制作信息
简介
简介
魔界大帝キリシカから授けられた力、「魔眼」とは!?
突如として発生した魔力災害によって、魔大陸へと飛ばされてしまったルーデウスと暴力お嬢様のエリス。2人は歴戦の勇者であるルイジェルドの助けを借りながら、故郷であるフィットア領への帰還を目指す。
中央大陸へと戻るため、やっとの思いでたどり着いた港町ウェンポート。そこで助けた少女は、なんと噂に聞きし存在の魔界大帝キリシカ!!
彼女から礼だと授けられた新しい力、“魔眼”とは……!?
憧れの“人生やり直し型”異世界ファンタジー、第四弾!
目录
CONTENTS
第四章 少年期 渡航編
「みんな違って、みんないい。みんなと同じは、もっといい」
── It will not be blamed if it can be the same as everybody.
著:ルーデウス・グレイラット
译:ジーン・RF・マゴット
第一話 「ウェンポート」
俺の名前はルーデウス・グレイラット。
先日十一歳になったばかりのプリティボーイだ。
得意なのは魔術。
詠唱なしで独自にアレンジした魔術を使えるってことで、他の連中からも一目置かれている。
一年前、俺は災害に巻き込まれ魔大陸という所に転移してしまった。
魔大陸は故郷であるアスラ王国フィットア領から見て、世界のちょうど反対側に位置しており、世界を半周しなければ戻ることはできない。
俺は日銭を稼ぐため冒険者となり、帰郷のための長い旅路を歩き始めた。
そうして一年、魔大陸を縦断することに成功したのだ。
★ ★ ★
ウェンポート。
そこは魔大陸で唯一の港町。坂の多い町並みで、入り口から町並みが一望できる。
魔大陸らしい土と石造りの家が大半だが、中には木造建築もちらほらと見受けられる。ミリス大陸から木材を輸入しているのだろう。
町の端には造船所もある。
港町であるがゆえか、入り口付近に露店が少なく、港の方に活気が溢れている。
少々他とは毛色が違う感じのする町だった。
そして港の向こう側、町の外側には、広大な海が広がっていた。
海を見るのはいつ以来だろうか。確か、中学時代に臨海学校に行って以来か。
海というのは、どこの世界も変わらないらしい。青い海、潮騒の音、カモメのような鳥。
帆船もあった。帆船をこの目で見るのは初めてだ。映画では時折目にするが、実際に木製の船が帆を張って進んでいるのを見ると、年甲斐もなくワクワクする。やはり、こちらの世界でも、逆風で進む技術とかあるんだろうか。
いや、この世界のことだ、どうせ魔術師が追い風を作って進むとか、そういう方式なのだろう。
「見て!」
町に到着した瞬間、赤髪の少女が、俺たちの乗るトカゲから飛び降りて走りだした。
彼女の名前はエリス・ボレアス・グレイラット。アスラ王国フィットア領の領主サウロスの孫娘で、俺が家庭教師を務めていた相手である。とんでもなく獰猛なお嬢様だったが、最近は少し素直になり、言うことを聞いてくれるようになった。
俺は一緒に転移してしまった彼女を守り、故郷へと送り届けなければならない。
「見て、ルーデウス! 海よ!」
エリスの口から出たのは、達者な魔神語である。彼女には普段から魔神語を使うようにと心がけさせている。俺とルイジェルドも、できる限り魔神語で話すようにしたのもあり、最近ではエリスの魔神語もかなり上達した。
やはり、外国語は普段から使わせるのが上達の近道であるらしい。
もっとも、彼女は魔神語の読み書きはできない。それほど難しい言語ではないのだが、一年で習得することはできなかった。
ちなみに、魔大陸に来てからは魔術も一切教えていない。無詠唱はもちろんのこと、もう詠唱も忘れているかもしれない。
「待ってエリス、宿も決めずにどこに行くんですか!」
俺の発言を聞いて、エリスの足がキュッと止まった。
このやり取りは魔大陸に来てから三度目である。一度目は迷子になり、二度目は街角で喧嘩になった。三度目はない。
「そうね! 先に宿を決めないと迷子になっちゃうものね!」
エリスは海の方をちらちらと見ながら、うきうきと戻ってきた。
考えてみると、彼女は海を見るのは初めてか。
フィットア領の近くには川もあり、休日にサウロスと出かけ、水遊びをしていたことはあるようだが、生憎と俺はご一緒したことはなく、彼女がどれだけ水場に詳しいかは不明だ。
「泳げるかな?」
エリスの言葉に、俺は首をかしげた。
「え? 港で泳ぐんですか?」
「泳ぎたい!」
俺もエリスの十三歳の悩ましボディを見たいが、それは叶わぬことだろう。
なにせ重要な問題がひとつ。
「水着がないでしょう?」
「水着? なにそれ、いらないわ!」
その衝撃的な言葉に、俺は戸惑いを隠せなかった。
水着、なにそれ、いらないわ。
それはつまり、全裸ということだろうか……いや、まさか、それはあるまい。
この世界にも裸を恥ずかしがる文化はある。
だから、そう、恐らく下着だろう。下着着用の上で、水を浴びるのだ。
水に濡れて張り付く下着、透ける肌色、浮かび上がるポッチ。
おかしい、なぜ俺はフィットア領の川遊びに同行したことがないのだ。忙しかったからだ。当時は休日も充実した日々を過ごしていた。だが、一回ぐらい、一回ぐらい同行してもよかったかもしれない。
いや、今はそんなことは考えまい。目の前のことに集中するんだ。
今を生きる。そう、今を生きる、だ!
ヒャッホウ、海だー!
「いや、この海では泳がないほうがいいだろう」
と、俺の後ろから掛かった声に水を差された。
振り返ると、そこにはツルツルのスキンヘッドに顔を縦断する傷跡を持つヤクザじみた顔立ちの男がいる。
彼はルイジェルド・スペルディア。
右も左もわからぬ俺たちの護衛を引き受けてくれた、子供好きの魔族だ。
今でこそスキンヘッドであるためわからないが、彼はエメラルドグリーンの髪をしたスペルド族である。この世界では緑色の髪をした魔族は、恐怖の象徴として認識されている。
俺たちのために、彼は髪まで剃ってくれたのだ。
落ちてしまった彼の種族の名誉を回復させることは、俺のできる恩返しの一つと言えよう。
「魔物が多いからな」
彼の額には、赤い宝石のような感覚器官が埋まっている。
これは生体レーダーのような役割を持っており、数百メートルの範囲の生物を全て把握することができるらしい。
そんな便利なものがあるのなら、魔物なんて俺とルイジェルドで全滅させればいいと思わないでもなかったが、案外、あの生体レーダーは万能ではないのかもしれない。水中は見通せないとかね。
いや……でも一時的になら海水浴ぐらいできるんじゃないか?
港で泳ぐのはさすがに危ないとしても、近くの浜辺で、土の魔術を使って生簀のようなものを作るとか……や、でも万が一があるな。魔物の中には、変な特殊能力を持っている奴もいる。生簀ぐらい飛び越えてくるかもしれない。
それがタコならエロイベントで済むが、サメならジョーズだ。
仕方がない。海水浴はやめておいたほうがいいだろう。
本当に仕方がない。
「海水浴は今回はなし。宿を決めてから冒険者ギルドですね」
「うん……」
エリスがしょんぼりしていた。
うーむ。俺だって健康的なエリスの体には興味がある。ここ一年は成長度合いを確認できていないからな。服の上からではわかりにくいが、あるいは開放的な浜辺なら、何かがわかるかもしれない。そうだ、ぜひともそうしよう。
「泳がなくても、浜で遊べばいいじゃないですか」
「浜?」
「海には砂浜というものがあるんです。波打ち際に砂場がずっと続いているんです」
「それの何が楽しいの?」
「ええと。波打ち際で水を掛けあったりとか……」
「ルーデウス、また変な顔してるわよ」
「うっ……」
どうやら、俺は感情が表に出やすいらしい。
エロい顔をしていただろうかと顔を押さえると、エリスが満面の笑みで海へと顔を向けた。
「でも、面白そうね! 後で行きましょう!」
エリスは嬉しそうに、トンと地面を蹴り、トカゲに飛び乗った。
素晴らしい跳躍だった。足首の力だけで飛び上がったのだ。擬音的には「グオン」って感じだろうか。エリスの足腰はかなり鍛えられている。
そのこと自体はいいんだが……将来はもしかしてムキムキになるんだろうか。
ちょっと心配だ。
★ ★ ★
俺たちは宿を決め、馬屋にトカゲを預かってもらうと、まずは冒険者ギルドへと足を延ばした。
ウェンポートの冒険者ギルド。
そこは多種多様な見た目の冒険者たちがひしめいている。見慣れた景色だが、人族が多くなったように感じる。ミリス大陸に渡れば、もっと増えるのだろう。
まずはいつも通り、掲示板の前へと移動すると、ルイジェルドが怪訝そうな顔をした。
「すぐに海を渡るのではないのか?」
「見るだけですよ。ミリス大陸の方が収入がいいらしいですからね」
ミリス大陸の方が、収入がいい。
通貨が違うからだ。
ミリス大陸の貨幣は、王札 将札 金貨 銀貨 大銅貨 銅貨の六種類に分かれている。
魔大陸の最安貨幣である石銭を一円として比べてみると、
王札 五万
将札 一万
金貨 五〇〇〇
銀貨 一〇〇〇
大銅貨一〇〇
銅貨 一〇
こんな感じだ。
魔大陸におけるBランクの仕事は、屑鉄銭一五~二〇枚前後。石銭換算で一五〇から二〇〇。
ミリスでのBランクの仕事が、仮に大銅貨一五枚と仮定すると、石銭換算で一五〇〇。
一〇倍だ。ミリスで稼いだほうがいい。
ただ、もし船が出るまでに時間が掛かるようなら、ここでの依頼も受けることになるだろう。
基本的にはBランクの依頼だ。AランクとSランクは危険な上、一週間以上の日数が掛かることが多いからな。数日でコンスタントに稼ぐなら、Bランクが一番だ。
ゆえに、Bランクが受けられなくなるSランクに上がる予定はない。
Aの時点でSランクの依頼が受けられるなら、なぜSランクがあるのか、と最初は疑問に思った。
職員に聞いてみると、どうやらSランクになると特典がつくらしい。
詳しく調べてないのでわからないが、宿賃の割引率が増えるとか、割のいい仕事をギルドから割り振ってもらえるとか、多少の違反行為なら目をつぶってもらえるとか、そういう感じらしい。
もっとも、そうした特典により大きな恩恵を受けるのは、迷宮探索を主とする冒険者である。
俺たちは迷宮には潜らない。
危険だし、日数が掛かる。依頼もBランクが中心だ。ゆえにSランクになる予定は、今のところない。エリスはなりたいみたいだけどな。
と、話が逸れたな。
とにかく、俺たちは金儲けが目的で冒険者をやっているので、ミリスの方が稼げるのなら、すぐにでも船に乗ったほうがいい。
「そういえば、船ってどこから出てるんでしょうね」
「港だろう」
「港のどこって話ですよ」
「聞いてみろ」
「いえっさー」
カウンターへと移動。
立っているのは女性で人族だ。なぜかカウンターに立つ職員は女性が多い。そして、なぜか巨乳率が高い。冒険者の目の保養のためだろうか。
「ミリス大陸に行きたいんですけど、どこにいけばいいのか、わかりますか?」
「そうした質問は関所でお聞きください」
「関所?」
「船に乗れば、国境を越えますので」
ギルドの管轄ではなく国同士の問題なので、ギルド員が説明する義務がないってことか。
ふむ、そういうことなら、関所に移動しよう。
そこで詳しい話を聞いて……。
「あんたねぇ!」
と、考えている時、ギルド内に叫び声が響き渡った。
振り返ると、エリスが人族の男をぶん殴っていた。ウチの核弾頭は今日も元気だ。
「誰の、どこを、触ったと、思ってんのよ!」
「ぐ、偶然だ! お前みたいなガキの尻を誰が触るか!」
「偶然だろうとなんだろうと! 詫びの入れ方に誠意が足りないでしょうが!」
エリスの魔神語も随分と流暢になった。流暢になるにつれて喧嘩が増えた。
やはり、相手の言っていることがわかるとダメだね。
「ギャハハハ! なんだなんだ、喧嘩かぁ!?」
「やれやれ!」
「おいおい、子供にやられてんじゃねえよ!」
ちなみに、冒険者同士の喧嘩はわりと日常茶飯事らしく、ギルドもあまり関与してこない。
むしろ、積極的に賭け事を始める職員もいた。
「踏みつぶしてやるわ!」
「す、すまん、俺の負けだ、勘弁してくれ、片足を掴むな、やめろぉぉ!」
などと考えていると、エリスはあっという間に男を転がしていた。
エリスの追い込み方は、特に最近堂に入ってきている。前触れなくプッツンして、しかも的確に追い詰めてくる。何キレてんだよ、と思った時には転がされて、男の急所にストンピングを受ける。
そこらのCランク冒険者ではどうにもならない。
そして、ある程度攻撃を加えると、ルイジェルドが止める。
「やめろ」
「……何よ止めないでよ!」
「もう勝負はついた、これぐらいにしておけ」
今回も、ルイジェルドが彼女を猫のように持ち上げて制止した。男は這々の体で逃げていく。
「ちくしょう、イカレてやがる!」
いつもの光景だ。俺じゃなかなか止まらない。後ろから抱きかかえて止めると、どうしても手が勝手に動いてしまうからな。勝手に動いて変なところを揉みしだけば、今度は俺の命が危険に晒される。
「ハゲに赤髪の凶暴な小娘……! お前らもしかして、『デッドエンド』か?」
誰かが叫んだ瞬間、ギルド内が静かになった。
「『デッドエンド』ってスペルド族の……?」
「バカ! パーティ名だよ。最近ウワサの偽物だって!」
「本物だって噂も聞いたことあるぜ」
おや?
「凶暴だけど、根は結構いいヤツだって……」
「凶暴だけどいい奴って矛盾してるだろ」
「いや、全員が凶暴じゃないって意味で……」
ざわ……ざわ……と、ギルド内がざわめいていく。
こういう状況は初めてだ。どうやら、俺たちも随分と有名になってきているらしい。
この町ではルイジェルドの名前を売らなくてもいいかな?
「たった三人のパーティでAランクだもんな……」
「ああ、すげえな。でも本物だろうが偽物だろうがあの二人なら納得だぜ」
「『狂犬のエリス』と『番犬のルイジェルド』だろ?」
エリスとルイジェルドに二つ名が!
それにしても『狂犬』に『番犬』か。なんで犬なんだろうか。そして俺は何犬なんだろうか。
ちょっと予想してみよう。
闘犬は、ないな。そういうカッコイイことはしてきていない。勇ましい感じではないはずだ。
俺が俺につけるならバター犬だが……この一年、俺はパーティにおける参謀として働いてきたつもりだ。やはり、知的な名前だろう。
忠犬とかかな。
「じゃあ、向こうのチビが『飼主のルージェルド』か!」
「『飼主』は一番タチが悪いって聞いたぞ」
「ああ、悪いことばっかりやってるって話だ」
ズッコけた。
名前が違う……名前を覚えられていない。
いや、確かに、俺はよくルイジェルドって名乗ってたよ?
何か一つ、いいことをする度に「ウチらデッドエンドのルイジェルドなんで、そこんトコ夜露死苦」なんて言ってたよ。そして、悪いことをするたびに高笑いして「俺がルーデウスだ、グハハハハ」とか笑ってきた。
だからって、混ぜることはないだろう?
うーん。一年間それなりに活動してきて俺だけ名前を覚えられていないというのは、ちょっとショックだな。
……でもま、いいか。悪い方で名前が売れてるみたいだし、本名じゃないのは悪くない。
それに、飼主もいいじゃないか。ぜひともエリスに首輪を付けて連れ回したいね。
「それにしても小さいよな」
「きっとアレも小さいんだぜ。子供だからな!」
「おいおい、小さいなんて言ったら犬をけしかけられるぞ!」
「ギャハハハハハ!」
気づけば、全然関係ないことで笑われていた。だが、残念だったな。最近は順調に成長中だ。まだタケノコだが、立派な竹になる日も近いだろう。
っと、いかん。こんな笑われ方をしたのでは、またエリスがキレてしまう……と、思ったら、彼女は俺の方をチラチラみて、顔を赤くしていた。
あら可愛らしい。
「エリス、どうしました?」
「な、なんでもないわよ!」
デュフフ。興味あるんなら、今晩、俺の水浴びを覗くといいぜ。なあに、ルイジェルドには言い含めておくよ。なんなら一緒に浴びようぜ。その場合、ちょっと手とか足とか体とか舌とかが滑るかもしれないけどな。
と、冗談はさておき。とりあえず関所に移動だ。
飼主らしく、威厳たっぷりな感じでこの場を去るとしよう。
「エリスさん! ルイジェルドドリアさん! 行きますよ!」
「なぜお前はたまに俺の名前を間違えるんだ……」
「ふん!」
俺たちは周囲の視線を集めながら、冒険者ギルドを後にした。
★ ★ ★
関所へとやってきた。この町は魔大陸にあるが、船に乗った先はミリス神聖国の領土である。
荷を持ち込む際には税金を取られるし、入国の際にも金が必要となる。
犯罪を抑制するためか、あるいは単に金にがめついだけなのか。
ま、理由なんてどうでもいい。払えというなら払うだけさと、軽く考えていた。
「人族二人と魔族なんですけど、いくら掛かります?」
「人族は鉄銭五枚……魔族の種族は?」
「スペルド族です」
関所の役人は、ギョっとした顔でルイジェルドを見た。
そして、そのの禿頭を見てハァとため息をついて、やる気のなさそうな顔で言った。
「スペルド族は緑鉱銭二〇〇枚だよ」
「に、二〇〇枚!?」
今度は俺がビックリした。
「な、なんでそんなに高いわけ!?」
「言わなくてもわかるだろうが……」
スペルド族の船賃が高い理由?
わかる! 今まで旅をしてきたから、よくわかる。スペルド族は忌み嫌われた種族だし、いわれのない迫害を受けてきたこともあった。
けど、高すぎる。
「なんでそんな無茶な金額なんですか?」
「知らねえよ。決めたヤツに聞けよ」
「おじさんの予想では?」
「あん? まあ、テロ対策だろ。奴隷として運び入れて、ミリス大陸で暴れさせるとかよ」
そういうことらしい。スペルド族が爆弾扱いされているのはわかった。
「お前ら、例の『デッドエンド』だろ? ニセスペルド族の。船に乗る時はちゃんと種族を調べられるからな。ここで見栄はって緑鉱銭二〇〇枚を払ったって、金の無駄だぜ?」
役人はありがたいことに、そんな忠告をくれた。
つまり、ここでミグルド族だと偽っても、バレるということか。
「種族を偽っていたら罰金とかないんですか?」
「……高い金を払う分にはな」
役人の話によると、金さえ払えば大体オッケーらしい。
なんとも拝金主義なことだ。
★ ★ ★
関所から戻る頃には日が降りていた。俺たちは宿に戻り、食事を取ることにする。
宿で出されたのは、港町特有の魚介料理だった。
拳大もありそうな貝が今夜のメインディッシュだ。ニンニクバターっぽい味付けで酒蒸しにしてある。
うまい。魔大陸で食った料理の中で、一番うまい。
「これ、おいしいわね!」
エリスはもっちゃもっちゃと口一杯にほうばって、嬉しそうだ。
彼女はここ一年で、アスラ王国流のテーブルマナーを完全に忘れつつある。
右手のナイフで料理を切り分け、そのまま刺して口に運んでいる。さすがに手づかみで食べることはないが、行儀なんてあったもんじゃない。
彼女の礼儀作法の先生だったエドナが見たら泣くかもしれない。
これも、俺の責任だろうか……。
「エリス。お行儀が悪いですよ!」
「もぐもぐ……行儀なんて誰が気にするのよ」
まだルイジェルドの方がマナーがいい。もっとも、こっちも上品というわけではない。ナイフを一切使わず、フォークだけで食材を切り分けている。フォークを滑らせるだけで、食材がバターのように切れるのだ。達人の技を感じるね。
「さて、それでは、飯の途中ですが本日の作戦会議を始めます」
「ルーデウス。食事の最中に喋るのはお行儀が悪いわよ」
エリスにすまし顔で言われた。
★ ★ ★
食事を終え、腹がくちくなったところで、作戦会議を開始した。
「渡航費用は緑鉱銭二〇〇枚。途方もないです」
「すまんな、俺のせいで」
ルイジェルドが顔を曇らせた。
俺も、まさかこんな金額だとは思っていなかった。
正直、渡航費用のことを甘く考えていた。ちょっと稼げばすぐ乗れるだろうと思っていた。
実際、人族は鉄銭五枚だ。他の魔族だって、精々緑鉱銭一枚か二枚。
スペルド族だけが異様に高いのだ。
「おとっちゃん、そいつは言いっこなしですよ」
「俺はお前の父ではない」
「知ってます。冗談ですよ」
それにしても、緑鉱銭二〇〇枚か。
並の金額ではない。
Aランク、Sランク依頼を中心にこの町で金稼ぎしたとしても、何年掛かることか。
ミリス大陸はよほどスペルド族を受け入れたくないらしい。
「でも、困ったわね。まさかルイジェルドだけ置いていくわけにもいかないし」
ルイジェルドを置いていく。それが一番手っ取り早い。
俺たちも冒険者としてはかなり慣れてきた。ルイジェルド抜きでも、旅は続けられるだろう。
とはいえ、もちろん、そんなつもりはない。ルイジェルドとは旅の最後まで一緒。
我等友情永久不滅、ってやつだ。
「もちろん、置いては行きません」
「じゃあ、どうするの?」
「方法は……三つあります」
そう言って指を立て、三という数字を示す。物事はまず三という数字からだ。
いかなる時にも進む、戻る、立ち止まるの選択肢は、常に存在しているのだ。
「ほう」
「凄いわね、三つもあるんだ……」
「ふふん」
説明はちょっと待ってね、まだ思いついてないから……えっと。
「まず一つ。依頼で金を稼ぎ、ミリスへと渡る正当法」
「でもそれは」
「そう、時間が掛かりすぎます」
金稼ぎにだけ専念すれば、あるいは一年以内に貯まるかもしれない。
しかし、何かハプニングが起きないとも限らない。うっかりサイフを落とすとかな。
「二つ目。迷宮に入り、魔力結晶と魔力付与品を取ってくる。苦労はありますが、一発で向こう岸に渡れる金額が手に入るかもしれません」
魔力結晶は高く売れる。具体的にいくらで売れるかはわからないが、関所で役人に渡せば、スペルド族を渡らせることぐらいはしてくれるはずだ。
「迷宮! いいわね! 行きましょう!」
「だめだ」
迷宮案はルイジェルドに却下された。
「なんでよ!」
「迷宮は危険だ。罠は俺の目では見きれんものもある」
ルイジェルドの目は、生物は見分けられるが、迷宮の作り出す罠には反応しないのだそうだ。
「行ってみたいのに……」
「提案しといてなんですが、僕は行きたくないです」
注意深く進めばなんとかなるかもしれないが、足元のおろそかな俺のことだ、どこかで絶対に致命的なミスをする。ここはルイジェルドの言葉に従っておくべきだろう。
「三つ目。この町のどこかにいる、密輸人を探す」
「密輸人? なんだそれは?」
「こうした国境では、物を運び入れる際に、税金が掛かります。今回、払えと言われているのもそうしたものです。恐らく、商人であれば、品物にも税金が掛かるでしょう」
「そうなのか?」
「そうなのです」
でなければ、種族ごとに値段が違うなど、あるものか。
「中には、すごい税金が掛かる代物もあるでしょう。表立って運べない荷物を扱う相手のために、税金より安く運んでくれる人がいるはずです」
まあいないかもしれんがね。でも、そうした業者に話をつけられれば、緑鉱銭二〇〇枚を払うより、はるかに安く運んでもらえるだろう。
関所の値段設定は明らかにおかしい。ちょっとぐらいルール違反をしても、罰は当たらない……。
もっとも、楽な方向に行けば罠があるというのは、学んだばかりだ。
一応選択肢の一つには入れてみたものの、悪いことはなるべくしたくない。
とりあえず、パッと思いつくのはこの三つか。
・正攻法で金を稼ぐ
・迷宮で一攫千金
・裏業者に頼む
どの選択肢もイマイチだな。
ああそうだ。もう一つあったな。
俺の杖、『傲慢なる水竜王』を売るのだ。大きな色魔石を使った、アスラ王国製の逸品。スペルド族を海の向こうに渡らせるぐらいの金額にはなるだろう。
でも、損得は抜きにして、これはなるべく売りたくないんだよね。
せっかく誕生日にエリスにもらったもので、今日まで大切に使ってきた。
これを手放すことには、ルイジェルドもエリスも賛成しないだろう。
★ ★ ★
その夜、夢でお告げがあった。
人神は言った「露店で食料を買いこんで、一人で路地裏を探せ」と。
非常にめんどうだが、仕方がないので、前向きに検討してやってもいい。
「仕方なくなのかい……?」
いやもう、食い物、路地裏って点でイベントの内容もわかりましたんで。
「わかるのかい?」
どうせあれでしょ、お腹を空かせた迷子の子供とかいるんでしょ?
それが、なんか変な男に絡まれてるんでしょ?
「その通りだよ、すごいな!」
で、その子を助けると、実は造船ギルドの長の孫でしたー、とかなるんでしょ?
「ふふふ、それは明日の、お・た・の・し・み」
なぁにが、おたのしみだ。そんな楽しい展開は今まで一度もなかっただろうが。ていうかよ、おいこら、一年ぶりだなおい。もう二度と顔出さねえのかと思って安心してたぞ、コラ。
「いや~、前の時は僕の助言で大変なことになったでしょ? ちょっと顔を出しづらくってさ」
ハッ! 神様にもそういうところがあるんすね。
でも勘違いすんなよ。あれは俺が勝手にミスっただけだ。
でもちなみにどういう風にすれば正解だったか教えてください。
「正解と言われてもね。普通に衛兵に突き出せば、ルイジェルドと仲良くなれたはずだよ」
え? あれってそんな簡単なイベントだったの?
「そうだよ。それを、彼らを仲間に引き入れて、冒険者ギルドの小悪党なんかに目をつけられるとはね。まったく予想外だった。僕としては見てて楽しかったけどね」
俺は全然楽しくなかったけどな。
「でも、おかげで一年ちょっとでここまで来れただろう?」
だから結果オーライだとでも?
「物事は結果が全てさ」
チッ。気に入らねえな。
「そうかい? ま、いいけどね。それじゃあ……君の機嫌も悪そうだし、僕は消えるよ」
ちょっとまて。一つ確認しておきたいんだが。
「なんだい?」
もしかして、お前の助言って、あまり難しく考えないほうがうまくいくのか?
「僕としては、難しく考えてくれたほうが面白いね」
あー、なるほどな! そういうことか。わかったよ。宣言しておくぞ。
次回は面白くならない。
「ふふふ、それは楽しみだね」
だね……だね……だね……。
エコーを聞きながら、俺の意識は沈んでいった。
第二話 「すれ違い・前編」
人神の助言の翌日。
俺は両手に露店で購入した食料を抱え、路地裏をさまよっていた。
手元にあるのは、全て串焼きだ。ホタテっぽい貝の貝柱の串焼きと、アジっぽい魚の塩焼き。あと、よくわからない魚介の串焼きが何本か。露店で食い物を、と言われたが、特に指定はなかった。ゆえに持ち運びしやすいものを優先的に購入した。
前回は考えすぎた。
素人が料理でアレンジを加えて失敗するがが如く、難しく考えすぎて、ドツボにはまった。今回は、逆に素直に従ってみる。言われるがまま、無心で食料を買い込み、そして、路地裏にて起こりうるイベントを、素直に受ける。
無心だ。
これはロールプレイング。これから起こるのは偶然の出来事。難しく考えず、素直にこなすのだ。
奴は面白いものを好む。俺が難しく考えることこそが、奴の狙いだ。素直に従えば、奴は面白くない。そう考えつつ、数分ほどさまよってから、ふと気づいた。
「あれ? これってあいつの思惑通りじゃね?」
騙された。奴の巧みな話術に乗せられて、俺は奴に思惑通りに動かされているのだ。
気づいてみれば、実にイラつく話だ。手のひらの上で踊らされるなんて……。
初心を思い出せ。最初の邂逅の時の気持ちを。
あいつは絶対に信用しちゃいけない。
よし、奴の思い通りに動くのは、今回で最後だ。今回は様子見で助言通りに行動するが、次は絶対に従わない。もう、人神の言いなりになんかならないんだから! キリッ。
★ ★ ★
裏路地を練り歩く。
一人で、だ。
なぜ一人なのだろうか。そこに、今回の助言のキモがあるのだろう。ルイジェルドやエリスがいると困る展開。いや、深くは考えまい。エロい展開だと嬉しい、それぐらいに思っておこう。
ルイジェルドとエリスには一日別行動を取ると伝えてある。エリスは一人にすると危ないので、ルイジェルドに護衛を頼んだ。今頃、二人で砂浜でも見に行っているかもしれない。
「あれ……それってデートじゃね?」
俺の脳裏に、浜辺の岩陰へと消えていく二人の影が浮かんだ。
いやいやいやいや。まさか。お、おお、お、落ち着け。
あのエリスと、あのルイジェルドだぜ?
そんな色っぽい話じゃねえよ。子守だよ子守。
ああ! でもルイジェルドって強いからなぁ!
エリスはルイジェルドを尊敬してるっぽいし! 最近の俺ときたら、飼主扱いだし!
いやいや……何焦ってんだよ。
フュー……大丈夫だよね、ルイジェルドさん。寝取られとかないですよね? 大丈夫ですよね……? 帰ったら妙に二人の距離が近いとか、ないですよね?
し、信じてるんだからね!
…………とりあえず、俺はルイジェルドと戦う時のシミュレートを始めた。
近接戦闘では勝ち目がない。
まず奴を始末したいのなら、奴の額の宝石の索敵範囲外に出るべきだ。そして、奴を倒すには水だ。奴は海水浴を邪魔した。その報いを受けさせるためにも、水攻めだ。大量の水を作り出し、そのままヤツを海まで流して、ジエンドだ。死ぬまで漂流してもらうぜ。
ククク……っと、勘違いしないでほしい。ルイジェルドのことは信じている。
けれど、なんていうか。ほら、あれだ。
恋は戦争って言うじゃない?
★ ★ ★
裏路地は静かなものだった。
普通、裏路地と聞くと、よからぬ輩がたむろしているイメージがある。実際、俺のようなピュアでいたいけで純真無垢な子供が歩いていると、すぐに人攫いに目をつけられる。
この世界では、人攫いは最もポピュラーかつ儲かる犯罪行為の一つだ。でも、俺を攫おうとしたら、両手両足を潰してから家を聞き出し、金目の物を全て頂いてから、官憲に突き出してやろう。
「ヘヘヘ、お嬢ちゃん、一緒に来たら腹いっぱい食わせてやるぜ」
などと考えていると、路地裏からそんな声が聞こえた。
ひょいと覗いてみると、人相の悪い男が、壁端で座り込む少女の手を引っ張っていた。
随分とわかりやすい構図だった。
先手必勝。俺は杖を構え、プロボクサーのジャブぐらいの衝撃が出るように速度を調整し、岩弾を奴の背中に向かって撃ち込んだ。
この一年間で、こういう手加減は随分とうまくなった。
「いっでぇ!」
振り向いたところに、もう一発。今度はもうちょっとだけ強め。
「がっ……!」
パガンといい音がして、岩が男の顔面で砕け散った。
男はふらふらとよろめいて、ずるずると倒れた。
死んではいないな。うまいこと手加減できたようだ。
「大丈夫かい、お嬢さん!」
俺はできる限りサワヤカな顔を作りつつ、連れ去られようとしていた少女に手を差し伸べる。
「お、おお……」
黒いレザー系のきわどいファッションをした幼女だった。
膝まであるブーツ、レザーのホットパンツ、レザーのチューブトップ。
青白い肌に、鎖骨、寸胴、ヘソ、ふともも。
そして極めつけは、ボリュームのあるウェーブのかかった紫色の髪と、山羊のような角。
一目見てわかった。
サキュバスだ。しかも幼女の。
間違いなく俺より年下だろう。
これはもしかすると、人神から俺へのご褒美なのかもしれない。あいつもたまには粋なことをするじゃないか。
……いや、サキュバスはない。
この世界において、サキュバスなる種族は魔物として認識されている。
確か、ベガリット大陸に生息しているという話だ。パウロが珍しくキリっとした顔で「オレたちの一族では奴らには勝てん」と言っていた。俺もきっと、実際にサキュバスと出会ったら、為す術もなくやられてしまうだろう。
サキュバスはグレイラット家の天敵なのだ。
ま、それはさておき。町中に魔物はいない。つまり、彼女はサキュバスではない。
ただのエロい格好をした魔族の子供だ。
「お、おおお……き、貴様、なんということを……!」
幼女はわなわなと震えていた。
「こ、この男は、この男はな……!」
もう信じられない、という顔だった。
なんちゅうことを、なんちゅうことをしてくれはったんや、という顔だ。
「あ、ごめん、知り合いだった?」
と、聞きつつも、俺は首をかしげる。
中年の方の顔は、知り合いの子供に話しかけるような感じではなかった。もうなんていうか、興奮したロリコン中年そのものという感じだった。見ろ、この赤ら顔、気絶してもなおだらしない笑み。これから幼女を家に持ち帰って、豪華な料理と暖かな寝床を提供してやるけど、その代わりに熱い夜を提供してもらうぜ、という感じだ。
「この男は、腹の空いた妾に、め、めしを……」
どこからともなく、ギュルゴゴゴゴという音がした。
地鳴りのような音だった。その音が鳴り終わると同時に、幼女は膝からがくりと崩れ落ちた。
「だ、大丈夫か?」
思わずしゃがみ込み、彼女を抱える。
せっかくの幼女に触れる大義名分だ。逃すものじゃない。
でも勘違いするなよ。俺は人神の命令で彼女を助けに来たんだ。
さっきの中年親父とは違う。
「ぐ……ううぅ……復活してより三〇〇年。よもやこんな所で倒れるとはな……。このことは、ラプラスには知られてはならんぞ……」
なんか、変な小芝居が始まった。もしかすると、この格好はなにかのコスプレなんだろうか。
「と、とりあえずコレを食べて気をしっかり持つんだ」
俺は用意してあった串焼きを、三本まとめて幼女の口にねじ込んだ。
「もぎゅもぎゅもぎゅ」
幼女は突っ込まれた瞬間、カッと目を見開き、見開いたまま、またたく間に串焼きを食いきった。
そして、さらに俺の手にある串焼きを強奪。串焼きは残り一二本あったが、またたく間に一〇本が消えた。
「う、うおおお! うまい! 一年ぶりの飯はうまい!」
幼女が元気になった。地面から背中だけの力でビョインと飛び上がり、そのまま一回転して立った。意外と身体能力は高いらしい。
「一年ぶりって、いくらなんでも食わなさすぎだろ……」
ダイオウグソクムシじゃあるましい……。
「ん? まぁ、日を数えていたわけじゃないからのう……でも、あの空腹じゃ、ゆうにそのぐらい経っとるじゃろ」
なるほど、せいぜい二日と見た。
「それにしても助かった、助かったぞ! これであと一年はもつじゃろう!」
幼女はそこでようやく、俺と目が合った。
紫と緑のオッドアイだった。これも何かのコスプレだろうか。いや、この世界にカラーコンタクトなど存在しないから、元々こういう目なのだろう。
「お?」
幼女の右目が、ぐるんと回った。その瞬間、色彩が青へと変わる。
き、気持ち悪っ!
「うっわ! うっわ! なんじゃおぬし、すげぇ気持ち悪いのう! なんじゃこれ、なーんじゃこれ! フハハ! こんなの初めて見たぞ!」
幼女は俺の顔を見て、そんなことを言ってはしゃぎだした。
……ええ、もちろんショックですよ?
顔を見て気持ち悪いって言われたのは、久しぶりですからね。でも、俺も彼女のことを気持ち悪いと思ったし。ここはイーブンとしておこう。
「あれか? 腹の中にいた時に双子で、生まれた時には片方死んでいたとか、あったか?」
……なんだ? 何を言ってるんだ?
「いえ、そういう事実はないと思いますよ」
「ほうか?」
「ええ」
「でもおぬしの魔力量……ラプラスより上じゃぞ」
何が誰より上だって?
ちょっと、言ってる意味がわからないな。
眼といい言動といい、かなり残念な子なのかもしれない。
「まぁよい! 名を名乗れ!」
「……ルーデウス・グレイラットです」
「よし! 妾はキシリカ・キシリス! 人呼んで、魔・界・大・帝!」
腰に手を当てて、股間を突き出すように胸を張った。
急に目の前に太ももが来たので、思わず舐めた。
臭い、だが、甘い!
「うひゃぁ! 何するんじゃい! キッタナイのう!」
幼女は内股になり、舐められたところをゴシゴシと擦りながら、睨んできた。
でも、なるほどね。
魔界大帝キシリカ・キシリスの名前は俺も聞いたことがある。人魔大戦で魔族を率いて戦い、あっさり大敗した不死身の魔帝だ。
本物だろうか。俺は人神の助言でここに来た。彼女が本物の魔界大帝である可能性はある。
しかし、本物の魔帝が、こんな魔大陸の端で、お腹を空かせて倒れるだろうか。
……いくらなんでも、それはない。
そうだ。魔大陸の子供たちというのは、こうした過去の偉人のごっこ遊びをよくする。
特に人気なのは、魔神ラプラスだ。真実を知る俺としては胸糞の悪くなるような人物なのだが、奴は人気者だ。戦争に負けはしたものの、魔大陸を平定し、魔族に一定の地位を与え、そして平和をもたらした。魔族史上最高の偉人、そう言われている。
子供たちが真似をするのは、ラプラスの物語だ。特に、不死身の魔王と戦う時のエピソードは、ウェンポートに来るまでの間、何度も目にした。魔界大帝キシリカも、偉人といえば偉人であるが、年代が古いせいか、ごっこ遊びをしているところは見たことがない。
この子はきっと魔界大帝の熱烈なファンだが、一緒に遊んでくれる友達がいなくて、裏路地で一人でいたのだろう。そう考えたほうがスマートだ。
ふむ。一人ぼっちは寂しいよな。しょうがないな、乗ってやるか。
「は、ははぁ! これは失礼を! 陛下!」
俺は大仰にかしこまり、片膝をついて臣下の礼を取った。
「お? おおおお! ええのうええのう! そういう反応を待っとったんじゃ! 最近の若いもんは礼儀を知らんからのう!」
ウンウンと嬉しそうに頷くキシリカ。
うんうん。そうだな、やっぱ遊んでくれる相手は欲しいよな。
「よもや復活なされているとは露知らず、無礼な態度を取ってしまったことをお許しください」
「よい。貴様は妾の命を救ってくれた。何でも一つ願いを言うがよい」
命ったって、腹減ってたのを食わせてやっただけじゃないっすか。
「えーと……じゃあ、巨万の富を」
「馬鹿者! 見ての通りスカンピンじゃ!」
なんでもって言ったのに……いや、そういう設定なのかな。
金をくれといったら、金がないと返すエピソードがあるのかもしれない。
「……じゃあ世界の半分をください」
「な! 世界の半分じゃと! それはでかいのう! しかし、半端じゃのう。なぜ半分なのじゃ?」
「や、男はいりませんので」
おっといかん、つい本音が漏れてしまった。幼女に聴かせる内容ではないな。
「そうか、なるほどのぅ、幼いくせに好色な奴だの。しかし、すまん。実は妾も世界を獲ったことはないのじゃ……」
まあ、キシリカが率いた戦争って全部魔族の負けだったしね。
「じゃあ、もう体でいいですよ。体で払ってください」
「おお? 体かぁ? その歳でそこまで好色だと、将来が心配じゃな」
「はは、もちろんじょうだ……」
冗談です、と言おうとしたら、キシリカがホットパンツに手を掛けた。
「まったく、しょうがないのう。此度の復活では初めてじゃからな、優しくするのじゃぞ?」
キシリカは頬頬を染めてホットパンツをゆっくりと下ろし始める。
え? マジで? 冗談のつもりだったんだけど。
いや、でも、今更冗談とは言えない空気。ここはじっくりと幼女ストリップを鑑賞した後、陛下の御身を抱くのは分不相応云々とか言って、やんわり断るのが筋というものだろう。
「おっと、いかん」
しかし、キリシカは、止まった。止まるな、あと少しで見えそうなんだ。
「今回はもうフィアンセがいるのじゃった。すまんが、こっちはやれん」
ずり下げられかけたホットパンツが引き上げられた。男の純情が弄ばれた気分だ。
それにしても、金もダメ、世界もダメ、体もダメ。
「……じゃあなにがいけるんです?」
「馬鹿者、魔界大帝キシリカが下賜するものといえば、魔眼に決まっておろう!」
そういうものなのか。
どうにもこの世界の英雄譚については疎いからな。
そういや、ギレーヌの眼も魔眼なんだったけか?
しかし、魔眼か。
「魔眼というと、相手の死の線が見えて、それを切ると確実に殺せるという……」
「怖っ! なんじゃそれ! そんな怖いモンないわい!」
ないらしい。あと、俺が知っている魔眼といえば、見た相手を石にするものぐらいだ。
眼からビームが出るビーム眼とか、レーザーが出るレーザー眼とかは、魔眼には含まれないだろう。
「そんな危ないものを欲しがるとは……。なんじゃ、おぬし、誰ぞ恨みでもあるのか?」
「いえ、別に」
「復讐は何も生まんぞ。妾も二度殺されておるが、今は殺した相手を恨んでなどおらん。人を恨めば、その恨みは連鎖する。そうして起きたのが人魔大戦じゃからな」
幼女に説教されてしまった。
まあ、別にどこぞの吸血鬼を分断する気はないからいいんだけどな。
「ていうか、魔眼についてはよく知らないんです。どんなのがあるんですか?」
「ふむ。妾も復活したばかりで大した眼は持っておらぬが、魔力眼、識別眼、透視眼、千里眼、予見眼、吸魔眼……このへんかのう」
名前だけ言われても。
「それぞれ説明してもらえますか?」
「うむ? 知らんのか? まったく最近の若いもんは不勉強でいかんな……」
と、言いつつもキシリカは丁寧に説明してくれた。
「まず、魔力眼。魔力を直接見ることができる眼じゃ。もっともポピュラーじゃな。一万人に一人ぐらいは持っておる」
「ほう、一番人気ってやつですね」
「識別眼。眼で見ると、その物体の詳細がわかる。ただし、妾の知りうることだけじゃ。妾の知らんことは知らんと出る」
「なるほど、辞書ってやつですね」
「透視眼。眼で見ると、壁などを透視することができる。生き物と、魔力の濃い部分は透視できん。おなごの裸を見放題じゃな。好色なおぬしにはもってこいじゃろ」
「ホネホネ人間にならないなら、心が躍ります」
「千里眼。遠くを見ることができる。ピントを合わせるのが難しいがな。見るだけで手出しできんから、あんまりオススメはできんのう」
「視覚は触覚があってこそですもんね」
「予見眼。数瞬先の未来が見える眼じゃ。これもピントを合わせるのが難しい。けど、オススメじゃな」
「一歩先を見つめる企業がほしがりそうですね」
「吸魔眼。魔力を吸う眼じゃ。自分の出した魔術も吸うから、あんまりオススメはできん」
「でも人間永久機関ができますね」
キシリカは魔眼に詳しかった。
どこでこういうことを学んでくるのだろうか。両親が詳しかったりするんだろうか。もしかすると、魔眼大全みたいな本があるのかもしれない。
「じゃあ、二つもらって両方とも魔眼といきましょうか」
「いきなり二つって、おぬし、見かけによらず欲張りじゃのう……」
「ほら、もう一本お肉を上げるよ」
最後の串二つを差し出すと、キシリカは満面の笑みで受け取った。
「わーい。……もぐもぐ。しかし、二つやるのはええが、オススメはできんぞ」
「どうして?」
「普段から見えてると困るからの、普通は視界を塞ぐ眼帯をしておるのじゃ。両方塞いでは活動できまい」
「あー、そういえば知り合いがしてましたね」
俺の剣の師匠も付けていた。その下の目が潰れているということもなかったので、やはりあれも魔眼だったのだろう。
「何百年も生きておる者は制御できるやもしれんが、おぬしのような子供がいきなり二つも入れれば、気が狂ってしまうぞ」
気が狂う……か。やはり、脳に負担がいくのだろうか。怖いな。
「なら、二つはやめときましょう」
「それがよい。どうする? 妾のオススメは予見眼じゃが……」
魔眼か、もし手に入るとするなら、どれがいいだろうか。
魔力眼はちょっともったいないな。案外、見えると便利なのかもしれないけど、結構持ってる人がいるっていうし。もらうならもっとプレミアム感のあるものが欲しい。
識別眼も別にいらないな。ものがわからなくて困ったりはしていない。それに、魔界大帝の知らないことはわからないらしい。肝心なところで使えないことが予想できる。
透視も別にいらないな。制御できるまで、ルイジェルドの全裸も眼に入ってしまいそうだ。
千里眼は、あれば便利かもしれない。でも、今のところ欲しいと思ったことはない。今すぐもらえば、ルイジェルドとエリスの様子がわかると思うが、どうせ、エリスが誰かに咆哮して、ルイジェルドがそれを止めるという光景が見えるだけだろう。
予見眼は、なるほど、確かにオススメだろう。現在、俺は近接戦闘でエリスにもルイジェルドにも勝てない。この世界の生き物は速いからな。一瞬先が見える、というのは俺にとって大きなアドバンテージになる。
吸魔眼は論外だ。魔術師である自分のアドバンテージを殺すことになる。
でも、こうした魔眼があるのは覚えておいてよかった。いきなり全能力を無効化されて慌てるハメになるところだった。
真面目に考えてみたけど、どれも使い方次第だろう。
まあ、なんでもいいか。どうせごっこ遊びだ。
「じゃあ、オススメの予見眼で」
「ええのか? いままで妾が薦めても、ほとんどの奴が違うのにしたぞ。そんなちょっと先のことが見えて何になるのかってのぉ」
「一秒先が見えれば、世界を制することだってできますよ」
とはいえ、この世界の剣士は速い。一秒先が見えても、勝てないかもしれない。
光の太刀とかあるしな。
「透視眼じゃなくてええのか? おなごの裸を見放題じゃぞ?」
わかってないな、この幼女は。確かに、道行く美女・美少女が裸に見えるなら、興奮するだろう。
しかし、それだけだ。すぐに飽きる。ああいうのは、脱がす過程や、脱いだところを想像するのも楽しむものだ。服の上に浮かび出るポッチは、服を着ていなければ楽しむことができないんだぜ?
「ほうかほうか、んじゃちょいと顔かせ」
「はい」
「ほれ、ずぶしゅー」
キシリカはいきなり俺の右目に指を突っ込んだ。
激痛が走った。
「ぐギアぁぁぁぁあああ!!!!!」
思わず後ろへと逃げようとする。だが、キシリカに髪を掴まれ、逃げられない。
意外と力強い。
痛い痛い痛い痛い!
「がぁああぁぁ! な、なにしやがるこのガキ!」
「うるさいのう、男の子じゃろ、ちっとは我慢しろ」
彼女はグリグリと眼窩をいじくり、しばらくして、ズボッと抜いた。
──確実に失明した。
「予見眼の色はおぬしの色彩とはちと違うが、遠目にはわからんじゃろ」
「馬鹿野郎! 遊びでもやっていいことと悪いことがあるんだぞ!」
「妾は魔界大帝じゃぞ、遊びで魔眼をやるなどとは言わんわ」
ちくしょう、俺の眼が、眼がぁ……ああぁぁぁぁ─────あれ?
見える。ものが二重になって見える……?
なんだこれ、気持ち悪い。
「魔力の込め方次第では、限りなく薄くしたりすることもできるはずじゃ。ま、精々頑張って修行することじゃな」
「あ? え? どういうこと」
「おぬし次第ということじゃ」
混乱する俺を、キシリカは満足げに見ていた。頷く動作に残像が残る。しかし、残像というには、影の方も濃い。なんだこれは。
「よしよし、ちゃんと見えておるな。では、妾はそろそろ行くぞ。バーディガーディを探さねばならん。飯の件、大義であった」
キシリカはそう言って、トンと屋根の上まで飛び上がった。
「では、サラバじゃルーデウスよ! また困ったことがあれば妾を頼るがよい! ファーハハハハハ! ファーハハハ! ファーハハアアフアガホゲホ……」
ドップラー効果を残して、高笑いが遠ざかっていく。
俺はそれを、ただ呆然と聞いていた。
「え? ……本物?」
こうして、俺は『予見眼』を手に入れた。
第三話 「すれ違い・後編」
魔眼。
いきなりこんなものをもらって、普通なら驚くところだろう。なぜか魔界大帝があんな所にいて、なぜか俺にこんなものをくれた。
ご都合主義な展開で、ちょっと俺の頭も追いついていない。
だが、俺は神のお告げで動いた。この展開は奴の思惑通りというわけだ。そう思うと、今すぐこの眼をえぐりだして踏み潰潰したい。痛そうだし、怖いからやらないが。
とりあえず帰路につこうとして、俺は自分の甘さを呪った。
町を歩く人物が二重に見えるのだ。どちらかが未来の姿で、どちらかが実体。わかってはいても、人の動きというのは不規則だ。
俺は目測を誤って、人とぶつかった。
「チッ! どこ見て歩いてやがる!」
見るからにガラの悪そうなチンピラだった。
立派な顎鬚に、傷のある顔。冒険者という感じではなく、町に巣食うダニのような顔をしていた。
「どうも、すいません。眼が悪いもので」
「眼が悪いだぁ? じゃあもっと道の端を歩けよ! いいか、この界隈じゃな、眼の悪い奴、耳の悪い奴ってのはもっと申し訳なさそうな顔をして歩くもんだ!」
イチャモンを付けられた。恫喝は怖いが、別にそれほど怒っているわけではないのはわかる。ちょっと機嫌が悪いだけなのだ。
「次からは気をつけます」
「ああ、気をつけろ!」
関わりあいになりたくないため、ここは下手に出て華麗にスルー。
チンピラはペッと唾を吐いて、歩み去る。
「チッ……あ、そうだ。お前、一つ聞きたいんだけど。この辺で酔っぱらいの馬鹿を見なかったか? 昨日から帰ってねえんだ」
と、チンピラが後ろを振り返ったところで、見えた。
[チンピラの頭に、鉢植えが直撃する]
咄嗟だった。
俺は右手に魔力を込めて、風魔術を発動、チンピラの体を吹き飛ばした。
「ぐあっ!」
チンピラはもんどりうって地面に転がるも、即座に受け身を取って立ち上がり、一瞬のうちに抜剣。剣先を俺に向けた。
「てめぇ、何しやが……」
その時、ガシャンと音をたてて、鉢植えが落ちてきた。
俺とチンピラ、二人で揃って上を見上げる。
そこには唖然とした顔の中年女性がいた。
「す、すみません! 大丈夫ですか?」
「あ、はい、大丈夫です!」
一応返事をしておくと、女性は家の奥へと引っ込んだ。
チンピラは、自分の位置と俺と鉢植えを見比べて、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「……ええと、酔っぱらいの人なら、路地裏で倒れていましたよ。誰かと喧嘩でもしたんですかね。じゃあ、俺はこれで」
俺は早口でそう言うと、その場を後にした。あんなチンピラに関わるのも御免だからな。
ともあれ、この魔眼、やはり使い道はあるようだ。
こんなことでいちいち面倒を起こしていても面白くないし、早急に使いこなせるようにしたほうがいいだろう。
★ ★ ★
宿に戻ってきた。
魔界大帝に会ったことを話すと、二人は大層驚いた。
「魔界大帝か。復活していたとはな」
ルイジェルドが驚くところを見るのは、結構珍しい。
「まさか、いきなり魔眼がもらえるとは思ってもみませんでした」
「魔眼を与えるのは魔界大帝の能力だ」
魔界大帝キシリカ・キシリス。
復活の魔帝。またの名を、魔眼の魔帝。その戦闘力は大したことはないが、一二個の魔眼を体内に隠し持ち、あらゆるものを見透かすことができるという。
中でも最も恐ろしいのは、他者の眼を魔眼へと変えるその能力だ。これのおかげで、キシリカは配下全てを魔眼持ちにし、魔族を統べるほどの力を手に入れることができた。
強くなりたいがためだけに、キシリカの配下に加わる魔族もいたぐらいだ。
「なんでこの町にいたんでしょうね」
「さてな。魔王や魔帝の考えることなど、俺にわかるものか」
ルイジェルドはそう言って肩をすくめた。
そうだな、お前は長年仕えた魔神の真意もわかんなかったんだもんな。
と、言うとマジ凹みしそうだから口には出さない。
エリスはというと、魔界大帝という単語に眼を輝かせていた。
「すごいわね。私も会ってみたい!」
「会ってみたいですか?」
エリスとキシリカ。二人を会わせるとどんな会話をするんだろうか。俺もちょっと興味がある。
案外、馬が合うんじゃないだろうか。
「まだ町にいるかな?」
「どうでしょうね……」
案外、明日あたりまた路地裏に行けば、お腹を空かせて倒れているかもしれない。
そういう天丼ネタをやりそうな雰囲気はあった……いや、さすがにないだろう。
誰かを探している感じだったし、きっと旅立ったのだろう。円環の理か何かに導かれて。
「さすがに、もう町にはいないでしょうね」
「そう、残念ね」
と、言いつつも、エリスは明日にでも路地裏を見に行くだろう。
「そんな感じなので、僕は引きこもります。二人は自由に行動していてください」
二人はそれぞれ頷いた。
★ ★ ★
魔眼の制御には、一週間掛かった。
結論から言うと、それほど難しくなかった。
魔力で魔眼を制御する。それは無詠唱で魔術を使う時によく似ている。今まで何度もやってきたことだ。魔力で見え方を作るのだ。
最初は戸惑ったが、ピントが二つあるということに気づいてからは早かった。
二つのピント、一つは濃さ。
エロゲの会話ウィンドウみたいな感じだ。最初は濃さが最大値で、あらゆるものが二重に見える。
これはできる限り、薄くする。
目の奥の方の魔力を絞ると、未来が薄くなり、今が見えてくる。普段から見えておいたほうが便利そうなので、気にならない程度まで薄くなったら、そこでストップ。
この状態を維持する。少し気を抜くと、濃淡が変化する。
安定するまで三日掛かった。
もう一つの長さ、あるいは遠さか。
見える未来の距離は目の先の方に魔力を込めることで調節することができた。結果、最長で約一秒ということが判明した。
無論、魔力を込めれば二秒以上先の未来も見える。
見えるが、ブレる。二つとか三つにブレて見える。未来は常に変化しているということだろう。
三秒、四秒と魔力を込めることで未来が見えたが、五秒も未来にすると、何重にもブレて頭痛がした。それだけ、未来の数は多いということだ。そして、あまり遠い未来にピントを合わせようとすると、脳に負担が掛かるらしい。キシリカも魔眼を二つ手に入れると廃人になるようなことを言っていた。
もしかすると、彼女があんなアッパラパーなのも、魔眼の影響かもしれない。
何はともあれ、安全に使えるのは一秒だ。
それがわかるのに、また三日。
二つを同時に調整できるようになるまで、さらに一日。
計七日で、俺は予見眼をそれなりに使いこなすことに成功した。
★ ★ ★
さて、俺が眼に力を入れて「静まれ、俺の予見眼!」とか言っている間、エリスとルイジェルドは毎日二人してどこかに出かけていた。
エリスは毎日、汗だくで、ルイジェルドはいつも通りの済ました顔で、しかし、ちょっとだけ汗をかいて帰ってきた。
二人して、汗を流すようなことをやっているのだ。
それも、毎日!
「あの、参考までに聞きたいんですけど、二人は何をしてるんですかね?」
すると、エリスはよく絞った布で汗を拭きながら答えた。
「ふふん、ナイショよ!」
実に嬉しそうな顔だった。ナイショでナイショなことをしてるんだろうか。ナイスショットでホールインワンなのだろうか。俺には、このエリスの汗の染み込んだ布をクンカクンカするしかないのだろうか。
いや、別に不安には思ってないけどな。
どうせ、どこかで二人して特訓でもしているのだろう。
ああ見えて、エリスは陰で努力する子だ。フィットア領にいた頃も、休日にはちょくちょくギレーヌと訓練をしていた。何をしているのかと聞くと、今回のようにドヤ顔で「ナイショ!」と答えたものだ。
なら今回も、それだろう。
その夜、三十四歳ぐらいのニートっぽい奴が俺の頬をツンツンとつつきながら耳元で、「お前の二つ名は今日から負・け・犬」と言う夢を見た。
多分、人神の仕業だと思う。
あいつはロクなことをしないな。
★ ★ ★
一週間後、魔眼の調節ができたと報告。
するとルイジェルドに「なら、エリスと手合わせをしてみろ」と提案された。
戦闘でどれだけ使えるのか確認するのか。それとも、特訓の成果を見るのか。
どちらもこなせて二度美味しいため、俺は二つ返事で了承した。
砂浜に移動。ルイジェルドの立ち会いのもと、そこらで拾った木の棒を持って向かい合う。
「魔眼なんて手に入れたからって、私に勝てるかしらね!」
今日のエリスはいつにもまして自信満々だった。
きっと、この一週間で何かを掴んだのだろう。
守りたい、このドヤ顔。
「負けてもいいんですよ。戦闘中にどれだけ見えるのか、知っておきたいだけですから」
とはいえ、今日は魔術は抜きだ。
こっちも成果を見たい。一秒先を見えるように設定した魔眼だけで戦ってみよう。
「ふぅん、ルーデウスらしい言葉だけど……」
エリスの言葉の途中で、ビジョンが見えた。
[エリスが突然、左拳で殴り掛かってくる]
予見眼がなければ、反応できなかっただろう。
彼女は、こと先制攻撃に関しては、天性の才能を持っている。
「ハァッ!」
「ほい」
よく見極めてから、カウンターでエリスの顔を横からぶっ叩いた。
次のビジョン。
[エリスが怯まず連続攻撃を仕掛けてくる。右手の棒]
これがエリスの強い部分だ。どれだけ攻撃を受けても、決して怯まずに次の攻撃を仕掛けてくる。足腰もしっかりしているため、多少の攻撃ではぐらつかず、むしろダメージを受ければ受けるほど、怒りのボルテージが上がり、攻撃性が増す。
「たぁっ!」
「はいさ」
強めに小手を打つ。エリスは木の棒を取り落とした。いつもの俺なら、ここで勝負ありかな、と思うかもしれない。少なくとも、ギレーヌの元で修行していた頃は、剣を落とした時点で負けだった。だが、ビジョンではそうなっていない。
[エリスはすでに次の予備動作に入っている]
つまり、これはフェイントの一種だ。
剣を落として、俺の油断を誘ったのだ。
[俺の顎先に左拳でパンチ]
エリス得意のボレアスパンチ。
わざと剣を落とし、油断させ、いつもの肉弾戦連係に持っていくのだ。
「………っ!」
「足元がお留守ですよ」
出足を払って転ばせた。拳は空を切り、エリスは地面へと倒れていく。
だが、まだ諦めないらしい。
[地面に手をつき、反動と遠心力を使って、仰向けになりながら俺の右足に噛み付く]
「おっと」
俺は足を下げると同時に膝を落とし、エリスの上に乗っかるように、動きを封じた。
無理な体勢から噛み付こうとしたエリスの体は捻れた。片腕は自分の下に、片足は折りたたまれて尻の下に入っている。コレ以上なにをするのかと思っていると、じたばた暴れるだけのようだ。
「そこまでだ」
審判の声が上がる。
エリスがぐたっと力を抜いた。
勝った……勝ったのか。
初めて、近接戦でエリスに勝ったのだ。魔術なしで。
「完敗ね……」
エリスは、珍しく清々しそうな顔で俺を見上げていた。
足をどける。エリスはゆっくりと立ち上がり、パパッと土埃を払った。
[殴り掛かってくる]
パシッと拳を受け止めると、エリスの顔がみるみる不機嫌になった。
「……帰る!」
エリスは大音声でそう言うと、そのまま、肩を震わせて宿へと戻っていった。
怒らせてしまったか……?
いや、違うな。自信を喪失させてしまったのだろう。
今まで簡単に勝てていた相手。それが急に強くなった。俺だったら嫉妬してしまうだろう。
「エリスはまだ子供だ」
ルイジェルドがエリスを見送って、そう言った。
「歳相応でしょう」
そう言うと、ルイジェルドは振り返った。
俺の眼を見て、頷く。
「うまい連係だった」
「魔眼があれば、誰だってできますよ」
多少は鍛えていたというのもあるが、この世界には俺程度の身体能力を持つ人物は大勢いる。魔眼さえ手に入れば、誰だってあのぐらいはできるはずだ。
「魔眼というものは、渡されてすぐに使いこなせるものではない」
「そうなんですか?」
「かつて、スペルド族の戦士団にも魔眼持ちがいたが、常に眼帯を付けていて、死ぬまで制御できなかった。一週間で制御できたお前は異常だ」
そうか。そうかね。そうかそうか。
まあ、俺も魔力制御に関しては結構頑張ってるからね。一週間で使いこなしちゃいましたからね。そっかそっか、俺ぐらい早く制御できた人はいませんか。んふふ。
「もしかして、今ならルイジェルドさんにも勝てたりして」
「魔術を使えばな」
「接近戦では?」
「やってみるか?」
その誘いに、俺は乗った。はっきり言って調子に乗っていた。
「お願いします」
ルイジェルドが槍を脇に置くと、徒手空拳で構えた。
野良犬相手に表道具は用いぬということか。
「なんだったら、お前は魔術を使ってもいいぞ」
「いえ……せっかくなので素手で」
言い終わる前に、ビジョンが見えた。
[ルイジェルドの掌底が俺の目の前に向かって放たれる]
見える。
ルイジェルドの動きも見える、対処できる。
「おっと!」
その拳を受け止めようと、手を伸ばす。
[俺の手が掴まれる]
ビジョンが見えて、思わず手を引っ込める。
その瞬間、ビジョンがブレた。
[ルイジェルドの拳が俺の顔を捉える]
二つのビジョンが浮かぶ。すなわち二つの未来だ。
腕を掴むルイジェルドと、顔面に拳撃を打ち込むルイジェルド。
ほぼ重なり、しかし少しだけズレた未来。
なぜだ、一秒だとブレないはずなのにと、疑問に思う時間も一秒だ。
「うおぉっと!」
体を反らしてなんとか回避する。
[ルイジェルドの拳が俺の顔面に向かって放たれる]
その拳撃は見えていた。はっきりと、見えていた。だが、俺は体勢を崩していた。
ルイジェルドの次の行動が見えていても、回避行動に移ることができなかった。
「ぶげっ!」
ルイジェルドの拳は俺の鼻先を捉え……打ち抜いた。俺は後頭部から砂浜に倒れ、そのまま一回転。うつ伏せに倒れてしまった。
顔が陥没したかと思った。
触って顔を確認。大丈夫だろうか。わたくちの美しい顔は修羅場ってないだろうか。俺は給食当番の五歳児みたいになっていないだろうか。
「終わりか?」
聞かれ、俺は敗北を悟る。
「はい、参りました」
最初にビジョンが見えた時は勝てるかと思ったが、そうそううまくはできていないらしい。
「しかし、これでわかっただろう?」
俺はルイジェルドの差し伸べた手を掴み、起こしてもらう。
「わかりません。いきなり未来がブレました。何をしたんですか?」
「お前が何を見たのかは知らんが……。お前が手で防御すれば掴み、出さなかったら殴る。俺が考えたのは、それだけだ」
つまり、こういうことか。
俺の動きさえ予測していれば、対処できる。地力に差があるから、俺が一秒先が見えても意味がない。将棋で言うなれば、相手の次の一手が見えたからといって、素人が名人には勝てる道理はない、といったところか。
この世界の住人は、異常に能力が高い。ルイジェルドと同じような動きができる奴も多いだろう。
「もっとも、俺は前に同じ魔眼を相手に戦ったことがある。それ以来、常にそれを想定した戦い方をしている。経験の差だ」
「そうですかね」
ルイジェルドは経験で魔眼に対処した。
もしかすると、この世界の剣術とかは、魔眼への対処法や対抗する技があるかもしれない。
例えば、剣神流の『光の太刀』なんて、見えても回避できる気がしない。
「ちょっと、調子に乗っていたみたいですね」
それに、魔眼の弱点というのは古来から決まっている。
例えば、眼を塞ぐとか、鏡の盾を使うとか、後ろから攻撃するとか、暗闇の中で戦うとか。
だが、それらを差し引いても、やはり魔眼の力は魅力的だ。
あのエリスに勝ったんだからな。これからの魔眼の使い道を考えると、心が躍る。
エリスの動きは完全に見えていた。今まで見えなかった動きが見えていた。
つまり、もっと応用すれば、ルイジェルドの動きだって見えるはずだ。
と、そこで俺の中にハゲでグラサンな仙人がポンと現れた。
『ようやく殴られずに成長を確かめることができるのう!』
なるほど。ありがとうおっぱい仙人。
うむ。これからの魔眼の使い道を考えると、胸が躍るな!
★ ★ ★
鼻の下を伸ばして宿に戻ると、エリスがベッドの上で足を抱えていた。
そうだ、忘れてた。
彼女は落ち込んでたんだった。とりあえず、俺の中の仙人は亀に乗ってどこかに消えた。
「あの、エリスさん?」
「なによ?」
あの後、ルイジェルドから、二人がこの一週間、何をしていたのか聞いた。
やはり特訓だったらしい。もちろんエッチな特訓ではない。強くなるため、丸一日を剣の修行に費やしていたのだ。そして、特訓の結果、エリスはルイジェルドから一本取ることに成功したそうだ。
ルイジェルドから一本。
並ではない。俺では一生取れそうもない。
ルイジェルド曰く、それでちょっとテングになりかけていたので、俺を使って頭を冷やさせた、ということらしい。
なんてことだ。あの戦士気取りのロリコン野郎は、自分のミスを俺に尻拭いをさせたのだ。
だが、結果は抜群だったようだ。普段負けているルイジェルドから一本取って長く伸びていた鼻は、普段勝っている俺に完敗することで、容赦なく叩き折られた。
しかし。しかしだ、しかしなのだ。
それはあまりよくないのだ。
『ちょっと掴めてきたかな?』
と思った時にわからされた時の感じは、俺もよく知っている。
今までやってきたことが否定される、やるせない気持ちになるのだ。
確かに頭は冷えるかもしれない。大きな失敗はしないかもしれない。
でも、エリスは多分、今が伸び盛りだ。
そうやって頭を押さえつけるようなのはよくないと思う。どんどん調子に乗らせて、どんどん伸ばすべきなのだ。そして、伸びきったところで悪い点を指摘して修正するのだ。
「エリスはちゃんと強くなっています」
「別にいいわよ、慰めてくれなくても。ルーデウスに勝てないことぐらいわかってたもん」
つんと唇を尖らせて拗ねるエリス。
うーん、なんて声を掛ければいいんだ。こういう時のセリフのストックがない。
ルイジェルドは部屋に戻ってこない。アイツが伸ばした鼻なんだから、アイツがなんとかしろと思う。俺が折った鼻だけどさ。
だが、ここでうまく慰められれば、好感度アップ間違いなしだ。
エリスは俺に首ったけになって、メロメロダンスで大人のチークタイムだ。
ルイジェルドも、きっとそういうアレを想定して、二人っきりにしてくれたのだ。
「自信をなくさないでください。ルイジェルドから一本取ったって聞きましたよ。凄いことじゃないですか」
そう言いながら、隣に座る。
すると、エリスは俺に体重を預けてきた。
ふわりと、汗の匂いが香った。いい匂いだ。だがまだ我慢。ここは紳士的に……。
「ルーデウスは、ズルいわよ。一人で魔眼なんて手に入れて、私は一生懸命頑張ったのに……」
俺は硬直した。一瞬で頭が冷めた。俺の中の狼が尻尾を巻いて逃げた。
何も言い返すことができなかった。
「…………」
俺は、何を浮かれていたんだろうか。
そう、ズル。ズルいのだ。
魔眼は、決して俺が努力して手に入れた力ではない。降って湧い
いたように手に入れたものだ。俺がやったのは、食料を買い込んで裏路地を歩いただけなのだ。
確かに、その後、調整には一週間掛かった。
だが、それだけだ、何の苦労もしていない。そんな力で、一週間、汗だくになって努力してきたエリスに勝って、何を嬉しがっているんだ。
「すいません」
「謝らないでよ……」
「…………」
それ以降、エリスはずっと黙っていた。
けど、決して俺から離れようとはしなかった。普段の俺なら、エリスの体温や匂いにドキドキする。けど、そんな気持ちにはならなかった。
ただ、バツの悪さだけを感じていた。エリスの高い体温と汗くささが、俺を批難しているように感じた。
重い空気。
……魔眼は、いざという時以外は使わないほうがいいだろう。
こういう便利な道具は、俺の成長を妨げる。
そうだ。ルイジェルドとの戦いでもわかったじゃないか。大切なのは、魔眼の使い道を考えることじゃない。俺自身の戦闘力を上げることだ。
魔眼を使えば、確かに俺は強くなるだろう。だが、きっといつかは頭打ちになる。
道具に頼ったやり方では、いつか手痛いしっぺ返しをくらう。
危ない。あやうく人神とかいう邪神の奸計に乗るところだった。
魔眼は、切り札と考えるようにしよう。
★ ★ ★
その夜、俺は一人、考える。
結局、海を渡る方法は手に入らなかった。どこかでミスをしたのだろうか。
今回はスムーズだったと思うのだが……手に入ったものは魔眼だけだ。
これで何かをするのだろうか。例えば、ギャンブルとか。とはいえ、魔大陸にギャンブルという娯楽は存在していない。せいぜい、喧嘩する二人のどっちに賭けるか、といったものだ。これで稼ぐのはあまりおいしくない。ルイジェルドを剣闘士役として出し、参加費鉄銭一枚、賞金緑鉱銭五枚なんてやるのもいいかもしれないが、どうせすぐに相手がいなくなる。
うーむ。考えてもわからない。
ただわかるのは、人神に助言をもらう前に戻ったってことだ。ある意味、一週間を無駄にしたとも言える。一週間も、無駄にしたのだ。
「よし……売るか」
口に出してみると、決意はあっさりできた。
丁度いいことに、今夜はルイジェルドがいない。エリスはベッドの端でヘソを出して寝ている。風邪を引いてはこまるので、彼女には毛布を掛けてやるとして……。
止める者はいない。
この時間でも、裏路地の質屋は開いているだろう。いかがわしいモノを扱う店は夜に開くものなのだ。
俺は杖を片手に宿を出た。宿を出て三歩。
「こんな夜更けにどこに行く?」
ルイジェルドが立ちふさがった。
宿にいないから、どこか遠くに行ったと思ったが、そうでもなかったらしい。しまったな、こいつ、出歯亀する気だったのか。なんとかごまかさないとな……。
「えっと、ちょっとエッチなお店に火遊びに」
「女を抱くのに杖が必要なのか?」
「えっと……魔術師プレイをするので」
沈黙。さすがに無理があったか。
「売るつもりか?」
「……はい」
見事に言い当てられて、俺はさっさと白状した。
「もう一度聞くぞ。お前は、杖を売るのか?」
「はい。この杖は材質がいいので、高く売れます」
「そういうことを言っているのではない。お前にとってその杖は、大切なものではないのか? このペンダントと同じく」
ルイジェルドは、胸元からロキシーのペンダントを取り出した。
「はい、同じぐらい大切です」
「ならば、もし同じことがあれば、このペンダントも売るのか?」
「……必要とあらば」
ルイジェルドは深く息を吸った。
叫ぶのだろうか。子供以外のことではあまり声を荒げない男だが……。
「俺は、たとえ追い詰められても、槍は手放さん」
叫びはしなかった。ただ、ため息をつくように言っただけだ。
「それは、息子さんの形見だからでしょう?」
「違う。戦士の魂だからだ」
戦士の魂か。言うことは立派だが、それで海は渡れない。
ルイジェルドの目には、悲しみがあった。
「お前は前に、三つの選択肢を出した」
「出しましたね」
「その中には、杖を売るという選択肢はなかったはずだ」
「ありませんね」
嘘をついたことを咎められているのだろうか。
いや、嘘をついたつもりはない。杖を売るのも正攻法の一つだ。
「俺はまだ、お前の信頼を得ていないのか?」
「信頼? していますよ」
「ならば、なぜ相談しない」
その問いに、俺は眼を逸らした。
反対されるとわかっていた。だから相談しなかった。
つまりそれは、信頼していないことの証拠とも言える。
「俺とて、この一年で今の世の中のことは知ったつもりだ。依頼を受けても、迷宮に潜っても、緑鉱銭二〇〇枚などという大金は、到底貯まらん」
今日のルイジェルドは珍しく現実的な物言いをしているな。
何か変なものでも食べたかな?
「お前はそれをわかっている。ゆえに、密輸人という選択肢を考えついた。俺には思いつきもしなかった。だが、俺がミリスに渡る方法は、それしかない。それで正解だ。なぜ杖を売ろうとする」
俺が思いつくのは、いつだってベターな選択肢だけだ。
全てを完璧にこなせるベストな選択肢は難しすぎて失敗する。
だから、正解なんてものは、いつだってわからない。密輸人が正解だなんて、思っていない。
「たとえ正解でも、パーティに亀裂が入ったら、何の意味もありません」
「つまりお前は、密輸人を頼ると、パーティに亀裂が入ると思っているわけだな」
「ええ。密輸人は、ルイジェルドさんの価値観で言うところの、悪党ですからね」
密輸。その運ぶ物のリストには、奴隷なんかも含まれるだろう。
そして、この世界の最もポピュラーな悪事といえば、人攫い。
子供は攫いやすい。つまり、密輸人は子供を攫って売る誘拐犯の片棒を担いでいる。
「ルーデウス」
「はい」
「今回は、俺のせいでこんなことになっている。お前たちだけなら、緑鉱銭二〇〇枚などという大金で頭を悩ませずにすんだ」
その代わり、ここに来る途中で何かハプニングに遭ったかもしれない。
ルイジェルドに助けられたことはいっぱいあるのだから。
「それを、お前が杖を売ることで解決するのは、俺の誇りが許さん」
誇りが許さんと言われてもな。
「杖を売る、金が手に入る。規定の料金で海を渡る。誰も後悔しない。誰も何も我慢しなくて済む、一番スマートなやり方じゃないですか」
「お前に杖を売らせてしまった俺の不甲斐ない気持ちが残る。エリスとて、気にするだろう。それがお前の言う、パーティの亀裂ではないのか?」
押し黙る俺を、ルイジェルドはまっすぐな瞳で見ていた。
「密輸人を探せ。俺は全ての悪事に目をつぶろう」
真剣な顔だ。
恐らく、彼は今、途中で子供が捕まっていても見殺しにする覚悟を決めている。
俺が杖を売らないために、だ。俺のためにだ。俺のために主義主張を曲げてくれているのだ。
そこまで強い覚悟があるのなら、俺も何も言うまい。
「もし、途中で我慢できないゲス野郎を見つけたら言ってください。子供を助けるぐらいの余裕は、あるはずですから」
ルイジェルドがその気なら、スマートな振る舞いはやめだ。
密輸人を頼り、海を渡る。けど、今回は迎合しない。ルイジェルドが我慢できなくなったら、容赦なく裏切って助ける。悪党なんて利用するだけして、ポイだ。
「じゃあ、密輸人を探す方向でいきましょう」
「ああ、それでいい」
「色々と不愉快な思いをさせることになると思いますが、よろしくお願いします」
「それはお互い様だ」
俺はルイジェルドと固く握手をかわした。
手を離し、さて、帰って寝るかと宿に向き直った時。
ルイジェルドが険しい顔で、槍を構えていた。
「誰だ!? なんの用だ!」
唐突の恫喝に俺はビクリと身を震わせ、ルイジェルドの視線の先を見る。
暗がりの裏路地。そこから、一人の男が姿を現した。
両手を上げながら、敵意がないと示しつつ、半笑いを浮かべた髭面の男。腰には剣が差されており、荒事に強そうな印象を受ける。
「おぉ怖ぇ。スペルド族なんて眉唾だと思ってたが、こりゃ本物かねえ」
男は半笑いを浮かべつつ、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
どこかで見たことあるな、こいつ。
「まずは、その物騒なもんをおさめてくれねえか? こちとら、今日は喧嘩しに来たわけじゃねえんだ。ちょっとしたお礼を言いたくて探してたんだよ」
「こんな夜更けにか?」
「夢を見るには、まだちょっとだけ早いだろ?」
ああ、思い出した。
この男、魔眼をもらった帰りに肩がぶつかって因縁をつけてきた奴だ。
こんな夜更けにお礼参りとは。本当にチンピラってやつは……。
「探すのにちびっと時間が掛かっちまってな。眼を患った魔術師と聞いても誰も知らなくてよ。けど、『デッドエンド』の噂を聞いてピーンと来たぜ。灰色のローブに、詠唱なしで魔術じみたことをする、やたら慇懃無礼な背の低い低い小人族」
小人族じゃないけどな。
「『飼主のルージェルド』。七日前には世話になったな。お前のお陰で、バッカスの野郎も見つかったよ。俺が見つけた時は、顎を砕かれて路地裏に倒れてた。かわいそうにな、あれじゃしばらく酒しか飲めねえ。ま、普段から酒しか飲んでないような奴だけどな」
まじかよ。
「ってのは冗談だ、俺らの仲間うちにも治癒魔術師ぐらいいるからな」
よかった。出合い頭に顎を砕かれたかわいそうなロリコンオヤジはいないんだね。
「で、お礼というのは、その件ですか?」
「それと魔術で突き飛ばしてくれた件だ。お陰で、どたまにでっかいたんこぶを拵えずに済んだ」
「……そいつぁ。ようござんした」
男は真面目くさった態度で言った。
「俺みたいな商売をしていると、恩っての仇になる。小さな恩でも放っておくと、いざって時に戻ってきて、仲間を裏切るハメになりかねない。だから、早め、早めに返しておくのさ」
そこまで言ってから、大仰にかぶりを振って、俺を指さした。
「さっきの話は聞こえたぜ。飼主の、あんたぁついてる。偶然、道端で助けた相手が、密輸組織の一員だったんだからな」
その言葉に、俺はルイジェルドと顔を見合わせた。
この男が、密輸組織の一員。
なんとも都合のいい話だ。本来なら嘘だと思うところだが、今回は人神の助言もある。あれは、この男とめぐり合わせるというものだったのだろうか。
判断に困っていると、男は何を勘違いしたのか、手のひらをこちらに向けた。
「っても、勘違いするなよ。恩は返す。けど、あれとスペルド族の密輸ってんじゃ、程度が違う。俺は自分の命に緑鉱銭二〇〇枚分の価値があるとは思っちゃいねえからな」
何が言いたいのかと、促すように目線を送る。
男はニヤニヤと笑ったまま、言葉を続けた。
「『デッドエンド』の強さを見込んで、一つ頼みがある。聞いてくれるか?」
恩を返すといいつつ、頼み事をしてくる。
これいかに……と思うところだが、男には俺が無詠唱で魔術を使うところを見られている。恩を返すというのはあくまで建前で、自分の仕事に適任な人物を探していたのだろう。そして俺たちの話を聞いて、これ幸いにと出てきたのだ。
ルイジェルドがこちらを見てくる。交渉は俺の役割だ。
「内容によりますが」
「そんな難しいことじゃない」
そう言って、男が口にした条件とは、少々意外なものだった。
「実は、密輸品ってのは、運ぶ前、運んだ後、引き取り手が来るまで、ある場所に保管される。今から一ヶ月後、その場所にある密輸品が運びこまれる。そいつを解放してほしいんだ。できれば、故郷まで送り届けるように手配してやってほしい」
「……それは、仲間を裏切るってことですか?」
「いいや、仲間のためさ。密輸品……ま、奴隷となる奴らだが、その中に、ちょいと今後のためにならない奴が混じっててな、売ると莫大な富をもたらすが、禍根が残り、一年後に手痛いしっぺ返しをくう」
男は肩をすくめて続けた。
「俺は反対したんだが、あいにくと俺らも一枚岩じゃあなくってな。計画を潰してくれて、口の固い、腕の立つ奴を探してたんだが、どうだろう」
俺はもう一度、ルイジェルドと顔を見合わせた。
攫ってくるのではなく、助ける側。それなら、いいように思えるが。
「なぜ、お前がやらない。その剣に、その物腰、やれるだろう?」
「ああ、これでも仲間内じゃあ、一番腕が立つ。でもなスペルド族の旦那、俺は別に裏切りたいわけじゃあないんだ。今後のためにもな、わかるだろ。仲間を救っても、俺の居場所がなくなっちゃ、意味がない。一番強い奴が、常に一番上にいられるとは限らないんだ」
「……」
ルイジェルドはわかったような、わかってないような、微妙な顔をしていた。
頭ではわかっていても、心ではわかっていない。そんな顔だ。
「ルーデウス、俺は構わん。お前が決めろ」
悪行には目をつぶると、先ほどルイジェルドは言った。目の前の男がどれだけ信用できずとも、俺が決めたのなら、それに従うつもりなのだ。
だから、俺は考える。
この男、少し不審な部分はある。だが、人神の助言から起こった出来事だ。人神自体は信用できないが、前回も踏まえると、あまり難しく考えず、流れに身を任せたほうがいい気もする。
依頼内容も聞く限りは悪行ではない。
まあ、助ける人物が極悪人という可能性も少なからずあるが、極悪人でも人助けだ。
そもそも、どのみち密輸人とは渡りをつけるつもりだった。その時に発生する費用や手数料がタダになったと考えれば、悪くはない。そう考えれば、結論はすぐに出た。
「わかりました、受けましょう」
ルイジェルドは頷き、男は笑った。
「そんじゃ、よろしく頼むぜ、俺の名はガルス・クリーナーだ」
「ルーデウス・グレイラットです」
最後に互いに名乗りあい、俺たちは密輸組織の仕事を請け負うことを決めた。
間 話 「すれ違い・番外編」
ロキシー・ミグルディア。
ルーデウス・グレイラットの師匠である彼女は船旅を終え、魔大陸の港町ウェンポートへと降り立った。
ロキシーはその途端、足を止めた。
ウェンポートは、ミリス北端にあるザントポートとよく似た町並みである。初めて訪れた者でも、ある種の既視感を覚えるだろう。
だが、ロキシーが足を止めたのは、既視感からではない。ミリス大陸とは明らかに違う空気、それを感じとったのだ。
(懐かしい……)
胸の奥より湧き上がるのは懐かしさだ。
ロキシーが以前にここを訪れたのはいつだっただろうか。十五年ぐらい前だったろうか。
思えば、人族に憧れて里を飛び出して、かなりの時間が経った。ここから船に乗った時にはいつか戻ってくると考えていた。けど、ミリス大陸に渡り、ミリシオンで人族の作ったお菓子を食べた時は、こんなに美味しいものがこの世界にはあったのか、魔大陸では絶対に食べられない、二度と戻るもんかと決意したものだ。
(我ながら単純ですね……)
事実、ロキシーはミリス大陸から中央大陸へと渡り、今日まで戻っては来なかった。
戻ろうとも思っていなかった。
中央大陸にはいろんなものがあった。見るもの全てが新鮮で面白く、いつしか魔大陸に住んでいたのと同じぐらいの時間を、中央大陸で過ごしていた。
魔大陸のことなど頭にはなかった。迷宮に潜り、死の恐怖を覚えるような瞬間でも、魔大陸に残した両親のことなど思い出さなかった。それが、今、こうして戻ってきている。
人生何が起こるかわからないものだ、とロキシーはしみじみ思った。
「ロキシー! 行きますわよ!」
ロキシーが立ち止まっていると、一人の女性がロキシーを呼んだ。
金色のフランスパンのような豪奢な髪の間から、長い耳が覗いている。長耳族だ
スラリと高い背、キュっとしまったウエスト、そしてポンと大きなお尻。彼女を遠目に見る度に、ロキシーの心は嫉妬で埋め尽くされる。種族的に仕方のないことだとしても、せめて自分もああいう体型になれば、と思ってしまう。胸の大きさだけは同じ程度だが、バランスがとれて美しい彼女と、貧相な自分。
「はぁ、今行きますよ」
ため息が出た。
あの豪奢な女性の名前はエリナリーゼ。
エリナリーゼ・ドラゴンロード。
長耳族の戦士で、刺突を主とするエストックとバックラーで堅実な前衛を務める。その豪奢な見た目と同様の、華麗な技を持つ戦士だ。
本来ならエストックなど、冒険者の持つ武器ではない。アスラ王国貴族が決闘で使ったり、北方大地の剣闘士が甲冑を着て戦う時に用いるものである
エリナリーゼの持つものは迷宮の奥で手に入れた魔力付与品である。そこらの雑多な剣よりよほど頑丈で、一振りするだけで、数メートル先の木を切り倒す真空波が発生する。また、バックラーも魔力付与品で、受け止めた衝撃を緩和するという能力がついている。
「お、おお……大地、大地じゃ……」
炭鉱族の老人が、ロキシーの後ろからヨロヨロと船を降りてきた。
ガシャガシャと重い鎧を鳴らし、厳ついヒゲを揺らし、青い顔で杖に縋っている。
彼の名はタルハンド。
正式には『厳しき大峰のタルハンド』。
身長はロキシーと同じぐらいで、しかし横幅は二倍以上ある。重い鎧に身を包み、厳ついヒゲを持ったこの人物は魔術師である。魔術師がなぜ鎧を、と最初はロキシーも疑問に思ったものだ。
彼は足が遅く、敏捷性は皆無に等しい。魔物に攻撃されれば回避もままならない。なので逆に、ああして頑丈な鎧を着こむことで、前衛でも魔術を使えるようにしているらしい。
「大丈夫ですか、タルハンドさん。ヒーリングを掛けましょうか?」
「いや、必要ない……」
タルハンドは、フラフラと頭を揺らしつつ、鈍重そうな体を引きずってくる。
普段はもっと軽快なのだが、船酔いに掛かり、弱っているのだ。
「まったく、船ぐらいで情けないですわね」
「なんじゃと……貴様……」
エリナリーゼが腰に手をあて、フッと笑う。
タルハンドは顔を真っ赤にして怒る。
すぐに喧嘩を始めるこの二人を止めるのは、現在のロキシーの役割である。
「喧嘩は後にしてください。エリナリーゼさんも、いちいちそんなことは言わなくていいんです。船酔いは体質によるものですからね」
ロキシーと彼らは、王竜王国の港町イーストポートで出会った。
冒険者ギルドで喧嘩をしている二人を、ロキシーは最初、無視した。
だが、その喧嘩の内容がフィットア領で行方不明になった人物を捜索しに、魔大陸まで移動するという話だったので、割り込んだ。
二人は、魔大陸の地理に明るくないということで、意見を違えていたらしい。
土地勘のあるベガリット大陸か、中央大陸北部に移動すべきだというタルハンド。
道なんかわからなくても人探しぐらい可能、なんなら現地で人を雇えばいいというエリナリーゼ。
そして、一人では不安が残る、魔大陸出身のロキシー。
出会うべくして出会ったというべきだろう。
さらに話を聞いてみると、なんでもこの二人はかつて、パウロやゼニスと同じパーティだったと言う。
パーティ名を『黒狼の牙』という。
ロキシーも聞いたことがある。
中央大陸において最も有名だったパーティの一つだ。
一癖も二癖もある人物ばかりが集まった凸凹パーティで、当時は何かと話題になっていた。結成から数年でSランクに上がり、そしてすぐに解散してしまったのだが、ロキシーはよく覚えている。
それにしても、まさか、パウロとゼニスが『黒狼の牙』のメンバーだったとは。
ロキシーは驚きが隠せなかった。
そして、驚いたのは二人も同様だった。
ロキシー・ミグルディアと言えば、巷で有名な『水王級魔術師』だ。
魔大陸から渡ってきた青い髪の少女。魔法大学に入学し、数年で『水聖級魔術師』の称号を手に入れ、シーローン王国郊外にあった地下二五階の迷宮を踏破。その後、シーローン王国の宮廷魔術師の座に収まった人物である。
彼女の冒険譚の序盤の出来事は吟遊詩人によって詩にされ、かなり有名になってきている。
里から出てきた魔術師の少女が三人の駆け出し冒険者と出会い、魔大陸を旅し、ミリスへと旅立っていくというストーリーだ。
その詩にロキシーという名前は出ていない。だが、その魔術師の少女の名前がロキシーだというのは、詩が流行りだした頃に冒険者だった者にとっては有名な話である。
三人は意気投合……というほどでもなかったが、ルーデウスを探しに魔大陸に行くというロキシーと、パウロの要請で家族を探そうという二人の目的は一致していた。
その場でパーティを組み、魔大陸へと向かった。
まずは船に乗り、ミリス大陸へ。
ミリス大陸の港町ウェストポートで大金を出し、スレイプニル種の馬と馬車を購入。
高い買い物であったが、三人とも金は持っていたので問題はなかった。
二人ともパウロとは仲が悪かったため、ミリス神聖国首都ミリシオンへは寄らなかった。また、二人とも故郷では悪童として名を馳せていたため、青竜山脈の炭鉱族の集落にも、大森林の長耳族の集落にも寄らず、まっすぐザントポートへと移動した。
二人の言い分としては、もうすぐ大森林に雨期が来るから、早く移動したほうがいいということであった。雨期は長く、その間に大森林を移動することはできない。
だが、二人の口論と、ミリス大陸なんかに一秒でもいたくないと言わんばかりに夜も馬車を走らせる様子から、単に帰りたくないだけなのだとロキシーは結論づけた。
もっとも、結果として、通常より圧倒的に速いスピードで魔大陸までやってくることができたのだから、ロキシーとしては文句はない。
「まずは冒険者ギルドに行きましょう」
ロキシーが提案し、三人は冒険者ギルドへと足を向ける。
まずは冒険者ギルド、それが冒険者としての基本である。
「いいオトコがいるといいですわね!」
エリナリーゼの言葉に、ロキシーはムッと顔をしかめた。
このエリナリーゼという長耳族は、貞淑そうな見た目と違い、男好きである。
スラリとした体つきからは想像できないことであるが、すでに何人もの子供を産んでいるのだとか。
本人曰く、そういう呪いに掛けられているのだそうだが、知らない男に体を許すことに悲壮感はなく、好きでやっているように見える。
ロキシーには信じられないことである。
「エリナリーゼさん、探すのは男ではなく……」
「わかっていますわよ」
全然わかっていない、とロキシーは顔をしかめる。
当人は大丈夫だと言っているが、一緒に旅する仲間の身にもなってほしい。暇な時なら好きにすればいいが、今は緊急事態なのだ。それに、もし彼女が妊娠すれば、それだけ旅が遅れるのだ。
ちょっとは控えてほしいと、ロキシーは思う。
「ロキシーも男の一人や二人ぐらい……」
「できません」
エリナリーゼほどの美貌があれば、とロキシーは思う。
だが残念なことに、ロキシーがこの人いいな、と思った人物がロキシーを女として見たことはない。
ロキシーは子供に大人気だが、男にはモテないのだ。
★ ★ ★
魔大陸の冒険者ギルド。
雑多な種族同士がパーティを組むそこは、中央大陸とくらべて異色な感じがする。
ロキシーがギルド内に入ると、明らかに新米とわかる冒険者と目が合った。
戦士風の格好をした三人の少年だ。彼らはおずおずといった感じでロキシーに寄ってきた。
「あ、あの、もしよければ、パーティを組みませんか!」
少年たちの意を決したような一言に、ロキシーは苦笑した。
「いえ、見ての通り、すでにパーティを組んでいますので」
そう断ると、三人は苦笑しながら去っていった。こうしてパーティ勧誘を受けるのは初めてではない。今までにも、何度か勧誘された。
どれも、少年三人だった。
かつて吟遊詩人が詩にすると言っていたが、こんなに有名になるとは思っていなかった。
「あらあら、ロキシーにもいい男のお誘いがあるじゃありませんの!」
エリナリーゼがロキシーの頭をポンポンと叩いてからかう。
いつものことである。ロキシーもいちいち相手はしない。子供ではないのだ。
「どのみち、ランクが違ってパーティは組めないでしょう」
ロキシーの現在の冒険者ランクはAである。
吟遊詩人の詩に惑わされるようないたいけな少年たちの平均ランクはD。
少なくとも、Bランク以上だったのは見たことがない。最初に勧誘を受けた時、あの詩の主人公は自分なのだと自慢げに主張したのだが、ロキシーという名前の方は売れてなくて赤っ恥を掻いたものだ。
ロキシーにとって思い出したくない思い出である。
まさか、吟遊詩人がミグルド族という種族を知らず、ロキシーが十二歳ぐらいから旅を始め、二年ぐらいでAランクまで上がったと勘違いしているとは。
しかも、現在詩の内容はかなり脚色され、魔大陸を一年で踏破してAランクに上がったということになっている。
冗談じゃない、とロキシーは思う。
本当はAランクに上がるのには五年ぐらい掛かったのだ。
魔大陸で土台を作り、Bランクに上がるのに三年。それから色々なパーティにお邪魔しつつ二年。
それでも、普通に比べればかなり早いはずだ。
今なら、運さえ良ければFランクから始めても一年ぐらいで上がれるかもしれないが、何も知らない子供だけのパーティが一年でAランクになんて上がれるものか。
「育てばわたし好みになったかもしれないけれど、実に残念です」
育てば、と言ってロキシーは昔のことを思い出した。
かつて、自分に声を掛けてきた三人の新米冒険者を思い出す。
『リカリス愚連隊』を名乗っていた三人。ミグルドの里から出てきて、右も左もわからない田舎者だった自分を助けてくれた三人の少年。
一人は、皮肉屋でその場かぎりの嘘ばかりついていた、でも面倒見がよかった。
一人は、よく悪態をついて他人の悪口ばかり言っていた、でも一本芯が通っていた。
一人は、とても賢くてパーティのまとめ役だった、でも旅の途中で死んでしまった。
彼らとは、ウェンポートにたどり着いた時点で解散したのだが……。
ロキシーは思う。
残り二人はまだ生きているだろうか、と。
中央大陸で活動していたからわかるが、魔大陸の冒険者は過酷だ。死んでいる可能性の方が高い。
(元気にしていればいいな……ノコパラとブレイズ……)
と、そこまで考えて、ロキシーはふっと笑った。
あれから二十年経っているのだ。特に長寿でもない二人は、とっくに冒険者を引退しているかもしれない。変わらないのは自分だけだ。
(郷愁はまた今度にしよう)
ロキシーは気持ちを切り替えた。
魔大陸に帰ってきたのは、決して里帰りするためではない。
ルーデウスか、その家族を見つけ出すためだ。
「では、情報を集めましょう」
ロキシーは二人に提案し、冒険者ギルド内を見回した。
★ ★ ★
情報を集めていると、『デッドエンド』という存在がこの町にいるということがわかった。
なんでも、ここ最近で急激に名前が売れだした新鋭らしい。
『デッドエンド』と言えば、魔大陸では知らぬ者のいない悪魔の名前である。
スペルド族の中でも、特に危険で、子供ばかり狙うとされている怪物である。
ロキシーも小さい頃は、母親に何度も脅されたものだ。
悪い子は『デッドエンド』に攫われてしまうぞ、と。
宿に戻り、『デッドエンド』の情報をまとめてみて、ロキシーは顔をしかめた。
「信じられない話ですね」
「なにがですの?」
「『デッドエンド』を騙るなんて、正気の沙汰とは思えません」
デッドエンドの何が恐ろしいか。
それは、実在する人物という点である。
中央大陸では知られていないが、デッドエンドは確かに存在する。
当然ながらロキシーは見たことはないが、耳に入る噂は、どれも恐ろしいものだ。
魔大陸において、最も恐ろしい魔物だろう。
冒険者ギルドは報復を恐れて特に指名手配などはしていないようだが、もし討伐依頼が出るのなら、間違いなくSランクだろう。
しかも、成功すれば、Sの数が二倍になる依頼だ。
「わたくしにはわかりませんわね」
エリナリーゼの調べてきた情報によると、デッドエンドを名乗る男は、長身で色白、禿頭で槍を持っている。そして、美男子だという話だ。
「いい男という話ですので、わたくしがベッドで聞いてみましょうか?」
タルハンドが、ペッと不機嫌そうに唾を吐いた。
「どうでもいい情報じゃな」
タルハンドの得た情報によると、『デッドエンド』は三人組。
それぞれ、『狂犬のエリス』、『番犬のルイジェルド』、『飼主のルージェルド』を名乗っているらしい。後者二人は兄弟という話だ。
狂犬は赤毛、番犬がのっぽ、飼主がチビ。
狂犬は剣を、番犬は槍を、飼主は杖のような魔力付与品を使うらしい。
三人の評判はあまり良くない。
「狂犬はとにかく喧嘩っぱやく、飼主はとにかく悪いことしかしないそうじゃ。ただ、番犬はいい奴らしいのう。子供好きで、悪いことを見逃せない正義漢という話じゃ」
随分とおかしな評価だな、とロキシーは考える。
もしかすると、自分たちで流したのかもしれない。
悪党が少しでもいいことをすると、やや過剰に伝えられるものだ。きっと、番犬がいい奴というのも、自分たちの評判を必要以上に悪くしないためなのだろう。
暴力だけでなく、知恵も回るらしい。
「危険な連中ですね。関わりあいにならないようにしましょう」
「そうじゃな。これから人探しをする時に、悪党に目をつけられてはかなわん」
「では、本題に入りましょう」
ロキシーは、話題を変える。
冒険者ギルドに赴いたのは、そもそもデッドエンドの情報を探るためではない。
「フィットア領の人々の噂はありましたか?」
「ないな」
「全然ありませんわね」
遅すぎたかな、とロキシーは思う。
魔大陸はロクな装備もなくいきなり転移して生きていけるほど、楽な場所ではない。
一年間、ただ生き延びることすらも困難な土地だ。
すでにフィットア領消滅から一年が経過している。転移していた人々は、軒並み死亡してしまったのかもしれない。
「もっとも、わたしたちが探すのは、パウロさんの家族です」
「ゼニス、リーリャ、アイシャ、そしてルーデウスか」
それぞれの特徴はロキシーが知っており、二人に伝えてある。
アイシャだけはルーデウスの手紙でしか知らないため、やや曖昧であるが。
「まあ、ゼニスなら大丈夫ですわね」
「そうじゃな」
この二人はゼニスと知り合いである。
ゆえに、心配はないと言う。
ロキシーはゼニスがどれだけ『使える』のか知らないが、元『黒狼の牙』である二人の実力は折り紙つきだ。その二人が大丈夫というのだから、大丈夫なのだろう。
「ルーデウスも目立ちますから、すぐに見つかります」
ロキシーは、五歳にして圧倒的な才能を見せた弟子のことを思い出す。
あの子なら、どこにいても目立ち、話題になるだろう。
ゼニスとルーデウス。この二人は町に入って情報を探せば、すぐにでも見つかるだろうと三人は考えていた。そして人里さえ近ければ、魔大陸で生きていくだけの力もあるだろう、と。
だから、探すべきはリーリャとアイシャだ。
二人の情報を集めていく、と最初に決めてある。
「期限を設けましょう。リーリャ、アイシャの情報を二日でできるだけ集め、三日目には準備をして、周辺の集落を回る、というのはどうでしょうか」
「二日や三日では短すぎるのではなくて?」
エリナリーゼの言葉に、ロキシーは首を振る。
「死亡している可能性も高いですし、魔大陸は広大です。まずは魔大陸の主要な町をひと通り回って、各冒険者ギルドに探し人の依頼を出すのです」
アスラ王国からフィットア領民捜索に対する援助金は出る。
各町のギルドに依頼という形で仕事を頼めば、依頼の成功報酬はアスラ王国持ちで、あとは冒険者が探してくれる。一応、依頼人としての署名が必要であるため、頼まなければ依頼としては出してくれない。
逆に言えば、そうしなければアスラ王国はギルドに金を払わない。
あの大災害に対するアスラ王国の対応の悪さに、ロキシーは苛立ちを感じている。
大国なのだから、もっと大々的に動けばいいじゃないか、と思う。
実際に人々を探すために動いているのは、パウロたちだけ……災害に遭った本人たちだけなのだ。
(アスラ王国の内部が腐っているというのは、噂だけではないらしいですね)
一番長い歴史を持つ国だから、伝統と権力が腐って糸を引いているのだ。
「では、明日も情報収集に勤しむことにしましょう」
「わかりましたわ」
「了解じゃ」
ロキシーは物事に時間を掛けないタイプである。
どこかに滞在するにしても無駄に時間を掛けず、最速で事を終わらせ、出立する。
弟子であるルーデウスに奥義を伝授してすぐに出立したところにも、その性格が表れている。
その即断即決は彼女の強みであるが、ルーデウスにドジと断じられる部分でもあった。
もっとも、それを指摘する者はなく、本人はこれこそが自分の強みであると思い込んでいるが。
とはいえ、初日にギルドに依頼し、二日目に自分たちでざっと探し、三日目には出立する。
無駄のないスケジューリングと言えよう。
もっとも、せめて滞在期間を一週間にすれば、もっと変わった結果が待っていただろうが……。
二日目。
ロキシーは好奇心から、『デッドエンド』の様子を見に行った。
彼らは目立つため、すぐに居場所を知ることができた。
砂浜で訓練に勤しむ男女の二人組。
情報にあった通り、禿頭ののっぽと赤髪の少女だ。真剣と思わしき剣を両手で持ち、恐ろしい速度で禿頭に斬りかかる少女と、それを軽くいなす禿頭。
確か『デッドエンド』は三人組で、大きいのが一人と、小さいのが二人という話だ。
(飼主とかいうチビはいないようですね……)
番犬と狂犬は、極めて高度な攻防を繰り返した。
攻防といっても、狂犬の攻撃を番犬がいなすだけのものだが、そこにはロキシーの及びつかない技術があった。
ロキシーはその様子を遠く、岩の陰から眺めていた。
まるでプロ野球界で魔球を武器に戦っていく投手の姉のように。
二人は強い。
長年冒険者として世界を旅してきたロキシーの眼から見ても。少なくとも、小狡く立ち回ってきたのでは手に入らない強さに思えた。
(接触してみるのもいいかもしれない……)
そうロキシーが思った瞬間、番犬が振り返った。
(……!)
ハッキリと目線が合ったのを感じる。
強烈な視線に、ロキシーは言い知れぬ恐怖を感じた。
自分が狩りの獲物になったかのような錯覚を受けた。
急いでその場を後にする。
★ ★ ★
少女の気配を、ルイジェルドは最初から感じ取っていた。
何か用なのか、ただ見ているだけなのか。ふとそちらを見ると、一人の少女が岩から顔を覗かせている。
(いや……少女ではない)
あれはミグルド族の成人女性だ。
一見するとわかりにくいが、ルイジェルドの『眼』はごまかせない。
しかし、知っている気配ではない。ミグルド族も集落が一つしかないわけではない。
ただ珍しくて見ているのだろうか、とルイジェルドが見ていると、少女はぷいっと顔をそむけ、どこかへと行ってしまった。
(む……怖がらせてしまったか……?)
「隙あり!」
ふと気を緩めた瞬間、エリスが突っ込んできた。
気合の入った一撃であった。
「くっ!」
ルイジェルドは三合ほど撃ちあった末、手の甲を打ち据えられて、剣を落とした。
「やった! 入った!? 入ったわよね!? やったぁぁ!」
エリスは両手を上げて喜んでいた。
最近、エリスの技は『乗って』いる。将来、さぞやいい剣士へと成長するだろう。
だがまだ若い。
ここで増長すれば、いずれ悪い結果を生む。ルイジェルドは、そうした戦士を何度も見てきていた。ゆえに、しばらくは一本をやるつもりではなかったのだが、あのミグルドの女のことが気になり、少々油断してしまったようだ。
ルイジェルドは、エリスに聞こえないように、静かにため息をついた。
★ ★ ★
ロキシーは宿への道を急ぎながら、何度も後ろを振り返った。
追ってはこないか、襲撃を掛けられないかと不安に思いつつ、宿に戻る。
あのレベルと戦うのであれば、魔力結晶の準備が必要であった。魔法陣の描かれたスクロールも使う必要があるかもしれない。
まさか見ていただけで襲ってはこないだろうとロキシーも思うが、『デッドエンド』を名乗るクレイジーな連中である、準備はしておきたかった。
「ああっ! イイ! イイですわ! もっと、もっと!」
エリナリーゼの部屋の前で嬌声が聞こえ、ロキシーは脱力した。
あの女は情報収集をせず、宿に男を連れ込み、自分だけ楽しんでいたのだ。
「まったく……」
エリナリーゼはすぐに男を連れ込む、という話はタルハンドから聞いていた。どんな状況でも、男とみればすぐに惚れ込み、一晩だけの関係を持つ。ザントポートでもそうだったし、タルハンドの話によると、迷宮の奥底でもそうだったらしい。
節操がなさすぎる。
しかし、ロキシーは同時に安心していた。一人でいるのは心細いと思っていたところだ。
エリナリーゼが隣の部屋にいるのなら、自分は戦いの準備だけをして、情事が終わるのを待っていればいい。行為が終わった後、エリナリーゼの耳を引っ張り、二人で情報収集を再開するのだ。
エリナリーゼの監視もできて一石二鳥。
(まあ、さすがに宿にまでは来ないでしょうが……)
そう思い、ロキシーは自室で戦いの準備をする。
部屋の壁は薄いわけではないのに、エリナリーゼの嬌声は聞こえてくる。
それを聞いていると、ロキシーまで変な気分になってくる。
(…………おっと)
思わず下腹部に伸ばしかけた右手を、左手で掴んだ。
今はそんなことをしている暇はない。
(それにしても、随分長い……)
三時間。ロキシーは静かに待ち続けた。
エリナリーゼの情事は一向に終わる気配はなかった。そして、『デッドエンド』も襲撃を仕掛けてくる気配がなかった。
ロキシーは馬鹿馬鹿しくなった。同時にやるべきことをやらず、ヤリたいことをやっているエリナリーゼに言い得ぬ苛立ちを感じた。今はそんなことをしている暇はない、と自分が我慢しているというのに……。
怒りが頂点に達したロキシーは、エリナリーゼの部屋を蹴り破った。
「いつまでやってるんですか! 情報収集は……」
「あらっ? ロキシー? 帰ってたんですの?」
「……え、あ?」
部屋の中には五人の男がいた。
「あなたも交ざりますの?」
むわりと漂う男の匂い、下卑た笑顔を浮かべる男たち、そして、そんな男の上で恍惚の表情を浮かべるエリナリーゼ。そういうことを複数人数で、しかも合意の上でやるなど、ロキシーの常識にはなかった。
「あ、わ……」
業深き光景に、ロキシーの処理能力はいとも簡単に限界を超えた。
「うわあああぁぁぁぁ!」
ロキシーは無様にも叫び声を上げてその場から逃げ出した。
隣室に飛び込み、フーフーと息を吐きながら杖を掴み。
「雄大なる水の精霊にして、天に上がりし雷帝の王子よ! 勇壮なる氷の剣を彼の者に叩き落せ! 『氷霜撃』」
宿が半壊した。
★ ★ ★
そして三日目。町を出立した。
あんなことがあったので、情報収集も半端になったし、ギルドに依頼を出すのも忘れてしまった。
宿も壊し、修理費としてかなり痛い出費もしてしまった。
「全部、エリナリーゼさんが悪いんです」
「仕方ないですわ。路地裏で情報収集をしていたら、熱烈なお誘いを受けたんですもの」
「だからって、あんな……五人、五人ですよ!?」
「ロキシーもそのうちわかりますわ。わたくしのように美しく強い冒険者が、あんなチンピラ五人に為す術もなくおもちゃにされる、そう考えただけで子供ができそうになる感じが」
「知りたくありません」
魔法大学時代まではロキシーも子供であり、恋人や夫婦というものの良さがわかっていなかった。
本気で相手が欲しいと思ったのは、パウロとゼニスが仲睦まじく暮らしているのを見た時だ。
自分にもあんな相手が欲しい。
しかしどうやって。と、考えた時、魔法大学時代の知り合いの話を思い出した。彼女は迷宮の奥底で今の旦那と出会い、困難を二人で乗り越えて結婚に至ったのだそうだ。
ロキシーはコレだと思った。
わたしも迷宮に潜れば、一人ぐらい捕まえられる、と。
妄想は頭のなかで膨らんだ。
男らしくて、キリッとしていて、背がスラッと高くて、でもまだ子供っぽい表情をする人族の青年に迷宮の奥底で偶然助けられるのだ。そのまま力を合わせて脱出していくうちに互いに恋が芽生えて、迷宮を脱出したところで仲間の死を知った青年をロキシーが慰め……そして始まる夜の時間。
実際に迷宮に潜ると、そんな幻想はいとも簡単に打ち砕かれた。
迷宮は過酷な場所で、冒険者はみんな厳つくて、子供っぽいのは自分だけだった。
五層ぐらいでソロの冒険者はいなくなった。その時点で出会いは捨てた。
一〇層ぐらいでさすがにキツイと思ってパーティを募集したが、子供っぽいナリを馬鹿にされて、何度も笑われた。そのまま意地のようにソロで潜り、結局は踏破してしまった。
若気の至りである。何度も死にかけたし、運もよかった。二度とやりたくない。
「まあ、ロキシーはまず最初の一人を見つけないといけませんわね。どう、今度一緒に……」
「絶対にやりません」
幻想は砕かれた。
だが、まだ理想は残っている。迷宮の奥底でイケメンゲットというのは無理だろうが、人並みに恋をして、人並みに結婚をするぐらいはできるはずなのだ。
エリナリーゼがそこらで引っ掛けてきた名も知らぬ男に体を許す気は毛頭ない。
「大体、今はそんなことにうつつを抜かしている暇はありません」
少なくとも、魔大陸を旅する間、自分は独り身でいい、とロキシーは決めた。
こうして、ロキシーは最初の一歩に躓きつつも、魔大陸を旅し始めた。
第四話 「船の中の賢者」
密輸組織のガルスはあの夜、連絡は後ほど入れるといって去っていった。
俺たちは十五日ほど待ち、彼の派遣した者より、予定と仕事内容を聞いた。
密輸品が一時的に入れられる建物、そこに囚われている者たちを解放し、家に送り届けろ。
方法は問わない、と。
仕事内容は曖昧で、計画も杜撰なものに聞こえた。
だが俺たちはあくまで雇われ者だ。言われたことだけをやればいいだろう。
ただ、少々危険であるため、俺とルイジェルドの二人だけで実行することになる。
エリスは宿でお留守番だ。
★ ★ ★
移動の日。
深夜。月は出ていない。
指定場所は港の端にある桟橋。周囲は不気味なほどに静かで、波の音だけが響いていた。
そこには小舟と、怪しげなフードを目深に被った人物がいた。
打ち合わせでは、彼に密輸してほしい人物を渡すということだったので、ルイジェルドを密輸人に引き渡した。ルイジェルドの後ろ手には、指定された手枷がつけられている。
「…………」
密輸人は人を運ぶ場合、全て奴隷として扱う。奴隷を運ぶのに掛かる金は緑鉱銭五枚。一律であるが、俺たちは免除されている。
もっともガルスが立て替えたという名目なだけで、扱いは変わらない。
俺たちはガルスの傭兵ではなく、奴隷を密輸する犯罪者として扱われる。
「それでは、よろしくお願いします」
「…………」
密輸人は一切喋ることもなかった。
ただ静かに頷いて、ルイジェルドを小舟に乗せると、ずだ袋を被せた。
小舟には船頭が一人と、何人かのずだ袋が乗っていた。
大きさ的に子供はいない。ルイジェルドが乗るのを確認すると、密輸人は小舟に合図。
小舟の先頭に座る男が魔術を詠唱すると、小舟はすいっと音もなく、真っ黒な夜の海へと発進した。詠唱はよく聞こえなかったが、水の魔術で水流を生み出して進むらしい。
あれなら俺にもできそうだな。
小舟は沖に停めてある大型の商船へと移動し、奴隷たちを乗せ替えて早朝に出港するらしい。
ルイジェルドは小舟の中からも、ずっと俺の方を向いていた。
ずだ袋を被っていても、俺の方向がわかるのだ。
見送る俺の脳裏にドナドナが流れる。
いや、流れない。売ったわけじゃない。
ちょっとの間、お別れだ。
翌日。一年間お世話になったトカゲを売却した。
リカリスの町からここまで、俺たちの足として、よく頑張ってくれた。
このままフィットア領まで馬車代わりに使っていきたいところだが、トカゲを船に乗せると税金が掛かるし、ミリス大陸では馬が使える。
この世界の馬は足が速く、体力も段違いだ。もうトカゲに乗る必要はない。
エリスはトカゲの首に抱きつき、ポンポンとその身を叩いていた。言葉はなかったが、寂しそうだった。なにせ、トカゲはエリスになついていた。旅の途中でも、よく彼女の頭を舐め回し、唾液まみれにしていた。
エリスを粘液まみれにするなんて、実にエロいトカゲだった。
俺だってエリスを舐め回したいのにと嫉妬したのは、記憶に新しい。
そうだ。かのトカゲも俺たちの仲間だったのだ。『デッドエンド』の仲間だったのだ。
いつまでもトカゲなどと言ってはいけない。
せめて名前をつけてやろう。
よし、お前の名前は今日からゲ○ハだ。人間の友達を多く欲しがる海の男だ。
「随分とおとなしいな。旅の途中もちゃんと躾けてたのか?」
と、トカゲを扱っている商人は感心していた。
「まあね」
躾けていたのはルイジェルドだ。
特になにをするでもなかったが、ゲ○ハとルイジェルドの間には確かに主従関係があった。
きっと、トカゲにも、このパーティで誰が一番強いのかがわかったのだろう。
ちなみに、俺にはあんまりなついてなくて、何度か噛み付かれた。
うん、思い出すとむかついてきたぞ。
「ハハッ、さすが『デッドエンド』の飼主だ。これなら、ちょっとは色を付けられるよ。最近は雑に扱う奴が多くてな。再調整が大変なんだ」
そういう商人はルゴニア族。トカゲ頭である。
魔大陸では、トカゲがトカゲを躾けるのだ。
「一緒に旅する仲間を大切に扱うのは当然のことですよ」
そんなやりとりの後、ゲ○ハ(トカゲ)は本格的にドナドナされていった。
俺の手元には、仲間を売って得た金。
そう考えると、すごく汚い金に見えてくる。不思議だ。
やっぱり名前はやめとこう。情が移ってしまう。
さらばだ、名もなきトカゲ。お前の背中は忘れない。
「ぐすっ……」
エリスが鼻をすする音が聞こえた。
トカゲを売った足でそのまま船へと乗る。
「ルーデウス! 船よ! すごく大きいわ! わっ! 揺れてる! なにこれ!」
エリスは船に乗ると、すぐにはしゃぎだした。
トカゲと別れたことはすでに忘れたのか、気持ちの切り替えが早いのもエリスのいいところだ。
船は木造の帆船だった。一ヶ月前ぐらいに完成したばかりの最新型であるらしい。
今回は処女航海を兼ねて、テスト的にザントポートまで航海するそうだ。
「でも、前に見たのとちょっと形が違うわね?」
「エリスは以前にも船を見たことがあるんですか?」
海を見るのも初めてだったのに。
「何言ってるのよ、ルーデウスの部屋にあったじゃない!」
そういえば、そういうものを作った記憶がある。
懐かしいな。土の魔術を訓練しようと思って作り始めて、これもしかしてフィギュアとか作れるんじゃねと1/10ロキシーを作り始めたのだ。
フィギュアも、もう随分作っていない。
いつ、どれだけ魔力を使うかもわからないから、魔力消費の訓練もしていない。
精々、ルイジェルドやエリスと訓練して体を動かすぐらいだ。
最近、随分とサボってるな。落ち着いたら鍛え直す必要があるかもしれない。
「僕も想像で作りましたからね、細部が違うのはしょうがないでしょう」
それに、この船は最新型って話だしな。何がどう最新なのかは知らないが。
「凄いわね。こんな大きなもので海を渡るなんて」
エリスはしきりに感心していた。
★ ★ ★
出港から三日後。
俺は船上にて考える。
船。船といえば、イベントの宝庫だ。船に乗ってイベントが起こらないなんてありえない。
そう言える。断言できる。
例えば、船の外をイルカが跳ねる。それをヒロインが言う「みてっ! 凄いわ!」と、それに対して俺が言う「俺の夜のテクの方がすごいぜ」と。
ヒロインが言う「素敵! 抱いて!」と。俺が言う「おいおい、こんな所でとは、いけない子猫ちゃんだ」と。
うん。ちょっとなんか違うな……。
そう、船といえば──襲撃だ。
タコかイカかサーペントか海賊か幽霊船か。そのへんに襲われて、沈没。漂流。座礁。たどり着いた先は孤島で、ヒロインと二人きりの共同生活が始まる。最初は俺のことを嫌っていたヒロインも、いくつかのイベントを乗り越えることで段々とデレてくる。
そして、孤島で男女が二人きりといったらヤルことは一つだ。
交差する視線。燃え上がる情熱。若き血潮。弾ける汗。響く潮騒。夜明けのコーヒー。
二人きりのパライソ。
また、タコに襲われるといえば、ヒロインの運命も決まったようなものだ。とても八本には見えない大量の足に襲われ、宙に吊られるヒロイン。悶える肢体。浮き出る胸部。潜り込む触手。
手に汗握る一大スペクタクルだ。一時たりとも目を離せない。
しかし、現実は非情である。
エリスは現在、船室で桶を前に真っ青な顔をしている。初めて乗る船で興奮していたと思ったら、途中で吐き気を訴えだしたのだ。トカゲは平気なのに、どうして船はダメなのだろうか。
乗り物酔いをしたことのない俺にはわからない。
ただ一つ言えるのは、船酔いに掛かる奴にとっては多少揺れが小さいからといって、あまり意味がないということだろう。
四日目。タコが出てきた。
多分タコだ。目がさめるような水色のタコで、超でかかった。
しかし、タコは美少女を絡めとることはなく、護衛のSランクパーティに呆気なく撃退された。
船の護衛なんて依頼はなかったはずだ。そんなものがあれば、俺は真っ先に受けている。
そう思って近くの商人に聞いてみると、彼らは船の護衛を専門に行う者たちであるらしい。
パーティ名は『アクアロード』。
造船所ギルドと専属契約を結んでいて、海の護衛を主な仕事とするのだ。そして、そんな彼らだから、この航路に出る魔物はお手の物。
どきどきわくわく触手イベントはなかった。残念。
もっとも、実入りはあった。
俺は万が一に備えてその戦いを脇で見ていた。彼らの戦い方についてだ。
正直、彼らの個々の強さについては、最初は鼻で笑った。
前衛として戦っていた剣士は強かったが、ギレーヌほどではない。
敵の攻撃を受け止め、注意を引いていた戦士は強かったが、ルイジェルドほどではない。
後衛でタコにトドメを刺した魔術師は、俺よりも弱いだろう。
ガッカリした。Sランクといっても、こんなものなのだろうか、と。
この世界は強い者がたくさんいるのだと思っていたが、案外大したことはないな、と。
しかし、ふと思い直した。
彼らはSランクの『パーティ』だ。
見るべきは個々の能力ではなく、チームワークではないだろうか。
個々の能力が低くても、あの大ダコを倒せるということ。
個々の能力が低くても、Sランクに上がれるということ。
それが重要なのだ。個々がしっかりと役割を果たし、集団として大きな力を発揮する。
それがチームワークだ。
俺たち『デッドエンド』に足りないものだ。
『デッドエンド』は個々の能力は高い。だが、チームワークという点ではどうだろうか。
ルイジェルドはチームワークも抜群だ。軍隊での経験が生きているのか、集団戦もうまい。俺やエリスが何か失敗してもよくフォローしてくれる。ヘイト管理も抜群にうまく、魔物の視線は彼に釘付けだ。
だが、強すぎる。
本当なら彼一人で倒せるような相手でも、無理やりチームで戦うという形になっている。悪いとまでは言わないが、歪であることに間違いはない。
俺は一応、チーム戦のなんたるかは知っているつもりだ。でも所詮は知識だけ、知っているからといってうまく動けるわけではない。自分の方に迫ってくる敵の対処に夢中になることもあり、敵の数が多い時は、ルイジェルドに頼る部分も大きい。
エリスはダメだ。
指示は素直に聞いてくれる。だが、戦闘中に阿吽の呼吸で周囲に合わせることができない。目の前の敵に必死で、突出しすぎてしまう。のびのび戦えていると言えば聞こえはいいが、ルイジェルドや俺のフォローに回ったことは一度もない。
もっとも、ルイジェルドや俺にフォローが必要ないのだが……。
もし、このまま、何らかの理由でルイジェルドと別れたら、俺はエリスを援護しきる自信がない。
魔眼は手に入れたが、俺の手は二本しかないのだ。自分を守る手とエリスを守る手。片手で守れる範囲は限られる。
「ルーデウスゥ……」
などと考えていると、エリスが真っ青な顔で甲板に上がってきた。
そのままよろよろと船の縁へとよろめいていき、船の外へオエッと一息。
もう胃液しか吐くものがないといった風情だ。
「ひ、人が苦しんでるのに、なんで……こんなところに、いるのよ……」
「すいません。海が綺麗だったもので」
「……酷い……うっぷ……」
エリスは片目に涙を浮かべて、俺に抱きついてきた。
彼女の船酔いは重度だ。
五日目。エリスは相変わらず船室でダウン中だ。
そして、俺はそれにつきっきりになっている。
「う、うう……頭いたい……ヒーリングしてよ……」
「はいはい」
船員に聞いて知ったのだが、どうやら船酔いには少しだけ治癒魔術が効くらしい。
ためしてみると、ちょっとだけエリスの気分がよくなることが判明した。
船酔いは自律神経の失調で起こる。頭にヒーリングを掛ければ、一時は収まる。
それと同じだろう。とはいえ持続するものではなく、気持ち悪さがスッと消えるわけではない。
「ねえ……私……死ぬのかな……」
「船酔いで死んだら笑えますね」
「笑えないわよ……」
船室には、誰もいない。
船自体が大きいのもあるが、魔大陸からミリス大陸に渡る者は少ないらしい。魔族の渡航費用が人族よりも高いせいか、それとも、魔族にとって暮らしやすいのは魔大陸だからか。
そこら辺はわからない。
俺とエリス、二人きりだ。
静かで薄暗い部屋のなか、抵抗する力をなくしているエリス。そして、五日間、弱ったエリスを相手しつづけた俺だけだ。
最初はそれでも良かった。
だが、ヒーリングはよくない。ヒーリングをするには、エリスの頭に触れる必要がある。定期的に掛けるために、彼女に膝枕をして頭を抱きかかえるように使い続けている。
すると、変な気分になってくる。
変というのは語弊のある言い方だな。
ハッキリ言って、エロい気分になってくる。
考えてもみてくれ。船室で、いつも強気のエリスが目をうるませて、息を荒くして、弱々しい声で、「お願い、お願いだから(ヒーリング)シて」と、懇願してくるのだ。
俺の中ではヒーリングの部分はボリュームが極限まで絞られた。
エリスが誘っているようにしか見えなかった。
もちろんそんなことはない。
エリスはただ弱っているだけだ。
船酔いというものには掛かったことはないが、辛
つら
いことだけはわかる。
「……」
相手に触れる、それ自体はエロい行為ではない。だが。
年頃の女の子の頭を撫で、体温を感じ取る。それは、刺激のある行為だ。
触るのがエロい場所でなくとも、刺激はあるのだ。低刺激だが、長く続くとヤバイ。
触れるということは触るということだ。触るということは、近いということだ。近いということはつまり、冷や汗が浮かぶエリスの額や、首筋、胸元……全てが視界に入るということだ。
まして相手はぐったりとしている弱気なエリス。
いつもは迂闊に触れれば殴ってくる相手だ。それが、今や、まな板の上の鯉。
もうこれ、自分のものなんじゃない?
好きにしちゃっても問題ないんじゃない?
そんな気持ちが芽生えてくる。
きっと、今すぐ衣類を剥ぎ取り、欲望を露わに覆いかぶさっても、エリスは抵抗しないだろう。
いや、できないだろう。
弱々しい顔で、諦め顔で、一筋の涙を流しながら、俺を受け入れるしかないだろう。そんな光景を思い浮かべるだけで、俺の股間のエクスカリバーはアーサー寸前だ。そして、頭の中のアーサーが声高に叫んでいる。今ならエリスは抵抗できないと叫んでいる。こんなチャンスは二度とないと叫んでいる。今がアレを捨てるチャンスだ、と叫んでいる。
だが、俺の中のマーリンは我慢しろと言う。
決めただろうと。十五歳になるまでという約束を守ると決めただろうと。
この旅が終わるまでは我慢すると決めただろうと。
俺はマーリンを支持する。
だが、もう我慢は限界に近い。
例えば、試しに胸をもにゅっと触ってみたとするだろう。
きっと柔らかいに違いない。そして柔らかいだけではない。そう、胸というのは柔らかいだけではないのだ。柔らかい中にも固い部分があるのだ。
聖杯だ。それこそが俺のアーサーが求める聖杯なのだ。
俺の手
が聖杯を見つけてしまえば、どうなる。
カムランの戦いさ。
ああ、もちろん、聖杯だけじゃない。
エリスの体は日々成長している。彼女は成長期なのだ。特に一部分は、遺伝のせいか、急激に母親に近づいている。きっとこのまま、妖艶さの際立つ美人に育つだろう。
そして、周囲の男どもの視線を釘付けにするのだ。
中には、「ヘッ、もっと小さいぐらいでちょうどいいぜ」という奴もいるだろう。
人の好みは様々だからな。
そんな奴に言ってやるのだ。
俺はその丁度いいぐらいの時を知っているぜ、と。
理解しているか。俺は、今、この瞬間、エリスの過去を手に入れることができる。
「フー……フー……」
鼻息が荒くなる。
「る、ルーデウス……?」
エリスが不安そうな顔を向けてくる。
「だ、大丈夫なの?」
声が耳を叩く。いつもは甲高くて、大きすぎてちょっと不快なぐらいの声。
それが、丁度いい高さで、俺の脳を痺れさせる。
「はぁ……はぁ……大丈夫ですよ。安心してください、約束ですから……」
「……辛いなら無理しなくてもいいのよ?」
「!」
無理しないでいいってのは、我慢しないでいいってことか?
何してもオッケーってことなのか?
……なんてな。わかってるよ。これはヒーリングをかけ続けて魔力はもつのかって意味だ。
わかっているとも。彼女は俺を信頼している。
決してこの瞬間、手を出されないと信頼している。そして、俺はそれを裏切らない。
ルーデウス・グレイラットは裏切らない。
それが信頼に応えるってやつだ。
よし、機械になろう。
俺はヒーリングをする機械。血も涙もないロボットになるのだ。
俺は何も見ない。エリスの顔を見れば、暴走する。
そう思って目を瞑る。
俺は何も聞こえない。エリスの声を聞けば、暴走する。
そう思って耳を塞いだ。
俺は朴念仁だ。欲望なんて持っていない、だから暴走しない。
そう思って、心を閉じた。
だが、エリスの頭の温もりと匂い。その二つで、一瞬で決意が霧散する。
頭がフットーしそうになる。
ああ、もうダメだ。我慢の限界だ。
「エリス、ちょっとトイレに行ってきます」
「……ああ、トイレを我慢してたのね……いってらっしゃい……」
簡単に信じたエリスを尻目に、俺は船室を出た。
素早く移動。誰もいない所。すぐに見つかった。
そして、至福の一時。
「ふぅ……」
こうして俺は賢者になった。さらに目を瞑って聖人になるまで変身スト○ンガー。
「ただいま戻りました」
「うん、おかえりなさい……」
菩薩のような顔で船室に戻り、ヒーリングを掛ける機械になる。
「……あれ? ルーデウス、何か食べた?」
「え?」
「すんすん……変な匂いがするわ……」
手を洗うのを忘れていました。
★ ★ ★
船から降りると、エリスはすぐに元気になった。
「もう船には乗りたくないわね!」
「いえ、ミリス大陸から中央大陸まで、もう一度乗る必要があります」
それを聞いたエリスは、あからさまにげんなりした。
そして、船でのことを思い出し、不安そうな顔になった。
「ね、ねえ。その時は、またずっとヒーリングしてくれる?」
「いいけど、今度はエッチなことをするかもしれません」
真面目に言った。
本当に切実だ。生殺しを耐え続けるのは拷問なのだ。
「う……なんでそんなイジワル言うのよ!」
イジワルではない。これは本当に辛いのだ。
目の前に御馳走を用意され、待てを強要される犬の気持ちがわかる。腹の中はスッカラカンで、私を食べてと御馳走が言ってくるのだ。水を大量に飲んで一時的に空腹を満たしても、意味はない。御馳走はなくならず、腹はまたすぐに空っぽになる。
「エリスが可愛いから、僕も我慢するので必死なんです」
「……しょ、しょうがないわね。次の時は、ちょっと触るぐらいなら、いいわよ?」
エリスの顔は真っ赤だった。
実に可愛いことだ。だが、彼女の「ちょっと」と俺の欲望は大きさが違いすぎる。
「残念ながらちょっと触るぐらいじゃ済みません。ぐっちゃぐっちゃにされる覚悟ができてから言ってください」
エリスは絶句した。あまり期待させるようなことは言わないでほしい。俺に約束を守らせてほしい。約束を破って手なんか出したら、どうせ後でお互い嫌な気分になるんだからさ。
「とりあえず、行きましょうか」
「う、うん。わかったわ」
エリスの切り替えは早く、意気揚々と町の方に向かって歩き出した。目の前には、ウェンポートとよく似た町並みが広がっている。
ここがザントポート。ミリス大陸北端の町。
ミリス大陸だ。
ようやくここまできた。そして、まだまだ先は長い。
「ルーデウス、どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
先の長さは忘れよう。とにかく大切なのは、次の町を目指すことだ。次の町を目指す前に、金を貯め、馬を購入しなければいけないだろう。
「さてと」
だが、その前に例のお仕事だ。
ここまで連れてきてもらった手前、しっかりと仕事を済ませるとしよう。
さて、しかしお仕事は夜だ。夜までは時間がある。どうするか。
両替も魔大陸ですでに済ませてあるから、冒険者ギルドに行く必要はない。
じゃあ、まずは宿を取ろう。そこで、船旅で疲れた体を休ませるのだ。
仕事はそれからだ。ルイジェルドにはまだしばらく窮屈な思いをしてもらうが……まあ我慢してもらうとしよう。
こうして、俺たちはミリス大陸に到着した。
第五話 「倉庫の中の悪魔」
港町ザントポート。
そこはウェンポートとよく似た町並みをしている。坂の多い町並みで、町中よりも港の方に活気がある。冒険者ギルドが町の中心よりも港よりの場所にあるのもそっくりだ。
だが、いくつか違う点もある。
まずウェンポートよりも木造建築の数が多い。それらは潮風対策なのか、カラフルな塗料が塗られている。町には街路樹も立ち並んでおり、町の外には遠くを見ればうっそうとした森が見える。
緑が多いのだ。
白、灰色、茶色ばかりだった魔大陸から見ると、目がチカチカしそうなほどに。
海を一つ隔てるだけで、まるで別世界のようだった。それにしても、さすがミリス大陸というべきか。道行く人々の姿も、荒唐無稽で雑多な印象を受ける魔族ではなく、獣族と人族、長耳族や炭鉱族、小人族といった、人に近しい見た目をした種族ばかりだ。
さて、宿を探す前に、まずは現在の所持金を確認。
魔大陸での通貨では、緑鉱銭二枚 鉄銭一八枚 屑鉄銭五枚、石銭三枚。これだけ持っていた。
これを両替すると、ミリス銀貨三枚、ミリス大銅貨七枚、ミリス銅貨二枚となった。
想定していたよりちょっと少ないが、手数料として取られたらしい。
ギルドに加入していないモグリの両替商に厄介になると、もっと取られるのだろう。
なら、これぐらいは許容範囲だ。
「宿は冒険者ギルドに近いところがいいですね」
「そうね、依頼も請けないといけないもんね」
仕事がどうなるかにもよるが、明日からは、また依頼と一緒にデッドエンドの名前売りだ。
話によると、ミリス大陸では『デッドエンド』という存在はあまり知られていないらしい。
ネームバリューが使えなくなる日が近いかもしれない。
そう思いつつ、ギルド近辺の宿を探す。しかし不思議なことに、手頃な値段の宿は満室ばかりだった。こんなことは初めてだ。満室は何度かあったが、まさかほとんどの宿が満室だとは。
まさか祭りか何かでもあるのだろうか。
そう思って宿屋の主人に聞いてみると、「もうすぐ雨期が来るからな。めぼしい宿はどこも満員だろうよ」とのことだった。
雨期というのはミリス大陸『大森林』特有の天候で、三ヶ月ほど大雨が降り続くらしい。
大森林は大洪水で、街道ももちろん通れない。
なので、この時期は長期で宿を取るお客さんが多いのだとか。
普通なら、雨期にこんな場所に足止めされるのは避けるはずと、思うところだが、なんでも、雨期にしか出没しない魔物が町の方まで流れてくるらしい。そして、そいつの素材は高く売れるので、この時期に町に滞在する冒険者は多いのだとか。
それを聞いて、俺は方針を変えることにした。
高く売れるのであれば、俺たちにとっても恩恵のある話だ。
ここで三ヶ月みっちりと金稼ぎに勤しみ、これからの旅費を稼ぎまくるのがいいだろう。
ついでにルイジェルドの名前も売る。
そうしてスタートダッシュを決めれば、ミリス大陸での旅も楽になるだろう。
と、それも獲らぬ狸のなんとやらか。
現在は金もそれほど余裕はなく、宿も見つからない。
空き部屋がありそうなのは、普段より高い宿か、あるいはずっとランクの低い宿。
ない袖は振れないので、前者はダメ。結果として、あまりよろしくない連中の住む場所、ありていに言えば、スラム近辺の宿を取ることになった。
一泊、大銅貨三枚。食事他、各種サービスはなし。
安いが、寝るだけの場所としては悪くない。
魔大陸では、これよりもっと酷い宿に何度も泊まったことがあるとはいえ、これから三ヶ月も生活すると考えるなら、金が貯まり次第、どこかに移ったほうがいいだろう。
「ふうん、まあまあの宿ね!」
エリスは一応貴族の令嬢のはずだが、建物の古さやサービスの悪さは気にしない。
むしろ、俺が文句を言うぐらいだ。
「僕としては、もうちょっと良いところに泊まりたいです」
「ルーデウスはワガママね」
エリスに言われたくないよとは、言い返せない。
よくよく考えてみれば、このお嬢様はその昔、羽虫だらけ、かつ馬糞臭い馬小屋の藁の上で熟睡していた。胸を揉まれてもなお、熟睡していた。
転生してもなお温かいベッドでぬくぬくしていた俺とは違う。
なので、俺もワガママは言うまい。俺にできるのは、ベッドに魔術で熱風を送り込んでダニを死滅させることぐらいだ。
その後、部屋の掃除もササッと済ませておく。
俺も綺麗好きというわけではない。正直、散らかっているほうが好きだ。けれども、こういう宿には、たまに前に泊まった人の忘れ物がある。ベッドの隙間にお金が一枚落ちていたり。小さな指輪が落ちていたり。金はそのまま拾得してしまえば問題ないが、指輪などはたまに冒険者ギルドに依頼として出されているときがある。
もし見つけたら金を払う、というその依頼はランクに関係なく完了できる。
基本的にははした金だが、たまに大金をもらえるらしい。
なので、俺はきっちり掃除をする。
その間、エリスは桶を借りてきて簡単な洗濯し、さらに装備の手入れをサッと済ませる。
全てが終わる頃には、日が落ち始めていた。
「エリス、そろそろルイジェルドを迎えに行ってきます」
そう言って、ふと、この宿の場所を思い出した。
スラムが近い。治安が悪い。
魔大陸でもスラム付近の宿には泊まったことがある。依頼で外に出ている間に、あっさりと泥棒に入られた。その時はルイジェルドが痕跡を発見、追跡してきついお仕置きをしてやったが、盗まれた物はすでに他の人物の手に渡っており、戻ってこなかった。
その時盗まれたのは大したものではない。
また、今回も貴重品をおいて出るつもりはない。だが、防犯対策はきっちりしておくべきだろう。
エリスを連れ出さない口実にもなる。
「エリスはここに残り、荷物の番をしておいてください」
「留守番? 私は行っちゃだめなの?」
「そういうわけではありませんが、ここらへんは治安が悪そうなんで」
「別にいいじゃない、たいしたものはないんだから」
なんてことだ。
エリスの防犯意識が低すぎる。日用雑貨でも盗まれると困るのだ。あんまりお金に余裕がないから。ここはきっちりと、防犯に対しての意識をすり込んでおかなければ。
「いいんですか? 洗濯したてのパンツが盗まれるかもしれませんよ?」
「そんなの盗むのはルーデウスぐらいよ!」
ぐうの音も出なかった。
……だがなエリス。俺は洗濯後のパンツを盗もうとしたことは一度もないんだぜ?
★ ★ ★
俺は一人、夜の町を歩いていた。
エリスを説き伏せるのに時間が掛かってしまった。
防犯は本当に大事なんだがね。
さて、仕事の時間は夜ということだが、正確な時間は指定されていない。日没後ならいつでもいいし、捕らわれの人々を救出できれば、どのタイミングでもいいということだ。ただ、もうすぐ雨期が来るというし、密輸人もその前に船を出したいだろうから、日数はないだろう。
それに、現在のルイジェルドは奴隷扱いである。最低限、命を維持するだけのことはしてくれるだろうが、この一週間、ルイジェルドもひどい扱いを受けたかもしれない。
ロクな飯だって出なかっただろう。ということは、お腹も空いているだろう。
人はお腹が空くと怒りっぽくなるからな。
はやく迎えに行ってやらないと。
俺はルイジェルドの槍を片手に、波止場へと移動した。
波止場の端。木造の大きな倉庫が四つ並んでいる。『第三倉庫』と書かれたところへと、入り込むと、中では一人の男が黙々と倉庫内を掃除していた。
彼の髪型は世紀末で最も一般的な髪型だ。
彼に、「よう、スティーブ。渚のジェーンは元気かい?」と尋ねる。
それが合言葉だそうだ。
モヒカンは俺を見て訝しげな顔をした。
「なんだ坊主、なにか用か?」
はて、間違えただろうか。違うな、俺が子供だから、信じていないのだ。
「主人の使いで、積荷を受け取りに来ました」
そう言うと、モヒカンは合点がいったらしい。
静かに頷くと、「ついてこい」と、倉庫の奥に足を向けた。
俺は無言でそれに付き従い、倉庫の奥へ。倉庫の奥には、人が五人ぐらい入りそうな大きな木箱があった。モヒカンはその中から松明を一本取り出して、箱を動かした。
箱の下から階段が現れ、モヒカンは顎で降りるようにと指示をくれた。指示通りに階段を降りると、じめじめした洞窟だった。
後ろから来たモヒカンは松明に火をともして先へと進み、俺は滑る足元に気をつけつつ、彼に続いた。一時間ほど洞窟が続く。
洞窟を抜けると、森の中に出た。
どうやら町の外であるらしい。
そこからまたしばらく歩くと、木々に隠れるように、一軒の大きな建物があった。
倉庫らしくない見た目で、金持ちの別荘という感じだ。
あれが保管場所か。
こんな森の中に家なんか建てて、魔物に襲われたりはしないのだろうか。
「わかっていると思うが、ここのことは他言するな。他言すれば……」
「わかっていますよ」
俺はこくりと頷いた。
この場所を誰かに口外すれば、必ずや探し出して殺すだろう。
そういう説明は、魔大陸でガルスから受けている。
そんなことをわざわざ口約束で守らせるぐらいなら、血判状か何かでも書かせたほうがいいと思う。
どうしてやらないのだろうか。
……指紋のない種族がいるからか。あと、お互い文章として残しておきたくないのもあるだろうしな。
証拠は作らないに限る。
「……」
モヒカンが入り口をノック。
トントントトン、トントトン。
このノックの仕方にもルールがあるのだろう。
しばらくして、中から執事服を着た白髪の男が顔を出した。男はモヒカンと俺の顔を確認すると、「はいれ」と短く言った。
中に入る。
真正面に二階への階段。その脇に二つの廊下。左右にも扉がある。ありていに言えば、屋敷のロビーのような場所だ。ロビーの端には丸テーブルがあり、あまりガラのよくなさそうな男たちが、テーブルに肘をついていた。
なんだかピリピリしている。
と、白髪の執事が、俺を見下ろし、いぶかしげな視線を送ってくる。
「誰の紹介だ?」
「ディッツです」
ディッツとはガルスに言えと言われた名前である。
「あいつか。それにしても、こんな子供を使いに出すとは、お前の主人は用心深い奴だな」
「扱う品が品ですからね」
「ハッ、そうだな、早く持っていってくれ。怖くてかなわん」
白髪執事はそう言いつつ、懐からかぎ束を取り出し、そのうちの一つをモヒカンに渡す。
「二〇二の部屋だ」
モヒカンは静かに頷き、歩き出す。
キィキィと鳴る床の音と、どこからか聞こえるうめき声のようなもの。
時折漂ってくる、獣の臭
にお
い。
ふと、鉄格子のはまった部屋があったので、中を覗いてみると、ぼんやりと光る魔法陣の中に、でかい獣が鎖に繋がれて寝そべっていた。暗くてよくわからないが、あんな獣は魔大陸では見たことがないな。
ミリス大陸の生物だろうか。
捕らえられている人々はどこにいるのだろうか。解放するという話は聞いていたが、捕らえられている場所の詳細までは聞いていない……けど、そこはルイジェルドがわかるか。
モヒカンは奥にあった階段から下へと降りていく。
二〇二なので二階かと思ったが、地下らしい。
「地下なんですね」
「上はダミーだ」
なんでも地上には、見つかっても困らないような品がおいてあり、地下には関税を通すとかなり金を取られたり、密輸すると重罪にあたる品が置いてあるのだとか。
「ここだ」
モヒカンは二〇二というプレートの掛かった扉の前で止まった。
中を覗くと後ろ手を縛られ、頭にやや緑の毛が生え始めたルイジェルドが座っているのが見えた。さすがに一週間ともなると、うっすらマリモヘッドだな。
「ご苦労さまです」
俺の言葉にモヒカンは頷くと、部屋の入り口に立った。
一応、見張り役なのだろうか。
「手錠はここでは外すなよ。スペルド族に暴れられたらかなわんからな」
そう口にするモヒカンの顔は若干青ざめていた。
緑色の髪というのは、たとえ坊主頭でも効果的らしい。
ここであっさり手錠を外し、ルイジェルドに言うことを聞かせたらもっとビビるだろうか。
いやいや、そんなジャイの威を借るスネみたいな真似はすまい。
さて、そういえば手枷の鍵はどこにしまったかな。
懐を探ってみると、どこにもない……宿に忘れたかもしれん。
めんどくさいから魔術で開錠するかと、ルイジェルドに近づくと、彼は険しい表情をしていた。
やはり人はお腹が空くと怒りっぽくなるな。
待ってろ、今すぐ腹いっぱい飯を……。
「ルーデウス、耳を貸せ」
ルイジェルドが、ぽつりと呟いた。
「なんですか?」
と、俺が言われるがまま顔を近づけると、モヒカンが慌てたように言った。
「お、おい、やめとけ。食いちぎられるぞ」
大丈夫。ルイジェルドならあま噛みで勘弁してくれるさと、心の中で適当にコメントしつつ、俺はルイジェルドに耳を寄せる。
『子供が捕らえられている、七人だ』
ほう。意外と多いな。
『獣族の子だ。無理やり攫われたようだ。ここにいても泣いている声が聞こえる』
『……ほう、仕事の相手ですかね』
『わからん。だが、他に捕らえられている人間はいないようだ』
子供。奴隷だろうか。その中に、ガルスが「禍根が残る」とする相手がいるのだろうか。
それとも、他に重要な人物がいたりするのだろうか。
『無論、全員助けるのだな?』
『まあ指定は受けていませんからね』
どちらにせよ、一つずつ部屋を見て回ればいいだろう。
でも、一つ問題がある。
『建物の中には結構な数の用心棒がいます』
『わかっている』
『どうします?』
いかにルイジェルドといえども、彼らに見つからず、奴隷を解放するのは骨だろう。
『皆殺しだ』
怖っ!
『皆殺しですか……』
『子供を攫うような奴らだぞ?』
ルイジェルドが「信じられん」という顔をしている。裏切られたような顔だ。
いや、別に嫌とは言ってない。ガルスも方法に関しては特に何も言わなかった。話しぶりからするに、ルイジェルドに皆殺しさせるように想定していたのだろう。俺は一度ルイジェルドを自由にした後、スマートに再侵入してスマートに助け出すとか考えていたが、考えが甘かったか。
ルイジェルドが殺しをするってのは、彼の種族の名誉的に考えても、あまりいいこととは思えないんだが、今回は仕方ない。
『一人も逃しちゃダメですよ』
一人も逃しちゃいけない、というのは、別に獰猛で残忍な理由によるものではない。
密輸組織は裏切った顧客には、子飼いの暗殺者を送り込む。
裏切り者には無残な死が待っているのだ。
ガルスがどう動くかはわからないが、口封じのために俺たちに暗殺者を送り込むという可能性もありうる。ルイジェルドがいれば暗殺者程度は大したことはないが、枕を高くして眠れないのはよろしくない。ルイジェルドが常にいるとも限らないしな。
『ああ、任せておけ』
ヒュー、さすがルイジェルドだ。頼れる言葉だね。
『絶対に、一人も、逃がさん』
怖いなぁ。額に青筋が立ってる。
最近はもう少し穏やかだと思ったが、今日のルイジェルドは血に飢えているな。
何やったんだ密輸人。
『子供たちに何が起こったのか、聞いても?』
『お前も、子供たちの様子を見ればわかる』
見ればわかると言われてもな。
『安心しろ、お前は手を汚さなくともいい』
ルイジェルドは俺の態度を見て何を勘違いしたのか、そう言った。
その言葉で、俺は動きを止めた。
『いえ……』
ルイジェルドの言葉は、俺の心に小さなトゲとなって刺さった。
『僕も……やりますよ?』
確かに俺はこの一年間、人殺しを避けてきた。
魔物はいくらでも殺した。人型をした魔物も殺した。けれども殺人はしなかった。
する理由がなかったというのもある。しない理由が多かったのもある。
けれど、誰かに対して殺意を持ったことがないのも事実だ。
この世界はシビアだ。
人と人との殺し合いも日常的に行われている世界だ。俺もいずれ、誰かを殺すこともあるだろう。そういう状況はいつか訪れるはずだ。その覚悟はできているつもりだった。
けれども俺がやったことと言えば、覚悟を決めることではなく岩砲弾の威力調節だ。高すぎる威力で人を殺してしまわないため、殺さない程度に術の威力を下げたのだ。
結局、俺は人を殺すことに抵抗があるのだ。
口ではなんと言っても、俺は殺人という禁忌を犯したくないのだ。
覚悟なんてできていないし、できないのだ。
そして、ルイジェルドはそのことを察してくれている。だから、わざわざこんなことを言ってくれているのだ。気を使ってくれているのだ。
『そんな顔をするな。お前の両手は、エリスを守るためのものだろう』
……まあ、いいか。
無理して誰かを殺すことなんてないよな。
今日は胸を借りるとしよう。ルイジェルドが一人でできるというのなら、まかせよう。
ヘタレで結構。
俺は俺にできることをする。
『わかりました。では、僕は子供たちを解放してきます。どこにいるかわかりますか?』
『二つ隣の部屋だ』
『わかりました。死体はどこかにまとめておいてください。あとでまとめて燃やしましょう』
『わかった』
俺は無言でルイジェルドの手枷を外した。
肩を鳴らしつつ、ゆっくりと立ち上がるルイジェルド。
「なっ、お前! どうやって手枷を!」
慌てるモヒカン。
「大丈夫ですよ。ちゃんと言うことは聞いてくれますから」
「ほ、ほんとうか?」
俺の言葉に、モヒカンはやや安堵の表情を見せる。俺はルイジェルドに槍を手渡した。
「もっとも、暴れないわけじゃないんですがね」
「えっ?」
モヒカンが最初の餌食だった。
ルイジェルドは音もなくモヒカンにトドメを刺すと、音もなく階段へと走っていった。
俺はそれと反対方向。子どもたちが捕らえられているという部屋に向かう。
「ギャアアアァァァァァ!」
「ス、スペルド族だ! 手枷がはずれてるぞ!」
「くそっ! 槍まで持ってやがる!」
「悪魔だ! あぁぁ、悪魔あぁぁ!」
俺が扉にたどり着く頃、一階から悲鳴が聞こえ始めた。
第六話 「獣族の子供たち」
その部屋は暗かった。
暗闇の中で、全裸の少年少女が不安げな顔で身をよじっていた。
それぞれ違った獣耳をしている。
少女が四名、少年が三名。総勢七名。歳は俺と同じぐらいか。
全員が全裸、獣耳またはエルフ耳。後ろ手に手錠を掛けられ、身を縮こませている。
幼気な少女が全裸で手錠。
まさか、こんなものを本当に見る日が来るとは思わなかった。眼福なんてもんじゃない、若き日の観音様じゃないか。これが桃源郷。いや、天国か。
俺はとうとう、天国に至ったのか。緑の赤ん坊とか見つけてないんだけど!
と、喜びかけて、気づいた。一人を除いた全員に泣きはらした痕があり、また何人かの顔には青黒い痣があった。
頭が冷えた。
泣いて、喚いて、うるさいと殴られたのだろう。
エリスが攫われた時もそんな感じだったしな。この世界では、攫ってきた子供に対する配慮とかはないのだ。そして、その遠慮なしの拷問を、ルイジェルドは二つ隣の部屋で聞いてしまった。
我慢できないわけだ。
とりあえず、パッと見た感じ、性的な暴行を受けた形跡はない。まだ幼いせいか、それとも商品価値を落とさないためか。どっちでもいいことだが、不幸中の幸いといったところだろう。
いつもの俺なら、全裸の少女たちを見て、おっぱいの一揉みぐらいは許される、とか思うところだ。
だが、現在の俺は、ちょっとばかし痴力が低い。
船から降りる前に賢者に転職したばかりだからな。もっとも、知力の方は上がってないが。
不自由な少年少女たち。
少女のうち、三人は涙を流し、今もなおエグエグと泣いている。少年のうち二人は俺を見て怯
おび
えた表情を見せ、一人は倒れて虫の息だ。
とりあえず、まず倒れている少年にヒーリングを掛け、彼の手錠を外す。
猿
さる
轡
ぐつわ
はきつく結ばれていた。外せない。
仕方ないので焼ききった。ちょっと火傷させてしまったが、男の子だし、我慢してもらおう。
残り二人の少年にもヒーリングを掛け、手錠を外す。
「あ、あの……あなたは……?」
その言葉が獣神語だったのでちょっと戸惑ったが、獣神語はちゃんと習得している。
「助けに来ました。三人で部屋の入り口を見張っていてください。誰か来たらすぐに教えて」
三人は不安そうに顔を見合わせる。
「男の子なら、それぐらいできるだろ?」
そう言うと、三人はキッと顔を引き締めて頷き、扉の方に走った。
この言葉に他意はない。別に視界に女子だけが入るようにしたいとかいう意味はない。
ルイジェルドが上で暴れているので人は来ないはずだ。
けど、万が一はありうる。俺は部屋に入る前に魔眼を開眼し、一秒先を見えるように設定してあるが、後ろを向いていると見えないからな。
俺は少女たちの手錠を外していく。
おっきいのもあり、小さいのもある、そこに貴
き
賎
せん
はない。俺は平等に鑑賞し、そして手錠を外すのだ。決して無意味に触ったりはしない。
今宵のルーデウスは紳士だと思っていただきたい。
そして、殴られた痕のある子にヒーリングをしておく。
お楽しみのじか……ごほん、治療の時間だ。ヒーリングは手を触れないといけない。
だから、他意はない。胸のあたりに痣がある子がいるけど、本当に他意はない。
この子は肋骨が折れているじゃないか、大変だ……っと、この子は大腿骨が折れてるじゃないか。
まったく酷いことをするぜ。
「……」
少女たちは手で自分たちの体を隠しながら立ち上がった。
猿轡は自分で外していた。心なしか気の強そうな猫耳の子に睨まれてる気がする。
「助けてくれて……ひっく……ありがとう……」
犬耳の子が、恥ずかしそうに身を隠しながらお礼を言う。もちろん、獣神語だった。
「一応聞いておきますけど、言葉通じてますよね?」
全員が頷くのを見て、ほっと一息。俺の獣神語はきちんと通じているらしい。
さて、ルイジェルドの方はまだか。子供を殺戮現場に連れていくわけにもいかない。
変なトラウマを植えつけてしまいかねないからな。
なので、もう少しここでこの光景を見て……じゃなくて、話を聞いておこう。
「どうしてここに連れてこられたか、聞いてもいいですか?」
「ニャ?」
この中で、最も気が強そうな猫耳の子にたずねてみる。
彼女は七人の中で、唯一泣いた跡がない。その代わり、体中に打撲と骨折による痣があった。いつぞやのエリスほどではないが、一番重傷だった。
二番目は最初に助けた少年だが、少年と違い、少女はその眼から力を失っていなかった。
エリスより気が強いかもしれない。
いや、多分彼女は当時のエリスより年上だ。同い年なら、ウチのエリスも負けてないはずだ。
うん、なに張り合ってんだ俺は。
ちなみに、この子のOPパワーはこの全員の中で二番目に高い。かなり生意気な感じに育つと予想できる。ちなみにOPパワーナンバーワンはさっきの犬耳だ。この歳でこのレベルなら、将来はかなりだらしなくなるはずだ。
まったくけしからん。
「森で遊んでいたら、いきなり変な男に捕まったニャ!」
衝撃を受けた。
ニャ! 語尾にニャ! 本物のニャ!
エリスのモノマネとは違う。
この子は本物の獣族ニャンだ。獣神語だからそう聞こえるわけじゃないぞ。
彼女は確かに、語尾にニャをつけている。ベリーグッドだ。おっぱいを揉みたい。
じゃなくて。
「ということは、全員が無理やり攫われてきたってことですね?」
感動を抑えて冷静に聞くと、一同こくりと頷いた。
よろしい。生活が大変で親に売られたとか、生きていけないので自分を売ったとか、彼らがそういう立場であったのなら、俺たちのしたことはありがた迷惑になるところだった。
よかった。これは人助けだ。本当によかった。
「終わったぞ」
ルイジェルドが戻ってきた。
いつしか、頭はマリモではなくなっており、額には鉢金が巻かれていた。
服は綺麗なもんだった。返り血は一切浴びていないらしい。さすがだね。
「お疲れ様です。他に捕らえられている人はいましたか?」
「いなかった」
「なら、彼らの服を探しましょう。このままだと風邪を引いてしまいます」
「わかった」
「みなさん、少し待っていてください」
俺たちは手分けして、彼らの服を探す。
しかし、子供服の類はなかった。攫った時に服を剥いで捨てたのだろうか。
何のために?
よくわからない。子供を全裸にする理由も謎だ。
服がないというのは切実だ。服がなければ服屋にも行けないからな。
「ん?」
ふと窓の外を見ると、死体が山積みにされていた。
全員、心臓と喉を一突きだ。昔はこれを見て恐ろしいと思ったが、今はむしろ頼もしい。
しかし、意外に量が多いな。血の臭いもすごい。魔物が寄ってきそうだ。
「早めに焼いとくか」
そう思い、建物の外に出た。
ムッとした臭いを放つ死体を前に、火弾を作り出す。
火弾の大きさは、半径五メートルぐらいでいいか。
火の魔術は火力を大きくすると、なぜかサイズも大きくなる。肉の焦げる臭いとか嗅嗅ぎたくない。
一発で消し炭にするような感じで焼く。
「おおっと」
すると、火力が強すぎたせいで、ちょっと建物と周囲に火が移ってしまった。
すぐに水魔術で鎮火。危ない危ない、放火魔になるところだった。
あ、しまった、死体の服を剥ぎ取ればよかったかもしれない。血なまぐさいし、気分は悪いだろうけど、洗えば着ることはできただろうし……。
「ルーデウス。終わったぞ」
なんて考えていると、ルイジェルドが建物から出てきた。子供たちも一緒だ。
子供たちはと見ると、きちんと服を着ている。服というか、羽衣みたいな感じだった。
「その服、どこで見つけたんです?」
「カーテンを斬った」
ほう。頭いいなお前。おじいちゃんの知恵袋かね。
★ ★ ★
さて、解放して家に送り届けろ、というのが仕事内容だ。
ってことは、町まで移動して、そこで親元に送り届けるのも仕事のうちだろう。
俺は建物の入り口においてあった松明に火をつけ、子供たちにそれぞれ持たせた。
町までのルートは、先ほどとは違う道を通ることにした。
他の密輸人に見つかったら困るのもあるが、あの道は恐らく、魔物に襲われないためのものだ。
俺たちには関係ない。
「ニャー!」
と、猫耳少女が、突然声を上げた。
にゃー、にゃー、にゃーと、暗がりに声が響いた。
「どうしました?」
あまり騒ぐなよ、と思いつつ聞いてみる。
「にゃあ! さっきの建物に、犬はいなかったかニャ!?」
猫耳少女はルイジェルドの足に縋りついた。
表情からは必死さが窺える。
「いたな」
「なんで助けてくれなかったのニャ!」
そういえばいたな。あれ、犬だったのか。かなりでかかったが。
「お前たちが先だ」
ルイジェルドに非難の目が集まった。
おいおい。自分たちが助けてもらったのに、その目はないだろう。
「言っておきますけど、君たちを助けてくれたのは彼ですからね」
「そ、それには感謝してるニャ。だけど……」
「感謝してるんなら、お礼の一つも言ってください」
俺がそう言うと、彼らはそれぞれ頭を下げた。
よろしい。彼らはもっと感謝するべきだ。
たとえ、それが密輸人の仲間割れからくるものであっても、ルイジェルドが彼らの身を切に案じていたのは事実なのだから。親切の押し売りに近いがね。
「僕が今から引き返して助けてきます。ルイジェルドは彼らを連れて町へ」
「わかった、どこへ連れていけばいい?」
「町に入る前ぐらいで待っていてください」
そう言って、俺は道を引き返す。
どこに連れていく、か……難問だな。
最初は冒険者ギルドにでも連れていこうかと考えていた。そこで「子供を保護したので、親を探している」という依頼を出し、子供は冒険者ギルドに預かってもらう。これで解決だ。
しかし、ガルスも言っていたが、密輸組織も一枚岩ではない。
あんまり大々的に動くと、密輸組織にバレてしまうし、今までのやりとりから考えるに、ガルスは助けてくれまい。
俺たちの存在は、密輸組織に知られないほうがいいだろう。俺たちのためにも、だ。
じゃあ……子供たちを衛兵に預け、俺たちはさっさと町を出るというのはどうだろう。
いや、事情聴取でルイジェルドと俺のことがバレるな。
密輸組織に知られる。
それに、もうすぐ雨期が来るという話だ。町を出ても、行く場所がない。
そもそも、それ以前に、俺たちが誘拐犯だと間違われる可能性もあるのか。
うーむ。
これは、ちょっと。考えがなさすぎたかもしれない。解放はできると思ったが、その後のことは軽く考えすぎていた……。
いっそ、あの襲撃を誰かになすりつけるか。
うん。それがいいかもしれない。
壁に「魔界大帝キシリカ参上」とか書いておけば、案外信じるんじゃないだろうか。
キシリカも何かあったら頼れと言っていたからな。
「っと」
建物に着いた。
結局、考えはまとまらなかった。
★ ★ ★
先ほど、魔法陣を見た部屋へと移動する。
俺が入ると、そいつは胡乱げな眼で迎えてくれた。尻尾を振ることもなく、吠えることもない。
ぐったりとしている。
「確かに犬だ」
魔法陣の中で鎖に繋がれていたのは子犬だ。子犬と一目でわかるのに、サイズがやたらとでかい。
二メートルぐらいある。なんでこの世界の犬猫はみんなでかいんだ。
一目見た時、毛並みは白だと思ったが、どうやら銀色であるらしい。光の加減だろうか、キラキラと光って見える。銀色の豆柴、ラージサイズって感じで、お上品で賢そうな顔をしている。
「今助けますので……いでぇ!」
と、魔法陣の中に入ろうとして、弾かれた。
バチンという感じではない。
なんというか、痛覚をそのまま刺激された感じだ。どうやら、この魔法陣は結界になっているらしい。結界といえば、治癒魔術の一種だ。
俺はまったく原理を知らない。
「ふむ」
とりあえず、魔法陣の周囲を回って、観察してみる。
魔法陣は青白い光を放っており、ボンヤリと部屋を照らしている。光っているということは、つまり魔力が通っているということだろう。魔力の供給源を絶てば、魔法陣は消える。
それはロキシーに習った。
典型的な魔術的トラップの解除方法だ。魔力供給源といえば、魔力結晶だ。だが見たところ、魔力結晶のようなものは見当たらない。いや、きっと見当たらないだけだろう。
どこかに隠してあるのだ。
多分、地中だな。
土魔術で地中から魔力結晶を引き抜くか。こういった魔法陣は、無理やりかき消すと、何が起こるかわからない。なんとかして綺麗に抜き取らないと……。
ん、まてよ。まてまて。
もっと簡単に考えろ。
そもそも、奴らはどうやってこの魔法陣から犬を出すつもりだったんだ?
死体を見た感じ、魔術師風の男はいなかった。初心者でも簡単にできる解除方法があるはずだ。
それを考えよう。
まず、魔力結晶の場所。俺は、地中にあると考えた。しかし、地中にあったのでは、奴らは取り出せない。取り出せる場所……しかし魔力供給のできる場所……。
「ふむ、下でないなら上かな?」
俺は建物の二階に上がってみた。
魔法陣のちょうど真上の部屋。そこには、小さな魔法陣と、木でできたカンテラのような物がおいてあった。カンテラの真ん中には、魔力結晶と思わしきものが入っている。
よろしい。
一発で見つけられるとは運がいい。
カンテラを慎重に持ち上げてみると、床の魔法陣がスッと消えた。
一階に降りて確認すると、犬を囲んでいた魔法陣も消滅していた。
やはり、上下階の魔法陣は連動していたらしい。
よしよし。
「ウー……!」
犬に近づくと、彼は威嚇の眼を俺に向けて、唸った。
俺は昔から動物には好かれない。いつものことだ。
子犬の様子をじっと観察する。力を込めて唸ってはいるものの、やはり体に力が入らないらしい。
ぐったりとした印象をうける。
空腹のせいだろうか。
いや、あの鎖が怪しいな。鎖には何やら意味ありげな文様が刻まれている。
とりあえず、外してやるか。
いや、危ないか? この鎖が犬の力を抑制しているのなら、外した瞬間襲いかかられるかもしれない。多少なら噛まれてもヒーリングで治せばいいが……。
「どうやったら噛まないでもらえますかね?」
なんとはなしに、聞いてみる。
すると、俺の言葉がわかるのか、子犬は「ウー?」と首をかしげた。
ふむ。
「噛まないなら、その首輪を外して主人のところに返してあげますけど、どうします?」
獣神語でそう言うと、犬は唸るのをやめて、おとなしく地面に寝そべった。
言葉がわかるらしい。
異世界ってのは便利だね。犬ともおしゃべりできるんだから。
とりあえず、魔術で鎖を断ち切ってみた。鎖はあっさりと千切れた。
すると、犬の体にみるみるうちに力が戻った。すぐに立ち上がって走りだそうとするのを、俺は止める。
「まてまて、首輪がまだです」
すると、犬は俺を見て、また素直に寝そべった。
首輪を外してやるべく頑張ってみる。
鍵穴が見当たらない。鍵穴がなければ、解錠ができない。
おかしい、どうやって外すつもりだったんだ? 外すつもりがなかったのか?
悪戦苦闘。
なんとか繋ぎ目を発見した。どうやら、パッチンってやるとハズレなくなるタイプらしい。
「今外してやるから、動くなよ」
俺は慎重に、土の魔術で繋ぎ目の間に土を発生させ、押し開くように外した。
バキンと音がして、首輪が外れた。
「よし」
子犬はブルブルと首を振った。
「ウォン!」
「うおう」
そして、俺の両肩に前足を掛けると、その重い体重で唐突に押し倒してきた。
俺は無様に転がされ、ベロベロと顔を舐められた。
「ウォン!」
ああん、だめよワンちゃん、あたしには妻と夫が……!
銀色の毛玉を押しのけようとしてみるが、なかなかに重く、そして柔らかくてふかふかだった。
ふわふわのふかふかだった。
それはいいんだが、重い。乗っかられた胸がミシミシといっている。どかすのは難しそうだ。
舐められるのはしょうがないと諦め、犬が飽きるまで、毛の感触を楽しむことにした。
うん。ふかふかだ。ナウでヤングな言い方をすれば、モフモフだ。
柔らかい……お前、これ柔軟剤使っただろ?
えぇ~、使ってないっすよ~。
★ ★ ★
「貴様、聖獣様に何をしているか!」
「え?」
毛玉を堪能していると、唐突に叫び声を掛けられた。密輸人に生き残りがいたのか、と寝転んだままで上を見上げる。
チョコレート色の肌と、獣っぽい耳と、虎っぽい尻尾。
ギレーヌ……?
いや、違う。よく似ていたが、違う。筋肉と毛深いところは一緒だが、ちょっと違う。
一番大きい部分が違う。
胸だ。胸がないのだ。ギレーヌにあった豊かな乳房が、逞しい大胸筋になっている。
男だ。
男は口元に手を当てていた。
ウララー、なポーズ。
あ、やばい。何かされる。逃げないと。しかし、動けない。
「ワンちゃんどいて、そいつから逃げられない!」
犬がどいた。
慌てて立ち上がりつつ、予見眼を開眼。ビジョンが見える。
[男は口元に手を当てている]
何もしていないのかと思った瞬間、男が咆哮した。
『ウオオオオォォォォォン!』
圧倒的な音量。エリスの金切り声の数倍はありそうな音量。
それは質量を持っているようにも感じられた。
鼓膜がビーンと震え、脳が揺れた。
気づけば、俺は地面に倒れていた。
立てない。まずい。ヒーリングを……。
手も動かん。なんだこれ、魔術の一種なのか?
やばい。
やばいやばいやばい。
魔術は使えないのか? 魔力を集中して……あかん。
男に胸ぐらを掴まれ、持ち上げられた。俺の顔を見た男は、むっと眉根を寄せた。
「ふん……まだ子供か。殺すには忍びないな」
あ、助かるっぽい。ほっとする。子供の姿でよかった。
「ギュエス、どうした?」
そこに、もう一人、男が現れた。
やはりギレーヌによく似た、しかし白髪。老人だ。
「父上。密輸人の一人を無力化しました」
「……密輸人? 子供ではないか」
「ですが、聖獣様に襲いかかっていました」
「ふむ」
「聖獣様を撫で回しながら、いやらしい笑みを浮かべていました。もしやすると、見た目通りの年齢ではないのかもしれません」
ち、違うよ。僕は十一歳だよ。決して体感年齢四十五歳のオヤジじゃないよ!
「ウォン!」
犬が吠えると、ギュエスと呼ばれた男は犬の前に膝をついた。
「申し訳ありません聖獣様。本来ならばすぐに馳せ参じるところ、少々救出が遅れてしまいました」
「ワン!」
「まさか、聖獣様の御身をこんな男の手で……くっ……」
「ワン!」
「え? 気にしていない? なんと寛大な……」
話が通じているのだろうか。
ワンワン言ってるだけなんだが。
「ギュエス、階下の部屋にトーナたちの臭いがあった。ここにいたことは間違いないはずだ」
と、老人が言った。トーナとは誰だろうか。
話から察するに、獣族の子供だろうが。
「この少年を村に連れ帰り、尋問しましょう。どこへ連れていったのかを。そして、吐かせてからもう一度探せば……」
「そんな暇はない。明日には最後の船が出る」
ギュエスは「ぐっ」と歯噛みした。
「諦めるしかない。聖獣様を助け出せただけでも僥倖と考えねば」
「なら、こいつはどうします?」
「……村には連れて帰る。たとえ子供といえども、奴らの仲間なら報いは受けさせる」
ギュエスは頷くと、腰からロープを取り出し、俺の後ろ手を縛った。
肩に担がれる。ギュエスの後ろから、犬がちょこちょこと付いてきて、心配そうに見上げてきた。
大丈夫。心配するな。こいつらは密輸人ではないらしい。
先ほどの子供たちを助けに来た存在だ。
だから、話せばわかる。話せるようになるまで待つだけだ。
「む……」
外に出たところで、老人の方が鼻をひくつかせた。
「臭いがあるな」
「臭い、ですか? 血の臭いが濃くて自分には……」
「かすかにある。トーナたちの臭いだ。それと、もう一人、例の魔族の臭いだ」
例の臭い、と言うとギュエスが表情を険しくした。
「例の魔族が、ここにいたトーナたちを攫ったと?」
「さてな。案外、助けてくれたのかもしれんぞ」
「まさか、ありえません……」
どうやら、彼らはルイジェルドの臭いを嗅ぎとったらしい。
「ギュエス。儂は臭いを追う。お前はその小僧と聖獣様を連れ、一旦村に戻れ」
「いえ、自分も行きます」
「お前は短気すぎる。その小僧とて、密輸人ではないかもしれんではないか」
さすがご年配の方は言うことが違う。
そうです。私は密輸人ではありません。弁明をさせてください。
「だとしても、聖獣様に汚い手で触っていたのは間違いないことです。この少年から、発情した人族の臭いがします。聖獣様に性的な興奮を催していたのです、信じられないことに」
ピギャー!
違います。犬になんて欲情してないです!
いたいけな少女たちの裸で……って、それもヤバイのか!
「ならば、牢屋にでも入れておけ。ただし、儂が帰るまでは手を出すなよ」
「ハッ!」
老人は一つ頷くと、暗い森へと走りだした。
ギュエスはそれを見送ると、俺に一言。
「ふん、命拾いしたな」
はい、本当に。
「では聖獣様、少々走ります。お疲れのところかと思いますが……」
「ワン!」
「ですね!」
そして、俺はギュエスに担がれ、森の奥へと運ばれていった。
★ ルイジェルド視点 ★
町の近くまで来たが、ルーデウスが戻ってこない。
まさか、迷ったのか?
いや、それなら空に魔術の一つでも撃つはずだ。なら、何かトラブルがあったか。
あの建物の人間は全て排除した。だが、新手が別の場所から移動してきて、鉢合わせたのかもしれない。今からでも戻って確かめるべきだろうか。
いや、ルーデウスは子供ではない。たとえ敵が現れたとしても、なんとか対処できるはずだ。
まだ若いせいか脇が甘い部分があるが、敵地で油断するほど甘い男ではないはずだ。
今なら周囲にエリスもいない。
ルーデウスが本気で魔術を使えば、誰にも負けはすまい。問題は、人を殺すのに抵抗があるところか。ヘタに手加減をして、返り討ちに遭う可能性が高い。いや、そこまでマヌケではないだろう。
ルーデウスは心配いらないが……。
しかし、困った。
このまま子供たちを連れて町に行っても、嫌な予感しかしない。
似たようなことは何度もあった。奴隷商から子供を助け、町に連れていったら、俺が攫ったと勘違いされたのだ。今は髪は剃り、額の目も隠している。
だが、俺は口下手だ。衛兵に呼び止められれば、うまく説明できる自信がない。
いつものように町に置き去りにすれば、町の人間がなんとかしてくれるだろうか。いや、それではルーデウスに何と言われるか……。
「ニャー、お兄さん、さっきはすまなかったニャ」
悩んでいると、少女の一人が、ぱしぱしと太ももを叩いてきた。
他の子供たちも、申し訳なさそうだ。それを見ているだけで、救われた気分になる。
「構わん」
それにしても、獣神語を使うのも久しぶりだ。以前に使ったのは、さて、いつだったか。ラプラス戦役の頃に憶えてから、あまり使わなかったが……。
「セイジュー様は一族の象徴ニャから、あんな所に置き去りにしたらいかんのニャ」
「そうか。知らないこととはいえ、すまなかった」
そう言うと、少女はにこやかに笑った。
やはり、子供に怯えられないのはいい。
「む……」
と、そのとき、俺の『眼』は急速に接近する何者かの気配を捉えた。
かなり速く、力強い気配だ。建物の方から来ている。
奴らの仲間か。
かなりの手練れだ。まさか、ルーデウスを倒したのか……?
「下がっていろ」
俺は子供たちを下がらせ、槍を構えて前に出る。
先手必勝。一撃で仕留める……と、思ったが、奴は俺のリーチに入る前に足を止めた。
獣族の男で、鉈のような肉厚の剣を持っている。
彼は俺を見て警戒心を露わにし、静かに構えた。年老いてはいるが、どっしりと落ち着いた重厚な気配を感じる。戦士だ。
だが、もし先ほどの連中の仲間というのなら、殺そう。自分の種族の子供をこんな目に遭わせるなど、戦士の風上にもおけん。
「あ、じいちゃんだニャ!」
猫の少女が声を上げ、老戦士に駆け寄っていった。
「トーナ! 無事だったか!」
老戦士は飛び込んでくる彼女を受け止め、安堵の表情を作った。
それを見て、俺は槍を下ろした。
この戦士は、どうやら攫われた子供を助けに来たらしい。戦士の風上にもおけないと疑って、悪かった。誇り高き男だ。
犬の少女も知り合いらしく、駆け寄っていく。
「テルセナも無事か。よかった……」
「あっちの人が助けてくれたんです」
老戦士は剣を収めると、俺の前まできて頭を下げた。
しかし、まだ警戒はしているようだ。当然だろう。
「孫娘を助けてもらったようだな」
「ああ」
「名はなんと?」
「ルイジェルド……」
スペルディアだ。と答えようとして、躊躇した。
スペルド族と知られれば、相手は警戒する。
「ルイジェルドか。儂はギュスターヴ・デドルディア。この礼は必ず致そう。まずは子供たちを親元へ送り届けねば」
「そうだな」
「じゃが、子供たちに夜道を歩かせるのも危険だ。詳しい話も聞かせてもらいたい」
老戦士はそう言うと、すぐに町に向かって歩き出そうとした。
「待て」
「どうした?」
「建物の中は見たのか?」
「うむ。血の臭いばかりで気が滅入ったがな」
「誰もいなかったか?」
「一人残っていたぞ。子供のようなナリをした男がな。いやらしい笑みで聖獣様を撫で回していたそうだ」
ルーデウスだ、と直感的に悟った。あの男はたまにそういう笑みを浮かべる。
「あれは俺の仲間だ」
「なんと!」
「まさか、殺したのか?」
たとえ誤解でも、ルーデウスを殺されたのなら、俺は復讐を果たす。
その前に子供だけは親に送り届ける。
エリスもだ。
そうだ。今はエリスが一人か。心配だ。
「他の仲間の居場所を吐かせるべく捕らえた。すぐに身柄を解放させよう」
ルーデウスめ、油断したか。
あの男は、いつも脇が甘い。心構えだけは一流だが……。
まあ、その心構えすら三流の俺が言えたことではないか。
「ルーデウスは戦士だ。殺すつもりがないのなら、急がずともいい。まずは子供たちを優先しよう」
獣族には人族のような拷問はない。せいぜい裸に剥いて牢屋に放り込む程度だ。
ルーデウスは裸を見られることに抵抗のない男だ。先日も、「エリスが僕の水浴びを覗こうとしても止めないでいい」と、ワケのわからんことを言っていた。なら、耐えられるだろう。
それに、エリスのこともある。
ルーデウスは俺によくエリスの護衛を頼む。自分の身より、エリスを案じているのだ。ならば、俺もエリスを守るべきだろう。
「俺はゆえあって、正体を明かせん。お前が主導で子供たちの親を探してほしい」
「ふむ……了解した」
ギュスターヴは頷き、俺たちは町を目指した。
第七話 「無料アパート」
こんにちは。元ヒキニートのルーデウスです。
私は本日、いま話題の無料アパートへと来ています。
敷金礼金ゼロ。家賃ゼロ。二食昼寝付きのワンルーム。
建材は温かみのある木材、ブナっぽい何か。ちょっと日当たりが悪くて、ベッド(藁製品)に虫が涌いているのが難点ですが、それでもこのお値段は安い。
なにせ、家賃ゼロ、ですからね。
トイレは最新のツボ式。部屋の隅にあるツボに用を足し、ツボに排泄物が溜まったら、部屋の隅の穴に捨てるセルフタイプ。水道はなく、衛生面に少々難がありますが、魔術が使えれば問題ありません。特に、私のように熱湯を出せる魔術師であれば、衛生面の問題も解決と言えるでしょう。
食事は二回。
現代人には少々物足りないかもしれません。しかしながら、この食事はなかなかのもの。緑の多い土地特有の、野菜や果物。そして肉。味付けは薄く、素材の味を生かした料理は、魔大陸での生活に慣れた者なら、誰もが舌鼓を打つことでしょう。
さて、このアパートの目玉。
それはなんと言っても、安心のセキュリティ構造。
見てください、この堅牢な鉄格子。
コンと叩いてみても、グッと引っ張ってみても、ビクともしません。魔術で解錠すると開いてしまうのは難点ですが。この頼もしい鉄格子を見て、中に入りたいと思う泥棒はいないでしょう。
でも、犯罪者は入ってくるんです。
牢屋ですもん。
★ ★ ★
俺はあの後、暗い森の中を運ばれた。
ギュエスの背中で身動きせず、ただただ運ばれた。暗い森、凄まじいスピードで木々が流れていく視界の端には、銀色の毛玉がついてきていた。
まだ子犬だというのに、随分と体力があるらしい。
移動時間は二、三時間といったところだろうか。かなり長い時間、ギュエスと呼ばれた獣族の戦士は走っていた。そして、どこかに到着し、その足を止めた。
「聖獣様は家に戻っていてください」
「わふん」
銀色の毛玉は一声返事をすると、トコトコと闇へと消えていった。
目だけを動かし、周囲を探る。
木々の密集しているそこに人の気配は少ないように感じる。ただ、木の上に、チラホラと明かりが見えた。ギュエスはまたしばらく歩き、木の一つに近づいた。俺を肩に担いだまま、どこかのハシゴに手を掛け、スルスルと登っていった。
どうやら、木の上に運んでいるらしい。
建物の中に入る。誰もいない、ガランとした木造の小屋だ。
そこで、俺はギュエスに衣類を全て剥ぎ取られた。まさか、動けない俺にナニを……と、一瞬だけ思ったが、ギュエスは俺の首根っこを掴み、ポンとどこかに投げ入れた。
少し遅れて、ギィーと金属の軋む音が聞こえ、ガチャンと何かが落ちた。
そして、ギュエスはいなくなった。
何の説明もなかった。特に尋問もされなかった。
しばらくして体が動くようになり、指に火を灯して周囲を確認。堅牢な鉄格子を見て、ここが牢屋であることがわかった。
俺は牢屋にぶちこまれたのだ。
それはいい。それは話の流れから理解できていた。
俺は密輸人と間違われたのだ。だから、慌てることはない。誤解はすぐにでも解けるだろう。
しかし、なぜ衣服を全て剥がされたのだろうか。そういえば、あの小屋の子供たちも全裸だった。
そういう文化なのだろうか。
獣族は全裸にされると屈辱とかあるんだろうか……いや、全裸にして恥ずかしいのは獣族に限らないか。古来より、捕虜は裸にして心を折れと言われている。
ここはファンタジックな世界だが、俺の愛読書でも、捕虜になった女騎士が全裸に剥かれていた。
どこの世界でも共通なのだ。
「……さて」
暗がりの中、俺は考える。
とりあえず、明日にでも話を聞いてもらおう。もし、仮にそこで納得してもらえずとも、問題ない。あの後、どうやら老戦士はルイジェルドを追っていったらしい。
となれば、子供たちと鉢合わせになるはずだ。ルイジェルドは誤解されやすいが、子供を助けに来た戦士と敵対するようなことはないはずだ。
子供たちは無事に助かり、俺が密輸人だという誤解も解ける。密輸人ではないが、密輸人に協力しているという複雑な立場は、この場合は言わなくてもいいだろう。ルイジェルドも別に連中の仲間になったつもりはないだろうし、都合の悪いことは言うまい。
ひとまず、俺の身は安全だ。
老戦士も、自分が戻るまで手を出すなと言っていた。
だから安全だ。多分、触手をけしかけられたりすることなんてない……よね?
だが、ガルスの言っていた意味は、少しばかり理解できた。確かにこんな感じになるなら、禍根が残ったりもするだろう。
★ ★ ★
そんなことを考えて、丸一日が経過した。時間が経つのは早いものだ。
牢屋にぶちこまれた次の日の朝、見張り番の人が現れた。
女性だった。戦士風の格好をしていたが、ギレーヌよりもスラッとしていた。
ただし胸はでかい。
俺は彼女に「冤罪です、僕は何もやっていない」と主張した。密輸組織とは関係なく、偶然あの建物に子供たちが捕まってることを知り、義憤にかられて子供たちを助けたのだと説明した。
しかし、見張り番の女は聞く耳を持ってくれなかった。
桶一杯の水を持ってくると、騒ぐ俺にぶっかけた。
冷水だった。彼女は濡れネズミになった俺を、ゴミを見るような目で見下ろして、言った。
「変態が……!」
ブルっときた。
全裸に剥いて、こんな綺麗な獣耳のお姉さんに視姦させ、あまつさえ冷水をぶっかけて、言葉責めまで付いてくるとは。
これは心が折れる。
こいつらは老戦士の言いつけを守るつもりなんかないのだ。
俺はどうなってしまうのだろうか……。
くっ、神よ、俺を守りたまえ……いや、人神は引っ込んでいていいよ。
「ぶぇっくしょん!」
冗談はさておき、何か着るものが欲しい。
この格好はフリーダムすぎて人としての常識を忘れそうだ。
とりあえず、風邪を引く前に火魔術『バーニングプレイス』で体を温めておいた。
二日目。
ルイジェルドが助けに来てくれない。
二日も全裸のままだと、不安が鎌首をもたげてくる。
ルイジェルドに何かあったのだろうか。あの老戦士と戦いになってしまったのだろうか。それとも、ガルスとのことがこじれたのだろうか。
あるいは、エリスの身に何かあって、それの対処に追われているのか。
不安だ。実に不安だ。
なので、脱走を検討してみる。
昼下がり、飯の後、俺は静かに魔術を使った。風と火をミックスさせた、温風の魔術である。これで部屋全体をポカポカと暖かくする。見張りの巨乳さんは、次第にうとうととし始め、クークーと眠り始めた。
チョロい。
俺は鉄格子を解錠し、他に人がいないことを確認しつつ、建物から出てみる。
「おぉ……」
そこには、幻想的な風景が広がっていた。
木の上に集落があった。建物は全て木の上にあり、木々には足場が組まれている。木と木は橋のようなもので繋がっており、下に降りなくても村中を行き来できるようになっている。
地面には特に何もない。簡素な小屋や畑の跡のようなものが見えているが、使われてはいないようだ。地上では生活しないのだろうか。
人はそれほど多くなかった。木の上の足場を、チラホラと獣族っぽい人たちが歩いているのが見える。木の上の橋を通れば下から丸見えで、下を通れば上から丸見え。
そして俺は、あらゆる意味で丸見え。
見つからずに逃げることは難しいだろう。もっとも、見つかったところで、逃げることはできる。後先を考えないのなら、どこか手頃な木に火でもつけ、その混乱に乗じて、森へと飛び込めばいい。
しかし、森だ。道がわからない。
ギュエスはかなりの速度で長時間、走っていた。町まではかなりの距離がある。
俺が全力で走ったとしても、直線距離にして、六時間といったところか。迷うのがオチだ。
魔術で土の塔を作り出し、高い位置から位置を確認する、という手もある。
だが、そんな目立つことをしていれば、すぐにギュエスが追ってくるだろう。
奴が使った魔術の正体もわからない。対策も取らずに戦えば、また負けるかもしれない。
そして、次は逃げられないように足とか斬られるかもしれない。もう少し、状況の変化を待った方がいいかもしれない。
まだ二日だ。
老戦士も、まだ戻ってきていない。ルイジェルドたちと、子供の親を探しているのかもしれない。
焦ることはない。俺はそう判断し、牢屋の中へと戻った。
三日目。
門番さんの持ってくる飯がうまい。
さすが自然の多い所だと違うな。魔大陸とは段違いだ。
基本的は野草のスープと、クズ肉っぽい何かの固め焼きって感じだが、どちらもうまい。
魔大陸での食事に慣れたせいだろうか。牢屋にいる相手への食事でこれだ、きっとここの集落の連中はよほどうまいものを食っているに違いない。
一応褒めてみると、門番さんは尻尾を振っておかわりを持ってきてくれた。反応を見るに、この人が作ってくれているのかもしれない。相変わらず口はきいてくれないが。
四日目。
暇だ。することがない。
魔術を使って何かをしてもいいが、あまり目立つようにやると、猿轡とか手錠とか付けられそうだ。付けられたところでどうってことはないが、わざわざ自分から不自由になることをすべきではない。
五日目。
ルームメイトができた。
そいつは獣族の屈強な男に両脇を抱えられて、蹴り転がされるようにして牢に叩きこまれた。
「ちくしょう! もっと丁寧に扱いやがれ!」
獣族は喚く男を無視し、外へと出ていった。
男は打ち付けた尻を「イテテ」と撫でながらゆっくりと振り返った。
俺は涅槃仏のポーズで、彼を出迎えた。
「ようこそ。人生の終着点へ」
もちろん全裸である。
男はギョっとした顔で俺を見ていた。
冒険者風の男。全体的に黒っぽい服装で、関節各所だけ皮のプロテクターをつけている。当然ながら、武器の類は持っていない。もみあげが長く、ル○ンみたいなサル顔だ。もっとも、サル顔というのは比喩ではない。彼は魔族なのだ。
「どうした? 新入り。何か不思議なことでもあるのか?」
「い、いや、なんていうか」
男は狼狽した顔で、俺を見ていた。
恥ずかしいじゃないか、そんなに見つめるなよ。
「……裸なのに、随分偉そうなんだな?」
「おい新入り、口の聞き方に気をつけろよ。俺はここに来てお前より長い。つまり牢名主で、先輩だ。敬えよ」
「お、おう」
「返事はハイだろうが」
「はい」
なんで俺は初対面相手にこんなに偉そうにしているんだろうか。もちろん暇だからだ。
「残念ながら座布団はない、そこらへんに適当に座れ」
「は、はい……」
「で、新入り。お前はなんでブチ込まれたんだ?」
ぞんざいな口調で聞いてみる。新入りは年下に生意気な口をきかれて怒るかとおもいきや、唖然とした顔で、俺の問いに答えてくれた。
「や、イカサマがバレてよ」
「ほう、ギャンブルか。ジャンケンかね? 鉄骨渡りかね?」
「なんだそりゃ。サイコロだよ」
「サイコロか」
きっと、四・五・六しか出ないサイコロを使ったんだろう。
「つまらん罪で捕まったもんだな」
「そっちの罪は?」
「見てわかるだろ? 公然わいせつ罪だよ」
「なんだそりゃ」
「裸で銀色の子犬を抱きしめたら、ここにブチ込まれたのさ」
「あ、噂になってたぜ。ドルディアの聖獣が性獣に襲われたって」
うまいことを言う奴がいるようだ。
もっとも、それは冤罪だ。こいつに主張したところでしょうがないがね。
「愛らしい生き物への獣性……新入り、お前も男ならわかるだろ?」
「わかんねえよ」
男の俺を見る目が、得体のしれないものを見る目に変わった。いや変わってない、最初からだ。
「で、新入り、名前は?」
「ギースだ」
「軍人か? メンコの数は?」
「軍人? いや、冒険者だ、一応な。結構長えよ」
ギース。
はて、どこかで聞いたことがあるような気がする。どこだったか。思い出せない。
似たような名前は多そうだから、俺の知っているギースとは別人だろう。
「俺はルーデウスだ。お前より年下だが、ここでは先輩だ」
「へいへい」
ギースは肩をすくめながら、ごろんとその場に横になり、ふと、顔を上げた。
「ん? ルーデウス。どっかで聞いたことあるな」
「どこにでもある名前だろうが」
「ハッ、ちげえねえ」
涅槃仏が向かいあわせになった。
もっとも、片方は全裸だ。
おかしな話じゃなかろうか。なぜこの牢屋で最も偉い俺様が裸で、新入りが服を着ているんだ?
おかしな話だ。間違いなくおかしい。
「おい新入り」
「なんだよ先輩」
「そのベスト、暖かそうだな。くれよ」
「はぁ……?」
ギースは露骨に嫌そうな顔をして、
「ほらよ」
と、毛皮のベストを脱いで放ってくれた。意外と面倒見のいい人なのかもしれない。
「あ、どうもありがとうございます」
「礼は言えるんだな」
「そりゃもう。何日もフリーダムスタイルでしたからね。久しぶりに人として復活した気分ですよ」
「敬語はやめろよ、先輩」
かくして、俺は江戸時代の鼻たれ小僧のような格好になった。
見張り番の人がムッとした顔をしていたが、特に何も言われなかった。
「このベストから、新入りのぬくもりを感じるなり……」
「おい、お前もしかして、男もイケるとかいうんじゃねえだろうな」
「そんなまさか。女の子なら下は十二、上は四十までイケますけど。男は女の子みたいな顔をしてないと無理ですよ」
「女みてえな顔してりゃいけるのか……」
ギースは信じられないという顔をしていた。でも、こいつだってきっと、好みの女がエクスカリバーを引き抜いたアーサーだったらマーリンになるのさ。
性的な意味でな。
「ところで新入り。少し聞きたいことがある」
「なんだよ」
「ここはどこ?」
「大森林、ドルディア族の村の牢屋だ」
「あたしはだれ?」
「ルーデウス、犬コロに手を出す全裸の変態だ」
もう全裸じゃないんだがね。
あと、冤罪だよ。俺は変態じゃない。
「で、そのドルディア族の村で、魔族のお前がなんでギャンブルに精を出してたわけ?」
「ああん。昔の知り合いがドルディア族だったから、もしかすっといるかと思って訪ねたんだよ」
「いたのか?」
「いなかったよ」
「いなかったけど、ギャンブルしちゃう? イカサマやっちゃう?」
「バレねえと思ったんだがなあ」
ダメだこいつ……でも、役に立つかもしれないな。
「新入り。お前、イカサマ以外に何ができるんだ?」
「なんでもできるさ」
「ほう、例えば、ドラゴンを素手でぶちのめすとか?」
「いや、そういうのは無理だ。俺は喧嘩は弱ぇんだ」
「例えば、百人の女を同時に相手取るとか?」
「一人だけで十分だな、多くても二人だ」
最後に、声を潜めて、見張り番の人に聞こえないように、ぽつりと言う。
「例えば、ここから逃げ出して町までたどり着けるとか?」
言うと、ギースは身体を起こし、ふと見張り番を見てから、頭をボリボリと掻いた。
そして、顔を寄せて、ひそひそとささやいた。
「お前、逃げるつもりか?」
「仲間が来てくれないので」
「ああ……そりゃなんつうか、残念だったな」
おいやめろ。
その言い方だと、まるで見捨てられたみたいじゃねえか。ルイジェルドは俺を見捨てたりなんかしないやい。きっと今頃、迷子の子供たちの親を探して右往左往してるんだい。それか、何か問題が起きて困ってるんだい。
俺の助けを待ってるんだい。
「一人で逃げろよ。俺は関係ねえ」
「最寄りの町まで道がわからないんだよ」
「どうやってここまで来たんだよ」
「密輸人に捕まっていた子供を助けて」
「助けて?」
「ついでに繋がれていた子犬の首輪を外してたら、いきなり獣族の男がやってきて叫び声を上げられて、動けなくなったところを捕らえられました」
ギースは、よくわからんという顔をして頭を掻いた。
ちょっと説明不足だったかもしれない。
「あー、ってーと、あれか、冤罪か?」
「冤罪だ」
「なるほど。そりゃ、逃げたいよなあ」
「ですとも、ぜひ、お力を」
「やなこった。逃げたきゃ一人で逃げろよ」
そう言われても、道がわからないんだよなぁ。
ルイジェルドを助けに行って、森で迷って迷子とか、笑えない冗談だ。
「ま、冤罪なら大丈夫だろ。わかってくれるさ」
「そうだといいけどね」
俺が思うに、あのギュエスってのは人の話を聞かないタイプだ。
けど、俺が子供を助けたのも事実。子供が戻ってくれば、自ずと俺の冤罪も晴れる。
「じゃあ、もう少し待つか」
「そうしろそうしろ。逃げたってロクなことはねえよ」
ギースはそう言って、またゴロンと寝転がった。
こいつがそう言うなら、もう少し待つか。
幸い、俺の方にはまだ余裕がある。いざとなれば、このへん一帯を火の海にすれば、逃げ切れないこともない。ドルディア族には悪いが、冤罪で捕まえたのは向こうだ、お互いさまだ。
まあ、それにしては遅いんだよな……子供の親を探すのに手間取っているだけだと思うが。
六日目。
このアパートは実に住み心地がいい。
飯は出てくるし、空調は完備(ただし人力)だし、ちょっとすることがないと思っていたが、話し相手もできた。
寝床は虫だらけだったが、現在は温風の魔術で綺麗に殺虫済み。トイレだけは相変わらずアレだが、俺の排泄物を獣耳のお姉さんが処理してくれていると考えれば、興奮の一つもするところだ。
しかし、やはり不安はある。
情報が入ってこないというのは、実に不安だ。
捕らえられて、もうすぐ一週間だ。さすがに遅すぎるのではないだろうか。
何かトラブルがあったと考えるのが普通だろう。ルイジェルドが解決できないようなトラブル。俺が行って何の助けになるかわからない。
もう手遅れかもしれない。けど、行かないわけにもいかない。
明日。
いや、明後日だ。明後日まで待とう。
明後日になったら、この村を焼け野原に……するのは、ちと申し訳ないので、見張りの人を人質にとって、逃げよう。
七日目。
今日で牢屋生活は最後だ。
俺は心の奥底であれこれと計画を練りつつ、しかし表面上はのんべんだらりと食っちゃ寝している。いかんな、生前のニート気質が出てしまった。明日からは気合いれていこう。
「そういや新入り」
俺はいつも通りの山賊スタイルで横になりつつ、ギースに尋ねた。
「なんだよ」
「この村の牢屋って、ここだけなのか?」
「なんでそんなことを聞く」
「いや、普通は牢屋に意味もなく二人もぶちこんだりしないだろ?」
「この牢屋は、普段は使われてねえのよ。普通の犯罪者は、ザントポートに送られるからな」
犯罪者はザントポートへ。
この牢屋に入れられるのは、ドルディア族にとって特殊な犯罪者だけってことか。俺は密輸人と間違えられ、しかも聖獣様を獣姦しようとしたという冤罪までついている。聖獣というぐらいだから、きっとこの村にとって特別な存在なのだろう。まさに特別な犯罪者だ。
でもまてよ。
「じゃあ、なんでお前はこの牢屋に入れられたんだ? イカサマで捕まったんだろ?」
「知らねえよ。村内での小さな出来事だからだろ?」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
ちょっと違和感を覚えつつ。
俺はポリポリと脇を掻いた。そして、ボリボリと腹を掻く。
ついでに背中もボリボリ。なんか痒いな。
そう思って、地面を見ると、ピョンと。一匹のノミが飛び跳ねていた。
「うおおぉぉ! このベスト、虫が涌いてんじゃねえか!」
「ん? おお、随分洗ってないからな」
「洗えよなぁ!」
俺はベストを脱ぎ捨てた。
バサバサと振ると、ボロボロと虫が落ちてきた。すぐに熱風で死滅させる。ゴミムシどもが……。
「おー、この間から見てて思ったけど、それすげえな。どうやってんだ」
「無詠唱で魔術使ってんだよ」
「……へえ。無詠唱。そりゃすげえな」
ああ、虫に集られたと思うと、無性に全身が痒くなってきた。
とりあえず、刺された場所を一つずつヒーリング。
しかし、背中が。地肌にそのまま着ていたせいでむっちゃ刺されてるっぽい。背中が。
手が届かない。うおお。
「おい新入り」
「なんだ」
「こっちにきて背中を掻け、痒くてかなわん」
「へいへい」
俺があぐらを掻いて座ると、ギースが後ろに来た。
ボリボリと掻いてくれる。
「ああ、そこ、そこだ。いいなお前、才能あるよ」
「言ったろ? なんだってできるのよ。なんだったら、肩でも揉んでやるよ」
そう言いながら、ギースは俺の肩に手を、やばい、こいつ手馴れてる。
思わず、背筋がピンとなる。
「おお、うまいなお前、気持ちいいぜ、ああ、次はもっと下の方だ、んふー、そこそこ……ん?」
その時、ふと違和感があった。
なんだろう……なんか、いつもと違う。
「……なぁ、新入り」
「んだ、もっと下か? 尻も掻いてほしいのか?」
「いや、なんかおかしくねえか?」
「先輩の頭がか?」
「そりゃ置いとけよ」
失礼な奴だな。
「そういや……見張りのねーちゃんが来ねえな」
おお、そうだ。
いつもだったら、この時間は昼飯時のはずだ。美味しい美味しいご飯を食べて、ごちそうさまでしたと手を合わせてる時間だ。いや、時計もないので、時間が間違っている可能性もあるが。でも、腹の空き具合からすると、もう昼飯時であるはずだ。
「あと、なんだか外が騒がしいな」
「そうか?」
耳を澄ませてみると、確かに遠くの方から喧騒が聞こえてくる気がする。
でも、気のせいな気もする。
「それと、ちょっと暑いな」
「確かに、言われてみると、ちょっと今日は暑いな……」
「あと、なんか煙たくねえか?」
「……言われてみると」
確かに煙たい、うっすらと灰色の煙が周囲を漂っている。
煙は、明かり取り用の窓と、入り口から流れてきているようだ。
「おい新入り、ちょっと肩貸せよ」
「しょうがねえな、ほらよ」
俺はギースに肩車してもらい、やや高い位置にある明かり取り用の窓から、外を覗いた。
森が燃えていた。
第八話 「火急」
「火事だ!」
俺は叫びつつ、すぐさまギースの肩から飛び降りた。
「ぬえぇっ! ちょいまてこらぁ!」
ギースは明かり取り用の窓に飛びつき、外を見た。
「本当じゃねえか! ど、どうすんだよ先輩!」
なんてこった、明日にでもここを出ようと思っていたのに、このままでは蒸し焼きだ。
「出るに決まってんだろ! そして、この混乱に乗じて逃げる!」
「でもどうやって出る!? 扉には鍵が掛かってんだぞ!?」
「大丈夫だ、問題ない!」
俺は扉に張り付き、懐に隠しておいた鍵を使い扉を開けた。
「おおぉ!? いつのまに鍵なんて盗んでやがったんだ?」
「こんなこともあろうかと、最初に脱走を企てようとした時に、ちょっとな!」
「なるほど、火事場泥棒ってやつか!」
失礼な、盗んでないぞ。ちょっと型を取って複製しただけだ。
ともあれ錠に鍵を突っ込み、ガチャッと回してピンと解錠。
さぁ、脱獄チャレンジだ。
「よし、行くぞ!」
「おうっ!」
入り口の扉を開けると、熱風が頬を叩いた。
ゴウゴウと燃え盛る炎が、森を焼きつくさんばかりの勢いで暴力的に躍っている。
木の上にある家々まで炎で焼け落ちようとしている。
「……こりゃひでぇ」
ギースの呟きに、まったくだと頷く。
どこの誰が寝タバコをしたのかわからないが、森の中は火気厳禁だろうに。
もっとも、そのお陰で逃げられるのだから、よしとしよう。
「よし、新入り、ザントポートはどっちだ?」
「はぁ!? わかるわけねえだろ!」
サルは振り返りつつ、大声を張り上げた。
「なんでわかんねえんだよ! お前、道はわかるって言ったろ!?」
「こんな炎に囲まれた状態で道がわかるわけねえだろ!」
む、言われてみると確かにそうか。
黒煙と真っ赤な炎の中で正確な方角がわかったら、「煙に巻かれる」なんて言葉は誕生しない。
しかし、じゃあどうする。
火を消すか?
いや、これから火にまぎれて逃げようってのに、火が消えたら、すぐに見つかってしまう。
それどころか、放火犯と間違われる可能性だってある。
なら、火の範囲の外まで一旦出てから、そこで改めて道を探す、というのはどうだろうか。
……まて、そもそも、火を消さずに逃げることはできるのか?
「どうすんだ!? 逃げ場がなくなっちまうぞ!」
そもそも、この火事の規模はどれぐらいなんだ?
逃げても逃げても火の包囲を抜けられない可能性もある。
「おい、先輩! 見ろ!」
ギースが指さした。
指さす先には、一人の子供がいた。猫の耳をした小さな子供だ。煙を吸い込んでしまったのか、眼をこすり、咳き込みながら、よろよろとこちらに向かって移動してくる。
そこに、枝葉を真っ赤に燃え上がらせた木が、メシメシと倒れ込もうとしている。
子供はそれに気づき木を見上げるが、突然の出来事に呆然としていた。
「危ない!」
俺は咄嗟に叫び、木を風魔術で弾き飛ばした。
子供は眼をしょぼつかせながらも、俺たちの姿を見つけたのか、こちらへとやってくる。
「た……た、助けて……」
俺はその子を抱きとめつつ、水魔術で眼のあたりを洗ってやった。体中に軽度の火傷があったので、治癒魔術も掛けておく、こういう時、どういう処置をすればいいのかわからないが、ひとまずこれでいいと思いたい。
それにしても、こんな小さな子供が逃げ遅れているのか。
「もしかして、避難が済んでないのか?」
「その可能性はあるだろうな、雨期に入ろうって時期に火事ってのも、珍しいし……うおぁ!?」
また木が倒れた。
上にあった小屋が砕け散り、火の粉を散らした。
消火活動が進んでいるようには見えない、このままここでグズグズしていると、俺の身も危険だ。
しかし、子供を置いて逃げるわけにもいかない。
「よし……」
決めた。
「新入り、村の中心はわかるか!?」
「それならわかる……けど、どうすんだ!?」
「恩を売る!」
そう言うと、ギースはニヤリと笑って子供を抱え上げ、駈け出した。
「っしゃ、こっちだ、ついてきな!」
俺は彼に従……おうとして、ふと自分の衣類のことを思い出した。
もしかすると、あの牢屋のどこかに隠されているかもしれない。
「……」
俺は手早く水魔術を使い、牢屋を氷の塊に包み込み、ギースを追いかけた。
村の中心は、まだ火の手が回っていなかった。
だが、予想したものとは少々違った。
逃げ惑う獣族の人々。彼らはパニック状態で、悲鳴や叫び声を上げながら右往左往している。
ここまではいい。
なぜか戦士風の姿をした人族がそれを追い掛け回しているのだ。
遠くの方では、人族と獣族の戦士らしき者が戦っているのも見える。さらに視界の端では、屈強な男が子供を小脇にかかえて、どこかへと連れ去ろうとしているのも見えた。
なんだこれ。どうなってんだ。
「はぁん、なんかおかしいと思ったら……」
「新入り、この状況がわかるのか?」
「見ての通りだろ。連中が獣族を襲ってんだよ」
なるほど。言われてみると見たまんま、その通りじゃないか。
「恐らく、火をつけたのも、奴らの仕業だろうな」
火をつけて襲撃。まるで山賊だな。酷い奴らもいるものだ。
だがまぁ、獣族の連中だって、無実の罪で俺を投獄し、一週間も不自由な生活を送らせたのだ。
人を呪わば穴二つ、ってやつだ。
「しかし……これは……やりすぎじゃないのか」
男に連れ去られる女。
泣き叫び、母の名を叫ぶ子供に、追いすがろうとして斬られる母親。戦士らしき者がそれを阻止せんとするが、いかんせん人族の方が数が多いのか、煙で眼と鼻をやられているのか、うまく動けず、数名に囲まれ、苦戦を余儀なくされている。
酷いな、こりゃ、酷い。
「……で、先輩」
「何だよ」
「どっちに恩を売るんだ?」
どちらにと聞かれ、俺は改めて現場を見た。
獣族の戦士は、また一人倒された。その後ろにあった建物に男たちが押し入り、中から子供の髪を掴んで引きずり出している。
どっちが正義かなんて、見ればわかる。
だが、俺にとっての悪はどっちだ。
人族の連中が何者かはわからないが……まあ、子供を攫っているところを見ると、奴隷商人か、密輸人の関係だろう。彼らには、一応の恩がある。ルイジェルドを運んでもらった。まあ、それは仕事をして、拠点の人間を皆殺しにしたから相殺するとして、立場はイーブンだ。
対する獣族は、俺を冤罪で牢屋に閉じ込めた。俺の言い分は聞かず、裸に剥いて冷水をぶっかけて、放置した。
感情的な面では、獣族に対するイメージは悪い。
けれど。けれどこの光景は……あまりにも胸糞悪い。
「獣族に決まってるだろ」
「ハハッ! そうこなくっちゃな!」
ギースはそう言うと、近くの死体から剣を取り、構えた。
「っしゃ、前衛は任せな、俺は剣術はからっきしだが、壁ぐらいにゃなれらぁ」
「ああ、ちゃんと守ってくれよ」
俺はそう言って、両手を空へと向けた。
まずは、火を消そう。使う魔術は上級水魔術『大雨』だ。
右手で魔力を込めて、空に灰色の雲を作り出す。
威力も範囲も大きめ。どの程度の範囲に火事が広がっているかはわからないが、できる限り大きくすれば、だいたい消えるだろう。雨の勢いも強くしよう。大きく、土砂降りに。
キュムロニンバスで覚えた雲の操作。魔力を塊のように抑えこみつつ雲にし、しかし雨となって落ちないように、ふくらませる。
両手を上げる俺には、誰も気づいていない。
そして、黒煙のせいで、空に広がる雲にも。
「よし」
雲を十分に大きくした時点で、俺は魔力を解放した。
「うおっ……」
滝のような雨に、ギースが思わず空を見上げた。
雨はその場にいる全員に叩きつけるように降り注ぎ、一瞬にして周囲を水浸しにした。遠くの方でシュウシュウと火が鎮火していく。
人々は空を見上げ、何人かは唐突の降雨に疑問を持ち、両手を上げた俺の存在に気づいた。
近くの人族が、剣を抜きつつ、こちらに走りこんでくる。
「お、おい、どうすんだ先輩、来てるぞ!」
「『泥沼』」
彼らの足元に泥の沼を発生させた。
唐突に足場を失った彼らはバランスを崩して倒れる。
「『岩砲弾』」
そこにすかさず岩砲弾を叩き込み、昏倒させた。簡単だ。
こいつらは大した相手ではないな。
「おぉ……すげぇな先輩」
ギースの賞賛を聞き流しつつ、前へと進む。人族はそこかしこにいて、それに片っ端から岩砲弾をぶち込んでいく。
このままゆっくりと進撃しつつ、攫われた子供たちを取り戻そう。
こういう時、エリスとルイジェルドがいればもっとスピードのある展開で追いかけられるんだが、俺一人なら慎重にならざるを得ない……いや、一応ギースがいるか。かなりのへっぴり腰で、役に立ちそうもないが。
「おい、魔術師がいるぞ! 火が消された!」
「くそっ! なんでだ!」
「殺せ! 数で掛かって魔術を使わせるな!」
と、思ったら人族の戦士が続々とこちらに向かってきはじめた。
「岩砲弾」
手を向けて、岩砲弾を叩き込む。
一人、二人、三人……やばい、意外と統率が取れてる上、数が多すぎる。
「ち、畜生! 来るなら来やがれってんだ! 先輩にゃ指一本触れさせねえぞ!」
ギースは勇ましく叫んでいるが、体は段々と横の方へ逃げていってる。使えない。
どうする、俺も下がるか。
そう思った時、俺の前に、茶色い影が飛び込んできた。
『誰かは知らんが、助太刀、感謝する!』
獣神語だった。
ふさふさの尻尾を持つ犬系の獣人は、抜き身の剣で、近づいてくる男を斬り払った。
一刀両断。男は一撃で首を斬り飛ばされた。
『さっきの雨で顔を洗えた、鼻がきけば、お前らごときに後れは取らん!』
おお、カッコイイ。
その言葉通り、目に映る範囲で、獣族の剣士が盛り返し始めている。
『小さな魔術師! 戦士を集めて子供たちを取り戻す、加勢してくれ!』
『了解!』
獣族の剣士は俺が獣神語で答えたのに若干驚きつつ、大きく頷いて遠吠えをした。
何人かが木の上から、あるいは茂みの中から飛び出してきた。目の前の敵を倒し、四つん這いでこちらに駆けてくるものもいた。
全員、傷だらけだが戦意は失っていない。
『ギュンター、ギルバドは俺と来い、この魔術師と共に子供を助ける。他はこの場を守れ』
『ウォゥ!』
全員が頷き、散開した。
俺も最初の剣士を見失わぬようにダッシュ。ギースも後ろからついてきている。
剣士たちは時折くんくんと鼻を鳴らしつつ、ほとんど迷うことなく一直線に向かって走っていく。
途中、人族がいれば即座に斬り捨てた。
と、そこでキャインと犬の悲鳴のような声が聞こえた。
見ると、一人の獣族が、三人の人族相手に追い詰められていた。
人族はネズミをいたぶるネコのように、三対一を楽しんでいた。要するに隙だらけだ。
俺は即座に岩砲弾を放ち、一人を昏倒。
俺の隣を走っていた奴がもう一人に襲いかかり、唐突に味方を殺されて焦った最後の一人は、戦っていた獣族に斬られた。
『ラクラーナ! 無事か!』
『は、はい! 戦士ギンバル! 助かった!』
追い詰められていたのは、女だった。女剣士だ。
彼女は戦いのせいか傷だらけだ。俺は彼女に近づき、治癒魔術をかけようとして、ふとその顔に見覚えがあって立ち止まった。
彼女もまた俺の顔を見てギョっとしていた。
『ギンバル! こいつは!』
『敵ではない。先ほどの雨はこいつのお陰だ。おかしな格好の奴だが、味方をしてくれている』
『えっ?』
彼女が首をかしげる理由は、俺が毛皮のベスト一枚を身につけた半裸だからではない。
俺は彼女のことは知っている。名前は今知ったばかりだが、その胸の大きさと、料理の腕前はよくご存知だ。
彼女は、俺とギースの牢屋の門番だった人物だ。
彼女は俺とギンバルを見比べ、次第に青ざめていく。
きっと、心の中では、俺にした仕打ちを思い出して、猛省してくれているのだろう。
いいさ、俺は別に恨んじゃいない。人はちょっとした勘違いで間違うものだからね。
菩薩・DE・ルーデウスさ。
というわけで、ちょいと治癒魔術を掛けさせていただきますよっと。
『……』
ラクラーナと言われた門番は、複雑そうな表情で俺の治癒魔術を受けていた。
謝ろうか、どうしようか、そんな顔だ。
しかし、治癒魔術が終わる前に、ギンバルが叫んだ。
『ラクラーナ、お前は聖獣様の護衛に戻れ!』
『わ、わかった……!』
彼女はお礼は言わなかった。
ギンバルより指示を受けて、何か言いたそうな顔で逃げるように何処かへと走っていった。
追撃を続ける。
村を抜けて、森に入る。
途中、俺は足が遅いということで、戦士の一人に背負われていた。背中から岩砲弾
ストーンキャノン
を発射するマシーンとなったのだ。
肩装備:ルーデウス、だ。
この装備は敵を見つけると、予見眼で偏差射撃をしつつ自動的に敵を倒してくれる。
ただ、その威力は昏倒させるだけなので、トドメを刺す必要があるが、そのぐらいの手間はやってもらわないとな。
「あれで最後だ!」
最後の一人は俺たちに追いつかれた時点で、足を止め、荷物を下ろして剣を抜いた。
荷物であった少年はすでに顔にずだ袋を被せられ、後ろ手に手錠をはめられている。また、気絶しているのか、ぐったりとしている。
最後の一人は跪き……子供の首筋に、剣を押し当てた。
人質か。
「グルルルル……」
キンバルたちは構えた剣士に対して距離を取ったまま、唸り声を上げてそいつを包囲した。
そいつは余裕ありげな顔をしつつ周囲を見回し、俺と目が合った。
「……飼主、なんでてめぇがここにいる?」
その髭面の男にも見覚えがあった。
ガルスだ。ルイジェルドを密輸してくれて、仕事を頼んできた、密輸組織の人間だ。
「まぁ、色々ありましてね……ガルスさんこそ、なんでこんな所に?」
「なんで? ハッ、元々そういう予定だったからだよ」
ギンバルたちが「知り合いか?」「仲間か?」という視線を向けてくる。
うぅむ……あんまり話したくないが、しかし黙っているわけにもいかない。
「元々そういう予定とは?」
ガルスはペッとつばを吐いた。
「お前に言う必要はねえだろ」
まあ、そうだね。でも、おかしいじゃないか。
「あんたは僕たちに依頼して、獣族の子供たちを助けだしてくれるようにと頼んだ。禍根が残るからって。それを、こうしてまた誘拐するなんて……どういう了見ですかね?」
ガルスはヘッと笑い、周囲を見る。
獣族の剣士三人と、俺、そしてギースに囲まれて、まだなお余裕の表情だ。
ていうか、ギースついてこれてたんだな。
「ああ、ガキならまだしも『ドルディアの聖獣』まで攫ったら、禍根が残る」
どうやら、あの犬コロがまずかったらしい。
じゃあ、最初からそう言っといてほしいもんだな。
犬を解放しろってさ。
「いい案だと思ったんだがなぁ、タイミングよくドルディアの戦士団に情報を流して、お前たちと鉢合わせる。スペルド族が戦士団を殺している間に、俺たちは集落を強襲してガキを奪う」
「……」
「ドルディアの戦士団が集落の襲撃に気づいた時には、もう手遅れだ。雨期で身動きが取れなくなり、追跡もできずに泣き寝入りするしかねえ」
この土地には雨期がある。
雨期の間は、ほとんど村から出られなくなる。
それにタイミングを合わせることで、追手を振り切ろうって考えだったんだろう。
「ずいぶんと、回りくどいやり方をするんですね」
「言ったろ、一枚岩じゃねえんだ。仲間の足は引っ張らねえとな」
わかりやすいことだ。
仲間の奴隷は解放し、自分の奴隷は売る。
自分には大金が入り、仲間には一銭も入らない。
自分の地位は上がり、仲間は失敗で地位を下げる。
回りくどいことをしたおかげで、いいコトずくめだ。
「知ってるか『飼主』。ドルディア族のガキってのは、やたらと高く売れるんだ。アスラ王国に獣族が好きっていう変態貴族がいてな、その一族が高値で買うんだよ」
ええ。多分その一族とは知り合いです。
「予定とはちょいと違ったが、スペルド族がドルディアの戦士団をザントポートに釘付けにしてくれた。なのに、なーんでお前だけここにいるんだ?」
「ヘマしましてね、捕まってたんですよ」
「そうかよ、じゃあ、こっちに付いてくれねえか?」
その言葉に、ギンバルたちの目がこちらを向いた。
彼らは一応、人間語がわかるらしく、警戒のこもった目で俺を見ている。
そんな目で見ないでほしいな。
「ガルスさん……悪いけど、子供を助ける時の俺は『スペルド族のルイジェルド』なんだよ。そしてルイジェルドは、子供を奴隷にして売り払う奴を許さない」
「ハッ、デッドエンドが正義漢気取りかよ」
「そう見られたいもんでね」
交渉決裂だ。ガルスは子供の首に剣を押し当てたまま、立ち上がった。
包囲しようとするギンバルたちを見回して、ククッと笑う。
「そうか……『飼主』お前、選択を誤ったぜ?」
だから、今の俺はルイジェルドだってーの。
と、そこでギンバルの仲間の二人が、ガルスの背後から猫のように静かに腰を沈めた。
「……五人じゃ俺には勝てねえよ」
三人が飛びかかったのは、ほぼ同時だった。
右後方からギンバルの戦士Aが斬りかかり、左後方から戦士Bが子供を救い出そうと飛びついた。ギンバルは時間差で正面からガルスへと攻めた。
俊敏な獣のように飛びつく三人に対し、ガルスの動きは緩慢とも言えるようなものだった。
まず、子供をギンバルの方へと放った。
ギンバルは飛んできた子供を受け止め、目標を失った戦士Bが一瞬たたらを踏む。
その間、子供を放った反動で後ろを向いたガルスは、戦士Aを屠っていた。
どこにでもありそうな長剣で仲間Aの剣を受け流し、その胸を貫いていた。
間髪いれず剣を引きぬきつつ、たたらを踏んだ戦士Bへ背中から体当たりをして、密着をした。
戦士Bとギンバルの位置はガルスに対して直線上に並んでおり、ギンバルは子供を抱えてしまっており、動けない。その一瞬の間に、ガルスはいつのまにやら左手に握った短剣で戦士Bの胸を深々と刺し貫いていた。
ガルスはさらに、戦士Bの体を盾にするように、ギンバルへと突っ込んだ。
ギンバルは子供を小脇に抱えたまま、それを迎え撃とうとした。
だが、すでに遅い。ガルスは盾の足の隙間から剣を繰り出し、ギンバルの足を貫いていた。
ギンバルが子供を取り落としつつ倒れると、ガルスは間髪いれず、その首筋を切り裂いた。
一瞬の早業。加勢する暇もなかった。
俺が呆然としている間に、獣族の剣士たちは口から血を吹きながら、三人とも倒れてしまった。
マジかよ……。
「……お、おい先輩、やべぇぜ。ありゃ、北神流だ。それもアトーフェ派、奇策を使わない、多対一の戦いになれた実戦派だ」
ギースの狼
ろう
狽
ばい
した声に、ガルスが笑った。
「よく知ってるな猿野郎。そう、俺が北聖『掃除屋』ガルスだ」
ガルスがそういった時、すでに人質は彼の手の中だ。
まずいな、ルイジェルドほど強くはないと思うが、あのランクになると、俺ではどうしようもないかもしれない。
予見眼でどれだけ戦えるか……。
「面白ぇよなあ、北神流ってのは、人質を使った戦い方まであるんだから」
昔、この世界における俺の父親であるパウロが北神流を盛大にディスってたことがあったが、なるほど、確かにそういう戦法のある流派なら嫌うのもわかる。風上にもおけない。ホント卑怯だ正々堂々と戦ってほしい。
「さぁ、こいよ『飼主』。それとも腰抜けなお前は、今ので腰が引けて、見逃してくれる気になっちまったか?」
心の中でどれだけ罵倒したところで、状況は変わらない。
いっそ見逃してしまおうか。
俺はルイジェルドと違って、命を賭けてまで見知らぬ子供を助けるほど正義漢じゃない。
俺が命を賭けてもいいのは、エリスだけだ。
「なんだ、本当に掛かってこねえのか、そうか、そりゃいい、お互いにとってもな」
むしろガルスは、俺のことを警戒しているようだ。
もしかすると、俺が魔術で森の火事を消したところを見ていたのかもしれない。無詠唱での魔術も見せている。俺が魔術を使う素振りを見せれば、即座に斬撃を見舞ってくるつもりかもしれない。
ガルスがどれだけ俺を過大評価したところで、今の俺にできることはない。
人質を傷つけず剣豪のガルスだけを倒すのは、予見眼を使っても、恐らく無理だ。
自分の命が惜しいなら、逃がすしかない。
「そっか、じゃあな『飼主』、またどこかで会ったら……」
と、ガルスが気を抜いて人質を担ぎ上げようとした瞬間。
「ガルアアァァ!」
彼の横合いから、白い塊が飛び込んできた。
白い塊はガルスの剣を持った方の手に噛み付いた。
「ぐあああぁっ!? なんだっ!?」
犬だ。あのデカくて白い豆柴が唐突に茂みから飛び出してきて、ガルスに噛み付いたのだ。
「……っ!」
俺は反射的に動いていた。
魔術を使い、ガルスと人質の間に衝撃波を発生させる。
「ぐっ!?」
人質とガルスが弾かれるように離れる。
その衝撃で聖獣もガルスから離れた。
ガルスは剣を持ち直し、俺へと振り向いた。
「てめぇ! 飼主ぃ! やっぱりやりやがったな!」
まるで俺が元凶であるかのような、憎々しい目をしている。
「噂通りだ! 犬をけしかけるたぁ……汚え真似しやがって……!」
どういう噂だよ……!
いや、今はほら、むしろガルスをね、助けようとしたっていうかね。
「グルルルル……!」
聖獣はやる気だ。
いつしか俺の隣まで移動してきていて、俺を援護するような位置取りで体勢を低くしている。
「ヘヘッ、さすが先輩だ、骨は拾ってくれよ……」
新入りも俺のやや前に出るように位置取り、へっぴり腰で剣を構えている。
ガルスは油断なく構えて、俺と対峙している。
なんかもう、引くに引けない感じだな。
まあ、いい。
獣族に恩を売るって決めたんだ、とことんやってやろうじゃねえか。
「悪いなガルス。『デッドエンド』のルイジェルドは、悪者じゃダメなんだよ」
と、かっこよく決めてみたものの、状況はよくない。
現状は三対一……とはいえ、俺たちより強そうな獣族の戦士たちは瞬殺だった。
今は人質こそいないが、俺と新入りと犬コロという、なんとも心もとない三人衆だ。
ルイジェルドがいてくれたらと切に願うが……いや、こういう時のために俺も訓練してきたのだ。
「先輩……ちょっとだけ、時間を稼いでくれ」
と、俺が覚悟を決めた時、新入りが小声で話しかけてきた。
何か策があるのか?
「北神流の剣士なら多分引っかかる技を一つ持ってんだ」
「……わかった」
俺は新入りと並ぶように前に出る。
聖級の剣士と真正面からか。
やばい、心臓がバクバク言っている。落ち着け、落ち着いていこう。
「ワン!」
俺を勇気づけるように、隣の毛玉が一声鳴いて……。
「ラァァァ!」
それに呼応するように、ガルスが地面を蹴った。
ガルスが疾走し、聖獣がそれに向かって突進していく。
[左手より回り込みつつ、聖獣に対し下段から斬撃を放つ]
見えている。
岩砲弾を……いかん、聖獣が射線に入っている、別の魔術がいい。
何にする、新入りは気を引けといった、なら……。
「『エクスプロージョン』!」
「ガァァウ!」
聖獣が飛びかかるのに合わせて、ガルスの目の前に小さな爆発を生み出す。
「甘い!」
ガルスは体ごと地面に飛び込むように転がった。
飛びかかった聖獣の下をくぐり抜け、一回転しながら立ち上が……
[起き上がりざまに下段から斬りかかってくる]
「っ!」
俺はバックステップを踏んで回避した。
危ねえ……予見眼がなければ即死だった。
「ちっ、今のを避けるかよ!」
ガルスは叫びつつ踏み込み、斬撃を放ってくる。
[胴に向けて横薙ぎに一閃、返す刀でもう一度一閃]
見える、回避できる。
エリスより速いが、しかしエリスほど読みにくい独特のリズムがあるわけではない。
反撃の隙はないが、視界の端で聖獣が立ち上がっている、よし、後ろから噛み付いちまえ。
[唐突に剣を持つ手を変えて、体をひねりながら跳躍する]
一瞬、それが何かわからなかった。
ガルスの動きが何のためのものかわからなかった。
「……っ!」
バックステップではなく、サイドステップを踏んだのは反射的な行動だった。
気づいた時には、真上から落ちてきた短剣が、俺の足の甲を貫いていた。
激痛が走る中、俺は見た。
[ガルスが剣を振りかぶっている]
何があったのかを悟った。
足だ、ガルスは足で短剣を投げたのだ。おそらくブーツか何かに仕込んであったもので!
いくら未来が見えても、これじゃ意味がない、わかっていたのに……!
「終わりだ飼主!」
「グルアァァァ!」
その時、聖獣がガルスの肩に噛み付いた。
「ぐあっ! てめぇ!」
「ギャイン!」
聖獣が弾き飛ばされ、木に叩きつけられる。
その一瞬のタイムラグに、俺は右手に魔力を集中させ、岩砲弾を放った。
「チッ!」
ガルスは高速で飛ぶ岩砲弾を、空中で叩き割った。剣が火花を散らし、ガルスの手から離れる。
よし、今のうちに短剣を抜いて……。
[ガルスが足元の剣を拾い、斬り上げる]
あ。
そこで俺は気づいた。いつのまにか、俺は獣族の戦士の死体まで下がらされていた。
ガルスの足元には獣族の剣があった。
誘導されていたのだ。
「終わりだっつってんだろ、あがくなよ飼主ぃ!」
俺は最後の望みを賭けて、両手に魔力を集中した。
全てがスローモーションのように映る。
ガルスは剣を腰だめに構え、今にも斬撃を放とうとしている。
その中間に衝撃波を放ち、互いの距離を離そうとしても、もう間に合わない。
先ほど、岩砲弾を使った時に、衝撃波を使うか、ナイフを抜いておけばよかったのだ。
俺は、一手、間違えた。
「北神流奇抜派妙技、落涙弾」
と、そのとき、俺の真後ろから、新入りの声が聞こえた。
同時に、頭の上から何かが飛んできた。
黒い袋だ。
すると、ガルスのビジョンがブレた。
[ガルスは咄嗟にその粉を切り払おうとして躊躇し、両腕で顔を覆う]
ガルスの顔に、パサリと袋があたった。同時に袋から灰のようなものがパッと舞い散る。
目潰しかなにかだ。
だが失敗し……あ、いや、隙だらけだ。
次の瞬間、俺の魔術が完成し、俺とガルスの間で、炎を伴った爆発が起こった。
俺の体はとんでもない速度で後方へとふっとばされた。
────。
ほんの一瞬、意識が飛んだ。
俺は全身打撲と足の痛みに耐えつつ、体を起こした。
足の傷は……大丈夫だ、あの衝撃でナイフも抜けたらしい。足の指はどれも健在だ。これなら治癒魔術で治るだろう。正直、痛くて歩けないぐらいだが、泣き言を言ってられない。
すぐに立つ、そして戦うのだ。まだ勝負は終わって……。
「……?」
ガルスは、仰向けに倒れていた。ピクリとも動かない。
「……っしゃぁ! やったぜ!」
横を向くと、ギースが拳を握っていた。
「北神流の連中は落涙弾って名前を聞くと、すぐ両手で顔を覆いやがる!」
どういうことかはわからないが、北神流には変な癖があるらしい。
ともあれ、俺は警戒しながらガルスへと近づいた。
「……おい、気をつけろよ先輩」
俺は新入りの言葉通り、油断なくガルスを見ながら、彼の近くに落ちていた剣を投げて離した。すると、聖獣がダっと駆けて、剣をくわえて戻ってきた。
ブンブン尻尾振ってる。
うんうん、いい子だね。でもフリスビー遊びはまた今度にしようじゃないか。
「新入り、持ってろ」
俺は聖獣の頭をいいこいいこと撫で回してから、剣をギースへと投げ渡しておいた。
続いて、近くに落ちていた棒きれで、ガルスをつんつんとつついた。
ガルスは動かない。目元の近くをつついても、ピクリともしない。手錠を掛けて、足枷を掛けて、猿轡をかませてもまだ、眼を覚まさなかった。
完全に気絶しているようだ。
「勝った」
ぽつりとつぶやいた言葉に聖獣がクゥンと泣き、子供のずだ袋を外していたギースが笑った。
勝ったのか……。
俺が勝利の余韻に浸る中、ずだ袋を外した子供が目を覚まし、ワーワーと泣きだした。
その泣き声を聞きつけて、獣族の戦士たちが来るのは、もう少し後のことである。
★ ★ ★
今回の誘拐事件は、かなり特殊なケースであったらしい。
密輸組織の企てた大規模な誘拐作戦。
彼らはドルディアの守り神たる聖獣を誘拐する計画を立てた。どうしてそんなものを攫おうと思ったのかはわからない。だが、聖獣は特別な生き物だから、手に入れたいと思う者も多いらしい。
だが、聖獣を普通に誘拐するのは難しい。仮に攫えたとしても、鼻の効く戦士たちに猛追され、すぐに取り返される。そこで、密輸組織は雨期を狙った。
雨期は三ヶ月続く。
その準備のため、各村の戦士たちも手一杯で、どこの集落も忙しくなる。
もちろん、雨期の最中は船を出すことができない。
つまり、雨期が来る直前に聖獣を誘拐し魔大陸へと運んでしまえば、戦士たちに追いかけられることなく、完璧に逃げ切ることができるということだ。
もちろん、獣族だって警戒はしている。
雨期の準備中、子供は外に出ないようにと言いつけ、大人も警戒する。言うまでもなく、聖獣だってきっちりと守られている。
そこで、密輸組織はさらに一計を案じた。
まず、周辺の人攫いたちを全て雇って時期を待つ。それからある時期に各地を襲撃し、一斉に女子供を攫わせたのだ。
戦士たちは慌てた。
今年は誘拐の被害が少ないと気が緩んでいたところ、いろんな集落の子供が一斉に攫われたのだから。
さらに、密輸組織は事前に用意しておいた武装集団を使い、各地の集落を攻撃した。
だが、この時、ドルディア族の村には被害を及ぼさないようにする。
他とくらべて手すきとなったドルディア族の戦士たちには救援要請が飛び、戦士たちは手分けして各地の集落の防衛に手を貸した。
結果、ドルディア族の村の警備が手薄になる。
そこに、密輸組織は精鋭を使って『ドルディア族の村』を襲撃。族長の孫娘たちと同時に、聖獣の誘拐に成功する。
各地で騒ぎを起こしてから本命を奪取する電撃作戦。
武装集団の攻撃。子供たちの誘拐。そして聖獣の誘拐。
こうなると、いくら獣族の戦士が優秀であっても、手が足りない。族長ギュスターヴは、まず子供を諦めた。戦士団をまとめあげて、村の防衛に当たらせると、自分たちは聖獣の捜索を開始した。聖獣というのは、村にとって特別な存在であるらしい。
密輸品の保管場所を発見できたのは、運がよかったからだそうだ。運よく情報を得ることができて、現場へと向かうことができたのだ。
この情報源というのが、ガルス率いる別働隊ということになるのだが、それはひとまず置いとこう。
さて、ここからは俺の知らない話だ。
この一週間、ルイジェルドが俺をほったらかしにして何をやっていたのかって話だ。
上記の話を聞いたルイジェルドは、密輸人に対して怒りを露わにしたらしい。
彼は出港前の船を襲撃しようと提案した。
しかしギュスターヴは「どの船に子供が乗っているかわからない、奴らは獣族の鼻を隠蔽する方法を知っている」と難色を示した。
もっとも、そこはルイジェルドだ。額の眼でわかる、と胸を張って答えたという。
エリスはというと、その作戦には参加せず、子供たちの護衛を引き受けたらしい。
それはもう満面の笑みで。これもグレイラット家の血かね。
さて、ルイジェルドたちは襲撃に成功。あえなく密輸組織の船は発見され、密輸組織のメンバーは全員、半殺しで捕らえられた。
船の中から、わらわらと捕まった子供が出てきた。五〇人ほどいたらしい。
子供たちを助けてハッピーエンド……とはならなかった。
雨期前の最後の便を襲撃したということで、ザントポートの役人が出張ってきたのだ。雨期前の船には重要なものも積んであり、それを襲撃することは重罪にあたる、と。
もちろん、ギュスターヴはそれに抗弁した。
獣族の誘拐・奴隷化はミリス神聖国と大森林の族長たちの間で禁止されている。
それを水際で阻止しただけだ、咎められるのはおかしい、と。
これを聞いてザントポートの役人もヒートアップ。事前に一言ぐらい説明があってもいいはずだと主張した。
だが、襲撃は出港ギリギリで行われたことである。説明などする暇はなかった。
そして、五〇人だ。子供は五〇人。五人や一〇人ではない。
あらゆる集落から一人や二人は子供が攫われているのである。ザントポートはそれを一切、捕まえていない。それどころか、役人は賄賂を受け取り、見て見ぬフリをしている。
これは条約違反である。これを放置するなら、獣族とミリス神聖国の間に大きな亀裂が入る。
最悪、戦争になる。そういうレベルまで話が大きくなった。ギュエスの号令で、村から戦士団が呼ばれ、ザントポートの入り口を前に、睨み合いまで行われたらしい。
最終的に、ザントポート側は引き下がった。獣族に対し、多額の賠償金を支払うこととなった。その交渉と、攫われた子供を親元に返したりで約一週間。俺のことは後回しとなり、一週間も放置されたわけだ。
まあ、仕方ないかね。むしろ、そんな大事をよく一週間で終わらせたと思うよ。
で、そこにガルスがつけこんだ。
ギュエスが村を守護していた戦士団をザントポートへと呼んでしまったがゆえに手薄となったドルディアの村。
そこをガルスは自分の手勢を引き連れて、強襲したのだ。
その理由は俺が聞いた通りだ。
彼は自分の信用できる仲間と共に子供を攫い、自分だけ儲けようとしたわけだ。狙った時期は雨期ギリギリで、そのために造船所の長を脅して船を密かに一隻作らせていたというのだから、前々から企んでいたことなのだろう。
事態は彼の予定とは少々違うほうに進み、しかし彼の予定と似たような状況となり、そして彼の予定とはまったく違う結末をもたらした。
結局、計画は失敗に終わり、彼はザントポートの役人に引き渡された。
かくして事件は一件落着、めでたしめでたしというわけだ。
第九話 「ドルディア村のスローライフ」
子供たちを救い、村の襲撃を守った俺たちは、英雄として村に迎えられた。
雨期の間、自分たちの所で過ごしてくれ、ということらしい。
族長ギュスターヴの言いつけに背き、俺を裸に剥いて牢に入れ、冷水をぶっかけたギュエスからは正式な謝罪があった。
仰向けに寝転がり腹を見せるという、獣族独特の土下座でだ。
最初はおちょくられているのかと思ったが、誰もが真剣な顔をしていた。。
オッサンの毛深くも逞しいシックスパックなんて見ても、俺としては嫉妬するだけだ。
だから俺は早々に許した。
だが、エリスはそうじゃなかった。彼女は俺の一週間の境遇を知って怒り、ギュエスの腹にボレアスパンチを見舞った後に水を頭からぶっかけ、濡れネズミになった彼を見下ろして言ったのだ。
「これでおあいこね!」と。
さすがはエリスだ。
★ ★ ★
さて、現在位置はギュスターヴの家である。
木の上にある家で、この村で一番大きな家だ。
木の上の三階建て木造建築で、地震がきたら一発で崩れ落ちそうな見た目だが、中で大人が走り回ってもビクともしない、頑丈な作りになっている。
この場にいるのは、八名。
俺、エリス、ルイジェルド。
デドルディア族の族長ギュスターヴと、彼の息子である戦士長のギュエス。
俺が密輸人から助けたのは、ギュエスの次女のミニトーナ。長女のリニアーナは、別の国に勉強に出しているそうだ。
そして、助けた中にはアドルディア族の娘も混じっていた。
アドルディア族の族長の次女テルセナ。年齢の割におっぱいの大きな犬っこだ。彼女はアドルディアの里に戻る予定だったが、途中で雨期が来てしまったので、三ヶ月ここに泊まるらしい。
彼女らは、攫われそうになった時のことについて、ニャーニャーワンワンと話している。
「本当に、攫われなくてよかった……アスラの変態貴族の中には、獣族にしか興奮しない者もいるらしいからな、何をされるか……」
ドルディアの血が入っている種族は、ある国の貴族に高く売れるらしいというのは、ガルスとの会話でもあったことだ。
特に、調教しやすい子供は高い値がつくのだそうだ。
「アスラ貴族の風上にも置けないわね!」
そこのエリス君!
何を他人ごとのように言っていますかね!
多分、最初にグが付くネズミっぽい家名の人たちが大いに関係していますよ!
エリスの実家のメイドたちの出自は聞いたことがないが、もしかすると、そうやって攫われてきた人もいたかもしれない。
エリスの祖父のサウロスはいい人なんだけど、ちょっと見方が変わりそうだな。
うん、とりあえずこのことは黙っていよう。言わなくてもいいことは言わないほうがいいのだ。
そう俺が思っていると、エリスはふと思い出したらしく、自分の身に付けていた指輪を見せた。
「そういえば、ギレーヌって知ってる? これ、この指輪、ギレーヌのなんだけど……」
彼女は獣神語ができない。ゆえに人間語である。
この場で人間語ができるのは、俺とルイジェルドを除けば、ギュスターヴとギュエスだけである。
「ギレーヌ……?」
と、ギュエスが渋い顔をした。
「あいつは……まだ生きているのか?」
「え?」
その声は、嫌悪感にまみれていた。吐き捨てるような声だった。
そして、最初の一言。
「あいつは一族の面汚しだ」
その言葉を皮切りに、ギュエスによるギレーヌのバッシングが始まった。
エリスに聴かせるように人間語で、ギレーヌという人物がいかに不出来であり、いかに自分の妹として相応しくないかという内容を、感情のこもった声で淡々と語り続けた。
ギレーヌに命を助けられたこともある俺としても、聞くに堪えない内容だった。
彼女はこの村で、そうとうあくどいことをしてきたらしい。
だが、それは所詮、子供の時の話だ。俺の知っているギレーヌは、不器用な頑張り屋だ。
改心し、心をいれかえている。こんな言われ方をする人じゃない。
尊敬すべき剣の師匠であり、自慢すべき魔術の生徒だ。
だから、ちょっと、なんていうか。
やめてくれよ。
「その指輪も、あいつがむやみやたらと暴れないようにと母があげたものだが、まったく意味はなかった。あいつは壊すことしか能のない木偶の坊だ」
「あんた……」
「うるさい! あなたにギレーヌの何がわかるのよ!」
俺の言葉を遮って、エリスが金切り声で叫んだ。
家が割れるかと思う大音声。
突然叫んだエリスに、他の数名は唖然としていた。人間語のわかるのはギュスターヴとギュエスだけである。
俺はエリスは暴力を振るうと思った。けどエリスはただ悔しそうな顔で、目に涙を浮かべて拳をブルブルと震わせながらも、殴りかかることはしなかった。
「ギレーヌは私の師匠よ! 一番尊敬してる人なんだから!」
俺は知っている。
エリスとギレーヌがどれだけ仲がよかったかを。エリスが一番信頼していたのが誰なのかを。
俺なんかよりずっと。
「ギレーヌはすごいんだから! すごく、すごいんだから! 助けてって言えば、すぐに来てくれるんだから! すごく足が速くて! すごく強いんだから!」
エリスは、自分でも意味のわかっていないであろう言葉を羅列し始めた。
その悲痛な声は、内容がわからなくても、意味が通じるものだった。
少なくとも、俺の気持ちは全て代弁してくれていた。
「ギレーヌは……ひっく……えぐっ……。そんなこと……言われるような……ひっく」
殴りかからずに涙を浮かべ、エリスは頑張った。
そうだ、ここでギュエスを殴ってはいけない。ギレーヌはこの村において、暴力的に生きてきた。
エリスが殴れば、ギュエスはそれ見たことかと言うだけだ。
お前もあいつも、同じ穴のムジナだと。
ギュエスはと見ると、彼は混乱していた。
「いや、そんな……まさか、ギレーヌが……尊敬? そんな馬鹿な……」
それを見て、俺は怒りを鎮めることにした。
「この話題は、やめにしておきましょう」
俺はエリスの肩を抱きつつ、そう進言した。
進言した俺を、エリスは信じられないという顔で見た。
「なんでよ……ルーデウス……ギレーヌのこと、嫌いなの?」
「僕だってギレーヌのことは好きですよ。けど、僕らの知っているギレーヌと、彼らの知っているギレーヌは、同じ名前の別の人です」
そう言って、混乱しているギュエスを見る。
彼だって、今のギレーヌと会えば考えを改めるだろう。
年月は人を変えるのだ。俺が言うんだから間違いない。
「……わかったわよ」
エリスは納得がいってないようだったが、一応の溜飲は下げたらしい。
「いや、その、ギレーヌは本当に、そんな立派な人間になっているのか?」
「少なくとも、僕は尊敬しています」
そう言うと、ギュエスは思いつめた顔になった。
まあ、今の話を聞いたところ、彼とギレーヌの間でも、色々あったのだろう。それはもう、ハラワタの煮えくり返るようなことが。
血の繋がった関係ってのは、結構シビアなのだ。
肉親だからこそ、何年経っても、許せないことはある。
「なので、謝ってもらえますか?」
「……すまなかった」
一日に二度もギュエスに謝らせたせいか、なんとも微妙な空気になってしまった。
それにしても、ギレーヌか。
この一年ですっかり忘れていたが、彼女もあの転移に巻き込まれたはずだ。
一体、どこで何をしているのか。彼女のことだから、俺とエリスを探してはいると思うが……。
ザントポートで情報収集をできなかったのが悔やまれるところだ。
★ ★ ★
一週間が過ぎた。
ずっと雨が降り続いている。
俺たちは、村の空き家の一つをもらい、そこで暮らしている。
一応、大森林の英雄ということで、毎日何もしなくても飯が来る。火事の影響で彼らも大変だというのにな。
木の下は大洪水で、ある時、里の子供が落ちて大変なことになっていた。
魔術で助けてやると、大層驚かれ、感謝された。
なら、いっそ魔術で雲を吹き飛ばしてやろうか、と思ったが、やめておいた。
ロキシーも言っていたが、あまり天候を操作するのはよくない。
この雨を無理やり止めれば、大森林にとってよくないことが起こるかもしれない。
ぶっちゃけ、さっさと降りやんでもらって先を急ぎたいんだが。
まあ、三ヶ月ぐらいでやむらしいから、それまで我慢だ。
雨の中、村を散策してみる。
やはり村だからか、武器屋、防具屋、宿屋の類はなかった。
基本的には民家と倉庫、そして兵士の詰め所だ。
それらが全て、木の上にある。村の構造は立体的で、実に面白い。
歩いているだけでワクワクしてくる。
一ヶ所、コレ以上奥には入ってはいけないと言われる場所があった。その通路の奥に、この村にとって大事な場所があるらしい。もちろん、俺だってそんな場所に土足で踏み入るつもりはない。
散歩中、上下で通路が交差した場所を見つけた。
そこで上に女性が通らないか期待して待っていると、ギースが歩いてきた。
「よう新入り! そういや、お前も出られたんだったな!」
呼びかけると、ギースは嬉しそうな顔をして手を振った。
彼もまた、村の窮地に尽力してくれたということで、恩赦を与えられた。
「おう。もう二度とやるなよってさ。バカだよなあいつら。やるに決まってるじゃねえか」
「犬のオマワリさーん! こいつ懲りてませーん!」
「まてこら。おいこら、やめろこら。今は雨期で逃げられねえんだからやんねえよ」
今は雨期で……ということは、またこいつはやるんだろう。
まったく、どうしようもない男だ。
「あ、ベスト返しますね」
「だからいきなり敬語はやめろって。ベストはもらっとけ」
「いいんですか?」
「この時期、まだ寒いだろうが」
でも、悪い人じゃなさそうだ。
この適当で温かい感じ、パウロを思い出すね。
パウロ。元気してるかな。
二週間が経過した。
雨はやまない。なんでも、ドルディア族には秘伝の魔術があるということを知った。
遠吠えを利用して敵の位置を探ったり、特殊な声で相手の平衡感覚を失わせたりする魔術だそうだ。ギュエス相手に俺が麻痺したのも、その魔術の一種であるらしい。
聞いた感じ、『音』を利用した魔術らしい。
なのでぜひとも教えてくださいとギュスターヴに頼み込んでみたところ、快く承諾してくれた。
何度か実演してもらい、真似するが、なかなかうまくいかない。
やはり、ドルディア族の特殊な声帯がなければ使えるものではないらしい。
そんなこったろうとは思っていた。
恐らく、種族のオリジナル魔術は俺にはほとんど扱えないと言っても過言ではなさそうだ。獣族とかは人族の魔術を使えるのに、ズルいよね。声に魔力を乗せる、という基礎はわかったので何度か試してみたが、どうにもイマイチ効果が出ない。
俺にできるのは、相手を一瞬だけビクンとさせるぐらいだった。ワ○ャンにはなれないらしい。
ちなみに、ギュスターヴに無詠唱の魔術を見せると、大層驚いていた。
「最近の魔術学校はそんなものも教えるのか」
「師匠の教えがよかったからですよ」
と、意味もなくロキシーをプッシュ。
「ほう、その師匠はどこの出身なのかね?」
「魔大陸のビエゴヤ地方のミグルド族ですね。魔術は……魔法大学で習ったんじゃないでしょうか」
俺もそのうち魔法大学に行くつもりだと言うと、ギュスターヴは「ほう、それだけできてまだ向上心があるのか」と感心していた。
ちょっといい気分になった。
★ ★ ★
三週間が経過した。
この村にも魔物は出る。
水の上を、あめんぼのような虫がスルスルと移動してきて、唐突に飛び上がって攻撃してきたり、海蛇のようなやつが木を伝って登ってきたり。
村は戦士団が守っているが、この雨では獣族自慢の鼻も、声を使ったソナーもあまり役にはたたないらしく、魔物は度々、監視の眼を抜けて村の中に出没した。
村をエリスと散歩していると、目の前で、獣族の子供が一人、カメレオンみたいな爬虫類に捕まりそうになった。
とっさに土砲弾でカメレオンを撃墜すると、子供は可愛らしく尻尾を振って、お礼を言ってくれた。
ちなみに、俺はこの村の子供たちに非常に人気がある。やはり窮地を救ったヒーローという立場なせいだろう。時折俺のところに来ては、顔を舐めたり、雨期の前に集めたというドングリのコレクションを持ってきたりしてくれている。モテモテだ。
エリスも家柄だろう、耳や尻尾を持つ可愛らしい子どもたちが群れているのを見ると興奮するらしく、鼻息あらく彼らの頭をなでたり、尻尾を触ったりしてウザがられていた。
さて、そんな子供たちが魔物に襲われるのは忍びない。
ということでルイジェルドに村の警備を手伝おうと提案してみたのだが、彼は村の警備を手伝うのは反対のようだった。
「この村には、この村の戦士たちのプライドがある」
村を守るのは、村の戦士の役目、よその戦士が頼まれもしないのに出しゃばってはいけない。
それがルイジェルドの常識だそうだ。
俺にはさっぱりわからない。
「そんなことより子供の安全の方が大事なんじゃないでしょうか」
そう言うと、ルイジェルドは数秒ほど考えた後、ギュエスに話を聞いてみることになった。
「おお、ルイジェルド殿が手伝ってくださるのですか! 助かります!」
ギュエスには大歓迎された。
なんでも先ごろの誘拐事件のせいで、戦士の数が激減しているらしく、村の戦士団を代表して礼金も出す、と言ってくれた。
というわけで、村で見かけた魔物は退治することにした。
ルイジェルドが見つけ、俺が魔術で倒す。そして死体を回収し、素材を剥ぎ取り、ギュエスに買い取ってもらう。実にいいサイクルだ。
最初、村の戦士たちはルイジェルドの言葉通り、あまりいい顔をしていなかったが、俺たちが容赦なく村に入ってきた魔物を殲滅すると、今年の雨期は犠牲者なしで済みそうだ、と顔を綻ばせていた。
「獣族はもっと誇り高い種族だと思っていたが……、他の種族に村の守備を任せて安堵しているとは、まったく……」
ルイジェルドだけが、そんなことをボヤいていた。
どうやら、数百年前の獣族と違うらしい。
一ヶ月が経過した。
雨脚がちょっと弱まってきた気がするが、多分気のせいだ。
エリスとミニトーナ、テルセナが仲良くなっていた。
言葉は通じなくとも、あの年頃だと仲良くなれるのだろうか。
雨だというのにあちこちに移動しては、なにやら楽しそうにしている。
何をしているのかと思ったら、エリスが人間語を教えているらしい。
あの、エリスが、人に、言語を、教えているのだ!
ここで教師面して割り込んで、エリスの顔を潰すこともあるまい。
俺は空気が読める男だからな。
エリスは同年代の友達がいなかった。なので、こうして同じぐらいの年齢の子と仲よくしているのを見ると、俺もほっこりする。
赤毛と、猫耳と、犬耳。
それらが楽しげにじゃれあっているのを見ているだけで、俺は十分だ。
でもなエリス。あまりむやみやたらと抱きついたりしないほうがいいと思うんだ。俺みたいに誤解されるかもしれないからな。
ほら、あっちを見ろ。ギュエスさんが見ているじゃないか。そんな鼻の穴を大きくして娘に抱きついているのを見て、親はどう思うかな?
「ふむ、エリス殿、娘と仲よくしていただいて、ありがとうございます」
あ、あれぇ? 俺の時と反応が違うくないですか?
その娘、今間違いなく発情の臭いとかしているはずですよ?
やっぱり男と女だと違うのか。そうか、そりゃそうか。当たり前か。
「時に、ギレーヌのことは申し訳ありませんでした。随分と会っていないので誤解していましたが、あの妹も、外の世界を歩くことで、少しは成長しているようですね」
ギュエスが頭を下げる。ここ一ヶ月で、彼の中でもあれこれと整理がついたのかもしれない。
いいことだ。
「そりゃそうよ。剣王ギレーヌだもの! あのね、今のギレーヌは魔術だって使えるのよ」
「ははは、ギレーヌが魔術? エリス嬢は冗談がうまい」
「本当よ! ルーデウスがギレーヌに文字と計算と魔術を教えたんだから」
「ルーデウス殿が……?」
その後、エリスによる、俺とギレーヌの猛プッシュが始まった。
フィットア領における、俺の授業の話だ。
自分とギレーヌがいかに物覚えが悪かったかということから始まり、そんな自分とギレーヌは、最後まできちんと教えてくれたルーデウスを尊敬しているとか、そんな話だ。
聞いていて、照れ臭くなってしまった。
ギュエスはしきりに感心していて、三人と別れると、俺が隠れて聞いていた木箱の前へとやってきた。
「それで、その尊敬されるべき師匠は、こんな所で何をやっておられるのか?」
「しゅ、趣味の人間観察です」
「ほう、それは高尚な趣味をお持ちのようだ。時にギレーヌにどうやって文字を教えたのですか?」
「どうもこうも、普通にです」
「普通に……? 想像もつきませんね」
「冒険者時代に、勉強不足で色々と苦労をしたみたいですしね。想像がつかないのも当然かと」
「そうですか。あの妹は、昔から気に食わないことがあれば誰かを殴らなければ気が済まない奴でしたが……」
聞くところによると、ギレーヌは昔のエリスみたいな少女だったらしい。
何かと言えば喧嘩をして、しかも強かったのでなかなか止まらない。ギュエスは何度も煮え湯を飲まされたのだとか。
妹に力で敵わないとは、ダメなお兄ちゃんだ。
お兄ちゃんといえば、俺もお兄ちゃんだったな。ノルンとアイシャは元気にしているだろうか。
そうだ。手紙を書こうと思って、ずっと忘れていたんだ。
この雨がやんだらミリス神聖国の首都に行くし、ブエナ村に手紙を出すとしよう。魔大陸からでは届かない場合も多いが、ミリスからなら届くだろう。
「ところでルーデウス殿」
「はい」
「いつまで木箱の中に入っておられるのですか?」
もちろん、彼女らが着替えを始めるまでだ。
もうすぐ夜だからな。彼女らはこれから水浴びをして寝間着に着替えるのだ。
「すんすん……発情の臭いがするな」
「ええっ! いや、そんな馬鹿な。どこかで獣好きな少女が恍惚とした表情を浮かべているのでは?」
すっとぼけると、ギュエスの眉がピクリと動いた。
「ルーデウス殿。先の一件は感謝している。勘違いであんなことになり、申し訳ないという気持ちは今でもある」
そう前置きして、ギュエスは豹変した。
「だが、娘に手を出すというなら話は別だ。今すぐ出てこないと箱ごと水に叩き落とすぞ」
本気だった。俺は迷わず、一秒で箱を出た。
黒ひげも危機一髪なスピードだ。
「自分はこの村を守る者だ。あまり言いたくないが……ほどほどにしてくれ」
「はい」
うん。まあ、ちょっと調子に乗りすぎてたな。反省。
一ヶ月半が経過した。
ルイジェルドはギュスターヴと話が合うらしい。
ちょくちょくデドルディア家を訪れては、酒を飲み交わしつつ、互いに過去の逸話を語り合っている。血なまぐさい話であるが、それ自体は聞いていると結構面白い。
自称元暴走族の、昔はワルかった自慢とでも言うべきか。
しかし、恐らく実際にあったことなのだろう。
そういった話を聞いたお陰で、獣族のことについて少しわかってきた。
獣族というのは、大森林に住む種族の総称である。
中には魔大陸に渡り、魔族と呼ばれるようになった種族も数多くいる。外見的な特徴としては、哺乳動物の姿を体の一部に残していることだ。また、各種族がそれぞれ特殊な五感を備えている。
広義で言えば、ノコパラやブレイズもかつては獣族だった、というわけだ。
ドルディア族は、獣族の中でも特別な存在だ。
聖獣を守護し、森全体の平和を守護する一族。それがドルディアだ。
猫っぽいデドルディア。
犬っぽいアドルディア。
この二つが主家で、数十種類の支族に分かれているらしい。
いわば、大森林の王族。だが、現在は特に王族っぽいことをしているわけではなく、いざという時にリーダーとして音頭をとるだけらしい。
また、大森林には長耳族や小人族も住んでいる。
彼らは大森林でも南の方に分布しているらしく、獣族との接点はあまりないらしいが、年に一度の部族会議や、大聖木の周辺で行われる祭りには参加するらしい。
ギュスターヴ曰く、種族は違えども大森林に住む仲間、ということだ。
ちなみに、炭鉱族は大森林ではなく、そのさらに南、青竜山脈の麓に住んでいる。
青竜は、基本的には世界中の空を飛び回っていて、産卵と子育ての時期にだけ、青竜山脈に巣を作るらしい。
渡り鳥のようなものだ。
もっとも、渡り鳥と違って、十年に一度といった頻度らしいが。
さて、獣族は昔から、人族とは戦争をしたり仲良くしたりを繰り返してきたらしい。
小競り合い程度の戦争というのは、つい五十年前にもあって、ギュスターヴはその戦争に参加しており、獣族の屈強な戦士団が森に迷い込んできた人族の兵士をバッタバッタとなぎ倒すというストーリーを聞かせてくれた。かなり脚色されていたが、獣族視点で展開される話というのは、なかなか新鮮で楽しいものだ。
それに対抗して、ルイジェルドも伝家の宝刀、ラプラス戦役のスペルド族の逸話、について話す。
二人は張り合うように話をして、しかし、老人二人の会話であるゆえか、次第に昔はよかった談義になっていく。
「最近の戦士はまったくなっていない」
「わかりますぞ、ルイジェルド殿。軟弱な者が増えましたな」
「そうだ。俺の若い頃は、立派な男しかいなかったものだ」
まさに意気投合だ。
どこの世界も一緒だね、こういうところは。
「まったくですな。ギュエスも戦士長になったというのに分別が足りん。人をまとめるのはうまいが、奴がもう少し状況を見ることができれば、ルーデウス殿はあのようなことにはならなかったはずだ」
「いや、ルーデウスは戦士だ。敵地で油断すれば、捕まり、捕虜になることもわかっていたはずだ。それなのに油断した。本気を出せばギュエス程度、すぐに制圧できるはずなのだ。あれはルーデウス自身の失態だ」
おお、耳が痛い。
ルイジェルドは俺を信頼して一人で行かせてくれたんだ。
なのに俺はあっさり捕まった。ある意味、信頼を裏切ったのだ。
「しかしルイジェルド殿、それは少々薄情ではないか? 仲間が酷
ひど
い目に遭ったというのに……」
「戦士なら、自分の戦いの責任は自分で持たねばならん。大体、ルーデウスなら自力でいくらでも逃げられたはずだ! 仲間として信頼されるのは嬉しいが、子供ではないのだ! 戦士は自分が捕まって仲間を窮地に陥らせるような真似はしてはいかんのだ!」
ルイジェルドったら、随分と酔ってるな。
まあ、お前なら捕まっても自力で逃げてくるんだろうけど、あんまり俺に期待しすぎるなよな。
俺にできることなんて、限られてるんだぜ?
★ ★ ★
二ヶ月が経過した。
部屋にいると、聖獣様がのっそりと俺の部屋に入ってきた。
聖獣様は村の奥で花よ蝶よと大切に育てられているのだが、一日に一度、散歩の時間があり、村の中を自由に歩き回れる。
聖獣様の散歩ルートのマイブームは俺の所のようだ。
「これはこれは聖獣様。この性獣めに何かご用で?」
「ワンッ」
「トゥー」
「ワンッ」
スリーとは言ってくれないらしい。
彼か彼女か、どっちかわからないが、聖獣様は俺の隣に腰を落ちつけた。
現在、俺の手元には作りかけのフィギュアがある。
まだ雨がやむまで時間がありそうなので、なんとなく作ってみることにしたのだ。
モデルはルイジェルドである。
なぜに彼と、思うかもしれない。だが、考えてもみてほしい。
スペルド族というのは正体不明の怪物だ。その緑髪を見れば、人々は恐れおののく。
でも、俺の作るフィギュアに着色はない。灰色一色の石人形だ。
そんな人形がかっこよく作れれば、あるいは人々にもっと受け入れてもらえるかもしれない。
まずはシルエットから。
髪のことは最後だ。
「わふっ」
聖獣様は太ももにぴったりと身体を寄せて、頭を膝にのせてくる。
動物にこんなに近寄られたことはないので、ちょっと戸惑う。
「うぉん?」
聖獣様は、「何してるの?」という感じで俺の手元を見ている。
歳の割に落ち着いた子犬様だこと。とりあえず首のあたりをなでなで。
「することもないので、創作活動でございます」
「ワフッ」
手を舐められた。
しっぽがパタパタと動いている。嫌われてはいないらしい。
雨が続いているので、聖獣様も暇なんだろう。刺激に飢えているに違いない。
「遊びましょうか」
「ウォンッ!」
俺はそのまま、組んずほぐれつ、聖獣様とじゃれあって遊んだ。
俺はもふもふを楽しみ、聖獣様は適度な運動をする。
まさにWin-Winの関係。
コンコン。
聖獣様と遊んでいると、俺の部屋がノックされた。
「ん? どうぞ」
「失礼します」
と、入ってきたのは、村の戦士の格好をした女性、ラクラーナさんだ。
俺の牢屋の番をしていた人だな。
彼女は聖獣様の世話係の一人で、散歩の時間の終わり際になるとここに来る。
「あ、どうも」
「お疲れ様です、ルーデウス殿。その節は……」
ラクラーナは、俺の顔を見る度に、冷水を浴びせた件を謝ってくる。
だが、俺としては一度謝ってもらえば十分だ。
「しかし、ルーデウス殿、聖獣様に懸想をするのはやめていただけませんか?」
「なんですかそれは、僕は楽しく遊んでいただけですよ」
おう、また冤罪か。
お前、実は反省してねえだろ。
言葉に気をつけないと、今度はお前が全裸牢屋で、俺が水掛ける番だぞ。
「ですが、発情の匂いがします」
「……誤解ですよ」
それは、ラクラーナが来る度に頭を下げるから、俺のクソニートな部分が「姉ちゃん、ゴメンですんだら警察はいらんのや、許してほしかったら、わかるやろ、ベッドいこか?」と囁くからだ。
「聖獣様はドルディアにとって大切なお方です、ルーデウス殿が救ってくださったことは存じておりますが、それでも懸想するのは……」
「いや、懸想はしてないんですけどね」
なんでも、聖獣様は数百年に一度だけ生まれる魔獣の一種である。
正式名称はない。
古来より聖獣様が出現する時は世界の危機であり、聖獣様は大人になると英雄と共に旅立ち、その強大なる力で世界を救う。
そう言い伝えられている。
なので、ドルディア族の村の奥地、聖木と呼ばれる樹木に張られた結界の中で、大切に大切に育てられるのだとか。そりゃもう、箱入り娘という感じで。まだ何もしらない聖獣様を、外の厳しい世界に出さないようにと。
まあ、それでも犬なので一日に一度、散歩の時間があるようだ。
ちなみに聖獣様が大人になるまでには、あと百年ぐらい掛かるらしい。言い伝えが本当なら、百年後に世界の危機が訪れるってことか。そしてラクラーナは現在、聖獣様を守る仕事を主としているそうだ。
ちなみに、その聖木とは、あの通行止めの通路の奥だ。
「もしかして……ルーデウス様がその英雄とか?」
「ワフン!」
と、そこで聖獣様が一声吠え、ラクラーナが驚いた顔をした。
「えっ! なんですって」
え? なに?
「ウォン!」
「なるほど、しかし」
「ワンッ!」
「……わかりました」
なんでお前、普通に犬と会話してるわけ?
聖獣様の言葉ってどう聞いても獣神語じゃないよね。
どうやって聞き分けるんだ、バウ○ンガルとか使ってるの?
「聖獣様は、あなたではないとおっしゃっています」
「でしょう?」
もっと言ってやってくださいよ。
「ただ、聖獣様はルーデウス殿に感謝しているようです」
「ほう、牢屋に放置だったので、すっかり忘れられたかと思っていました」
「ワンッ!」
「心外だ、ちゃんと美味しいごはんを出すように言いつけた、とおっしゃっております。ルーデウス殿も、料理には舌鼓を打っていたはずですが?」
そうだ。
飯だけはうまかった。そして、おかわりももらえた。牢屋にしてはおかしいと思った。あれは聖獣様の計らいだったのか。しかし、礼としてまずご飯の心配とは、所詮は犬コロか。
「でも、そういうことなら、せめて牢屋から出してほしかったですね」
「ワンゥ!(牢屋ってなに? だそうです)」
「悪い奴を閉じ込めておく場所です」
「ワン! (自分も閉じ込められた、とおっしゃっています)」
その後、しばらくラクラーナに通訳してもらい、聖獣様と話してみた。
すると、どうにも聖獣様は、今回の出来事の顛末がわかっていないらしい。
俺が発情の臭いを発していたとかもわかっていないようだし、ギュエスが俺を捕まえたことの意味もわかっていないようだ。自分が捕まったことも、怖いことがあったということぐらいにしか理解していない。
つまり、まだ子供だってことだ。子供にあれこれ要求するのはよくないな。
仕方がない。
「聖獣様のおかげで快適な生活を送ることができました。ありがとうございます」
お礼を言うと、尻尾を振られ、顔を舐められた。
んふふ、可愛いやつよと、ワシャワシャと首筋を撫でたら押し倒された。
ああん、ダメよ、人が見ているわ……。
「……ルーデウス殿、聖獣様は尊い方です。その、懸想されるのは控えてもらえませんか?」
「違います。この発情の臭いはあなたへのものです」
「えっ!」
「失礼、なんでもありません」
いかんいかん、ちょっと本音が。
「こほん。では聖獣様。聖木へと帰る時間です」
「ワンッ!」
帰れと言われると素直なもので、聖獣様は文句を言わずに帰っていく。
そんな毎日だ。
ちなみに数日後、聖獣様にお手を仕込もうとしてラクラーナにメッチャ怒られたのはナイショだ。
そんなこんなで大した事件もなく、三ヶ月が経過した。
雨はやんだ。
第十話 「聖剣街道」
ドルディアの村を出る前日。
エリスとミニトーナが喧嘩をした。
結果は言うまでもないことだが、エリスの圧勝。
当然だろう。エリスはルイジェルドの鍛錬についていけるレベルだ。特に訓練も受けていない年下の女の子が相手では、それこそ相手にならない。弱いものイジメだ。
これは一言、注意したほうがいいかもしれない。
エリスがそういう子だというのは知っているが、彼女ももうすぐ十四歳だ。十四歳といえば、まだまだ子供だが、無差別に相手を殴っていい年齢じゃない。
しかしさて、なんと言うべきか。
今まで俺はエリスの喧嘩を止めたことがなかった。冒険者ギルドでのの諍いも、大体ルイジェルドにまかせてきた。そんな俺が、今更何を言うべきだろうか。冒険者と村の少女では違うのだ、とでも言うべきなのか。
「ち、違います、トーナが悪いんです」
そう主張したのは、テルセナだ。
彼女の話によると、雨期が終わったので旅立つと言うエリスを、ミニトーナが引き止めたらしい。
エリスは引き止められたことを嬉しそうにしつつも、旅を続ける旨を説明。
ワガママを言うミニトーナを、エリスが言い含める展開だ。
いつもと逆だな。
しばらく、話し合いが続いた。
最初は落ち着いていた二人だったが、やがて議論はヒートアップ。
ミニトーナが暴言を吐き始める。その暴言には、ギレーヌや俺のことも混じっていた。エリスは、それを、ムッとした顔をしつつも、ぐっとこらえ、落ち着いた感じで言い返していたらしい。
結局、最初に手を出したのはミニトーナだった。
エリスに喧嘩を売る。
勇気ある行為だ。尊敬に値する。俺にはとても真似できない。
とはいえ、エリスはその喧嘩を買ってしまった。容赦なく、いつものようにボコボコにした。
「エリス」
「なによ!」
と、ここで俺は一旦、状況をよく見てみる。
まずミニトーナ。
負けたはずだというのにかなり興奮していて、フーフー言っている。
エリスにボコられてなお、心が折れていないのだ。
エリスは大の大人の心でも簡単に折る。詰めの甘い女ではない。
ということはだ。
「ちゃんと手加減したんですね」
「……当たり前よ」
エリスはそっぽを向いて、そう言った。以前のエリスなら年下相手だろうと、自分に歯向かった相手には、決して容赦しなかった。俺が言うんだから間違いない。
「いつもなら、もっと酷いことをしてますよね?」
「……友達だもん」
エリスの顔を覗きこむと、ツンと口を尖らせて、バツの悪そうな顔をしていた。
ふむ。殴ったことを、少々後悔しているらしい。
今までのエリスにはなかったことだ。この三ヶ月でエリスは少しは大人になったのかもしれない。
俺の見ていないところで、彼女もちゃんと成長しているのだ。
なら、俺から言うことは一つだ。
「明日、別れる前に仲直りはしておいたほうがいいですよ」
「…………やだ」
まだ子供か。
★ ★ ★
最終日、旅の準備で忙しいこともあり、聖獣様とは会わなかった。
その代わりのように、深夜に二人の侵入者があった。
「あっ!」
小さな叫び声と、ガタンという大きな音。
そんな二つの音で、さすがの俺も目が覚めた。最近、どうにも緩んでいるなと思いつつ体を起こし、脇に置いてあった杖を手に取る。
泥棒にしてはお粗末な気配だ。ルイジェルドはとっくに気づいているだろう。
でも、ルイジェルドは何も言わない、これはいかに。
「テルセナ、もっと静かにするニャ」
俺は杖を手放した。ルイジェルドが黙っているわけだ。
「ごめんトーナ、でも暗くて」
「よく目を凝らせば見えるニャ……あっ!」
また、ガヅンという音がした。
「トーナ、大丈夫」
「痛いにゃ……」
しかし、本人はヒソヒソと話しているつもりなのかもしれないが、声量が大きいせいで丸聞こえである。彼女らの目的はなんだろうか。金か、それとも名声か。それともこの俺の体が目当てなんだろうか。
なんてな。どうせエリスだろう。
「あ、ここかニャ?」
「くんくん……ちょっと違うような」
「構うこたニャい。どうせ寝てるニャ」
彼女らは俺の扉の前で止まると、ガチャリと中に入ってきた。
恐る恐る、という感じで部屋の中を見渡し、ベッドに腰掛ける俺と、バッチリ目が合った。
「ニャ……!」
「どうしたのトーナ……あ」
ミニトーナ、テルセナがそこにいた。
薄手の皮のワンピース。尻のあたりに穴があいており、ぴょこんと尻尾が顔を覗かせている。
獣族特有の寝間着姿である。
実に可愛らしい。
「こんな夜更けにどうしました? エリスの部屋は隣ですよ」
できる限り小声で言った。
「ご、ごめんニャさい……」
そう言いつつ、彼女らは扉を閉めようとして、
ふと、止まった。
「そういえば、お礼、言ってニャかったニャ」
「あっ、と、トーナ?」
ミニトーナは思い出したかのように言って、部屋の中に入ってきた。
テルセナもびくびくとその後ろに続く。
「助けてくれてありがとうニャ。お前が治癒魔術を掛けてくれなければ、死んでいたかもしれなかったって聞いたニャ」
そうだろうな。
あの怪我は結構危なかった。俺ならとっくに心が折れている怪我だ。
よくもまぁ毅然とした態度を崩さずにいられたもんだと思うよ。
「お安いご用ですよ」
「おかげで傷跡も残らなかったニャ」
ミニトーナはそう言いつつ、ワンピースの裾をペロンとめくり上げて、綺麗な生足を見せてくれた。しかし、部屋が暗いせいか、その奥が見えない。
見えそうで見えない。キシリカ様、なぜあなたは暗視の魔眼を持っていなかったんですか……。
「トーナ、はしたないよ……」
「どうせ一度は見られてるんニャから、いいニャ」
「でも、ギュエスおじさんが言ってたよ、人族の男は万年発情してるから、不用意に近づいたら襲われるって」
万年発情。失礼なことを言う。
でも間違ってはいない。
「それに、あたしの体を見て興奮するニャら、お礼としては好都合……ニャ!? 寒気が!」
「いつまでもスカートの裾を上げてるからだよ」
その時、俺はミニトーナの足なんて見ていなかった。
冷や汗を垂らしながら、脇に置いたはずの杖を握りしめていた。
隣の部屋から、鋭すぎる殺気のようなものがじわじわと漏れ出している。
「こ、こほん。お礼は受け取りました。エリスは隣の部屋にいるので、どうぞ」
子供でも、不用意に怪我の跡なんかを見せるもんじゃない。
お医者さんごっこが趣味の危ないおじさんに襲われたら大変だ。
「そっか。でもほんと、ありがとうニャ」
「ありがとうございました」
二人はぴょこんと頭を下げて、部屋を出ていった。
ちょっとしてから、俺はこそこそと移動し、壁に耳をつける。
隣室ではエリスが不機嫌そうな声で「なによ?」なんて言ってるのが聞こえた。
腕を組んでいつものポーズを取っているのが目に浮かぶ。
ミニトーナとテルセナの声はやや聞こえにくい。いや、エリスの声が大きすぎるのか。
ハラハラしながら、聞いていたが、エリスの声が次第に穏やかになっていった。
大丈夫そうだ。
俺は安心して、ベッドに戻った。
彼女らは一晩中、語り合ったようだ。
何を話していたのかはわからない。ミニトーナもテルセナも、まだまだ人間語は達者というわけではない。エリスも多少なら獣神語を覚えたようだが、しかし会話ができるほどでもない。
ちゃんと話し合いはできたのだろうかと、不安だったが、翌日、別れ際にエリスはミニトーナの手を握り、涙を浮かべてハグをしていた。
仲直りはできたらしい。
よかったよかった。
★ ★ ★
聖剣街道。
それは大森林を一直線に縦断する街道である。
かつて、聖ミリスが作り出したこの街道には魔力が溢れている。
周囲が水浸しだというのに、街道だけはカラカラに乾いており、また、この街道には、一切魔物が出ないらしい。
俺たちはこれから、そこをドルディア族にもらった馬車を使って移動するのだ。南へと。
彼らは、旅に必要なものを何から何まで用意してくれた。
馬車+馬。旅費。消耗品等。
これなら、ザントポートに戻らなくても、ミリスの首都まで移動できるだろう。
よし出発。
という段階になって、なぜかサル顔の男がやってきた。
「いやー、ちょうどよかったぜ。そろそろミリスまで戻ろうかと思ってたところだ。乗せてってくれよ」
新入りは、そう言って、図々しくも荷台に乗り込んできた。
「あらギースじゃないの」
「お前も付いてくるのか?」
俺を除く二人から、文句の声はない。
知り合いだったのか、と聞いてみると。どうやら、ギースは俺の知らない間に二人への根回しをしっかりと行っていたらしい。
エリスとミニトーナ、テルセナの輪に入って面白い逸話を語ったり、ルイジェルドとギュスターヴの話の輪に入って二人をヨイショしたり。お調子者の本領発揮という手管で、二人に取り入っていたらしいのだ。
俺の見ていないところで。
ゆえに、二人に簡単に受け入れられた。
これがNTRか!
「よし、なら出発するぞ!」
ルイジェルドの掛け声と共に、馬車が走りだす。
獣族が見送ってくれるのに手を振りながら。
エリスが涙を浮かべてミニトーナたちを見ているのに、ちょっと感動しながら。
しかし、俺の心の中には、ちょっとだけモヤッとしたものが残る。
ギースのせいだ。ついてきたいのなら、最初からそう言っておけばいいのだ。
わざわざこんな、裏でこそこそ動くような真似をしなくても。
普通に頼めば、断ることなんてないのだ。
二人で同じ釜の飯を食って、ノミを取り合った仲なのに、水臭いぜ。
「おいおい、先輩。そんな睨むなよ、俺と先輩の仲だろう?」
結構なスピードで走る馬車の中、俺は不満げな顔をしていたのだろう。
ギースはニヤリと笑うと、俺の耳元に口を寄せた。
「これでも飯には自信があるんだ、任せてくれよ」
愛嬌のある顔だ。
こいつは悪い奴ではない。
でも、何か裏があると思ってしまうのは、ガルスの事件が脳裏に残っているからだろう。
「ルーデウス」
「なんですかルイジェルドさん」
「別にいいだろう」
「旦那! さすが旦那だ! いやあ、旦那のことは前々から男前だと思っていたんだよ!」
「ルイジェルドさん。いいんですか。こいつは、あなたの大嫌いな悪党ですよ?」
「そう悪い奴には見えんがな」
ルイジェルドの判断基準は、よくわからない。
あれがよくてコレがダメ。いや、これはもしかすると、ギースの根回しの結果かもしれない。
うまくやりやがったな、サル野郎。
「ヘヘッ、俺ぁギャンブルはするが、決して誰かを貶めようなんて思っちゃいねえからな。旦那の人を見る目は正しいぜ」
正直なところ、こいつには借りもある。裸で寒かったところに、ベストをもらったし、ガルスとの戦いでも助けてもらった。
何を企んでいるかは知らないが、俺の方に断る理由はない。
ちょっと回りくどいことをされて、ヘソを曲げただけなのだから。
「ついてくるのはいいけど、新入り、お前、スペルド族は怖くないのか?」
と、ルイジェルドに聞こえるように話す。
こいつは、ルイジェルドがスペルド族だと知っているのか知らないのか……酒盛りに参加したのなら、聞いていてもおかしくないが、後になってから、「スペルド族マジコエー」とか言い出されても嫌だしな。
「まさか、怖ぇよ? 俺も魔族だからな。スペルド族の怖さは子供ん時からよぉく聞いてるってもんよ」
「そうか。ちなみにルイジェルドはああ見えて、スペルド族だ」
そう聞くと、ギースは眼を細めた。
「旦那は別だ。命の恩人だからな」
何かあったのか、とルイジェルドに目線を送ると、知らないとばかりに首を振った。
少なくとも、この三ヶ月で彼を助けた、ということはないようだ。
「やっぱ憶えてねえか、もう三十年も前だもんな」
そう言って、ギースは語りだした。
出会いあり、別れあり、山場あり、濡れ場ありの超絶ストーリー。
ハードボイルドな超絶イケメンが旅に出ると言えば、百人の女から行かないでと懇願され、後ろ髪を引かれつつ故郷を旅立ち、旅先で謎の美女と……。
長いのでまとめると、彼が駆け出しの冒険者だった頃、魔物に襲われて死にかけていたところを、ルイジェルドに助けてもらったらしい。
「ま、三十年前のことだし、ことさら恩を感じてるわけでもねーけどな」
スペルド族はこえーけど、旦那は別だ。
サル顔の新入りは、そう言って笑った。ルイジェルドも心なしか表情が緩い。
俺は因果応報という言葉の意味を知った気がする。
よかったね、ルイジェルド。
「ま、しばらくは一緒に頼んまー。先・輩☆」
こうして、サル顔の新入りが『デッドエンド』に……入ったわけではない。
彼はあくまで、次の町までだ、と念押しをした。
彼のジンクスでは、四人でパーティを組むとろくなことがないのだとか。
そのジンクスを守って、一人で牢屋に入れられていれば、世話はないがな。
まあ、パーティに入らないなら、入らないでいい。
こうして、俺たちの旅に、一人の同行者が増えた。
★ ★ ★
俺たちは馬車のスピードに任せるまま、ただひたすらに大森林を駆け抜ける。
本当にまっすぐな道だ。
直線が地平線の彼方、ミリス神聖国の首都まで続いているのだ。
魔物も一切出ない。水はけもやけにいい。
なんでこんな道があるのかと疑問に思ったところ、ギースが説明してくれた。
この街道を作ったのは、世界の一大宗派である、ミリス教団の開祖、聖ミリスである。
ミリスが一太刀振るった結果、山と森を両断し、魔大陸にいる魔王を一刀両断したのだとか。
その逸話からこの道は『聖剣街道』と呼ばれている。
さすがにねーよ、と思うところだが、聖ミリスの魔力は未だに残っている。
それが証拠に、今のところ、魔物にも一切出会ってない。馬車がぬかるみに足を取られることもない。順風満帆。まさに奇跡だ。
ミリス教団が宗教として強い力を持っているのも頷ける。
だが、俺はむしろ、身体に悪影響がありそうで怖いと思っている。
魔力というものは便利だ。だが、動物を魔物に変化させたり、二人の子供を中央大陸から魔大陸まで転移させたり、良くないことも起こしている。
魔力が多いというのは、怖いことでもあるのだ。まあ、魔物に襲われないというのは楽でいいが。
街道脇には、一定距離ごとに野宿するポイントのようなものがある。
そこで野宿の準備をする。
食事はルイジェルドが適当に森で狩ってくるので、特に問題はない。
たまに、近くの集落から獣族が商売に来るが、食用品については買う必要がないぐらいだ。
大森林は言うまでもないことだが、植物が豊富である。
街道脇には、香辛料として使える草花が数多く生えている。
俺はかつて読んだ植物辞典をもとに、それらを採取して、調味料とした。
しかしながら、俺の料理スキルはそれほど高くない。この一年間でそれなりに上達したとはいえ、『まずい』が『ややまずい』に変化した程度だ。
大森林は食材が魔大陸よりも上質だ。魔物だけでなく、普通の動物もいる。うさぎやイノシシといった、普通の獣だ。そうした生き物の肉は焼くだけで十分うまい……のだが、せっかくだから、よりうまい肉を食いたい。食への探求は、いつだって貪欲だ。
そこでギースが登場する。
彼は自称する通り、野宿料理の達人だった。
取ってきた野草や木の実から魔法のように香辛料を作り出し、肉を華麗に味付けてみせたのだ。
「言っただろ? 俺ぁなんでもできるのよ」
自慢げに言うだけあって、その肉はマジでうまかった。
ステキ、抱いて! と、思わず抱きしめてしまったぐらいだ。
かなり気持ち悪がられた。俺も気持ち悪かった。
お互い様だね。
★ ★ ★
「暇ね」
今日も今日とて食事の準備をしていると、エリスがぽつりとつぶやいた。
食材:ルイジェルド
火と水:俺
料理:ギース
この完璧な役割の前に、エリスのすることはなかった。せいぜい薪拾いであるが、すぐ終わる。
よって、彼女は手持ち無沙汰である。
最初の頃は、一人で黙々と剣を振っていた。俺とギレーヌに散々反復練習を強いられてきた彼女は、何時間でも剣を振ることができる。かといって、それが面白いかというと、そういうわけではないらしい。
現在、ルイジェルドは狩りに、ギースはスープを煮込み、俺は作りかけのフィギュアに着手している。
この1/10ルイジェルドは完成まで時間が掛かるが、売れるはずだ。付加価値を付けるのだ。こいつがあればスペルド族に絶対に襲われない、むしろ仲良くなれる。とかなんとか言って。
それはさておき。エリスは暇を持て余している。
「ねえ! ギース!」
「なんだお嬢、まだできてねえぜ?」
ギースはスープの味を確かめつつ振り返る。
そこには、いつものポーズで仁王立ちしているエリスがいた。
「私に料理を教えなさいよ!」
「いやだね」
即答だった。
ギースは何事もなかったかのように、料理を続けた。
エリスは一瞬だけ呆けた顔になったが、すぐに気を取り直し、叫んだ。
「なんでよ!」
「教えたくねえからだよ」
「だから、なんでよ!」
ギースは大きくため息をついた。
「あのなお嬢。剣士は戦うことだけを考えてりゃいいんだよ。料理なんざ無駄だ。食えりゃいいんだよ」
ちなみにこの男。
食えりゃいい、なんてレベルの料理はしていない。
店を開けるレベルだ。なんとか皇が口から光を放ったりはしないが、近所で評判の料理店、ぐらいのレベルにはなるだろう。
「でも、料理ができたら……その……ねえ、わかるでしょ?」
チラチラと俺の方を見ながら、エリスは言いよどむ。
なんだいエリス。何が言いたいんだい。デュフフ……ハッキリ言ってごらんよ。
「わからねえな」
ギースはエリスに冷たい。
なぜかはわからないが、結構厳しい言い方をする。俺やルイジェルドに対してはそうでもないが、エリスにだけは結構突き放した言い方をする。
「お嬢は剣の才能があるじゃねえか。料理なんていらねえよ」
「でも……」
「戦えるってのは幸せなことだぜ? この世界で生きてくのに、それ以上のことは必要ねえよ。せっかくの才能が濁るだけだ」
エリスはムッとした顔で、しかしギースに殴りかかることはしなかった。
ギースの言葉には、なぜか奇妙な説得力があった。
「てーのは建前だ」
ギースはよしと頷き、スープをかき混ぜる手を止めた。
そして、俺が魔術で作った石の碗によそっていく。
「俺はよ、料理は二度と教えねえって決めてんだよ」
ギースは、かつては迷宮に潜るようなパーティにいたらしい。
六人パーティで、自分以外は一つのことしかできない、不器用な連中だったそうだ。
当時のギースの口癖は「お前ら、ソレ以外に何もできねえのかよ」というものだった。
そんなパーティだが、歪なりにもうまくやっていたらしい。
だが、ある日、パーティの女がギースに対し、料理を覚えたい、と言い出したらしい。
目的は、パーティ内にいる男を落とすため。男を落としたければ胃袋を掴め、という言い回しはこの世界にもあるのだ。ギースはしょうがねえなあと言いつつ、女に料理を教えた。
料理のおかげか否か、それはわからない。
結果として、女はパーティの男とくっつき、そのまま結婚。二人はパーティを脱退してどこかへと行った。
それはいい、とギースは言う。
別れ際に一悶着あったが、それ自体は悪くないという。
けど、その後が最悪だった。なんだかんだで重要人物だった二人が抜けたことで、パーティ内は荒れた。パーティ内は喧嘩と無関心が渦巻き、まともに依頼も受けられなくなり、すぐに解散となってしまったのだ。
とはいえ、ギースは何でもできる男だ。
剣と魔術の才能はないが、それ以外はなんでもできる。
だから、すぐに次のパーティを見つけられると思った。
結果は惨敗。当時、ギースは多少なりとも名の売れた冒険者だったというのに、彼を拾うパーティはいなかった。
ギースはなんでもできた。
冒険者にできることなら、大抵なんでも、だ。
つまるところそれは、ギースのできることは、誰かができるということだったのだ。高ランクのパーティなら、全員で分担してやるような雑事だったのだ。
ギースは気づいた。
自分の居場所はあのパーティにしかなかったのだ、と。
不器用な奴らがいるから、自分という存在が生きたのだ、と。
それから、ギースは冒険者という職業を半ば廃業。
遊び人として生きていくことにしたのだそうだ。
「だからな。女に料理はダメなんだ」
ジンクスだ、と付け加えた。
俺に言わせてみれば、ギースのジンクスなんてどうでもいい。
料理ぐらい教えてやればいいと思う。
このスープだってうまい。一口飲んだだけで口の中がシュビドゥバダッハーンという感じになる。
俺が教わりたいぐらいなので、助け舟を出してやることにする。
「新入りが不幸になったのはわかったけど、料理を教わった女の方は幸せになったんだろ?」
なら教えてやれよ、と思って聞く。
すると、ギースは首を振った。
「女が幸せになったかどうかは知らねえよ。会ってねえからな」
でも、とギースは自嘲げに笑った。
「男の方は、幸せじゃあ、なかったな……」
だから、ジンクスなのだろう。
落ち込んだ表情の彼を見ていると、俺は何も言えなくなってしまった。
うまいはずのスープが、ちょっと味気なくなった。
ルイジェルド、早く帰ってこないかな……。
★ ★ ★
ある日。休憩地点の道端に、奇妙な石碑を見つけた。
膝ぐらいの大きさで、表面には変な紋様が描かれている。一つの文字の周りを、七つの紋様が囲んでいる。確か真ん中の文字は、闘神語で『七』を表すのだったか。他の紋様は、どこかで見たような、見たことないような。
俺はギースに聞いてみることにした。
「おい新入り、この石碑は何だ?」
ギースは石碑を見て、あー、と頷いた。
「こりゃあ、七大列強だよ」
「七大列強、何だそりゃ?」
「この世界で最も強いとされる、七人の戦士のことさ」
なんでも、第二次人魔大戦が終わった頃、技神と呼ばれる人物によって定められたものだそうだ。
技神は当時最強と呼ばれていた人物だ。
そんな人物が定めた、この世界における、最強の七名。
この石碑は、それを確認するためのものだという。
「確か、そういう話なら旦那が詳しいはずだぜ。旦那!」
ギースが呼ぶと、近くでエリス相手に鍛錬をしていたルイジェルドがやってきた。
エリスはその場で地面に大の字に倒れ、ゼーハーと息を整えている。
「〝七大列強〟か、懐かしいな」
ルイジェルドは石碑を見つけると、眼を細めた。
「知っているのかルイジェルド」
「俺も若い頃は、いずれ〝七大列強〟の一人に数えられるようにと鍛錬を積んだものだ」
ルイジェルドはそう言って、遠い眼をした。
ずいぶんと遠い眼だ。遠い、遠い……どんだけ昔なんだ。
「あの紋様はなんなんですか?」
「あれは、各人物の紋章だ。現在の七名を表している」
ルイジェルドは一つ一つ指差しながら、現在の七名を教えてくれた。
現在の七名は、
序列一位『技神』
序列二位『龍神』
序列三位『闘神』
序列四位『魔神』
序列五位『死神』
序列六位『剣神』
序列七位『北神』
と並んでいるらしい。
「へえ。でも、七大列強なんて聞いたこともないですが?」
「〝七大列強〟の名が轟いていたのは、ラプラス戦役までだからな」
「なぜ廃れたんですか?」
「ラプラス戦役で大きな変動があり、その半数が行方不明者になったからだ」
ラプラス戦役には、技神を除く当時の〝七大列強〟が全員参加していたらしい。
しかし、そのうち三名は死亡。一人は行方不明。一人は封印という結果になった。
五体満足で生き残ったのは、当時では龍神だけらしい。一応、準最強と呼ばれる者たちが繰り上がりでランキング入りし、それから数百年掛けて、下位列強の座を奪い合ったものの、『最強』という単語からはほど遠いものとなった。
さらに現在。上位四名の居所がわからない。
技神・行方不明
龍神・行方不明
闘神・行方不明
魔神・封印中
確実に強いとされる上位がこれでは、ランキングとしての体をなしていない。
なので〝七大列強〟は次第に廃れ、人々の記憶から忘れ去られていった……といったところか。
ちなみに魔神がランキングから消えていないのは、死亡ではなく封印状態だからだろう。
「当時で生きてる人って、どれだけいるんですか?」
「さてな。四〇〇年前でも、技神は実在を怪しまれていた」
「そもそも、なんで技神はこんな順列を作ったんですか?」
「なんでも。自分を倒せる者を探すため、という話だったが、詳しいことは知らん」
まるで深○ランキングだな。
「この石碑もかなり古いものですし、もしかすると、今では順列に変化があったかもしれませんね」
そう呟くと、ギースが首を振った。
「いや、それは魔術で自動的に変わるって話も聞いたぜ?」
「え? そうなんですか? どういう魔術で?」
「知るかよ」
ということらしい。
石碑の文字が自動的に変わる。どうやっているのだろうか。この世界の魔術には、まだまだ俺の知らないことが多い。魔法大学にでも行けば、そのへんも学べるのだろうか。
それにしても七大列強か。
この世界には妙にチート臭い奴が多いと思ったが、どうにもついていける気がしないな。
まあ、世界最強を目指しているつもりはない。
あまり強さには拘らないようにしよう。
大森林を抜けるまでに一ヶ月掛かった。
だが、一ヶ月だ。たった一ヶ月で、大森林を走り抜けることができた。
道がひたすら直線で、魔物が一切出ない。ゆえに移動に専念できた。
というのも一つの理由だが、馬の性能も良かった。
この世界の馬は疲れ知らずなのだ。一日に十時間ほど休みなしで走り続け、しかも翌日にはケロっとしている。
何か魔力でも使っているのかもしれないが、実にスムーズに森を抜けることができた。
アクシデントと言えば、俺が途中で痔になったぐらいだ。
もちろん、誰にも言わず、コッソリと治癒魔術で治した。
エリスは修行と称して、馬車の上でずっと立っていた。危ないからやめなさいと言ったのだが、何が危ないの、という感じのバランス感覚だった。俺も真似してみたら、翌日は足腰がガクガクになった。
エリスは凄いなあ。
青竜山脈を抜ける谷の入り口には、宿場町がある。
炭鉱族が経営する宿屋街だ。冒険者ギルドはない。
だが鍛冶場町としても有名らしく、武器屋、防具屋が軒を連ねている。ここに売ってある剣は安い上に良い物だ、とギースが教えてくれた。エリスが物欲しそうな顔をしていたが、金に余裕があるわけではない。どうせ、ミリスから中央大陸に渡るのに、スペルド族がどうので金が掛かるのだし、無駄遣いはするべきじゃないと説き伏せた。
今のエリスの剣だって悪いものじゃないしな。
けれどやはり俺だって男だ。厳つい剣や鎧が並んでいるのを見ると、年甲斐もなくワクワクしてくる。とはいえ、やはり年格好と服装の問題なのか。店番をする炭鉱族に、「坊主には合わねえんじゃねえのか?」と笑われた。
これでも剣神流の中級だというと、ちょっと驚かれた。
まあ、金がないから、どのみち冷やかしなんだけどね。
ギースの話によると、ここは街道の分岐点となっているらしい。山伝いに東に進むと、炭鉱族の大きな町があるそうだ。北東に進むと長耳族の、北西に進むと小人族の領域が広がっている。
この街に冒険者ギルドがないのは、その立地に問題があるのかもしれない。
また、山の方に入っていけば、温泉もあるらしい。
温泉。非常に興味のある話だ。
「温泉ってなによ」
「山からお湯が湧いてるんですよ。そこで水浴びをすると、それはもう気持ちいいんです」
「へぇ……面白そうね。でも、ルーデウスもここに来るのは初めてよね? なんで知っているの?」
「ほ、本で読んだんです」
『世界を歩く』というガイド本には、温泉のことは書いてあっただろうか。
確か載っていなかった気がする。
しかし、温泉か。いいな。
この世界には浴衣はないだろうが。濡れた髪、桜色に染まる肌、湯に浸かって呆けるエリス……。
温泉という場所にはソレがある。
いや、別に混浴じゃないだろう。違うよな? でも、万が一混浴だったら、どうしたものか。
ぜひとも確かめなければいけない気がしてきた。
「雨期が終わったばっかりだから、山の方は今大変なはずだぜ?」
迷っていると、ギースに反対された。
山歩きに慣れてない奴が行くと結構時間が掛かるらしい。
というわけで、温泉は諦めた。
残念。
★ ★ ★
聖剣街道は青竜山脈へと入っていく。
馬車二台がすれ違える程度の広さの道が山を真っ二つに割っている。
谷底である。
しかし、ミリスの加護のおかげか、落石は滅多に起こらないらしい。もし、この道がなければ、北へは大きく遠回りしなければならないところだ。
この山には滅多に青竜は出ないとはいえ、魔物は多く、通過しようと思えば多大な危険を伴う。
そんな所に、魔物が一切出ないショートカットを作ったのだ。
聖ミリスが崇められる理由がよくわかる。
そんな谷を三日で抜け、俺たちは大森林を踏破した。
ここから先はミリス神聖国。
俺たちはようやく、人族の領域まで戻ってきた。
その事実に心を躍らせながら、俺は旅を続けるのであった。
番外編 「守護術師フィッツ」
気づいた時、ボクは空中にいた。
「えっ!?」
疑問の声は風にまかれて一瞬で掻き消える。
凄まじい高さ。どんどん落ちていく感覚。
風圧で息苦しくなる感覚。突き抜ける雲。
突き上がる恐怖。
「ヒッ」
喉の奥の悲鳴が聞こえた。
自分の悲鳴だが、まるで遠いどこかの誰かが叫んだかのような錯覚を受けた。
悲鳴が、これが現実だという感覚を助長した。
なぜかわからないが自分は空中にいて、落ちている。
「あっ……あっ!」
なんとかしなければ。なんとかしなければ死んでしまう。
────死。
間違いなく死ぬ。高い所から落ちれば、死ぬ、それぐらいは知っている。
地面がどんどん近づいてくるのがわかる。
「うわあぁぁぁぁぁ!」
恐怖にかられて魔力を全開にした。風だ。ボクは風を起こした。真下から叩きつけるように自分に向かって。鳥は風に乗って空を飛ぶと教えてもらった、誰に? 誰だっけ?
少し速度が落ちた──が、すぐに元の速度に戻った。
風ではダメだ。鳥は風に乗って空を飛ぶけど、人はいくら風を受けても、飛ぶことはできない、そう教えてもらった。誰に? 誰だっけ?
こういう時、どうすればいい。
彼はなんと言っていた。ボクに色々なことを教えてくれた彼は、なんと言っていた?
思い出せ、思い出せ。
彼は何か言ってなかったか。飛ぶ方法? それは、無理だって言ってた。飛べない、人は飛べない、何かを使わなければ飛べない。でも彼は飛ぼうとしていた時期があった。最終的に飛べなかったけど、飛ぼうとして、飛べなくて、地面に敷いた、柔らかい何かの上に落っこちていた。
そうだ! その衝撃を和らげる。柔らかいもの。柔らかいもので包むのだ。
しかし、柔らかいってどのぐらい。どうやって作ればいい?
わからないわからないわからない!
どうしよう、どうしよう、どうしようどうしようどうしよう!
水を作り出して、自分をくるんでみた。だめだ、すぐに吹き散らかされた。
風を作り出して、自分を押あげようとしてみた。ダメだって。これは無駄なんだって。
土を作り出して……使い方がわからない!
火を作り出て……風を……水? 土? わかんない! わかんないよ!
「あっ」
頭から落ちた。
★ ★ ★
「うわあぁぁ!」
叫び声を上げながら、銀髪の少年がガバリと体を起こした。
齢にして十歳かそこら。その幼い顔は、恐怖に歪んでいた。
「はぁっ……はぁっ……」
彼は荒い息をつきながら、自分の体をペタペタとさわり、白髪の頭をかきむしるようにさわり、五体満足であることを確認する。
「……あ? え?」
周囲を見ると、空の上ではなかった。柔らかいベッドの上だ。
「はぁ……」
少年は顔を手で覆い、安堵のため息をついた。
「おい、フィッツ、大丈夫か?」
その声は、上から聞こえた。
二段ベッドの上から、一人の少年が逆さになっている。成人前でありながら、見るものを虜にするような絶世の美男子……を自称している少年で、名前をルークと言う。
「随分うなされていたぞ、またあの夢を見たのか?」
「ああ、うん……」
フィッツと呼ばれた少年は、ルークに対して曖昧な頷きを返した。
そして、ふと、自分の股ぐらに違和感を覚えた。なんだろう、と思って見てみると、湿っぽい。
触ってみると、寝間着の下からシーツに至るまで、ぐっしょりと濡れており、ホカホカと湯気を立てていた。
「あっ……!」
フィッツは慌てて毛布を手繰り寄せ、ルークから隠そうとしたが、時すでに遅かった。
ルークは渋面でフィッツの寝小便を目撃してしまっていた。
「う……うぅ……」
フィッツは涙ぐみながら、情けない顔でルークを見た。
「ご、ごめ、ごめんなさい……」
「俺に謝るなよ」
ルークはベッドから降りつつ嘆息し、ボリボリと頭を掻いた。
「誰も、責めやしないさ」
「で、でも、この歳になって……その、おもらしなんて……」
「あの日、怖い思いをしたのはお前だけじゃない」
ルークは肩をすくめながら、しかし真剣な顔で言った。
その声音には、本気の慰めの色が見て取れた。
「それにここじゃあ、夜中に小便でシーツを汚す奴なんて、ごまんといるんだ。メイドだって慣れたもんさ。さぁ、さっさと着替えてシーツを洗濯係に預けろ、アリエル様が待ってる」
ルークはそう言って、さっさと一人で部屋を出ていった。
フィッツは涙を拭いながら濡れたベッドから這い出て、脇においてあったサングラスを掛けた。
★ ★ ★
フィッツはフィットア領消滅事件の被害者である。
彼が転移したのは、空中だった。
地上何百メートルという高さに転移した彼は、例外に漏れず重力に引かれて落下した。
他と違う点があるとすれば、彼が魔術師だったということだろう。
それも並の魔術師ではない、彼はまだ十歳であるが、優秀な師匠により、全ての中級魔術と、いくつかの上級魔術を習得し、それらを全て無詠唱にて行使することができた。
彼は空中でもがき、地上に到達するまでの間に減速することに成功、奇跡的に両足の骨折という結果にて着地することができた。
墜落といっても過言ではないが、ともあれ着地し、魔力枯渇の症状で気絶したフィッツ。
彼は目覚めた時、全てを失っていた。
故郷、住居、家族。
まだ幼いのに一瞬にして放浪者となったフィッツ。行く宛も頼る者もいない彼に目をつけたのは、アスラ王国第二王女アリエル・アネモイ・アスラだった。
彼女は無詠唱魔術を自在に操るフィッツの腕前に目をつけ、フィッツを雇い入れたのだ。
以来、フィッツは王宮にて、第二王女の守護術師としての生活を送っている。
「ふあぁ……ああ、ルークにフィッツ、おはようございます」
守護術師としての仕事は、まずアリエルの起床から始まる。
朝の決められた時間に彼女を起こすのだ。
そうした仕事は、本来ならばお付きの侍女の手によって行われるものであるのだが、アリエルは幼い頃に何度も暗殺されかけているため、守護騎士であるルークか、守護術師であるフィッツ以外に任せることはなかった。
フィッツが起床を任されているのは、元々王宮の外の住人で、アリエルと敵対する貴族と繋がっていないことがわかっているからだ。
「おはようございます、アリエル様」
もちろん、彼女よりも起床が遅れれば、厳しい罰を受ける……ことになっているが、今までに何度かアリエルより遅く起床しても、折檻を受けることはなかった。
「気持ちのいい朝ですね……ルーク、本日の予定はどうなっていますか?」
アリエルはうーんと伸びをしながら、ベッドから出てきて化粧台の椅子へと座った。
フィッツは彼女の後ろに付きつつ、洗顔をして髪を梳く。
「朝食の後、午前中にダティアン卿、クライン卿との会合があります、内容は──」
ルークが淡々と予定を説明している後ろで手早く、しかし丁寧に髪を梳かす。
「午後からはピレモン公との会合があります、夕食は──」
「ピレモン公だなんて他人行儀な……ルーク、あなたの父親ではないですか」
「公私混同は避けろと言われておりますゆえ」
髪のセットが終わると、アリエルは立ち上がり、両手を肩の高さで広げた。
フィッツはそれを見て、彼女の服を脱がせに掛かる。着替えさせるのも本来なら侍女の役目だが、幼い頃からの習慣である。
美しい絹に包まれた白くて瑞々しい肌にドギマギしながらアリエルを脱がせ、侍女によって予め用意された衣装へと着替えさせる。
どうやって着る服かすらわからない、複雑怪奇な機構を持つ服。
それを、フィッツはテキパキとアリエルに着せていく。
この仕事を割り振られた当初、フィッツは服の着せ方もわからなかった。
だが、最近は手慣れたものだ。
似たような服を何度も着せ替えしていれば、いかにフィットア領の田舎者でも覚えるのだ。
「フィッツ……ボタン、掛け違えてますよ」
「えっ? あ、はい、ごめんなさい」
そう油断していたところ、アリエルからの指摘を受けた。
フィッツは慌ててボタンを付け替えようとして、しかしどこのボタンかがわからない。この手の服は一度手順を間違うと、一気に全てがわからなくなるのだ。
「どうしました、はやく着せてくれないと、風邪を引いてしまいますよ?」
「は、はい、少々お待ちください!」
「それとも、私の体を見ていたいのですか?」
「ち、違います!」
顔を真っ赤にして慌てて否定するフィッツを見て、アリエルはクスクスと笑った。
彼女は、フィッツのこうした初心なところが好きでたまらなく、よくこうして意地悪をするのだ。
「自分としては眼福ですが」
そうしたやりとりを助けてくれるのは、いつもルークだった。
ルークは微笑みながら、フィッツが探しているボタンホールを指で指し示した。
「あら、ルーク、それは主に懸想をしているという意味ですか? だとしたら、不敬もいいところですよ? 罰は免れません」
「それは恐ろしい、どのような罰を?」
「本日のオヤツを没収します」
「おお、なんと厳しい……しかし、主の望みとあらば」
そうしたやりとりをしているうちに、フィッツはアリエルに服を着せ終わった。
アリエルはクルリと回り、服装に不備がないことを確認すると、よしと気合を入れた。
「ご苦労様。では、食事に参りましょうか」
「はっ!」
アリエルに付き従い、部屋を出ていくルーク。
フィッツもそれに追従しようとして、ふと化粧台の鏡に映った自分の姿を見た。
鏡の中には、サングラスを掛けた物憂げな表情の少年が立っていた。
彼は足を止め、短く切りそろえた白い髪を、指でくるりと回した。
しかしそれも一瞬のこと、彼はすぐに鏡から目を離すと、アリエルを追って部屋から出ていった。
★ ★ ★
さて。
唐突に王宮に現れたフィッツという少年魔術師に対して、貴族たちはやや批判的だった。
「魔術師団にはもっと生まれの高貴なものが大勢いるというのに……」
家名もなく、生い立ちも知れない。わかるのはただ種族と、彼の髪の色だけだ。
洗練されていない立ち振る舞い、言動は明らかに貴族ではない。
だというのに、アリエルは彼を新任の守護術師として扱い、守護術師としての最高の装備を与え、片時も自分の側から離さなかった。
そうした特別扱いが、貴族たちの不興を買っていたのだ。
「それにしても、あのサングラスはどうにかならんのか」
「まったくだ、不敬という言葉を知らんと見える」
彼は常にサングラスを掛けていた。当然、宮中で意味もなく顔を隠すことは、不敬にあたる。
だが、貴族たちの言葉は的外れだ。
このサングラスについては、アリエルが国王より直々に許可を取っている。
実は、このサングラスはいつどこにいてもアリエルの窮地を察することのできるマジックアイテムなのだ。「あんなことがあったのだから……」という事実が、国王にこれを許させた。
「あのサングラスのせいで、宮中のメイド共が黄色い声を上げている」
「ルークと並んでいる姿を見ているだけで幸せだと」
「あの女好きのルークが、少年を甲斐甲斐しく世話しているのを見るのが、至福らしいですな」
「宮中の風紀が乱れますな」
「風紀など、あってないようなものですがな」
ハッハッハと、貴族たちは笑った。
常にアリエルに付き従い、サングラス越しに見ても美男子とわかる風貌。アリエル、ルークと並んで立つのを見て、いけない妄想を掻き立てられる者が大勢いるのだ。
「少年同士というのもわかりますが、しかし不思議ですな」
「ほう、何が不思議と?」
「女好きで男嫌い、そう公言して憚らぬルークが、あの少年にだけは随分と優しい」
「ああ、なるほど確かに」
「いや、何もおかしいことなどありますまい、ルークも、ようやく男色の良さに気づいたというだけの話でしょう」
「そうでしょうな、ハッハッハ」
アスラ貴族にとって、同性愛というものはさして珍しいことではない。
もっと異常な性的嗜好を持つ者は大勢いるのだから、少年が美しい少年に恋をするというぐらいでは、さして驚くに値しないのだ。
「しかし、アリエル様はどこからあのような者を見つけてきたのでしょうな」
「さて、アリエル様があそこまで推すとなれば……もしや上級貴族の落とし子やもしれませぬぞ」
「ほう、心当たりがおありで?」
「うむ。何年か前に、フィットア領の従兄弟の所に出かけたのだがな、その従兄弟がサウロス公の孫娘の十歳の誕生式典に出席したというのよ」
「おお、サウロス公の孫娘と言えば、例のボレアスの赤猿姫ですな」
「そう、学校に行けば同級生を殴り倒し、勉学はおろか挨拶すらできんと評判の、あの猿姫よ」
「それがどうしたと?」
「うむ。従兄弟の話によると、その猿姫が随分と変わっておったそうでな、礼儀正しく挨拶をして、お淑やかに振る舞い、華麗にダンスを踊ってみせたと……」
「噂に尾ひれがついていただけで、猿姫は猿ではなかったというだけの話ではないか?」
「それが違うのよ。なんでも従兄弟が言うには、サウロス公に挨拶をした時に、自慢げに聞かされたのだそうだ」
「なんと?」
「孫娘を教育したのは、孫娘より二歳も年下の少年だと」
「ほう……年齢が合いますな」
「あまりにその少年を褒めるものだから、従兄弟はもしやと思って聞いたのだそうだ『実はその少年、サウロス様の血が流れているのでは?』と」
「ほうほう」
「無論サウロス公とて肯定はせなんだが、しかし不思議なことに、強く否定もしなかったのだそうだ」
「なるほど。では、その天才少年というのが……?」
「かもしれん」
「平民にしては礼儀作法に覚えがあるというのも、そういった理由か」
と、そこで片方の貴族はふと思った。
「しかし、本当に強いのですかな?」
アリエルの言によれば、フィッツはそこらの見習い騎士顔負けの俊敏さを持ち、読み書き算術をこなし、魔術学校の教師ですら到底持ち得ないほど魔術に関する深い知識を持ち、上級の魔術を無詠唱にて使いこなすという。
それも十歳にして。
「眉唾でありましょう」
「ですがアリエル王女もあのような目に遭われたのだ、生半可な者を側に置こうとは思わぬでしょう」
「ふぅむ、いっそ突いてみますかな? あの小僧の化けの皮が剥がれるならば良し……」
「やめておけ、本当に実力があり、けしかけられても面倒であろう?」
「ですな……それにしても、守護術師というのならば、せめて宮中のしきたりぐらいは覚えてほしいものですな」
「ああ、芋臭くてかなわん」
と、貴族たちはフィッツに対して批判的でありつつも、しかし何をするでもなく、ただフィッツを見て、陰口を叩くにとどめていた。
だが、実はそれはアリエルの思惑通りでもあった。
★ ★ ★
「では、ティンク卿のご子息は騎士団に?」
「ええ、彼は算術が得意ですから、騎士団の経理担当に見習いとして入団させましょう」
ある昼下がり。
アリエルはルークの父であるピレモン・ノトス・グレイラットと会合を行っていた。
ピレモンはアリエル派の筆頭貴族である。少々判断力の低い人物であるが、若くしてミルボッツ領の領主となったことで力を持っている男である。
彼は事あるごとにアリエルの所に出向いては、今後のことについて話し合っている。
現在、アリエルの味方は少ない。
アリエルはまだ成人もしていないし、民衆に人気はあるものの、貴族たちの人気はそれほど高いわけではないからだ。
ゆえに、現在、二人が行っているのは、貴族たちへの根回しだ。
第一王子や第二王子を推挙する有力な上級貴族はそう簡単にアリエルに寝返ることはないだろう。彼らはすでに、派閥の中で自分の立ち位置を確立している。
ゆえにピレモンは、浮動票を獲得することを提案した。
中央の政争にあまり関わらない地方の貴族や、それほど力を持っていない中級・下級貴族を仲間に引き入れるのだ。
そしてピレモンの力で彼らを中央の役人に取り立てたり、優秀な者を要所の下っ端へと配置した。
十年後、二十年後を見据えた戦略である。
十年後、ピレモンの息の掛かったアリエル派の人間が(トップにはなれないにしても)各所の要職となれば、後々に大きな力となるだろう。
「騎士団、魔術師団、近衛兵団に、市街兵団……これで主だった所への根回しは済みましたね」
「根から芽が出るかは、未だわかりませんがな。察知され、根こそぎ引っこ抜かれる可能性もありましょう」
彼らはまず、武装戦力を押さえることにした。
この平和な時代、兵士や騎士はそれほど重宝されていない。せいぜい国内の魔物退治や盗賊退治に役立つ程度である。政治的な力は皆無と言っても過言ではないだろう。
ゆえに他の派閥の息もほとんど掛かっていない。団長クラスともなればいずれかの派閥に属していることは間違いないが、政治に関わるほどの力を持たない小物ばかりだ。
だが、いざ事が起きた時、動くのは彼らである。
アスラ王国は長らく内乱もしていない上、宮中での暗殺すら証拠がなければ黙認されることもあるため忘れている貴族も多いが、武とは力である。
アリエルとピレモンは真っ先にそれを押さえたのである。
「こんな回りくどいやり方を取らねばならぬことを、歯がゆく思いますね」
「ですな……」
ピレモンはノトス・グレイラットの当主だが、他のグレイラットに比べて若く、人望も金もない。
アリエルも似たようなものである、王族であるため自由になる金はあるが、他の対立候補たちとの差は一目瞭然である。優っているのは民衆の人気ぐらいなものだ。
そして民衆の人気などというものは移ろいやすいものだ。
他の王子が少し何かをするだけで、民衆の心は変わってしまう。それを主軸に戦っていくのは、あまりにも不安定なのだ。
誰と戦うのか、なぜこんなことをしているのか。
「ですが、地道な足場固めが王道ですよ、殿下」
「ええ、もちろんわかっています。王位を手に入れるためには、回り道も必要ですから……」
そう、アリエルが王となる決意をしたからだ。
王となるべく、道を歩き始めたからだ。
宮中の目線をフィッツに集め、アリエル自身は裏で自分を推している有力貴族たちと深く結びつき、静かに政争をスタートさせたのだ。唐突に襲われ、慌てて自分の身を守り始めた怯えた王女。そんなレッテルを隠れ蓑とし、アリエルは獅子の牙を隠したまま進み始めた。
亡き守護術師、デリック・レッドバットの遺志のために。
「……」
そうした人事を行う二人を守るべく、やはり二人の人物が立っていた。
ルークとフィッツである。
二人は、会話に入ることなく、静かに立っている。
もし、その姿を目利きの商人や冒険者が見れば、ほぅと息を吐いただろう。
通常の数倍の速度で走れるようになる『疾風の靴』。
熱を通さず、使用者を一定の温度に保つ『煩熱のマント』。
掌に受ける衝撃を半減させる『圧倒の手袋』。
彼らが身につけているのは、全て一級の魔力付与品である。
ルークはそれに加え、鉄の盾をやすやすと切り裂く『斬
ざん
鉄
てつ
の剣』を腰に差している。
武器から防具まで完璧な装備で、あの事件の後にアリエルが与えたものである。
しかし、フィッツの腰にある杖は、そうではなかった。
魔術を覚えたばかりの初心者が持つような、小さなスティック状のロッドを持っている。
これは、魔力付与品でもなければ、魔道具でもない。
「では、ピレモン卿、よろしくお願いします」
「はい。アリエル様も……そろそろ誰かが何かに気づき始めてもよい頃合い、背中に隙だけは見せぬように」
「ええ」
二人が見守る中、アリエルとピレモンの会合が終わった。
二人は満足げな表情で部屋を横切り、入り口へと向かう。
ルークもそれに合わせ、アリエルの背後に控えるように移動した。フィッツはやや遅れて、ルークの真似をするようについてきた。
「ルーク、アリエル様の守護、しっかりと務めるように」
「ハハッ」
ピレモンはルークに一声掛けて去っていった。
ルークは礼儀作法通りに一礼し、それを見送った。
「ふぅ……随分と時間が経ってしまいましたね、食事にしましょうか」
「はい、アリエル様」
その言葉を受けて、ルークは呼び鈴を鳴らした。
チリンチリンチリンと三度。
そうして現れた侍女に「食事の用意を」と告げて、アリエルの背後へと戻る。
その様子を、フィッツが興味深い視線で眺めていた。
「その呼び鈴、鳴らす回数に、何か決まり事とかあるのかな?」
「たかが呼び鈴に、決まり事などあるわけないだろう」
呆れ気味に言ったルークに、フィッツはムッとした顔をしつつも頷いた。
「あ、そっか、そりゃそうだよね」
フィッツはここ最近、こうしてルークに色々なことを聞き続けた。
それには、食事の作法や挨拶の作法も含まれる。
フィッツは多少の礼儀作法を知っていたが、付け焼き刃のものであった。そのため、事あるごとに他の貴族たちの失笑を買った。だが、笑われる度に彼は顔を真っ赤にしながらもルークに聞きにきて、次の時までには完璧にこなすようになったのだ。
「クスクス」
そんな二人の会話に笑ったのはアリエルだ。
「フィッツも、ここ最近ようやく宮廷の作法に慣れてきましたね」
「いいえ、まだまだですよ」
「でも、そうしてひたむきに頑張る姿は、誰の目にも好ましく映りますよ」
「どうでしょうね、少なくとも、貴族たちには嫌われているようで」
フィッツは口を尖らせながらルークを見て、ルークはどこ吹く風で視線を逸らした。
「有象無象の噂など気にすることはありません。私はあなたのことが気に入っていますよ」
「……ありがとうございます」
フィッツは特に嬉しい顔もせず、アリエルに対して頭を下げた。
「ところでアリエル様、ボクの家族や師匠は見つかりましたか?」
その言葉に、アリエルは力なく首を振った。
「いいえ……」
フィッツは、いくつかの条件と引き換えにアリエルの守護術師となった。
まずひとつ、城内への無断侵入の罪を問わないこととする。
フィッツは転移事件の日にいきなり現れた。本人の意志ではないとはいえ、許可なく入り込んだのは事実であり、それはアスラ王国の法に照らし合わせれば、罰せられることであった。
それをアリエルの一存でお咎めなしとした。
といっても、これはアリエルの命を救った事実もあるため、どうにでもなることだったろう。
もう一つ、フィッツの両親と友人を探すこと。
フィッツはフィットア領の出身者であり、家族と離れ離れになってしまった。
本来ならフィットア領の領主であるボレアスがどうにかする事態である。
だがボレアスは領地を失い、手勢のほとんどを失ったことで窮地に陥っている。ボレアスと敵対関係にある貴族は、チャンスとばかりにやっきになって攻撃している。ボレアスは家を保持するのが精一杯で、どこかへと消えた領民を探すほどの余裕はない。一応ながら捜索団のようなものが組まれたが、形ばかりのものである。
ゆえに、アリエルがポケットマネーで捜索隊を組織し、探させることとなった。
ちなみに、その後に第一王子派のダリウス上級大臣がボレアスを庇護して捜索団に出資、捜索団は大規模なものとなったのだが……それはまた別の話だ。
その二点の条件を以て、フィッツはアリエルの護衛、守護術師となった。
「家族の行方は知れません、何分、世界中に散らばっているようなので」
「そう……ですか」
フィッツの耳は、見ている者が気の毒に思うほどに垂れ下がった。
アリエルはそれを見て、珍しく辛そうな表情をした。
「フィッツ……すいませんね、今のところ、私の力はあまり強くないのです」
「いえ、ボクひとりでは何もできなかったところですから、感謝しています」
「…………」
健気な態度のフィッツに、アリエルは思案げな表情を作り、ふと手をポンと叩いた。
「そうだフィッツ。今晩、私の部屋に来なさい」
「ふぇっ!?」
唐突の提案に、フィッツは素っ頓狂な声を上げた。
「最近、あなたは夢見が悪く、うなされていると聞きます。誰かと一緒に寝れば、それも和らぐのではないでしょうか?」
「で、でも、ボクは護衛で、田舎者で、それにアリエル様は王女様で……ルークも何とか言ってよ!」
話を振られ、ルークはすまし顔でフィッツを見た。
「いいじゃないか。褒美と思って受け取っておけば」
「褒美って……」
「まあ、少し変な噂は流れるだろうが……宮中の陰口に耐えてきたお前なら大丈夫だろう?」
この場に味方はいない。
そう悟ったフィッツは、ため息をついた。
★ ★ ★
アリエルがピレモンと悪巧みをしている頃。
王宮の別の場所では、別の悪巧みが進行していた。
「最近のアリエルの動き、どう見る?」
ある一室に、二人の男がいた。
一人は柔らかな金髪の青年。齢にして二十代中盤といったところか。
彼の手にはベガリット大陸産のガラスの杯があり、杯の中にはミルボッツ領でとれた新鮮なブドウから作られたワインが満たされていた。
もう一人はでっぷりと太った体を持った男だ。齢にして五十代前半といったところか。
彼の膝には半裸の少女が乗せられており、彼の手は少女の尻へと伸びていた。
「何やら、きな臭いですなぁ」
尻を撫でられた少女が顔を染めて俯く様を好色そうな目で見ながら、しかし太った男の声音は冷ややかなものであった。
青年は、それを意に介さない。
ただワインの味を楽しむように、ガラスの中の液体をクルクルと回していた。
「きな臭いではわからんよ」
「騎士団や衛兵たちの中に、自分の手のものを紛れ込ませているという報告があがっております」
「騎士団や衛兵に? アリエルめ、クーデターでも起こすつもりか?」
青年の言葉に、男は己の手を少女の下着の中へと潜り込ませながら、首を振った。
「まさか、そこまで短慮ではありますまい。ただ、仲間を増やそうというのでしょう」
「騎士団にしろ、衛兵団にしろ、政治的な影響力は持っていないぞ?」
「然り。ですが騎士団や衛兵は平民上がりの者も多い。アリエル王女にとっては最も手をつけやすい相手でしょう。まずは手始めに、という意味もあるのでしょうな」
「ふむ……」
「彼女は、私兵を持ちませんしな」
青年は考える。
騎士団や衛兵は政治的な力は持たない。
戦力は無論アスラ王国で最強であるが、構成員の大半が平民の出であることも相まって、大きな権限は与えられていない。
さらにトップは青年の配下の貴族が務めており、彼をすげ替えるのは楽ではないだろう。
だが、王都で何かが起きた時、実際に動くのは末端だ。
部隊長、兵長クラスのほとんどがアリエルの息の掛かったものに変われば、それより下の平の騎士や衛兵は、人気のあるアリエルの味方となるだろう。
となれば本当にいざという時にクーデターが起きかねない。
「少々、盲点だったな。我が妹は、なかなかに頭がいい」
青年が感嘆の声を出したのに対し、太った男は鼻で笑って少女の体を弄った。
「まさか、苦肉の策でしょう」
少女の小さな嬌声が響き、太った男の口元に笑みが浮かんだ。
「しかし、苦肉の策とはいえ良い手です。ノトスの若造は姑息なだけの鼠と思っておりましたが、なかなか先見の明がある」
「どうする?」
青年の問いに、太った男は少女から手を離した。
その手でワインの入ったグラスに指を入れた、紫色の雫の垂れる指を少女の口へと突っ込んだ。
少女は拒むことなく、それを舐めとる。
「どうもこうもありませんな。この一年静観しておりましたが、グラーヴェル殿下の敵となるならば、自ずとやるべきことは決まりましょう」
「と、いうと?」
太った男は、少女の舐めた指を己の口元に持ってゆき、舐めとった。
「芽を摘むのではなく、種を撒く者を刈り取るのです」
「……わかった、ダリウス。お前に任せよう」
「仰せのままに、グラーヴェル殿下」
第一王子グラーヴェルと、ダリウス上級大臣。
二人は悪巧みをする悪代官と越後屋のような顔をしながら、会合を終えた。
会話を聞いていたのはただ一人、ダリウスの膝に乗った奴隷の少女のみ。
そして、その少女は……。
★ ★ ★
そうして、場面はアリエルの寝室へと移る。
深夜、そろそろ就寝という時間になって、フィッツはアリエルの寝室へとやってきた。
フィッツは頭からホカホカと湯気を立てていた。
「あの、アリエル様、言われた通りに来ましたけど……」
ここに来る前に、フィッツはアリエルの侍女の手で風呂に入れられ、風呂上がりに体中に香油などを塗りたくられ、寝間着に着替えさせられた。柔らかい生地で織られた、高級な寝間着だ。
「よく来ました、お前たちはお下がりなさい」
アリエルがそう言うと、二人いた侍女が一礼をして、扉から出ていった。
薄暗い部屋の中、アリエルとフィッツは二人きりとなる。
「どうしました? こちらに来て、隣に座ってください」
「は、はい……」
フィッツは言われるがまま、おずおずとアリエルの隣へ座った。
アリエルはフィッツへと体を寄せる。
「……」
フィッツは、その分だけ、アリエルより遠ざかる。
そして、慌てた様子で手を上げて、遮るように言った。
「あの、えっと、一緒に寝るだけですよね?」
「ええ、もちろんですよ」
「えっと……えっと……でも、その割にはアリエル様、目がちょっと怖いんだけど」
にじりにじりと這いよるアリエル。
そそくさと身を遠ざけるフィッツ。
「怖いことなど何もありませんよ。確かに今、私はフィッツの艶やかな姿を見て、非常に興奮していますが、大丈夫、何もしませんから、さぁ、ベッドに横になりなさい」
「いや、怖い、怖いってアリエル様!」
「何も怖くなどありません」
「いや、だって、ボク、ほら、アリエル様も知ってるでしょ? ボクが実は……」
「知っていますよ、もちろん知っています」
とうとう、フィッツはベッドの端へと追い詰められた。
アリエルはフィッツの肩に手を置いて、ベッドの上へと押し倒した。
「ですから、フィッツにも私のことを知ってもらいたいのです」
フィッツは生娘のように目を閉じた。
いくらなんでも、こんなのはあんまりだ。そう思いながらも、素直にアリエルの手に身を委ねようとした。
元々、身寄りも行くあてもないフィッツは、アリエルに逆らうことなどできないのだから。
「……なんて冗談は、これぐらいにしておきましょうか」
と、アリエルはフィッツの上からどいて、隣に仰向けに寝転んだ。
意外に思ったフィッツが横を見ると、アリエルと目が合った。
「えっと……」
「一緒に寝るだけ、そう言ったじゃないですか。なにを勘違いしているのですか? 私があなたを無理やりに襲うとでも?」
フィッツは耳まで真っ赤になった。
それを見て、アリエルがクスクスと笑う。
「そういう顔を見ると襲いたくなりますけれど、今日は本当に、一緒に寝るだけです」
アリエルは上を向いて、ふぅと息をついた。
フィッツは戸惑ったまま、どうしていいのかわからず、体を硬直させていた。
しばらく、沈黙が流れる。
「──私も」
先に口を開いたのはアリエルだった。
「夢を見るんです」
「……夢ですか?」
「ええ、あの日の夢、デリックが魔物に殺されて、そして私もそのまま魔物に食い殺されてしまう、そんな悪夢です」
その言葉に、フィッツは改めてアリエルの顔を見た。
いつも張り付いている、優しげな笑みはなく、透明に思えるほどの無表情があった。
「その夢を見て、うなされて跳ね起きる……そんな日々が続いています」
「アリエル様も?」
「ええ」
アリエルは頷いて、フィッツの手を握った。
細く、今にも折れてしまいそうなほど繊細な指。
だがフィッツの手を握るそれは力強く、生命に満ちあふれていた。
「フィッツ、あなたの辛さはわかりませんが、あの日に辛いことがあったのは、あなただけではありません、辛いと思ったら、誰かに頼ってもいいんですよ?」
「アリエル様……」
「私は、遠慮なくフィッツに頼らせてもらいます。あの日、私を救ってくれたあなたと一緒に眠れば、あの悪夢を見なくても済むかもしれませんから」
それを聞いて、フィッツは何やら心が休まるような気持ちになった。
転移事件からこの方、自分には心休まる時間がなかったのだと悟った。
捨てられないようにと努力をして、使えない奴だと思われないように虚勢を張って、この人に気に入られようとしていたのだと気づいたのだ。
「そっか……」
でも、そんな必要はなかったのだ。
アリエルはきっと、フィッツが魔術など使えなくとも、側に置いてくれたのだ。同じ辛さを知る者として……。
「アリエル様」
「どうしました、フィッツ」
「ボク、きちんとアリエル様の護衛が務まるように、頑張るよ」
「いい心がけですね。では、さしあたっては夢の中でもお願いします」
アリエルはクスクスと笑った。
それにつられるように、フィッツの口元にも笑みが浮かんだ。
転移事件から一年、彼の口に初めて浮かんだ笑みであった。
「それでは、寝ましょう」
「はい、アリエル様、おやすみなさ……」
アリエルはフィッツの手を握ったまま目を閉じた。
フィッツもまた、心地良いまどろみの中、目を閉じて意識を落とそうかと思った。
だが、そこで気づいた。
「……?」
気配があった。
先ほどまで、部屋には二人分の気配しかなかったのに、ベッドの脇に、一人立っている。
少女だ。局部をわずかに隠しただけの半裸の少女が、ベッド脇に佇んでいたのだ。
その手には、大振りのナイフが握られている。
「……!」
少女はフィッツと目が合った瞬間、動いた。
アリエルに向かって倒れこむように迫る少女。
暗殺者だとフィッツは悟るが、何かを叫ぶ前に、すでに体は動いていた。アリエルをかばうように跳ね起きつつ、両手を少女へと向けて魔力を放つ。
『衝撃波』。
「ぎゃう!」
無言で放たれたその魔術は少女に直撃し、その体をアリエルと反対方向へとふっ飛ばした。
「何事ですか!?」
「アリエル様! 暗殺者です! ボクの後ろから離れないで! ルーク! 敵襲だ!」
フィッツの叫びがこだまする。
守護騎士の部屋はすぐ隣だ、ルークはすぐにでも駆けつけてくれるはずだ。
「ふぅぅ~」
暗殺者が立ち上がった。
据わった目でフィッツと、そしてアリエルを見る。視線は交互に二人を移動し、最終的にフィッツの方に定まった。標的より先に、護衛を片付けるつもりなのだ。
それを受けて、フィッツは腰を深く、身構えた。
寝間着姿で、せっかくもらった装備は何もないが、戦意は衰えていない。
「……シッ!」
暗殺者が駆けた。フィッツにまっすぐ向かう。
フィッツは彼女に対して両手を構え、魔術を放つ。
「ハッ!」
フィッツの手から放たれた魔術に形はなかった。ただ爆音と同時に天蓋付きのベッドを吹き飛ばし、部屋の壁に風穴を開けた。
上級風魔術『爆音衝撃波』。
これを受けて、生きていられるものなど、そういない。
だが、暗殺者は生きていた。フィッツに向かうと見せかけて、横っ跳びに飛んでいたのだ。
フェイントだ。
意図したものか、はたまた偶然か、暗殺者はフィッツの魔術を回避する形になっていた。
さらに、暗殺者は中空でナイフを投擲していた。
ナイフはまっすぐにアリエルへと飛んだ。
フィッツは咄嗟に手を伸ばし、そのナイフを空中で掴みとろうとした。無論、中空のナイフを掴みとるなど簡単ではない、しかし運よく指先にナイフが引っかかり、手の先に小さな傷を作りつつも、ナイフの軌道を逸らすことには成功した。
必殺の投擲に失敗し、暗殺者は猫のように受け身を取りながら、フィッツと距離を取ろうとして、
「あっ……」
すかさずフィッツが放った二発目の魔術で、ふっ飛ばされた。
上級風魔術の直撃を受けた暗殺者は四肢をバラバラにされながら、壁の穴から夜の空へと落ちていった。
「はぁ……はぁ……」
フィッツは一瞬の攻防で荒くなった息を吐きながら、穴から外を見た。月のない夜、外は暗く、その下は窺い知ることはできない。
だが、四肢をバラバラにしての落下だ。さすがに生きてはいまい。
「ふぅ……」
今、人を殺したのだという感覚もなかった。
「あっ、そうだ、アリエル様……大丈夫ですか?」
フィッツは慌てて部屋へと戻りつつ、アリエルの安否を確認しようとした。
「あ、あれ?」
だが、その途中で足がもつれた。
つま先の感覚はなく、フィッツは崩れるようにその場に倒れこんだ。
(毒だ……)
と、思った時にはもう遅い、フィッツの全身にしびれが回り、意識が朦朧とし始める。
(げ、解毒魔術を……)
もし、フィッツが並の魔術師であり、無詠唱による解毒魔術の施行ができなければ、あるいはそのまま即死していたかもしれない。
フィッツは朦朧とした意識の中で、己に解毒魔術を掛けながら、周囲を見る。
アリエルは無事、ルークも遅ばせながら部屋に来ている。
「ルーク、暗殺者です! フィッツが倒しましたが、毒にやられました! 至急医者を! それと、暗殺者の死体が階下にあると思いますので、衛兵を!」
「ハッ!」
ルークは頷きつつ、衛兵を呼びながら、すぐに階下へと走っていった。
フィッツは朦朧とする意識でそれを見送り、意識が落ちた。
★ ★ ★
かくして、アリエルの暗殺事件は未遂に終わった。
フィッツは毒にやられたものの、指先の小さな傷からほんの少量の毒が入っただけであった上、解毒魔術による応急処置が早かったため、一命をとりとめ、後遺症も残らなかった。
彼が復帰した時、貴族たちのフィッツを見る目は変わっていた。
あの日倒した暗殺者が問題だったのだ。
中庭に落ちた死体を衛兵が見聞したところ、あの少女は、十年近くも前からアスラ王国で活動している有名な暗殺者『夜目の烏』だと判明したのだ。
今までに何人ものアスラ貴族が彼女の犠牲になっていた。
それを、倒したということで、フィッツの実力は認められた。
無詠唱魔術を使い、普段から全く口を開かないということで『無言のフィッツ』と呼ばれるようになり、名実共にアリエルの護衛として、周囲の貴族たちに認められるようになったのだ。
こうして事件は一件落着、アリエルたちに平穏が訪れた……かに見えた。
事はそう簡単には幕を下ろさなかった。
この日より、アリエルを狙った暗殺者が現れるようになったのだ。
襲撃に次ぐ襲撃。
それらはフィッツの手によって逐一撃退されるものの、決して止むことはなく、またその犯人も決して判明することはなかった。騎士団による捜査もなんらかの圧力が掛かり、有耶無耶となった。
誰が暗殺者を送ってくるのか、予想はつきつつも明るみに出ない状況はアリエルを精神的に追い詰め、消耗させた。
結果、事態が危機的であると判断したピレモンの提案により、アリエルは留学という形で国外への脱出を図ることになるのだが……。
それは、また別の話だ。
★ ★ ★
守護術師フィッツ。
転移事件によって身寄りを失い、人生を狂わされた彼は、自分の意思とは裏腹に血なまぐさいアスラ王国の政争へと巻き込まれていく。
だが、ひとつだけ良いことがあった。
暗殺未遂事件のあった日から、フィッツは悪夢を見なくなったのだ。
空中に放り出され、無様にもがいて地面に叩きつけられる夢を……。
それだけが、彼にとって唯一の救いだったのかもしれない。
そんな彼とルーデウス・グレイラットの運命が交差するのは、もうすこし先の話である。
作者闲话
『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~ 4』
理不尽な孫の手先生 こぼれ話
皆さんこんにちは。
流石に四巻からという人はそうそういないでしょうが、いると仮定して初めましての方は初めまして。
理不尽な孫の手です。
四巻は、これからルーデウスの冒険を助けていく魔眼、世界的有名人であるキシリカの登場、ギャンブル好きの冒険者ギースや、獣族たちの村と、無職転生のファンタジーっぽさ、 世界観がたっぷりと詰まった巻となっております。
また、港町での出来事や大森林での戦いと、今回は多めに加筆修正されており、すでにWEB版を読んだ方も楽しんでいただけたのではないかと思います。
さて、今回もキャラクターについての裏設定というか、解説のようなものを書いていこうと思います。
・魔界大帝キシリカ・キシリス
まずはとても偉そうな幼女、キシリカについて語って行こうかと思います。
魔界大帝キシリカ・キシリス。
4巻、あるいはWEB版を読んだ方はご存知かと思いますが、彼女はアホです。
この物語に登場する人々の中で、五本の指に入るほどのアホです。
ちなみに五本の指に入っている人たちの大半は魔王です。
魔大陸の王様はみんな頭が可哀想なのです。
そんな彼女は、事あるごとに登場し、飯を献上すると助けてくれる、お助けキャラ的なポジションです。
「誰も正体を知らない謎のお助け幼女」ですね。まあ、正体は隠していないのですし、無職転生にもそんなに出てこないのですが……。
あの世界における彼女の役割というのは、そういったものです。
物語の見えていない場所でババーンと登場して、知恵とか勇気とか魔眼とかを与えて去っていく、そういうキャラですね。
無職転生に出てきていない部分で、4巻のルーデウスとキシリカの邂逅のような出来事が、たくさん行われているのです。
・魔族はどうしてこんなにアホなのか。
第一に人族との対比を出したかった、というのがあります。
2巻でボレアス家の後継者争いについての話を読んだ方はなんとなく察しているかと思いますが、人族の、特に貴族の人間関係ってのはドロドロギスギスしています。
3巻、4巻の番外編においてアスラ王国の王宮での話もやっておりますが、王族ともなれば暗殺が日常茶飯事という、その場にいるだけで疲れるような世界です。
でも魔族はそうじゃない。トップは馬鹿で、謀略をする頭なんて無くて、みんな自分の好き勝手に生きている。
もちろん血なまぐさい事もあるけど、基本的にはサラッとしている体育会系の世界。
そういう対比ですね。
もしかすると、相手を蹴落とすのが当然とされている今の社会に疲れている人は、魔大陸の社会が魅力的に映るかもしれません。
・ギース
さすらいのギャンブラー。ジンクスの男。その名はギース。
このキャラはもっと冒険者らしい冒険者を、という観点で作り出されました。
冒険者として必要な事はなんでも出来る、気配りも出来る、パーティのマネジメントも出来る。1パーティに一人は欲しい男、それがギース。
けど戦闘力は皆無なので、周囲から爪弾きにされていまいます。 なにせ、無職転生における冒険者パーティは7人までしか入れませんからね。
非常に有能な男なので、やろうと思えばいくらでも冒険者として活動出来るのですが……そうしないのはジンクスです。
そんなギースというキャラクターがなぜ唐突に4巻で出てきたのか、何を企んでいるのか。
というのは、5巻で明らかになります。
乞うご期待。
文库版 无职转生~到了异世界就拿出真本事~