに……。

パウロ
(虚をつかれたような顔……間違いなく、彼女は母様に何が起きているのか知ってる!)

メイド長
「っ、坊ちゃま!?」

パウロはメイド長に手を伸ばすと、彼女のスカートの上からそっとお尻に触れた。

パウロ
「きみは昔から優しかった。
おれがこの中に潜り込んでも怒らなかったし、従僕から逃げる度にかくまってくれた……」

メイド長
「……メ、メイドとして当然のことです」

パウロ
「本当にそれだけ?
おれのことを思って、捕まって叱られないように、助けてくれてたんじゃないの?」

パウロ
「また、助けてほしい……」

メイド長
「……坊ちゃまは大きくなられました。
私の助けなど、もう……」

パウロ
「そんなことない。
メイド長の助けが今でも必要だ。
きみは、おれの優しい味方でしょ……?」

メイド長
「………………」

メイド長
「……わかりました。奥様のことをお話しします」

彼女は少し迷うような素振りを見せたが、パウロが縋るように見つめると、頷いてくれた。

メイド長
「実は奥様は……病気で身体を壊されて、床に伏せっておいでなのです……」

パウロ
「え……」

パウロ
「病気って……原因は!?
ちゃんと治療はしてるの!?」

メイド長
「旦那様が領内外から医者や術師を呼び集めているようですが、今のところ目覚ましい成果はなく……」

パウロ
「そ、そんな……」

今こうしている間にも、母親が病の床で苦しんでいる……。
そう思うと居ても立ってもいられない。

パウロ
(どうしてこんな時に、おれは軟禁なんてされてるんだ……!)

パウロ
「……母様に会いに行く」

メイド長
「!? まさか抜け出すおつもりですか!?」

パウロ
「……他に方法はない。
父様に頼んでも許してはくれないだろうし……。
おれに作戦があるんだ」

いつまでも閉じ込められたままなんてゴメンだ。
そう思ったパウロが軟禁されて以来、ずっと温めていた作戦だ。

パウロ
「成功させるためにはきみの力がいる。
絶対に迷惑をかけないって約束するから、おれに協力してほしい」

メイド長
「……わかりました。
私でお役に立てるなら喜んでお手伝いします」

パウロ
「ありがとう!
早速だけど……このあと、従僕が戻って来たら、おれが話があるって言ってると、伝えて」

パウロ
(作戦決行は少しでも早いほうがいい……)

パウロ
(母様、待っていてください……。
おれが必ず助けてみせます……!)

パウロはメイド長に作戦を話す。
そして決行の瞬間がくるのを待った。

翌日――。

従僕
「坊ちゃまー! 坊ちゃまー!
出てきてくださいませ! 坊ちゃまー!」

屋敷の中に従僕の声が響いている。

彼の気配と声が離れていくのを感じ、パウロはメイド長のスカートをめくって、中から姿を現した。

パウロ
「……もう行ったみたいだな。
メイド長、匿ってくれてありがとう」

メイド長
「い、いえ……もうよろしいのですか……?」

パウロ
「うん。おれに協力してるってバレたら、きみも叱られちゃうだろうからね。
作戦通り、ここまでで大丈夫」

メイド長
「そうですか……少し残念です――」

パウロ
「え?」

メイド長
「っ、いえ、なんでもありません……!
そ、それより、うまくいって良かったですね!」

パウロ
「父様に直接謝りたいって言えば、従僕が取り次いでくれると思ったんだ。
そうすれば部屋から出ることができる」

パウロ
「あとは簡単だ。
あいつの隙をついて逃げるのは昔から得意だったし、身を隠す場所を提供してくれる味方もいる」

例え従僕がメイド長を怪しんでも、スカートをめくって確認することはできない。

パウロ
「母様の部屋には誰かいる?」

メイド長
「奥様以外、誰もいないかと。
お医者様が来る時間は毎日決まっていますし、この時間、奥様は休まれていますので……んっ……」

パウロ
「そっか。ありがとう」

お礼を言いながら、メイド長の足を撫でる。
昔と違って女性を知った今、パウロの手は、はっきりと意図を持って動いた。

メイド長
「ぁ……ッ、パウロ様……い、急がなくて、よろしいの、ですか……?」

パウロ
「……ああ、うん、そうだな。
じゃあね、メイド長。お礼は今度また改めて!」

メイド長
「お礼……あっ! いえ、どうぞお構いなく!」

頬を赤く染めるメイド長と別れて、パウロは母親の寝室に急いだ。

聞いていたとおり、部屋の周辺には誰もおらず、簡単に中に入ることができた。

パウロ
(ぁ……)

久しぶりに足を踏み入れた母の部屋には薬のにおいが漂い、カーテンが閉まっているせいか以前より薄暗く感じる。
広いベッドの上に、母の姿があった。

パウロ
「母、様……少し見ない間に、こんなに、痩せてしまったの、か……?」

バレンティナ
「………………」

起こさないようにそっと母の手を握る。
皮膚のすぐ下の骨を感じるほど、肉づきが悪くなっていた。

パウロ
「……いや、違う……?」

バレンティナに触れていると、いつかの夜、母に抱きしめられた時に抱いた違和感が蘇ってきた。

パウロ
「あの時……」

パウロ
「母様は、痩せ始めていた……?」

パウロ
(――ってことは……、母様はあの時すでに体調が悪かったのか?)

パウロ
(おれはどうして……、気づくことが、できなかったんだ……!)

自分の鈍感さに腹が立つ。
やり場のない怒りと情けなさで、パウロの視界が滲んでいく。

パウロ
「母様……おれは……」

自分にできることは何かないか?
パウロはぐちゃぐちゃになっている頭で考えて、必死に答えを模索する。

やがてパウロはひとつの結論に達すると、乱暴に涙をぬぐって、バレンティナの手を両手で強く握った。

パウロ
(思い出せ……学校で習っただろ。
あの日は珍しく授業に出て、ちゃんと聞いてたはずだ)

パウロ
「神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん、『ヒーリング』……」

パウロの手が淡く光って――、

――すぐに、消えてしまった。

母親の様子に変わりはない。
苦しげな青白い顔で眠っている。

パウロ
(ダメ、か……)

まじめに授業を受けていなかったことも要因だろうが、そもそも、パウロには魔法の才能がない。
それは本人も自覚しているところだ。

パウロ
(おれの力じゃ、母様を治療できない……。
おれにできることは……)

パウロ
(……なんにしても、軟禁なんてされてたら、おれは何もできない。だったら……)

眠るバレンティナの頬にキスを落とし、パウロは母の寝室を出た。

そしてその足でまっすぐ向かうのは、父親の執務室だ。
途中で鉢合わせた従僕が何か言っていたが無視した。
今はそれどころではない。

アマラント
「何やら屋敷が騒がしかったようだが?」

パウロ
「気のせいではありませんか?
そうだよな?」

従僕
「……はい、その通りでございます。
屋敷はいつもと変わりございません」

まさか、一瞬の隙をついて逃げられたと報告するわけにもいかないだろうと判断して従僕に話を振れば、彼はパウロに同意した。

アマラント
「……いいだろう。それで?
パウロ、お前には部屋で反省していろと言ったはずだが?」

アマラント
「私は暇ではないのだ、用があるなら手短に済ませろ」

パウロ
「それは……どうしても直接、父様に謝罪がしたかったんです……」

パウロ
「この度はおれの……いえ、私の軽薄な行動で、ノトス・グレイラット家の名前に泥を塗ってしまい、本当に申し訳ございませんでした」

パウロ
「今後は心を入れ替えて、家名に恥じないように気をつけたいと思います。
どうかお許しください……」

アマラント
「………………」

アマラント
「私は暇ではないと言ったはずだ。
今お前に構っている時間はない。
……勝手にしろ」

パウロ
「はい! ありがとうございます。
学校では私の醜聞が立っているでしょうし、しばらくは家でおとなしくしています」

アマラント
「屋敷でおとなしく、か……」

アマラント
「いいだろう。ただしバレンティナに……、お前の母親に会うことは禁じる」

パウロ
「え……な、なんでですか?」

アマラント
「彼女はお前に甘すぎる。
この条件を飲めないと逆らうのであれば、軟禁を解くのは時期尚早やもしれんな」

決定権を持つアマラントにそんな風に言われてしまえば、パウロは条件を飲むしかない。

パウロ
(母様の病気のことも言ってくれないし、そうまでして、会わせたくないってことか……?)

思うところはあったが、反省した態度を見せる必要がある。
パウロは渋々「わかりました……」と頷いた。

アマラント
「わかったなら、さっさと出て行け」

アマラントはパウロから目を背けると、中断していたのであろう仕事を再開させた。

パウロ
(思ってたよりも、あっさり軟禁を解いてくれたな)

パウロ
(……それだけ父様はおれに興味がない……、どうでもいいと思ってるってことかもな……)

パウロは執務室を出て扉を閉め――、

アマラント
「例の医者はどうなった?」

パウロ
(医者……?)

聞こえてきた言葉に、扉を閉める手が止まる。
わずかな隙間を残して、パウロは中での会話に耳をそばだてた。

従僕
「はい……途中までの足取りは終えたのですが、どうやらスラム街に流れたようで……。
その先の行方は未だ……」

従僕
「スラムの人間は過去を捨てております。
それに外部の者には口が堅く……」

アマラント
「言い訳はいい! さっさとヤツを……、スラム街の医者をつれて来い!!」

アマラント
「あの者の腕と知識さえあれば……!
バレンティナを救えるのだ……!」

パウロ
(!!)

パウロ
(スラム街の医者……?
その人がいれば、母様が助かるのか……?)

それからのパウロの行動は早かった。
気づかれないよう静かに扉を閉め、服を着替えて屋敷を抜け出す。

目的地はスラム街。
治安の悪い地域だが不安はなかった。

パウロ
(大丈夫だ。おれには剣がある)

そう意気込んで、ひとりスラム街に飛び込んだパウロだが……。

ゴロツキA
「医者だぁ?
そんなご立派な人間がココにいるかよ!」

ゴロツキB
「ここはガキの来るトコじゃねぇ!
ケガする前に帰んな!」

誰に話を聞いても……。

医者の情報を掴むことはできなかった。

パウロ
(手がかり、ゼロ……)

パウロ
「……まだ初日だ、明日こそ……!」

その日から屋敷とスラム街を往復する日々が始まった。

早朝に出発して、夜遅くに帰宅する。
幸か不幸か、今の慌ただしい屋敷にパウロの動向を気にかける人間は誰もいなかった。

そして……何度もスラム街に足を運ぶ中で、パウロはひとりの娼婦と浅からぬ仲になっていた。

娼婦
「貴族の屋敷に出入りしていそうな医者ねぇ……」

パウロ
「どんな情報でもいいんだ。
腕のいい医者の話、聞いたことないか?」

娼婦
「うーん……アタシが何か知ってたら、アンタに教えてあげてもいいんだけど……手がかりが少なすぎるからねぇ」

娼婦
「今でも医者をやってんなら、スラムになんていないわ。とっくに街を出て、医者として普通に働いてるに決まってる」

パウロ
「普通に働けない理由があるとか?」

娼婦
「おバカさん。そもそもそんな事情があるなら、貴族に知られてるわけないでしょ」

パウロ
「……でも、それしかないんだ」

職業と居場所。
それ以外の手掛かりはない。

パウロ
(父様もまだ見つけてないみたいだし……)

暗い顔で溜め息を漏らすと、娼婦がパウロの腰になまめかしく腕を回してきた。

娼婦
「落ち込んじゃった? アタシが慰めてあげようか?
アンタなら特別料金でいいけど?」

パウロ
「……いや、今日は帰る。
はい、これ……何か情報が入ったら教えて」

屋敷からくすねたお金を渡せば、娼婦は真っ赤な唇をパウロの唇に重ねた。

娼婦
「シゴトしてない娼婦にこんなに渡すなんて……。
ねぇ、やっぱり少しだけ時間をおくれよ。
すぐに極楽を見せてあげるから……いいでしょ?」

パウロ
「……そんなにすぐには、終わらないと思うけどな?」

娼婦
「本職の本気、体験させてあ・げ・る」

溜まった熱を発散し、極楽を見たパウロがスラム街を出る頃、外はもうすっかり暗くなっていた。

パウロ
(今何時くらいだ? すっかり遅くなった……)

ふと空を見上げると――、

パウロ
「ぁ……」

満点の星空。
大小の白い光がまたたき、その儚い美しさに、パウロの足が止まる。

パウロ
「星が流れた……」

パウロ
(星空ってこんなにきれいだったっけ?
ああ……母様にも見せてあげたいな……)

バレンティナの寝室のカーテンは締めきられていて、星空なんて見ることができないだろう。

パウロ
(この時間だったら、屋敷の人間は眠っているはずだ)

パウロの止まっていた足が自然と動き出した。
その時――。

バレンティナ
「パウロ――……」

パウロ
「! ……母様?」

母親がスラム街にいるはずがない。
それなのに穏やかに吹いた風に乗って、バレンティナの声が聞こえた。

どくり、と心臓が跳ねる。
頭の中で警鐘が鳴り響いた。
瞬間、パウロは地面を強く蹴って走り出した。

急いで屋敷に戻る。
夜中もとっくに過ぎているというのに、屋敷には灯りがついていた。

パウロ
「母様……!!」

迷いなく母の寝室に向かって走る。
勢いに任せて扉を開け放ち、飛び込むと……。

ピレモン
「うぅ……うわあぁぁあああ!! 母様ぁぁああぁ!!
目を開けて、ッ、目を開けてよぉぉ……!!」

アマラント
「バレンティナ……すまない……。
きみを、助けることができずに……すまない……!」

ベッドの脇でピレモンとアマラントが膝をついている。
母のバレンティナは、血色の失せた顔で眠っていた。

パウロ
「……うそだ」

震える足で近づいて行く。

パウロ
「母様……?」

そろそろと手を伸ばす。
しかし母に到達する前に、その手は乱暴に振り払われた。

ピレモン
「母様にさわるな! おまえのせいだぞ!」

パウロ
「……は?」

ピレモン
「おまえのせいで! 母様は死んでしまったんだぞ!!
返せ! 返せよ! 母様を返せ!!」

パウロ
「ッ、ふざけるな! なんだよ、おれのせいって!?
いくらおれのことが嫌いだからって、適当なこと言ってんじゃ――」

アマラント
「黙れ!!」

パウロ
「と、父様……」

アマラントの怒声にパウロは動きを止める。
父親は弟をその手で抱き上げた。

ピレモンは父の腕に抱かれてわんわん泣き始める。
冷たい怒りが滲むアマラントの目が、パウロを射抜いた。

アマラント
「今までどこへ行っていた?」

パウロ
「それは……」

アマラント
「いや、いい、言うな。
白粉と下品な香水のにおい……。
それが全て語っている」

アマラント
「母親の死際に娼婦のところへ行っていたのだな。
やはり貴様は色情魔か」

パウロ
「!! そ、それは……!
ちゃんと理由があって――」

アマラント
「黙れ。言いわけなど聞いたところで、バレンティナが息を吹き返すことはない……」

アマラント
「パウロ、愚かな息子……貴様が、バレンティナを殺した」

パウロ
「!? 父様まで、何を……」

アマラント
「屋敷の中のことを、私が知らないとでも……?
バレンティナは毎晩のように貴様の部屋に足を運び、慰めていたであろう……?」

アマラント
「彼女は元々、身体が丈夫ではなかった……。
毎晩出歩き、貴様のことで心労を重ね……、体調を崩してしまったのだ」

パウロ
「そんな……」

アマラント
「享楽に耽る貴様の奔放さが、バレンティナを殺した……私の最愛の妻を……、ピレモンのたったひとりの母親を……!」

母親は身体が弱かった?
……そんなの知らない。

自分が負担になっていた?
……そんなの知らない。

ぐらぐらと視界が揺れて、パウロはその場に膝から崩れ落ちた。

アマラント
「……こいつをつれ出せ。
バレンティナの亡骸に近づかせるな。
これは当主としての厳命だ」

従僕
「……かしこまりました。
坊ちゃま、どうぞこちらへ……」

パウロ
「………………」

力が抜けてしまったパウロは、従僕に支えられながらバレンティナの寝室を出た。

そして、葬儀の日までパウロは母の傍に行くことを禁じられ、使用人たちも頑ななまでに、最期の別れをさせてくれなかった。

パウロ
(母様が死んでしまったのは……)

パウロ
(おれのせい、だったのか……?)

バレンティナの死をきっかけに、パウロと屋敷の人間たちの間にあった溝は、修復不可能なほど深くなっている。

父親のアマラントはパウロを完全に見限り、ピレモンに全ての愛を注いでいた。
当主のパウロの扱いは、使用人たちにも影響している。

パウロ
(自分が生まれ育ったとは思えないくらい、居心地の悪い場所になったな……)

パウロは家から逃げるように学校へ通っていたが、貴族の子女ばかりの場所は屋敷と同じくらい居心地が悪い。
結局12歳になる前に、学校へ行くのを辞めてしまった。

パウロ
(父様は何も言わない……。
おれのことなんて目に入ってないんだろう……)

アマラント
「本日はよくおいでくださいました。
ピレモン、みなさんにご挨拶をなさい」

ピレモン
「はい!」

ピレモン
「みなさま、本日はわたくし、ピレモン・ノトス・グレイラットの5歳の誕生日を祝う、パーティーに足を運んでいただき、ありがとうございます!」

その日はピレモンの誕生日パーティーが開かれていた。
パウロの時も豪華な内装だったが、今回はその比ではないほどに煌びやかだ。

パウロ
(名目上は兄だから、参加するように言われたけど……)

アマラントはピレモンをつれて、招待客ひとりひとりに挨拶をしている。
その笑顔の明るさたるや……。

パウロ
(自慢の息子って感じだな)

パウロ
(それに比べておれは……壁の花?
あれ? 壁の花って男にも使うんだっけ?)

パウロ
(……ん?)

令嬢A
「……!!」

令嬢A
「パウロ様……」

令嬢B
「だ、だめよ! 声なんてかけちゃ!
あっちに上級貴族家のご子息がいたわ!」

令嬢A
「そ、そうみたいね!
ご挨拶に参りましょう!」

パウロ
(なんと言うか……)

何度か顔を合わせた令嬢たちが、パウロと目が合った瞬間に逃げていく。

パウロ
(初体験の相手さえも、か……)

貴族たちの中で自分がどんな風に評価されているかを、パウロは理解していた。

フィリップ
「………………」

パウロ
(フィリップ……)

しばらく会っていなかったフィリップが、覚悟を決めたような顔で近づいてくる。

パウロ
(やめろ、来なくていい)

フィリップ
「!」

視線を合わせて首を横に振れば、フィリップの足が止まった。
それでいいと、パウロは頷く。

ピレモン
「にい様、こんなところにいらしたのですか?」

壁の花になっていたパウロの前に、本日の主役が現れる。
周囲の目があるからか、弟はよそ行きの顔をしていた。

パウロ
「主役がこんなとこに来ていいのか?」

ピレモン
「にい様がおひとりでいるのが見えたので。
お加減でも悪いのですか?
そうならお部屋で休まれたほうがいいかと」

パウロ
「いや、大丈夫だ。問題ない」

ピレモン
「本当に? だって、こんなに顔色が……」

そう言いながらピレモンが顔を近づけてくる。

ピレモン
「……わかんないかな? おまえはジャマだから、会場から出てけって言ってるんだよ」

パウロにしか聞こえないような声で言うと、ピレモンがにやりと笑った。

ピレモン
「ぼくの誕生日パーティーに、にい様がいてくださらないのは、さみしいけど……、にい様の身体が大切ですからね」

パウロ
「……そうか。
じゃあ、おれは退散させてもらうよ。
……退屈で死にそうだったからな」

弟からの敵意にも、以前とは打って変わって手の平を返した貴族の人間にも、腹が立つ。

周囲に聞こえるように言って、パウロは目に痛いほど煌びやかな会場を出た。
ついでに、屋敷も、出る――。

パウロ
(ずっと昔から……貴族の世界なんて、おもしろくないと思ってた……)

パウロ
(おもしろくないどころか、今は……)

パウロ
「なんて、胸くそ悪い世界だ」

利己的な人間ばかりで、利益のためなら家族ですら簡単に切り捨てて、それを当然のことにしている。

貴族の世界を疎むパウロの足が進んだ先は、正反対の世界と言えた。

ゴロツキA
「貴族のボンボンが何しに来やがった?」

ゴロツキB
「キレーな服着てんじゃねぇか。
へっへっへ、身ぐるみはがせてもらうぜ!」

パウロ
「……ちょうどいい。
今、おれ……俺はムカついてたんだ。
暴れたい気分だった……!」

向かってきたゴロツキたちに、パウロは素手で殴りかかった。

弟の5歳の誕生日、この日を境にパウロは貴族の世界に背を向けて、スラム街へ入り浸るようになるのだった――。

4話【自由を求め】

メイド長
「ぼ、坊ちゃま……!?
そのお怪我はどうなさったんです!?」

深夜を過ぎた頃。
帰宅したパウロを出迎えたメイドは、真っ青な顔で声を上げた。

メイド長
「お顔がこんなに腫れて……!
ああっ、血も出ているじゃありませんか!
す、すぐに手当てを……!」

パウロ
「落ちついてくれ。
俺は大丈夫だから」

メイド長
「坊ちゃま……?
どうかなさいましたか?
なんだか雰囲気が変わって……」

パウロ
「はは、そんなことないよ。
それより手当ては自分でするから、君はもう休んで」

メイド長
「ですが……」

パウロ
「実を言うと、俺も早く休みたくてね。
明日から忙しくなるから」

メイド長
「そうなん、ですか……?」

パウロ
(そう……明日から忙しくなる……!)

装いを変えずにスラム街へ行き、案の定パウロはゴロツキたちに絡まれた。

一対一なら負けなかっただろう。
だが多勢に無勢。
パウロは容赦なく殴られ、金目のものを奪われた。

パウロ
(俺もやり返しはしたけど、トータルで見たら負けたようなものだった)

パウロ
(やられっぱなしじゃいられないからな!)

翌日、パウロは昨日と同じ服装でスラム街に乗り込んだ。
想定していたとおり、わざわざ自分で探さなくても、昨日のヤツらが集まってくる。

ゴロツキA
「おいおい! 今日も来たのか?
自分で金を運んで来てくれるとはな!」

ゴロツキB
「へっへっへ、慈悲深い貴族の坊ちゃんだぜ!
今日もありがたくいただくとするか!」

パウロ
「そう何度もやられるか!」

刃を潰した訓練用の剣を構えた。

パウロ
(これまでずっと修練してきた……。
俺の剣がどこまで通用するか試す機会だ!)

講師や家庭教師が相手の時は、一対一で相手をしてもらっていた。
複数の相手との本気の戦いはいい腕試しになる。

……というのは、あくまでも建て前で。

パウロ
(昨日の借りを返す!)

ゴロツキA
「クソッ! こいつ、なかなか……!」

ゴロツキB
「もっと仲間を呼べ!
このガキ、いっちょ前に剣を極めてやがる!」

パウロ
「極める? ……まだだ」

パウロ
(先生たちに比べたら……)

パウロ
「俺の剣はまだまだだ……。
でもお前たちには負けない!」

スラム街のゴロツキと戦い、奪われたものを取り返す。
次の日には前日より多くのゴロツキに囲まれ、金目のものを奪われる。

奪われ、取り返し……それを繰り返す内に、いつの間にかパウロの名前は、変わり者のボンボンとして、スラム街に広まっていた――。

娼婦
「パウロって、本当に貴族なの?」

パウロ
「ん? まぁ、一応そうだな……」

お世辞にも広いとは言えない寝台の上。
パウロはスラムで知り合った娼婦の女と何度目かの逢瀬を楽しんでいた。

娼婦
「だって、なんかすごく馴染んでるし。
ココで生きる人たちを見下したり、バカにしたりしないでしょ?」

パウロ
「なんでそんなことしないといけないんだ?
する理由がないだろう?」

娼婦
「へ? 理由なくするのが貴族なんじゃないの?」

娼婦
「娼婦買って、気持ち良さそうにヤるくせに、終わった瞬間ゴミを見るような目を向けてくるの。
今そのゴミの上でハァハァしてたの誰だよって感じ」

娼婦
「でも、パウロはそんなことないでしょ?
私みたいな娼婦でも一人の女の子として接してくれるもの」

パウロ
「? 自分じゃよくわからないけど、貴族の連中と違うって言われるのは嬉しいよ」

娼婦
「ふふ、そういうところ!」

女がパウロの上に座り、割れた腹筋をスーッと指でなぞる。

娼婦
「ね? もう1回シよ?
まだまだデキるでしょ?」

パウロ
「もちろん! でも君は大丈夫?
こんなに細い腰で」

娼婦
「大丈夫だよー。自慢のくびれだもん」

娼婦
「でも、そんなに心配なら、もうひとり呼んじゃう?
パウロが呼んだら、喜んで来ると思うよ?」

パウロ
「!! 一度に3人で……!」

新しい世界の扉が開く予感。
パウロは生唾を飲み込んで娼婦を見つめた。

娼婦
「スタイルいい子だし、パウロの好みじゃない?
だけど、アタシも負けてないからー、まずはアタシと、ねー?」

パウロ
「あ、ああ、うん……!」

貴族の世界に身を置いていた時も、パウロは令嬢たちと関係を持って奔放に遊んでいた。

パウロ
(あの子たちと遊ぶのも楽しかったけど、ココの女の子たちと遊ぶのは、すごく刺激的だ!)

パウロ
(それに、騙されることもないし!)

学校での悲しい現実が、走馬灯のように頭を過る。

パウロ
(腰がキュってしてると思って誘ったら、コルセットできつく絞めてただけ……)

パウロ
(脱いだら全然違うじゃん!
……みたいなことが、ココではない!)

スラム街の女たちは、生きるために自分のいいところを最大限に利用している。
パウロはすっかり夢中になっていた。

パウロ
「君たちは貴族の令嬢と全然違うな」

娼婦
「えー? それどういう意味?
答えによってはー……イジワルしちゃうかも?」

ペロリと唇を舐める彼女に、パウロは「違う違う」と首を横に振った。

パウロ
「君たちはいろんな遊びを知ってて、退屈しないなってこと」

パウロ
「それに令嬢たちとは、庭園を見てまわるとか、一緒にお茶飲みながら話すとか、そういう段階を踏まないと先に進めなかったからさー」

娼婦
「ふーん? まどろっこしいことするんだね。
最後に辿りつくところは同じなのに」

パウロ
「ほんとにな。
結局ベッドに入ることになるのに、それまでが長かった」

パウロ
(あの時はそれも楽しくはあったけど、今となっては、だな……)

彼女たちと過ごす時間を知ってしまった今、これまでの行為ではもう満足できないだろう。
その後、遅れてきた女を交えて夢のような時間を過ごした。

スラム街にいると時間が過ぎるのはあっと言う間だ。
ゴロツキとやり合い、女と遊びまわっている貴族のボンボンの噂は着実に広まっていた。

スラム街の悪ガキA
「おい、お前!」

パウロ
「ん?」

夕暮れ時――。
たわわな胸が特徴の娼婦と別れたあと、パウロは同年代の少年に呼び止められた。

スラム街の悪ガキA
「最近、調子に乗ってるみたいだな!
ラッドさんに挨拶もしないで、いい気になってんじゃねぇぞ!!」

パウロ
「ラッドさん?」

スラム街の悪ガキB
「オレたちを率いてるボス!
男の中の男だ!
知らないとは言わせねぇぞ!?」

大声で喚き散らす彼らの声に引き寄せられるように、多くの少年がゾロゾロと姿を現した。

パウロ
(15人……いや、もっといるか?)

パウロ
「悪いけど、ラッドなんて人は知らない。
……男なら興味もないしな」

スラム街の悪ガキB
「なんだと!?」

ボソリと呟いた言葉は、相手にも届いてしまったらしい。

スラム街の悪ガキB
「おとなしく挨拶に来るなら、調子に乗った態度は許してやろうと思ったが、ボスをバカにするなら話は別だ!」

スラム街の悪ガキA
「お前ら! コイツをやっちまうぞ!」

パウロ
「はぁ……せっかくいい気分だったのに……!」

次々に飛びかかってくるスラム街の少年たち。
拳やこん棒、ナイフを避けながら、訓練用の剣を振るった。

スラム街の悪ガキA
「ぐあっ……!」

スラム街の悪ガキB
「クソッ、怯むな! 全員で囲んじまえ!」

パウロ
(ゴロツキたちより弱いけど、この数はちょっと厄介かもしれないな……)

パウロ
(百歩譲って拳はいいか。
こん棒は……頭以外なら許容! ナイフは避ける!)

最近は誰かから剣術を学ぶ機会がなかった。
自分ひとりでの訓練では限界がある。
腕を実戦で試すいい機会だった。

やがて夕暮れの空が暗くなり始めた頃――。

スラム街の悪ガキA
「こいつ……本当に、貴族のボンボンか……?
たったひとりで、オレたちを……」

パウロ
「いてて……どうだ? これで満足したか?」

スラム街の悪ガキA
「くっ……ふざけんな!
オレたちはこんなもんじゃ――」

ラッド
「その辺にしとけ。
見りゃわかる。お前らの負けだ」

パウロ
「!!」

堂々とした足取りで姿を現した青年に、パウロの目が釘づけになった。

スラム街の悪ガキB
「ラッドさん……!」

ラッド
「コイツはかなりの実力だ。
お前らが相手にするには、ちっとばかし荷が重い」

ラッド
「だが、貴族のボンボンひとりにやられたとあっちゃ、オレらのメンツは丸潰れだ。
このまま見逃すわけにはいかねぇ!」

パウロ
「………………」

パウロの目はラッドに釘づけだ。

ラッド
「おい、テメェ? 聞いてんのか?」

パウロ
「………………」

正確には。
パウロの目はラッドのすぐ後ろに釘づけだ。

パウロ
「………………」

スラム街の悪ガキA
「おい! ラッドさんが話してんだろ!
無視してんじゃねぇぞ!!」

パウロ
「え? あ? うん?
そんなことより、その女の子は……?」

スラム街の悪ガキA
「そんなこと!? そんなことだと!?」

ラッド
「やめろ、吠えるな。
メリーアンが怯えるだろ」

パウロ
「メリーアン……それが君の名前?」

メリーアン
「え、ええ……」

ラッドの後ろに身体を隠して、可憐な美少女が顔だけのぞかせている。

パウロ
(俺と同い年くらいか……?
っ、ものすごく可愛い!! それに……!)

パウロ
(服の上からでもわかる、発育の良さ!!)

メリーアン
「兄さん、この人が噂の……?」

パウロ
「兄さん!?」

ラッドとメリーアンを見比べる。
共通点を見つけるのが難しいほど、まったく似ていない兄妹だ。

ラッド
「フン! オレを前にして動じないどころか、よそに気を散らす余裕すらあるとはな!」

ラッド
「気に入った!
お前をオレたちの仲間にしてやる!
オレの下につけ!」

パウロ
「お前の下に?」

ラッドの手下になった自分を想像してみる。

仲間という集団での行動。
上に命令されたら逆らわず言うことを聞き、例え気に入らなくても、是と答えなければいけない。

パウロ
(……っていうかなぁ、そもそも仲間ってのもよくわからないし……)

パウロ
「せっかく誘ってもらったけど、俺はお前の下につく気なんてない」

ラッド
「ほう……じゃあ、交渉決裂だ。
テメェはココで潰す」

パウロ
「物騒な話だな」

パウロ
「でも、わかりやすくていい」

腹の読み合いも、家格のマウントの取り合いもなく、腕力で決着をつけようという提案は、パウロには好ましく思えた。

ラッドが剣を構える。

パウロ
「剣士なのか?」

ラッド
「そんな立派なモンじゃねぇ……よっ!」

パウロ
「!!」

切りかかってきたラッドの剣を受け止めた。
ラッドは体格差を利用して、上から圧し切ろうと自重を加えてくる。

パウロ
「ッ……男にマウント取られても、嬉しくないんだよ……っ!!」

ラッド
「チッ! ムリヤリ弾きやがったか!
ボンボンのクセに腕力もあるってか!?」

パウロ
「その辺のボンボンと一緒にするな!」

パウロは学校で習っていた水神流ではなく、家庭教師に教えられた剣神流の剣を使う。

相手の先の先を取って一撃必殺。
倒しきれなければ一旦退き、再び先手で攻撃した。

ラッド
「ちょこまか動きやがって!」

ラッド
「クソッ、食らえ……!」

ラッドが地面を蹴り上げる。
パウロの顔面に砂がかかって、一瞬怯む。

ラッド
「うぉおおぉぉりゃあぁぁぁあ!」

迫ってくるラッドの剣を後ろに飛んで避け、パウロは顔にかかった砂を袖で乱暴に拭った。

パウロ
「なんでもありかよ!?」

ラッド
「生憎こちとら、おきれいな剣術なんざ知らねぇもんでな……!!」

パウロ
(なんでもありの剣術……、北神流みたいなものか……!?)

剣で切りかかってきたかと思えば、蹴り技が飛んでくる。

パウロ
(なんで北神流が三大流派のひとつなんだ!?)

パウロ
(こんなの、剣を使って戦ってるだけで、剣術じゃないだろ!?)

ラッド
「はっはっは!
オレとここまでやり合えるヤツがいるとはな!
おい、テメェ! 名前はなんてった!?」

パウロ
「パウロだ!」

パウロ
(本気の一撃に、本気の一撃が返ってくる。
打てば響くって、こういうことか!)

自分でも気づかない内にパウロは笑っていた。
ラッドの口の端も愉快そうに吊り上がっている。

ふたりとも、全力でぶつかれる相手に気持ちが高揚していた。

結局、その日は決着がつかず勝負は翌日に持ち越しとなった。
パウロとラッドの本気のようで、戯れのようでもある勝負は、それから10日間続き――。

ラッド
「懲りずにまた来たか!
パウロ! 今日こそぶっ潰してやらぁ!」

パウロ
「それはこっちのセリフだ!
今日こそ決着をつけてやる!」

メリーアン
「………………」

パウロ
(メリーアン! 今日も来てる!)

ラッド
「パウロ! よそ見とは余裕だな!」

パウロ
「ああ! 実際に余裕だからな!」

ラッド
「ははっ、面白れぇ!
お前にだったら譲ってやってもいいかもな!」

パウロ
「譲る? 何を?」

ラッド
「ボスの座だ!
お前が勝ったらボスの座を譲ってやる!」

パウロ
「は……?」

スラム街の悪ガキB
「ラッドさん!? 本気っすか!?」

周囲に集まっていた少年たちがザワザワし始める。
それほどラッドの言葉は唐突だった。

パウロ
(ボスの座なんて興味ないんだけどな……)

ラッド
「うるせぇ! 静かにしねぇか!」

ラッドの一喝でざわめきが消える。
緊張した空気の中、興味はないと言い出せる雰囲気ではない。

ラッド
「スラムじゃ力が全てだ。
オレより強いヤツにならボスの座を任せられる。
なぁ? メリーアンもそう思うだろ?」

メリーアン
「へ? あ、うん……。
ボスが強いとみんな安心できるよね。
わたしも、安心」

ラッド
「お前は本当に怖がりだな!
安心するからオレにくっついて回ってんのか!」

メリーアン
「わっ、わわ! 兄さんやめて!
目が回っちゃうわ……!」

ラッドがガシガシとメリーアンの頭を撫でまわす。
それを見ていたパウロはハッとした。

パウロ
(つまり、メリーアンは強い男と一緒にいて、安心したいと思ってるってことか……?)

パウロ
(ボスの座には興味ないけど、ボスになれば、メリーアンは俺の傍に……!?)

パウロ
(一緒にいたら仲良くなれるチャンスがモリモリ!?
そういうことだよな……!?)

がぜん、やる気が出る。
パウロは剣を構えて吠えた。

パウロ
「ラッド!! ボスの座を譲るって言ったこと、あとで取り消すんじゃないぞ!!」

ラッド
「男に二言はねぇ!」

その日、10日以上に及ぶ戦いが決着した。
これまでで一番、熾烈を極めた戦いの勝者は――パウロ。
スラム街の少年たちを率いる新たなボスの誕生だ。

深夜。
パウロはノトス・グレイラットの玄関をくぐる。

メイド長
「坊ちゃま……!」

パウロ
「……今日も起きてたのか」

メイド長
「私が起きていないと、誰が鍵を開けるんです?
そんなことより今日もこんなに怪我をされて……!
毎日どこへ行かれているんです?」

パウロ
「修行だよ、修行。
さすがに自分でも今日はやりすぎたと思うけど、その分の成果はあったから」

メイド長
「そう、なのですか……?」

パウロ
「うん、そうだよ。
だから明日も朝から出かけてくる」

そう言って部屋に戻ろうとした時、彼女がパウロの腕を控えめに引いた。

パウロ
「どうしたの?」

メイド長
「あ、あの、坊ちゃま……差し出がましいことですが、明日は外出なさらず、旦那様とお話を……!」

パウロ
「……父様と? 急にどうして?」

メイド長
「明日、旦那様は領主として、領内の視察に向かわれるそうです……その……、ピレモン様をおつれになって……」

パウロ
「!!」

領主の視察に息子がついて行く。
疎まれている長男ではなく、有望視される次男が……。

そこにどういう意味が込められているか、察するのはたやすいことだった。

パウロ
「話して、どうなるとも思えないけど」

メイド長
「そんなこと、ありません……!
それに、きっと奥様も、坊ちゃまが旦那様と和解なさることを、望んでいらっしゃるはずです……!」

パウロ
「! 母様……」

パウロ
(そういえば、母様、そんなこと言ってたっけ……)

母のバレンティナのことを思い出すと、今でも胸が軋む。母を失ったパウロの心の傷は、時間が経ってもまったく癒えなかった。

パウロ
「今さら俺が何を言ったって、どうにもならないよ。
父様の目にはもう、俺なんて映ってないだろうし」

メイド長
「そ、そんなことは……!」

パウロ
「おやすみ、君も早く休んで」

これ以上、母の顔も父の顔も頭に浮かんでほしくない。
パウロはメイドとの話を無理に終わらせて、寝室へと足を進める。

メイド長
「明日の朝、起こしに参りますので……!」

背中にかけられた声は聞こえなかったフリをした。

それなのに。
宣言どおりに起こされて、パウロは玄関ホールでふてくされていた。

パウロ
「……起きてこなきゃ、おいとまをいただきます?
そんなことを言い出すなんて……」

メイド長
「坊ちゃま、そんなお顔をしないでください。
そろそろ旦那様がいらっしゃいますよ」

パウロ
「……ああ」

パウロ
(彼女は昔から、俺に良くしてくれる。
だから、できる限り話を聞いてあげたいけど……)

パウロ
(これに関しては、な……)

メイド長
「坊ちゃま! いらっしゃいましたよ!」

パウロ
「………………」

父親のアマラントがこっちに向かって歩いてくる。

母の葬儀の時にすら、義務的な会話しかしなかった。
最近は会話どころか顔も合わせていない。

パウロ
「……父様、おはようござい――」

アマラント
「おい、馬車の用意は済んでいるな?」

従僕
「え、はい、すでに御者を待機させております」

アマラント
「そうか。ではすぐに出立できるな」

従僕
「え、ええ、ですが……」

従僕が気遣わしげにパウロを見てくる。
しかしアマラントは息子を視界に入れることなく、タイの歪みをなおしていた。

アマラント
「ピレモンはまだか?」

従僕
「それが、その……朝食だけでは足りなかったようで、お菓子を食べていらっしゃいます……」

アマラント
「何? 菓子を?
ははは、仕方のない奴だ」

従僕
「呼んで参りましょうか?」

アマラント
「いやいい、そのまま食べさせてやりなさい。
子供はよく食べて、大きくならねばならないからな」

アマラント
「私は先に馬車に乗っている。
くれぐれもピレモンを急かさないようにな」

そう言うと、アマラントは馬車に向かって行きはじめる。
最初から最後までパウロを視界に入れる気は、これっぽっちもないらしい。

パウロ
(まぁ、いいけどさ……)

ある意味、予想はできていた。
冷たい目で見られるか、それとも、見られることすらないか……。

パウロもその場から立ち去ろうとした時、隣で彼女が動くのが見えた。
その張りつめた表情を見て――。

パウロ
(ダメだ……!)

メイド長
「ッ、だん――」

パウロ
「父様!! お話が……!」

アマラント
「………………」

パウロが声をかけても、父親は振り返ることなく行ってしまった。

くすり、と――。
後ろから笑い声が聞こえる。

主の見送りに集まっていた使用人たちが、パウロを笑っていた。

メイド長
「あ、あなたたち……!」

パウロ
「いい」

従僕
「……いつまで突っ立っているんです?
さあさあ、みなさん早く仕事に戻りなさい」

彼の言葉で使用人たちがいなくなる。
残ったのは彼女だけだった。

メイド長
「ッ、坊ちゃま!
使用人たちの態度はよくありません!
きちんと叱責なさらなければ……!」

パウロ
「俺がどうこう言っても仕方ない。
あれが主人の意思をくんだ態度なんだろう?」

メイド長
「坊ちゃま……」

パウロは彼女を見つめる。
この屋敷で唯一、自分を心配してくれる人間だ。

パウロ
「よく聞いてほしい」

パウロ
「これから先、俺をかばう必要はない。
夜中に起きて待たなくてもいいし、気を遣ってくれなくてもいい」

メイド長
「そんな……!」

パウロ
「父様の……ノトス家の当主の意向に沿わないメイドなんて、何をされるかわからない。
いつクビにされてもおかしくないだろ?」

メイド長
「覚悟の上です」

迷いなく、はっきり言い切られる。
力強い目で真っ直ぐ見つめられ、パウロは――。

ピレモン
「………………」

スラム街の悪ガキたちがアジトにしている廃屋で、新たなボスとなったパウロは、頭を抱えて溜め息をついた。

メリーアン
「7回目……そんなに退屈?」

パウロ
「え? あ、いや、そんなことは!」

メリーアン
「……わたしといるのが暇なら、兄さんたちについて行けばよかったのに。
ボスとしての初仕事を蹴っちゃうなんて……」

パウロ
「いいんだよ。男だらけの仕事とメリーアンとふたりきりの時間のどっちがいいかなんて、迷うまでもなく後者だから!」

メリーアン
「ふふふ、なぁにそれ? わたしといるより、外で暴れてるほうが楽しいんじゃないの?」

パウロ
「そんなことないよ。
どうしてそう思うんだ?」

メリーアン
「だって、兄さんと戦ってる時のパウロ、すごく楽しそうな顔してたわ……」

メリーアン
「だけど今は溜め息ばっかり。
兄さんにわたしのこと押しつけられたって、思ってるんじゃないの……?」

パウロ
「思ってないよ!?」

思わず声をあげれば、メリーアンはおかしそうに笑って小首をかしげる。

メリーアン
「じゃあ、どうして?
暗い顔で溜め息なんてついてたの?」

パウロ
「それは……」

パウロは家であったことを、かいつまんで話した。

母の死、父や弟との確執などは説明しなかったが、どうやら複雑な家庭事情は、察してもらえたらしい。

メリーアン
「でも、わからないわ。
自分の味方になってくれる人がいて、……どうして喜ばなかったの?」

パウロ
「うーん……」

パウロ
(彼女は本気で覚悟してた。
俺に味方して、当主に逆らってもいいって……)

あの時の顔を思い出すと、パウロは今でも背筋が震えそうになる。

パウロ
「俺、怖かったんだ」

メリーアン
「怖い?」

パウロ
「彼女は仕事をクビになる覚悟で、俺をかばってくれようとしてた」

パウロ
「でも、そんなことをしてもらっても、俺は彼女に何もできないって、気づいたんだ」

パウロ
「クビになった彼女に新しい仕事を紹介できないし、生活を保障してあげることもできない。
俺は、責任を取れるほど、何かを持ってない……」

メリーアン
「その人のことは、よくわからないけど、パウロに責任を負わせようとは、これっぽっちも思ってないんじゃないかな?」

メリーアン
「その人はパウロのことが大切で、ただ味方でありたいと思っていただけ、とか」

パウロ
「そうかもしれないけど……俺はその気持ちが……、それほど大きな気持ちに、報えないことが、すごく怖かったんだ……」

もしかすると、父親の視界に入らないことよりも、彼女の気持ちに責任を持てないことのほうが怖かったのかもしれない。

パウロ
「情けない、よな……」

パウロ
「メリーアンもがっかりだろ?
新しいボスとか言われてるヤツが、責任を負うのが怖いとほざく、こんなんで……」

メリーアン
「……誰にだって怖いことのひとつくらいあるだろうし、パウロは情けなくなんてないわ。
それにね……話してくれて良かったって思う」

メリーアン
「わたし、身体が弱いから、兄さんたちみたいに動きまわれなくて……。
いつも、なんにもできないなぁって思いながらここにいたの」

メリーアン
「だから、あんなに強いパウロにも、弱いところがあるんだって知って、わたし、びっくりしたのと同じくらい、嬉しかった」

パウロ
「嬉しい……?」

メリーアン
「うん。あなたの弱い部分を、わたしでも守ってあげられるんじゃないかって、
そう思ったから」

パウロ
(え……)

優しい微笑みだった。
まったく似ていないのに、彼女の顔が、亡くなった母親と重なる――。

メリーアン
「話してくれて、ありがとう。
ふふ、なんだか不思議。
パウロとの距離が一気に近づいた気がするわ」

パウロ
「そうだな……でも、俺はもっと距離を縮め――」

メリーアンの頬に手を添えて顔を近づけた。
彼女も察して目を閉じ……かけた時。

ラッド
「パウロ! ちょっと来てくれ!!」

先代ボスことラッドが勢いよく飛びこんで来た。

ラッド
「他所のシマのヤツらが乗りこんで来やがった!
新しいボスの力を見せつける絶好の機会だぜ!」

パウロ
「……そうだな……」

ラッド
「なんだ? その不満そうな顔は?
オレがせっかく呼びに来てやったってのによぉ」

パウロ
(こいつ……!)

パウロ
(いいところだったのに、邪魔しやがって……!!)

パウロ
「なんでもない! どこへ行けばいいんだ?」

ラッド
「おう! こっちだ!」

苛立ち混じりにラッドの肩を殴れば、意気揚々と肩を組まれる。
振り払おうとするが力が強くて離せなかった。

メリーアン
「パウロ、いってらっしゃい」

パウロ
「い、ってきま、す」

パウロ
(そういえば……)

パウロ
(誰かに笑顔で送り出されるのは、どれくらいぶりだろう……)

胸があたたかくなるのを感じながら、パウロはアジトを出た。

ラッド
「メリーアンの前じゃ言えなかったが、乗りこんで来たヤツらってのは、ちょっとばかし厄介な連中でな……」

ラッド
「まぁ、心配はいらねぇか!
オレとお前が力を合わせたら、すぐ解決できる!」

パウロ
「……ああ、そうだな。
さっさと終わらせて帰ろうぜ」

自分の帰りを待っている人がいる。
しかもすごくかわいい。

自分を頼ってくれる人もいる。
嘲笑われることも見下されることもなく、慕ってくる人間の存在は、自己肯定感を満たしてくれた。

それからパウロは新たなボスとして問題の対処にあたった。
とはいえスラムには詳しくないため、中心となって動いたのはラッドだったのだが。

問題が解決するまで、2週間と少し。
パウロは貴族としての自分を忘れ、物騒だが満ち足りた生活を送ることができていた。

メリーアン
「パウロ、おはよう。
朝ごはんができてるわ。食べるでしょう?」

パウロ
「もちろん!」

メリーアン
「満面の笑みね。そんなに喜ぶこと?
うちの食事なんてたいしたものじゃないわ」

パウロ
「メリーアンの手作りなら、泥団子だってごちそうだ!」

メリーアン
「ふふふ、やーね。
そんなもの出さないわよ」

パウロ
「たとえ話だって。
そういえば、ラッドは?」

メリーアン
「まだ寝てるの。起こしてきてくれる?」

パウロ
「それは無理かな。
あいつが起きてきたら、メリーアンとふたりきりじゃなくなる」

メリーアン
「もう、パウロ……」

頬を赤くするメリーアンをパウロは抱きしめた。
細い腰に腕を回して、女性らしい柔らかい感触を堪能する。

パウロ
(屋敷にいるより、ココにいるほうが、気持ちが軽くなる……)

パウロ
(スラムにいたほうが、俺は俺らしく、自由に生きれるのかもしれない)

パウロの中で日増しにその気持ちは強くなっていった。

そんなある日のこと。
パウロがいつものように深夜を過ぎて帰宅すると――。

パウロ
「え? 今、なんて……?」

従僕
「旦那様がお待ちです、と申しました」

パウロ
(父様が……? なんで俺を?)

困惑する。
父親の中で自分はとっくにいないものだと思っていた。
それなのに呼び出されるなんて……。

執務室に足を踏み入れる。
そこには険しい顔をしたアマラントと、夜も更けた時間だというのに、弟のピレモンがいた。

パウロ
「……お呼びだと聞いたのですが?」

パウロが口を開くと、父親が何も言わずに近づいて来て、手をふりかぶった。

バシン、と――。
耳元で音がするのと頬に衝撃が走るのは同時。
パウロはたたらを踏んで後ろに下がった。

パウロ
「っ……何を……!」

アマラント
「黙れ! ノトス家の恥さらしが!!」

アマラント
「我が家から太陽を奪っただけでは足りず、家名を陥れようというのか!?」

パウロ
「ああ!?」

太陽が母を示していることを悟り、パウロの頭に血が昇る。

パウロ
「今まで無視してたくせに、いきなり呼び出したと思ったら、なんの話だよ!?」

ピレモン
「にい様、そんな言葉を使うのはやめてください。
ぼくたちは貴族なのですよ?」

パウロ
「知るか!
好きで貴族の家に生まれたわけじゃない!」

アマラント
「パウロ!!」

パウロ
「ッ、ぁ……!」

二発目の拳が飛んでくる。
避けようとしたが、アマラントの拳は想像よりも速く、まともに食らってしまう。

アマラント
「人は生まれる家を選べはせぬ。
だからこそ私はお前を貴族の長男として育ててきた」

パウロ
「育てた? 最近は目も合わせなかったくせにか!?」

アマラント
「反論できる立場か!?
視界に入れる価値すらなくしたのは誰だ!?」

ピレモン
「にい様、もうあきらめてください。
全てバレてしまっているんです」

ピレモン
「ぼく、見てしまいました。
にい様は、スラム街に出入りしているでしょう?」

パウロ
「!!」

アマラント
「ノトス・グレイラットの名を持つ者が、スラム街で遊びまわっているなど、言語道断!!」

アマラント
「先祖代々守られてきた、栄誉ある我が家の名を地に落としかねん行為だ!
そんなこともわからんのか!?」

パウロが口を挟む暇もないくらい、頭ごなしに怒鳴られる。
その隣ではピレモンがにやけた笑みを浮かべていた。

アマラント
「謹慎だ! 今後一切!
部屋の外に出ることは許さん!!」

パウロ
「謹慎!? 冗談じゃない!」

パウロ
「こんな場所に閉じ込められてたまるか!
俺の居場所はここじゃない!!」

ピレモン
「にい様! いい加減にしてください!
あなたがそんなことだから……、母様が亡くなってしまったんですよ!」

パウロ
「お前……ッ!」

ピレモン
「にい様に……こんな奴に情けなどかけなければ!
母様もまだ生きていたはずです!!」

ピレモン
「父様! にい様には厳しい処分を!
ノトス・グレイラット家には、ぼくがいます!
ぼくが家を守っていきます!!」

パウロ
「お前……ふざけんなよ!!」

ピレモンが母のことを口にする度に、パウロの中のバレンティナの姿にヒビが入っていく。

兄を貶めるために母を利用している。
そんなピレモンの性根に、パウロのはらわたは煮えくり返った。

パウロ
「俺のことが嫌いでも!
母様を利用するようなマネするなよ!!」

ピレモン
「ひっ!」

パウロはピレモンに飛びかかると、押し倒して馬乗りになる。
そして顔面に何度も拳を振り下ろした。

パウロ
「母様を! 冒涜するな!!」

ピレモン
「ぶぐっ! げふッ! や、やめ、ぶぼ……ッ!!」

パウロ
「母様に……! 汚い思惑を持って、触れるな!!」

アマラント
「ッ!!」

死してなお、否、生前以上に、パウロにとってバレンティナは神聖な存在になっていた。
弟であっても触れられたくない、やわらかい部分に。

アマラント
「やめろ! パウロ!」

パウロの剣幕に怯んでいたアマラントがようやく動く。
馬乗りになっていたパウロをピレモンから引きはがした。

パウロは父親を振り払い、威嚇するように鋭い目で睨みつけた。

ピレモン
「っ……う、ぅぐ……」

アマラント
「鼻が折れている……自分よりも幼く、弱い弟に、これほどまでの暴力を振るうなど、お前は何を考えている!?」

パウロ
「そんなの決まってる!
母様のことだ! 俺が考えているのはそれだけだ!」

アマラント
「笑わせるな!
お前にバレンティナの何がわかる!?」

アマラント
「バレンティナのことを考えている?
たわごとを!! お前はバレンティナを名目に、憎い弟に制裁を加えたのだろう!?」

アマラント
「自分よりも優秀で、両親に愛される、貴族らしい弟に嫉妬してな!!」

パウロ
「そんなことない!
この家に、嫉妬するだけの価値があるかよ!」

アマラント
「貴様……! 家の名を愚弄するか!?」

アマラント
「そのような者はこの家に必要ない!!
家名はピレモンに継がせる!
今すぐ出て行け!!」

パウロ
「ああ! 上等だ!
こんな家、こっちから出て行ってやる!!」

売り言葉に買い言葉ではあったが、名門ノトス・グレイラットの名を捨てることに、パウロはためらいなどしなかった。

少しも、未練はない。

パウロ
「これ以上、こんなところにいられない!
貴族なんて面倒なことばっかりで、楽しくもなければ、面白くもない!」

パウロ
「こんな窮屈な世界で生きて、老いて、死んでいくなんてゴメンだ!!」

そう言い捨てて出て行こうとしたパウロの前に、従僕が立ちふさがった。

従僕
「い、いけません……!
旦那様! 坊ちゃまを止めてください!」

アマラント
「………………」

従僕
「ノトス・グレイラット家の長男が勘当……、いえ、出奔でも、なんでも、家を捨てるなど……あってはならないことです!」

アマラント
「私は出て行けと言った!
その判断がくつがえることはない!」

従僕
「おふたりとも、今は冷静ではありません!
っ……おまえたち! 坊ちゃまを止めるのだ!」

従僕が使用人たちに指示を飛ばすと、パウロの前に人の壁が増えた。

手には制圧用の三叉を持っており、パウロを力ずくで捕まえようとしているらしい。

パウロ
「止められるもんなら止めてみろ!」

パウロは使用人たちに向かって駆けだす。
三叉が迫ってくるが、軽やかな足さばきでかわした。

アマラント
「! その動きは……」

無駄のない動きは、見る者が見れば瞬時に理解する。
パウロの戦闘の実力がどれほどのものか、と。

パウロ
(母様、もしあなたが生きていたら、家を捨てる俺を怒りましたか?)

パウロ
(それとも、笑顔で見送ってくれたでしょうか?)

パウロ
(こんな窮屈な世界、パウロには似合わないわ……って)

パウロ
「……いってきます……」

パウロの呟きを拾った者は誰もいない。

パウロ、12歳。
満天の星がまたたく夜、少年は虚しい気持ちで生まれ育った家を捨てた。

修行編

1話【水神流】

甲龍歴399年。

パウロ、12歳。
上級貴族ノトス・グレイラット家の長男として生を受けた彼は、家の名も貴族の特権も捨てて、ただのパウロになった。

ラッド
「はぁ!? 家を出て来ただぁ!?」

メリーアン
「思い切ったことしたわね……」

パウロ
「ああ、自分でもそう思う。
衝動的に飛び出した自覚はあるからな……。
でも、後悔はしてない」

パウロ
「今ではむしろ清々しい気分なんだ。
いつかは同じ選択をしてただろうし、それが少し早まったってだけのことで……うん……」

ラッド
「なんだなんだ? はっきりしねぇな?」

パウロ
「いや……衝動的に、
着の身着のまま飛び出すことになったから、準備も何もしてなくてさ……その、手持ちが……」

格好良く、意気揚々と家出をした。
しかし少し頭が冷えて状況を顧みれば、パウロは何ひとつ持たない、無一文の少年だった。

パウロ
「それで、だな……。
もし良かったらしばらく泊めてくれないか?」

メリーアン
「しばらくなんて言わないで、ずっといたらいいのに……ね、兄さん?」

ラッド
「ああ、そうだぞ!
狭い家だがお前ひとりくらい住める!」

メリーアン
「ふふふ、兄さんもこう言ってるわ。
だからパウロ、遠慮なんてしなくていいのよ」

パウロ
「ふたりとも……。
ありがとう、すごく嬉しいよ」

パウロはふたりに微笑みかけた。
温かい言葉に知らずに張っていた肩の力が抜けていく。

パウロ
(出会いこそ物騒だったけど、今では気が置けない相手になってるんだよな……)

パウロ
(だからこそ……)

屋敷を出て、パウロの足はまっすぐラッドとメリーアンの家に向かった。
ドアを開けてふたりの顔を見た時から、心は決まっている。

パウロ
「……ラッド、明日みんなを集めてくれ」

ラッド
「ん? ああ、わかった!」

ラッドはそれ以上何も聞いてくることはなく、パウロはホッとした。

パウロ
「はぁぁ……今日はなんだか疲れたから、もう休ませてもらうよ。
ふたりとも夜遅くに悪かったな!」

ラッド
「いいさ! 気にするなって!
オレたちの仲じゃねぇか!」

メリーアン
「………………」

その後、ラッドは自分のベッドを貸してくれようとしたが、パウロはそれを丁重に断った。

パウロ
(ラッドのことは嫌いじゃないが、男の臭いが染みついたベッドはゴメンだ)

毛布だけ借りて、適当な空き部屋でそれにくるまった。

どれくらい時間が経っただろう。

パウロ
(……ん?)

メリーアン
「……パウロ、まだ起きてる?」

パウロ
「ああ、起きてるよ」

正確には眠っていたが、近づいてくる気配に目が覚めた、だ。
しかしそんな様子は微塵も見せずにパウロは目を開く。

パウロ
「どうしたの? 眠れない?」

メリーアン
「ええ……少し、気になることがあって……」

パウロ
「気になること?」

メリーアン
「そう……あのね、さっきの――くしゅん!」

パウロ
「!」

メリーアンがくしゃみしたのを見て、パウロはハッとする。
今までベッドにいたのか彼女は薄着だった。

パウロ
(そういえばメリーアンは、身体が弱いって言ってなかったか?)

パウロ
「メリーアン、こっちに来なよ。
その格好だと風邪をひいてしまう」

メリーアン
「う、うん……」

パウロ
「これ、俺が使ってたので悪いけど、毛布」

メリーアン
「ありがとう……」

パウロ
「お礼なんていいよ。
もともとこの家の物なんだし」

パウロは自分がくるまっていた毛布をメリーアンの肩にかける。
彼女は頬を染めてもう一度お礼の言葉を口にした。

パウロ本人に自覚はないが、いくら家を捨てたと言っても、これまでに身につけていたレディファーストの習慣は消えたりしない。

パウロ
「それで、メリーアンは何が気になって、俺のところに来たんだ?」

メリーアン
「さっき、いつまでもうちにいてって話した時のパウロの様子が、ずっと気になっていたの……」

メリーアン
「パウロ……言ってくれなかったでしょう?
ずっとここにいる、って……」

パウロ
「………………」

メリーアン
「黙ってるってことは、やっぱり……。
しばらくうちに泊まって、それからパウロは、どこへ行くの?」

パウロ
「……まだ、決めてない。
でも準備が整ったら、俺はスラムを出て、旅をしてみようと思ってる」

メリーアン
「!! そんな……どうして……?」

その問いに答えるかどうか迷う。
だが、真剣な顔をするメリーアンを前に、適当にごまかすのは不実に思えた。

パウロ
「この領内にはいられないんだ。
俺の実家がどこなのか、まだ話してなかったよな?」

メリーアン
「うん……」

パウロ
「俺の名前は、パウロ・ノトス・グレイラット。
ノトス・グレイラット家の長男として生まれた」

メリーアン
「ノトス・グレイラットって……領主の……!?」

パウロ
「そう……まぁ、もう捨てた名前だけどな!」

目を丸くするメリーアンに、パウロはつとめて明るい笑顔を見せる。

パウロ
「俺を追い出したいヤツらと、出て行きたいって俺の気持ちが一致してるから、どうこうされるとは思わないけど……」

パウロ
「それでも、領内にいるべきじゃないだろ?
家は出たけど、家の影響力がある領内にはいます、なんて、なんか格好悪いしさ」

メリーアン
「そう、だね……。
パウロの言いたいことは、わかるわ……」

メリーアン
「でも、だったら……わたしたちとは、お別れするってこと……?」

パウロ
「……そうなる、な……っと!」

パウロの胸にメリーアンが飛びこんで来た。
彼女の身体を抱きとめれば、細い肩が震えているのに気づく。

パウロ
「メリーアン……?」

メリーアン
「……だけ……少しだけ、こうさせて……」

パウロ
「……ああ」

そのまま夜が明けるまでの間、パウロはメリーアンを抱きしめて――いられるはずもなく。

パウロ
「……メリーアン、目を閉じて」

メリーアン
「え……?」

パウロ
「今、どうしようもないくらい、君に触れたい……」

パウロ
「メリーアンも、同じ気持ちだといいんだけど……」

メリーアン
「……ん……きっと、同じよ」

パウロ
「ラッドが起きたら大変だ。
声、抑えられる?」

メリーアン
「ふふ、大丈夫よ。
兄さんは一度寝たらなかなか起きてこないわ」

メリーアンがくすくす笑う。
可愛らしい女の子の、色っぽさが混じった表情。

パウロは背筋がゾクゾク粟立つのを感じながら、彼女との濃密な夜を過ごしたのだった――。

翌日、ラッドが仲間たちを集めてくれた。
パウロは実家の名前を伏せたまま、昨夜メリーアンに話したのと同じことを話す。

パウロ
「というわけで!
短い間だったけど世話になったな。
旅支度ができるまで、まぁ、あと少しよろしく」

ラッド
「ああ、わかった!」

スラム街の悪ガキA
「ラッドさん!? いいんですか!?」

ラッド
「――なんて言うわけねぇだろ!
ボスが簡単に群れを離れられると思うなよ!」

パウロ
「思うなよって言われてもな……。
俺の意思は変わらないぞ」

パウロ
「ボスの座はラッドに返す。
だから俺が来る前に戻るだけだ」

ラッド
「ふざけんな!
そう簡単に譲れるモンじゃねぇんだよ!」

ラッド
「それになぁ……今さら!
お前と出会う前になんか戻れるか!
人との出会いってのは簡単に消したりできねぇんだよ!」

パウロ
「ラッド……」

パウロ
「……じゃあ、どうするって言うんだ?
またお前とやり合うか?
勝ったら出て行く……そんなことをしろって?」

笑顔で送り出してほしいとは思わないが、ギスギスとした禍根の残る別れはしたくなかった。

ラッド
「お前ともう一度やり合う?
それも悪くねぇな!
だけどよ……もっといい解決策があるだろ?」

パウロ
「解決策……?」

ラッド
「オレたちもつれて行けよ!」

パウロ
「は……?」

ラッド
「一緒に来いって言え!
ほら! 早くしろ!」

パウロ
「い、いやいや、待て!
お前は何を言ってるんだ!?」

パウロ
「俺は領外に出るって言ってるんだぞ!?
それも! 目的地があるわけでもなく!
何をしたいわけでもないのに!」

ラッド
「おお! それ自分で言うんだな!」

パウロ
「そうだよ! 我ながら計画性皆無だ!
そんな旅について来るって!?
お前ら正気か!?」

集まっている青少年たちを見わたしながら聞けば、全員ではなかったが、決して少なくない数の頷きが返ってくる。

ラッド
「期待に応えてくれよ。
こいつらと、もちろん、オレの期待にも」

パウロ
「っ……でも、ラッド……、お前、メリーアンはどうするんだ?
ひとりスラムに置いていく気か?」

ラッド
「!! そ、それは……」

ラッドが目を泳がせた。
冷や汗をかく様子を見てパウロはハッとした。

パウロ
(顔を見ればわかる……)

パウロ
(こいつ、そこまで考えてなかったな!?)

今朝まで腕の中にあった、柔らかい身体と甘い香りを思い出す。
パウロは思わずラッドに掴みかかった。

パウロ
「お前……! メリーアンみたいに可愛い子をひとりにしたら!
どこの誰とも知らないヤツに、何されるかわからないだろ!?」

ラッド
「ああ!? オレがそんなことさせねぇよ!」

パウロ
「どうやって!?
お前は一緒に来るって言ってたじゃないか!」

ラッド
「ッ……じゃあ!
メリーアンもつれて行けばいいだろ!」

パウロ
「はぁ!? 本人の意思は!?」

パウロとラッドが互いの胸ぐらを掴んで言い合っていると――。

メリーアン
「わたしも一緒に行くわ!」

パウロ
「メ、メリーアン……!?」

さっきまで、彼女はここにいなかったはずだ。
いつの間に来て、話を聞いていたのだろう。
まっすぐな目でパウロを見てくる。

メリーアン
「わたし、本気よ。
パウロについて行く」

パウロ
「でも……」

メリーアン
「兄さんがついて行くからじゃないわ。
最初に話を聞いた時から、真剣に考えて出した答えよ」

メリーアン
「わたしも、つれて行って。
あなたと一緒にいたいの……」

憎からず思っている女の子に懇願され、力を認め合っている青年に信頼され、多くの者たちに慕われて……。

たくさんの想いを向けられて、パウロの腹がようやく座る。
深く息を吐いて全員を見わたした。

パウロ
「わかった。言うよ」

パウロ
「俺は領の外へ出て行く!
あてのない旅だ! それでもいいと思うなら、みんな俺について来てくれ!」

スラム街の悪ガキA
「おおーっ! もちろんだ!」

ラッド
「そうと決まれば旅支度だ!
テメェら! 金と装備の支度を済ませろ!
明日の朝には出立するぞ!」

パウロ
「明日の朝? そんなに急で大丈夫なのか?」

ラッド
「事情は知らねぇが、早く出て行きたい理由があるんだろ?」

パウロ
「!! ああ……」

ラッド
「ここに残るヤツもいるだろうが、ほとんどのヤツは一緒に行くはずだ。
退屈はしねぇだろうよ」

パウロ
「……それは言えてるかもな。
楽しい旅になりそうだ」

パウロ
(何より、メリーアンがいるしな)

チラリと彼女を見れば、照れたような顔で笑みを向けられる。
デレッとにやけるパウロに、ラッドが首を傾げていた。

翌朝早く、パウロたちはノトス・グレイラット家が治めるミルボッツ領を出るために、スラム街を出発しようとしたのだが――。

パウロ
「俺を探してるヤツら?」

ラッド
「ああ。スラム街を囲むように、武装したヤツらがいるみたいだぜ?
なんでも貴族の息子を探してるんだとよ」

パウロ
「だからって、俺とは限らないだろ?」

ラッド
「はぁ? スラムに出入りする貴族のガキが、お前以外にもいるってのか?」

パウロ
「……いないな。
そんな気概のあるヤツがいたら、今頃、大親友になってたよ」

メリーアン
「冗談言ってる場合……?
家を出てすぐに追ってくるってことは、つれ戻すつもりでしょう……?」

パウロ
「まぁ、俺を消すつもりなら、堂々とスラムを囲んだりしないだろうな」

パウロ
「旅に出たタイミングで、こっそり狙ったほうが後始末が楽だし」

メリーアン
「やめて! パウロ、お願いだから、そういうことを冗談でも言わないで……?」

メリーアンの不安そうな顔を見て、パウロは彼女に心配をかけてしまったのだと気づいた。

パウロ
「ごめん、メリーアン……。
でも、大丈夫だから!
家のヤツらはたいしたことないしな!」

パウロ
「ラッド、その武装したヤツらが、一番多い場所はわかるか?」

ラッド
「ん? ああ、確か南口のほうじゃねぇか?」

パウロ
「よし、じゃあそこを突破するぞ。
そのまま南下して領の外に出る」

ラッド
「なんだ? 行き先が決まったのか?」

パウロ
「いいや。何も決まってないから、どこから出たって変わりはしないってこと」

ラッド
「なるほどな。よし、了解だ、ボス。
全員集めてこよう」

メリーアン
「ちょっと待って。
わざわざ追っ手が多いところから行くの?」

パウロ
「ああ、もちろん!
せっかくの旅が始まるのにコソコソするなんてゴメンだ。
どうせなら派手にいきたいだろう?」

ラッド
「ハハッ! そりゃそうだ!」

メリーアン
「兄さんまで……男の子ってよくわからないわ……」

メリーアンは呆れている様子だが、ラッドは乗り気だった。

そしてパウロは、ついて行くと言った少年たちと共にスラム街を出た。
追っ手が邪魔をするが、正面から突破していく。

追っ手
「坊ちゃま! どうか家にお戻りください!」

パウロ
「誰が戻るか!
互いに納得しての今だ! 邪魔するな!」

相手も武装している。
パウロも武力行使も厭わない。

切りかかって来た男の攻撃をかわして、剣の柄を相手の腹部に叩き込む。
男は息をつまらせ、その場に膝から崩れ落ちた。

追っ手
「ぐっ!」

パウロ
「命までは奪わない。
ただし、また来るようなら容赦しない」

ラッド
「パウロ! こっちだ!」

少し離れた場所でラッドが追っ手を殴り飛ばし、パウロを呼んでいる。

パウロ
「お前たちを差し向けたのが誰か知らないけど、無駄だからやめるように言っておいて」

こうして、追っ手をあっさりと追い払ったパウロたちは、スラム街を出て、アスラ王国を南下する。

メリーアンに合わせる形で休憩を挟みながら進み、日暮れ前に辿りついたのは、小さな町だった。

パウロ
「今日はこの町で夜を越すか。
ま、金はあんまりないから安宿か野宿かになるけどな」

ラッド
「いや、パウロ……」

パウロ
「ん? どうしたんだ?」

ラッド
「あー……この町に入るのはやめとこうぜ?」

パウロ
「? どうして?」

ラッド
「……お前がスラムに来るようになる前に、この町の悪ガキ共とひと悶着あってな。
そこのボスとやり合ったんだ……」

パウロ
「負けたのか?
それで町には入れないって?」

スラム街の悪ガキA
「まさか! ラッドさんが負けるわきゃねぇだろ!」

パウロ
「じゃあなんでだ?」

パウロが不思議に思って尋ねると、ラッドが溜め息を吐きながら頭を掻いた。

ラッド
「……ギリギリだったんだ。
オレも相手も全治数週間の大けがを負った」

パウロ
「じゃあ、旅に出てすぐ同じ怪我をしたくない。
だから町に入って相手を刺激するようなマネは避けようってことか?」

ラッド
「そういうことだ」

ラッドの答えにパウロは視線を鋭くする。
まさか彼がそんな理由で、足踏みをするとは思わなかった。

パウロ
「ラッド……ひよってるのか?」

ラッド
「ああ?」

パウロは大げさに肩をすくめて首を振ってみせ、ラッドに近づく。
そして彼の胸ぐらを掴んだ。

パウロ
「前のことは知らないけど、今回は前と違うだろ?
俺がいるんだから、ビビるな」

ラッド
「!!」

ラッド
「フン……ボスとしての自覚が出てきたってか?」

パウロ
「さーな、どうだろう?」

パウロ
「それより、そいつのところへ行こう。
話をつけて今夜は町に泊まるぞ」

ラッド
「拒否されたらどうする?」

パウロ
「ん? そんなの決まってるだろう?」

パウロがニヤリと笑えば、意思は正確にラッドたちに伝わった。
パウロはラッドと数人の少年をつれて、堂々と町の裏側を仕切るボスのアジトへ行く。

今晩、町に泊まることにしたと告げると、案の定、ボスを名乗る男は拒否してきた。

ボス
「どうしても泊まりたいって言うなら、有り金全部置いてきな!
そうすりゃスラムの端っこで野宿させてやるぜ?」

パウロ
「せっかくだけど、お前に金を払うつもりはない。
そんな価値のある宿じゃないだろ?」

ボス
「残念だ! 交渉決裂だな!
おい、お前たち!」

彼が叫ぶと、何人もの男たちがゾロゾロと姿を現す。
手には武器を持ち、にやけ顔でパウロたちを囲んだ。

パウロ
「ラッド、こうなった以上、仕方ないと思うんだ」

ラッド
「ああ、そうだな、仕方ねぇな」

パウロ
「襲われたから反撃する。
そうするとこのアジトから人がいなくなるから、無事に俺たちの宿ができる……ということで」

パウロ
「可愛い女の子が安心して眠れるように、しっかり掃除しないと……な!」

言い終わるのと同時に、近くにいた男の顎を下から殴りつける。
武器を奪ってラッドを見れば、彼も武器を手に入れていた。

ボス
「舐めやがって……! テメェら!
たった数人だ! まとめてやっちまえ!!」

パウロ
「そう言うお前らは、たった数人にやられるんだ。
あとで笑い話にでもするといい!」

パウロは手下の男たちを薙ぎはらって道を作ると、一気にボスの男との距離をつめる。

パウロ
(こいつとやり合ったラッドが、ギリギリだったって言うほどの実力者……)

パウロ
(相手にとって不足はないな!)

パウロは剣神流の教えどおり、先手で一撃を放つ。
ラッドの時のように、血沸き肉躍る戦いができる。

パウロ
「え?」

そんなパウロの期待はあっさり裏切られた。
パウロの放った一撃を避けることも、防ぐこともできず、まともに食らった男が後ろに倒れていく。

ラッド
「まさか一撃で……!? さすがだな、パウロ!!」

パウロ
「え!? いや、ウソだろ!?
弱すぎないか!?」

ラッド
「パウロに負けてられねぇな!
手下はオレたちが片づけてやらぁ!」

パウロ
「なんで余計にやる気出してるんだ……?
こっちは拍子抜けだっていうのに……」

頭を失った集団は瓦解する。
動揺して逃げだす者も出てくる中、パウロは手を閉じたり開いたりを繰り返した。

パウロ
(呆気なさすぎだろ……)

パウロ
(ラッドが前に戦った時よりも、あの男が弱くなっていたってことか?)

パウロ
(それとも……)

近頃はひとりでの鍛錬ではなく、実戦で剣を振るうことがほとんどだった。

パウロ
(前よりも、俺が強くなってるとか……?)

剣の腕が上がっている。
それだけでも貴族の地位を捨てて家を出た甲斐があった。

ラッド
「パウロ、あらかた片づいたぞ」

パウロ
「ああ、わかった。
それじゃあメリーアンたちを呼んでこよう」

パウロ
「それから戦利品も探そう。
アジトのどこかに隠しているはずだ」

ラッド
「了解。旅の資金はいくらあってもいいからな」

誰かから金を奪って資金にする。
パウロ・ノトス・グレイラットであったなら、決してできなかっただろう。

パウロ
(これからの俺はそうやって生きていく。
面白おかしく、誰にも邪魔されず自由に……!)

パウロ
(そのためには、もっと強くならないといけない。
負けたらおしまいだ……こいつみたいにな)

気絶して倒れたままの敵のボスを、パウロは足で小突く。

パウロ
「なぁ」

スラム街の悪ガキA
「んん? なんだ?」

パウロ
「こいつら全員、きつく縛って外に出しておこう。
闇討ちでもされたら面倒だからな」

こうしてパウロはひと晩の宿と、しばらくは困らないくらいの資金を手に入れた。

こうして始まった旅は、パウロが想定していた以上に、その後も順調に進んでいく――。

冒険者
「チッ、ガキがゾロゾロと……。
邪魔で仕方ないな」

スラム街の悪ガキA
「ああ? なんだと?
おい、パウロ!」

パウロ
「ああ、わかってる……今、因縁をつけられた。
男として見過ごすわけにはいかない。
なぁ? そうだろう?」

パウロ
「ちゃんと詫び入れてもらわないとな」

彼らが日雇いの仕事などをするはずなく、旅の資金の稼ぎ方はシンプルだ。

スラム街の悪ガキA
「いてッ! おい、テメェ!
今わざとぶつかって来やがったな!?」

ラッド
「しかも謝罪もなしか?
オレたちも舐められたモンだなぁ?」

パウロ
「ああ、売られたケンカは買わないとな」

パウロ
(ぶつかった、睨まれた、舌打ちをされた……。
べつに理由はなんでもいい)

有り余る力をふるい、手当たり次第にケンカを売っていく。
パウロたちは相手をボコボコにし、そこから奪った金銭を旅の資金にあてていた。

旅の始まりからひと月ほどが経った、ある日のこと――。

その日は朝の晴天がウソのように、昼過ぎから大雨になった。
パウロたちは慌てて駆け込んだ2階建ての宿で部屋を取り、1階に併設されている飲み屋で食事を始める。

パウロ
「おばさん、ジャンジャン持ってきて!」

女将
「あいよ! でもアンタたち、こんなに注文して金はあるんだろうね?」

メリーアン
「ええ、もちろん大丈夫よ。
このとおり、ちゃんと支払えるわ」

メリーアンが金の入った袋をチラリと見せれば、女将は目の色を変えて浮かれ、調理場に引っ込んで行こうとする。

その際、彼女がさり気なくパウロに囁いた。

女将
「金があるなら、女を呼ぶかい?」

パウロ
「!!」

パウロは無言で、しかし力強く頷く。
女将は全てわかっていると言わんばかりの顔で頷き返し、調理場へ消えた。

やがて肉中心の料理が運ばれてくると、まだ年若いパウロたちは勢いよくがっつき始める。

ラッド
「それで?
だいぶ南に来たが、これからどこを目指す?
いっそ国を出ちまうか?」

パウロ
「んー……それもいいかもな。
さすがに国を出たら追っ手もなくなるだろうし」

ノトス・グレイラットが治めるミルボッツ領はとっくに出たのに、未だに追っ手が放たれている。

パウロ
「あいつら、たいしたことはないけど、いちいち相手にするの面倒なんだよな……。
まさか領の外まで追ってくるとは思わなかった」

メリーアン
「それだけつれ戻したいってことよ……」

ラッド
「お前、本当に追い出されたのか?
勢いに任せて飛び出したとかじゃなく?」

パウロ
「本当に追い出されてる。
今頃とっくに廃嫡されて、弟が家を継ぐことが決まってるんじゃないか?」

パウロ
「まぁ、長男の家出は外聞が悪い。
表向きは事故死か病死扱いになって、ははっ、葬式も出されてたりしてな」

パウロ
(だとすれば、追っ手に捕まったら、身ぐるみはがされて殺される)

パウロ
(誰かに遺体を見られても、ノトス・グレイラットの関係者だってバレないように顔とか潰されたり?)

だとすると何がなんでも捕まるわけにはいかない。
パウロが気持ちを固めていると、飲み屋のボロいドアが勢いよく開いた。

ゴロツキ
「チクショウ、びしょ濡れだぜ……ん?」

ゴロツキ
「おいおい! ガキばっかじゃねぇか!
いつからココはガキの溜まり場になったんだ?」

ラッド
「ああ?」

パウロ
「店の人間ならともかく、客が客にイチャモンつけるなよ。
そういうのみっともないぜ、おっさん」

ゴロツキ
「あ? なんつった、今?
ガキが! 舐めてんのか!?」

激高した男が近くのテーブルを蹴り飛ばし、上に乗っていた皿が落ちた。

男の仲間だろう。
屈強な男たちが店の中に入ってくる。

ゴロツキ
「大人を舐めてるクソガキには、世間の厳しさってのを教えてやらねぇとな!」

スラム街の悪ガキA
「うぐぁ!?」

男が近くにいた少年の頭を掴み、テーブルに叩きつけた。
パウロとラッドが同時に立ち上がった。

ラッド
「テメェ! 何してんだ!?」

パウロ
「やる気満々みたいだな。
そっちが売ってきたケンカだ。
どうなっても後悔するなよ?」

メリーアン
「だ、大丈夫……?
けっこう数が多いみたいだけど……」

パウロ
「メリーアンは女将さんのところに行ってて」

パウロ
「まぁ、こいつらはたいしたことなさそうだし、さくっと終わらせるから安心して」

ゴロツキ
「んだと、ゴルァ!?
容赦しねぇ! ぶっ殺してやる!!」

メリーアンの背中を押して調理場へ行かせ、パウロは剣を構えて男たちと向かい合う。

ラッド
「お前さー、メリーアンの前だからって、カッコつけてんじゃねぇよ」

ラッド
「何が、たいしたことなさそう、だ?
めちゃくちゃ骨が折れそうだぜ?」

パウロ
「はは、そうか?
俺にとってはたいしたことなさそうな相手だけど?」

ラッド
「そーか……よっ! うおりゃあッ!」

ラッドが手近にあった椅子を持ちあげ、男たちに向かって投げつける。
それが開戦の合図だった。

パウロは的確に相手の急所を狙う。

パウロ
(腕力頼みの力技ばっかりだ。
俺の敵じゃない……!)

相手は屈強な大人だったが、パウロは余裕で、恐怖や危機感は微塵も感じない。
だが、その気持ちでいられたのはパウロだけだった。

スラム街の悪ガキA
「クソッ! こいつら強すぎるだろ!」

ラッド
「お前ら! 無理してひとりで戦うな!
数人でまとまっていけ!」

パウロ
(まともに戦えてるのは、ラッドだけ?)

パウロ
「チッ……!」

パウロは舌打ちをして剣を振る。
一閃で相手を倒し、背後から迫ってきたべつの男の攻撃を避けた。

ゴロツキ
「ハハッ! ガキはガキだな!
家に帰ってママにおっぱいでもせがむんだな!」

パウロ
「お前こそママのとこに行けよ。
そのブサイクな顔じゃ、他に相手してくれる女の子もいないだろう?」

ゴロツキ
「ああ!?」

パウロはテーブルを足場にして跳躍すると、一気にゴロツキの男との距離をつめた。

パウロ
「いくら身体がデカくても、それが強いってことにはならない」

事実、パウロに剣を教えてくれた講師たちは、決して屈強とは言える体つきではない女性だ。
けれど彼女たちは強かった。

パウロ
(もしかすると、今の俺なら……!)

パウロの一撃をゴロツキの男が剣で止めた。
だが、男の顔が歪む。

ゴロツキ
「っ……テメェ、素人じゃねぇな?
まさか、水神流の道場ンとこの……?」

パウロ
「水神流? ……残念。
俺が使ってるのは、剣神流……だ!」

一撃で倒せなければ一旦退き、即座に二撃目を放つ。
身体の回転を利用した重い一撃は、吸い込まれるようにゴロツキの男の腹にあたった。

ゴロツキ
「ぐ、かっ……!」

男の身体が床に倒れていく。
あまりに一瞬の出来事だったので、店の中が静まり返った。

パウロ
「………………」

ラッド
「おい、パウロ。ボーッとすんなよ。
まだ全然終わってねぇぞ」

パウロ
「……わかってる。
何せ相手はこっちをガキ扱いしてくる、大人だからな。
さぞ大金を持ってることだろう」

パウロ
「全部巻き上げてやらないとな」

そこからはパウロの独壇場だった。
呆気に取られていた相手が攻勢に転じる前に、武力制圧していく。

ゴロツキたちが逃げ帰り、パウロが金を手に入れるまで、そう時間はかからなかった。

女将
「アンタたち、店をこんなにして!」

メリーアン
「本当にごめんなさい……」

女将
「謝って済む問題かい!?
さっさと出て行っておくれ!」

パウロ
「……え!?」

店内の惨状に女将が激怒している。
謝っているのはメリーアンで、パウロは女将の言葉に目を丸くしていた。

パウロ
「出て行けって、外は大雨なんだけど?
それに、今日は一泊することになっていたはずだ。
宿泊代も前払いで渡してる」

女将
「店をこんなめちゃくちゃにするヤツらを、泊めたりできるわけないだろう!?」

女将
「だいたい宿泊代くらいで、店が修理できると思ってるのかい!?
追加で修理代も払ってもらうよ!」

スラム街の悪ガキA
「おい、ババア!
黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって!」

女将
「ひっ……!」

パウロ
「やめろ!」

今にも女将に掴みかかろうとする少年を、パウロは制した。

パウロ
「ふじ……女に手を上げるな」

夫人に手を上げるな、と。
生まれついて教育されたことが表に出そうになり、パウロは眉間に皺を寄せる。

スラム街の悪ガキA
「女!? 金にがめついババアだろ!?
こんな雨の中、金置いて出てけって言われて従うつもりか!?」

ラッド
「おい、お前ちょっと落ちつけ。
ボスが手を出すなと言った以上、手を出すな」

スラム街の悪ガキA
「で、でも、ラッドさん……!」

少年を宥めるのをラッドに任せ、パウロは女将のほうへ一歩近づく。

パウロ
「女将さん。
俺たちは修理代も宿泊代も払うし、こいつらには、店やあなたに手出しさせない」

パウロ
「でも、追い出すつもりなら、話は変わってくる」

女将
「な、なんだい……」

パウロ
「修理代も宿泊代も払わないし、あなたたちの安全も保障できない」

パウロ
「外は大雨だ。
俺たちは泊まれる場所を手に入れなきゃならないからな」

女将
「っ……」

女将
「……わかった。
ただし最初に言ったとおり1泊だけだ!
延長はしない! 明日は雨でも出て行ってもらうよ!」

パウロ
「ああ、それでいい」

女将は憤慨してその場からいなくなる。
パウロは後ろを振り返り、不満そうな顔をしている面子を見わたした。

パウロ
「何か言いたそうだな?」

スラム街の悪ガキA
「なんでババアに言いたい放題言わせるんだよ!
ぶん殴って黙らせたらいいだろ!?」

スラム街の悪ガキB
「それに修理代まで出さなくても……。
それだけの金があったら、しばらくは楽に旅ができたはずだぜ?」

パウロ
「それで? 修理代も宿泊代も踏み倒して、女将さんをぶん殴って、晴れてお尋ね者になれって話か?」

パウロ
「お尋ね者になるのはいいけど、そんなダサい理由で指名手配されるのはゴメンだ」

スラム街の悪ガキB
「……本当にそれだけの理由か?」

スラム街の悪ガキA
「パウロ、お前、本当は……、いつか貴族に戻ろうと思ってるんじゃねぇのか?
だからお尋ね者になりたくなくて――」

パウロ
「ふざけるな」

パウロが自分で思っているよりも低い声が出た。
いくつもの懐疑的な目。
それをひとつずつ見返していく。

パウロ
「俺は自分で望んで、ただのパウロになった。
あんな場所に戻る気はない」

スラム街の悪ガキA
「じゃ、じゃあなんで!
お前んちのヤツらが未だに追って来るんだ!?」

パウロ
「俺に聞かれてもな。
あっちの事情なんて知らない」

パウロ
「二度とくだらないこと言うなよ。
お前らでも容赦しないぞ」

スラム街の悪ガキA
「!!」

剣呑な空気が漂う。
そんな中でメリーアンが動いた。
彼女はパウロの手をそっと引く。

メリーアン
「戦いのあとで、みんなピリピリしているのね。
今日はもう休みましょう。
パウロ、あなたの部屋に行ってもいい?」

パウロ
「え? ああ、うん! もちろん!」

ラッド
「変わり身の早いヤツだな……」

呆れ顔のラッドに軽く手を上げる。
そしてパウロはメリーアンの腰を抱き、2階の部屋へと向かった。

翌日――。
朝から雨が降っていた。

パウロ
「……は? なんだって?」

ラッド
「あー……だから、その、だなぁ……」

ラッド
「仲間が何人か、出て行った……」

ラッドは何人かと言葉を濁したが、集まっている人数を見ると半分ほどの者が消えているようだ。

パウロ
「それで? なんで出て行ったんだ?」

ラッド
「えー……あー……んー……」

スラム街の悪ガキA
「ラッドさん、はっきり言っちまいましょうよ」

スラム街の悪ガキA
「あいつらが出て行ったのは、パウロが貴族に戻るつもりがないのがわかったからだ、って」

パウロ
「どういう意味だ?」

ラッド
「……お前の出自がどこかは知らねぇが、かなり上位の貴族だってのはわかる。
だから、一緒にいたら良い目が見られると思ってたらしい」

ラッド
「南へ来たのも知り合いの貴族がいて、頼るためじゃないか……とか、考えてたってよ。
それに、お前の実家もパウロに執着してるみたいだしな」

パウロ
「……くだらないな。
そんな理由で今までついて来てたのか?」

怒りは湧かない。
ただ、冷え冷えとした気持ちになる。

パウロ
(打算的なのは、貴族だけじゃないってことか。
というより……)

パウロ
(よくわかってなかったけど……、仲間っていうのは、所詮、こんなものなのか)

メリーアン
「パウロ……あまり、落ち込まないで?
大丈夫よ。わたしたちは、ずっと一緒に行くわ」

メリーアンがパウロに寄り添うように立つ。
柔らかな肢体を抱き寄せれば、甘い香りに心が落ちついていく。

パウロ
「ありがとう、メリーアン」

メリーアン
「お礼なんていいの。
わたしが、そうしたいだけだから……」

ラッド
「……お前らふたりとも、実の兄貴の存在忘れてんじゃねぇのか?」

十人足らずの人数に減ったパウロ一行。
女将との約束どおり、雨が降る悪天候の中、宿を出た。

パウロ
「……とはいえ、この天候で町を出るのは悪手だよなぁ」

ラッド
「べつの宿を探すか?」

パウロ
「昨日大暴れしたことは知れわたってるはずだ。
よっぽど金に困ってるとかじゃない限り、泊めてくれるとは思えない」

メリーアン
「じゃあ、どうするの?」

パウロ
「んー……行くか」

ラッド
「だから、どこにだ?」

パウロ
「それはあれだ、うん、道場破り」

パウロはにやりと笑う。

パウロ
「道場なら屋根があるし、雨を避けるのにちょうどいいだろう?
それに勝てば快く泊めてくれるはずだ」

メリーアン
「そうなの……?」

パウロ
「そうそう。
勝ちさえすれば魔法の言葉が使える。
道場の看板を返してほしければ……ってな!」

昨日のゴロツキの男によると、どうやらこの町には水神流の道場があるらしい。

パウロ
(学校で先生がいなくなって以来、水神流の剣とは縁遠くなってた……)

パウロ
(あの頃は先生に手も足も出なかったけど……)

パウロには、水神流よりも剣神流のほうが、自分に合っているという自負がある。

パウロ
(俺は実戦をつんできたし、道場で剣を振ってるだけの剣術に負けたりしない)

パウロ
「ラッド! ちょっと道場破りしに行こう!」

ラッド
「軽く誘ってくれるぜ……。
まぁ、面白そうだしいいけどな!」

冷たい雨が降る中、水神流の道場を目指すパウロの足取りは軽い。
いなくなった仲間のことなんて、彼の頭にはもうなかった。

2話【リーリャとの出会い】

道場破りをするため、パウロたちは水神流の剣術を教える道場に意気揚々と乗りこもうとしていた。

パウロ
「んー……。
道場破りのやり方に詳しいわけじゃないけど、確かこんな風にやるんだよな?」

パウロ
「たのも――」

ラッド
「おい、パウロ!」

パウロ
「ラッド……これからって時に、やる気を削ぐように呼び止めるなよ……」

ラッド
「ああ、悪い悪い!
聞いておきたいことがあってな!」

パウロ
「? なんだ?」

ラッド
「ちょっと小耳に挟んだんだが、この町には水神流の道場が山ほどあるらしい。
全部の道場に殴りこむのか?」

パウロ
「え? 山ほどあるの? なんで?」

パウロは目をまたたかせる。
ラッドの言葉は完全に寝耳に水だった。

最初に目に入ったという理由で、この道場に乗りこもうとしていたが、複数の道場があるなら話が変わってくる。

パウロ
(俺の剣の腕を証明するためなら、道場破りの相手は1番強い道場じゃないと)

ラッド
「なんでもこの町は、水神ってのを輩出したんだと。
それで水神流の道場が次々できたって聞いたぜ」

パウロ
「ふーん、水神ねぇ……あっ!
ってことはさ、その水神がいた道場こそ、1番名門だってことになるよな?」

ラッド
「まぁ、そうなるの、か……?」

パウロ
「じゃあ決まりだ!
すぐにその道場へ行こう!
どこにあるのか手分けして探さないとな」

ラッド
「探すって、雨の中をか?」

パウロ
「? 当たり前だろう?
昨日ほどの大雨じゃないんだし。
おかしなこと聞くなよ」

パウロ
「とりあえず俺は、この道場で聞いてみるか。
お前らはお前らで情報収集な。
ってことで、よし、解散」

パウロが身をひるがえして道場へ足を進めると、背後でラッドの溜め息が聞こえた。

ラッド
「はぁ……メリーアンはパウロについてろ。
ひとりにしたくねぇ」

メリーアン
「え、ええ、わかったわ。
パウロのことはわたしが見てるから」

パウロ
(あれ? 俺もしかして子供扱いされてる?)

パウロ
(……ま、メリーアンとふたりになれるなら、べつにそれでもいいんだけどさ)

そしてパウロはメリーアンとふたり、水神流の道場の門戸を叩いた。

パウロ
「たのもう!
この辺で1番強い道場がどこなのか、教えてほしいんだけど?」

そんな聞き方をされて、よその道場の名前を出す人間などいるはずがない。

案の定、話を聞きに来ただけの道場で、パウロは道場破りをすることになったのだった。

メリーアン
「………………」

メリーアン
「パウロって本当に強いのね……。
道場で毎日稽古している相手にも勝っちゃうなんて……」

パウロ
「俺が負けると思った?
それに、水神流の使い手に教わっていたことがあるんだ。
この程度のヤツらならどうにでもできる」

実際にパウロは道場をひとりで乗っ取り、ラッドたちが情報を持ってくるのをのんびりと待っていた。

パウロ
「剣の道には終わりがなくて、極めるまでの長い間、修行しなくちゃいけないんだって。
でも修行したら必ず報われるとも限らない」

パウロ
「ここのヤツらみたいに、ある日突然現れた天才に一瞬で負けて、無力さと才能のなさを痛感させられるかもしれない」

メリーアン
「パウロ……なんだか、あなた変わったわ」

パウロ
「え? 変わったって、どこが?」

メリーアン
「上手く言えないけど、なんだか――」

スラム街の悪ガキA
「パ、パウロ……!
大変だ! 早く来てくれ……!」

メリーアンが何か言いかけた時、慌ただしい足音と共に少年が駆けこんできた。

パウロ
「騒々しいな……って、え?
怪我してるのか? どうしたんだ?」

スラム街の悪ガキA
「オレの怪我なんてどうでもいい!
それよりラッドさんが……!
ラッドさんが大変なんだよ……!」

パウロ
「!! ラッドが? どこだ?」

スラム街の悪ガキA
「ここから少し行ったところの道場だ!
急いでくれ……!!」

パウロ
「ああ、わかった。
メリーアンはここにいて。
お前も念のために残って――」

メリーアン
「ううん、わたしも行くわ。
兄さんに何かあったのなら、ここで待っているだけなんてできない」

パウロ
「……そっか、そうだよな……。
わかった、一緒に行こう。
おい、案内しろ」

スラム街の悪ガキA
「こっちだ!!」

少年に先導されて道場に到着すると、ちょうど男たちの歓声が上がった。

パウロ
(あれは……)

道場の端にはパウロに同行する青少年たちが倒れており、中心では、ラッドが血まみれで戦っている。

メリーアン
「兄さん……!」

スラム街の悪ガキA
「情報を聞こうとして乗りこんだら、勝ったら教えてやるって言われて……。
ラッドさん以外、みんなやられちまった……!」

パウロ
「ラッドはなんで苦戦してるんだ?
確かに相手の腕も立つみたいだけど、ラッドほどじゃないだろう?」

スラム街の悪ガキA
「相手は……もう何人目かわからねぇ……」

パウロ
「は?」

スラム街の悪ガキA
「門下生のヤツら!
何人目でラッドさんが倒れるか、みんなして賭けてやがるんだよ!!」

パウロ
「そんなの相手にしなければいい。
なんでラッドは戦ってるんだ?」

スラム街の悪ガキA
「わかんねぇのか!?
ラッドさんは仲間をやられて、おとなしく引き下がるような人じゃねぇんだ!」

パウロ
「………………」

パウロはラッドを見る。
体力が削られているのか普段よりも動きが鈍い。

パウロ
(水神流は防衛特化の剣術だ。
連戦すればこっちの体力が削られていく)

パウロ
(それにラッドは、北神流に近い、周辺のものを利用する戦い方だから……)

パウロ
(道場の中心なんて、利用できるものがほとんどない場所じゃ、力を発揮しきれない)

門下生たちが楽しそうに声を上げている。
ラッドは気にする余裕もないのか、ひたすらに剣を振っていた。

パウロ
「おい」

スラム街の悪ガキA
「なんだ?」

パウロ
「メリーアンをつれて、さっきの道場に戻っててくれ」

メリーアン
「!! 何をするつもりなの?」

パウロ
「君がいたらできないこと。
だから早く行くんだ」

メリーアンは迷うようにラッドとパウロを順に見る。
答えを聞いている暇はない。
パウロはメリーアンを少年に押しつけた。

パウロ
「つれて行って。
そのあとは戻って来なくていい。
メリーアンの安全を第一に考えるように」

スラム街の悪ガキA
「ッ……わかった……!
ラッドさんたちを、頼んだぞ!」

メリーアン
「パウロ……っ!」

少年に引きずられるように、メリーアンが道場から離れていく。
姿が完全に見えなくなったところで、パウロは剣を握ってラッドたちの間に飛びこんだ。

ラッド
「!! パウロ……!?」

パウロ
「馬鹿正直に一対一で相手にするからだ。
お前の戦い方なら、混戦や乱闘に持ち込んだほうがいい」

ラッドに告げるのと同時。
パウロは目の前の門下生を襲撃して吹き飛ばした。

パウロ
「ここからは俺が相手だ!
お得意の道場剣術でやれるもんならやってみな!」


混戦。乱闘。
門下生たちは道場でそのラフな戦法の対処法は学んでいるものの、修行が足りず対処できなかった。


最初はにやけていた門下生たちの顔も、パウロが瞬時に数人を叩き伏せた時から余裕のないものに変わった。

パウロ
「あるものはなんでも使え!
桶でも花瓶でも額縁でも、お前にとっては武器なんだから!」

ラッド
「うるせぇ!
手元になかったんだから仕方ねぇだろ!」

パウロ
「だったら外にでも飛び出せ!
道場の中心?
なんにもないとこでバカみたいに戦うな!」

さっきの道場よりも腕利きが集まっている。

それでも慣れない戦いを強いられる中、息を吹き返したラッドと、圧倒的な力を見せるパウロの前で、門下生たちが勝利の雄叫びを上げることはなかった。

真っ二つに割れた看板を背に、パウロたちはその道場をあとにしたのだった。

メリーアン
「兄さん……!」

奪って根城にした道場に到着すると、メリーアンが駆けよって来てラッドに抱きつく。

パウロ
(チェッ。ラッドじゃなくて、俺に抱きついてくれてもいいのに)

ラッド
「心配かけたな……」

メリーアン
「無事ならいいの……。
それよりみんな傷だらけだわ!
手当てしないとね」

道場ということもあり手当ての道具は揃っていた。
メリーアンがちょこちょこ動きまわって、青少年たちの手当てをしていく。

メリーアン
「はい、これでいいわ。
でも傷が開いたら大変だから、しばらくは安静にしないとダメよ」

パウロ
(……おもしろくない)

パウロ
(なんで怪我しただけで、ロクに戦ってないヤツがベタベタしてもらえるんだ?)

この苛立ちには既視感があった。
母親が幼いピレモンに構ってばかりいた頃、胸に巣食っていた感情に似ている。

パウロ
「……チッ、お前ら情けないぞ」

ラッド
「おい、パウロ……」

パウロ
「水神流のヤツら相手に、まともに勝負できたのはラッドだけ。
他はあっと言う間にやられたんだろ?」

パウロ
「お前ら、弱すぎるよ。
たったひとつの情報を集めることもできないなんて、役に立たないにもほどがある」

パウロは淡々と言葉を紡いだ。
道場の中は沈黙が流れて、空気が重くなる。

メリーアン
「はいはい、そこまでよ!」

その場に漂う悪い空気を払拭させるように、メリーアンが明るい声を上げた。

メリーアン
「パウロ、みんな怪我してるのよ?
あんまり強く言っちゃ可哀想だわ。
責めるのはそのくらいにしておきましょう?」

ラッド
「そうだぜ、パウロ。
結果的にお前に負担をかけちまったことは、オレの落ち度だ。すまなかったな……」

パウロ
「ラッドのせいじゃないだろう?
お前は最後まで戦ってたし、誰にも負けなかったんだから」

ラッド
「それでもボスに情報収集を任されて、オレが引き受けたんだ。
任務失敗は謝らねぇと……だろ?」

パウロ
「……そう思うなら、次からはもっとしっかりしてくれ」

スラム街の悪ガキA
「お前ッ!」

パウロがラッドを見据えながら言うと、少年のひとりが声を上げた。

スラム街の悪ガキA
「黙って聞いてば、さっきからその言い草は――」

ラッド
「やめろ!
パウロは何も間違ったことは言ってねぇだろ!」

ラッド
「失敗して、ボスに尻拭いさせた。
それは明らかにオレらの不手際だ。
違うか?」

スラム街の悪ガキA
「そ、それは……」

パウロ
(なんというか……)

パウロは青少年たちを見て、全員が同じような顔をしていることに気づいた。

パウロ
(どいつもこいつも、俺への不満たらたらって顔だな)

ラッド
「パウロ、こいつらには、オレからちゃんと言って聞かせておく。
今日は本当に悪かったな……」

パウロ
「……いいよ。
これ以上、お前が謝ることはない」

そう言いはしたが、まだ腹の底で苛立ちが燻っている。
少し気分を変えようと、パウロがその場を去ろうとした時――。

メリーアン
「……ぁ……」

ドサッ、と。

背後で何かが崩れ落ちる音がした。
パウロたちが音のほうを見ると、メリーアンが倒れていた。

パウロ
「!! メリーアン!?」

ラッド
「ど、どうしたんだ!?」

パウロは慌てて駆けより、メリーアンの傍らに膝をついて彼女を抱きかかえる。

メリーアン
「っ……なんでも、ないわ……。
少し眩暈が、しただけよ……」

彼女はそう言うが、息は荒く、額には汗が浮かんでいた。

パウロ
「なんでもないわけないだろ!
ひどい熱だ……!」

ラッド
「!! メリーアン!
お前、いつから熱があった!?」

メリーアン
「兄さん……大丈夫……。
ほんとうに、だいじょうぶ、だから……」

メリーアン
「………………」

パウロ
「メリーアン! メリーアン!!」

名前を呼んでも返事はない。
メリーアンは気を失ってしまったようで、腕の中で彼女の身体が脱力する。

パウロ
(意識がない? どうして?
なんで? いつから熱が?)

疑問が次々に浮かんでは消え、心臓は嫌に早く鼓動を刻んでいた。

パウロ
「メリーアン、なんで……」

ラッド
「ッ、貸せ、パウロ!
医者につれてく!」

パウロ
「ぁ……」

ラッドがパウロから奪うようにメリーアンを抱き上げて、道場を飛び出して行った。

他の者たちも怪我を負った身体で、ラッドのあとに続いて行く。
そこに残ったのはパウロひとりだった。

パウロ
(一瞬……気を失ったメリーアンに、母様の姿が重なった……)

母、バレンティナは身体が丈夫ではなく、軟禁されたパウロの元へ毎晩遅くに通っていたことと、心労がたたって早逝した。

パウロ
(そういえば……)

パウロ
(メリーアンも、身体が弱いって、言ってなかったか……?)

パウロの顔から血の気が引いていく。
ハッとして立ち上がり、メリーアンの元へ行こうとした、のだが……。

???
「イキのいい道場破りのガキってのは、おまえさんで合ってるかい?」

パウロ
「!」

パウロ
(こいつ、気配がなかった……?)

すぐ近くに迫ってくるまで、 その男の存在に気づかなかった。

パウロ
(声をかけられなかったら、今でも気づいてなかったかもしれない……)

警戒しつつ剣を握る。
相手との距離を計っていれば、男がおかしそうに「ハハッ」と笑った。

???
「いい警戒心だ。
道場の外で始めの合図はないからな。
おまえさんは実戦を知ってるってことだ」

???
「おれのこと探してたんだろ?
――と、正確に言やぁ、うちの道場を探してたんだろ、か」

パウロ
「!! じゃあお前が、水神がいた道場のヤツってことか?」

???
「いやいや、水神がいた道場は、とっくの昔に潰れちまった。
何せ水神を受け継いだ奴が出て行ったからな」

???
「誰が次の師範になるだとか、残った奴らでくだらない争いを繰り広げた結果、分裂しちまったってわけよ」

???
「おれは水神と同期でな。
分裂して道場がなくなっちまったあとは、自分の道場を開いて、今に至る」

男が剣を持ったまま、両腕を開いた。
どこからでも攻撃できそうな格好なのに、隙がまったくない。

???
「自慢じゃないが、この辺りだと1番の道場だ。
……つーことで?
おまえさんが探してたのは、うちなんだろ?」

パウロ
「探してたけど、今はどうでもいい」

パウロ
(こっちはそれどころじゃないんだよ!)

今は一刻も早くメリーアンのところへ行きたかった。
ラッドは医者につれて行くと言っていたが、それがどこなのかは、まったくわからない。

パウロがどうやって男を突破して、道場を出ようか考えていると、男が不愉快そうに眉間に皺を寄せた。

???
「どうでもいい?
はぁ? 何言ってんだ?」

???
「こちとらな、いい歳してるってのに、ワクワクでおまえさんを探してたんだ。
見つけた途端にサヨナラとはいかないんだよ」

パウロ
「俺を探してた?
道場破りの落とし前をつけろってことか?」

???
「はぁ? なんでおれがよその道場の、落とし前をつけさせなきゃならんのだ?
いくら友人の道場だからって、そこまで世話を焼く理由はない」

パウロ
「? 余計にわからないな……。
それならどうして、俺を探してたんだ?」

???
「そりゃもちろん、おまえさんに興味があったからだ」

???
「おまえさんが看板を真っ二つにした道場の師範、おれの古い友人でな。今日は久々に会ったもんで、あいつの道場で飲もうって話になってたんだ」

???
「で! 道場に行ってみりゃ、あの惨状よ。
道場はボロボロ、看板は真っ二つ、門下生は全員やられてた」

???
「あいつは師範だから怒ってたが、おれは胸が震えたね。
面白い奴が現れた! ってな!」

自分の父親以上に年齢を重ねた男が、まるで子供のような顔をしている。

パウロ
(気持ち悪いヤツだな。
目的がまったく読めない……)

パウロ
「……考えてもムダか」

パウロ
「なんでもいい! そこを退け!」

???
「嫌だと言ったら?」

パウロ
「押し通る!」

パウロは強く地面を蹴った。
男へ一直線に飛びかかり、剣を振るう。
狙いは急所。

パウロ
(時間はない。一撃で決める!)

剣が空気を裂き――。

???
「なるほど! 想像以上だ!」

パウロ
「なっ……!?」

パウロの放った一撃はあっさりと受け止めらた。
男は余裕の顔でニヤリと笑う。
パウロの剣が予期せぬ方向に滑った。

パウロ
(今……何かされた……!?)

何が起きたか理解できない。
考える前に剣を弾かれ、鋭い一撃が返ってくる。

パウロ
「クソッ……!」

カウンターだ。
なんとか避けて後方に飛びのいたが、心臓が早鐘を鳴らしていた。

???
「ハハッ、今のを避けたか!
あの道場の門下生程度じゃ相手にならないはずだ!」

パウロ
「こいつ……、
ただのおしゃべり野郎じゃないってことか」

パウロ
(でも、いける。
もう一歩踏み込めば刃が届く!)

???
「来るか」

さっきよりも早く、強く。
パウロは攻撃を繰り出した。

パウロ
「え……?」

何が起こったかわからない。
気づけばパウロは壁まで吹き飛ばされていた。

パウロ
「ぐ……ッ!」

身体を起こそうとして、腹部が痛む。
そこで初めてパウロは、男のカウンターが腹に決まったのだと気づいた。

???
「? おっかしいなぁ……。
今ので完全に意識を刈り取れると思ったんだが……。
おまえさん、よく動いたな?」

パウロ
「ッ、な……?」

???
「無意識か? ふむ……」

???
「太刀筋と動きは剣神流だ。
でもおまえさん、水神流の心得もあるな?
でなきゃ咄嗟に回避行動に入ったりできない」

パウロ
「……っ、だったら、なんだ?」

パウロ
「どうでもいいから……そこを退け!!」

完全に頭に血が昇っていた。
パウロは対策も打たずに飛びこんでいく。

???
「だったらなんだ、だって?
そんなの決まってんだろう?」

???
「ますます欲しくなったって話だ!」

パウロの意識があったのはそこまでだ。

何をどうされたかわからないまま、次に意識がはっきりした時――。

パウロの視界に入ったのは、見知らぬ天井と見覚えのない少女の顔だった。

パウロ
「!?」

???
「きゃっ!」

状況を把握する前にパウロは飛び起きて、少女を拘束し、今まで横になっていたベッドに押さえつける。

???
「っ、離してください!」

パウロ
「うるさい! 誰だ!?
あいつは!? ここはどこなんだ!?
俺はどうしてここにいる!?」

???
「うるさいのは、あなたでしょう!
ッ、退いて……!」

パウロ
「俺の質問に答えろ!」

パウロは混乱していた。
道場にいたはずなのに目が覚めたら知らない部屋にいたのだから当然だ。

???
「お? 声がしたけど、目が覚めた……か?」

ドアが開いて男が入ってくる。
彼は笑みを浮かべていたが、中の様子を見て、目を見開き――。

???
「なんだ? おまえさん、もうリーリャとそういう関係になったのか?
ハハッ、やるなぁ!」

リーリャ
「父さん! 変なこと言ってないで、早くこいつをどうにかして!」

パウロ
「リーリャ?」

???
「ああ、おれの娘だ。
っと、そういや自己紹介がまだだったな。
おれはオーガスタ」

オーガスタ
「おまえさんをコテンパンにして、かどわかして来た男だ!」

パウロ
「かどわかし……。
俺は攫われたってことか」

オーガスタ
「そういうこと。
それで? おまえさんの名は?」

パウロ
「……パウロ」

オーガスタ
「パウロ! パウロか!
うんうん、いい名前じゃないか!」

オーガスタ
「お互いに積もる話もある。
つーことで、とりあえずうちの娘を離してくれないかい?」

パウロ
「………………」

パウロは逡巡する。
武器もなければ、現状も把握できていない状態で、敵の娘が手中にあるというのは大きい。

パウロ
(離すってことは、あいつに対して、俺の手札がなくなるってことだ)

拘束している少女を見下ろす。
負けん気は強そうだが、整った顔の少女が、意思のしっかりした目でパウロを睨みつけていた。

パウロ
(……クソッ!)

パウロは半ばやけくそな気持ちで、リーリャの上から降りて彼女を解放する。
そして、自分をここへつれて来た男と向かい合った。

パウロ
「ここはどこだ?」

オーガスタ
「おれの家、兼、道場だな」

パウロ
「つれて来た目的は?」

オーガスタ
「簡単な話だ」

パウロが気持ち悪いと感じる子供のような笑みで、オーガスタが笑った。

オーガスタ
「おまえさんを、弟子にする。
今日から道場に住み込みで入門しなさい」

パウロ
「……は!?」

リーリャ
「父さん! 冗談でしょ!?
どうしてこんなやつを入門させるの!?
うちの道場の恥になるわ!」

パウロ
「いやいや! なんで入門する前提で話すんだ!?
俺は入門なんてしないぞ!?」

パウロ
「俺は旅をしてるんだ!
一か所に留まるなんて冗談じゃない!」

パウロ
「それに、俺に合ってるのは剣神流の剣術だ。
水神流の剣術なんて、修得するつもりはない!」

とんでもないことを言われて、ひどい目に合いそうな気配を察知したパウロは、声を荒げて反対する。

オーガスタ
「おまえさん、今いくつだ?」

パウロ
「12歳、だけど……」

オーガスタ
「12だと!? まだまだガキだな!
その歳で自分に合ってる剣術が何かなんて、わかるモンじゃないだろう?」

オーガスタ
「これから身長も伸びれば、体重も増える。
体格が変われば扱いやすい剣術も変わるし、少しかじった程度で、向き不向きを判断できると?」

パウロ
「それは……」

オーガスタ
「住み込みって言ったって、べつに家事やらを手伝えとは言わない。
タダで剣術を教えてやろうって提案だ」

オーガスタ
「パウロ、おまえさんにとって、悪い話じゃないと思うが?」

美味い話には裏がある。
それは貴族として生きていた頃に、漠然と身についていた危機意識だ。

パウロ
(こいつはおしゃべりだけど、腹の中をつい漏らす……ことはなさそうだ)

信頼できない相手の提案だが、力ずくで断ることはできないだろう。
何せ相手はパウロを誘拐できるほどの実力者だ。

パウロ
(それでも、いつまでもここにはいられない)

パウロ
「せっかくの申し出だけど、断る。
俺には行くところがある」

オーガスタ
「行くところ? どこだ?」

パウロ
「……医者のところ。
一緒に旅してる子が体調を崩して、医者にかかってる」

強行突破も裏をかくこともできないと判断し、パウロは正直に理由を話した。
するとオーガスタの顔がみるみる強張り……。

オーガスタ
「そ、それを早く言わないかい!
どこだ!? どこの医者にかかってるんだ!?」

パウロ
「え……?」

オーガスタ
「おまえさんがいた道場から1番近いところってなると……四つ角の先か!
リーリャ! 案内してやりなさい!」

リーリャ
「私が案内するの?
父さんが攫ってきた子でしょう?
父さんが責任もって面倒見て」

パウロ
「俺は犬か猫か?」

パウロ
「……べつに案内しなくてもいいから、元いた場所までの道を教えてくれ。
あとは自分で勝手に探す」

オーガスタ
「ハハッ、冗談!
そう言って逃げるつもりだろ?」

図星だった。
パウロは顔をしかめる。

パウロ
「俺が逃げるって線を読んでるくせに、娘に案内させようって?」

オーガスタ
「んん? 不思議かい?」

オーガスタ
「押し倒せたからたいしたことないと思っているんだったら、それは見る目がないぞ。
剣を持たせれば、リーリャは一流の剣士だ」

パウロ
「この子が?」

リーリャ
「何か文句でも?」

パウロ
「文句なんてないけど……」

少し落ちついて、よくよく彼女を見てみれば、出るところが出て、引っ込むところが引っ込んだ、
パウロが好む身体つきの女の子だ。

パウロ
(しかも、すごく可愛い)

ジッと見ていれば、鋭い目で睨みつけられる。

オーガスタ
「……まぁ、リーリャが嫌だってなら、おれがつれてってやるしかないな。
よし、行くぞ、パウロ」

パウロ
「………………」

現在地がわからない以上、オーガスタについて行くしかない。
パウロは無言で彼の背中を追った。

見覚えのある道場を過ぎ、四つ角の先にあった小さな個人病院。
そこには顔色の悪いラッドたちがいた。

パウロ
「ラッド」

ラッド
「パウロか……」

パウロ
「……メリーアンの容体は?」

ラッド
「今すぐ命がどうこうってことはないらしい。
ただ、かなり衰弱してるってよ……」

おしゃべりな男は空気を読んだのか、病院に入らず姿を消した。
パウロはラッドの隣に立って話を聞く。

ラッド
「あいつは元々身体が強くなくてな。
親ってのがいない分、スラムにいた頃はオレがずっと傍で守ってた……」

ラッド
「成長して体力もついて、安心してたんだ。
すぐに熱を出して死にそうになる妹は、もういねぇんだって……」

パウロ
「そうじゃなかったってことか?」

ラッド
「ああ。初めての旅だ。
体力面でも精神面でも無理してたんだろう……。
そこに、昨日の雨ときた」

パウロ
「……すまない。
俺が雨の中、出発したから……!」

唇を噛み締める。
自分への怒りが抑えられず、パウロは思い切り病院の壁を殴りつけた。

パウロ
(母様だけじゃなく、メリーアンまで俺のせいで……!)

ラッド
「お前のせいじゃねぇよ」

パウロ
「え……」

怒鳴られて、殴られる覚悟もあった。
それなのにラッドは語気を荒げることもなく、青白い顔で虚空を見つめている。

ラッド
「オレのせいなんだ。
妹の体調よりも、自分の欲を優先してた」

パウロ
「ラッドの欲……?」

ラッド
「お前が来るまで、オレはずっとボスだった。
妹守って、スラムの仲間を守って、常に強者でなきゃいけなかったんだ」

ラッド
「でも、正々堂々とやり合った戦いでお前に負けて、オレはその時に初めて、肩の力を抜くことができた。
ボスの座を譲って、気持ちが楽になったんだ」

ラッド
「自分より強いヤツに荷物を預けられて、ホッとした。
これでオレは自由になった! ってな……」

ラッド
「そんな風に思うなんざ、最低のボスで、最低の兄貴だろ?」

パウロ
「……そんなことない。
誰だって自由になりたくて、全部捨ててしまいたくなる時はある」

パウロ
「実際に俺は何もかも捨てたしな。
……でもラッドは捨ててないだろう?
今でもちゃんと守ってる」

ラッド
「そう思うか?」

パウロ
「ああ」

ラッドの気持ちは痛いほどよくわかった。
おそらく彼は責任と自由の狭間で藻掻いている。
パウロも似た経験をし、その時は自由を取った。

パウロ
(ラッドは、たぶん……)

パウロはフッと息を吐く。
どっちを選んでも後悔するだろう決断を迫られている。

パウロ
(俺がここまで来れたのは、ラッドのおかげだ。
そんな人に俺ができること……)

パウロ
「ラッド、メリーアンをつれて帰れ。
旅はここまでだ」

ラッド
「パウロ……」

パウロ
「俺にお前はいらない。
ああ、餞別に金は全部持ってっていいぞ。
スラムでも、どこかの農村でも、好きなところに行けよ」

スラム街の悪ガキA
「おい! なんだよ、その言い方!」

パウロとラッドの話が聞こえていたのか、少し離れたところにいた子供たちが
ゾロゾロとやって来る。

スラム街の悪ガキA
「ラッドさんはお前を支えてくれてたのに、そんなにあっさり切り捨てるのか!?」

ラッド
「!! お前ら、やめろ!」

スラム街の悪ガキA
「ラッドさん!
どうしていつもコイツをかばうんですか!?
コイツはラッドさんのことを――」

ラッド
「そうじゃねぇだろ!
なんでわからないんだ!?
パウロはオレを――」

パウロ
「うるさいなぁ。
ここがどこかわからないのか?
病院で騒ぐなよ」

パウロ
「ああ、そうだった。
ラッド、そこにいるヤツらもつれて行ってくれ。
弱いヤツが一緒にいると動きにくい」

パウロは「フン……」と、鼻で笑う。
わざとらしい嘲笑だったが、頭に血が昇った子供たちには有効的だった。

スラム街の悪ガキA
「頼まれたって一緒に行くか!
オレたちはお前じゃなくて、ラッドさんについて来たんだ!!」

パウロ
「ああ……知ってたよ。
お前らが俺をボスだって認めてないことは。
認めてたのはラッドだけだろう?」

名前の呼び方だってそうだ。
意図してかどうかは不明だが、ラッドにはさん付けで、パウロは呼び捨て。

パウロ
「まぁ、今となってはどうでもいいけどな」

パウロは肩をすくめると、ラッドたちに背を向けた。

ラッド
「!! 行くのか?
メリーアンに会わずに?」

パウロ
「会う理由もないしな。
俺のことなんてさっさと忘れて、静かなところで暮らすように言っておいて」

パウロ
「ラッドも早く忘れたほうがいい。
もともと生まれも育ちも違う相手だ。
関わるはずもなかった」

ラッド
「そんな風に言うなよ。
オレたちは仲間だ」

パウロ
「正確には仲間だった、だけど」

パウロ
「……じゃあな。
もう二度と会うこともないだろうけど、元気にやれよ」

背を向けたままだったから、最後までラッドの顔は見えなかった。

パウロ
(ん……これで良かった)

パウロとメリーアンのどちらを選ぶか……。
厳しい選択を迫られていたラッドから、選択肢自体を奪うのが正しいことかはわからない。

けれどパウロには、ラッドに報えるそれ以外の方法は思いつかなかった。

パウロが病院を出ると、気配もなくオーガスタが現れた。

オーガスタ
「おまえさん、吹っ切れた顔をしてるな。
身軽になったってことかい?」

パウロ
「どうだろうな」

オーガスタ
「いやー、良かった良かった!
これでなんの憂いもなく門弟になれるな!」

パウロ
「は? 門弟なんかになるわけないだろう?」

オーガスタ
「よし! 今日からさっそく修行だ!
道場に行くぞ!」

ガシッと腕を掴まれる。
振り払おうとするが、ものすごい力だった。

パウロ
(ビクともしない……)

パウロは引きずられるように、オーガスタが師範を務める道場につれて行かれる。

名門ということもあり、集まっている門下生の数は多い。
その中にはリーリャもいた。

リーリャの家の門下生A
「師範! おはようございます!!」

オーガスタ
「ああ、おはよう。
もうみんな集まってるみたいだな」

リーリャの家の門下生A
「? あの、師範? その子供は……?」

オーガスタ
「ああ、紹介しよう。彼はパウロ。
今日からうちの門下生になる」

パウロ
「いやいや、何言ってんの?
門下生になるなんて一度も言ってないだろ。
道場剣術に興味はない」

忌憚のない正直な気持ち。
それを口にした瞬間、道場の中の空気がぴりついた。

リーリャの家の門下生B
「随分と生意気な口を叩く子供だな。
師範、礼儀も何も知らない者を入門させるなど、本気ですか? ……私は反対です」

オーガスタ
「ハハッ、道場というのは、剣術だけでなく、礼儀も教えてやる場所だ」

リーリャの家の門下生B
「それは……そう、ですね。
口さがないことを申しました……」

パウロ
(当事者を無視して話が進んでくな……。
まぁ、どうでもいいけど)

パウロ
(名前だけ門下生になっても、稽古に参加しなきゃいいだけの話だしな)

パウロは当初ほど拒否感を表に出さず、少しだけ前向きになって考えていた。

何せ現在のパウロは一文無しの状況だ。
住み込みで生活させてもらえると言うなら、ここを拠点に金を稼ごうと思っていた。

パウロ
(もっともそれは、あいつらがここを出てからになるだろうけど……)

パウロ
(メリーアン……俺には君の幸せを望む権利なんてないけど、せめて、君が健やかに生きていけますように……)

顔を合わせることなく別れることになった、彼女。
母親とも最期の別れを交わせなかったパウロは、そう祈らずにはいられなかった――。

ところ変わって……。

ベッドの上に身体を起こして話を聞いていたメリーアンは、静かに目を伏せた。
閉じた目蓋の間からひと筋の涙が溢れる。

メリーアン
「そう……お別れも、お礼すらも言わせてくれないのね……」

ラッド
「メリーアン、パウロはオレのためを思って――」

メリーアン
「わかってるわ。
パウロは、妹と友人のどっちを切り捨てるかなんて、兄さんに選ばせたくなかったのよ」

メリーアン
「だから、代わりに選んでくれた……。
そうなのよね?」

ラッド
「ああ……」

メリーアン
「……ふふ、優しい人」

メリーアン
「わたしね、最近のパウロは、変わってしまったんだと思ってたの」

メリーアン
「貴族だった頃にだって、
パウロはスラムの人を見下したりしなかった。
それなのに最近は……みんなを見下してるみたいだったから」

ラッド
「あいつは、常に人といることに、慣れちゃいねぇみたいだったからな」

ラッド
「そこに急にボスの責任を押しつけられて、自分より力が劣るヤツらの面倒を見ろなんて言われて、ピリピリしちまってたんだろ」

メリーアン
「そう、ね……」

メリーアン
「……ねぇ、兄さん……。
わたし……少しくらいは、彼を支えることができていたのかしら……?」

ラッド
「当たり前じゃねぇか。
お前ほどの女はどこ探してもいねぇ!
オレが保証してやらぁ!」

メリーアン
「ふふ、ふ……ふ……。
兄さんに、保証されてもね?」

狭い病室に兄妹の涙混じりの笑い声がこぼれた。

そののち、ふたりはミルボッツ領のスラムに戻るが、数年後には長閑な農村に移住することになる。

村長に気に入られたラッドは村長の娘と結婚。
三男一女をもうける。

メリーアンはあまたの男たちに求婚されたが、誰ひとりとして受け入れることなく、生涯、独身だったという――。

3話【反抗心】

本人の意思はさておき。
水神流の名門道場に入門することになったパウロは、師範であるオーガスタの家に居候していた。

パウロは住み込みの門下生なのだが、早朝、彼の姿は道場にも、与えられた部屋にもなく、町でも美人と評判な若き未亡人の家にあった。

パウロ
「ん……?」

ドアを激しく叩く音が聞こえて、パウロは目を覚ます。

女A
「んもう……こんな朝早くに誰かしら?
ちょっと出てくるわ。
だからパウロ、離してちょうだい?」

パウロ
「出なくていいよ。
早朝にうるさくする非常識なヤツなんて無視して、一緒にもうひと眠りしよう」

パウロ
「それに、わざわざ服を着るのも面倒だろう?
どうせまた脱ぐのにさ……」

女A
「ふふっ、やん、パウロ、くすぐったいわ」

パウロ
「んー……。
やっぱりもうひと眠りするのはやめて、楽しいことしようか――」

パウロは未亡人の女をベッドの中で抱きすくめ、肌の柔さを堪能するように腰を撫でる。
そのまま、行為になだれこもうとした時……ドアが吹き飛んだ。

女A
「きゃあ!」

オーガスタ
「ああ、すまないね、お嬢さん。
ドアはうちの門弟に修理させるから、勘弁してくれ」

吹き飛んだドアを踏みつけて入って来たのは、片手に剣を持ったオーガスタだった。

女A
「な、なんなの、あなた!?」

オーガスタ
「挨拶が遅れました。
そこで素っ裸になってる少年の師匠です」

パウロ
「いやいや、適当なこと言うなよ。
俺はお前が師匠なんて認めてないからな?」

オーガスタ
「おまえさんが認めようが認めまいが、うちの門下生であるのは事実だ。
さあ! 朝稽古に行くぞ!」

パウロ
「はぁ? 行くわけないだろ?」

呆れながら答えた瞬間、オーガスタが一瞬でパウロとの距離をつめる。
気づけばパウロの眼前には、剣が付きつけられていた。

オーガスタ
「行くぞ?」

パウロ
「嫌だって言ったら?」

オーガスタ
「気絶させてでもつれて行く。
そうなった場合、おまえさんが次に目を覚ました時、全裸で道場に転がされてることになるな」

パウロ
「!?」

オーガスタ
「兄弟子たちの前に、ご自慢のブツをさらしてみるかい?」

パウロはギリッと歯を噛みしめる。

パウロ
(こいつは、やるって言ったらやる……!)

パウロに選択肢はない。

パウロ
「……俺のパンツ、どこ?」

オーガスタ
「うんうん、それでいい」

満足気なオーガスタにつれられて、パウロは道場の朝稽古に参加させられた。

パウロ
(朝っぱらから汗臭い男たちと肩並べて、俺は何をしてるんだ……)

パウロ
(どうせなら……)

パウロの視線の先には、男の門下生たちに交じって剣を振るう、リーリャの姿があった。

パウロ
(うーん……昨日の子もスタイル良かったけど、リーリャも負けないくらい、たわわに揺れるものを……)

真面目に打ち込まなくても時間はすぎる。
朝稽古が終わると、パウロは道場と同じ敷地にある、オーガスタとリーリャの自宅へと足を運んだ。

オーガスタ
「フルート、今帰ったぞ。
いい匂いがするな。今日の朝めしはなんだい?」

フルート
「おかえりなさい、あなた、リーリャ。
……と、貴方もいるのね」

パウロ
「まぁ、残念ながら?」

夫と娘を迎えた彼女は、パウロが視界に入った瞬間、まったく隠すことなく、不快そうな顔をした。

パウロ
(せっかくの美人なのにもったいない)

フルート
「パウロ、貴方は着替えてきなさい。
そんな小汚い姿で同じ食卓につくなんて許しません」

パウロ
「別にメシだけもらえたら、一緒に食べなくてもいいんだけど?」

フルート
「なっ……!?
口ごたえしないで言うことを聞きなさい!」

オーガスタ
「まあまあ、フルート。
その辺にしといてくんな。
パウロ、おまえさんも早く着替えておいで」

リーリャ
「母さん、料理を並べるのを手伝うわ」

オーガスタとリーリャが間に入ったことで、パウロとフルートがそれ以上、言葉を交わすことはなかった。

パウロ
(うわ、まだ睨まれてる!)

パウロはその場からそそくさと立ち去る。

フルート
「あんな子を住み込みで弟子にするなんて!
あなた、何を考えてるの!?」

オーガスタ
「ハハッ、そうさなぁ……」

オーガスタ
「パウロは原石みたいな奴なんだ。
磨けば間違いなく光る。
だから、できればおれが磨きたいんだよ」

フルート
「原石? あれがそんなにいいものかしら?
あなたは剣士を見る目はあるかもしれないけど、人を見る目はないでしょう?」

フルート
「外見もまるでスラムの子のようだし、礼儀作法もまったくできていないわ。
そしてそれを、恥とも思っていない」

フルート
「学ぼうとか、自分を変えようとか、そういう前向きな気持ちが、あの子にはないの。
剣に関してもそうなんじゃない?」

オーガスタ
「今はそうだけど、いずれ変わるさ。
おれの腕の見せどころだな!」

後ろから聞こえてくる話は気づかなかったことにして、パウロはフルートに言われたとおり服を着替えた。

パウロ
(フルートはおれのことを嫌ってるし、おれもフルートのことは苦手だ。でも……)

パウロ
(メシは文句なしに美味いんだよな)

山盛りの食事を食べ終えると、パウロは一目散にオーガスタの家を出る。
それが住み込みを始めて以来の日課だった。

町の市場を見てまわる。
花や焼き菓子の出店に目を向けるが、何かを買おうと思っているわけではない。

パウロ
(花を買いにきた女の子……顔は可愛いけど、けっこうウエスト締めつけてるな……)

パウロ
(コルセットしてるのがわかるけど……顔は可愛いんだよなぁ……うーん、悩みどころだ)

日課の女の子チェック。
今晩泊めてくれそうな人を探す。

パウロ
「………………」

パウロ
「イチかバチか突撃してみるしかないな。
よし! 行ってみるか!」

パウロが意気揚々と花束を抱えた女に声をかけようとした時――。

リーリャの家の門下生A
「見つけたぞ! パウロ!」

パウロ
「げ……」

鬼の形相で走ってきた兄弟子たちが、パウロの行く手をはばむように取り囲んだ。

リーリャの家の門下生B
「毎日毎日、どうして私たちが、お前を探して駆けずり回らなければならないんだ!」

パウロ
「どうしてって言われてもな……。
俺は頼んでないだろう?」

リーリャの家の門下生A
「お前ではなく師範に頼まれてんだ!
そもそも、なんだその言葉遣いは!?
兄弟子には敬語を使え!」

パウロ
「は? 敬語?
師範にも使ってないんだから、兄弟子にも使わなくていいと思うんだけど?」

リーリャの家の門下生A
「なっ!? 私たちにも使え!
師範にはもっと使え!」

パウロ
(うるさいなぁ……)

パウロ
(こんな人ごみの中で大声出すから、注目集めてるじゃないか……)

さり気なく周囲を見わたして、パウロはふと気づく。
さっきまで声をかけようとしていた女が、遠巻きに状況を見ていた。

パウロ
(これは……)

パウロ
「……もしかして、チャンスなのでは?」

リーリャの家の門下生B
「? なんの話だ?」

リーリャの家の門下生A
「とにかく、道場へ行くぞ!
午後からはよその道場との合同稽古がある。
お前も参加するようにとのことだ」

パウロ
「合同稽古……」

パウロ
(ってことは、参加したとしても、俺の相手はよその道場の門下生か……)

なんの魅力も感じない誘いだった。
オーガスタや彼レベルの相手ならともかく、門下生との腕試しには心が躍らない。

パウロ
「俺はいい。
弱いヤツ同士のオケイコに、興味がないもんでさー」

リーリャの家の門下生A
「なんだと? 私たちを愚弄するか?
……もう限界だ」

リーリャの家の門下生A
「これまで師範の顔を立ててきたが、お前がいたのでは他の門下生の士気に関わる。
お前には道場から去ってもらうぞ!」

パウロ
「……去りたいのはやまやまだけど、まだ借りを返してないからな」

パウロ
「俺が目障りだって言うなら、力ずくで追い出してみろ!」

パウロが周囲にも聞こえる声で言い放つと、兄弟子たちは顔を赤くして剣を構えた。
それを見てにやりと笑い、パウロも剣を握る。

パウロ
(普段なら面倒だし、相手になんてしないけど……)

パウロ
(本気で向かってくるなら好都合だ。
あの男がどんな剣を教えてるのかわかる)

本気で向かってきてもらわなければ、稽古だけでは見えないこともある。

パウロ
(それに……)

パウロは剣神流の型で先手を取り、兄弟子のひとりに切りかかった。
鋭い一撃を相手は剣で受け止める。

パウロ
(おっ? こういう攻撃は避けるんじゃなくて、受け止めるようにって教えなのか?)

なるほど。
納得しながら即座に追撃する。
あっと言う間にひとりを倒して他のメンツを見すえた。

パウロ
「こんなもんか?」

リーリャの家の門下生B
「くっ……まだまだ!」

水神流の剣の型は基本的に受け身だ。
パウロから果敢に仕かけていく。

兄弟子たちを全員倒すのに、さして時間はかからなかった。
最後のひとりを倒した瞬間、周囲から歓声が上がった。


「すげぇな!
たったひとりで倒しちまうなんて!
見事な動きだったぜ!」

女B
「なんて強い子なの!
かっこいい~!」

自分を褒め称える声に満更でない顔をして、パウロは目当ての人物に視線を投げた。
花束を抱えた女がポッと頬を赤く染める。

パウロ
(想定どおりだ……!)

目をつけていた女の子に、かっこいい姿を見せつけて興味を引けた。
パウロは彼女の元へ近づく。

パウロ
「急に声かけて、ごめん。
実はさっきから綺麗な人だなぁと思ってて……。
もしよかったら、一緒にごはんでもどうかな?」

腕の立つ誠実な少年を装って声をかければ、彼女は照れたようにはにかみながら、頷いた。

パウロ
(よっし! やった!!)

パウロ
(あとはデートを成功させて、なんとか彼女の部屋に泊まってみせる!)

兄弟子たちのことなどはもう頭にない。
使命感に燃えながら、パウロは女をエスコートするように歩き出した。

翌日――。

パウロが目を覚ますと、柔らかいふたつの山に顔を埋めていた。
激しい夜を思い出し、げへへとにやける。

パウロ
(朝からもう1回ってのもアリだよな?)

パウロがいたずらに手を動かして、彼女を起こそうとしていると、ドアを叩く音が聞こえた。

パウロ
「………………」

オーガスタ
「パーウーローくーん!
あっそびましょー!」

パウロ
「……今日も、か……」

パウロは溜め息を漏らす。
柔らかな膨らみから手を離して、部屋のどこかで脱ぎ捨てたパンツを探すのだった。

道場に連行されて朝稽古に参加する。
昨日こてんぱんにした兄弟子たちの姿はない。

パウロ
(心折れたのかもな)

他人事のように思っていると、パウロの視界に素振りをするリーリャの姿が入った。

パウロ
「おはよう、リーリャ」

リーリャ
「………………」

パウロ
「今日の朝メシなんだろうな?
もうすっかりお腹空いちゃってさー」

リーリャ
「………………」

パウロ
「やっぱり肉がいいよな。
ハムとか薄いのじゃなくて、かぶりつくような食べ応えのある肉!」

リーリャ
「……そのくだらない話、まだ続くの?」

パウロ
「おっ! やっと反応してくれた」

リーリャ
「茶化さないで。
私は真剣に修行してるのよ」

リーリャ
「貴方がやる気がなくて、不真面目でも構わない。
だけど真面目にやっている人の邪魔をしないで」

パウロ
「ごめん、ごめん。
でも息抜きだって大事だろう?
いつも気を張ってたら疲れるし」

パウロ
「そうだ! 今日の午後、デートしよう!
美味しいメシ食ったりしてさ。
俺が朝までエスコートするから」

リーリャ
「デ、デートって、ふざけないで!
貴方とふたりで出かけたりしないわ!」

真っ赤な顔で怒るリーリャに、パウロは首を傾げる。

パウロ
「なんでそんなに怒るの?」

リーリャ
「私が知らないとでも思ってるの!?
貴方がいつも女の人と何をしてるのか……、ちゃんとわかってるんだから!」

リーリャ
「どうなるかわかってるのに、貴方とデートなんてするはずないでしょう!?」

パウロ
「どうなるかわかってる?
それって……俺とのソウイウコト、想像しちゃったって意味?」

リーリャ
「!?」

パウロはにやけながら、わざとらしく小首をかしげる。
リーリャは顔を赤くすると、素振りに使っていた剣をパウロに向けて振った。

パウロ
「ハハッ、いい太刀筋だ。
水神流を続けるのはもったいないくらい。
剣神流に転身しないか?」

リーリャ
「するわけないわ!」

リーリャが剣を振るい、パウロは軽々と避けていく。

素早い剣筋だったが目で追えないほどではない。
それよりもパウロが気になったのは、リーリャの足さばきだった。

パウロ
(なんだろう?
足の動きが独特なような……)

パウロ
(学校で習っていたものとは少し違うか?)

リーリャ
「ッ……当たらない……!?」

リーリャは悔し気に唇を噛みながら剣を振るう。
しかし、その剣はパウロに届く前に、横から伸びてきた別の剣によって止められた。

オーガスタ
「ハハッ、もうすっかり仲良しだな。
うんうん、門下生同士が打ち解けるのは大歓迎だ」

リーリャ
「父さん……じゃなくて、師範!
仲良くなんてありません!」

オーガスタ
「なんだい? 照れてるのか?」

リーリャ
「照れていません!
もういいです! 顔を洗ってきます!」

リーリャが勢いよく道場を飛び出して行く。
その背中を見送っていると、オーガスタがパウロの肩をポンと叩いた。

オーガスタ
「可愛い子だろう?
真面目で、純朴で、真っ直ぐで……。
おまえさんが、ちょっかいをかけたくなるのはわかる」

オーガスタ
「だが……時と場所を考えなさい。
ここはおれの道場だ。
女ではなく、剣と向き合え」

パウロ
「!」

パウロ
(こんな顔もできるのか)

背中がゾクリとするような鋭い目。
オーガスタの名門道場の師範としての顔に、パウロは気分が高揚するのを抑えられない。

パウロ
(今夜の予定は決まってなかったけど……、うん、今、決めた……!)

その日、パウロは道場に来て初めて、日中に女の子を引っかけに外出しなかった。

朝食を終えたあと。
パウロが剣を手入れしていると、ふと視線を感じた。
顔を上げてそっちを見ればフルートがいる。

フルート
「珍しくいるのなら、掃除くらいしようと思わないの?
無駄飯食らいの住み込みなんて迷惑よ」

パウロ
「それは旦那に言ってくれ。
住み込みの条件に掃除なんてなかった」

フルート
「言われなくてもやるものなの!
教えを乞う人間が自主的にね!」

パウロ
「へぇ、そういうものなのか。
でも俺は教えを乞いに来たんじゃなくて、強制的につれて来られただけだからなぁ……」

フルート
「言い訳するんじゃありません!
追い出されたくなかったら、庭の手入れをしておきなさい!」

フルート
「終わらせるまで食事は抜きよ!
今日中に終わらせなさい!」

そう吐き捨てると、フルートは足音を響かせて去って行く。

パウロ
「メシ抜きか……。
まぁ、ちょうど良かったかもな」

掃除や庭の手入れをするつもりはまったくない。
自分の武器の手入れをしたり、軽く身体を動かしたりして時間を過ごした。

そして夕暮れが訪れると、パウロは道場へ足を運んだ。
静かな道場にただひとり、師範のオーガスタが腰を下ろしている。

オーガスタ
「……来ると思ってたぞ」

パウロ
「え? なんで?」

オーガスタ
「朝稽古の時、おまえさんがおれを見る目は、ぎらついていた。
首を狙う奴の顔だったからなぁ」

オーガスタ
「もっと感情を隠せるようになりゃ、おまえさんの剣士としてのレベルも上がるさ」

パウロ
「感情を隠す……。
ハハッ、まるで貴族みたいだな」

オーガスタ
「言い得て妙だ。
剣を持つ貴族のほとんどは水神流を学ぶ。
貴族には水神流が合ってるのかもな」

パウロ
「そうか……じゃあやっぱり、俺には水神流は合わないな」

嘲笑を浮かべてパウロが言う。
そして剣の切っ先をオーガスタに向けた。

パウロ
「俺の目的がわかってるなら、話は早い。
さっさと立てよ……リベンジだ」

オーガスタ
「いいだろう。
弟子の挑戦を受けるのも、師範としての役目だからな」

パウロ
「だーかーらー……!
弟子じゃないって言ってるだろ!」

立ち上がったオーガスタの体勢が整う前に攻撃を仕かける。

パウロ
「勝負は始まってる!
卑怯なんて言うな、よっ!」

オーガスタ
「ハハッ、言うわけがない。
剣を握っているのに、待てなんて言うのはとんだ甘ちゃんだ」

パウロの一撃は軽やかな動きでかわされた。
即座に反撃の一閃が繰り出され、パウロは後ろに身体を引いて避ける。

パウロ
「!?」

しかし避けたはずの剣の切っ先が、パウロの服を裂いた。

パウロ
「今のが届いた……?」

オーガスタ
「どうした? もうやめるか?」

パウロ
「まさか!」

パウロは再び地面を蹴る。

パウロ
(道場で学ぶことはないと思ってたけど、役には立った……って、ことか!)

パウロが剣を振るった。
オーガスタがそれを避けて、反撃を繰り出し――。

オーガスタ
「!!」

パウロ
「……俺の勝ちだ」

パウロの剣先は、オーガスタの喉元につきつけられていた。

オーガスタ
「………………」

パウロ
「最初にやられた時は、何が起こったかわからなかったけど、今ならわかる」

パウロ
「お前は独特な足さばきをしてる。
そのせいで俺は距離を計れなかったんだ」

オーガスタ
「いつ気づいた?」

パウロ
「もしかしてと思ったのは今朝。
朝稽古でリーリャの動きを見ていて気づいた」

オーガスタ
「! リーリャの?」

パウロ
「他のヤツには教えてないのか?
この道場で独特な足さばきをしてるのは、リーリャだけだった」

オーガスタ
「……この動きはまだ、完成していない。
だから門下生には……リーリャにも、教えたつもりはないんだけどなぁ……」

オーガスタが苦笑する。
戦意は失せているようだが、勝負はまだ終わっていない。
パウロは剣を喉元につきつけたままだった。

パウロ
「彼女はクソ真面目みたいだからな。
どこかで見たお前の動きをマネしてたんだろう」

オーガスタ
「なるほど……。
頭に血が昇って冷静さを失い、咄嗟にそれが出てしまったということか……」

パウロ
「ああ、たぶんな」

パウロ
「それで? どうする?」

オーガスタ
「……はぁ、わかったわかった。
おれの負けだ、降参する」

オーガスタの言葉を聞き、パウロはようやく剣を下ろす。

実力者だと思っていたが、仕かけに気づいてしまえば呆気ないものだ。

パウロ
(なんだ……。
こんなものだったのか……)

満足感よりも、ほんの少しの失望感。
ここで初めてパウロは、オーガスタに何か期待していたのだと悟った。

パウロ
「……もうここに用はない。
明日にでも出て行く」

オーガスタ
「ん? 金はどうする気だ?
旅の資金はまったくないだろう?」

パウロ
「それは……」

オーガスタ
「もうしばらく逗留するといい。
それに……まだ、引き分けてるわけだしな」

パウロ
「引き分け?」

オーガスタ
「戦績は1勝1敗だろう?」

オーガスタの言葉にパウロは目を丸くする。
このおしゃべりな男は、今明らかに負けたのに、勝敗をトントンだと言っているのか?

オーガスタ
「ハハッ、次が楽しみだな。
正直なところ、おれはおまえさんの実力を、見くびっていたかもしれない」

オーガスタ
「まさかこんなに早く一敗を刻むことになるとは思っていなかった。
いい意味で裏切られたな」

オーガスタ
「だがますます、おまえさんの才能に惚れた。
おれの手でいっぱしの水神流の使い手に育ててやりたいねぇ……」

パウロ
「あのな、もう何度も言ってるはずだけど、俺は水神流より剣神流のほうがいい」

パウロ
「適当に言ってるわけじゃない。
両方やってみた上で、俺は剣神流を選んだ」

オーガスタ
「どうしてそう、パウロはかたくななんだ?
何か理由でもあるのか?」

パウロはそれには答えない。
踏みこんで来るなとばかりに無視を決めた。

オーガスタ
「……まぁ、無理に聞いても、おまえさんは話すようなタマじゃないわな……」

オーガスタ
「よし、とりあえず今日のところは、めしにしよう!
腹が減ってる内は、大きな決断なんてしないほうがいいからな」

パウロ
「メシか……あ」

オーガスタ
「なんだい? どうした?」

パウロ
「すっかり忘れてたけど、俺、フルートにメシ抜き宣言されてたんだった」

オーガスタ
「フルートに? なんでそんな話になってるんだ?
おまえさんたちは顔を合わせるのも嫌がってる間柄だろう?」

パウロとフルートの間にある確執に、どうやらオーガスタは気づいているようだ。

パウロ
(気づいてて放置してるのか)

パウロが呆れていると、オーガスタが笑いながら背中を叩いてくる。

オーガスタ
「剣士は身体が資本だ。
めしはちゃんと食べないといけない。
身体ができあがっている最中のおまえさんは特にな」

オーガスタ
「フルートにはおれから言っておく。
好きなだけ食えばいい」

パウロ
(俺なんて追い出せばいいのに。
嫁と揉めても責任なんて取れないぞ?)

オーガスタに背中を押されて家へと向かい、料理が並ぶ食卓に顔を出すと、案の定、フルートは嫌そうな顔をした。

フルート
「貴方、どうしてここへ来たの?
時間はあったはずなのに、庭の手入れも家の掃除も終わっていないようだけど」

オーガスタ
「フルート、そう言わないで、パウロの分も用意してやってくれないかい?」

フルート
「あなた、本気で言ってるの?
どうしてこの子をそんなに贔屓するの?」

フルート
「急に住み込みの弟子をつれて来たと思ったら、礼儀も何もなっていない粗暴な子……。
他の門下生たちに示しがつかないわ」

オーガスタ
「パウロは他の門下生とは違う」

フルート
「わからないわ。
何が違うと言うの?」

オーガスタ
「そうさな……」

オーガスタ
「さっき、剣でパウロに負けた。
そう言えばわかってもらえるかい?」

フルート
「!!」

リーリャ
「え……? 父さんが、負けた……?」

フルートは驚愕し、リーリャは呆然とする。
オーガスタを見つめるふたりの目は、ウソだと言ってと訴えているようだった。

オーガスタ
「ああ、負けた。
彼はそれほどの実力者だ」

オーガスタ
「だけどフルートの指摘したとおり、未熟な面もある。
おれは、そこを補いながら育てて、いずれは水神流の技を極めてほしいと思っている」

リーリャ
「こいつ……パウロは、そんなに才能があるの……?」

オーガスタ
「もしかすると、水神をしのぐほどの剣士になるかもしれないと、思うくらいには」

リーリャ
「ッ……」

リーリャが勢いよく席を立った。
彼女はパウロを睨みつけると、そのまま部屋を出て行ってしまう。

フルート
「……支度をしてくるわ」

フルートも部屋から出て行ってしまい、パウロとオーガスタだけが残された。

パウロ
(あーあ……)

オーガスタ
「さあ、パウロ、席につくんだ。
食事にしよう」

パウロ
「俺が言うのもなんだけど、いいのかよ?
家族で揉めそうだけど?」

オーガスタ
「揉めて、家族仲が壊れたのなら、修復すればいい。
手間と時間はかかるだろうがな」

パウロ
「修復ね……」

ほんの一瞬だけ、パウロの頭に捨てた家族の姿がよぎる。

パウロ
「……やっぱり、お前とはわかり合えないな」

パウロが吐き捨てるように言う。
その後、フルートは戻って来たが、リーリャは最後まで食卓に姿を見せなかった。

夜が明ける――。

その日の朝稽古に、オーガスタはパウロを迎えに来なかった。
道場に来て初めて、朝稽古が免除されたのだ。

パウロ
(これからどうするかな……。
とりあえず、さっさと戦績を勝ち越すか)

パウロ
(それさえ済めばいつでも旅立てる。
金はどうにでもなるだろうし……)

家にいるとフルートと顔を合わせてしまう。
パウロはキッチンで適当にパンをくすね、町へと繰り出した。

パウロ
(やることは決まってる)

パウロ
「今日はどの子と遊ぼうかな?
顔で選ぶか身体で選ぶか……。
それが問題だ」

キリッとした顔で市場を見わたす。
パウロより少し年上の女の子、色気のある美人、品のあるお嬢様タイプ……。

パウロ
(うんうん、よりどりみどりってのは、こういうことを言うんだよ)

パウロ
「……ん? あの女の人……」

武器屋から出てきたばかりの女が、ふとパウロの視界に入った。

パウロ
「ものすごい美女だ……!
しかも遠目でもわかるいい身体……!」

パウロ
「逃すなんて馬鹿なマネ、俺はしない!」

パウロは彼女に近づいて声をかける。
近くで見ると、ますます引きしまった身体つきだとわかった。

パウロ
「こんにちは!
おねえさん、この辺じゃ見ない顔だね。
もしかして旅人?」

女冒険者
「旅人? あたしは冒険者よ!」

パウロ
「冒険者……?」

女冒険者
「あんたはこの町の子?
ごはんが美味しい店を教えてほしいんだけど」

パウロ
「いいや、俺はこの町の人間じゃない。
でも長く逗留してるから美味しい店は知ってる。
よかったら案内するよ」

女冒険者
「あら、いいの?
それじゃあお願いしようかしら!」

パウロは笑顔で頷くと、女冒険者の隣に並んでさり気なく腰を抱いた。

女冒険者
「? エスコートしてくれるの?」

パウロ
「もちろん。
おねえさんは綺麗だから」

女冒険者
「口が上手いのね。
女冒険者相手に下心なくそんなことを言う人、めったにいないわ」

パウロ
「へぇ、そうなんだ……。
実は俺も下心あるって言ったらどうする?」

女冒険者
「あんたが?」

彼女はパウロを値踏みするように見て、にっこり笑う。

女冒険者
「あたしを満足させる自信があるの?」

パウロ
「なかったら誘わない。
俺を選んでくれたら、今夜は精いっぱいつくすよ」

女冒険者
「ふふ、楽しみね」

パウロの頬に彼女の唇が触れた。
さっそくのたわむれにパウロの口角が持ちあがる。

女冒険者との一夜は、それはもうすごかった。
大胆で、能動的で、互いをむさぼるような、激しい夜……。

翌朝、目が覚めた時、パウロの心は決まっていた。

パウロ
(俺……冒険者になる)

パウロ
(そうと決まれば、今日中に終わらせよう)

昼過ぎに出立すると言う女冒険者と別れ、パウロはその足で道場へと向かった。
道場では稽古が行われている。

オーガスタ
「おお、パウロ! やっと来たのかい!」

パウロ
「稽古に来たんじゃない……いや、ごたくはいい。
さっさと終わらせようぜ」

オーガスタ
「なるほど……。
おれと一戦交えに来たってことか」

オーガスタ
「いいだろう……おまえさんたち!
稽古は中断だ! 場所をあけなさい!」

オーガスタが声をかけると、門下生たちは困惑しながらも壁際に避けていく。

リーリャの家の門下生A
「し、師範……?
まさかパウロとさしで勝負なさるんですか?」

リーリャ
「! 本気……?」

一度パウロに負けていることを知っているからか、リーリャの顔色は悪い。

パウロ
「こんなに門下生がいていいのか?」

オーガスタ
「勉強になる戦いを弟子に見せない理由はない。
……合図を頼むよ」

リーリャの家の門下生B
「は、はい……!」

パウロ
(負ける姿を弟子に見られてもいい?)

パウロ
(どういうつもりか知らないが、こいつの名声なんて俺にはどうでもいいことだ)

リーリャの家の門下生B
「……いざ尋常に、はじめッ!」

合図と共に道場の床を蹴った。

パウロ
(この一撃をこいつは受け止めて、上に跳ねあげる……!)

パウロの想定通りにオーガスタが動く。
剣は受け止められ、上に弾かれた。

パウロ
(あの独特な足さばきは対処できる。
対処して、追い打ちをかければ――)

オーガスタの足の動きを追うために視線を下にずらした瞬間。

オーガスタ
「ハハッ、若いな」

パウロ
「!?」

オーガスタの足が動かない。
予想とは違うことが起き、一瞬パウロは動揺する。

一瞬だけ、ほんのわずかな時間だ。
しかし名門と謳われる道場の師範は、その一瞬を見逃さなかった。

パウロ
「ッ、ぐ……!!」

パウロの身体が吹き飛び、周りを囲んでいた門下生の中につっこんで行く。

オーガスタ
「さて、判定は?」

リーリャの家の門下生B
「!! 師範の勝ち、です!」

門下生たちの歓声が上がるのを、パウロは道場の天井を見ながら聞いていた。

パウロ
(今、何が起きたんだ……?)

パウロ
(見えなかった? いや、違う……。
読めなかったんだ……)

呆然としていると、視界にオーガスタが入ってきた。
彼は楽しそうな顔でニヤニヤ笑っている。

オーガスタ
「ハハッ……なぁ、パウロ。
前回と今回、何が違ったのかわかるかい?」

パウロ
「……足の運び方だろう?」

オーガスタ
「そういうことじゃない。
技術的な面の話をしてるわけじゃなくてな。
おれが言ってるのは、精神的な面の話さ」

オーガスタ
「前回のおまえさんは挑戦者で、全力でおれに向かって来てた。
今回のおまえさんは、正直、おれを舐めていたろ?」

パウロ
「!!」

オーガスタの指摘通りだった。
パウロは悔しげに表情を歪める。

オーガスタ
「まぁ、なんにしろ、だ。
これで戦績はおれの勝ち越しになっちまったな」

オーガスタ
「まさか負けたまんま、尻尾を巻いて逃げだしたりはしないだろう?」

パウロ
「……当たり前だ!」

パウロは身体を起こして立ち上がると、道場に背を向けた。
後ろからは師範を讃える門下生たちの声が聞こえる。

パウロ
(精神面? なんだそれ!)

パウロ
(気持ちだけで強くなれるなら、それこそ道場なんて存在意味ないだろう!?)

道場の看板を睨みつけて、パウロは苛立ちを抱えたまま町へ繰り出した。

しかし、苛立ちが隠せていなかったのか、その日に限って女の子が捕まらない。

深夜――。
パウロは忍びこむように道場に戻って来た。

パウロ
(! 誰かいる……?)

物音が聞こえて中を覗くと、そこには剣を振る人影があった。

リーリャ
「ふっ……はぁ! ッ、やあッ!」

パウロ
(なんだ、リーリャか)

パウロ
「こんな時間に自主練してるの?」

リーリャ
「!? パウロ!?」

声をかければ彼女は勢いよく振り返り、手にしていた練習用の剣を落とした。
近づいて剣を拾って見れば持ち手に血が滲んでいる。

パウロ
「手、怪我してるのか?」

リーリャ
「あんたには関係ないでしょ」

パウロ
「まともに握れない手で剣を振っても、なんの力にもならないだろう?」

リーリャ
「!!」

パウロ
「無駄なことしないで、これからふたりで遊びに行かないか?」

パウロはリーリャの腕を引いて抱きよせる。
腰に手を回せば、彼女の身体が強張った。

パウロ
「夜にしかできない遊びがあるんだ。
俺が手取り足取り教えてあげる」

リーリャ
「ふざけないで!」

パウロ
「っと……」

振り上げられたリーリャの手を掴む。
殴られずに済んだ。
リーリャは憎々しげにパウロを睨みつけている。

パウロ
「危な……。
水神流の剣士が平手打ちか?」

リーリャ
「うるさい! なんなのよ、あんた!
急にうちに来たと思ったら、修行もしないで遊んでばっかり……!」

リーリャ
「それなのに父さんはあんたに期待して、腕を認めてる!! 真面目に修行に打ち込む、
門下生のみんなじゃなくてね……!!」

パウロが現れて以来、リーリャには鬱憤が溜まっていたのだろう。
パウロの登場で家庭内もギスギスしている。

リーリャ
「それなのに、あんたは……!
期待に応えようって思わないの!?」

パウロ
「……言いたいことはわかるけど、そういう風には思わないな」

パウロ
「勝手に期待されるのも、勝手に失望されるのも、俺には迷惑でしかない」

リーリャ
「ッ……! なんで、あんたみたいなヤツに……!」

リーリャがパウロをつき飛ばすように押した。
パウロは彼女から手を離して数歩下がる。

自分を睨みつけてくる目を見て、パウロの胸がドキリと跳ねた。

パウロ
(なんだ、これ……?)

パウロ
(あきらかに俺を嫌ってるくせに、嫌悪感や不快感だけじゃない目で見てきてる)

リーリャ
「どいて!」

パウロ
「あ、うん……」

動揺している間にリーリャはパウロを残して道場を出て行ってしまう。

リーリャ
「……なんであんなヤツに、父さんが認めるくらいの才能があるのよ……!」

出て行く間際に彼女が吐き捨てた言葉は、パウロの耳に届く。
それを聞いて腑に落ちた。

パウロ
「ああ、なるほど……。
嫌いで、嫉妬してるだけじゃないのか……」

リーリャはパウロを疎んでいるのと同時に、剣術の才能を認めてもいるのだろう。
それこそ、自分と比べて嫉妬するほどに。

そう思うと、リーリャに向けられた清濁混じった目は、なかなかに心地のいいものなのかもしれない。

パウロ
(あの目を見ていられるなら、もう少しここに顔出してもいいかもしれないな)

パウロ
「……で、オーガスタはすぐに負かす!
次は油断しない。絶対に倒してやる……!」

パウロは意気込み、次の日から比較的ひんぱんに道場に顔を出すようになった。
……とはいえ、ほとんど毎回遅刻しているのだが。

それからしばらくして――。
パウロとオーガスタの戦績が二十戦を超えた頃。

オーガスタ
「ハハッ、今日はおれの勝ちだな。
これで戦績は十一勝十敗。
またおれが勝ち越しちまったねぇ……」

パウロ
「クソッ!」

パウロ
「今日の技、なんだよ!
これだけ毎日やってたのに初めて見るぞ?
今まで隠してたのか!?」

オーガスタ
「水神流には基本の技も応用の技も、それこそ山のようにある。
たった二十戦程度で全部見た気になっていたのかい?」

パウロ
「ッ……」

ぐうの音も出なかった。
オーガスタはとにかく手札が多い。
そのためパウロは手が読めず、なかなか勝ち越せずにいた。

オーガスタ
「うんうん、いい顔だ。
自分の知らない剣を見せられて悔しいか?
おまえさんが頼むなら教えてやってもいいぞ?」

パウロ
「それってつまり……、正式に弟子入りしろってことだろう?
絶対にお断りだ!」

オーガスタ
「ハハッ、残念だ。
気が変わるのを待つとするか。
おまえさんをボコボコにしながら」

パウロ
「お前……!
俺を痛めつけて楽しんでるだろう!?」

オーガスタ
「そんなまさか!
楽しんでいるのは否定しないが、そういう意図で楽しんでいるわけじゃない」

オーガスタ
「長いこと研鑽をつんできた剣士として、腕を試せる機会が楽しくないはずないだろ?
おまえさんにもわかるはずだ」

確かに気持ちはわかる。
けれど素直に答えるのが癪で、パウロはその問いには答えなかった。

パウロ
「……明日は戦績を五分に戻す」

オーガスタ
「ん? ああ、明日は無理だ。
人が来ることになっていてな」

パウロ
「人?」

オーガスタ
「気になるかい? 気になるだろう?」

パウロ
「いんや、特には」

オーガスタ
「そうかそうか!
そんなに気になるなら教えてあげよう!
なんと明日! この道場に――」

オーガスタ
「水神様がいらっしゃるんだ!」

自慢げに胸を張り、オーガスタが宣言する。
道場内に沈黙が流れた。

オーガスタ
「ん、んん? なんだこの反応?
ちょっと予想してたのと違うんだが……」

リーリャ
「と、父さん……い、いえ、師範……。
あ、あああ明日、あの、水神レイダ様がいらっしゃるんですか……?」

オーガスタ
「ああ! みんなを驚かせようと、今日まで秘密にしてきたが――」

リーリャ
「な、なななんで秘密になんてしてるのよ!!
水神様がいらっしゃるのに、なんの準備のできてないじゃない!!」

リーリャの家の門下生A
「ど、道場の大掃除だ!
ああ! 道場までの道の清掃も!!」

リーリャをはじめとする門下生たちが、バタバタ動きはじめる。
オーガスタは何がなんだかわかっていないようだ。

パウロ
(水神……水神流で一番強いヤツ……。
いったいどんな人なんだろう?)

剣を握る手に自然と力が入る。
知らず知らずのうちにパウロは笑っていた。

4話【破門】

水神レイダ――。

剣術を極めんとする者で、その偉大な名前を知らない者はいない。
水神流の剣士であればなおさら。

パウロ
(おお……)

パウロ
(寝坊した時はどうなるかと思ったけど、ちょうどいいタイミングだったな)

女の家から道場へ直接来てみると、誰もが待ちに待っていたその人は、すでに到着しているようだった。

パウロ
(すごい人数だ……。
道場の人間以外も集まってるのか)

パウロ
(あれ? 道場の天井が壊れてる?
何かあったのか?)

パウロは人が密集している場所を避けて、少し離れたところから道場の様子を窺うことにした。

パウロ
(オーガスタと向かい合ってる……。
あの人が水神レイダなのか?)

パウロ
(オーガスタと同期って言ってたから、……五十代!? それであんなに美人なのか!?)

あまりの衝撃にパウロはあんぐりと口を開ける。
主流の流派のひとつ、水神流の頂点に君臨する女にパウロは見惚れてしまった。

オーガスタ
「あー……つかぬことを聞くが、天井を破って登場する意味はあったかい?」

レイダ
「意味はないさ。
ただ、かっこいいと思わないかい?
いざって時に上から登場するってのは」

オーガスタ
「はぁ……おまえさんもいい歳なんだ。
少しは落ちつけないもんかね……」

レイダ
「あたしのことをどうこう言えるくらい落ちついたってのかい?
昔のあんたはどこにいっちまったのか……」

レイダ
「まぁ、いいさ。
かたっ苦しい話はここまでにしておこうかね」

昔馴染み同士の気軽な会話が交わされていたが、不意に道場の中に流れる空気が変わる。

レイダ
「剣士同士が顔を合わせたんだ。
やることはひとつしかないだろう?」

オーガスタ
「水神の相手をしろと?
おまえさんの強さは同期のおれが一番わかってる。
何せ水神の襲名を間近で見ていたんだから」

レイダ
「ごたくはいい。
さっさと剣を構えな。
久しぶりに揉んでやろう」

オーガスタ
「ハハッ、そうかそうか。
……お手柔らかに頼むぞ」

鍛錬用の剣ではない。
オーガスタは鈍く輝く武骨な剣を、レイダは黄金色の剣をそれぞれ構えた。

そして、火花が散る。
剣同士がぶつかる音が遅れて響いた。

その場には多くの人間が集まっていたが、全てのやり取りを目で追えた者がはたして何人いただろう。

レイダ
「おもしろいね。
今の攻撃も受け止めたのかい」

オーガスタ
「ハハッ、そりゃどうも!
水神様に褒められたなんて光栄だ!
ますます道場の名が売れてしまう、なッ!」

レイダ
「相変わらずおしゃべりな野郎だ。
あたしとやり合ってる時にここまで饒舌なのはあんたくらいなもんだよ」

オーガスタ
「おしゃべりは褒め言葉だ。
おれはこの口数の多さでフルートを口説き落としたんだからな!」

レイダ
「剣士がきいて呆れるね。
そこは剣の腕で口説かないかい。
なかなか悪くないもんを持ってるんだから」

オーガスタ
「悪くないもん、か……。
手心を加えられながら言われても、なッ!」

レイダ
「加えてないと、あんたはとっくに真っ二つさ」

ふたりの手合わせに群衆は歓声を上げている中、パウロは言葉を失う。

水神流の実力者同士の斬り合いに、パウロはただただ見入ってしまっていた。

パウロ
(オーガスタが水神に食らいついてる。
あいつと俺の戦績は五分五分……)

パウロ
(じゃあ、俺が水神とやり合ったとして、これだけのことができるのか?)

心臓がバクバクと早鐘を打つ。
知らずに握っていた手が震えている。

パウロ
(水神レイダ……)

パウロ
(剣筋が黄金色の閃光に見える……。
無駄のない動きって、こういうことを言うのか……)

パウロ
(これが水神流を極めた者の動き……。
しかも本気じゃないって言うんだから、驚異的だな)

レイダを見つめていたパウロの目に、彼女がハッと笑うのが映った。
そして、またたきの間。

パウロ
「え?」

レイダの身体がブレて、オーガスタの武骨な剣が弾き飛んだ。

パウロ
「今の、なんだ……?」

パウロの呟きを拾う者はいない。
それどころか、レイダの動きが変わったことに気づいた人間もどれほどいたことか……。

オーガスタ
「……はぁ、降参だ。
やっぱりレイダには敵わないな」

レイダ
「ハッ、最初からわかってたことだろう?
それなのにあたしの首を狙ってくるとはね」

オーガスタ
「おれが本気で水神様を……、おまえさんを倒そうとしていたと?」

レイダ
「違うのかい?」

オーガスタ
「これでもおれは、気のいい穏健派の師範で通っているんだがな。
古いつき合いの奴はこれだから……」

レイダ
「強い相手の首を獲りたいと思うのは、剣士の性ってもんさ。
あんたは師範の前にいっぱしの剣士ってことさね」

レイダ
「……よし、決めたよ。
あたしの首を獲る手助けをしてやろう」

オーガスタ
「手助けだって?
またわけのわからないことを……」

レイダ
「水神様であるあたしが鍛えてやろうかね。
しばらく邪魔させてもらうよ」

水神流の道場にとって水神の逗留は光栄なことだ。
オーガスタが一も二もなく承諾すると、レイダは愉快そうに笑った。

その日の夜――。
食卓は異様な雰囲気に包まれていた。

パウロ
(俺は空気、空気だ)

パウロはパンにかぶりつく。

レイダ
「あんたは独り身を貫いて、剣の道を生きていくと思っていたよ。
おれは女に興味ないって顔してたからね」

レイダ
「それなのにいつの間にか結婚して、可愛い娘までいるんだから驚きさね」

オーガスタ
「ハハッ、昔の話を持ち出すな。
まぁ、リーリャが可愛いってのはそのとおりだけどな。
歳とってできた子だから余計にそうさ」

レイダ
「開き直った親バカだね。
リーリャも剣術を?」

リーリャ
「は、はい!
ちちち父の元で学んでいます!」

レイダ
「そんなに緊張しなくてもいい。
あんたの親父とは子供の頃からの仲だからね。
そうだ。明日は剣を見てやろう」

リーリャ
「本当ですか!?
水神様にご指導いただけるなんて光栄です!!」

オーガスタ
「ハハッ、良かったな、リーリャ。
おまえさん、明日の朝稽古は気合いを入れないとな」

レイダ
「あんたの娘さ。きっと筋がいい」

明るい声で、和やかに会話をする3人を横目に、パウロはふたつ目のパンにかぶりつく。

フルート
「………………」

パウロ
(お、おお……すごい温度差だ……)

パウロ
(……ま、わからなくもないけどな)

剣に生きる夫と娘。
剣など振ったこともないフルートにとって、それは理解できない、簡単には触れられないものだろう。

そこによその女が入った。
しかも夫とは旧知の仲で、娘も女を慕っている。

パウロ
(いくらレイダが水神だって言っても、フルートには関係ないんだろう)

パウロ
(だってフルートは旦那が剣術師範ってだけで、剣を知ってるわけじゃない)

パウロ
(フルートはレイダを女としてしか見れないんだ)

フルート
「………………」

疎外されていると感じているのだろう。
不快感を覚えているが表に出すのは失礼なので我慢し、結果的に表情が硬くなっている……という感じだ。

パウロ
(その気持ちはわからなくもないんだよな)

だがあえて間に入るようなことはしない。
パウロは3つ目のパンにかぶりつくのだった。

翌日、道場は朝から満杯になっていた。
それを横目にパウロは町に繰り出す。

女A
「ふふふ、まさかこんなに若い子に声をかけられるとは思っていなかったわ。
あなたにしてみたら、私なんておばさんでしょう?」

パウロ
「そんなことないよ。
歳なんて関係なく、綺麗な人がいたから声をかけずにいられなかったんだ」

女A
「可愛いこと言うのね。
じゃあ今日はたくさんイイコトしてあげる。
若い子ができないようなコトを、ね……」

道場には水神レイダ目当ての剣士が溢れ、住み込みをしている家にはギスギスした空気が流れている。

パウロ自身も水神には興味があったが、面倒を避けたくて自然と足は離れていく。
その日、パウロは一週間ぶりに道場に足を運んだ。

パウロ
「ん……?」

道場の門をくぐってすぐ違和感に気づく。

パウロ
(初日よりも人が少ないような……?
まさかもう群衆は水神様に飽きたのか?)

首を傾げながら中に入ると、顔に憤怒の色を浮かべたリーリャが近づいて来た。

リーリャ
「パウロ! 今までどこに行ってたの!?」

パウロ
「どこって言われてもな。
よくしてくれる女の人の家を転々としてたから、はっきりとは答えられない」

リーリャ
「あんたがいない間、大変だったのよ!」

パウロ
「どういう意味だ?
水神様目当ての客をさばくのが大変だったのか?
それなら俺がいてもいなくても一緒だと思うけど」

リーリャ
「そうじゃないわ!
水神様じゃなくてあんたの客が来てたのよ!」

パウロ
「俺の客?」

パウロ
(もしかして……)

パウロの頭の中に、この町で別れた面子の顔がよぎる。
先日、彼らが町を出たと風の噂で聞いた。

パウロ
(まさか戻って来たのか?)

パウロが反応できずにいると、リーリャがきつく睨みつけてくる。

リーリャ
「あんたを訪ねて毎日ゴロツキが来てるの。
お礼参りなんですって」

リーリャ
「あんた、この町に来てからずいぶんと派手に暴れてたみたいじゃない。
町のゴロツキをボコボコにしてたんでしょう?」

心当たりはある。
強奪という形で日銭を稼ぎ、旅の資金にしていた頃の話だ。

パウロ
「なるほどな。
俺がこの道場にいるって知って、お礼参りに来たってことか」

リーリャ
「なるほど、じゃないわよ!
水神様がいる時にゴロツキが道場破りに来るなんて、恥さらしもいいところだわ!」

パウロ
「そう怒鳴るなよ。
実害は出てないんだろう?
だったら別にいいじゃん」

パウロ
「道場にはお前の父親も、それこそ水神様だっているんだ。
ふたりに任せておけば平気だって」

リーリャ
「開き直らないで!
あんたの不始末なのよ!?」

リーリャ
「もう我慢できないわ!
うちから出て行って!」

パウロ
「出て行けって言われてもな。
俺を引き留めてるのはお前の父親だぞ」

怒り心頭なようでリーリャの顔は真っ赤だ。
彼女は手に持つ剣をパウロにつきつけた。

リーリャ
「だったら、私が追い出すわ」

パウロ
「リーリャが力ずくで?
言いたくないけど、無理じゃないか?」

リーリャ
「バカにしないで!」

リーリャが攻撃を仕掛けてくる。
パウロは仕方ないとばかりに、剣を構えて迎えうった。

リーリャ
「確かにあんたのほうが、才能はあるのかもしれない……!
でも、私のほうが努力してる!」

パウロ
「ああ、ぐうの音も出ないな!
真夜中に修行?
俺は絶対そんなことしない!」

リーリャ
「ッ……嫌いよ!
あんたみたいな堕落した人間!」

リーリャの横薙ぎの一閃。
パウロは剣筋を見極めて、相手の剣を下から跳ね上げた。
彼女の手から剣が離れて地面に落ちる。

パウロ
「嫌いなんてショックだな。
俺は好きだぜ、リーリャのこと」

リーリャ
「ふざけないで!」

パウロ
「ふざけてるもんか。
リーリャの顔も身体もすごくそそる。
今すぐ手を出したいくらい、俺好みだし」

パウロ
「ああ、こうして俺が勝ったんだから何かしてもらおう。
そうだなぁ……今夜、リーリャの部屋に――」

レイダ
「その辺にしときな」

パウロ
「!!」

背後で聞こえた声に驚き、パウロは身体を反転させながら持っていた剣を振るう。
しかしそれは、あっさりと受け止められた。

レイダ
「オーガスタに聞いてたとおり、こりゃ確かに腕の立つ小童のようだね。
いい動きをしていたよ、だから……」

レイダ
「少し痛い目を見たほうがいい」

パウロ
「なっ!?」

視界の端で黄金色の剣が動いた。
咄嗟に剣で受け止めるが、あまりの重さに腕が痺れる。
それでもすぐ反撃に転じれば、レイダがニヤリと笑った。

レイダ
「この程度かい?」

パウロ
「!?」

何が起きたか理解する前に、パウロは地面に叩きつけられていた。

パウロ
(冗談だろ……遠くからは見えてたのに、近くで切り合うと剣筋がまったく見えなかった……)

なんとか身体を起こし、地面に膝をついたままレイダを見上げる。
余裕綽々といった顔で見下ろされ、パウロは唇を噛んだ。

レイダ
「あんたには才能がある。
だが、強さを求める渇望がないようだね」

レイダ
「そんな調子じゃ才能も腐っちまう。
そのうち誰にも勝てなくなるよ」

水神流の頂点。
水神レイダにきっぱり言い切られて、さすがのパウロも言葉を失くす。

パウロ
(俺が、誰にも勝てなくなる……?
何を言ってるんだ?)

パウロ
(俺が弱くなるって言ってるのか?
そんなわけないだろう)

レイダの言葉の真意がわからない。
パウロは顔を歪めてレイダを睨む。

レイダ
「あんたは明日から毎日、道場へ来な。
あたしが直々にその腐った性根を叩き直してやるさね」

レイダ
「オーガスタ!
こいつはあたしが預かるよ」

オーガスタ
「おれの秘蔵っ子なんだが……。
まぁ、水神様に言われちゃ逆らえないな。
揉んでやってくれ」

パウロ
「おい! 勝手に話を進めんなよ!」

パウロ本人をよそに勝手に話が進んでいく。
我慢できずに怒鳴り散らした。

パウロ
「水神流のヤツにとっての水神はたいそうなモンかもしれないけど、俺には関係ない!
ふざけたこと言うなよ!」

基本的に女性には礼を欠かさないパウロには珍しく、レイダに牙を剥く。年上の美人という良い印象は消え、今となっては憎々しい相手だ。

レイダ
「それだけ吠えられるなら遠慮はいらないね。
さっさと剣を構えて向かってきな」

パウロ
「………………」

レイダ
「あんたがあたしにかすり傷ひとつでも与えられたら、すぐにでも解放してやるさ」

パウロ
「かすり傷って……、さすがに俺を舐めすぎだろう?」

レイダ
「そっちこそあたしを舐めてるのかい?
あんたごときが、水神様にかすり傷を負わせられるって?
ハッ、馬鹿言ってんじゃないよ」

唇の端をつり上げてレイダが笑みを浮かべた。
彼女の表情にパウロの苛立ちが募る。

レイダ
「それでどうする?
尻尾を巻いて逃げだすのかい?」

レイダ
「もしそうなら、あんたにお似合いだね。
何せ負け犬の顔をしているんだから。
あんた、何かから逃げた経験あるだろう?」

レイダの言葉にパウロの頭に血が昇る。

パウロ
「うるさい!
俺は逃げてなんてない!」

カッとしたパウロは反射的に地面を蹴り、レイダに向かって飛びかかった。

数日後、パウロはこの時の浅はかな行動を、心の底から悔いることになる――。

オーガスタ
「おはよう、パウロ! 今日もいい朝だな!
さあ、道場へ行くぞ! ……ああ、お嬢さん、扉の修理代は後ほど持ってこさせるから悪しからず」

昨夜知り合ったばかりの女の家で朝を迎えると、オーガスタが扉を蹴破ってやって来た。
パウロは毛布の中で身体を丸める。

パウロ
「……行かない」

オーガスタ
「馬鹿なこと言うんじゃない。
レイダがおまえさんを待ってるんだぞ?」

オーガスタ
「おまえさんだってレイダに勝つつもりで斬りかかって行ったんじゃないのか?」

パウロ
「それは初日の話だ。
今はまったくそんな気はないから。
あんなバケモノの相手できるかよ……」

パウロ
(あの時は挑発されて頭に血が昇って、冷静な判断ができなかった)

パウロ
(かすり傷くらいならって思ったけど、今となったら、勝てる気がまったくしない……)

身体を丸めたまま、傍らの女の柔らかい裸体に抱きつく。

オーガスタ
「水神様に個人的に修行をつけてもらえるのが、どれだけ光栄なことか、わかっちゃいないようだな」

パウロ
「ああ、わかんないな。
俺はお前と違って水神流の剣士じゃないから」

オーガスタ
「……まだそんなこと言ってるのか。
おまえさんほどのセンスがあれば、もうすでに、水神流の技のいくつかは身についてんだろう?」

パウロ
「さーな」

オーガスタ
「まぁ、どんな返答でも構わん。
無理矢理にでも道場につれて行くからな!」

パウロ
「……わからない。
なんでそうやる気に満ち溢れてるんだ?」

パウロ
「毎日、朝から俺を探して連行して……。
そんなに俺がボコボコになるのを見たいって?」

オーガスタ
「皮肉を言ってくれるな。
レイダとの手合わせはおまえさんの糧となり、確実に剣士としての格が上がる」

オーガスタ
「そして、いつかおまえさんが――」

女A
「……ねぇ、なんでもいいから、そういう話はうちを出て行ってからにして。
毛布で隠れてるとはいえ、私、素っ裸なんだけど?」

パウロ
「……ごめん」

女が怒っている……当然だ。
睦言を交わし合った昨夜の情事がなかったかのように、パウロはオーガスタと共に部屋を追い出された。

そして、道場につれて来られたパウロが足を踏み入れると、すでに鍛錬を始めていた門下生たちから、白い目を向けられる。

パウロ
(レイダを呼びに行ってオーガスタがいない……。
こいつら、やることが明け透けだな)

リーリャの家の門下生
「パウロ!
水神様を待たせるとは無礼にもほどがあるぞ。
頭を下げてお詫びしろ!」

パウロ
「待たせるも何も、あいつは一日中、道場にいるんだ。
俺がいつ来ようが問題ないだろう?」

リーリャの家の門下生
「あ、あいつだと!?
不敬だ! 許されないことだぞ!」

門下生たちが同調してパウロを責め立てる。
彼らに嫌われていることは知っていた。

パウロに因縁のあるゴロツキが道場を荒らし、師範を敬わないどころか恥をかかせ、水神すら軽んじている。

パウロ
(俺より弱いくせに、いっちょ前に嫌悪感を向けて敵視してくる……)

パウロ
(ここんとこ毎日、そんなヤツらの前でレイダにボコボコにされて、嘲笑されてるんだ)

ストレスが溜まっているせいか、苛立ちやすくなっている。
それに加えて周囲に見下される状況は、パウロに実家にいた頃のことを思い出させた。

パウロ
(いっそレイダにやられる前に、こいつらをまとめてやっちまうか?)

物騒な考えに身を任せてしまおうと剣を握り直した時、後方がざわつき、その人は現れた。

レイダ
「あんたたち、何を遊んでるんだい?
道場に来て剣を振らずにどうする。
リーリャを見習いな」

レイダの示す先ではリーリャがひとり、一心に剣を振っている。

パウロ
(相変わらずバカ真面目だな)

パウロ
(あれが身につけばいいけど、今のとこそんな感じはなさそうだ)

オーガスタ
「水神様の言うとおりだ。
準備は終わっているんだろうな?
さっさと始めるぞ」

リーリャの家の門下生
「はい!」

パウロ
(ハンッ! 俺につっかかって来る時とは別人みたいに従順だな!)

パウロが内心で毒づいていると、レイダが近づいてくる。
すぐ傍まで来ても、足音は聞こえなかった。

レイダ
「今日はどれくらいもつだろうね?」

パウロ
「……チッ、知るかよ」

パウロ
「全部あんたのさじ加減じゃないか。
どうせ今日も途中まで手加減して、飽きた頃にぶちのめすんだろう?」

レイダ
「それが嫌なら強くなることさ。
弱いままで不平不満を言おうだなんて100年早い」

勝てる気はしないが、逃げられる気もしない。
追いつめられたパウロは、苛立ちをぶつけるようレイダに斬りかかった――。

パウロが目を開けると、そこはオーガスタに与えられた部屋の中だった。
窓の外は暗くなっている。

パウロ
「気絶してた、のか……ッ、いってぇ……」

首の裏が鈍く痛む。
背後に回ったレイダから首に一撃を入れられたのかと、パウロは自分が負けた状況を推測する。

パウロ
「ぜんぜん、覚えてない……」

意識をなくす前後のことは記憶にない。
首以外、腹や足にも痛みがあり、一瞬でボコボコにされたのだと悟った。

パウロ
「全力で向かっても、あっちにとってはお遊びってわけか……。
ハハッ、やってらんねー……」

乾いた笑みを浮かべた時、パウロの腹が空腹を訴えて鳴いた。
こんな気持ちでも腹は空くらしい。

パウロ
「……身体は正直だな」

パウロは食べ物を探してキッチンへ向かう。

パウロ
(あ?)

キッチンには先客がいた。
否、先客ではなく主と言うべきだろう。
彼女はワインを飲んでいた。

パウロ
(空き瓶があんなに……酔っ払ってるのか?)

フルート
「……なんの用かしら?」

パウロ
「なんの用っていうか、何か食べ物があったらもらおうかと思って」

フルート
「食事の時間はとっくに終わったわ。
貴方の分は残っていない。
全部あの女たちが食べてしまったもの」

パウロ
(あの女ねぇ……)

フルート
「オーガスタもリーリャも食べ終わったらすぐ、あの女と一緒に道場へ行ってしまったわ」

フルート
「彼女が来てから、うちはバラバラよ!
ふたりとも毎日毎日、剣術、剣術って……!
私との時間なんてどうでもいいみたいに……!」

両手を胸の前できつく握り、フルートは真っ赤な顔で不満を吐き出していく。

フルート
「……全部、貴方が来てからおかしくなったの!」

パウロ
「俺のせいにされてもな。
どっちかって言うと、オーガスタだろう?」

フルート
「やめて! 貴方があの人を悪く言わないで!」

パウロ
(自分が悪く言うのはアリだけど、他人に言われるのはナシってことか?)

フルート
「貴方は……疫病神よ」

フルート
「関わる人間をみんな不幸にする……」

パウロ
「!! 俺のことそんなに知らないくせに、好き放題言ってくれるな」

フルート
「わかるわ!
だって実際、私は不幸になってるもの!
この、疫病神!!」

パウロ
「っと!」

ワイングラスが飛んできた。
パウロは軽い足取りで避け、背後でグラスが割れる。

パウロ
「飲みすぎじゃないの?」

フルート
「うるさい!」

パウロ
「おー、こわ!」

フルートは目をつり上げて怒っていた。
今度は空き瓶でも投げられそうだ。
パウロはさっさと退散することにした。

パウロ
(家族のアレコレに巻き込まれるのは面倒だ。
……そろそろ潮時かもしれないな)

パウロ
(本格的に旅の資金を稼ぎ始めるか。
けどその前に、とりあえず今は……)

パウロ
「今晩のメシと宿を確保しないとな」

ひとまず家を出ようとしたパウロだが、ふと思い出したかのように足を止めた。

パウロ
「そういえば……俺の剣、どこだ?」

気絶して運ばれた部屋にはなかった。
道場に置き去りにされたのだろうか?

パウロ
(今はレイダたちがいる。
道場には行けないか……)

パウロ
(ま、明日でもいいや)

武器を持たずに夜の町へ繰り出したパウロだが、大きな問題もなく朝を迎えることができた。

太陽が高く昇った頃。
パウロは女の家から直接道場に足を運んだ。
レイダとオーガスタは不在らしい。

パウロ
(ん? リーリャもいないのか。
あの真面目ちゃんがいないなんて珍しい)

門下生たちが修行をする傍ら、パウロは剣を探してまわっていたのだが……。

パウロ
(おっかしいな……。
道場のどこにもないぞ?)

パウロ
(ここじゃないのか?
オーガスタが預かってたりして……)

リーリャの家の門下生
「おい、パウロ。
何も持たずに道場に来るなんて、いったいどういうつもりだ?」

パウロ
「お前には関係ない。放っておいてくれ」

門下生に声をかけられて、パウロは露骨に嫌そうな顔をする。

リーリャの家の門下生
「放っておけるはずないだろ?」

パウロ
「?」

リーリャの家の門下生
「剣術道場に剣を持たず来るなんて、非常識にもほどがある! それともまさか、素手で剣を相手に修行するつもりなのか?」

リーリャの家の門下生
「だとしたならば、この私が協力しよう!
何せ……兄弟子だからなッ!」

青年が突然に剣を振るってきた。
パウロは不意打ちの一撃を避けて距離を取る。

周囲を見わたせば、他の門下生たちがにやけながらパウロを囲んでいた。

パウロ
「……そういうことか」

パウロ
「俺の剣はどこだ?
お前らが隠したんだろう?」

リーリャの家の門下生
「知らないな!
適当なことを言うんじゃない!」

一閃、二閃、三閃……次々と攻撃を仕掛けられる。
剣がなくても避けるだけなら簡単だ。
だが、反撃ができない。

パウロ
「武器を持たない相手に剣を向けるなんて!
名門道場の門下生が聞いて呆れるな!」

リーリャの家の門下生
「なんとでも言え!
ここにお前をかばってくれる師範はいない!
今日こそ叩き斬ってやる! 疫病神!」

パウロ
「!!」

パウロ
(疫病神って言ったか?)

パウロ
(まさか、こいつらが調子に乗ってるのは、バックに師範の妻がいるからとか……?)

そうでなければ名門道場に通う剣士が、相手の武器を隠した上で襲いかかるなんてマネを堂々とできるはずがない。

パウロは舌打ちをして拳を握る。

パウロ
「……上等だ! お前らまとめてやってやる!」

思い出すのは、ラッドの戦い方だ。
周囲にある物をなんでも使っての戦い――。

パウロ
(まずはひとり倒す!
そいつから剣を奪って反撃だ!)

徒手空拳を身につけているわけではないが、パウロは素手で門下生たちに向かって行く。

攻撃を受け止めることができない分、軽やかな動きで避け、急所を狙って拳を振りぬいた。
やがて――。

パウロ
「………………」

立っていたのは、パウロだけだった。

門下生たちは血まみれで倒れている。
パウロはそのうちのひとりの胸ぐらを掴んだ。

パウロ
「はぁ、はぁ……俺の勝ちだ。
剣をどこにやった?」

リーリャの家の門下生
「……ッ……ぅ……」

パウロ
「ボコボコにされて話せないってか?
ずいぶんと情けない姿だな!」

パウロ
「人の剣を隠すような姑息なマネしてやられたヤツらには、お似合いの姿かもな!!」

門下生から手を離して床に投げ、パウロは道場を出ようと扉を開けた。

リーリャ
「!!」

パウロ
「お前か……チッ、そこ退け!」

リーリャを押しのけて外に出ると、パウロはそのまま道場に背を向けて歩き出す。
そのまま道場はもちろん、家にすら帰らなかった。

旅の資金を貯めながら女の子と遊ぶ毎日。
気づけば10日が経過していた――。

オーガスタ
「見つけたぞ!」

パウロ
「オーガスタ?」

ひと仕事終えて今日の夕食の店を探していると、パウロの前にオーガスタが現れた。

パウロ
「……よく俺の居場所がわかったな。
町こそ出てないが、けっこうあちこち移動してたんだけど」

オーガスタ
「おまえさんはずいぶんと暴れてるようだからな。
ゴロツキ共にあたってみたら、こうして居場所がわかったってカラクリさ」

オーガスタ
「休みは満喫しただろ?
そろそろ道場に戻って来い」

パウロ
「冗談じゃないな。
俺はもう戻るつもりはない。
金が貯まったら旅に出る」

オーガスタ
「……門下生たちがしたことは聞いた。
リーリャが一部始終を見ていたらしくてな……。
おまえさんの剣はリーリャが見つけて持ってる」

オーガスタ
「あいつらには厳しく指導しておいたから、もう二度とこんなことは起こらない。
だから、このまま残ってくれないか?」

オーガスタの言葉にパウロは眉を寄せる。
不快感もあったが、何よりも解せないのだ。

パウロ
「ずっと疑問だった。
なんでそこまで俺にこだわる?」

パウロ
(まさか俺の素性を知ってる?
ノトス・グレイラットの名前が欲しいとか?)

オーガスタ
「……おれとフルートは結婚こそ早かったが、なかなか子供ができなかった。
リーリャは歳を取ってからできた子供でな……」

パウロ
「? 急になんの話だ?」

オーガスタ
「うちは名門と云われているが残念ながら跡取りがいない。
リーリャも頑張ってはいるが、道場の看板を背負うには実力が足りないのが現状だ」

オーガスタ
「いずれリーリャに婿をとらせて道場を継がせるつもりでいた。そのための条件は、リーリャよりも腕の立つ者であること……」

パウロ
「もしかして……俺に、リーリャと結婚しろって言ってるのか?」

オーガスタ
「おまえさんには才能がある!
でもそれだけじゃない!」

オーガスタ
「パウロの剣は人の目を惹きつける!
今でもそうだ! これから先も腕を磨き続ければ、ますますおまえさんの剣技は輝きを増すだろう!」

オーガスタ
「それこそ……水神の黄金色の輝きすら霞むほどに!」

オーガスタはパウロに夢を見ていた。
それが父親としてなのか、剣士としてなのかはわからない。

パウロはそのことに気づき、オーガスタが自分にこだわる理由がわかった。

パウロ
「つき合いきれないな」

オーガスタ
「まだまだ、おまえさんに教えることがある。
道場に戻って来い!」

パウロ
「……いいや、ないよ。
お前に教わることはもうない」

パウロは剣を構える。
ゴロツキから巻き上げた安物だ。

オーガスタ
「口で言って聞くような奴じゃないか……。
ハハッ、いいだろう。
いつものように力ずくでつれ帰る!」

先手必勝。
そのスタイルは変わらない。
パウロはオーガスタに向かっていく。

剣を一閃すれば簡単に避けられ、カウンターが飛んできた。

パウロ
(大丈夫、どんな話を聞いたあとでも、俺は冷静でいられてる)

パウロ
(太刀筋だってよく見える。
負ける相手じゃない!)

折檻とも思えるレイダとの個人特訓は、本人が意図しないうちに糧になっていた。

以前は拮抗していた戦績の相手など、敵ではない。

オーガスタ
「!?」

オーガスタのカウンターに合わせて、剣を振りぬく。
剣速はパウロが勝っていた。

時間にして十数秒。
パウロはオーガスタの剣を弾き、喉元に切っ先をつきつけた。

パウロ
「戦績が並ぶのはこれで最後だ」

オーガスタ
「まさか……短期間でここまでの力を身につけていたなんてな……。
ハハッ、実力の差がここまで広がっていたとは……」

パウロ
「もう力ずくで道場につれて行かれることはない。
自分から行くことも絶対にないから、俺たちの関係はここまでだ」

つきつけていた剣を下ろす。
その瞬間、背筋がゾワゾワと粟立った。

レイダ
「だったらあたしがつれて行こうかね」

パウロ
「ッ!」

パウロ
(斬られる……!)

反射的に振り向きざまに剣を振るうと、黄金色の剣とぶつかった。
と、同時に音を立ててパウロの剣が折れる。

レイダ
「安物の剣を使うからだ。
敵の前で武器を失うなんて二流もいいとこさね」

パウロ
「ッ……クソッ!」

レイダ
「明日からまた修行をつけてやる。
ありがたく思うことだね」

パウロ
(明日から、また……ボコボコにされて、そんな姿を卑怯なザコに嗤われるのか……?)

絶対にイヤだと唇を噛むが、武器がない上に水神がいる状況では逃げられない。

無情にもパウロはオーガスタの家につれ戻されたのだった。
だが、それで諦めるパウロではない。
その夜――。

パウロ
(みんなもう寝たか?)

パウロ
(出て行くなら、今しかない)

パウロ
(まずは剣を取り戻さないと……。
確かリーリャが持ってるんだよな?)

パウロは足音を立てないように、気配を消してリーリャの部屋に忍び込んだ。

彼女の性格か部屋は整理整頓されており、剣はすぐに見つかった。
リーリャはベッドで寝息を立てている。

パウロ
(俺とリーリャが結婚ね……)

パウロ
(……黙ってれば、けっこう好きな顔と身体なんだけどな)

リーリャ
「……ん、んー……」

リーリャの吐息が漏れる。
パウロは薄く色づいた唇から目が離せなかった。

衣食住を提供してもらうということもあり、最近は年上の女性ばかりと遊んでいた。

好みの外見の、同年代の女の子が眠る姿はとても官能的でたまらない。
パウロはリーリャに馬乗りになった。

パウロ
「……この家に来て、俺のほうこそ散々な目に遭ったんだ……。
最後にこれくらい――」

彼女の首筋に顔をうずめながら、成長途中のふくらみに触れていると――。

リーリャ
「……んっ……ん……?」

リーリャ
「……え……え、あ……?
パウロ……?」

パウロ
「ああ、ごめんごめん。
起こしたか」

リーリャ
「っ、な、何してるの?
ど、どいてよ……! 大声出すわ――」

全てを言い終える前に彼女の口を手でふさぐ。
空いたほうの手でリーリャの腕を掴み、頭の上で押さえつけた。

パウロ
「今後のために教えておいてやるけど、大声出さなきゃいけない状況で、
いちいち大声出す宣言するもんじゃないぞ」

リーリャ
「!! んーっ! んーっ!」

パウロ
「……俺さ、面倒なことって嫌いなんだ。
だけど、けっこう我慢してただろう?」

パウロ
「ムリヤリ道場につれて来られて、朝からずっと稽古に参加させられて、弱いくせにプライドだけはあるヤツらの相手して……」

パウロ
「旦那に近づく女の八つ当たりも甘んじて受けたりして、強すぎる相手にボコられるのに耐えて……」

思い出すだけで腹が立つ。
パウロは苛立ったままリーリャを見下ろした。

パウロ
「もう充分だろう? 俺はここを出て行く」

パウロ
「だけどその前に、苛立ちは全部発散していこうと思うんだ」

これから何をされるのかわかったのだろう。
リーリャが身体をばたつかせて抵抗しようとするが……。

パウロ
「力じゃ敵わないって」

リーリャ
「っ!!」

パウロ
「まぁ、お互いに楽しもうぜ。
俺、けっこう上手いらしいからさ」

これまでに溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、その晩、パウロはリーリャの純潔を散らした。
それから数時間後――。

夜明け前――。
ふと目が覚めたパウロは隣で眠るリーリャを見て、昨晩の自分の行動を思い返し、冷や汗をかいた。

パウロ
(やっちまった……)

パウロ
(……途中からはリーリャも求めてきたし、同意の上だったってことに……なるわけないか!)

リーリャに手を出したことがバレれば、間違いなくフルートがぶちギレるだろう。

パウロ
(さすがのオーガスも怒るよな……それか、責任取って結婚しろって迫られたり……?)

パウロ
「さっさと逃げよう」

考えるまでもなく答えはあっさり出た。
元々出て行くつもりだったのだ。
脱ぎ散らかした服を着て、剣を回収する。

夜明け前の澄んだ空気の中、パウロはそそくさと敷地から出ようとするが――。

レイダ
「やっぱり逃げ出そうとしたね」

パウロの行く手に水神が立ちはだかった。

パウロ
「……まさか、ひと晩中、外に?」

レイダ
「なわけあるかい。
あんたの気配がしたから来たのさ」

レイダ
「あそこまで露骨に気配を隠せないなんて、何か動揺することでもあったのかい?」

パウロ
「! いいや、べつに。
そんなことないけど、うん、これっぽっちも!」

レイダ
「……そうかい。
まぁ、なんにしても止めさせてもらうよ」

レイダ
「オーガスタには恩があるからね。
跡取りとして育てたいやつだっていうなら、逃がしゃしないよ」

パウロ
「あんたに話してたのか……。
だから俺をボコボコにしてまで鍛えて……」

レイダ
「ハッ、馬鹿言うんじゃないよ。
単純にあんたが生意気だから叩きのめしたのさ。
今回もそうさせてもらうよ」

パウロ
「捕まって、たまるか!」

今日も勝てる気はまったくしなかった。
それでも出て行くためには、目の前の高すぎる壁を突破するしかない。

パウロは地面の土を蹴り上げた。
砂粒がレイダに飛んでいくが簡単に防がれる。

レイダ
「ハッ、情けないね。
この程度の小細工でどうこうできるとでも――」

パウロ
「やぁああ……ッ!」

パウロが向かって行く。
レイダの身体がかすかにブレた。

パウロ
(ここ、だ……!)

もう何度も水神の動きを見ている。
もう何度も水神と剣を交わしている。

勝てる気はしない。
だが攻撃という選択肢を捨て、回避と逃走だけに集中すれば――。

レイダ
「!!」

パウロは寸でのところでレイダの剣をかわし、そのまま傍らを駆け抜けた。

パウロ
「服切れてるし……! おっかねぇ!!」

背後から斬りかかってくる気配も、追いかけてくる気配もない。
パウロは振り返ることなく走り去って行く。

レイダ
「全力でなかったとはいえ、避けた……?」

レイダ
「……あのガキ、なかなか恐ろしい剣士になるかもしれないね」

聞く人が聞けば、感動で涙してしまうであろう、水神レイダの言葉は、必死に逃げるパウロの耳には届かなかった――。

冒険者編

1話【冒険者パウロ】

パウロ
「冒険者になるか」

とある日の長閑な昼下がり。
ウィシル領へ向かう馬車の荷台で揺られながら、パウロは不意に呟いた。

女A
「冒険者になりたいの?」

パウロ
「うん、そうそう。
冒険者って自由な感じがするし、俺に合ってる気がするんだ」

女A
「ふふふ、そうかもね。
パウロは縛られるのは似合わないわ」

女A
「でも……縛るのは、嫌いじゃないでしょう?」

女が身体を寄せてくる。
膝の上に乗せられた手に手を重ね、パウロはやわい胸元に顔を近づけた。

女B
「ああーッ! ずるいわ、姉さん!
あたしに馬を引かせておいて、ひとりだけ楽しもうとするなんて!」

女A
「何もずるくないわ!
あなたは昨日の夜にパウロと充分楽しんだでしょう!?」

女B
「はあ!? 昨日だって結局、姉さんが途中で混ざってきたじゃない!」

パウロ
(モテる男はツラいな)

旅の資金が底をつきそうになっていたパウロが、ウィシル領に戻る途中だという行商の姉妹と出会い、同行することになって、早3日――。

美味しい食事と美しい姉妹のおかげで、パウロは気楽な毎日を過ごせている。

パウロ
(次はどこへ行こうかって時に、彼女たちと出会ったのはちょうど良かった)

生家のあるミルボッツ領はもちろんのこと、さんざん暴れまわり、悪名が広がっているであろうアスラ王領にも居続けることはできない。

ないとは思うが、あの水神レイダに未だ追われている可能性も、捨て切れはしないのだ。

パウロ
(貴族の世界は窮屈で、かといって、剣士として道場で修業するのは面倒なことだらけ……)

パウロはこれまでに何度か、冒険者になることを考えたことがある。

パウロ
(ついに行動に起こす時がきたってことだな)

パウロ
(冒険者になれば金も稼げるし、何よりそこには、俺が求めてきた自由がある)

女A
「……ロ! パ……ロ! パウロってば!」

パウロ
「! ん? 何?」

女A
「何? じゃなくて!
パウロが決めてって言ってるの!
わたしと妹、どっちの相手をするの!?」

女B
「あたしよね!?
きみとの夜は一生忘れられないって、言ってくれたもの!!」

女A
「なんですって!?」

パウロ
「え、えっと、それは……」

女A
「どっちにするの!?」

女B
「はっきりして!!」

美しさを霞ませるほどの怒りの形相。
姉妹にぐぐっと迫られ、パウロは冷や汗をかいて、あとずさる。

パウロ
「……どっちか、なんて選べない……」

パウロ
「選ぶためにも、もう1度、3人で試してみるのはどうだろう?」

女A
「………………」

パウロ
(どっちがいいかなんて選べない。
だってどっちとも相性が良かったんだ!)

その後パウロが荷馬車から叩き出されたことは言うまでもない。

ただでさえ少なかった金は数日で完全になくなったが、パウロはなんとかウィシル領入りを果たした。

パウロ
(姉妹との道中が満たされてた分、ひとり旅の味気なさといったら……はあ……)

パウロ
(やっぱり潤いは大事だ。
けど、まずは……)

パウロ
「冒険者ギルドに行こう」

パウロはそこから1番近い場所にある冒険者ギルドへ行き、美人な女性職員に目をつけて声をかけた。

女性職員
「冒険者登録ですね。
こちらの用紙にご記入ください」

パウロ
「名前と職業……」

パウロ
「この名前っていうのは、名前だけでいいの?」

女性職員
「はい、大丈夫です。
それに偽名でも罰則はありません」

パウロ
「そっか」

家名のノトス・グレイラットは、とっくに捨てている。
だから『パウロ』と名前だけを記入した。

続いて注意事項と規約に目をとおす。
子供の頃逃げ回っていた堅苦しい文章に辟易としながら、とりあえず最後まで読んでいく。

女性職員
「書かれましたら、こちらに手を乗せていただきます」

魔法陣が刻まれた透明な板を用意され、パウロは言われたまま手を乗せる。
女性職員が板の端をポンと指で叩いた。

女性職員
「名前・パウロ。
職業・剣士。
ランク・F」

彼女が用紙の内容を読み上げて、もう1度ポンと指先で叩く。
すると魔法陣がほんわりと赤く光り、すぐに消えた。

女性職員
「どうぞ、こちらがあなたの冒険者カードになります」

パウロ
「これが……」

なんの変哲もない鉄の板。
そこにはボンヤリと光る文字が書かれている。

名前:パウロ
性別:男
種族:人族

年齢:13
職業:剣士
ランク:F

女性職員
「お見受けしたところ、他にお仲間はいらっしゃらないようですが、パーティの説明をお聞きになりますか?」

パウロ
「あ、うん、聞く」

パウロ
(堂々と女の人と一緒に行動する。
そのための冒険者登録だしな)

女性職員
「では、説明させていただきますね」

女性職員にパーティの詳細を聞く。
堅苦しい文章ではなく、美人の口から出る言葉は、パウロの頭にすんなり入ってきた。

女性職員
「――と、なります。
以上で登録は終了です。
お疲れさまでした」

女性職員
「依頼を請ける際には、そちらの掲示板から剥がして、受付まで持ってきてください」

パウロ
「うん、あなたのところに持って行くよ」

女性職員
「はい? 担当はわたくしでしたが、ここだけでなく、別の者のところでも――」

パウロ
「そうじゃなくてさ。
依頼を請ける度にあなたに会えるだろう?」

女性職員
「は、はあ……?」

パウロ
「そうだ! もし良ければ、今夜ふたりで食事でもどうかな?
街に来たばかりだから美味しい店、教えてほしいんだ」

女性職員
「! ……今は仕事中ですので、そういったお誘いはお断りしております」

パウロ
「そうか、残念だ……」

パウロ
「だったら今度は、あなたが仕事中じゃない時に誘うよ」

子供に誘われたからか、女性職員は目を丸くする。

パウロ
(感触は悪くないな)

パウロ
(それに、今日断られたとしても、これからチャンスはいくらでもあるだろうし)

パウロはホクホクとした気持ちで受付を離れ、さっそくパーティを組んでくれそうな女性を探しはじめた。

パウロ
(さすが冒険者……。
どの女の人もみんなスタイル抜群だ!)

コルセットで作られたわけではない自然なくびれに感動しながら、パウロは目についた女性に話しかける。

女冒険者
「パーティ? きみと?」

パウロ
「そう、どうかな?」

女冒険者
「どうって言われても、きみはまだ冒険者登録したばかりの新人でしょう?」

女冒険者
「F級の……しかも、きみみたいな子供に、背中を預けて戦えないよ」

パウロ
「………………」

もっともな言い分にぐうの音も出ない。
いくら剣の腕が立つといっても、ここにはそれを知る人はいないのだ。

女冒険者B
「お前とパーティを組む?
冗談はやめろ」

パウロ
「冗談じゃない。
本気で言ってるんだけど」

女冒険者B
「……って、言われてもな……。
なんと言うかさ……、お前、冒険者らしくないんだよ」

女冒険者B
「品行方正って感じもしないが、ゴロツキって感じでもない。
中途半端でよくわからん、気持ち悪い」

パウロ
「………………」

パウロは冒険者ギルドにいた女の冒険者たちに、片っ端から声をかけて回った。
しかし、誰からも色よい返事はもらえない。

連戦連敗。
そのあまりのフラれ様に、ついにどこからともなく笑いが起きた。

男A
「はっはっは! 坊主、もう諦めな!
女の冒険者ってのは、ガキが気安く口説ける女じゃねえんだよ!」

男B
「ちょっと小綺麗な顔してるからって、F級の小僧が調子に乗ってんなよ!」

パウロ
「ああ? なんだと?」

男A
「女を口説こうなんざ100年早い!
そんなに女に盛ってんなら、ウチに帰ってママのおっぱいに甘えてな!」

パウロ
「上等だ! 俺をガキだって言ったヤツ!
まとめてぶっ飛ばしてやるから、表に出ろ!!」

男A
「表に出ろだぁ?
誰に向かって喧嘩売ってやがるんだ!?
生意気言ってんじゃねえぞ!」

パウロ
「誰にって?
お前に売ってんだよ!」

パウロは剣を抜くと、一瞬で男との距離をつめて横に一閃した。

理不尽にではあるが、水神によって鍛えられたパウロの剣速に並の冒険者ではついてこれない。

男A
「ぐはっ!?」

男の身体が吹き飛んで壁にぶつかった。

あまりに一瞬のできごとに、冒険者ギルドの中に静寂が満ちる。

パウロ
「壁、壊れたな。
だから表に出ろって言ったんだ」

パウロ
「次は誰だ?」

男B
「テ、テメェ……!
ガキだからってタダで済むと思うなよ!?」

血の気の多い冒険者たちが集まっていたらしい。
殺気立った面々が席を離れて外へ出て行く。
パウロは彼らのあとに続いてギルドを離れた。

そして――。

1時間もしない内に、パウロはその実力を周囲に知らしめた。
すると、状況は一変する。

女冒険者
「きみはすごく強いんだね。
うちのパーティに来る気はある?」

女冒険者B
「よければ1度、パーティのメンバーに会ってみないか?」

男C
「まさかここまで強いとはな!
有望な新人だ!
どうだ? うちで研鑽をつんでみねえか?」

引く手数多とはこのこと。
1度パウロを振ったパーティをはじめ、ギルド内にいたさまざまな冒険者が勧誘してくる。

パウロ
(力を示せば認められる。
わかりやすくていいじゃないか!)

男だらけのパーティはもちろん即座に断った。
何人もの女冒険者に誘われたパウロは、3日もの間、これまでにないほど悩みに悩み……。

結論、もっとも胸の大きな女性がいたパーティに、前衛の剣士として加入することにした。

女冒険者
「ようこそ、パウロ。
うちに来てくれて嬉しいよ」

女冒険者
「きみの実力は疑ってないけど、冒険者として初めての仕事でしょう?
簡単な依頼からこなしていこう」

パウロ
「ああ、わかった。
あなたみたいなに綺麗な人と一緒なら、俺はどんな仕事だっていいよ」

パウロの初めての仕事は迷子のペット探し、E級の依頼だった。

パウロ
「どんな仕事だっていいって言ったけどさ……。
もっと派手な依頼はないの?
こんなの、剣の腕とか関係ないだろ……」

女冒険者
「きみのランクはまだ低い。
こういう簡単な依頼をこなしていくことで、地道にランクを上げていかないと」

パウロ
「ふーん、地道に……」

パウロ
(美人と一緒なのは嬉しいけど、なんて言うかさぁ……)

パウロ
(思ってたのと違うんだよなぁ)

パーティを組んだ冒険者たちが、ペットを探して街中を駆けずり回っている。

パウロはそれを横目に、パーティメンバーのひとりと宿にしけこんだ。
初っ端からの任務放棄である。

パウロ
「ペット探しなんて全然楽しくない。
冒険者ってのは、もっと楽しいもんだと思ってた」

パウロ
「魔獣と戦ったり、宝を探したり、とんでもなく強い奴と戦ったりしてさ……」

パウロ
「せめて次の依頼は街の外に出よう!
リーダーに頼めないか?」

女をベッドに押し倒しながら尋ねると、彼女はクスクス笑いながらパウロの頭を抱き寄せて口づけてくる。

パウロ
(任務放棄でこんなことしてたら、頼みなんて聞いてもらえるはずないよな)

パウロ
(まあ、そうなったら、べつのパーティに入れてもらえばいいか!)

パウロはそう気楽に考えて、今はただ目の前にある享楽に耽った。

その後、パウロは案の定、パーティを追い出されることになったが、すぐべつのパーティに拾われた。

依頼は街の外に出て、山で薬草を採取してくるという内容だ。
低いランクでも問題ないと思われたが――。

冒険者
「はぁ、はぁ……クソッ!
採取地が賊の根城になってるなんて、聞いてねえぞ!!」

パウロ
「? 全員ぶっ飛ばして、採取したらいいんじゃないか?」

冒険者
「これだから新人は!
なんの情報も持ってねえんだな!」

パウロ
「どういう意味だ?」

冒険者
「あの賊の大将はお尋ね者なんだよ!
もう何十人も殺してるような奴だ!
俺たちじゃ手も足も出ねえ!」

冒険者
「……よし、みんな、ここは一旦ギルドに戻るぞ。
お尋ね者がいることを報告して対応してもらう」

パウロ
「逃げるってことか?」

冒険者
「自分の力を過信して、引き際を見誤るような冒険者はすぐ死んじまう。覚えとけ、新人」

パウロ
(偉そうにカッコつけて言うけど、要するに強い奴を見たら逃げろってことだろ?)

パーティのリーダーが撤退を決め、メンバーはそれに従うことに異議なしのようだ。

けれど、パウロは納得がいかない。

パウロ
「じゃあ、あんたたたちは、ここで隠れていればいい」

冒険者
「なんだと?」

パウロ
「見たところ、あんな奴、たいしたことはない」

パウロ
「何十人も殺したって言うけど、どうせ戦い方を知らないような人を一方的に殺したってだけの、クズだろう?」

パウロ
「さっさと捕まえて、薬草も採取してギルドに戻ればいい」

パウロの言葉にみんな唖然としていた。
誰も何も言わない。

パウロ
(逃げる気満々だった奴らに、何言っても意味ないか)

パウロはあっさりと見切りをつけると、剣を手に、賊たちがいる根城へひとりで向かった――。

パウロ
「――以上。というわけで、賊は全員縛りつけてきたから、あとはギルドのほうでなんとかしてくれ」

パーティのメンバーはパウロを残し、とっくにギルドに帰還していた。

彼らは想定外の事態が起きたと報告し、その対処に向かう冒険者を選抜していたところに戻って来たのが、ひと仕事終えたパウロである。

冒険者
「ほ、本当に、お前ひとりで……?」

パウロ
「ビビッて逃げるような奴ばっかりで、他には誰もいなかったしな」

冒険者
「!! な、なんだ!?
俺たちを責めるつもりか!?」

冒険者
「俺たちは適切な判断をして、撤退するって決めたんだ!」

パウロ
「適切な判断ね……。
どんな風に言いつくろったって、結局は怖くて逃げただけじゃないの?」

冒険者
「ッ……! リーダーは俺だ!
命令や決定を無視して、独断行動するような奴が偉そうなこと言うな!」

冒険者
「お前はクビだ!
うちのパーティから出て行け!」

激高する男をパウロは冷めた目で睨みつける。

パウロ
「言われなくても出て行くさ。
腰抜けとパーティなんか組めるかよ」

その後、ギルドでこの騒動についての話が広まった。
独断専行、命令無視をする新人……。
しかもパーティの女にすぐ手を出すときた。

パウロはひとりで依頼を請ける、ソロの冒険者として動き始めた。

パウロ
(気楽でいいけど、女の子との時間がないのはなぁ……)

戦力が必要な時にパーティに誘われることはあったが、加入しては追い出されの繰り返し……。

パーティに固定で加入することがないまま、パウロは実績をつみ重ねた。
そして、冒険者登録から1年が経った頃――。

パウロ、14歳。
彼はD級の冒険者になっていた――。

パウロ
(お? けっこう割のいい依頼だ。
C級なら……うん、余裕でいけるか)

???
「お前もその依頼を請けるのか?」

パウロ
「あ?」

隣に人が来ていたのには気づいていたが、まさか声をかけられるとは思っていなかった。

パウロ
「そのつもりだけど、文句でもあるのか?
つーか、誰だよ、お前」

1年の冒険者生活の間に、パウロの言葉遣いは周囲に感化されて多少荒くなり、
冒険者に染まってきている。

ギース
「俺か? 俺はギースだ!」

パウロ
「知らねえな」

ギース
「俺はお前のこと知ってるぜ。
パウロだろ?」

パウロ
「知り合いだったか?
1度見たら忘れない顔してるけど、覚えてねえや」

ギース
「だろうな、はじめましてだ。
パウロは何かと話題に上るからな。
一方的に知ってるだけだ」

ギース
「1匹狼の冒険者。
新人とは思えないほどの実力者……。
1回話してみたかったんだ」

パウロ
「それを言ったのが可愛い女の子だったら、食事にでも誘ってたんだけどな」

ギース
「ん? 誘ってもいいんだぜ?
実は財布の中身がちょっと寂しくてな……」

パウロ
「寝言は寝て言え」

パウロ
(なんなんだ、このサル顔……。
妙に馴れ馴れしいな)

男に用はない。
パウロは早々にギースから離れようとした。

ギース
「この依頼、けっこう割がいいよな。
なあ、パウロ、俺と一緒に受けないか?」

パウロ
「は?」

ギース
「だから、俺とパーティ組もうぜ?
リーダーはお前でいいから!」

パウロ
「冗談だろ?
なんで俺がお前と組まなきゃいけねえんだよ。
このくらい俺ひとりで充分だ」

ギース
「ほうほう、ひとりで充分?
そう言わずに俺をつれてってみろよ!」

ギース
「分け前は7:3……、もちろん俺が3でいいから! な!」

パウロ
「しつこいな……なんのつもりだ?」

訝しげな顔で尋ねて、パウロはハッとする。

自分のことをずっと見ていたような言い方と、しつこく同行を希望する勢い……。

パウロ
(もしかして、俺に気がある……!?)

パウロ
「俺は男に興味ねえからな!?」

ギース
「んんっ!? なんの話だ!?
俺だってべつにそっちには興味ねえよ!?」

パウロ
「じゃあなんで……いや、いい。
理由を聞いたところで、お前と組む気はないからな」

ギース
「頑固なヤツだな。
だからどこでも浮いちまうんだよ」

パウロ
「あ?」

ギース
「どうすれば組んでくれるんだ?
お前のパーティの条件はなんなんだ?」

パウロ
「条件?」

パウロ
「女」

ギース
「そりゃどうしようもねえだろ!
他には!?」

パウロ
(しつこいな……)

パウロ
「じゃあ、俺よりランクが上の冒険者」

辟易したパウロは、この場をさっさと去るために、適当に思いついた条件を口にする。

ギース
「何?」

パウロ
「だから、俺より上のランク……、C級以上の冒険者とだったら、ふたりで組んでもいい」

パウロ
(どのくらいの実力者か、見ればわかる)

パウロ
(こいつはたいしたことない。
せいぜい、E級ってとこだろう)

相手を観察して推測する。

パウロ
「だから、お前とは――」

だから、お前とは組めない。
パウロがそう言おうとした時、ギースがニッと笑った。

パウロ
「?」

ギース
「その条件なら問題なく組めるな!」

パウロ
「は?」

ギース
「俺はC級の冒険者だ!」

パウロ
「………………」

パウロ
「はあ!? お前がC級!?
俺より上だって!?」

パウロは信じられずに絶叫する。
どれだけまじまじと見ても、実力者とは思えないし、威圧も感じない。

ギース
「はっはっは、そういうことだ!
男に二言はねえだろ? パウロ?」

パウロ
「っ……わかったよ!
足手まといになったら置いてくからな!
それに! 今回限りだぞ!」

こうしてパウロとギースはふたりで1度限りの条件でパーティを組み、依頼を請けることになった。

依頼の内容は荷運び。
人ひとり入りそうなほど大きな木箱を、山を越えた先の村まで運んでほしいという内容だ。

パーティのリーダーはパウロでいいと言われたが、実際に依頼主と話したのはギースだった。

ギース
「ふむふむ……」

パウロ
「木箱、荷馬車にくくりつけ終わったぞ。
さっさと行こうぜ」

ギース
「山越えのルートだけど――」

パウロ
「真っ直ぐ行けばいいだろ?
1番デカい道だし、最短距離だ」

ギース
「却下だな」

パウロ
「ああ? なんでだよ?」

ギース
「この時季、そのルートは霧が深くなる。
荷物の中身は保存食だって、依頼主が言ってただろ?」

パウロ
「ああ、そうだっけ?」

ギース
「聞いてなかったのか?
過疎化が進む村に日持ちのする保存食を運んでくれって言ってただろ」

ギース
「保存食には乾燥させたものが多い。
最適なルートは少し遠回りになるが……、南の迂回路だな」

パウロ
「………………」

パウロには考えつかないことだった。
ひとりなら環境なんて気にせずに運び、最悪、中身を台なしにしていたかもしれない。

パウロ
「……なんでもいい!
さっさと行くぞ!」

ギース
「へいへい。馬の手綱は俺が引くから、お前は荷を……って、おい、もう乗ってんのか」

パウロ
「うるせえ! 早くしろ!」

パウロは苛立っていた。

強くもなんともない、自分より弱い奴だが、冒険者としての経験は明らかに上だ。

荷馬車に揺られている間、パウロはひと言も話さず、ギースがひとりでずっと喋っていた。

ギース
「――で、その時にそいつが……と、日が沈んできやがったな。
完全に日が暮れる前に野営の準備といくか」

パウロ
「野営?
もう少し行った先に町があるだろ」

ギース
「ん? お前、その町に行ったことあるか?」

パウロ
「ああ」

ギース
「じゃあ、逗留したことは?」

パウロ
「? ねえよ。その先に行くのに、ちょっと立ち寄っただけだ」

ギース
「あの町の宿には泊まるなってのが、冒険者の間では常識だ。
町ぐるみでぼったくってきやがるからな」

ギース
「まあ、まともにパーティを組んだことがねえなら、誰かに教えてもらうこともなかったろうけど」

ギースはそのサル顔でニヤリと笑い、手際よく野営の準備をはじめる。

パウロは苛立ちを抱えたまま、ふてくされた顔で荷馬車を引く馬の世話をした。

ギース
「おーい、パウロ。メシにしようぜ!」

辺りが暗くなった頃、ギースに声をかけられ、パウロはモヤモヤしたまま焚火を囲んだ。

パウロ
「! これ……」

ギース
「ん? なんか嫌いなモンでもあったか?」

パウロ
「そうじゃなくて、なんだよこれ?
全部作ったのか!?」

パウロは思わず唾を飲む。
彩りの綺麗な料理からは湯気が立っていて、品数も多い。美味しそうな匂いが食欲を誘った。

ギース
「材料はほとんど一緒だ。
調理法と味つけを変えたら、少ない材料で何品も作れるんだ」

ギース
「ほら、冷めちまう前に食えよ」

パウロ
「あ、ああ……」

ギースに思うところはあったが、空腹なのは確かだ。
パウロはスープの入った器に口をつけた。

パウロ
「!! う、美味っ……!!」

ギース
「ははっ、そうだろ?
コツは弱火でじっくり、だ」

スープだけではない。
焼かれたパンはまったく硬くなく、メインの料理は絶品だった。

食事をする手が止まらない。
ギースへの思うところなんて一瞬で吹き飛び、パウロは目の前の料理にがっついた。

パウロ
(なんでこんなに美味いんだ!?)

パウロ
(こいつが作った!?
火加減の調節もできない焚火で!?)

胃袋がいっぱいになって、食欲が満たされてくれば、苛立ちなんて些細なものは薄れていく。

パウロ
(……もういい、認めるしかない)

パウロ
(こいつは俺の下なんかじゃない。
立派な冒険者だ)

パウロ
「おい、ギース。おかわり」

ギース
「おう! いっぱい食えよ!」

ギースへの敵意がなくなったからか、指定された村までの道中は不快な気分になることもなく順調に進むことができた。

荷物を渡した、その帰路のこと――。
荷を気にする必要がなかったため、パウロたちは最短ルートを辿っていた。

パウロ
「霧が出てきたな。
お前の言ったとおりだ」

ギース
「だろ? 急いで進むのは危険だ。
馬もいるしゆっくり行こうぜ」

パウロ
「! 待て」

ギース
「いや、ゆっくり行こうってだけで、止まる必要はないんだぜ?」

パウロ
「そうじゃねえよ」

パウロ
「……見られてるぞ。
霧の中から視線を感じる」

ギース
「!?」

パウロ
「9、10……もっといるか。
けっこうな数だな」

パウロはそれとなく剣を握る。
ギースは馬を止めると、青い顔で振り返った。

ギース
「そういえば、聞いたことがある。
どこかから流れてきた盗賊が、ちょくちょく目撃されてるって……そいつらか?」

パウロ
「それはわからねえが、霧にまぎれて襲ってくるつもりだろうな」

パウロ
「お前、戦闘は?」

ギース
「さ、最低限……?」

パウロ
「そんなことだろうと思ったぜ。
俺の傍から離れるなよ……って、やっぱり今のなしな」

ギース
「は? なんでだよ?」

パウロ
「今のは、いつか女の冒険者と組むか、美人の依頼人を護衛するかって時に、キメ台詞として言おうと思ってた奴だから」

パウロ
「お前に使うのはもったいない。
だから、今のはなしな」

ギース
「じゃ、じゃあ俺はどうすりゃ……」

パウロ
「目の届く範囲にいれば助けてやるよ」

ギース
「この霧の中で目の届く範囲って……」

パウロ
「お、来るぞ」

パウロは剣を構えて荷馬車を飛び降り、霧の中から現れた襲撃者を倒していく。

パウロ
(数が多いだけで、たいしたことねえな)

水神流の道場で何度となく兄弟子たちに絡まれた。
複数に対する戦いには慣れている。

パウロ
(経験が役に立った! ありがたい!
……なんて風には絶対思わねえけどな!)

襲撃者に遭遇したこと以外は何も問題なく、依頼は無事に達成できた。

一応のリーダーであるパウロはギルドで報酬を受け取り、そこからギースの取り分を渡す。

ギース
「へ? これは多すぎるだろ。
綺麗に半々じゃねえか」

ギース
「俺は7:3でいいって言ったろ?
それに戦闘で俺はなんにもしてねえし……、もっと減らされても文句は……」

パウロ
「戦闘で活躍したかどうかだけで、報酬の額が決まるってことはないだろ」

パウロ
「受け取れよ。お前の正当な報酬だ」

ギース
「!!」

ギースは驚いた顔をしながら、ぎこちなく金の入った袋を受け取った。

ギース
「……本当にいいのかよ?
お前は知らないだろうけど、俺は荷物持ちとか呼ばれてんだぜ?」

ギース
「俺と組んだ奴で、きっちり山分けするような奴はいない。
お前だってよ、そうしたっていいのに――」

パウロ
「ふざけんな。
仕事した奴が受け取らねえで、誰に報酬をもらう権利があるってんだ」

パウロ
「いいか! 1回しか言わねえからな!
お前のメシはすげえ美味かったし、知識は役に立った」

パウロ
「だから報酬は山分けだ。
これ以上ゴチャゴチャ言うなら、ぶっ飛ばすぞ」

ギース
「は、はは……なんだよ、それ……。
お前って奴は本当に……」

よほど動揺したのか、ギースはブサイクな笑みを浮かべる。

それから少し沈黙し、おそるおそるといった風に口を開いた。

ギース
「な、なあ、パウロ……」

パウロ
「なんだよ?」

ギース
「組むのは1回限りって話だったけどさ、それ、なしにしてくんねえか?
これからも俺と組んでくれよ」

パウロ
「………………」

ギース
「気が向いたらでいいから。
その時は声かけてくれ」

パウロ
「冗談じゃねえ!
俺は女からの誘いしか受けねえって決めてんだよ」

パウロはフンと鼻で笑ってギルドを出て行った。

ギースの誘いをすげなく断ったパウロだが、その後ふたりは何度となく組んで依頼をこなしていくことになる。

ギースが誘ってくることもあったし、パウロが渋々、本当に渋々、誘うこともあった。

ギース
「パウロ! 昇級してよかったな!
これでお前もC級の冒険者だ」

パウロ
「ああ、お前と並んだ。
ま、すぐに追いぬいてやるよ」

ギース
「ははっ、だろうな。
……けど、そんな簡単に行くか?」

ギース
「聞いたぜ? お前また、パーティを追い出されたらしいじゃねえか!
今度は何をやらかしたんだ? んん?」

ニヤニヤするサル顔の男に、パウロは嫌そうに顔をしかめる。

パウロ
「パーティのメンバーと宿にしけこんだら、そいつがリーダーの女だった」

ギース
「修羅場だな!
そりゃ追い出されるぜ」

パウロ
「ああ。殴られそうになったから、逆にボコボコにしてやったさ」

パウロ
「あんなに弱い奴に美人の恋人がいるなんて……!
しかも同じパーティのメンバーって、いつでもどこでもヤり放題じゃねえか!!」

ギース
「またお前は……くだらない理由で暴れてんだな。
そんなんだから、お前を入れたがるパーティがいなくなるんだよ」

ギース
「剣の腕だけならB級……、いや、A級に匹敵するだけの力があるってのに、もったいねえよなぁ……」

パウロ
「……うるせえ」

ギース
「素行が問題なんだよな、素行が」

しみじみ呟くギースを無視して、パウロは席を立った。

ギース
「ん? どこ行くんだ?」

パウロ
「パンプーア」

ギース
「パンプーアっていうと、王竜王国の北の端にある町だよな」

ギース
「あそこは国の外れにある町だから、中堅の冒険者が多いんだ。
揉めごと起こすな……って言ってもムリか」

ギース
「よし! 俺も行くぜ!」

パウロ
「は!? 頼んでねえよ!」

ギース
「ちょうど依頼も入ってないしな!
準備してくるから、街の入口で待っててくれ!」

言うが早いか、ギースが飛び出して行く。
残されたパウロは溜め息を漏らした。

パウロ
(……ま、いいけどさ)

予期せず、パウロはギースとふたりで、王竜王国のパンプーアへ向かうことになった――。

――問題なく依頼を片づけたあと、パウロとギースはパンプーアにある酒場で食事を済ませながら、受け取った報酬を確認する。

パウロ
「適当に半分持ってけ」

ギース
「適当にって、お前なぁ……」

パウロ
「俺は今忙しいんだ。
話しかけるのはあとにしろ」

ギース
「忙しいって、メシ食ってるだけだろ。
……って、どこ見てんだ?」

パウロの視線の先では、冒険者だと思われる女たちが楽し気に酒を酌み交わしていた。

ギース
「声かける気か?
やめとけ、やめとけ。見たらわかるだろ?
あれは相当気が強いぞ」

パウロ
「わかってねえな。
服の傷や汚れを見る限り、あれは戦闘終わりの祝勝会だ」

パウロ
「戦いのあとは高揚するもんだし、そんなところに酒を入れたら、開放的で奔放な姿を見せてくれるはずだぜ」

ギース
「ゲスいこと考えてんな。
問題が起きるニオイがプンプンしやがる」

パウロ
「変なこと言うなよ。
割り切って遊ぼうってだけで、何か起こるって確信したみたいに……」

ギース
「起こらなかったことがねえだろ。
ロクなことになんねえから妙な気起こすなよ」

パウロ
「………………」

ギースの忠告を素直に聞くパウロではない。
数時間後には、欲望のおもむくまま、女の冒険者たちと宿になだれ込むことになる。

その結果、案の定と言うべきか、パウロはトラブルに巻き込まれることになった。

ギース
「だから言ったじゃねえか!」

もちろん、当然のようにギースも巻き込まれ、問題の対処にあたることになる。

そうしているうちに3か月が経ち、ふたりはその間、町にある大鳥亭という名の酒場を拠点に、パンプーアに滞在していた。

ギース
「はぁ……金にもならない問題の対処で、あちこち駆けずり回るハメになるとはな……!」

パウロ
「適当に依頼を見つくろって、ドカっと稼げばいいだろ」

ギース
「俺らのランクで、ドカッと稼げるような依頼は請けれねえよ」

ギース
「儲かるB級以上の依頼は、基本的にパーティを想定したモンだからな」

パウロ
「やっぱパーティに入るしかねえか……」

ギース
「この界隈じゃ、お前をパーティに入れたいなんて奴は、ひとりもいねえけどな」

ギース
「いっそ、お前と似たようなはぐれもんを集めて、パーティでも組んでみたらどうだ?
俺も入ってやってもいいぞ?」

パウロ
「お前は論外だ。
どうせパーティを組むなら、可愛い子か綺麗な子と一緒がいい」

ギース
「こりない奴だな。
そうやってパーティメンバーを女として見るから、どこのパーティーにも入れねえんだ」

呆れたようにギースが溜め息をつく。
パウロは肩をすくめた。

パウロ
「ま、どうしてもパーティを組みたいわけじゃないしな。
そんなもんを組まなくても問題ないくらい、ソロで上のランクに上がればいいだけだ」

ギース
「それが簡単じゃねえって話だろ?
それとも何か? いい案でもあるのか?」

パウロ
「ああ、あるさ。見ろよ、この剣」

パウロはそう言って、腰の剣を鞘から引き抜き、テーブルの上に置いた。

ギース
「いい剣じゃねえか。これがどうしたんだ?」

パウロ
「いい剣だが、それだけだ」

パウロ
「古来より、英雄ってのは、聖剣や魔剣を扱い、凶悪な悪魔や巨大な怪物をバッタバッタとなぎ倒すもんだ。
それも一人でな」

実際にパウロが目にした、水神レイダの剣は特別だと言わんばかりに輝いていた。

ギース
「つまり、何が言いてえんだ?」

パウロ
「このすげえ俺に見合うすげえ剣があれば、ソロでも上を狙えるってことさ」

ギース
「……一理あるが、それでどうする?
そのすげえ剣ってのに心当たりでもあるのか?」

パウロ
「水神レイダから奪う」

ギース
「はあ? 水神?
剣を向けた瞬間、ぶっ殺されて終わりだろ」

パウロ
「……だよなぁ」

冗談に正論で返され、パウロは頭をかいた。

パウロ
(パーティなんて面倒だ)

パウロ
(100歩譲って、魅力的な女の子と組むならいいけどさ)

そう思う反面、これから先、手っ取り早くランクを上げるためには、パーティを組んで高ランクの依頼を請けることが最適だとわかっている。

その時、大鳥亭の扉が勢いよく開き、ひとりの冒険者が飛びこんで来た。

冒険者
「大変だ! 例の遺跡!
やっぱりあそこはミリス教団の古神殿だったんだ!」

冒険者
「それだけじゃない!
その遺跡の奥にはガーディアンがいて、なんと、なんとだぞ!
そのガーディアンの奥には、聖剣が置かれていたって話だ!」

冒険者
「聖ミリスの、失われた聖剣だ!」

男の話に、酒場にいた他の冒険者たちがざわつく。
それはパウロとギースも例外ではなかった。

パウロ
「失われた聖剣……!
おいギース聞いたかよ!」

ギース
「もちろんだ!」

パウロ
「まさに天の助けだ。
俺のために聖剣が出てきてくれたように感じるぜ!」

聖ミリスの武具。
それは聖ミリスが神より与えられたとされる、この世で最強の武具だ。

パウロ
「ギース! 行くぞ!
手に入れないわけにはいかねえだろ!」

酒場の中が沸く。
パウロは勢いよく席を立ち、そのまま飛び出そうとしたのだが――。

???
「てめえら静まりやがれ!」

色めき立つ冒険者たちを、ひとりの男の一喝が鎮めた。
その男はこの酒場のもっとも良い席で、気持ちよさそうに酒を飲んでいた人物だ。

パウロ
(あいつ……美女を何人もはべらせてやがる!)

ギース
「トースマン……」

パウロ
「知ってんのか?」

ギース
「むしろお前、知らねえのかよ!」

ギース
「あいつは、A級冒険者パーティ『ロード・オブ・ジャッジメント』のリーダ、トースマンだ……」

酒場の空気が一瞬で変わるのを感じながら、パウロは静かにトースマンを睨みすえ、男が何を言うのか待つのだった――。

2話【黒狼の牙結成】

聖ミリスが神より与えられたとされる、この世で最強の武具、聖剣……。

失われたと思われていた遺物の存在を示唆され、酒場に集まる冒険者たちは色めき立った。

それを、ひとりの男の一喝が鎮める。
男はA級冒険者パーティ『ロード・オブ・ジャッジメント』のリーダー、トースマンだった。

トースマン
「おいてめえら。今聞いたことは全部忘れろ」

ランクに見合う威圧感。
周囲を睥睨し、底冷えのするような声だ。

トースマン
「聖剣はロード・オブ・ジャッジメントが獲る。
この酒場にいる連中の顔は今、よぉく憶えたからな……」

トースマン
「お前らも憶えとけよ。
俺がてめぇらを遺跡で見かけたら、ただじゃおかねえってことをな」

声を荒げているわけでもないのに、猛者たる冒険者たちはトースマンに委縮する。
誰もが口を閉ざして従おうとする中、彼は立ち上がった。

パウロ
「悪いが、俺は狙わせてもらうぜ」

トースマン
「あ?」

パウロ
「さっきから聞いてれば、好き勝手言ってくれるじゃねえか」

パウロ
「遺跡も聖剣も、お前らのモンじゃない。
指図されるいわれはねえ!」

ギース
「お、おい、パウロ!
相手が誰かわかっててケンカ売ってんのか!?」

パウロ
「ああ。コイツは……いけ好かねえヤツだ」

腕を引いてくるギースの手を離させる。
パウロは前に出て、トースマンと正面から睨みあった。

パウロ
「いくら聖剣がほしいからって、周りに圧力かけるなんざカッコ悪いな、お前」

トースマン
「……てめぇ、知ってるぞ。
確かパウロとかいうC級のガキだったな。
今、なんつった?」

パウロ
「カッコ悪いって言ったんだよ。
カッコ悪くて、情けねえ」

パウロ
「だから、もう1度言ってやるよ。
俺は、聖剣を狙わせてもらう。
お前みたいなヤツにはもったいないシロモノだ」

トースマン
「なにぃ……」

トースマンは不快さを顔に滲ませる。

パウロ
(来るか?)

トースマン
「ハッハッハッハッハ!」

パウロ
「……?」

パウロが警戒した瞬間、トースマンは大声で笑いだした。

トースマン
「てめぇのほうこそ、随分カッコつけるじゃねえか!」

トースマン
「パウロ、てめぇの噂は聞いてるぜ?
剣の腕は立つのに、ロクに仲間も作れねえボッチ野郎だってな!」

パウロ
「何が言いたい?」

トースマン
「一匹狼を気取ってるだけで、冒険者としての素質が欠落してるガキが、A級の俺に嚙みついてくるんじゃねえ!」

トースマン
「てめぇひとりで何ができる?
どうやって魔物だらけの遺跡の奥まで行って、ガーディアンを倒して聖剣を手に入れるってんだよ!」

パウロ
「やってみねえとわかんねえだろ!」

トースマン
「ハーッ! コイツは面白え冗談だ!
お前、冒険者やめて道化師にでもなったほうがいいんじゃねえのか?」

トースマン
「お前らもそう思うよなぁ?
ハッハッハッハッハ!」

トースマンの言葉で、ロード・オブ・ジャッジメントの面々は笑いはじめた。
嘲笑は酒場にいた他の冒険者にも広がっていく。

パウロ
(なんで……なんで、お前らまで哂(わら)うんだ?
トースマンの言うことに同意してるってのか?)

怒りで目の前が真っ赤になる。
パウロは拳を握った。

パウロ
(冒険者は自由なんだろ?
強いヤツに指図されたら従うのか?)

ギース
「お、落ちつけ、パウロ!」

今にも飛びかかりそうなパウロを、ギースが背後から羽交い絞めにして止める。

パウロ
「ギース! 放しやがれ!!」

ギース
「は、放したら乱闘待ったなしだろ!
落ちつけって!
そうだほら、深呼吸! 深呼吸しろよ!」

トースマン
「ハッハッハッハッハ!
この程度で我を忘れるなんざ、やっぱりガキだな!」

トースマン
「こんなアホなガキに関わってる暇はねえ。
おい、お前ら、行くぞ! 今晩中に作戦会議だ!」

仲間にそう呼びかけると、トースマンは酒場を出て行った。

そこでようやくギースの力が抜け、パウロは解放される。
そこにツカツカと歩み寄ってくる者がいた。

???
「………………」

パウロ
「あんた……」

パウロ
「トースマンに抱きついてた女か。
ロード・オブ・ジャッジメントのメンバーが、俺に何か用かよ?」

長耳族の女はパウロに近づくと、耳元に顔を寄せてフッと笑みを漏らした。

???
「あなたのような勇敢な男、嫌いじゃありませんことよ」

パウロ
「は?」

エリナリーゼ
「わたくし、エリナリーゼといいますわ。
またお会いしましょう」

頬に唇の感触。
パウロが状況を把握する前に、彼女も酒場を出て行ってしまった。

空気が悪くなったせいか、酒場にいた冒険者たちも次々に席を立つ。

ギース
「おい、どうすんだよ?
完全に目をつけられちまったぜ?」

ギース
「A級だぞ、A級。
モノホンの実力者を敵に回してよぉ……。
この町にも居づらくなるぜ?」

パウロ
「居づらくなったら出て行けばいい。
拠点なんてどこでもいいんだ」

パウロ
「でもその前に、聖剣だ。
どうもこうもねえ。
俺は徹底的にやる」

ギース
「やる気があるのはいいけどよ、策はあんのかよ?」

ギース
「トースマンの態度はともかく、言ってることはそこそこ的を得てただろ。
一匹狼クン?」

パウロ
「わかってるよ!
要するに、あれだ!」

パウロ
「パーティを作ればいいんだろ!?」

ギース
「それができないから、お前は今の状況なんじゃねえの?」

パウロ
「………………」

パウロは面白くなさそうな顔をしたが、すぐにギースに背を向けて酒場の中を見わたし、周囲に向かって叫んだ。

パウロ
「おい、お前ら! いいのかよ!
アイツにあんなこと言わせたまんまで!!」

パウロ
「俺は行くぜ! 聖ミリスの剣、モノホンの聖剣だ!
手に入れりゃあ、英雄になるのも大金持ちになるのも自由だ!」

パウロ
「そんなお宝をアイツらに独占させるつもりはねえ!
誰か、俺と一緒に遺跡に行くヤツはいねえか!?」

パウロ
「この際、贅沢は言わねえ!
ムサい男でもいい! どうだ!?」

ギース
「お前が譲歩するとはな……。
ま、この期に及んでパーティメンバーに条件つけたら、誰も入っちゃくれねえよな」

ギース
「もっとも、だからって、お前と組みたがるヤツがいるかねえ?」

パウロ
「ああ? んだと!?」

ギース
「周りを見てみろよ」

言われたとおり周りを見ると、冒険者たちは似たような表情を浮かべている。
え? お前と組む? という表情だ。

ギース
「言うまでもねえが、ここにいる冒険者の大半には自分のパーティがある。
行くなら自前のパーティで、だろ」

パウロ
「ぐぬ……」

ギース
「だから誘うなら、ソロの冒険者だ」

パウロ
「!! ああ、そうか!」

ギースの言うことはもっともだ。
パウロはもう1度、今度はソロ冒険者に対し、ひとりずつ声をかけていく。

パウロ
「なあ、お前らはこのままでいいのかよ」

パウロ
「冒険者として、上に上がりたくねえのか?」

パウロ
「さっきの連中みたいに、肩で風切って歩いてみたくねえのかよ?」

冒険者たちの反応はあまり良くない。
それはパウロの説得が届いていないからではなかった。

素直に同意したくないと思うくらい、これまでにパーティで行動していた時のパウロの評判が良くなかったのだ。

パウロ
(だからって、諦められるか!)

パウロ
「俺は聖剣がほしい!
だから俺を手伝ってくれ!」

パウロ
「その代わり、今、俺を手伝ってくれたら、今度は俺がお前らを手伝う!
装備を整えるのでも、ランク上げでも、なんでも!」

パウロ
「アイツらに舐められたままでいられるかよ!
怒ってんだ、俺は!!
お前らは違うのか!? ああ!?」

???
「違わん」

???
「儂も、奴らの言い分は頭にきた」

初めて、直接的な反応が返ってきた。
ひとりの中年男性だ。

ギース
「炭鉱族の……」

パウロ
「このオッサンのこと知ってんのか?」

ギース
「……有名なヤツだからな。
炭鉱族っていやぁ、普通は金属や石、装飾品の扱いに長けた種族で、戦士として優秀な種族だ」

パウロ
「戦士? でもコイツが持ってんのは……杖だぞ?」

ギース
「だから有名なんじゃねえか」

???
「儂は魔術師だ」

???
「ゆえに聖剣なんぞには興味はない。
だが、奴らにひと泡吹かせるというのなら、儂も乗ってやろう」

パウロ
「本当か!? 助かる。
俺はパウロ、よろしくな!」

タルハンド
「儂は巌しき大峰のタルハンド。
タルハンドと呼ぶがよい」

パウロとタルハンドが握手を交わす。
その傍らでギースが溜め息をついた。

パウロ
「なんだよ?」

ギース
「タルハンドは頑固で有名な男なんだ。
だから固定のパーティメンバーを持てなくて苦労してるって聞くぜ」

タルハンド
「いかにも。儂がメンバーでは不服か?」

ギース
「不服ってわけじゃねえよ。
あんたはソロ冒険者の中では比較的まともなほうだ」

ギース
「ただなぁ……このふたりをまとめんのが、俺の役目なんだと思うと、胃の辺りがギリギリ痛むっつーかさ……」

パウロ
「? お前も来るのか?」

ギース
「……は?」

パウロ
「ロード・オブ・ジャッジメントに目をつけられたくないとかどうとか言ってただろ?」

パウロ
「一緒に来るってことは、一緒にケンカ売るってことだぜ?」

ギース
「お前ってヤツはよぉ……!」

パウロが首を傾げると、ギースはプルプル震えたかと思うと、吠えた。

ギース
「俺を置いてくつもりだったのか!?」

ギース
「俺はてっきり何も言わなくてもメンバーの数に入れられてると思ってたよ!」

パウロ
「悪い悪い」

ギース
「謝罪が軽い!
ちっとも誠意を感じねえな!」

パウロ
「まあまあ、落ちつけって」

パウロ
「何はともあれ、これで3人だな。
剣士と魔術師とシーフか」

タルハンド
「なるほど、この男はシーフか。
前衛がひとりで問題ないのか?」

パウロ
「ああ」

ギース
「うそつけ。
最低でも、もうひとりいるだろ。
背後から攻撃されたらどうすんだ」

女剣士
「人数が足りないの?
だったら私が入ってあげる」

ギース
「! お前は? 剣士か?」

女剣士
「うん、腕はそこそこ立つよ。
あのいけ好かない男をギャフンと言わせるつもりなら協力する!」

ギース
「……ってことらしいが、どうすんだ?」

パウロ
「採用!!」

パウロ
「ムサい男でもいいって言ったけど、やっぱり女の子がいたほうがいいぜ!
元気になる! やる気が出る! なっ!」

タルハンド
「………………」

ギース
「こういうヤツなんだよ……」

呆れたような視線と、諦めたような視線を浴びながらも、パウロは急ごしらえのパーティを組むことができた。

翌日――。
パウロたちは早朝から動き出した。

タルハンド
「急ごしらえとはいえ、パーティ結成からまだ数時間……。
もう動き始めるのか?」

パウロ
「当然!
アイツらより前に遺跡に行くには、先に行動しなきゃだろ?」

タルハンド
「理屈はわかるが、ちゃんと遺跡の場所は把握しとるんじゃろうな?
儂らはロクに情報収集もしておらんぞ」

パウロ
「その辺は抜かりねえ。
なあ、ギース」

ギース
「ああ。そういう情報収集に関しては、日頃からバッチシやってっからな。
位置も道筋も完璧だ」

女剣士
「だったら早く行こうよ!
ロード・オブ・ジャッジメントなんかに負けないぞー!」

パウロ
「おおーっ!」

ギース
「……楽しそうで何よりだよ、うん」

遺跡は町から3日ほど歩いた森の中にある。

3日目の夜、パウロたちは遺跡の前まで辿りつき、攻略に取りかかったのだが――。

パウロ
「な……んだよ、ここはぁ!?」

襲撃してきたキラーモールを切り捨てる。
遺跡を進むにつれて魔物の襲撃が増えた。
その数は尋常ではない。

女剣士
「ふぎゃ!」

ギース
「おっと! 気をつけろ!
床に仕掛けがあるぞ!」

パウロ
「あちこち罠が仕掛けられてる上に、遺跡自体が魔物の巣になってやがる!」

ギース
「最奥にはガーディアンっつー、すげぇ魔物もいるって話だぜ……」

パウロ
「ビビんなよ、ギース!
お前ら、前進あるのみだ!
ヤツらに追いつかれる前に最奥にたどり着くぞ!」

タルハンド
「簡単に言ってくれる。
この数のキラーモールを突破するだと?」

パウロ
「なんだ? できねえの?」

タルハンド
「フン……余裕じゃわい」

ギース
「!! おい! 後ろからもきてるぞ!」

女剣士
「背中は私に任せて!」

パウロ
「ああ! 頼んだぞ!」

急ごしらえの臨時パーティとは思えないほど、パウロたちの勢いはすさまじかった。

罠を解除し、キラーモールを倒し、更にはその上位種のキラーヘッジホッグまで相手取り、遺跡を進んで行く。

パウロ
「この鉄扉が最奥か……」

パウロ
(空気が重い。
直接見なくてもわかるぜ)

パウロ
(強敵がいやがる)

ギース
「お、おい、パウロ……」

先頭にいたパウロが足を止めて黙りこんだことで、異常に気づいたギースがおそるおそる口を開いた。

ギース
「この先は……明らかに、ヤバい、よな?」

パウロ
「ああ」

ギース
「それでも、行くんだな?」

パウロ
「当たり前だろ。
ここまで来て引き返すわけねえ」

パウロ
「お前ら、戦術の確認だ。
遠距離攻撃をしてくるような相手なら、俺がちょい後ろに下がる」

パウロ
「近距離攻撃が主体なら離れるのは危ねぇ。
俺たち剣士の援護も兼ねて、タルハンドも前の方で戦ってくれ」

タルハンド
「問題ない」

パウロ
「ギース、いざって時は――」

ギース
「ああ、わかってる。
いざって時は煙幕だろ?
撤退の合図も任せとけ。聞き逃すなよ?」

女剣士
「わかった!
絶対に聖剣を手に入れよう!
それで町に帰ったら、その……えへへ……」

パウロ
「ああ、そうだな」

頬を赤く染める女剣士の姿に、ギースが深く溜め息をついた。

ギース
「臨時とはいえ、パーティの仲間に、手ぇ出そうとしてんじゃねえよ……」

パウロ
「うるせえ。
べつにいいだろ」

パウロ
(町に戻ったらパーティも解体だしな)

緊張で重苦しく張りつめていた空気がゆるむ。
身体から無駄な力が抜けた。

パウロは足を進めると、最奥へと続く重い鉄扉を押し開ける。

そこには空間が広がっており、部屋の最奥には乙女の像があった。

ギース
「純白の衣装……ってことは、『聖なる者』の像か!」

パウロ
「じゃあ、あの像が捧げ持ってる剣が……」

パウロ
「聖剣か!!」

タルハンド
「はしゃぐでない!
像の足元を見よ。あれは……」

像の足元には1匹の魔物がいた。
異様な雰囲気を放つ、鞭のごとき尻尾を持つ6本足の大型獣。
その特徴的な姿の名を知っている者がいた。

ギース
「フェンリスヴォルフ……」

ギース
「アイツがガーディアンだってのか!?
む、無理だ! 勝てっこねえ!」

パウロ
「そんなにヤバいのか?」

ギース
「こいつぁな!
魔大陸でS級と恐れられてる、狡猾な魔物なんだよ!」

パウロ
「だからって、今さら引けるかよ!
いくぞ! 接近戦だ!!」

パウロが飛び出すと、タルハンドたちがあとに続く。

ギース
「ええい、もうヤケだこんちくしょう!」

少し遅れてギースも飛び出す。
その頃にはパウロの剣はフェンリスヴォルフの爪と交差していた。

フェンリスヴォルフ
「ガアアァァァ!」

パウロ
「くっ……おっ……ちょ……待てこら……!」

剣を振るって爪を受け流すように弾き、攻めに転じるタイミングを計る。
だが……。

パウロ
(攻撃に、移れねえ……!)

パウロ
(俺の剣が通じねえってのか!?)

これまでに剣の達人をはじめ、水神とまで剣を交えたことがある。
もちろん魔物とだって戦った。

パウロ
(なんでだ!?)

タルハンド
「土槍(アースランサー)!」

フェンリスヴォルフの足元から鋭い土の槍が飛び出し、心臓めがけてつき上がった。

フェンリスヴォルフ
「ゴアゥ!」

フェンリスヴォルフは飛び上がり、土の槍を回避した。
そして自分に向けて攻撃をした相手を即座に確認すると、一足飛びで飛びかかる。

タルハンド
「ぬうぅ!?」

女剣士
「退いて!!」

女剣士がフォローに入った。
パウロも素早く移動して陣形を整えようとするが、それよりも早く魔物が飛び上がる。

ギース
「え」

魔物が標的に定めたのはギースだ。

ギース
「お、俺!?」

パウロ
「ギース! 足止めんな!!」

ギース
「わ、わかってるよ!
つっても……どこに行けば……!」

パウロ
「こっちに来い!」

タルハンド
「岩砲弾(ストーンキャノン)!」

タルハンドは魔法を放ってフェンリスヴォルフの注意を逸らそうとした。
同時にパウロも動く。

フェンリスヴォルフは攻撃を避け、そのままギースに攻撃をしかけた。

パウロ
(届け……!)

ギースとフェンリスヴォルフの爪の間に、なんとか身体を滑り込ませる。

防戦一方。
結局のところ振り出しに戻っただけだ。
陣形は崩れ、打開策も見当たらない。

ギース
「パウロ! ここまでだ!」

パウロ
「クソッ!!」

背後でギースが限界を告げる。
パウロは悔しさを顔に滲ませながらも、叫んだ。

パウロ
「撤退だ! 一旦退くぞ!!」

とはいえ退却も簡単なことではなかった。

足があまり早くないタルハンドや、戦う術を持たないギースを先に行かせて、パウロと女剣士でしんがりを務める。

なんとか部屋を飛び出し鉄扉を閉めた。
そして魔物が襲ってこない場所に身を隠した時、パーティはひどく疲労していた。

パウロ
「みんな大丈夫か?」

ギース
「……ヘヘッ、なんとか、な……」

タルハンド
「しかしどうしたもんか……。
儂らだけでは手に負えんぞ」

女剣士
「外に出て援軍を頼む?」

ギース
「誰が手助けしてくれるんだよ。
言っておくが、驚くほどパウロの人望はねえぞ?」

パウロ
「うるせえ!
お前らもたいして変わんねえだろ!」

パウロ
「とにかく、なんかいい作戦がないか考えるんだよ!」

パウロ
「ものすごい作戦が思いつくかもしんねえし、どんなことにも対応できるように、今は身体を休めとけ」

タルハンド
「ああ、そうだな」

みんな頭を働かせながら休息を取った。
しかし、誰も何も思いつかないまま、時間だけがすぎていく。

どれくらい時間が経っただろう。
不意に、重い鉄扉を開ける音が聞こえた。

パウロ
「!! 今のは……」

タルハンド
「何者かがあの中に入ったか」

パウロ
「何者かって……、そんなのアイツらしかいねえだろ」

気配を殺して鉄扉の元へ戻って、中を覗く。

予想通り、中ではロード・オブ・ジャッジメントがフェンリスヴォルフとの戦闘を繰り広げていた。

トースマン
「くっ……畜生!」

パウロ
(トースマンの剣……フン。
口だけじゃなかったみたいだな)

パウロ
(でも、そんなヤツが率いる、A級のパーティでも苦戦してるのか)

トースマンの力が突出しているのは、見ていてよくわかる。他のメンバーも実力者が揃っているようだがリーダーほどではない。

冒険者
「ひい……ひい……」

エリナリーゼ
「止まらないで! もっと動き回って!
ほら、こっちですわよデカブツ!」

エリナリーゼ
「もう! なんでわたくしの方を向かないんですの!」

パウロ
(フェンリスヴォルフは強い相手を避けて、弱いヤツを選んで狙ってやがる)

パウロ
(どんどん陣形が崩れて、動きが悪くなってるな)

パウロ
(……そうか!
俺たちもこんな風にかく乱されてたのか)

接近戦が不得意なタルハンドやギースを狙うことで、前衛の本来の位置を大幅にずれていた。

トースマンの動きを見て、フェンリスヴォルフが標的を変える。

エリナリーゼ
「!? きゃあっ!!」

エリナリーゼをフェンリスヴォルフの牙が襲う。
彼女はなんとか魔法で攻撃をかわしたが、強敵と向かい合うことになった。

エリナリーゼ
「トースマン! このままでは――」

トースマン
「ああ、わかってる。
このままじゃ俺たちは全滅だ!」

トースマン
「仕方ねえ……撤退だ!」

冒険者
「て、撤退ったって、どうやってこのバケモンから逃げるんだよ!?」

トースマン
「囮を使う」

トースマンの目線の先には、パーティメンバーのひとりがいた。

エリナリーゼ
「え……」

トースマン
「仲間のためだ! わかってくれるだろ?
なあ、エリナリーゼ?」

エリナリーゼ
「トースマン! 何を言ってますの!」

エリナリーゼ
「あなただって、フェンリスヴォルフの強さは見たでしょ!?
わたくしだけでさばける相手ではありませんわ!」

トースマン
「うるせえ!
最小限の犠牲で済むように判断するのが、リーダーの役目だ!」

エリナリーゼ
「だからわたくしを切ると!?」

トースマン
「そりゃそうだろうよ!
パーティの仲間と情婦だったら、情婦を切るに決まってる!!」

エリナリーゼ
「!? わ、わたくしは、仲間ではないと……?」

その質問にトースマンは答えなかった。
ただ鼻で笑って、エリナリーゼを放置して撤退を始める。

冒険者
「お、おい、トースマン!
本気でエリナリーゼを置いてくのか!?」

トースマン
「ああ? 文句があるなら、てめぇも残るか?」

パーティのメンバーは迷うようにエリナリーゼとトースマンを見たが、やがて小声で「お前に、従う……」と同意した。

ロード・オブ・ジャッジメントが撤退を始める。
鉄扉から逃げようとする行く手を、塞ぐ人物がいた。

パウロ
「お前ら、クソだな」

トースマン
「てめぇは……フン、そこを退け!」

パウロ
「仲間を……それも女を囮にして、自分たちだけ逃げようってのか!?」

パウロ
「A級パーティってのはこんなもんか!?
お前らそれでも男か!?
ちゃんとキンタマついてんのかよ!!」

トースマン
「うるせえ! 冒険者を生業にしてたら犠牲はつきものだ!」

トースマン
「それに撤退は立派な戦略だ!
あの魔物を見ろ!」

トースマン
「馬鹿みてえに強ぇ!
敵の力も読めねえわけじゃないだろ!?
全滅するわけにはいかねえんだよ!」

そう吠えると、トースマンはパウロを押しのけて、出て行ってしまった。

ロード・オブ・ジャッジメントのメンバーは、蒼白になった顔で後ろを振り返りながらも、トースマンについて行く。

パウロ
「クソヤロウ共が!!」

怒り心頭。
キレるパウロの肩をギースが叩く。

ギース
「おい、どうするつもりだ?」

パウロ
「そんなことわかりきってんだろ。
だけど、これは俺のワガママだ。
強制はしねえ」

ギース
「……はぁ。
お前の女好きにも困ったモンだぜ。
ま、もう慣れたけどな!」

タルハンド
「ここまで共に戦った以上、途中で抜けるような真似はせぬ。
最後までつき合おう」

女剣士
「私もやるよ!
ここで別れたらパウロと楽しいコト、できなさそうだし!」

パウロ
「お前ら……」

パウロはグッと唇を噛むと、剣の柄を強く握りしめた。

パウロ
「……行くぞ!
フェンリスヴォルフと2回戦だ!」

エリナリーゼは実力者だが、フェンリスヴォルフの対応をひとりではできない。

パウロは地面を強く蹴って駆け寄ると、宙に飛んで剣を振りかざした。

パウロ
「おおぉぉぉぉっらぁ!」

パウロの一撃を魔物が回避する。
攻撃は外れたが、エリナリーゼに近づくことができた。

女剣士
「はああぁぁああぁ!!」

タルハンド
「岩砲弾(ストーンキャノン)!」

女剣士が追撃し、タルハンドが援護する。
フェンリスヴォルフが距離を取り、パウロたちは即座に陣形を作り出した。

エリナリーゼ
「あなたたち……!」

パウロ
「酒場で言ったろ? 情けねえヤツだって。
てめぇの薄情なリーダーに代わって加勢してやるよ!」

エリナリーゼ
「どうして……」

パウロ
「俺はパーティとか仲間とか、正直よくわかんねえ。
誰かと組むのは苦手だしな」

パウロ
「でも俺は例え短い間の期間限定パーティでも、組んでる間は全力で守るし、仲間として支え合う」

パウロ
「俺でさえそうなのに、A級のパーティが仲間を囮にする?
ふざけんな! 冒険者ってのはそうじゃねえだろ!」

エリナリーゼ
「怒ってくれているの……?
わたくしの、ために……?」

パウロ
「お前のためじゃねえ」

パウロ
「俺はな!! 仲間を……それも女を!
囮にして逃げるところを見て、黙ってらんねえんだよ!」

エリナリーゼ
「……!」

パウロは吠える。
不器用で、真っ直ぐで、自分本位でしかない言葉だが、それは不思議とエリナリーゼの胸を打った。

パウロ
「泣いてる場合かよ。
お前も戦えるんなら、やることやんぞ」

エリナリーゼ
「……ええ! もちろんですわ!」

パウロ
「っしゃ、いくぜ!」

パウロの掛け声を皮切りに、戦闘が再開された。

一進一退の攻防。
フェンリスヴォルフの狙いはわかっている。
戦闘能力の低いギースや、足の遅いタルハンドだ。

パウロ
(狙いさえわかってんなら、対処のしようがあるんだよ!!)

それに加えて今回は、エリナリーゼがいた。

パウロが攻め、女剣士が追撃し、タルハンドが魔術で追いつめ、エリナリーゼが反撃を食い止める。

ギース
「すげえ……これが初めて組むパーティかよ。
ヘヘッ、きれいな、連携だな……」

一撃、また一撃と攻撃を加えていく。
魔物の身体から血が吹き出し、次第に動きが鈍くなっていった。

エリナリーゼ
「やあああぁぁぁぁ!」

フェンリスヴォルフ
「グガアアァァアアァ……ア、ァ……」

最後の一撃はエリナリーゼだった。
彼女のエストックが、フェンリスヴォルフの眉間へと突き込まれた。

ギース
「う、動きが止まったぞ……」

パウロ
「か、勝ったのか……?」

エリナリーゼ
「勝ったんですわ!」

タルハンド
「勝ったのだ!」

女剣士
「勝ったよ!」

全員
「うおおおおおぉぉぉ!」

全員が武器を持ち上げ、勝鬨を上げた。
まぎれもなくパウロたちの勝利だ。

パウロ
「あ!」

喜びの中、パウロは当初の目的を思い出す。
聖剣。
それを求めてここまでやって来た。

パウロ
「これが……」

ガーディアンは倒した。
乙女の像が捧げ持つ聖剣を手に入れるため、パウロは手を伸ばす――。

トースマン
「待ちな!!」

パウロ
「トースマン?」

パウロ
「お前、逃げ帰ったんじゃないのか?」

トースマン
「その剣は、俺らのものだ。
触るんじゃねえ」

パウロ
「……はぁ?」

質問に答えが返ってこない。
その代わりに吐き捨てられた言葉に、パウロは唖然としてトースマンを見た。

パウロ
「お前、正気か?
逃げ帰ろうとしてたヤツが今さら、とぼけたこと言ってんじゃねえよ」

トースマン
「とぼけたこと言ってんのは、てめぇのほうだろ?」

トースマン
「パウロ、てめぇだって知ってるはずだぜ」

トースマン
「2つ以上のパーティが同じ魔物と戦った場合、トドメを刺した奴がいるパーティが素材や報酬をいただく。
冒険者同士の暗黙の了解だ」

パウロ
「それがどうしたよ。
お前には関係ねえだろ」

トースマン
「いいや、大アリだ」

トースマン
「ずっと見てたが、トドメを刺したのはエリナリーゼだった。
エリナリーゼは俺のパーティだ。
だから、聖剣を手に入れる権利があるのは、俺だ!!」

パウロ
「お前……、それ本気で言ってんのか……?」

エリナリーゼ
「トースマン!
あなた、さすがにそれはないのではなくって?」

トースマン
「ハッ! 何がねえんだよ。
実際トドメを刺したのはお前だぜ?」

トースマン
「ロード・オブ・ジャッジメントのエリナリーゼ・ドラゴンロードがトドメを刺した!」

トースマン
「なら、ロード・オブ・ジャッジメントのリーダーである俺には権利がある!」

パウロ
「お前!!
自分がエリナリーゼに何したか忘れたのか!?」

パウロ
「囮に使ったんだぞ!?
そのくせ手柄だけ持ってこうってのか!?
プライドも何もねえのかよ!」

パーティに縁がなかったパウロでも、暗黙の了解のことは知っていた。
それでもトースマンの態度には怒りが湧いてくる。

トースマン
「うるせぇ! プライドだぁ!?」

トースマン
「パーティは壊滅状態、俺が最後まで無様に逃げまわってたと知れりゃあ、今まで築いてきた名声も地に落ちる!!」

トースマン
「聖剣ぐらい持ち帰らねえと、ワリに合わねえんだよ!
プライドっつーなら、これが俺のプライドだ!!」

エリナリーゼ
「冗談じゃありませんことよ!
そんなことを喚き散らされた日には、ロード・オブ・ジャッジメントの名は失墜させますわ!」

トースマン
「な、なんだと!?」

エリナリーゼ
「わたくしを捨てたのはあなた!
捨てられていつまでも縋るほど、わたくし、弱い女じゃありませんの!」

エリナリーゼ
「あなたがわたくしをロード・オブ・ジャッジメントだと言うのなら!
こっちから抜けてやりますわ!」

エリナリーゼ
「パーティを抜けるのにリーダーの許可は必要ありません!
粗野だけど見どころのある男だと思ってたのに、とんだ小物でしたわね!」

冒険者
「……お、俺も抜けるぞ!
これ以上アンタについていけねえ!」

トースマン
「てめぇぇらぁぁぁ!」

エリナリーゼたちが宣言すると、トースマンの顔が怒りで真っ赤に染まった。
彼が腰の剣を抜き取る。

トースマン
「どうしても剣を渡さねえなら、ここで全員片づけてやる!」

パウロ
「5対1だぞ。
本気でやるつもりか?」

トースマン
「ハッ! 疲弊しきったてめぇらなんざ、俺の敵じゃねえよ!」

パウロ
(確かに、アイツはほぼ無傷だ)

パウロ
(フェンリスヴォルフっていう窮地を切り抜けたのに、こんなことで誰かが死ぬかもしれねえ……)

パウロの決断は早かった。

パウロ
「……わかった。
そこまで言うなら、聖剣はお前にやる」

ギース
「パウロ!? 何言ってんだよ!」

パウロ
「考えてみりゃあ、俺たちだけじゃ倒せなかった。
エリナリーゼがいなかったら、ここで野垂れ死んでたかもしれねえ」

パウロ
「それに、暗黙の了解もそうだ。
ロード・オブ・ジャッジメントが剣を取るのも、ま、筋が通ってないわけじゃないしな」

トースマン
「へ、へへ……物わかりがいいじゃねえか」

パウロ
「ここまで来て、お前のワガママで誰かが死ぬのはつまんねぇと思っただけだ」

パウロ
「ただ、渡すのは聖剣だけだぞ。
フェンリスヴォルフの素材はいただく」

トースマン
「ヘヘ。ああ、いいぜ、好きにしな……」

トースマンがパウロの横を通って聖剣を取りに行く。
ギースがパウロの元に駆け寄ってきた。

ギース
「お前いいのかよ!
聖剣が欲しかったんだろ!?
そのためにここまで来たんだろ!?」

パウロ
「いいんだよ。
珍しい素材は手に入るんだ。
無駄足にはなんねえだろ?」

ギース
「そういう問題じゃ――」

トースマン
「そんなバカな……!」

ギースが言葉を続けようとした時、トースマンの声が響いた。
何ごとだと彼を見ると聖剣を手に呆然としている。

トースマンが剣を鞘から引き抜くと――。

トースマン
「剣が、ねえ……?
鞘だけじゃねえか!!
どうなってやがるんだよ!!」

タルハンド
「模造品か」

パウロ
「模造品?」

タルハンド
「おそらく、元から模造品を祀っておっただけなのじゃろうな」

タルハンド
「何も珍しいことではない。
レプリカだろうがなんだろうが、信じる者にとっては充分に御神体になる」

トースマン
「バカな……そんなバカな……!」

トースマンは呆然として、その場に膝から崩れ落ちた。
彼は名声もプライドも失っただけで、何も手に入れることができなかったのだ。

エリナリーゼ
「オーッホッホッホ!
わたくしたちを見捨てようとしたバチが当たったんですわ!」

冒険者
「ヘッ、ざまぁねえなリーダー」

元パーティのふたりがトースマンをあざ笑うが、もはや彼には怒る気力もないようだった。

やがてトースマンはふらつきながら出て行ってしまう。
パウロたちは素材などを回収してから、遺跡を離脱することにした。

パウロ
(模造品……このために命をかけたのか。
で、アイツは全てを失った……)

パウロ
(せめて仲間を大事にしてればな。
少なくともパーティは残ってたはずだ)

パウロはトースマンが残していった聖剣の模造品を拾う。

ギース
「ん? そんなんどうすんだよ?」

パウロ
「戒めにもらっとこうと思ってさ」

ギース
「戒め? どんな?」

パウロ
「アイツみてえにならないように、ってな!」

数日後――。

町に帰還したパウロたちは、素材を売り払い、その金を持って酒場に繰り出した。

パウロとギース、タルハンド、女剣士で、山ほど料理と酒が並ぶテーブルを囲む。

パウロ
「あー……今回は助かった。
聖剣は手に入らなかったけど、いい経験になった」

パウロ
「これでパーティは解散だ。
もともと、そういう話だったしな」

ギース
「……ま、そうだよ、な」

パウロ
「だから、改めて頼む!
今度は正式に!
俺とパーティを組んでくれ!」

パウロが声を上げる。
ギースたちは目を見開いていた。

パウロ
「パーティの名前は……んー、そうだな……。
すぐには思いつかねえし、とりあえず『ロード・オブ・ジャッジメント』をもらっとくか」

パウロ
「なあ! これからも一緒に冒険しようぜ!」

パウロが前のめりで誘うと、ギースたちは顔を見合わせて、肩をすくめる。

ギース
「……ま、これまでのつき合いもあるしな。
お前と一緒だと面白いってのもわかってる」

ギース
「だから、いいぜ!
お前につき合ってやるよ!」

ギース
「ま、そのパーティ名はナシだけどな」

ビシッと指をさされながら否定されて、パウロは眉を寄せた。
そんな彼の腕を女剣士が引く。

女剣士
「うーん、私は……ゴメンね。
パウロとの冒険は楽しそうだけど、こういう戦いはこりごりだよ」

女剣士
「でも! 約束は守ってね!
今夜は、その……えへへ……!」

パウロ
「ああ! それはもちろん!」

もじもじして恥じらいをみせる彼女に、パウロはデレッとにやけた表情を浮かべた。

ギース
「おい! 俺への反応はねえのかよ!
なんかあるだろ? ありがとうとか、心強いとか!」

声を上げるギースにパウロは首を傾げる。

パウロ
「お前は今さらだろ。
入ってくれるってわかってた」

ギース
「お、おう……!」

パウロ
「……タルハンドは?」

黙って話を聞いていたタルハンドが、返事をせずに一気に酒をあおる。

タルハンド
「……儂は、まだパウロのことをよくわかっておらん。
だから……飲み比べだ!」

パウロ
「飲み比べ?」

タルハンド
「どうする? 受けて立つか?」

パウロ
「ああ! やってやるぜ!」

ギース
「本気かよ?
タルハンドがすげえ飲むってのは、有名な話だぜ?」

パウロ
「いいさ!
俺が勝たなきゃ仲間にはならねえとか、そういう話じゃねえしな」

タルハンド
「うむ、そうじゃな。
儂はあくまでどういう人間かを見たいだけだ」

パウロ
「じゃあたっぷり見せてやるよ。
だからって負けるつもりはねえけどな!」

パウロとタルハンドは飲み比べをはじめたが、決着はなかなかつかなかった。

遺跡で稼いだ金がなくなるほど酒を飲み……。
この日パウロは人生で初めて、女の子との夜の約束を果たすことができなかった。

何はともあれ、酒のにおいが満ちた酒場で、男3人の、パウロ曰くムサいパーティ、ロード・オブ・ジャッジメント(仮)が結成されたのである――。

3話【迷宮踏破】

未だに名前は仮のままだが、パウロたちがパーティ『ロード・オブ・ジャッジメント』を結成して、丸5日が経過した――。

大鳥亭を拠点にいくつかの依頼をこなしているが、パウロには思うところがある。
報酬の分配をし終えてから、重々しく話を切り出した。

パウロ
「……これは由々しき問題だ。
お前らもそう思うだろ?」

ギース
「はいはい、そうだな。
おっ、この肉料理うめえな!」

タルハンド
「む……酒が足りんな。
店主! もう1杯おかわりだ!」

パウロ
「お前らぁ……!
ぜんぜん聞いてねえだろ!?」

パウロ
「俺はリーダーとして、パーティの今後に関わる大事な話をしてんだぞ!?
もう少し真面目に聞けよ!」

パウロが席を立って声を上げると、ギースとタルハンドは溜め息をついて顔を見合わせた。

ギース
「だってよぉ、ソレを問題視してんのはパウロだけだろ?
俺らはべつに……なあ?」

タルハンド
「ああ、いかにも。
だが反対する気もない。
その件に関しては好きにするといい」

ギース
「つーよりもよぉ、名前をどうにかしようぜ?
ロード・オブ・ジャッジメントのままって、どうなんだよ?」

ギース
「俺らがトースマンの仲間だって、もう何回間違われたことか……!」

タルハンド
「いくら解散したとはいえ、他のパーティの名をいつまでも借りてはおれまい」

パウロ
「それこそどうでもいい!
もっと他に大事なことがあるだろ!」

パウロはテーブルを叩いて立ち上がると、冷めた様子の仲間に向かって吠えた。

パウロ
「ギース、タルハンド!!
お前らはわかっちゃいねえな!
うちには大事なモンが欠けてんだぞ!」

パウロ
「うちにはな……華がないんだ!!」

誘った女剣士に振られ、男3人だけで組んだパーティがパウロは不満だった。
それはもう、非常に。

パウロ
「どうせ男女比が偏るなら、俺は圧倒的に女に偏ったパーティが良かった!」

パウロ
「依頼をこなしてる時も、終わって酒飲む時も、宿に泊まる時も、周りにいるのはムサい男だけ!」

パウロ
「わかるだろ!? これはなぁ!!
一刻も早く解決しなきゃいけねえ問題なんだぜ!?」

ギース
「つってもなぁ……。
腕の立つ女の冒険者は引く手あまただ。
とっくにどこかのパーティに所属してるだろ?」

タルハンド
「今さら新規のパーティに入りたがる者がいるとは思えん。
しかも名前がなぁ……」

ギース
「そうそう、名前が悪い。
前のも今のも、ロード・オブ・ジャッジメントは
評判よくねえからな」

パウロ
「じゃ、じゃあ……、ロード・オブ・ジャッジメントを知らない、冒険者になりたての新人を勧誘するとか!」

ギース
「それはいいけどよ……。
お前についてこれる新人がいるのか?」

タルハンド
「……例えば、あそこにいる娘はどうじゃ?」

タルハンドが目線で示す先には、見るからに新人といった風情の女冒険者がいる。

パウロ
「すげえかわいい。
おっぱいもでけえし最高だな!」

タルハンド
「女として抱く分にはいいだろう。
では、仲間として背中を預けられるか?」

パウロ
「!! それは……」

パウロ
「あの子は、ものすごくかわいい。
だけど……武器の手入れができてねえ。
あれじゃあ背中は預けられねえよな……」

タルハンド
「それが見えるほどの冷静さはあるとわかっているから、パウロの好きにしていいと言ったんじゃ」

パウロ
「……そう、かよ」

タルハンドの言いたいことはわかる。
パーティの力に見合った冒険者を性別を縛って探すのは難しいだろう。

ただでさえここにいるのは、パーティのメンバーを見つけるだけで苦労していたメンツだ。

パウロ
(俺たちの力とつり合う、女冒険者……)

ふとパウロの頭に、ひとりの女の顔が浮かぶ。

パウロ
「あいつは……?」

ギース
「あいつって?」

パウロ
「ほら、あの女冒険者!
トースマンのとこにいた、エリナリーゼってヤツ!」

タルハンド
「む……」

パウロ
「あの女、今どうしてんだろうな?」

パウロ
「遺跡で一緒に戦って、エリナリーゼの腕が立つのはわかってる。
それに俺たちとの相性も悪くなかった」

パウロ
「俺の好みとは違うけど、うちに合ってる気がする!
だからあいつのこと誘ってみないか?」

話せば話すほど名案に思えた。
パウロのタイプではないが、エリナリーゼなら間違いなく『華』と言えるだろう。

ギース
「まあ、お前がそう言うなら、声をかけてみてもいいかもしれねえな」

パウロ
「どこに行けば会えるんだ?」

ギース
「んー……派手な女だったし、酒場や食事処で聞いてみればわかるかもな」

タルハンド
「………………」

タルハンド
「エリナリーゼの居場所ならば予想がつく」

パウロ
「エッ?」

ギース
「なんで知ってるんだ?
俺よりも情報通じゃねーか!」

タルハンド
「……知人だ」

パウロ
「知り合い!?
そうなら先に言えよな!」

タルハンド
「う、うむ……」

パウロが迫ると、タルハンドは気まずげに酒を煽る。

タルハンド
「しかし、あやつを仲間にするのか……」

パウロ
「文句あんのかよ?
さんざん好きにしていいって言ったろ?」

タルハンド
「……あの女は、呪われている」

パウロ
「は? 呪いって……?」

タルハンド
「会って話せばわかる。
詳しいことは本人に聞くといい」

そう言うとタルハンドは席を立った。

パウロ
(エリナリーゼが呪われてるって、どういうことだ……?)

内心で首をかしげながらも、パウロはタルハンドのあとに続いた。

タルハンドが狭い歩幅で向かったのは、町にある冒険者御用達の宿だった。

タルハンド
「あいつが主に使っているのは、西の角部屋だ。
行くならひとりで行け」

ギース
「え? 俺らは?」

タルハンド
「待機じゃ」

ギース
「一緒に行くとマズいのか?」

タルハンド
「十中八九」

ギース
「よし、パウロ。行ってこい!」

タルハンドの雰囲気に危険を察知したのか、ギースはあっさりとパウロをひとりで行かせることに同意した。

パウロ
「よくわかんねえけど、わかった!
ちょっと説得してくるぜ!」

パウロは西の角部屋に向かい、ドアをノックする。

パウロ
(……返事がない?
いないのか?)

そっと耳を澄ませてみると、中からは微かに人のいる音が聞こえてきた。

パウロ
(いるんじゃねえか)

顔をしかめながら、2度、3度とノックを繰り返す。
居留守なんて使わせない。
出てくるまで何度でもドアを叩いていると――。


「うるせえんだよ!!」

パウロ
「!」

ドアが開いて男が殴りかかってきた。
パウロは攻撃をかわして、つい思わず反撃する。
拳が男の腹にめり込んだ。


「う、ぐっ……」

パウロ
「あ……お、おーい、起きてるかー?」

パウロ
「……ダメだな。気絶してやがる」

男を揺すってみるが起きる気配はない。
どうしたものかと頭をかいていると、人が近づいてくる気配がした。

エリナリーゼ
「パウロ……?
あなた、何をしているんですの?」

パウロ
「よぉ、エリナリーゼ。
今日はお前に話があってきたんだ」

エリナリーゼ
「……話も何も、どうして彼が気を失っているのかしら?
あなたがやりましたの?」

パウロ
「正当防衛だ」

エリナリーゼ
「なんでもかまいません。
では、さようなら」

パウロ
「!!」

エリナリーゼがドアを閉めようとするのを、パウロは隙間に足を挟んで止めた。

エリナリーゼ
「何をなさいますの!?」

パウロ
「だから! 話があるんだって言ってんだろ!?」

エリナリーゼ
「聞く気はありませんわ!
人のお楽しみを邪魔しておいて図々しい!」

パウロ
「は!? お楽しみって……お楽しみか!?
男と女のアレやソレ!?
弱くて冴えないこの男と!?」

足元で倒れている男を示し、パウロは驚愕の表情を浮かべる。

エリナリーゼ
「わたくしが誰とナニをしようが、あなたに関係ありませんことよ!」

パウロ
「いいや! 関係あるぜ!」

パウロ
「俺はお前を勧誘しに来たんだからな!」

エリナリーゼ
「……はい?」

パウロ
「エリナリーゼ・ドラゴンロード。
俺のパーティ、ロード・オブ・ジャッジメントに入らないか?」

エリナリーゼ
「ロード・オブ・ジャッジメント……。
メンバーが全員やめて解散したはずなのに、最近また名前を聞くようになったので不思議でしたの」

エリナリーゼ
「あなたたちが名乗っていましたのね。
それで、わたくしを仲間にと……」

エリナリーゼ
「あなた……本気で言ってますの?」

パウロ
「冗談で誘うかよ」

エリナリーゼは真っ直ぐな目でパウロを見据えてくる。

しばらくの間ふたりは見つめ合っていたが、不意にパウロの足を挟むドアの力が緩んだ。

エリナリーゼ
「……いいでしょう」

パウロ
「本当か!?」

エリナリーゼ
「ただし!」

エリナリーゼ
「あなたがわたくしを満足させることができたら、ですわ」

パウロ
「それって、つまり……」

エリナリーゼ
「あなたが気絶させてしまったせいで、わたくし、身体が火照っていますのよ……」

エリナリーゼ
「自信がないのなら、無理にとは言いませんわ」

妖艶に笑うエリナリーゼにパウロもニヤリと笑みを返す。
そしてドアを開けて中に踏み込むと、エリナリーゼの腰をグッと抱き寄せた。

パウロ
「満足させられるか?
そんなの自信しかねえよ」

エリナリーゼ
「あら、楽しみですわ」

ドアが閉まると同時に、エリナリーゼによる試験が始まった――。

翌日――。

タルハンド
「落ちつけ、ギース」

ギース
「これが落ちつけるかってんだよ!
ひと晩経ってもパウロが帰ってこねえなんて、何かあったに決まってんだろ!」

ギース
「俺は戦えねえんだ!
いざって時は頼むぜ、タルハンド!」

タルハンド
「うむ……心配はいらんと思うが……」

ギース
「い、いい行くぞ!」

朝いちばん、エリナリーゼの部屋に乗りこんだふたりが見たものは、ベッドの上ですっからかんに搾り取られたリーダー……パウロの姿だった。

ギース
「し、死んでるのか……?」

タルハンド
「早合点するでない。
まだ息はある」

エリナリーゼ
「ふふふ、楽しい一夜でしたわ。
ギース、タルハンド。
仲間として、これからよろしくお願いしますわね」

こうして4人となったロード・オブ・ジャッジメントは、少数精鋭の実力派として、順調に依頼をこなしていくことになった。

いくつかの依頼を達成し、メンバー同士の連携が上手くまわり始めた頃……、リーダーが唐突に言い出した。

パウロ
「迷宮に行こうぜ」

ギース
「は? 迷宮?」

タルハンド
「ふむ……」

エリナリーゼ
「お互いのこともわかってきましたし、頃合いとしては悪くありませんわね」

迷宮とは、大地が作り出す天然のダンジョンだ。
ただの洞窟や地下空洞に魔力が溜まることで変異し、迷宮へと変貌を遂げる。

最奥には魔力結晶と呼ばれる巨大な宝石が存在しており、その存在が魔物を呼び寄せた。
そして迷宮は内部で死んだ魔物や人間を吸収して大きくなるとされている。

パウロ
「そうだろ?
迷宮踏破は冒険者のロマンだしな!」

ギース
「つーけどよ、そう簡単に行くか?
迷宮っつったら聖剣を探しに行った遺跡より、厄介な場所じゃねえの?」

パウロ
「だからいいんだろ!」

パウロ
「本物の迷宮を攻略できたら、賞金はがっぽりだし、ランクだって上がるはずだ!
冒険者としてもう1段上に行ける!」

タルハンド
「なるほど。
ちまちま低いランクの依頼をこなすのは、性に合わんということか」

パウロ
「そういうことだ!
だから、迷宮行こうぜ!」

エリナリーゼ
「わかりましたわ。
でも迷宮の場所は把握していますの?」

パウロ
「それはギースが頑張る」

ギース
「おい!」

エリナリーゼ
「装備はもちろん、攻略の準備は念入りすぎるほどにしないといけませんわね」

パウロ
「それもギースが頑張る」

ギース
「俺の意見は聞かねえのかよ」

パウロ
「? なんだよ?
やってくんねえのか?
それとも迷宮踏破に興味ねえとか?」

ギース
「そんなわけねえだろ!
俺が全部やってやるから、お前らは大船に乗ったつもりで待ってろ!」

リーダーのパウロの唐突な提案から1週間後、ロード・オブ・ジャッジメントは迷宮踏破を目指して町を出た。

聖剣の遺跡の時のように時間に追われてはいない。
連携や戦術を確認しつつ、1週間ほどかけて慎重に迷宮を目指していた。

ギース
「今日はこの辺で野営だ。
暗くなる前に支度を終わらせるぞ」

パウロ
「なぁ、ギース。
ここから迷宮まであとどのくらいだ?」

ギース
「急げば3日、このペースなら5日ってとこか」

パウロ
「おお……まだけっこうかかるんだな」

エリナリーゼ
「じゃあ、次の村か町まで、あとどのくらいかかるのかしら?」

ギース
「こっから1日ってとこに小さな町がある。
明日はそこで宿を取るつもりだぜ」

エリナリーゼ
「あと1日……そのくらいなら、まあ、いいでしょう」

タルハンド
「……男漁りか」

パウロ
「いいじゃねえか。
俺も迷宮に挑む前に英気を養わねえとな!」

ギース
「なんでもいいけど、トラブルは起こすんじゃねえぞ……」

ギースは呆れたような顔をしながらも、料理の支度に取りかかる。

日が沈んだ頃、パウロたちは焚き火を囲んで、ギースが作った夜食に舌鼓を打っていた。

パウロ
「ん?」

ギース
「なんだ? 美味すぎて驚いたか?」

パウロ
「……今さらンなことで驚くかよ」

パウロは皿を置いて剣に持ち換えると、ギースたちの前に出る。

エリナリーゼやタルハンドも態勢を整える中、ギースだけがわけもわかっていなかった。

パウロ
(微かに、気配がする……)

空気が張りつめる中、正面の茂みが揺れて――。

???
「ぅ……」

パウロ
「!! 獣族……?」

???
「……う、ぐ……」

パウロ
「おい! 大丈夫か!?」

パーティの前に現れたのは獣族の女だった。
彼女はふらつきながら近づいてくると、パウロたちの前で崩れ落ちる。

ギース
「な、なんだなんだ!?
どうしたんだ!?」

エリナリーゼ
「怪我をしていますの?」

タルハンド
「その前に周囲の警戒をせねば。
彼女が何かに襲われたのならば、まだ近くに襲撃者がいるやもしれん」

ギース
「襲撃者!? 獣か賊か魔物か!?」

パウロ
「……ん?」

パーティのメンバーが騒ぐ中、パウロは獣族の女を腕に抱き、違和感に首を傾げた。

パウロ
「なあ、こいつさ、怪我してるようには見えねえんだけど」

エリナリーゼ
「え? ちょっと見せてください」

エリナリーゼ
「……あら、本当ですわ」

ギース
「じゃあなんで倒れたんだよ?」

パウロ
「知るか。本人に聞いてみねえと……おーい。
お前、意識はあんのか?
聞こえてんのか? おーい」

???
「……ぅ、っ……、った……」

パウロ
「は? なんだって?」

???
「……はら、……へっ、た……」

パウロ
「つまり……行き倒れ?」

パウロの問いに答える者はなく、焚き火の爆ぜる音だけが静かな森に落ちた。

1時間後――。

???
「ふぅ……満腹だ」

???
「肉もスープも美味かった」

パウロ
「そりゃけっこうだけどよ、そろそろ名前くらい教えてくれてもいいんじゃねえか?
無我夢中で食ってて、ロクに喋んねえんだもんな」

???
「ああ、まだ名乗っていなかったか。
あたしはギレーヌ。
一応、冒険者をしている」

ギース
「ギレーヌ?
もしかして……黒狼、か?」

ギレーヌの名前を聞いてギースが反応した。

パウロ
「知ってんのか?」

ギース
「名前だけだけどな。
かなり腕が立つって話だぜ」

パウロ
「ふーん、ギレーヌか……見たとこ、剣士だな。
でもなんで一応なんだ? 冒険者登録してんだろ?」

ギレーヌ
「あたしは世の中を知るために旅をしてる。
師匠に、旅をするなら冒険者になったほうがいいと言われてなっただけだ」

パウロ
「なるほど。
肩書きだけだから一応ってつくわけか」

パウロ
「どおりで腹減って行き倒れるわけだぜ。
いっぱしの冒険者なら、そんなヘタは打たねえだろうしな」

パウロが笑うと、ギレーヌは気まずげに目をそらした。

ギレーヌ
「食べ物が買えなかったんだ。
……金がなくて」

ギース
「それこそ冒険者の肩書きを使うとこだろ?
依頼を請けて報酬をもらえば、メシ食うくらいの金になるぜ?」

ギレーヌ
「依頼は請けた。
パーティに入れてもらって魔物を討伐して、報酬ももらった」

エリナリーゼ
「魔物と戦闘になるような依頼でしたら、それなりの報酬になるはずですわ。
そのお金はどうしましたの?」

ギレーヌ
「1回の食事でなくなった」

タルハンド
「宵越しの金は持たん主義か?」

ギレーヌ
「ヨイゴシ? なんだそれは?
大銅貨とどっちが高い?」

真面目な顔をして聞いてくるギレーヌに、パウロたちは揃って同じ疑惑を覚えた。

エリナリーゼ
「ギレーヌ、あなた、何ランクの依頼を請けて、いくらほど、わけ前をもらいましたの?」

ギレーヌ
「確か――」

ギレーヌの返答を聞いて、パーティの全員が抱いた予感は確信へ変わる。

パウロ
「ギレーヌ、騙されてんぞ」

ギレーヌ
「何?」

ギース
「その条件だったら、報酬は10倍あってもいいくらいだぜ」

ギレーヌ
「!?」

ギース
「戦闘に参加しなかったとか、役に立たなかったって言うなら話は別だが、お前はそうじゃねえんだろ?」

ギレーヌ
「1番多く切った」

パウロ
「じゃあやっぱり騙されてんだよ」

パウロ
「それに気づきもしねえなんて、お前、よっぽどのお人好しか、バカだろ」

ギレーヌ
「!!」

衝撃の事実と言わんばかりに、ギレーヌが固まる。

タルハンド
「騙されるのが初めてではなさそうだ」

エリナリーゼ
「旅をしているなら後腐れありませんものね。
騙されて、追い出されて……。
その繰り返しだったのでしょう……」

ギレーヌ
「やめろ! そんな目で見るな!」

生温かい視線に居心地が悪くなったのか、ギレーヌが立ち上がった。

ギレーヌ
「……世話になった。あたしはこれで――」

パウロ
「なんだ、もう行くのか?
一文なしなら泊まるとこもねえんだろ?
ここにいればいいじゃねえか」

ギレーヌ
「これ以上の借りを作る気はない」

エリナリーゼ
「急いでいるようね。
どこか行きたい場所でもあるのかしら?」

ギレーヌ
「迷宮だ」

ギレーヌの言葉にパウロは目を丸くする。

パウロ
「迷宮って、この先の密林地帯にある迷宮か?」

ギレーヌ
「ああ」

ギース
「行き倒れるくらいだし、パーティも組んでないんだろ?
迷宮にひとりで入ろうなんて、命を捨てに行くようなもんだぜ?」

ギレーヌ
「侮るな。そんなに弱くない」

エリナリーゼ
「この無謀で無鉄砲な感じ、パウロによく似ているんじゃなくて?」

ギース
「ハハッ、そうだな!
どおりでパーティを組めねえはずだ」

パウロ
「うるせえ!
俺のことはほっとけ!」

ギースとエリナリーゼに吠えてから、パウロはギレーヌに向き直った。

パウロ
「それより、ギレーヌ。
お前はやっぱりここに残ったほうがいい」

ギレーヌ
「なんだと?」

パウロ
「俺らも密林の迷宮を目指してるんだ」

パウロ
「だから一緒に行かねえか?
冒険者同士、パーティでも組んでさ!」

パウロは何人もの剣士を見てきた。
その中でもギレーヌが突出した実力者であることは、ひと目見た瞬間に察知していた。

パウロ
(腕の立つ剣士が増えれば、連携の幅が広がるし、うちはもっと強くなるだろう)

戦術的な面を考えるリーダーとして、ただ単純にギレーヌに反応する男として、パウロは彼女を勧誘する。

ギレーヌ
「お前たちには世話になった。
だが、それとこれとは話がべつだ」

ギレーヌ
「パーティには入らない。
ひとりでも迷宮は攻略できる」

パウロ
「そんなに甘くねえと思うけど?」

ギレーヌ
「……世話になった」

ギレーヌはそれだけ言うと、1度も振り向くことなく立ち去ってしまった。

エリナリーゼ
「行ってしまいましたわね……」

タルハンド
「追うか?」

パウロ
「今何を言っても、本人に聞く気がなさそうだからな。
それにあんまり夜動きまわるのは得策じゃねえ」

パウロ
「何はともあれ、明日も早い。
さっさと休もうぜ」

――密林地帯に迷宮と化した遺跡がある。

ギースが手に入れた情報を元に町を出発した冒険者パーティ、ロード・オブ・ジャッジメントは、その日、迷宮の入口に到着した。

中に足を踏み入れてすぐ、パウロたちは異変に気づいた。

パウロ
「魔物の死骸だ」

タルハンド
「ふむ、あちこちに散らばっているな。
見事な切り口だ」

エリナリーゼ
「これはギレーヌがやったのかしら?」

パウロ
「他にいねえだろ。
にしても……あいつ、かなり強いな」

魔物はひと太刀で切り捨てられていて、パウロは剣士として感心してしまう。

パウロ
「……迷宮攻略はひとりでできるって、大きなことを言うだけの実力はありそうだ」

タルハンド
「まさかギレーヌは、向かってくる魔物を全て相手にしたのか?」

ギース
「かもしんねえな。
先までずっと死骸が続いてる……。
底知らずの体力か?」

パウロ
「底知らずったって、限界のないヤツはいねえよ」

パウロ
「初めての迷宮だ。
慎重に進んだほうがいいんだろうけど、……先を急ぐぞ」

エリナリーゼ
「ギレーヌのため、ですの?」

パウロ
「放っておけないだろ。
あんないいケツした美人」

ギース
「お、お前ってやつは……結局そこか!!
まさかパーティに誘った理由も、そういうことじゃねえだろうな!?」

パウロ
「悪いか? 大事なことだろ?」

エリナリーゼ
「節操のない人ですこと」

パウロ
「お前だけには言われたくねえな」

初めての迷宮に挑んでいるとは思えないほど、パウロたちはいつものままだった。
気負いはない。

パウロがしばし口をつぐみ、全員の顔をぐるりと見わたす。

パウロ
「……よし、行くか」

ギレーヌが先行していることもあり、パウロたちを襲撃する魔物もほとんどいなかった。

パウロ
(ま、さすがにゼロではないけどな!)

目の前に迫ってきた複眼の魔物を切る。
同時にパウロの左右を魔法が飛んでいき、正面に陣取る魔物の群れを攻撃した。

ギース
「はぁ、おっかねえ……」

タルハンド
「こんなものか」

エリナリーゼ
「数も多くありませんし、最奥までは時間をかけずに行けそうですわね」

ギース
「罠も発動済みのばっかしだ。
こりゃあれだな。
前に行ったヤツがほとんど引っかかってんだ」

パウロ
(ギレーヌか)

パウロ
「……こりゃなんつーか、ますます急いだほうが良さそうだな」

パウロが攻撃特化で戦い、エリナリーゼは堅実な前衛を務める。
タルハンドは後方から魔法で攻撃。

パウロたちの戦術はシンプルだ。
だが、個人プレーが得意な実力者が揃うパーティにとって、単純な役割分担が、大きな効果を生んでいた。

ギースが罠に注意しつつ、パウロたちは迷宮を進み続け、驚くほどの速さで最奥の前まで辿りついた。

パウロ
「………………」

ギース
「なんだよ、急に黙り込んで。
ビビッてんのか?」

パウロ
「なわけねえだろ。
ただ、こっから先は今までみたいに簡単にはいかねえ」

パウロ
「魔力結晶を守ってるガーディアンがいる。
もしかしたら聖剣の遺跡の時よりも、厄介な魔物かもしれねえ……」

タルハンド
「様子を見るか?
それともすぐに戦闘に入るか?」

パウロ
「ギレーヌ次第だ……エリナリーゼ」

エリナリーゼ
「ええ、わかっていますわ。
ギレーヌの状況次第では救出する必要があります。
わたくし達に治療できる程度の負傷ならいいのですけど」

ギース
「なんにしろ、お前らは魔物に集中しろ。
罠なんかの仕掛けがないか、俺が確認しとく」

パウロ
「おう。みんな言うまでもなかったな。
それじゃあ……行くか!」

パウロたちが迷宮の最奥に足を踏み入れると、そこは広い空間が広がっていた。

密林の中にあるからか、壁や天井の裂け目からツタが伸び、苔が生えている。

少し湿ったその空間で、ギレーヌが巨大な蛇の魔物と交戦していた。

ギース
「あ、あれは……レッドフードコブラ!?」

パウロ
「知ってんのか?」

ギース
「魔大陸に生息する、危険度Aランクの魔物だ……」

レッドフードコブラは巨体で、その全身を火の耐性を持つ硬い鱗でおおわれている。
また俊敏性が非常に高く、ギレーヌの攻撃をかわしていた。

ギース
「火の魔法は使っても意味がねえ。
それから、牙には気をつけろ」

パウロ
「蛇の牙……毒か。
とりあえず、今はそれだけわかれば充分だ」

パウロはメンバーの顔を順に見てから、剣を構える。
そして軽く地面を蹴って、魔物に飛びかかった。

剣を一閃。
パウロの刃がレッドフードコブラに届く。

パウロ
「!?」

剣が鱗に弾かれた。
パウロは柄を握る手に力を込める。
そうしなければ反動で剣を落としてしまいそうだ。

パウロ
「かってェな!」

ギレーヌ
「! おい、なんのつもりだ?
こいつはあたしの得物だぞ!」

パウロ
「苦戦してたクセに無理すんなよ!」

ギレーヌ
「そ、そんなことはない!」

それが虚勢だということは、誰の目にも明らかだった。

パウロ
(ひとりで突破して、ここまで来たんだ。
疲弊してないはずがねえ)

レッドフードコブラはただでさえ俊敏で、疲弊して鈍ったギレーヌの剣では明らかに苦戦している。

タルハンド
「岩砲弾(ストーンキャノン)!」

タルハンドの後方からの攻撃を、魔物は巨体を器用に動かしてかわした。

レッドフードコブラは標的をタルハンドに変えて襲いかかってくるが、そこを狙うようにエリナリーゼがエストックを振るう。

ギレーヌ
「おい! 邪魔をするな!」

パウロ
「文句言ってる場合か?」

ギレーヌ
「あたしの獲物だ!」

ギレーヌはパウロたちに吠えると、レッドフードコブラに向かっていった。

彼女の太刀筋は、見る者が見ればわかるほど洗練されている。

パウロ
(剣神流……それもかなり強い)

パウロ
(俺がこれまでに見た、
どの剣神流の使い手よりも巧みだ)

自分よりも強いと思える剣士に出会うのは、ギレーヌがふたり目だった。

ひとりは言うまでもなく水神レイダだ。
彼女とは肩を並べて戦うなんてことはなく、一方的にやられただけだった。

パウロ
(俺より強い剣士と組んで戦う。
しかも相手は強力な魔物……)

パウロ
「……面白え!」

知らず知らずのうちにパウロは笑っていた。

レッドフードコブラがパウロにつっ込んでくる。
後ろに飛んでかわせば、毒を帯びた牙が地面に刺さって表面を溶かした。

パウロ
「はぁあああっ!」

パウロ
(鱗は硬くても目は柔らかいはずだ!)

狙って剣を振るうが届かない。
魔物がかわした先にはギレーヌがいた。

パウロ
(動きを読んでたのか!?)

ギレーヌは剣を一閃するが、レッドフードコブラが頭を振って剣先をずらす。

ギレーヌ
「く……!」

パウロ
「ギレーヌ! いつもより深く踏み込め!」

ギレーヌ
「あたしに命令するな!」

パウロ
「いいから聞け!」

パウロ
「普段のお前の状態なら、今の一撃で目を抉ることができただろう。
でも、疲弊した状態じゃ微妙にずれちまう!」

ギレーヌ
「!」

パウロ
「俺たちがもう1度、お前のほうにソイツをつっ込ませる!
今度は深く踏み込んで、首を落とせ!」

ギレーヌ
「な、なんなんだ!?」

ギレーヌ
「どうしてあたしにそんなことを言う!?」

パウロ
「俺は迷宮を踏破したい!
コイツを倒すのに、お前の力がいるんだ!」

同じ流派を学んだ剣士だからこそ、相手の実力が手に取るようにわかる。

パウロ
「だから、力を貸してくれ!」

ギレーヌ
「っ……」

ギレーヌは逡巡するようにパウロを見つめた。
実力者である分、これまでの彼女は誰かを頼ったり、協力しようという考えはなかっただろう。

パウロ
(俺もそうだったから、わかる)

ギレーヌ
「……今回、だけだ」

ギレーヌ
「それと、難しいことはわからないぞ」

ギレーヌの返事にパウロはニヤリと笑った。

パウロ
「なーに、さっきも言ったろ?
頼みはひとつだけ……ヤツの首を落とせ!」

ギレーヌ
「ああ、わかった」

技の質はもちろん、ギレーヌの性格も前衛向きのものだ。
パーティの動きが変わった。

これまで攻撃的な前衛として動きまわっていたパウロは、前衛と後衛を繋ぐポジションを位置取り、幅広いシチュエーションに絡んでいく。

エリナリーゼ
「タルハンド! 今ですわ!」

タルハンド
「わかっておる!」

パウロが下がったことで、エリナリーゼは後衛の護衛に集中し、周囲をより広く見ることができるようになった。

タルハンドも安定して魔法の攻撃を放っている。
ギレーヌが入ったことによって、全てがいい方向に進んでいた。

パウロ
「オラァ! ギレーヌ!
行ったぞ!!」

ギレーヌ
「おおおぉぉ!」

ギレーヌが深く踏み込み、剣を一閃。
硬い鱗におおわれたレッドフードコブラの首が落ちた。

ギレーヌ
「や、った……!」

パウロ
「……ああ! やったんだ!!」

パウロ
「やった! やったぞ!
ガーディアンを倒したんだ……!!」

ギース
「って、ことは……」

パウロ
「迷宮踏破だ!!」

パーティメンバーが歓喜の声を上げる。
エリナリーゼ、ギース、タルハンドが互いに抱き合い、パウロも傍にいたギレーヌを衝動的に抱きしめた。

ギレーヌ
「お、おい!」

パウロ
「ハハッ! 迷宮踏破だぜ!
並の冒険者じゃできねえことだ!」

パウロ
「それを俺たちがやり遂げたんだ!
嬉しくないはずがねえだろ!」

ギレーヌ
「………………」

ギレーヌはパウロの言葉に何も返さず、口をつぐんでいたが……。

ギレーヌ
「!!」

ギレーヌ
「やめろ!」

パウロ
「ぐはっ」

パウロの腕が捻りあげられ、ほとんど同時に顎を拳で殴られる。
流れるような動きで、パウロは地に倒れる。

ギレーヌ
「どういうつもりだ?」

パウロ
「……魔が差しました」

地面に横たわりながらも、鍛えられて引きしまった臀部の感触を思い出すかのように、パウロは手を握る。

ギース
「何やってんだよ、お前は……」

メンバーの呆れきった視線がつき刺さった。

エリナリーゼ
「さっさと魔力結晶とお宝を回収しますわよ」

タルハンド
「うむ。ざっと見ただけでも、5人で等分しても充分な額になる量だ」

ギレーヌ
「あたしも同じだけもらえるのか?」

ギース
「ああ、もちろん。
うちはきっちり等分だって決まってる。
リーダーの決定だ」

エリナリーゼ
「それに、1番の功労者はギレーヌですわ」

ギレーヌ
「正式なメンバーではない。
それでもか?」

タルハンド
「是と言うまでもない」

ギレーヌ
「……変なヤツらだな」

ギレーヌ
「こんなによくしてもらうのは、初めてだ」

ギレーヌ
「………………」

ギレーヌは何か言いたそうな目をしていたが、結局、口にすることはなかった。

パウロ
(素直じゃねえ女)

パウロ
「なあ、ギレーヌ」

パウロは起き上がると、仲間たちを背に、ギレーヌと向き合う。

パウロ
「お前さ、正式なメンバーじゃないとか言うなよ。
俺たちはもう仲間だろ?」

ギレーヌ
「! え……」

パウロ
「うちにはギレーヌが必要だ。
お前がいてくれたら、俺たちはもっと強くなれる!」

パウロ
「だから、そうだな、お前が入ってくれるなら、パーティの名前を変えてもいい」

ギレーヌ
「な……!?」

パウロ
「お前は黒狼って呼ばれてんだろ?
それにあやかって……パーティの名前は、『黒狼の牙』にする」

黒狼の牙――。
パーティの誰しもがその名前を受け入れて、反対の声を上げる者はいなかった。

ギース
「いいじゃねえか、黒狼の牙!」

エリナリーゼ
「ええ、ロード・オブ・ジャッジメントとは比べものにならないくらい、いい名前ですわね」

タルハンド
「だがしかし、牙はどこからきたんじゃ?」

パウロ
「そりゃもちろん、俺らが組んで初めて戦った、レッドフードコブラにあやかっての、牙だ」

タルハンド
「なるほどのう」

誰もが受け入れている。
そのあたたかい空気にギレーヌは戸惑っていた。

ギレーヌ
「ぁ……なんで、そんな風に言ってくれるんだ?」

パウロ
「そんなの決まってんだろ」

パウロ
「俺はお前と一緒にやっていきたい。
心底そう思ってるからだ」

パウロ
「だからギレーヌ、お前も同じ気持ちなら、今度こそ頷いてくれ」

パウロは真剣な顔でギレーヌを口説く。
剣を握るほうの、大事な手を差し出しながら、この手を取ってくれという想いを込め、見つめた。

剣士が利き手を差し出す。
彼女ほどの実力者が、そこに込められた信頼をわからないはずがなかった。

ギレーヌ
「……ああ。
あたしをお前たちの仲間にしてくれ」

手が重なる。
ギレーヌは柔らかい表情を浮かべた。
パウロは彼女の手を引いて、そっと抱き寄せる。

パウロ
「言っただろ。
俺たちはもう仲間だって」

ギレーヌ
「パウロ……」

ギレーヌ
「…………この手はなんのつもりだ?」

パウロ
「……そこにいいケツがあったら、とりあえず揉むだろ」

ギレーヌ
「そうか、歯を食いしばれ」

甘んじて拳を受けよう。
パウロの身体が宙を舞った。

ギース
「ほんと、こりねえなぁ……」

エリナリーゼ
「自業自得ですわ」

タルハンド
「これからも調子は変わらんじゃろう。
英雄好色とでもいうのだろうな」

どこか締まらない雰囲気だが、何はともあれ……。

その日、ロード・オブ・ジャッジメントは解散し、新たに生まれたパーティ、黒狼の牙は、初めての迷宮踏破を果たしたのである――。

もともと個々の実力が秀でていたパーティだが、ギレーヌが仲間に入ったこともあり、黒狼の牙は恐るべき速さでランクを上げていった。

冒険者ランクAの座に上りつめた頃には、黒狼の牙は冒険者であるなしを問わず、その名を広く知られるようになっていた。

パウロ
「酒だ! もっと持ってきてくれ!」

エリナリーゼ
「ふふふ、あの給仕の男の子、かわいい顔をしていると思いませんこと?」

ギース
「思いませんこと? って聞かれてもな。
男に興味ねえもんで」

ギレーヌ
「!! この肉、うまいな」

タルハンド
「うむ、酒に合う味だ。
こっちにも酒のおかわりを頼む!」

有名になった黒狼の牙が酒場で飲み始めると、周囲のテーブルにいた客の視線がチラチラ投げかけられる。

しかしパウロたちは気にした様子もなく、ワイワイと酒盛りを楽しんでいた。

パウロ
(Aランク……ここまできた)

パウロ
(好きなだけ剣を振り回して、好きなだけ女を抱いて、好きなだけ酒を飲む……)

パウロ
(毎日が楽しい。やっぱり冒険者ってのは、何よりも自由な生き物なんだ)

パウロは仲間たちの顔を見わたす。
これからもこのメンツで冒険を続けるのだと思うと、パウロの胸は弾んだ。

ギース
「なあ、パウロ。
次はどんな依頼を請けるか決まってんのか?」

パウロ
「ん? いーや、ぜんぜん。
面白そうなのがあればそれを受ける」

パウロ
「なんにしても、このまま世界を全部回って、好き放題に遊びつくしてやろうぜ!」

エリナリーゼ
「遊びつくすって……。
まるで子供みたいなことを言いますのね」

タルハンド
「出会った時と変わったのは、外見だけのようじゃな」

ギレーヌ
「中身は変わらない」

ギース
「変わらなさすぎだろ。
ぜんぜん成長してねえぞ、こいつ」

パウロ
「こ、こいつら……!
人のこと好き勝手言いやがって……!」

パウロが語った展望はいつの間にかスルーされていた。
しかし、誰も口にはしなかったが、このパーティならそれが叶うはずだと全員が確信している。

パウロ、18歳。
12歳で家を飛び出した少年は、立派な青年へと成長していた――。

4話【訃報】

Aランクのパーティに昇格した黒狼の牙は、各地を転々としながら難易度の高い依頼をこなし、着実にその名を馳せていた――。

パウロ
「うぉぉおおぉぉぉッ!!」

パウロの剣がアサルトドッグの身体を切り裂くと、魔物は奇声を上げて地面に倒れていく。

剣についた血を振り払って、パウロは前で位置取るギレーヌに意識を向けた。

パウロ
「ギレーヌ! そっちはどうだ?」

ギレーヌ
「問題ない。もう終わった」

パウロ
「ご苦労さん。
相変わらず仕事が早ェな」

美しい太刀筋にパウロは内心で感心する。
ギレーヌの足元では、ターミネートボアが絶命していた。

タルハンド
「こっちも終わったぞ」

エリナリーゼ
「想定していたよりも、アサルトドッグの数が多かったですわね」

ギース
「ま! 俺らの相手じゃねえけどな!!」

パウロ
「お前はなんにもしてねえだろ」

ギース
「痛ッ!」

近づいて来たギースが得意気に胸を張るのを見て、パウロは彼の尻を蹴った。

今回の依頼は森の中の集落付近に出没する、ターミネートボアの討伐だ。

黒狼の牙にしてみれば危険度の低い魔物だった。
しかし、多くのアサルトドッグを率いているということで、危険度が上がり、依頼を請けることにしたのである。

パウロ
(報酬もソコソコ良かったしな)

パウロ
「よし、任務完了だ。
さっさと帰って、飲みに行こうぜ」

報酬を受け取り、エリナリーゼを除く黒狼の牙のメンバーは、酒場に繰り出した。

エリナリーゼ
「わたくし、このあとは予定がありますの。
ふふふ、邪魔したら……許しませんわよ?」

街に帰って来て早々、彼女はそんなことを言って姿を消した。

パウロ
(今頃、どっかの男とベッドになだれ込んでお楽しみ中ってとこか)

パウロ
(……あとで俺もいい女を探しに行こう!)

そう心に決めて、パウロは一気に酒をあおった。

タルハンド
「ぷはー! ひと仕事終えたあとの1杯は、格別の味じゃわい!」

ギース
「いい飲みっぷりだな。
ははっ、俺も負けてられねえぜ!」

ギース
「ほら、もっとギレーヌも飲めよ!
おねえさーん、こっちに酒追加で!」

給仕の女
「はーい、ただいま!」

パウロ
(お、けっこう可愛いかも)

パウロが注文に答えた給仕の女を目で追っていると、横から「ぷぷぷ」と含み笑いが聞こえた。

パウロ
「……なんだよ?」

ギース
「お前、あの子のこと狙ってんのか?」

パウロ
「だったら?」

ギース
「やめとけ、やめとけ!
あんなに可愛い子がお前を相手にするかよ!」

パウロ
「ああ!? ンだと!?」

ギースがケラケラ笑うと、パウロが不機嫌そうに顔を歪めた。

ギースはパウロのそんな顔すら面白いらしい。
顔に笑みを張りつけたままだ。

ギース
「街で評判の看板娘だぜ?
周りを見てみろよ。
客の男共、みーんな鼻の下が伸びてやがる」

ギース
「男を選びたい放題の彼女が、いつも酒ばっか頼んでる、飲んだくれ冒険者になびくと思ってんのか?」

パウロ
「そんなのわかんねえだろ!
だいたい飲んだくれてんのは、お前とタルハンドで俺じゃねえ!」

ギース
「同じテーブルで飲んでるんだ。
同類だって思われてるぞ」

パウロ
「だとしても、だ!
……絶対ないとは言い切れねえだろ」

ギース
「だったら賭けるか?
お前とあの子が今夜一緒に過ごすかどうか」

パウロ
「ああ、やってやるぜ!」

パウロはわかりやすい挑発に乗った。

パウロ
「勝敗はわかりきってる。
で? 何を賭ける?」

ギース
「賭けるのは、今回の報酬だ。
勝ったほうに、負けたほうの取り分を全額渡す……それでどうだ?」

パウロ
「乗った!」

パウロはニヤリと笑うと、給仕の女に声をかけるタイミングを計る。

彼女は忙しく店内を動きまわりながら、笑顔を振りまいていた。

パウロ
(笑うと幼く見えるけど、身体つきはたまんねえ……絶対に引っかける!)

パウロがゲスな使命感に燃えていると、タイミングよく彼女がテーブルに酒を運んでくる。

給仕の女
「お待たせしました!
他に何か注文はありますか?」

パウロ
「酒に合う料理、何か適当に持ってきてくれ。
それから……今日、仕事はいつ終わるんだ?」

給仕の女
「はい?」

パウロ
「このあと飲みなおさないか?
俺と君、ふたりで」

給仕の女
「ふふ、お誘いは嬉しいんですけど、よその店で飲むくらいなら、うちの店にお金を落としていってください」

給仕の女
「――あ、呼ばれてるみたいなんで。
ご注文の料理はこのあとお持ちしますね!」

接客用の笑み。
給仕の女はにっこりと笑うと、パウロたちのいるテーブルを離れていった。

パウロ
「………………」

ギース
「勝負あったな」

ギースがパウロの肩を叩く。
ひどくにこやかな彼は、賭けに勝利した喜びを隠せていない。

パウロ
「ま、まだだ!
次に料理を運んでくれた時に誘って、受け入れてくれるかもしれねえだろ!」

ギース
「そんなメ、ねえって。
なあ? お前らもそう思うだろ?」

ギレーヌ
「よくわからないが、あの娘はパウロに興味がなさそうだった」

タルハンド
「パウロ、時には諦めも肝心。
おとなしく負けを認めるんじゃ」

パウロ
「いいや! ぜったいに認めねえ!」

今夜は絶対にあの子と過ごす! と、パウロが言葉を続けようとした時、彼女の短い悲鳴が上がった。

パウロ
(あれは……)

見ると、給仕の彼女が酔っ払いの男に絡まれ、腕を掴まれている。
屈強な大男で、冒険者の風体をしてい