【文库】無職転生 ~異世界行ったら本気だす~ 第2巻 [日]

無職転生 ~異世界行ったら本気だす~
第二巻

著者:理不尽な孫の手 角色原案:シロタカ
发售时间:2014年03月25日
特装版发售时间:2020年12月16日

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制作信息

简介

简介

憧れの人生やり直し型転生ファンタジー、第二弾早くも登場!

生前34歳無職ニートだった男は、異世界で生まれ変わり、新たな人生を歩み出していた。そんな男ルーデウスは、フィットア領で一番大きなロアという都市に住むお嬢様の家庭教師の仕事を授かる。
家庭教師ぐらい何とかなるだろうと思っていたルーデウスだが、生徒であるお嬢様――エリスは彼の想像を絶する乱暴者だった……!?
言うことを聞きそうにないエリスを何とか従わせるため、ルーデウスはある作戦を決行することに! ルーデウスの人生始まって以来の重大任務が始まる――。
憧れの人生やり直し型転生ファンタジー、第二弾!

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CONTENTS

CONTENTS

第二章 少年期 家庭教師編

「自由の翼を手に入れし者は、その代償に両足を失うであろう

── It is difficult for inoccupation to attach a leg to the ground and to work.

著:ルーデウス・グレイラット

译:ジーン・RF・マゴット

プロローグ

 俺は逃げていた。

 一匹の野獣から、ただひたすら逃げていた。

 恐怖心を胸に、一心不乱に。

 階段を走り、庭を走り、時には魔術を使って屋根に登り、転がるように。

「どこにいった!」

 そいつは、恐ろしい声を上げて追いかけてきた。

 どこまでも、どこまでも。

 俺は体力にはそこそこ自信があった。

 なにせ、二~三年も前から走りこみや剣術に打ち込んできたのだ。

 だが、そんな自信はこなじんに打ち砕かれた。

 奴は俺の努力をあざ笑うかのように、真っ赤な髪を翻らせて、息もつかせず追いかけてくる。

 あきらめない。どれだけ離しても、気を抜いた瞬間、確実に差をつめてきた。

「はぁ……はぁ……」

 もう息が、やばい。

 これ以上は走れない。逃げるのは無理だ。

 隠れよう、それしかない。

「くっ……」

 階段の陰、観葉植物の後ろに隠れていると、やかた中に響く声で、野獣の大音声が聞こえた。

「絶対に許さないんだから!」

 その言葉に、俺の足はブルブルと震えた。

 

 俺はルーデウス・グレイラット。七歳。

 明るい茶髪を持つ紅顔の美少年で、元三十四歳無職童貞のニートである。

 両親の葬式をブッチしたことで家族に家を追い出され、失意のままトラックにねられて死んでしまったのだが、運命のイタズラか、記憶を持ったまま赤ん坊に転生してしまった。

 俺は生前のクズだった自分を反省し、七年間、真面目に生きようと努力してきた。

 語学を学び、魔術を習い、剣術の修行をし、親と仲良くし、シルフィという可愛かわいおさなじみもできた。そのシルフィと一緒の学校に入るため、二人分の学費を稼ぐべしという言いつけに従い、じょうさい都市ロアへと向かった。

 雇い主のお嬢様に五年間、しっかりと勉強を教えた暁には、雇い主より学費が支払われる。

 ──という話だったのだが。

「出てきなさい! すりつぶしてやるわ!」

 俺は観葉植物の陰で、野獣の声におびえていた。

 少女の姿をした暴力の化身におびえていた。

 ──どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 それは、ほんの一時間ほど前までさかのぼる。

 

第一話 「お嬢様の暴力」

 夕方になる頃、ロアの町に到着した。

 ブエナ村とロアの町は、馬車で一日の距離にあるらしい。

 時間にして六、七時間ぐらいだろうか。遠いと言えば遠いし、近いと言えば近い。

 ロアの町は、このあたりで一番大きい都市というだけあって、活気があった。

 まず目に飛び込んでくるのは城壁だ。

 七~八メートルはあろうかという頼もしい城壁が町を囲んでいる。

 城壁にある大きな門の周囲には馬車が行き交っており、中に入ると露天商が立ち並んでいた。

 町の中に入ってすぐの位置には、馬屋や宿っぽい店が並んでいる。

 町人や商人に混じって、よろいを着た人が行きかう様は、実にファンタジーだ。

 ふと、待合所みたいな所に、大きな荷物を持った人々が座っていた。

 あれはなんだろう。

「ギレーヌ、あれがなんだかわかりますか?」

 俺は正面に座る人物に声を掛けた。

 獣のような耳と尻尾を持ち、チョコレート色の肌を露出の多い皮の服で包んだ、背が高い筋肉質のナイスガイ──ではなく、女剣士だ。

 彼女の名前はギレーヌ・デドルディア。

 剣神流七階位の上から三番目、剣王の位を持つすごうでの剣士で、これから赴く先で俺に剣を教えてくれるという約束になっている。

 俺にとっては第二の師匠だな。

「……おまえ」

 俺の問いに、彼女はいらだったような顔を向けてきた。

「あたしを馬鹿にしているのか?」

 強面でにらまれると、ビクッとなってしまう。

「いえ、ただ、あれが何なのか、わからないから教えてもらおうと思って……」

「ああ、すまん。そういう意味か」

 俺が泣きそうな顔をすると、ギレーヌが慌てて教えてくれた。

「あれは乗合馬車の待合所だ。普通は町から町に移動するのにはああいうのを使ったり、行商人にいくらか金をつかませて乗せてもらうのだ」

 ギレーヌはそれからも、店を一つ一つ指さしては、あれは武器屋だ、あれは酒場だ、あれは冒険者ギルドの支部だ、あれはいかがわしい店だ、などと教えてくれた。

 彼女はこわもてだが、親切だった。

 

 ある一角を抜けると雰囲気が変わった。

 武器屋や防具屋といった、いわゆる冒険者向けの店が立ち並び、さらにその奥に行くと、今度は町人向けの店が並んでいるようだ。

 路地の奥には民家があるのだろうか。

 よく考えられている。

 外から敵が来た場合、まずは門周辺の人間が相手をして、その間に町人は町の奥とか、襲撃されたほうの反対側に逃げられるのだ。

 こういう構造なら当然ながら、さらに奥に進むと、家の大きさがどんどん大きくなり、店も高級志向のものが多くなってくる。

 この町では中央に住むほど金持ちなのだ。

 そして、その中心にあるのは、最もでかい建物。

「あれが領主のやかただ」

「館っていうより城ですね」

「ここはじょうさい都市だからな」

 ロアは四〇〇年前の魔族との戦争において、最終防衛ラインとして機能していた由緒正しき町。

 だから、中央にあるのは城なのだそうだ。

 まあ、正しいのは由緒だけで、王都に住む貴族にとっては野卑な冒険者の多いへきだそうだが。

「でも、ここまで来たとなると、僕が教えることになるお嬢様は、かなり身分が高いんですね」

「そうでもない」

 ギレーヌは首を振った。

 だが、領主の館はもう目の前だ。先ほどの理論でいくと、このへんはもう、身分の高い人しか住んでないんじゃなかろうか。

 ……違うか。こんな辺境には、それほど身分の高い人はいないって意味か。

「あれ?」

 と、思ったら、領主の館の入り口で御者が門番に軽く会釈。

 そのまま館の敷地内へと入ってしまった。

「領主の娘だったんですね」

「違うな」

「違うんですか?」

「……ちょっとだけな」

 なにか含みがあるな。なんだろう……。

 馬車が止まった。

 

    ★ ★ ★

 館に入ると、執事の人に応接間のような場所に通された。

 二つ並んだソファを示される。

 俺にとっては、初めての面接となるな。

 慎重に行こう。

「そちらにお座りください」

 俺がソファに座ると、ギレーヌは無言で離れ、部屋の隅に立った。

 部屋全体を見渡せる場所で、ってやつかな。

 生前の世界なら、中二病乙、とでも思っただろう。

「もうじき若旦那様がお戻りになられるので、しばしお待ちください」

 執事っぽい人は、高級そうなカップに紅茶っぽいものを注ぐと、入り口脇に控えた。

 湯気が立つそれを飲む。

 まずくはない。紅茶の良し悪しはわからないが、きっと高いやつだ。

 ギレーヌの分が最初から用意されていないところをみると、お客様扱いなのは俺だけか。

「どこだ!」

 なんて考えていると、部屋の外から、大声と共に、乱暴な足音が聞こえ始めた。

「ここか!」

 乱暴に扉が開いて、筋骨隆々とした一人の男が入ってくる。

 年齢は五十歳ぐらいだろうか。ダークブラウンの髪に白いものが混じりだしているものの、まだまだ働き盛りという感じだ。

 俺はカップを置き、立ち上がると、腰を深く曲げて頭を下げた。

「初めまして。ルーデウス・グレイラットです」

 男性はフンと鼻息を一発。

「ふん、あいさつの仕方もしらんのか!」

おおだん様、ルーデウス殿はブエナ村より出たことがありません。まだ幼く、礼儀を習う時間は無かったでしょう。多少の無礼は……」

「貴様は黙っておれ!」

 執事の人は一喝されて黙った。

 これが大旦那様ってことは俺の雇い主になるのだろうか。

 ずいぶんとお怒りだ。何か俺に不足があったのだろうか。

 できる限り丁寧に挨拶したつもりだったが、なんか貴族の作法とかあるんだろう。

「ふん、パウロは自分の息子に作法も教えんのか!」

「父様は堅苦しいことが嫌で家を出たと聞きますので、あえて教えなかったのかと」

「さっそく言い訳か! パウロそっくりだな!」

「父様はそんなに言い訳ばかりしていたのですか?」

「おう! 口を開けば言い訳だ! おねしょをしたら言い訳! けんをしたら言い訳! 習い事をサボったら言い訳!」

 言いたい放題だな。

「貴様とて、習おうと思えば礼儀ぐらい習えただろう! 努力をしなかったからこんなことになるのだ」

 そう言われ、なるほど確かにと、うなずく部分はあった。

 俺は魔術と剣術だけで、新しいことを覚えようとはしてこなかった。

 視野が狭くなっていたのかもしれない。

 素直に反省すべきだな。

「そうですね。僕の不徳の致すところです。申し訳ありません」

 頭を下げると、大旦那様はダンと足で床を踏み鳴らした。

「だが、習っていないと開き直らず、自分にできる限りの礼儀を尽くそうという姿勢は良い! この館への滞在を許す!」

 よくわからんが許された。

 大旦那様はそれだけ言うと、バッと振り返り、そのまま肩で風を切って退室した。

「今の方は?」

 と、執事さんに聞いてみる。

「フィットア領主のサウロス・ボレアス・グレイラット様にございます。パウロ様の叔父にあたります」

 あの人が領主か。

 ちょっと勢いがありすぎて、統治とか心配になるな。まあ、この辺りは冒険者が多いって話だし、あれぐらい強気じゃないと領主が務まらないのかもしれないが。

 ん? グレイラットで、叔父……?

 するってえと、なにかい。

「僕の大叔父に当たるわけですか?」

「はい」

 読めてきた。

 パウロは勘当された実家のツテを使ったのだ。

 それにしても、まさか実家がこんな身分の高い家だったとは……。

 あいつ、いい所のお坊ちゃんだったんだろうか。

「どうしたトーマス。扉が開けっ放しじゃないか」

 と、そこで扉から一人の人物が登場する。

「あと、父上が上機嫌だったけど、何かあったのかい?」

 サラリとした茶髪の、なんとも線の細い軽そうな男だ。

 父上という言葉から察するに、この人がパウロの従兄弟いとこだろうか。

「これは若旦那様。申し訳ございません。先ほど大旦那様がルーデウス様に会われまして。お気に召されたようです」

「ふぅん。父上が気に入るような子なのか……これはちょっと人選を誤ったかな?」

 彼はそう言うと、俺のいる場所の丁度対面のソファに座る。

 ああ、そうだ、挨拶をしないと。

「初めまして、ルーデウス・グレイラットです」

 先ほどと同じように、腰を曲げて、頭を下げる。

「ああ、私はフィリップ・ボレアス・グレイラットだ。貴族の挨拶は、右手を胸に当て、少しだけ頭を下げるんだ。その挨拶だと怒られただろう?」

「こうですか?」

 フィリップの真似をして、頭を上げてみる。

「そうそう。けれど、さっきの挨拶も丁寧で悪くはないね。職人がああいう挨拶したら父さんが気に入りそうだ。座ってくれ」

 フィリップはソファにどっかりと腰を下ろす。

 言われるまま、俺も座る。

 ……面接開始か。

「話はどこまで聞いている?」

「五年間、ここでお嬢様に勉強を教えれば、魔法大学への入学資金を援助してもらえると」

「それだけ?」

「はい」

「そうか……」

 フィリップはあごに手を当て、何かを考えこむようにテーブルに視線を落とした。

「君、女の子は好きかい?」

「父様ほどではありませんが」

「そうかい、じゃあ合格だ」

 あ、あれぇ~?

 はやくね?

「今のところ、あの子が気に入った教師は礼儀作法のエドナと、剣術のギレーヌだけだ。今までに五人以上解雇している。そのうちの一人は王都できょうべんをとっていた男だ」

 王都で教鞭をとったからって、教え方がうまいとは限らないという意見は飲み込む。

「……それと女の子が好きなのと、どういう関係があるんですか?」

「関係なんてないさ。パウロは可愛かわいい女の子のためならいくらでも頑張れる男だったからね、きっと君もそうなんだろうって思っただけさ」

 フィリップはやれやれと肩をすくめた。

 肩をすくめたいのはこっちだ。あいつと一緒にしないでほしい。

「ハッキリ言って、君にはあまり期待していない。パウロの息子だから、とりあえず試してみようってだけだ」

「そりゃ、随分とハッキリ言いますね」

「なんだい、自信でもあるのかい?」

 自信なんてものは無い。

 無いが、そうとはいえないこの空気。

「実際に会ってみないとわかりませんが……」

 それに、この仕事を失敗して別の仕事に逃げたとなると、パウロのあざ笑う声が聞こえてきそうだ。やっぱりお前はまだまだ子供なんだよ、と。

 冗談じゃない。

 年下あんなやつにナメられてたまるか。

 ふむ……。

「そうですね、会ってみてダメそうなら……一芝居打ってみますかね」

 ここは、生前の知識を使わせてもらおう。

 生意気なお嬢様を素直にさせるパターンだ。

「一芝居? どういうことだい?」

 俺は簡潔に説明した。

「僕がお嬢様と一緒にいるところを、当家の息の掛かった者に誘拐させます。僕は読み書き、算術、魔術を駆使してお嬢様と共に脱出し、自力で館まで帰る、って感じですかね」

 それを聞いたフィリップはきょとんとしていたが、すぐに理解したようで、なるほどと頷いた。

「要するに、自分から学んでみたい、と思わせるわけか。面白いね。しかし、そううまくいくかな?」

「大人から頭ごなしに言われるよりは可能性があるかと」

 漫画やアニメではよくある展開だ。

 勉強嫌いな子供が、アクシデントに見舞われることで学ぶことの重要性を知る。

 別に、それを自作自演してしまっても構わんだろう。

「それはあれかい? パウロがそういう方法を教えてくれたのかい? 女の子の落とし方の一つとして」

「いいえ。父様はそんなことしなくてもモテます」

「モテ……ふっ……」

 フィリップが吹き出した。

「そうそう。あいつは昔からモテるんだ。何もしなくても女が寄ってくるしね」

「父様の紹介で会う人はみんな父様のお手付きです。そっちのギレーヌもそうでしたし」

「ああ、まったくうらやましい限りだよ」

「ブエナ村に残してきた幼馴染が手を出されないか心配です」

 口に出してみて、本気で不安になる。

 シルフィ、五年後っていったら結構大きくなっているよな……。

 いやだよ、帰ってみたらシルフィがお母さんの一人になってました、とか。

「安心しなさい。パウロは大きな子にしか興味がないからね」

 フィリップはそういいつつ、部屋の隅にいるギレーヌに目を向けた。

「……ああ、なるほど」

 チラリと振り向いて、ギレーヌを見ると、確かにでかい。

 思い返せば、ゼニスもリーリャも大きかった。

 なにがって?

 おっぱいだよ。

「五年ぐらいなら大丈夫だよ。長耳族エルフの血が混じってるなら、成長してもそんなに大きくはならないだろうしね。それに、さすがにパウロだってそこまで外道じゃないさ」

 本当かなあ?

 ていうか、シルフィが長耳族エルフだって知ってるのか。

 これは、ブエナ村で暮らしていた頃のことも全て筒抜けだと考えたほうがいいかな。

「それよりも、私としては、君に娘がたぶらかされないか心配だよ」

「七歳の子供に何を心配しているんですか……?」

 まったく、大変失礼な話だ。

 俺は何もしませんよ。向こうが勝手にれる(ように仕向ける)だけです。

「でも君、パウロからの手紙では、村で女遊びが激しすぎるから隔離したって書いてあったんだよ? 冗談だと思ってたけど、さっきの作戦を聞いたらあながちうそでもないんじゃないかと思ってね……」

「シルフィ以外に友達がいなかっただけですよ」

 そして、その唯一の友達を、従順な雌奴隷に育て上げようとしただけ。

 ──なんてことは口が裂けても言わない。

 言わなくてもいいことは、言わないほうがいいのだ。

「そうか。よし、ここで話をしていてもらちがあかない、娘に会わせよう。トーマス、案内しろ!」

 フィリップはそう言って立ち上がった。

 

 そして、俺は彼女と出会った。

 

    ★ ★ ★

 こいつはナマイキだ。

 一目見た瞬間、そう思った。

 歳は俺の二つ上。

 キッとつり上がったまなじり、ウェーブのかかった髪。

 髪は真紅。原色のペンキでもぶちまけたのかと思えるほどの赤。

 第一印象は、れつ

 将来は美人になるだろうが、数多くの男が「これは無理だ」と思うであろうことが予想される。

 真性のドMだったら……とか、そういうレベルじゃない。

 とにかく危険なのだ。

 俺の全てが近づくなと叫んでいる。

「初めまして、ルーデウス・グレイラットです」

 が、逃げるわけにもいかない。

 先ほど教わった通りに挨拶してみる。

「フン!」

 彼女は俺の姿を一目見た瞬間、おじいちゃんとそっくりの鼻息を一つ。

 腕を組んで仁王立ちして、明らかに見下した態度で、上から見おろしてきた。

 俺より背が高いのだ。

 彼女は俺を見ると、あからさまに不機嫌な顔をして、言った。

「なによ、私よりも年下じゃないの! こんなのに教わるなんて冗談じゃないわ!」

 ですよねー、プライド高そうですもんねー。

 しかし、引き下がるわけにもいかない。

「歳は関係ないと思いますけど」

「なに!? 私に文句があるわけ!?」

 どでかい声だった。耳がキンキンする。

「でもお嬢様は、僕ができることができないわけですよね」

 そう言うと、お嬢様の髪が逆立ったかと思った。

 怒気というものが目に見えるとは思わなかった。

 怖い。

 うう、くそ、なんで俺が、十歳にも満たない子供に恐怖しなきゃいけないんだ。

「ナマイキよ! 私を誰だと思ってるの!?」

「俺のマタイトコですね」

 恐怖を隠しつつ、答える。

「マタ……? なによそれ」

「僕の父様の従兄弟の娘ってことです。僕の大叔父さんの孫という言い方もありますけど」

「なによ! ワケわかんない!」

 ちょっと言い方が悪かったかな?

 まあ、単に親戚って言葉を使ったほうがわかりやすいか。

「パウロって名前、聞いたことありません?」

「あるわけないじゃない!」

「そうですか」

 意外と名前が知られてないらしい。

 まあ、関係なんてどうでもいいんだけど。

 とにかく今は会話だ。

 最初は会話イベントを繰り返すコトが重要だって、落とし神様も言ってた。

 と、思った次の瞬間。

 お嬢様が手を振り上げた。

 

 パァン!

 

「……え?」

 いきなりだった。

 お嬢様は、いきなり俺のほおを張ったのだ。

 少々混乱しつつも、俺は彼女に問うた。

「なんで殴るんですか?」

「年下のくせに生意気だからよ!」

「なるほど」

 張られた頬が熱を持ってヒリヒリしてくる。

 痛い……。

 第二印象は、乱暴だ。

 まったく、しょうがないな。

「じゃあ、殴り返しますね」

「は!?」

 返事を待たずに、頬を張り返した。

 

 ベチン!

 

 あまりよくない音がした。

 たたきなれてないから、こんなもんか。まあいい。痛みはあっただろう。

「人に殴られる痛みが」

 わかりましたか──と、言おうとした俺の視界に、髪を逆立ててこぶしを振り上げるお嬢様の姿があった。

 仁王像だ。あれにそっくり。

 なんて考えた瞬間、殴られた。

 よろめいたところに足を掛けられた。

 胸を突かれて、転ばされた。

 あっという間にマウントポジションを取られた。

 気づいたら、ひざで両腕を封じられていた。

 あ、あれ? 動けなくない?

「ちょ、おい」

 俺のろうばいの声を、お嬢様のえ声がき消した。

「誰に手を上げたか! 後悔させてやるわ!」

 ハンマーが振り下ろされた。

「あだ、いで、ちょ、まって、え、うそ、やめて」

 その後、五発ほど殴られたあたりで、なんとか魔術を使って脱出。

 足がすくみそうになるのを我慢しつつ立ち上がり、魔術で迎撃しようと手を向ける。

 風の魔術で衝撃波を生み出し、お嬢様の顔に叩きつけた。

「……もう、許さないわ」

 お嬢様は顔をらせたが、一瞬たりとも止まらず、鬼の形相で突っ込できた。

 その形相を見た瞬間、俺は自分の勘違いに気づいた。

 転がるように逃げた。

 あれは俺の知ってるお嬢様とは違う。

 ドリルロールでアクロバティックなワガママバレルロールを決めるようなお嬢様ではない!

 あれは不良漫画の主人公だ。

 魔術でボコボコにすることはできるかもしれない。

 けど、きっとそれでも言うことは聞かない。

 お嬢様は必ずや復活を遂げて、ふくしゅうに向かってくるだろう。

 その度に、彼女を魔術で叩くことはできる。

 だが彼女の心は決して折れることはないだろう。

 漫画の主人公と違い、彼女はどんなきょうな手でも使ってくるはずだ。

 階段上から花瓶を投げつけたり、物陰から突然木刀で襲い掛かってきたり……。

 ありとあらゆる手段を用いて、やられた分の一〇倍以上のダメージを与えようとしてくるだろう。

 そしてその時、彼女はきっと、手加減すまい。

 冗談じゃない。治癒魔術は詠唱ができなければ唱えられないんだ。

 また、争いが続く限り、俺の言うことも決して聞くまい。

 力ずくで言うことを聞かせる。

 それは今回、決して取ってはいけない選択肢だったのだ。

 そして、冒頭へと戻る。

 

 あの後、お嬢様もさすがに疲れたのか、あきらめて自室へと帰っていった。

 隠れている俺を発見することができなかったのだ。

 だが、ギリギリだった。あの赤毛の悪魔が目の前を通り過ぎていく時は、生きた心地がしなかった。こんな所でホラー映画の主人公の気持ちがわかるとは思いもよらなかった。

 疲れ果ててフィリップの所に戻ると、彼は苦笑して待っていた。

「どうだい?」

「どうにもなりませんよ」

 俺は半泣きになりながら答えた。

 殴られている時、殺されるかもしれないと思った。逃げている時は泣きそうだった。

 そんな風に思ったのは久しぶりだ、けれど喉元過ぎればなんとやら、久しぶりということは、以前にもあったということだ。

 トラウマといえるほどでもない。

「じゃあ、諦めるかい?」

「諦めませんよ」

 まだ、何もやってないじゃないか。

 これで引き下がったら、殴られ損だ。

「例の件、お願いします」

 俺は力強く、フィリップに頭を下げた。

 あの野獣に本当の恐怖を教えてやるんだ。

「わかったよ。トーマス、用意してやってくれ」

 フィリップが言うと、執事が退出した。

「それにしても、君も面白いことを考えるね」

「そうですか?」

「ああ、教師の中でこんな大掛かりな策を持ち込んだのは君だけだ」

「……効果はあると思いますか?」

 少し不安だった。

 あのお嬢様は、俺の小細工でどうにかなる相手なのだろうか、と。

 フィリップは肩をすくめて、言った。

「それは君の努力次第さ」

 ごもっとも。

 

 こうして、作戦を決行することとなった

 

 

    ★ ★ ★

 俺は与えられた自室に入る。

 調度品はどれをとっても高級そうなものだ。

 でかいベッドに、装飾のほどこされた家具。

 れいなカーテンに、新品の本棚。

 これでクーラーとパソコンがあれば、実に快適なニート生活を送れることだろう。

 いい部屋だ。

 俺もグレイラットの姓を持っているし、雇用人用の部屋ではなく、客間が用意されたのだろう。

 雇用人と言えば、なぜかメイドさんに獣族が多かった。

 この国では魔族の差別が強いと聞いたけど、獣族は別なのだろうか。

「はぁ……それにしても、パウロめ。なんて所に送り込むんだ……」

 ぼすっとベッドに座り、俺はズキズキと痛む頭を抱えた。

 殴られたせいか、まだ痛みが残っている。

 ぽつりとヒーリングを唱え、傷を癒す。

「とはいえ、生前のあの時に比べれば、マシだ」

 殴られて叩き出されるという過程は同じだ。

 けれど、今回は違う。路頭に迷うことはない。

 あの時とは雲泥の差だ。

 パウロはきちんとフォローしてくれている。仕事も用意してくれたし、寝る場所だってある。

 しかも小遣いまでくれるというじゃないか。

 至れりつくせりだ。

 もし、生前の兄弟たちがここまでしてくれたなら、俺も更生できていたかもしれない。

 仕事を見つけて、部屋を用意して、逃げ出さないように監視を付けて……。

 いや、無理か。

 三十四歳職歴無しで、どうしようもないから捨てられたのだ。

 俺だって、当時いきなりそんなことをされても、ただくされただけだ。

 渋々仕事をする、ということさえしなかっただろう。

 恋人パソコンと引き離されて、自殺すら計ったかもしれない。

 今だからいいのだ。

 仕事をする、金を稼ぐと決めた今だから。

 強引だが、絶妙のタイミングだ。

 俺はパウロのことを、ちょっと誤解していたのかもしれない。

「でも、あれはねえよ」

 あの凶暴な生き物はなんだ。

 あんなのは四十数年生きてきて初めてだ。

 怖いなんてもんじゃない。

 バイオレンスだ。

 瞬間湯沸器みたいだ。

 危うくトラウマが呼び起こされるところだった。

 ていうか、ちょっと漏らした。

「コチラ側、どこからでもキレますって感じだったな」

 もっとも、あのお嬢様を見るに『反対側』からも切れそうだ。

 内容物どくき散らしながら。

「……学校から追い出されたってのも納得だ」

 随分と手慣れた手つきでぶん殴ってきた。

 アレは人を殴ることに慣れた手つきだ。無抵抗の相手も、抵抗する相手も関係なく殴り倒してきた手つきだ。

 まだ九歳だというのに、相手を無力化するプロセスが手慣れすぎだ。

 俺は、あんなのにちゃんと教えられるんだろうか。

 フィリップとは、話し合った。

 まず、誘拐犯にさらわせて、無力感を味わわせる。

 そこを俺が助ける。彼女は俺を尊敬し、授業も素直に受けるようになる。

 計画は簡単だが、俺も基本的な流れはわかっている。

 思い通りの反応を引き出せれば、うまくいくはずだ。

 しかし、本当にうまくいくのか?

 あの暴力性は俺の予想のはるか上だ。

 吠えるだけ吠えて、相手がみ付いてきたら完膚なきまでに叩きつぶす。

 完全勝利への意志がうかがえる暴力だ。

 誘拐犯に攫われたところで、何のつうようも感じないんじゃないのか?

 俺が助けたら、当然という顔をして「もっと早く助けなさいよグズ」なんて言ってくるんじゃないのか?

 ありうる。

 ありうるよ、あのお嬢様なら。

 これは、想定外の反応が来る可能性がある。

 あらゆる事態を想定しておく必要がある。

 覚悟を決める必要がある。

 なにせ、失敗は許されないのだ。

 

 俺は考えた。

 成功させる方法を、手順を。

 しかし、考えれば考えるほど、思考は泥沼に陥った。

「神様、どうか成功させてください……」

 最後は祈った。

 神様なんて信じていなかった。

 日本人らしく、困った時にだけ神頼みをした。

 どうにか成功させてください……と。

 そして御神体パンツが自室に置き去りであることに気づいて、泣いた。

 ここにロキシーはいないのだ。

名前:『お嬢様』

職業:フィットア領主の孫

性格:凶暴

言うこと:聞かない

読み書き:自分の名前は書ける

算術:一けたの足し算まで

魔術:さっぱり

剣術:剣神流・初級

礼儀作法:ボレアス流の挨拶はできる

好きな人:おじいちゃん、ギレーヌ

第二話 「自作自演?」

 目が覚めると、そこは小汚い倉庫の中だった。

 鉄格子付きの窓から、日の光が漏れている。

 体中が痛かったが、とりあえず骨が折れていないことだけは確認し、小声で治癒魔術を掛けた。

 後ろ手に縛られていたが、なんのその。

「よし」

 全回復。服も破れていない。

 作戦通りだ。

 

 お嬢様をろうらくするための作戦は、以下の通りである。

 

一.お嬢様と一緒に町の服屋へと赴く。

二.お嬢様はヤンチャなので一人で店の外へと出たがる。

三.いつもは護衛のギレーヌは付いてくるが、今回は『偶然』目を離していて、お嬢様は外に出る。

四.俺が付いてくるが、しょせんけんでぶちのめしたばかりの年下の小僧。お嬢様も気にしない。

五.お嬢様は俺を子分のように引き連れて、どんどん町の端の方へと移動していく(どうやら冒険者にあこがれているらしい)。

六.そこに、グレイラット家の息が掛かった人さらいが登場。

七.俺とお嬢様を簡単にこんとうさせて、隣町へと監禁。

八.魔術を使って監禁場所を脱出。

九.隣町だということをどこかで察知する。

十.パンツの中に隠したお金を使って、乗合馬車に乗る。

十一.家に帰り着く、お嬢様を偉そうに説教。

 

 現在、七番までは順調に進んだ。

 あとは俺が魔術と知識と知恵と勇気を駆使して華麗に脱出すればいいだけだ。

 リアリティを持たせるために、かなりアドリブでいく。

 うまくいくのか不安だ……。

「……うん?」

 しかし、ちょっと予定と違うな。

 この倉庫はかなりほこりまみれで、端の方には壊れたや穴の開いたよろいなんかがゴチャっと捨ててある。

 もうちょっとれいな所だって話だったが……。

 まぁ、芝居だとばれないように本気でやるって話だったし、こんなもんか。

「ん……んうぅ……?」

 しばらくして、お嬢様が起きた。

 目を開き、見知らぬ場所と見て、バッと身体を起こそうとしたが後ろ手を縛られているせいで、芋虫のように地面に倒れた。

「なによこれ!」

 お嬢様は動けないと見るや、すぐに騒ぎ出した。

「ふざけるんじゃないわよ! 私を誰だと思ってるのよ! ほどきなさいよ!」

 すっげぇでかい声だった。

 やかたにいる時も思ったが、彼女は声を抑えるということをしない。

 あの広すぎる館で、声一発で端まで届くようにという配慮なのか……。

 いや、何も考えてなどいまい。お嬢様のお様、サウロスはひたすらに大声を出して相手を威圧するタイプだ。そんなのに可愛かわいがられていたのだ。お祖父様が使用人やフィリップをどうかつするところを何度も目撃しているのだろう。

 子供は真似をする。悪いことは特に。

「うっせぇぞクソガキ!」

 お嬢様がわめいていると、乱暴に扉が開いて、一人の男が入ってきた。

 粗末な服装、全身から立ち上る臭気。禿げた頭。無精ひげ

 山賊です、と名刺を渡されたら納得するいでちの男だ。

 ナイスチョイスである。これなら自作自演とバレることもないだろう。

「なっ! 臭い! 近寄らないでよね! 臭いのよあなた! 私を誰だと思ってるの! 今にギレーヌがきてあんたなんか真っぷたうげっ!」

 ゴヅッ。

 痛ましい音と共に、お嬢様がり飛ばされた。

 お嬢様は淑女とは思えない声を上げて吹っ飛んだ。

 ふわっと宙に浮いて、壁にたたきつけられた。

「クソが! 何調子乗ってんだ、アァ!? てめぇらが領主の孫なのはわかってんだよ!」

 後ろ手で縛られて動けないお嬢様へ、男は容赦なくストンピングする。

 や、やりすぎじゃなかろうか。

「いた、痛……やめ、ぐっ……やめ、あぐっ……やめて…………」

「ペッ」

 男は結構長い時間、お嬢様を蹴り続けた。

 最後にその顔につばを吐いて、俺をジロリとにらんだ。

 サッと目をらした瞬間、顔に蹴りが飛んできた。

「……いづっ!」

 いてえ。

 演技とはいえ、もうちょっと手加減してほしい。

 そりゃ、治癒魔術は使えると言ってあるけどさ。

「ケッ! 幸せそうな顔しやがってよ……!」

 倉庫から出ていった。

 扉越しに、声が聞こえる。

「おとなしくなったか?」

「ああ」

「殺してねえだろうな……あんまり傷つけると値が下がるぜ?」

 

 何か、会話がおかしい。

 迫真の演技………………だったらいいが、そんな気配はない。

 もしかすると、これはアレかもしれない。

 

「あ? まぁ、大丈夫だろ。最悪、男のガキだけでもいいしな……」

 

 よくねえよ。

「……」

 声が聞こえなくなってから、たっぷり三〇〇秒ほど数えた後、俺は縄を火の魔術で焼き切り、お嬢様の所にいく。

 お嬢様は鼻血を流しながら、虚ろな目でブツブツと何かをつぶやいていた。

 聞いてみると、絶対に許さないとか、お祖父様に言いつけてやるとか、あと聞くに堪えない物騒なセリフをいくつか吐いていた。

 とりあえず、触診して怪我の具合を確かめる。

「ヒッ!」

 痛みを感じたのだろうか、お嬢様はおびえた顔で俺に視線を合わせる。

 俺は口元に指を一本持ってきて、静かに、とジェスチャー。

 お嬢様の反応を見ながら、患部を確認。

 骨が二本も折れていた。

「母なる慈愛の女神よ、の者の傷をふさぎ、健やかなる体を取り戻さん……『エクスヒーリング』」

 小声で中級のヒーリングを詠唱し、お嬢様の身体を癒す。

 治癒魔術は魔力を込めれば効果が上がるというものでもない。

 ちゃんと治っただろうか。

 骨が変な風にくっついてなければいいが……。

「あ……あれ? 痛みが……」

 お嬢様は不思議そうな顔で自分の身体を見下ろす。

 俺は彼女の耳に口を近づけ、ひそひそと耳打ちする。

「シッ、静かに。骨が折れていましたので、治癒魔術を使いました。お嬢様、どうやら領主様によからぬ感情を抱くならず者にさらわれたようです。つきましては……」

 お嬢様は聞いていなかった。

「ギレーヌ! ギレーヌ、助けて! 殺されちゃう! はやく助けて!」

 すさまじい大声が響き渡る。

 俺は即座に縄を服の下に隠し、部屋の隅に飛び込んだ。壁を背にし、両手を後ろにやって縛られているフリをする。

 お嬢様の力の限りの叫びに応え、バーンと男が乱入。

「うるっせぇぇ!」

 お嬢様は、さっきより多めに蹴られた。

 学習能力とは一体なんなのか……。

「クソが、今度騒いだらぶっ殺すぞ!」

 ちなみに、俺も二回蹴られた。

 何もしてないんだから蹴るなよなぁ。俺も泣くぞ……。

 と、思いつつ、お嬢様の所に移動する。

「かひゅ……かひゅ……」

 ひどい。

 ろっこつはわからないが、お嬢様が口から血を吐いているので、内臓が破裂してるかもしれない。手足の骨も折れている。

 医療に関してよく知ってるわけじゃないが、これは放っておけば死ぬんじゃないのか?

「神なる力はほうじゅんなる糧、力失いし彼の者に再び立ち上がる力を与えん……ヒーリング」

 とりあえず、初級で少しだけ治す。

 口からの血が止まった。これで死なないだろ……多分。

「かひゅ……ま、まだ、痛いわよ……ちゃ、ちゃんと治し……なさいよ」

「嫌ですよ。治したらまた蹴られるじゃないですか。自分で魔術使ってください」

「で、できないわよ……そんな、こと……」

「習ってれば、できましたね」

 俺はそれだけ言って、倉庫の入り口の方へと移動する。

 そして、扉に耳をくっつける。

 もう少し、彼らの会話を聞きたかった。

 どうにも話と違う。いくらなんでもお嬢様をあれだけ痛めつけるのはやりすぎだ。

 

「で、例のヤツに売っぱらうのか?」

「いや、身代金にしようぜ?」

「足がついちまわねえか?」

「構わねえだろ。そんときゃ隣国だ」

 

 本気で売っぱらおうとしているような会話が聞こえてくる。

 女の子を襲わせるように知り合いに頼んだら、偶然本職が絡んでしまいました、みたいな感じだろうか。

 どこで歯車が狂ったんだろうか。俺たちを攫う予定の奴らがねらわれたのだろうか。それとも、最初に襲われた時点だろうか。あるいは、フィリップが娘を売ったとかか?

 最後はさすがにないか。

 ……まあいい。どちらにしろ、俺のやることは変わらない。

『安全』って言葉がなくなっただけだ。

 

「値段は売るより身代金の方が高えんだろ?」

「とりあえず、夜までには決めとこうぜ」

「どっちにしろ、な」

 

 俺たちをどこかに売るか、領主に身代金を要求するかでめているらしい。

「で、例のヤツに売っぱらうのか?」

「いや、身代金にしようぜ?」

「足がついちまわねえか?」

「構わねえだろ。そんときゃ隣国だ」

 本気で売っぱらおうとしているような会話が聞こえてくる。

 女の子を襲わせるように知り合いに頼んだら、偶然本職が絡んでしまいました、みたいな感じだろうか。

 どこで歯車が狂ったんだろうか。俺たちを攫う予定の奴らがねらわれたのだろうか。それとも、最初に襲われた時点だろうか。あるいは、フィリップが娘を売ったとかか?

 最後はさすがにないか。

 ……まあいい。どちらにしろ、俺のやることは変わらない。

『安全』って言葉がなくなっただけだ。

「値段は売るより身代金の方が高えんだろ?」

「とりあえず、夜までには決めとこうぜ」

「どっちにしろ、な」

 俺たちをどこかに売るか、領主に身代金を要求するかでめているらしい。

 で、夜にはここを引き払うようだ。

 なら、日があるうちに動かないとな。

「よし」

 さて、しかし、どうするか。

 魔術で扉をブチ破り、魔術で誘拐犯を倒す。自分をぼこぼこにした誘拐犯を倒した俺を、お嬢様は尊敬……。

 しなさそうだなー。

 自分は縛られていなければ勝てた、とか考えそうだ。

 それに、結局は暴力だと思ってしまうのも、よくない。

 暴力は何も生み出さないと教えないと、ずっと殴られるハメになる。

 もっと無力感を与えたい。

(……そもそも俺が誘拐犯に勝てるとは限らないか)

 誘拐犯がパウロやギレーヌと同じぐらい強かったら、負ける自信がある。

 そうなれば、俺は殺されるだろう。間違いなく。

 よし、とりあえず、誘拐犯にはノータッチでここから脱出しよう。

 俺は背後を確認し、お嬢様の様子を確認する。

「……」

 怒りのこもった目で俺を睨んでいらっしゃる。

 うーむ。

 とりあえず、作業にかかる。

 まず、土と火の魔術を使い、扉のすきを埋め立てていく。さらに、ドアノブを火の魔術でゆっくりと溶かし、回らないように固定した。

 これで、ただの開かずの扉になった。が、蹴破ろうとすればすぐだろう。保険だ。

 窓に近づく。明かり取り用の小さな窓には、鉄格子がはまっていた。

 火の魔術を一点に集中させて鉄格子を焼ききろうかとも思ったが、熱そうなのでやめる。

 色々試した後、鉄格子の周囲の土を水の魔術で少しずつ溶かし、鉄格子をまるごと外すことに成功した。子供一人ぐらいは通れる穴が開いている。

 これで脱出ルートは出来上がった。

「お嬢様。どうやら、領主様によからぬ感情を抱くならず者にかどわかされたようです。今夜には仲間が来るから、みんなでなぶり殺しにすると相談しています」

「う……うそ……よね?」

 もちろん嘘だ。

 だが、お嬢様の顔は真っ青になった。

「僕は死にたくないので逃げます……さようなら」

 鉄格子を外した所に手を掛けて、よっこいしょと身体を引き上げる。

 と、同時に、ドアの方から声が聞こえた。

「おい、開かねえぞ! どうなってやがる!」

 ガンガンと乱暴にドアをたたく音が聞こえる。

 振り返ると、お嬢様が絶望的な顔で、ドアと俺を交互に見ていた。

「ぁ……お、おいていかないで……たすけ……」

 おや、意外と落ちるのが早いな。

 さすがにお嬢様でもこの状況は怖いと見える。

 俺はすぐさまお嬢様に近づくと、耳元でささやく。

「……家にたどり着くまで、僕の言うことを聞くって約束できます?」

「き、聞く、聞くから……」

「大声ださないって約束できます? ギレーヌはいませんよ?」

「する、するから……は、はやく、きちゃう……あいつが、きちゃう……!」

 お嬢様はこくこくとうなずいた。

 恐怖と焦燥のこもった顔は、俺を殴っていた時とは大違いだ。

 一方的に殴られる者の気持ちがわかってくれて何よりだよ。

「約束破ったら、今度こそ置いていきますから」

 俺はなるべく冷徹に聞こえるように言って、土の魔術で扉を埋め立てた。

 火の魔術で縄を焼き切り、ヒーリングで傷を完全に治す。

 そして、鉄格子から外に出て、お嬢様を引き上げた。

 

    ★ ★ ★

 倉庫から外に出ると、そこは見覚えのない町だった。

 城壁が無いので、少なくともロアではない。

 村というほど小さくはないが、狭い町だ。次の手を打たないと、すぐに見つかるだろう。

「ふう、ここまでくれば大丈夫ね!」

 お嬢様が逃げ切ったと勘違いしたのか、いきなり大声を上げた。

「家に帰るまで大声を上げないって約束したじゃないですか」

「ふん! なんで私があなたとの約束を守らなければならないの!?

 お嬢様は当然とばかりに言った。

 このガキャァ……。

「そうですか。じゃあここでお別れですね、さようなら」

「ふん!」

 お嬢様は鼻を一つ鳴らして歩き出したが、次の瞬間、遠くの方から怒号が聞こえてきた。

『くそがきぃぃ! どこいきゃあがった!』

 扉を蹴破ったか、あるいは窓から様子を見ようとしたら鉄格子が外れていたのを発見し、逃げたと感づいて追ってきた、というところか。

「……ひっ」

 お嬢様は小さな悲鳴を上げて、すぐに戻ってきた。

「さ、さっきのは嘘よ。もう大声は出さないわ。家まで案内なさい」

「………僕は、お嬢様の召使でも使用人でもないんですがね」

 調子のいい言葉に、ちょっとイラッとしてしまった。

「な、なによ、家庭教師でしょ?」

「違いますよ?」

「えっ?」

「お嬢様が気に入らないと言ったので、まだ雇ってもらえてません」

「や、雇うわよ……」

 お嬢様は、渋々といった感じで、そっぽを向いた。

 ここは確約が欲しいところだ。

「そんなこと言って。やかたに戻ったら、さっきみたいに約束を破るんでしょう?」

 できる限り、冷たく言い放つ。

 感情は込めず、淡々と。

 しかし、お前は絶対にそうする、と言わんばかりの口調で。

「や、約束、破らないから……た、助けなさ……助けてよ……」

「大声を出さない、俺の言うことを聞くって約束が聞けるなら、付いてきてもいいですよ」

「わ、わかった」

 お嬢様はしおらしく頷いた。

 よしよし。

 じゃあ、次の行動に移るとしよう。

 まずはパンツの中に仕込んでおいたアスラ大銅貨五枚を取り出す。

 これが現在の全財産だ。

 ちなみに、大銅貨の価値は、銀貨の一〇分の一。心もとない資金だ。

 とはいえ、これだけあれば十分だろう。

「付いてきてください」

 俺は時折聞こえてくる怒号から遠ざかるように、町の入り口まで移動する。

 入り口では門番が暇そうな顔で立っていた。

 彼に大銅貨を一枚渡す。

「僕らの行方を探してるっぽい人がいたら、町の外に出たと言ってください」

「え? なに? 子供? わかったけど、なんだ、かくれんぼでもしてるのか? って、大金じゃないか……どこの貴族様だよ、まったく……」

「くれぐれもお願いします」

「ああ、わかったよ」

 ぞんざいな返事だが、足止めぐらいにはなるだろう。

 さらに、入り口の近くの乗合馬車の待合所へと入る。

 利用方法と運賃が壁に書いてあるが、これは先日に確認済み。

 ついでに、現在位置も判明した。

「ここは、ロアから二つ離れたウィーデンという名前の町みたいですね」

 ひそひそとお嬢様に耳打ちする。

 お嬢様も大声を出すなという約束を守っているのか、ひそひそ声で返してくる。

「なんでわかるのよ?」

「書いてあるでしょう」

「読めないわよ……」

 よしよし。

「読めると便利ですよ。乗合馬車の利用方法も書いてありますからね」

 それにしても、一日でここまで運ばれるとは。

 知らない町は不安だな。トラウマがよみがえりそうだ。

 いやいや、俺はハロワの場所もわからなかったあの頃とは違うんだ。

 そういや、パウロとハロワって字面が似てるな。

 と思ってると怒号が近づいてくるのを感じた。

『ちくしょう! どこに隠れやがった! 出てきやがれ!』

「! 隠れて……!」

 俺はお嬢様を抱えて、待合所のトイレへと入り、かぎを締めた。

 外から、どたどたと激しい足音が聞こえる。

「どこだこらぁ!」

「逃げきれると思ってんじゃねえぞ!」

 うおお、こええー。

 やめろよな、そういう声で探しまわるの。せめて、もっと猫なで声で言えよな。そうすりゃ、だまされて出てくるかもしれないじゃん? 出ていかねえけどさ。

『ちくしょう、いねえ!』

 やがて、声は遠ざかっていった。ひとまずは安心だろう。

 だが油断は禁物だ。慌ててる奴ってのは、あんがい同じ場所を何度も探しに来たりするもんだからな。

「………だ、大丈夫なの?」

 と、お嬢様が口元を手で押さえて、ガタガタと震えていた。

「まあ、見つかったら精一杯抵抗しましょう」

「そ、そうね……よし……!」

「多分、勝てませんけどね」

「そ、そう……?」

 お嬢様がヤル気を出しそうだったので、ちょっと方向修正。

 いきなり殴りかかられても困るからな。

「ところで、さっき運賃を見ましたが、ここからだと乗合馬車を二度、乗り換えないといけません」

「……乗り換え?」

 それがどうした、というお嬢様の顔。

「乗合馬車は、朝八時から二時間置きに五本出ています。これはどの町でも同じです。そして、ここから隣町まで三時間は掛かります。今から出るのは四本目です。つまり……」

「つまり?」

「隣町にたどり着いても、そこからロアに出る馬車がありません。一晩は次の町に泊まらないといけません」

「そ! ……そ、そうなの、ふうん」

 なにか叫びそうになったようだが、お嬢様はぐっと我慢した。

 大声は出さないよう、気をつけてくれよ。

「ここに大銅貨が四枚ありますが、ここから隣町、隣町で一泊、隣町からロア。この三つでそれぞれお金を使うと、ギリギリです」

「ギリギリ……たりるのよね?」

「たります」

 お嬢様はほっと胸をなでおろした。

 だが、安心するのはまだ早い。

「お釣りをごまかされなければ、ですがね」

「お、お釣り……?」

 お嬢様は何のことかわからないという顔をした。

 買い物をしたことがないのかもしれない。

「僕らのような子供を見て、宿屋とか乗合馬車の人は算術ができない、と思うでしょう。すると、騙してお釣りを少なめに渡してくるかもしれません。その場で間違いを指摘すれば適正なお釣りを渡してくれるでしょう。が、もし算術ができなければ……」

「どうなるの?」

「最後の乗合馬車に乗れなくなります。そして、さっきの男たちに追いつかれて……」

 お嬢様がぶるぶると震え始める。

 今にも漏らしそうだ。

「お嬢様、トイレはそこですよ」

「わ、わかってるわよ」

「では、ちょっとだけ外を見てきます」

 個室から出ようとすると、すそつかまれた。

「い、いかないでよ」

 お嬢様の放尿シーンを見てひとしきり興奮した後、外に出た。

 

 男たちはいないようだった。

 町の外を探し始めたか、町の中を探しているのかはわからない。

 見つかったら魔法をぶっぱなして無力化するしかない。

 勝てる相手なのを祈りつつ、待合所の隅に隠れるように待機し、出発の時間と同時に御者に金を渡して、馬車に乗り込んだ。

 

    ★ ★ ★

 隣町にはなんなく移動できた。

 お嬢様に世の中のこくさを教えるため、宿はあばら屋同然の所にした。ベッドはわらである。

 お嬢様は興奮して眠れないようだった。

 物音がひとつ響く度にビクリと身を起こし、怯えた目で入り口を睨み、しばらくして何もいないことがわかると、ほっと息をつく──というのを繰り返していた。

 翌日、朝一番の馬車に乗った。

 お嬢様は寝不足だろうか、目を充血させて、しかし眠そうではなく、チラチラと何度も馬車の後ろを確認していた。

 何度か単騎の馬が後ろから追い抜いていったが、誘拐犯ではなかった。

 結構な距離を移動したし、あきらめたのかもしれない。

 俺はのんにそう思った。

 数時間。特に問題なくロアにたどり着いた。

 頼もしき城壁を通過し、遠くに見える領主の館を見ると、あん感が押し寄せてきた。

 ここまで来れば安全だ、と無意識に思った。

 馬車から降りて、徒歩で館へと向かう。足取りは軽い。何時間も馬車で揺られたうえ、初めて藁の上なんかで寝たせいか、俺も疲れを感じていた。

 その一瞬の隙を突くように──お嬢様が路地裏に引きずり込まれた。

 油断であった。

 

「………え?」

 俺は二秒、それに気づかなかった。

 たった二秒間、目を離した隙に、お嬢様の姿がなくなっていたのだ。

 本当に消えたのかと思った。視界の隅に映ったのは、建物の角に引っかかっていたお嬢様の服の色と同じ布切れ。

 とっに追いかけた。

 路地に入ると、お嬢様を担いで路地裏へと抜けようとしている二人組の姿が目に入った。

「くっ!」

 俺は咄嗟に土魔術で壁を使った。

 俺の手より放たれた魔術は彼らの前方に大きな土の壁を創りだした。

 行く手を遮られた彼らは、突如目の前に現れた壁に足を止めざるをえなかった。

「なんだぁ!?

「んぐー!」

 お嬢様はさるぐつわまされて、涙目になっていた。

 この数秒で猿轡とは早業だな、すげぇれてる。

 しかも、一発殴られたのだろう、お嬢様のほおが赤くれていた。

 相手は二人だった。男の二人組だ。

 片方は俺に蹴りを入れてくれやがった乱暴者。もう一人は恐らくあの倉庫で話していたヤツだろう。どっちも山賊みたいな格好をしていて、さらに腰に剣まで差していた。

「なんだ、ガキか。そのまま戻りゃあ、家に帰れたのによぉ……」

 突然発生した壁に驚いた二人だったが、振り返った所に俺がいるのを見ると、ニヤリと笑った。

 乱暴者の方はそのまま、無警戒に近づいてこようとする。

 もう一人はお嬢様を捕まえている。他に仲間はいないのだろうか……。

 とりあえず、威嚇を込めて、指先に小さな火球を発生させた。

「むっ! てめえ!」

 それを見た瞬間、乱暴者は即座に剣を抜いた。

 もう一人も見るまに警戒し、お嬢様の首筋に剣先を当て、じりじりと後ずさり始めた。

「てめぇ、クソガキ、妙に落ち着いてやがると思ったら護衛の魔術師だったのか……。どうりで簡単に逃げ出されたわけだ、クソッ、外見に騙されたぜ! 魔族だったか!」

「護衛じゃないですよ。まだ雇われてはいません」

 魔族でもないが、こっちは別に訂正しなくてもいいか。

「なにぃ? じゃあなんで邪魔しやがる」

「いや、これから雇われる予定なんで」

「ヘッ、金目当てか?」

 金目当て。

 魔法大学の学費を稼ぐためだし、間違っちゃいないな。

「否定はしません」

 そう言うと、乱暴者はニヤリと口元をゆがめた。

「なら、俺らの片棒を担げよ。俺のツテに身分の高い娘を高く買い取ってくれる変態貴族がいるんだ。なんだったら、ここの領主は孫娘に首ったけって話だし、身代金を要求してもいい。いくらでも出すぜぇ」

「ほう……」

 感心したような声を出してみると、お嬢様が真っ青な顔で俺の顔を見た。

 彼女も、俺が魔法大学の学費目当てで雇われようとしていると聞いているのかもしれない。

「それは、具体的にはいくらぐらい?」

「月に金貨一枚や二枚なんてみみっちいレベルじゃねえぞ。ざっと金貨一〇〇枚よ」

 ドヤ顔で言われた。

 こっちの相場がどんなものかはよくわかっていないが、一〇〇万円だぞ、すげーだろー、って感じか。小学生みたいだ。

「ヘヘッ、てめえも、そんなナリをしちゃいるが、中身は結構いい歳なんだろ?」

「ん? どうしてそう思います?」

「さっきの魔術と、その落ち着き具合を見りゃわかるぜ。魔族にゃあ、そんな種族もいるってな。見た目のことで苦労してきてんだろ? なら、金の大切さはわかるよな? なあ?」

「なるほど」

 知らない人から見れば、そういうものか。確かに体感年齢は四十歳を超えている。

 ビンゴだ。大当たり。さすが山賊さんだぜ。

「確かに、この歳まで生きてきて、金の大切さは身にしみてわかっていますよ。まったく知らない土地に、一銭も持たずに着の身着のままで放り出されたこともあります」

「ヘヘヘ、だろぉ?」

 もっとも、それ以前には金の心配をまったくしない生活をしていた。

 二十年近いニート生活。エロゲとネトゲにまみれた俺の半生。

 そこから、俺はあることを学んでいた。

 ここでお嬢様を裏切ることの意味。

 ここでお嬢様を助けることでつながる展開。

「だからこそ。金より大切なこともわかっているつもりです」

「綺麗事ぬかしてんじゃねえよ!」

「綺麗事じゃありません。金では『デレ』は買えないんです」

 おっとしまった、本音が漏れた。

「デレ? なんだそりゃ?」

 乱暴者はあっに取られた顔をしたが、交渉が決裂したという事実は伝わったらしい。嫌らしい笑みが消え、険しい顔になってお嬢様の首筋に剣を当てる。

「なら、こいつは人質だ! まずはその火玉ファイアーボールを空にでも向かって撃つんだな」

「……空に向けて撃てばいいんですか?」

「そうだ。間違ってもその指先を俺たちに向けるんじゃねえぞ。どんな早くてもこのメスガキの首をっ切って盾にするほうがはええからな」

 普通に消せとは言わないんだろうか。いや、知らないのかもしれない。

 詠唱魔術ってのは、発射までが自動的だしな。

 魔術をきちんと学んでいない者は、そのへんの詳しいことはわからんのだろう。

「了解」

 俺は発射する前に、魔力を操作して火球をいじった。

 火球の中にもう一つ、特殊な火球を作る。

 そして発射。

 ポヒュン。と、マヌケな音がして火球が上がっていき。

 

 巨大な爆発が空中で起こった。

 

「なっ!」

「おお!?

「んぐー!?

 鼓膜が破れんばかりのごうおん。目がくらむ光。火傷やけどしそうな熱が降り注ぎ、誰もが上を見上げた瞬間。

 俺は走った。

 走りながら魔術を使う。手癖のように二種類の魔術を構築。

 右手にて風の中級魔術『真空波ソニックブーム』。

 左手にて土の中級魔術『岩砲弾ストーンキャノン』。

 それぞれを、二人に向けて放つ。

「ギャァア!」

 真空波ソニックブームは上を見上げた乱暴者の腕を切り落とした。

「むぐっ!」

 乱暴者がお嬢様を取り落とすのを、がっちりキャッチ。お姫様だっこ。

「ちぃ! めんじゃねえ!」

 もう一人をチラリと見ると、岩砲弾ストーンキャノンが真っ二つに切り裂かれるところだった。

「うっわ……」

 ヤバイ。岩切りやがった。流派わかんねぇけど、とにかくヤバイ。パウロぐらい強かったらヤバイ。勝てない相手かもしれない。

「あわわ……!」

 俺は風と火の混合魔術で足元に爆発波を発生させ、飛ぶ。

 足の骨が折れるかと思うほどの衝撃があった。

 一瞬遅れて、俺のいた場所を剣が素通りする。鼻先を剣がかすめ、ブンという音が耳に残る。

 危ない。

 だが、パウロほどのスピードはない。

 なら、ここは落ち着いていけばいい、剣士相手のシミュレートは何度も練った。練習通りやれば、きっと切り抜けられるはずだ。

 俺は空中にいながら、次の魔術を用意する。

 まずは火球ファイアボールをヤツの顔面に向かって放つ。

 射出速度はゆっくり。

「こんなもの!」

 ヤツはそれを見極め、迎撃しようと剣を構える。

 着弾までのタイムラグの間に、水と土の魔術を使い、ヤツの足元に泥沼を発生させる。火球は迎撃されたが、ふくらはぎまで粘着性の高い泥にかり、ヤツの動きが止まった。

「なにっ!?

 よし、勝った!

 俺はそう確信した。

 ヤツはもう走れない。火玉ファイアボールは迎撃されるが、その時にはすでに俺たちはヤツの射程圏外だ。お嬢様を抱えているとはいえ、人混みにまぎれてしまえばこっちのものだ。なんだったら、大声で助けを叫んでもいい。

 ──なんて、思った瞬間だ。

「逃がすか!」

 いきなり、ヤツが剣を投げた。

 その時、パウロの教えが脳裏によみがえった。北神流には足を切られた時に剣を投げる技があると。

 遠距離にいる相手に剣を投げて突き刺すという技が、存在していると。

 剣はまっすぐ、すさまじい速度で俺に向かって飛んできた。

 けられないと、反射的に悟った。

 剣が飛んでくるのが、スローモーションで見えた。

 軌道は頭だ。

 

 ────死。

 俺が『死』という単語を思い浮かべた次の瞬間。

 茶褐色の何かが目の前へと飛び込んできた。

 同時に、キンと陶器が割れるような音をして剣が落ちた。

「え?」

 目の前にあったのは、背中だった。

 広くたくましい背中だ。見上げれば、耳の生えた後頭部があった。

 ギレーヌ・デドルディアであった。

 彼女はちらりとこちらを見ると、小さく頷いた。

「あとは任せろ」

 彼女がそう言って、腰の剣に手を掛けた瞬間──赤いけんせんが空中を走った。

「……あ?」

 泥沼に足がハマっていた男の首が落ちた。

 遠く、明らかに剣が届かない位置であるにもかかわらず。

「な、どこから現れや……」

 ギレーヌの尻尾がぴくっと動いた瞬間、もう一人の首も落ちた。

 ゴトリという音が、ここまで聞こえてきそうだった。

 俺の思考は付いていっていなかった。

「……」

 数メートル離れた位置にいるはずの二人の体が崩れ落ちるのを、ただぼんやりと見ていた。

 現実の光景には見えなかった。何が起きたのかも、よくわかっていない。

 え? 死んだ?

 という短い文言が頭の中に出ただけだ。

「ふむ。ルーデウス。敵は二人だけか?」

 話しかけられて、ハッと我に返った。

「あ、はい。ありがとうございます。ギレーヌ……さん?」

「さんはいらん。ギレーヌでいい」

 ギレーヌは振り返り、うむ、と頷いた。

「いきなり空中で爆発が起こったので見に来たが、正解だったな」

「ず、随分はやかったですね。てか、あっという間に倒しちゃいましたし……」

 最初の魔術を使ってから、一分ぐらいしか経っていない。

 いくらなんでも早すぎるだろう。

「近くにいたのだ。それに、早くなどない。デドルディア族の戦士なら、誰でもあの程度は瞬殺できる。ところで、ルーデウスは、北神流と戦うのは初めてか?」

「殺し合い自体が初めてですよ」

「そうか。奴らは死ぬ寸前まであきらめん、注意しろ」

 死ぬ寸前……。

 そう、死ぬ寸前だった。

 剣が飛んできた瞬間のことを思い出すと、足が震えそうになる。

 殺し合いだった。

 今のは、殺し合いだった。

「か、帰りましょう」

 一歩間違えば死んでいた。

 今まで考えたこともなかったが、ここは異世界だ。

 剣と魔法の異世界。

 次に死んだら、俺はどうなるのだろうか……。

 言い知れぬ恐怖に、背筋がぞくりとした。

 

    ★ ★ ★

「はぁ……」

 館にたどり着くと、お嬢様はくたくたと力なく、その場に座り込んでしまった。

 緊張が解けて、腰が抜けてしまったらしい。

 慌ててメイドたちが駆け寄っていく。

 お嬢様はメイドが助けようとすると、その手をねのけ、生まれたての子鹿みたいに足をプルプルさせながら立ち上がった。

 腕を組んでの仁王立ちだ。

 家に帰ってきたことで気迫を取り戻したのかもしれない。

 メイドたちがその姿に異様なものを感じ、止まる。

 お嬢様は俺の方をビシッと指さして、大音声で言った。

「家に帰るまでって約束だったんだから! もうしゃべってもいいわよね!」

「ああ、はい。もういいですよお嬢様」

 俺はその大声を聞いて、失敗したのだと直感した。

 あの程度のことで、このワガママで凶暴な子が変わるわけもない。

 むしろ、殺し合いで、俺の方がブルってしまった。お嬢様は、それを察したのかもしれない。偉そうにあれこれと言っていたが、俺はやっぱり弱いのだと。

「特別にエリスって呼ぶことを許してあげるわ!」

 お嬢様の言葉は、俺の意表を突いた。

「え?」

「特別なんだからね!」

 ──てことは。つまり、オッケーってことか?

 家庭教師として働いてもいいってことか?

 お、おお! マジか! せ、成功したのか! やった!

「ありがとうございます! エリス様!」

「様はいらないわ! エリスでいい!」

 エリスはギレーヌの口調を真似て、そのままあおけにバッタリと倒れた。

 こうして、俺はエリス・ボレアス・グレイラットの家庭教師になった。


名前:エリス・B・グレイラット

職業:フィットア領主の孫

性格:凶暴

言うこと:聞かないこともない

読み書き:自分の名前は書ける

算術:足し算まで

魔術:興味はある

剣術:剣神流・初級

礼儀作法:ボレアス流のあいさつはできる

好きな人:おじいちゃん、ギレーヌ

間話 「後日談とボレアス流挨拶」

 誘拐事件の裏で糸を引いていたのは、執事のトーマスだった。

 

 彼はならず者の言っていた変態貴族とつながりがあった。

 変態貴族は前々からお嬢様に目をつけており、あの勝気で生意気な野獣を思うさまにじゅうりんしたいと思っていたらしい。

 トーマスは金に目がくらみ、変態貴族の用意した二人の男を作戦に組み込んだのだ。

 

 まったく、ふてえやろうもいるもんだ。

 次にやる時は、ぜひ俺に一声掛けてほしいね。

 誤算といえば、俺があの二人から逃げ出せるほど魔術が使えると思っていなかったのと、あの二人がそんなに忠実じゃなかったってことか。

 変態貴族の方は、シラを切り通し、罪には問われなかった。

 トーマスの証言だけでは不十分だったこととか、二人が死んでいて、変態紳士との関係性がつかめなかったのとか、まぁ色々あるらしい。

 あいまいな部分はつつかない。政治的な駆け引きってやつだろう。

 事件は、ギレーヌが全て解決したということになった。

 グレイラット家に剣王ギレーヌが食客として招かれているのを知らしめ、今後の予防にすると同時に、家の強さ、裕福さを誇示するようだ。

 俺も話を聞かれたら、ギレーヌが全てやったことにしろと厳命された。

 俺の存在を他のグレイラット家に知られるのは、ちょっとまずいらしい。

 これもまた、政治的な駆け引きってやつだろう。

 ていうか、他にもいるのか……。

「ということだ、いいね?」

「かしこまり……ました」

 という説明を、俺は応接間にてフィリップより聞いていた。

 フィリップは領主の息子なだけだと思っていたが、実はロアの町長という役職を持っているそうだ。今回の一件も全てフィリップの元で処理されているのだとか。

「娘さんが誘拐されたのに、随分余裕ですね」

「今もなお行方不明だったら慌ててるさ」

「ごもっとも」

「それで、エリスの家庭教師の件だけど……」

 フィリップと今後のことについて話そうとしていると、ドアをバァンと乱暴に開け放って、元気なじいさんが入ってきた。

「聞いたぞ!」

 サウロスだ。

 彼は応接間にズカズカと入り込んでくると、俺の頭をガッシリと掴んだ。

 そしてガシガシと乱暴にでてくる。

「エリスを助けてくれたらしいな!」

「な、な、なんのことですか? 秘書ギレーヌが勝手にやりました。僕は何もやっていません!」

 サウロスの目がぎらりと光った。もうきん類の目だった。

 こ、こええ!

「貴様! このわしうそをつく気か!」

「ち、ちが、フィリップ様にそう言えと……」

「フィリィップ!」

 サウロスが振り向きざま、何のちゅうちょもなく拳を振るった。

 ボグンと嫌な音が鳴る。

「うぐっ!」

 フィリップは顔面に拳を受けて、ソファの後ろに転がった。

 なんて手が早いんだ。エリスなんて目じゃないスピードで殴ったぞ。

「貴様! 自分の娘を救ってくれた恩人に! 礼の一つも言わず! 貴族同士のくだらん芝居の真似事をさせるのか!」

 フィリップは倒れたまま、動じずに応じた。

「父上。パウロは勘当されたとはいえ、グレイラット家の血を引いています。となれば、その息子であるルーデウスも当然、グレイラット家の血を引く我が家の一員です。上辺だけのねぎらいや報奨より、家族として温かみを持って接するのが礼と考えました」

 フィリップは倒れた姿勢で、なお淡々としていた。

 慣れているのかもしれない。サウロスに殴られることに。

「ならばよし! 貴族の真似事大いに結構!」

 サウロスは空いているソファにどっかりと腰を下ろした。

 殴ったことは謝らないらしい。そういう人なのだろう。ここは体罰上等の世界なのだ。

 そういえば、俺もエリスに謝ってもらってないな。

 助けたことのお礼も言われてない。……いや、それはいいか。

「ルーデウス!」

 サウロスは腕を組んで、あごをそらして、上から目線で、俺を見下ろした。

 どっかで見たことある。

「頼みがある!」

 それが人に物を頼む時の態度か。

 それにしてもエリスとそっくりな──いや、こっちが本家か、子供は真似するからな。

「エリスに魔術を教えてやってほしい」

「それは」

「儂からそう頼むように、先ほどエリスに頼まれた。ルーデウスの使った魔術が目に焼き付いて離れんらしい」

 文字通り、目に焼き付く魔術だったしね。

「もちろ……」

 即座に了解しようと思い、ふと俺は口をつぐんだ。

 恐らく、エリスがああなったのは、サウロスが甘やかしたせいだろう。

 全てがそうとは言わないが、サウロスの真似をしているところを見ると、かなり影響はでかいはずだ。

 エリスを成長させるためには、甘やかしをやめさせなければいけない。

 俺にエリスをまともに育てる義理はないが、今のままではまともな授業にはなるまい。

 目に付くところから、ひとつずつやっていくべきだ。

「それは、サウロス様が言うべきことではありません。エリス本人が僕に言うべきことです」

「なんだと!」

 サウロスはいきなり激高して拳を振り上げた。

 慌てて手で顔を守る。核爆弾か、この爺さんは……。

「た、頼みごとをしたいけれど、頭を下げるのは嫌だと。エリスをそんな大人に育てるつもりなんですか?」

「ほう! 言うではないか! その通りだ!」

 サウロスは振り上げた拳でひざをドンとたたき。大きくうなずいた。

 そして、大音声。

「エリィィス! 今すぐ応接間に来なさぁい!」

 鼓膜が破れるかと思った。

 どんな肺活量をしてればこんな大声が出せるんだ……。

 しかし、エリスもそうだったが、このやかたには使用人に伝言を頼むという文化はないのか?

 未開人め……。

 フィリップがソファに座り直し、いなくなったのとは別の執事(アルフォンスという名前らしい)が、開きっぱなしだった扉を閉める。後で知ったことだが、サウロスは嵐のようにやってきて、嵐のように去っていくことが多いから、すぐには閉めないらしい。

 押して開けるのは好きだが、引いて開けるのは嫌いとかいう、ワガママ爺さんだ。

「はぁい!」

 サウロスの声に反応し、屋敷のどこかから声が聞こえた。

 しばらくすると、タタタっと走る音が聞こえてきて、

「ただいま参りました!」

 祖父ほど勢いはないものの、扉を元気よく開けて、エリスが入ってきた。

 エリスの行動は全てお様基準らしい。子供は真似するからな。

 初日に殴られた経験がなければ微笑ほほえましいと見るかもしれないが、はっきり言おう。

 これもやめさせるべきだ。

「あっ……」

 エリスは俺が座っているのを見ると、くっと顎を上げてにらんできた。

 ボレアス家直伝の威嚇ポーズなのか?

「お祖父様、先ほどの件は話していただけましたか!?

 サウロスはバッと立ち上がり、腕を組んでエリスを見下ろす。

 同じポーズだ。

「エリィス! 頼みごとをしたいのなら、自分の頭を下げろ!」

 エリスは、ムッと口をへの字に結んだ。

「お祖父様、頼んでくださると言ってくれたのに……」

「うるさい! 貴様が頼まんのなら、ルーデウスの雇用は無しだぁ!」

 え?

 な、なんだと!?

 え、あ、でも、そうなるよね、そうか、そうか……。

 それは、困るけど、これが『身から出たさび』ってやつか!?

「く、くぅ………」

 エリスは顔を真っ赤にして俺を睨んだ。あれは恥ずかしがっているんじゃない、怒りと屈辱だ。

 お祖父様の前でなければ、お前なんか地獄の底まで追いかけてひき肉にしてやるのに、って顔だ。

 怖い……。

「お、お願いしま……」

「それが人にモノを頼む態度か!」

 サウロスが叫ぶ。

 あんたが言うなよ。

「くっ……」

 エリスはその言葉を受けて、ふと、長い赤髪を根本から掴んだ。

 側頭部で二つ、尻尾を作る。即席ツインテール。

 そしてそのままの格好で、バチコンとウインクした。

「え、エリスに魔術を教えてくださいニャん☆」

 

    ★ ★ ★

 ハッ!

 夢か。意識が飛んでいた。嫌な夢を見ていたようだ。

「読み書きはいらないニャん☆」

 うわぁぁぁぁ夢じゃない!

 な、なんだ。何が起こっているんだ?

 次元連結システムが作動してしまったのか!?

 はやく二次元連結システムを開発して俺をアニメの世界につれていってくれ!

「算術もいらないニャん☆」

 と、とにかく怖い。すっげぇ怖い。

 可愛かわいいポーズのはずなのに、恐怖心しか浮かんでこない。

 口元が笑ってるのに目元が笑ってない。あれは捕食者の目だ。

 てか、これがこの世界での「ものを頼む態度」なの!?

 そんな馬鹿な……。

「魔術だけでいいニャん☆」

 ふざけないで?

 これ、むしろ、さっきより悪質ですよ?

 エリスの顔を見てくださいよ。

 怒りに真っ赤に顔を染めて、こんな状況でなければ、お前なんかアッパーカットで地獄の底から天国までふっ飛ばしてやる、って顔ですよ!

 怒りが八、屈辱が二、照れがゼロですよ……?

 ぜんぜん可愛くなんてないですよ?

 さ、サウロス爺さん、ガツンと言ってやってくださいよ。

「おぉ、お~、エリスたんは可愛いのう。もちろんおっけーじゃよなあ、ルーデウス?」

 そこには、デレデレのこうこうがいた。

 誰!?

 さっきまで厳格だった俺の頼れる大叔父さんは、どこいっちゃった!?

おおだん様は獣族が大好きなのでございます。ギレーヌ様を雇用なされた時も、つるの一声で」

 執事さんがご丁寧に教えてくれる。あー、なるほどね。あの頭の横の尻尾は耳なわけね。言われてみると、垂れ耳っぽいわ。メイドさんにも獣族が多いしね。

 えーえー、なるほどねー。

 えぇー……。

「エリス」

 ここでエリスのお父さん登場!

 おお、貴方あなたがいましたね。さ、ガツンと言ったってくださいよ、フィリップさん!

「もっと腰をつきだしてしなを作らないとダメじゃないか」

 あ、こっちもダメだ。

 おっけ、なるほどね。理解したよ。

 グレイラット家ってのはパウロ含めてこういうのの集まりなのね。

 パウロってまともな部類かな?

「あの、サウロス……様。一つ、お聞きしても、いいですか……?」

「なんじゃ!」

「お、男もそのお願いの仕方で?」

「ドアホウ! 男なら男らしくせんか!」

 なんだかわからないけど、おしかりを受けた。

 まともだ。性的なこうではパウロが一番まともだわ。

 あいつ巨乳が好きなだけだもん。

 で、でも落ち着け。落ち着いて考えるんだ。

 これは、俺にとって、是か非か。

「…………じぃ~」

 もう一度、落ち着いてエリスを見る。

 屈辱と怒りで、我を忘れそうな顔だ。ライオンが鉄格子にみ付いているような……。

 けど、後のことさえ考えなければ、これはこれでいいんじゃないか?

 いや、まて、逆に考えるんだ。後のことを考えるんだ。

 そう、エリスは嫌がっているじゃないか!

 彼女はこの風習には反対なのだ!

 今後、俺が二人きりでこの頼み方を要求したとしよう。

 数分後にはズタズタにされたがいた、ってことになりかねない。

 よし、逆だ。俺はこの習慣を、やめさせる!

「それが人にモノを頼む態度か!!

 俺の大音声が館に響き渡った。

 その後、長時間にわたる大演説を開始。

 最終的には熱意は通じ、このボレアス流の「頼みごと」は全面的に廃止となった。

 ギレーヌからはお褒めの言葉を預かり、そしてエリスからはなぜか冷たい目で見られた。

第三話 「凶暴性、いまだ衰えず」

 家庭教師になり、一ヶ月が経過した。

 さっそくだが、エリスが授業を聞いてくれない。

 彼女は算術と読み書きの時間になると姿をくらまし、剣術の訓練が始まるまで、決して顔を見せない。

 もちろん例外はある。

 魔術の授業だけは、真面目に聞いてくれるのだ。

 初めて火玉ファイアボールを出した時には、それはもううれしそうな顔ではしゃいでいた。

 ゴウゴウとスゲー勢いで燃えるカーテンを見ながら、彼女は言ったものだ。

「いずれ、ルーデウスみたいにおっきな花火を上げてみせるわ」と。

 もちろん、俺は即座に火を消し、自分が見ていないところで火の魔術は使うな、と厳命した。

 火のついたカーテンに照り返される満足気な彼女の顔は、どうみても放火魔のそれであったが、ヤル気は十分だ。これなら他の教科も大丈夫だろう。

 そう思った俺だったが、見通しが悪かったと言わざるをえない。

 エリスは算術と読み書きの授業をさっぱり聞かないのだ。

 諭そうとしても逃げ出す。捕まえようとすると殴ってから逃げ出す。追いかければ戻ってきてもう一度殴ってから、再度逃げ出す。

 算術と読み書きの重要性は先日の一件でわかったはずなのに、だ。

 よほど嫌いらしい。

 そのことをフィリップに言いつけると「授業を受けさせるのも、家庭教師の仕事だよ」と、返された。

ごもっとも。

 

 俺はエリスを探すことにした。

 ギレーヌは真面目に授業に参加してくれるが、言うまでもなく彼女はオマケだ。

 ギレーヌだけに教えるわけにはいかない。

 エリスは簡単には見つからなかった。

 やかたに来てから一ヶ月の俺と、何年も暮らしているエリス。土地勘には大きく差があり、隠れんぼは言わずもがな。

 今までの家庭教師も、そこには苦労したらしい。

 もっとも、広いとはいえ限られた敷地内。最終的には見つけ出すに至ったそうだ。

 見つけ出した教師は、もれなくエリスにたたきのめされた。

 最初の教師はそれで退職した。

 しかし、中には逆にエリスを叩きのめした教師もいたらしい。暴力に暴力で対抗する。俺もやろうとしたことだ。

 だがその教師は、夜半に木剣を持ったエリスに寝込みを襲われ、全治何ヶ月かの怪我を負って退職したという。

 エリスの夜襲・朝駆けを返り討ちにできたのはギレーヌだけなんだとか。

 俺は、彼女を返り討ちにする自信はない。

 発見しても病院送りの未来しかないのなら、見つけたくない。

 見つけてボコボコにされるのは嫌だ。

 魔術の授業を聞いてくれるなら、魔術だけでいいじゃないかと思う。しかし、フィリップは、算術や読み書きも教えろと言ってくる。魔術と同じぐらい教えろと言ってくる。

「むしろ魔術より、そっちの方が重要だよ」とのことだ。

 ごもっとも。

 

 いっそもう一度誘拐でもさせたほうがいいかもしれない。

 懲りない子にはお仕置きが必要なのだ。

 そう考えていた最中、とうとう俺は見つけてしまった。

 馬小屋のわらたばに埋もれて、ヘソを出して気持ちよさそうに眠るエリスを。

「すぅ~……すぅ~……」

 彼女はすやすやと眠っていた。その寝顔はまるで天使のようだ。

 けど、外見にだまされると、デビルリバースだ。

 もちろん、悪魔デビルに殴られて血反吐を吐くリバースという意味だ。

 けれども、起こさないわけにもいかない。

 とりあえず、風邪を引くといけないのでエリスの服をひっぱってヘソを隠す。

 そのまま胸をみ揉み。

 俺の中の仙人が評価する。

『ふむ、まだまだAAじゃな。しかし成長率は高い。伸ばしていけばEランク以上になるじゃろう。毎日揉んで成長を確かめるのじゃぞ。それもまた修行じゃて。ホッホッホ』

 ありがとう、仙人!

 十分楽しんだ後、小声で声を掛ける。

「お嬢様、起きてください、エリスお嬢様。楽しい楽しい算数の時間ですよー」

 起きないか、しょうがないなー。

 悪い子はパンツを脱がされてもしょうがないんだぞ?

 と、動きやすそうなロングスカートの中にそろそろと手を差し入れようとした、その瞬間。

「っ!」

 カッとエリスの目が見開かれた。

 エリスの視線が、自分の足に触れる俺の手から、ゆぅっくりと俺の顔へ移動する。

「ギリッ」

 寝ぼけた顔が歯が鳴る音と共に、修羅へと変化した。

(く、くるっ!)

 一瞬遅れて、エリスが拳を握り締めつつ跳ね起きた。

 顔か! と思って慌てて顔の前でクロスガード。

「ぐえっ……!」

 衝撃は腹に来た。

 拳は鳩尾みぞおちに深々と刺さっていた。

 俺はもんぜつしながらひざを付く。

 リバースはしなかった。デビルだけで済んだ。

「ふん!」

 鼻息一つ、り一発。

 倒れた俺の脇を抜けて、お嬢様は馬小屋から出ていった。

 

    ★ ★ ★

 どうしようもない。

 俺はギレーヌに助けを求めた。

 パウロに脳みそまで筋肉とまで言われたギレーヌ。彼女が算術や読み書きを習う理由を語れば、きっと説得力も段違いだろう。彼女の言葉ならエリスも聞いてくれるだろう。

 という、安直な考えのもとだ。

 ギレーヌは最初こそ自分でやれという姿勢だったが、水魔術で泣き真似して頼んだら、しぶしぶうなずいてくれた。

 チョロい。

 

 さて、お手並み拝見。

 特に相談はせず、ギレーヌの手腕に任せることにする。

 彼女が動いたのは、魔術の授業の休憩時間中だった。

「昔は、剣さえあればいいと思っていた」

 唐突にギレーヌは、昔のことについて語り出した。

 悪童だった自分と、それを受け入れてくれた師匠。そして、冒険者になって初めて得た仲間──長い前置きから紡がれるのは……単なる苦労話だった。

「冒険者をしていた頃は、他の奴らがみんなやってくれた。武具、食料、消耗品、日常品の売買、契約書、地図、案内板。水を入れた水筒の重さ、火種の確保、松明たいまつふさがれる左手……別れた後に大切さに気づいた」

 パーティとは七年ぐらい前に別れたらしい。

 ていうか、パウロとゼニスが結婚して田舎に引きこもるので、解散することになったらしい。

 薄々そうではないかと思っていたが、ギレーヌとパウロたちは、やはり同じパーティだったのだ。

「そのまま残ったメンバーで、という話もあったが、遊撃を担当していたパウロと、パーティで唯一の治癒術師であるゼニスが抜けたのだ。解散しなくても、いずれは別れていた。当然だろう」

 六人パーティ。

 戦士、剣士、剣士、魔術師、そうりょ、シーフ。

 職業で表すとこんな構成だったのだとか。

 当時剣聖だったとはいえ、ギレーヌの攻撃力は高い。

 戦士(知らない人):タンク

 剣士(パウロ):サブタンク兼アタッカー

 剣士(ギレーヌ):アタッカー

 魔術師(知らない人):アタッカー

 僧侶(ゼニス):ヒーラー

 と、かなりバランスが取れていたと見る。

 ちなみにシーフというのは、雑用係の総称なのだそうだ。

 解錠やわな発見、テント設営から商人との売買取引まで。字が読めて頭の切れる、ハシっこいヤツが担当するらしい。

 商家の出が多いそうだ。

「せめてトレジャーハンターとでも呼んであげればいいのに……」

 思わずそう言ったが、ギレーヌはふんと鼻息を一つふいた。

「あいつはすぐパーティの財布から金をくすねてギャンブルをやっていたからな。シーフで十分だ」

「それって、バレたら袋叩きなんじゃないですか?」

「いや。ギャンブルの才能があるヤツで、増やして帰ってくることも多くてな、半分以下にすることは滅多になかった。余裕のない時は自重していたしな」

 ということらしい。

 いくら増えることがあるなんて言っても。なんでそんなのを許しているんだろうか……。

 理解に苦しむ。

 自慢じゃないが、俺はギャンブルにだけは手を染めていないのだ。

 もっとも、ネトゲには一〇万以上使ってたがね。

 まあ、パーティ内にパウロみたいな女にだらしないのもいるわけだし、道徳的にはそれほどカッチリしていたわけでは、なかったのだろう。

 線引きは人それぞれだ。人の集まりの数だけルールがある。

「そういえば、剣士と戦士の違いってなんなんですか?」

 と、気になって聞いてみた。

 同じ前衛であるなら、わざわざ区別をつける必要はないはずだ。

「剣を使っていて流派が三大流派なら剣士だ。三大流派以外なら剣を使っていても戦士、三大流派でも剣を使っていなければ戦士だ」

「へぇ、剣士ってのは、特別な称号なんですね」

 というより、三大流派が特別なのか。

 誘拐犯を倒した時のギレーヌの剣技はすごかった。

 抜刀のタイミングすらわからなかった。

 ふっと動いたら、相手の首がずるっと落ちたのだ。

 後で聞いたが、『光の太刀』と呼ばれる、剣神流の奥義らしい。

「騎士というのは?」

「騎士は騎士だ。国か領主から任命されれば騎士だ。教養があるから文字が読めて算術ができる。中には簡単な魔術を使えるヤツもいる。ただ、貴族出身が多く、プライドが高い」

 教養があるのは、学校に通ったりするからだろうか。

「父様はその時はまだ騎士じゃなかったんですか?」

「詳しいことは知らんが、パウロは剣士を名乗っていたな」

「魔法剣士とか、魔法戦士? というのもあると聞いたことがあります」

「攻撃魔術を使えるヤツの中には、そう名乗るヤツもいるな。どんな職業でも、名乗るのは自由だ」

「へぇ~」

 エリスはそんな話を、目をキラキラさせて聞いていた。

 近いうちに、俺かギレーヌを連れだして近所の迷宮に行くとか言い出さないだろうか。

 不安だ。俺はそんな冒険とかより、女の子に囲まれてエロティックな毎日を送りたいのだ。

 あ、しまった。ギレーヌに読み書きとかの重要性を語ってもらう予定だったのに。

 つい自分の好奇心を優先して、話をらしてしまった。

 失敗。

 

 しかし不幸中の幸いといったところか。

 翌日よりエリスは算術と読み書きの授業に出るようになった。

 ギレーヌのおかげだ。ギレーヌはあの後も、何かある度に苦労話を話してくれた。

 妙に胃が痛くなる展開ばかりだったが、おかげでエリスも必要なものと割り切ってくれたらしい。

 もっとも、エリスの場合は、授業中にギレーヌの話を聞けるのが面白いから参加しているだけのつもりかもしれないが、結果オーライ。

 最初からこうしておけばと思わなくもなかったが……もちろん誘拐事件がなければ、多分お嬢様は話すら聞いてくれなかったはずだ。

 あの事件の前はムシケラを見る時の目で見てたもん。

 だから無駄じゃなかったよ。

 なにはともあれ、とにかく良しだ。

 

    ★ ★ ★

 まずは初期の授業として、四則演算の概念を教える。

 一応は学校に行ったり家庭教師を雇っていたりということもあり、エリスも簡単な足し算ならできるようだった。

「ルーデウス!」

「はい、エリス君」

 元気よく手を上げるエリスを指さす。

「割り算というのは、なんで必要なの?」

 彼女は掛け算と割り算の重要性を理解していなかった。

 それ以前に、エリスは引き算が苦手だった。

 けたの変わる引き算で算数をあきらめたパターンのようだ。

「必要というより、掛け算と逆のことをしているだけです」

「どこで使うかを聞いているの!」

「そうですね。例えば一〇〇枚の銀貨を五人で均等に分けたい時とかですね」

「前の教師も同じことを言っていたわ!」

 エリスは机をバンと叩いた。

「だから、どうして! 均等に! 分ける必要があるの!」

 そう、やりたくない子はこういう理屈を吐く。

 でも、ハッキリ言って、そこは全然重要じゃない。

「さぁ。それはその五人に聞いてみないと。ただ均等に分けたい時に割り算が使えると便利なだけです」

「便利ってことは、別に使わなくてもいいのね!?

「使いたくなければ使わなくてもいいですよ。もっとも、使わないのと、できないのでは、大きく違いますがね」

「むぅ……」

 できないのか? と聞くと、プライドの高いエリスは口をつぐむ。けれど、根本的な解決にはならない。やはり何かと屁理屈をこねて、算術は習わなくていい、という流れにしようとする。

 こういう時には、ギレーヌに頼る。

「ギレーヌ、今までに数を均等に分けたくて困ったことはありますか?」

「ああ、迷宮で食料を落として引き返すことにしたのだが、残った食料を帰りの日数分で分けようとして失敗した。三日も飲まず食わずだった。死ぬかと思った。途中、耐え切れずに落ちていた魔物のクソを食ったが、腹を下した。吐き気と腹痛、下痢に耐えていると周囲に魔物の群れが──」

 胃が痛くなる話が、五分ほど続いた。

 俺は青い顔で聞いたが、エリスにとっては武勇伝だったらしい。

 目をキラキラさせている。

「だから割り算は覚えたい。授業の続きを頼む」

 ギレーヌがこう言うと、エリスはおとなしくなる。

 サウロス以下、この一族はみんな獣族が好きらしく、態度にはあまり表さないものの、エリスもギレーヌに懐いていた。

 エリスも、ギレーヌの話なら、黙って聞いてくれる。

 姉貴にくっついて、なんでも真似したがる弟がこんな感じだったかもしれない。

「では、今日も楽しくない反復練習といきましょう。こちらの問題を全部解いたら持ってきてください。わからなかったら、その都度質問を」

 そんな感じで、次第に順調になっていった。

 

    ★ ★ ★

 ギレーヌは教師としても優秀だった。

 ギレーヌは逐一、俺の悪い部分を指摘し、助言をくれる。

 パウロも指摘はくれたが、ここが悪い、あそこが悪いと言うだけで、どうすればいいのかは教えてくれなかった。

 その日も、エリスと俺に剣を持たせて、実践形式で戦わせつつ指導してくれる。

「踏み込みの姿勢を覚えろ、相手をよく見ろ」

 カツンと、俺の持つ木剣が、エリスの木剣にはじかれた。

「相手より早く踏み込んだなら相手の動きを読み、そこに剣を打ち込め。相手より遅く踏み込んだのなら、相手の剣の軌道から半身ずらせ!」

 どっちもできなくて、俺はエリスの剣にガツンと殴られた。

 なめし革に綿を詰めたプロテクター越しに、重い衝撃が伝わってくる。

「相手の足先と目線で行動を予測しろ!」

 また殴られた。

「ルーデウス! 頭で考えるな! まずは相手より先に踏み込んで剣を振ることを考えろ!」

 考えるのか、考えないのか、どっちだよ。

「エリス! 手を休めるな! 相手はまだ諦めてはいないぞ!」

「はい!」

 この差がおわかりいただけるだろうか。

 エリスには返事をする余裕があり、俺には無い。

 余裕は結果として如実に表れ、ギレーヌが制止を命じるまで、俺はエリスに殴られ続けた。

 エリスは、算術の授業のうっぷんを晴らすかのように、容赦なく俺を殴った。

 ちくしょう。

 

 だが、この一ヶ月で自分の腕が格段に上がっていることが実感できた。

 エリスという、同じぐらいの相手がいるのもよかった。

 何事もそうだが、自分と同格がいるというのは、成長に拍車を掛ける。

 同じぐらいといっても、エリスの方が若干ながら上だが、その差はパウロやギレーヌと比べれば微々たるもの。

 相手が何をしているのかわかるレベルだ。

 わかっていれば、次の課題になる。

 さっきはあの技でやられた。だから、次はそれを警戒してこういう風に動いてみよう。

 そう考えることができる。

 パウロを相手にしている時は、技量が違いすぎてそれがままならなかった。相手が何をやっているのかまったくわからず、理解できないまま、やられてしまうのだ。

 アドバイスを受けても基礎的な技量が違いすぎて相手に通じない。

 だから、自分のやっていることに常に疑問を持ってしまう。

 ギレーヌはそれでも教え方がうまいおかげか納得できる。だが彼女は同時に返し技というか、対処法も教えてくれるため、やはり技を放つ際に迷いが生まれてしまう。

 しかし、エリスが相手であれば、ちょっとした小細工や小さな動きの変化で結果が変わるのだ。

 迷いが出ても、技量に差があまりないから、なんとか通用するのだ。

 明日になれば通用しなくなったり、またエリスが違うことをするようになったり。昨日できなかったことができたり、昨日されなかったことをされたりするが、そうした小さな発見や変化を積み重ねていくことで、俺たちは成長している。

 やはり、ライバルという存在はいい。

 身近な目標に追いつき、追い越し。

 一か二ぐらいしか変化していなくとも、差の少ない当人たちにとっては抜かれ、抜き返すための大きな変化だ。

 そして、それが知らぬ間に蓄積されていき、強くなるというわけだ。

 もっとも、成長速度はエリスの方が早い。

 インパラとライオンが同じ訓練をしたら、ライオンの方が強くなるに決まっているのだ。

 小さい頃からずっとパウロに鍛えてもらったから、悔しくはあるがね。

 

「ルーデウスはまだまだね!」

 倒れ伏した俺を、エリスが腕を組んで見下ろしてくる。

 それを、ギレーヌがたしなめた。

うぬれるな。エリスの方が剣を持ってからの年月が長い。そのうえ年上だ」

 剣術の授業中だけ、ギレーヌはエリスのことを呼び捨てにした。

 呼び捨てでなければいけないと言っていた。

「わかってるわ! それにルーデウスには魔術もあるしね!」

「そうだ」

 エリスは、俺の魔術の腕だけは認めてくれている。

「しかし、ルーデウスは相手に攻められると、妙に体の動きが鈍るな……」

「怖いんですよ、目の前の相手が本気で襲い掛かってくるのが」

 そう言うと、エリスに頭をパシンと殴られた。

「なによ! 情けないわね! そんなんだからナメられるのよ!」

「いや、ルーデウスは魔術師だ。それでいい」

 間髪いれずギレーヌがいうと、エリスは偉そうに頷いた。

「そうなの? じゃあ仕方ないわね!」

 あれ? なんで俺、殴られたの?

「すまんが、足がすくむ癖の直し方は知らん。自分でなんとかしろ」

「はい」

 今のところ、どんな相手にでも竦むので、先は長そうだが。

「でも、ギレーヌに指導してもらうようになってから、結構強くなった気がします」

「パウロは感覚派だからな。教えるのは得意ではあるまい」

 感覚派!

 あ、やっぱこっちの世界でもそういうのあるんだ。

「なによ、カンカクハって?」

「言われたこととか、やりたいことを、なんとなくこんな感じかな、ってやるだけでできちゃう人のことですよ」

 エリスの問いに答えると、彼女は口をとがらせた。

 多分、彼女も感覚派だ。

「いけないことなの?」

 いけないことかと聞かれると答えに困る。

 今は剣術の授業だから、先生に答えてもらおう。

 俺はギレーヌに視線を向けた。

「悪くはない。だが、才能があっても頭を使わなければ強くなれんし、人にもうまく教えられん」

「どうしてうまく教えられないのよ?」

「自分がやっていることを理解していないからだ。そして、全てを理解していなければ、より難しいことはできん」

 剣王の人に言わせると、上級までは基礎と応用らしい。全ての基礎をかんぺきにできて、状況に応じて使い分けられるようになって、はじめて剣聖になれるのだとか。

 それ以上は、たゆまぬ努力と才能らしい。

 結局は才能か。

「あたしも昔は感覚派だったが、頭を使い、きちんと理論を立てたら剣王になれた」

「すごいなぁ」

 俺は素直に感心した。自分のやり方を曲げて、成功する。

 なかなかできるもんじゃない。

「ルーデウスも水聖級魔術師じゃないか」

「俺はそれこそ感覚派ですよ……。それに、魔術は剣術と違って、魔力さえあればできるって部分もありますから」

「ふむ。そうなのか……だが、基礎は大事だぞ?」

「わかっています。というより、俺が聖級になれたのは、師匠の教え方がよかったからですしね」

 思えば、基礎的なことが重要だと言いつつも、自分自身は『応用的なことむえいしょう』ばかりを重視してきたからな。

 てか、そもそも、魔術の基礎的なことで足りてないのってなんだろう?

 ロキシーは基礎よりも、もっと先へと進ませるような授業をしていたし。

 ていうか、ロキシーも天才肌っぽかったから、あまり基礎とか重視してないのかもしれない。

 うーむ……。

「私はそんなに強くなるつもりはないから、関係ないわね!」

 考えこんでいると、エリスが胸を張って言った。

 その言葉に、俺は苦笑する。

 中学時代、俺もそんなことを言っていた。一番になるつもりはないとか言って、努力を怠った。

 これは正してやらなければと思ったが、

「でも、ギレーヌとルーデウスぐらいになれるように頑張るわ!」

 やめた。彼女にはちゃんと目標がある。

 かつての俺とは違うのだ。

 

    ★ ★ ★

 午前の授業、午後の剣術が終わると暇な時間となる。

 その日、俺は書庫に赴くことにした。

 エリスとギレーヌが魔術教本を持っていたので、もしかしたら魔導書があるかもしれないと思ったのだ。

 場所がわからなかったので、イヌミミのメイドさんに案内してもらう。

「あ」

 すると、フィリップの奥さんとすれ違った。

 ヒルダという名の彼女はエリスと同じ赤髪で、バインバインの胸部をお持ちの方だ。娘の成長が期待できる。

 一応、一度だけ紹介されてはいたものの、さして接点のない相手である。

 ええと、確か片方の手を胸に当てて。

「奥様、本日はお日柄もよく……」

「チッ」

 ヒルダさんはあいさつをする俺を、舌打ち一つでスルーした。

 俺は挨拶をしたまま、硬直した。

「ルーデウス様……」

「いえ、大丈夫です」

 イヌミミメイドさんが慰めようとしてくるのを、手で制する。

 でもちょっとショックだ。嫌われているのか。

 何もしてないつもりなんだけどなぁ……。

 そういえば、彼女はエリス以外に子供はいないのだろうか。

 いや、なんか聞いたらエリス以上にすごいのが出てきて、仕事量が三~四倍に増える気がする。

 やぶつつくまい。

 

 書庫にたどり着くとフィリップがいた。

「君、書庫に興味があるのかい?」

 フィリップは何かを期待する目で見てきた。

 何を期待しているのだか。

「ええ、少しだけ」

「なら、ゆっくり見ていくといいよ」

 お言葉に甘え、書庫を見学させてもらったが、残念ながら書庫に俺の望むものはなかった。

 ロキシーのように魔導書でも見つかればと思ったが、持ち出し禁止の財政資料が大量にあるだけだった。魔導書は世界に数冊しかないらしく、置いてはいないらしい。

 うまくはいかない。

 ただ、端の方に何冊か、この世界の歴史書を見つけたので、暇を見つけて勉強しようとは思う。

 

    ★ ★ ★

 一日が終わると、俺は与えられた自室で翌日の授業の準備をする。

 主に算術用の練習問題と、読み書き用の書き取りの作成。

 それと魔術教本を読んでの予習だ。

 授業にカリキュラムは無い。

 五年間で教えることが無くなったら困るので授業の進む速度はゆっくり。とにかく苦手なところを作らないように、じっくり反復練習させていくのが教育方針だ。

 シルフィに教えてる時も、そんな感じだったな。

 魔術の予習は重要だ。俺は普段から詠唱を口にしていないから、詠唱呪文を忘れているのだ。

 真面目に覚えた詠唱はヒーリング関係と初級解毒魔術ぐらいで、攻撃魔術は呪文を覚えようとも思ってなかったしな。

 魔術教本は、家にあるのとまったく同じものだった。

 エリスもギレーヌも持っていた。

 なんでも、千年ぐらい昔に出て以来、何百冊と写本が出ているベストセラーだそうだ。

 この本が出るまでは、魔術を習いたければ師匠につかねばならず、その師匠も初級魔術が全部使える程度ということも多く、せっかく師事しても大したことは学べない、というケースも多かったのだそうだ。

 現在のベストセラーといっても、書かれた当時は数も少なく、そうそう出回るものでも、出回ったとしても魔術に興味のない者の目に留まるものでもなかったという。

 この世界には印刷技術もないようだしな。

 それが大量に出回るようになったのは、五〇年前ぐらいだそうだ。

 どこでも誰でも安価で手に入る魔術教本のおかげで、魔術師の数が爆発的に増えた。

 世はまさに魔術師ブーム……というほどではないが、アスラ王国の貴族の中では教育過程で教えることも少なくないのだとか。

 しかし、一体どういう理由で魔術教本が増えたのだろうか……。

 そう思い奥付を読んでみると、『ラノア魔法大学 発行』と書いてあった。

 なるほど、うまい商売だ……。

 

 そんなことをしつつ、家庭教師の日々は瞬く間に過ぎていった。


名前:エリス・B・グレイラット

職業:フィットア領主の孫

性格:凶暴

言うこと:聞いてやってもいい

読み書き:家族の名前まで書ける

算術:引き算が怪しい

魔術:頑張ろうかなと思ってる

剣術:剣神流・初級

礼儀作法:普通の挨拶もできる

好きな人:おじいちゃん、ギレーヌ 

第四話 「職員会議と日曜日」

 さらに半年ほど経った。

 最近おとなしかったエリスが凶暴に戻り始めた。

 なんで、どうして、誰が何をしでかしたの!?

 と、焦ったが、あることに気づいた。

 休みが無い。

 

    ★ ★ ★

 夕飯の後、ギレーヌと礼儀作法の先生を自室に呼びつけた。

 ちなみに、礼儀作法の先生はやかたの中に住んでおらず、町中の自宅から通っているので、執事に伝言を頼んだ。

「まずは初めまして。ルーデウス・グレイラットです」

「エドナ・レイルーンと申します。エリス様に礼儀作法を教えております」

 胸に手を当てて軽く会釈すると、エドナは洗練された返礼をした。

 さすが礼儀作法の先生だ。

 エドナは顔に小じわが目立ち始めた中年女性だった。

 ふっくらとした顔立ちで、柔らかい笑みが実に温和そうな印象を与えている。

「ギレーヌだ」

 ギレーヌはいつも通りの筋肉だ。

「どうぞ、座ってください」

 俺は二人にを勧める。

 二人が座った後、執事に用意してもらったお茶を配り、本題に入る。

「本日、二人をお招きしたのは他でもありません、エリスお嬢様の授業計画を話し合いたいと思ったのです」

「授業計画?」

「はい。今までは、朝は剣術、昼は自由時間、夕方は礼儀作法といった形でやってきたと聞いております。間違いありませんね?」

「その通りです」

 エリスが習っているのは、読み書き、算術、魔術、歴史、剣術、礼儀作法の六科目である。

 現代風に言えば、国語・算数・理科・社会・体育・道徳といったところか。

 時計が無いので、何時間ずつと区切ったものではなく、ご飯とオヤツの時間で朝昼夕と分けて三教科だけをやる。

 朝飯→勉強→昼飯→勉強→オヤツ→勉強→夕飯→自由時間。

 と、こんな感じだ。

 歴史に教師はいないが、フィリップが暇な時に教えているらしい。

「僕が来たことで、夕方の時間も使ってフルで一日を使えるようになりました」

「そうですね。お嬢様の勉強がはかどられているようで、旦那様も感心していらしておりました」

 そうでしょうとも。

「確かに順調に見えますが、問題が発生しています」

「問題、ですか?」

「はい。毎日休みなく勉強していることで、お嬢様のストレスがまっています」

 特に算術の授業では顕著だ。

 終始イライラしていて、ちょっと難しい問題にぶち当たると、俺に当たってくる。

 とても危険だ。

 いつマウントを取られるかわからない。

 とても危険だ。

「今はまだなんとかなっていますが、そのうち暴れたり、授業を逃げ出したりするかもしれません」

「まぁ……」

 エドナは口に手を当てつつも、さもありなんといった顔でうなずいた。

 礼儀作法の授業は見たことがないが、真面目に受けているのだろうか。

 なぜエドナがエリスに気に入られているのか、イマイチわからない。

「そこで、七日のうちに一日だけ、授業を一切しない日を作ろうとおもいます」

 ちなみに、この世界にも暦はあり、何月何日という概念はある。

 しかし、一週間というものは存在しない。

 年に何度か、休息日とかいうのがあるらしいが、日曜日というものは存在しない。

 七。その数字を使ったのは、俺が覚えやすいからだ。

 しかも、なぜかこの世界でも七という数字は特別らしい。

 縁起がいい数字と言われ、剣術とかのランクも七段階だ。

「残った六日で、読み書き、算術、魔術、歴史、剣術、礼儀作法の六つを教えていきたいと考えています」

「一つお聞きしても?」

「どうぞ、エドナさん」

「そのまま分配すると、礼儀作法の授業が三度しかないことになるのですが、お給料の方は……」

「問題ありません」

 金の問題かよと、エドナを責めないでやってほしい。

 俺だって金のためにやってることだ。

 エドナが気にしているのは『授業回数が減ると給料が減るのでは』ということだ。

 このへんは事前にフィリップと相談しておいたので、問題ない。

 そもそも、月給制だから、一回も授業しなくても金がもらえるのだ。

 無論、一回も授業を行わなければ翌月は解雇だろう。

 そんなことは言わなくてもわかるはずだ。わからないようなヤツは解雇したほうがいい。

「もちろんそのまま分配はしません。読み書き、算術は七日のうちに二度もやればいいでしょう。剣術は毎日やらないと意味がありません。魔術も毎日必要ですが、一日に使える魔力には限りがあるので、長時間は必要ありません、よって、余った時間は読み書き算術を行うつもりです」

 つもりというか、最初からそうしている。

『今日は水弾をX回、水落はY回使いました。では、あと何回水弾が使えるでしょう』

 といった具合だ。XとかYは、エリスとギレーヌの使用回数に当てはめて問題を出す。

 部屋で数字とにらめっこするよりわかりやすいらしい。

 魔力の使用回数は目に見えないので正確な答えを導きにくいのだが、自分のことだからだろうか。

 ま、暗算というものは、やればやるだけうまくなるものだ。

 頭を使わせるのが目的としておこう。

 無詠唱や理科の授業もそのうちやるつもりだが、それらは読み書き算術がある程度までできるようになってからでも遅くはない。

「エドナさんには申し訳ありませんが、礼儀作法は月に三、四回ほど授業を減らしてもらう形になります」

「わかりました」

 エドナはあっさりと頷いた。

 

 六日、全十八時限。

『礼儀作法・五』『剣術・六』『読み書き・二』『算術・二』『魔術・三』といった感じに割り振る。

 授業時間としては少ないと思うが、反復練習が主だし、なんとかなるだろう。

「それから、やむを得ず授業を行えない場合は、僕の方に連絡が来るようにしてほしいのです」

「と、いうと?」

「僕はいつも館にいるので、空いた時間に僕が授業を入れます。なので、例えば長期休暇を取っていただいても問題ありません」

「わかりました」

 エドナはずっとにこにこしている。

 ほんとにわかってるんだろうか……。

「それと、毎月の初めにこの集会を行いたいと考えています」

「それはどうして?」

「我々教師が互いに連携を取っておけば、突発的なハプニングに対処しやすいかな、と思ったからです。特に必要はないんですが……効率を上げるのと、あとは念のため、ですね。いけませんか?」

「いいえ」

 エドナは柔らかく微笑ほほえんだ。

「ルーデウス様はまだ小さいのに、本当にエリス様のことをよく考えておられるのですね」

 何か微笑ましいものを見るような目だった。

 ……まぁいいか。

 

 こうして、俺は休日を手に入れたのだった。

 

    ★ ★ ★

 最初の休日がきた。

 俺はフィリップに一言あいさつしてから、町中へと出かけることとする。

 すると、なぜか入り口にエリスとギレーヌが待ち構えていた。

「どこに行くのよ!」

 初めての休日ということで、お嬢様は何やらそわそわしていた。

 丸一日空くのは初めてらしい。

 そんな休日に、俺が何をするのか、気になるのだろう。

「ロアの町をレッツ観光です」

 ヘィ! と、ポーズを取って言う。

「れっつかんこう……町を見るってことよね? 一人で?」

「二人に見えますか?」

「ずるい! 私は一度も一人で出たことないのに!」

 エリスは地団駄を踏んで悔しがった。

「だって、お嬢様が一人で歩いてるとさらわれるじゃないですか」

「ルーデウスも攫われたじゃない!」

 ああそうか。

 あの時はエリスのついでに攫われたけど、俺もグレイラット家の一員として見られてるから、攫われたら身代金とか払っちゃう可能性があるのか……。

「俺は攫われても一人で帰ってこれますからね」

 ふふんと笑うと、エリスは拳を振り上げた。俺はとっに守ろうとしたが、打撃が飛んでくることはなかった。珍しい。

 彼女は腕を組んで、俺を見下ろした。

「私も付いてく!」

 そういうことにしたらしい。

 今までなら、殴ってからこの言葉を言ったな。

 そう考えると、お嬢様も成長したな。微々たる成長だが。

「じゃあ、行きましょうか」

「いいの!?」

 もちろん、俺に断る理由はない。一人より二人の方が安全だしね。

「ギレーヌも一緒ですよね?」

「ああ。あたしの任務はお嬢様の護衛だ」

 会議の時も、ギレーヌは休日という概念が理解できなかった。なので、今まで通りエリスにくっついていることをオススメしておいた。

 元々、彼女は護衛として雇われたらしいし、問題なさそうだ。

「待ってて! すぐ用意してくるから! アルフォンスー! アルフォンスー!」

 騒がしくも館の中に走っていったエリスを見送る。

 でかい声は相変わらずだ。

「ルーデウス」

 ギレーヌに呼ばれて、振り向くと、すぐそばにギレーヌがいた。

 見上げる。彼女は身長二メートル近いため、成長しても見上げることになるだろう。

「あまり自分の力を過信するな」

 きっちりとくぎを刺された。

 先ほど、一人なら帰ってこれると言ったことだろう。

「わかってますよ。ちょっとお嬢様のヤル気を引き出したかっただけです」

「そうか。何かあったら呼べ。助けてやる」

「ええ。その時は、またでかい花火でも上げますよ」

 そこでふと、誘拐された時のことを思い出した。

「……前に、同じことをお嬢様にも言ったことありますか?」

「ん? 言ったが?」

「次からは、声が聞こえる所にいたら、って言葉を付け足したほうがいいですよ」

「わかったが、なぜだ?」

「この間攫われた時、お嬢様が叫びすぎて誘拐犯に殺されかけたんですよ」

「……聞こえれば、助けに行った」

 ふむ……。

 まあ、あの時もムチャクチャ早かったしな。花火を上げて、ほんの一分ってところだった。

 ギレーヌは、聞こえる所なら、どこにいても来るだろう。耳もよさそうだし。

 そもそも、エリスが助けを求めたのは、フィリップでもサウロスでもなく、ギレーヌだもんな。

 この女は頼りになるのだ。

「叫んじゃいけない状況ってのを教えてあげないといけませんね」

 などと言っているとエリスが戻ってきた。

 よそ行きの服装なのか、見たことのない服だった。

「今日のお嬢様はかわいらしいですね」

「……ふん!」

 服装を褒めたらパシンと頭を殴られた。

 なんなのよ……。

 

    ★ ★ ★

 フィットア領のじょうさい都市ロアは、このあたりでは一番大きい。

 もっとも、大きいといっても面積で言えば、広大な田園地帯であるブエナ村より小さい。

 門から出て外壁を一周しても、二時間かそこらで回りきれるだろう。

 だが、その規模は大きい。

 なにせ、七~八メートルほどの高さの外壁が町をぐるりと囲んでいるのだ。

 完全に円というわけではなく、地形によってぐねっているので、正確な長さはわからないが、三〇平方キロメートルぐらいだろうか。日本人の感覚だと決して広くはないが、これほどの大きさの壁を作るのがそんな簡単ではないのはわかる。

 城壁を作り出す魔術とかあるんだろうか。

 あるとしたら、きっと王級とか帝級だろう。

 それとも、大雑把に石を作って手作業かな?

 などと考えながら金持ちの住宅地を抜け、人通りの多い広場へと出る。

 このへんからが商業エリア。

 貴族エリアに程近いこのあたりは立派な店が多いが、ちらほらと露店も見かける。

 のぞいてみると、行商がやや高額な品を扱っているようだ。

「よう坊ちゃん嬢ちゃん。ゆっくり見てってくんな」

 道具屋のおっちゃんのRPGみたいなセリフに甘えて、商品を次から次へと見ていく。

 そして、紙に値段と商品をメモる。

 ハッキリ言って、怪しげな商品ばかりだ。誰が買うんだろうか。

 っと、やくが金貨一〇枚。

 ……メモメモ。

「なによその文字! 読めないじゃないの!」

 突然、エリスが耳元で大声を上げた。鼓膜が痛い。

 ふと見ると、エリスの顔が近くにあった。肩越しに覗きこんでいたらしい。こうしてみると、エリスもなかなか美少女だな。目鼻立ちがキリッとしてて。

 ちなみに、メモは日本語で書いてあった。

「メモだから俺が読めればいいんですよ」

「何書いてるか教えなさいよ!」

 お嬢様は横暴です。けれど、教えない理由もない。

「商品の名前と値段です」

「そんなこと調べてどうするのよ!」

「相場を調べるのはネトゲの基本ですよ」

「ネト……なによそれ?」

 口で言っても理解できないかと思い、俺は商品の一つを指さす。

 小さなアクセサリーだ。

「ほら、見てください。さっきの露店だと金貨五枚で売っていたものが、こっちだと金貨四と銀貨五枚で売っていますよね」

「お、坊ちゃん。なかなか目がいいねえ。ウチは格安だろ!」

 俺はおっちゃんを無視してエリスに向き直る。

「エリス。ここで頑張って金貨三枚まで値切ってから、さっきの店に戻って金貨四枚で売れば、いくらのもうけが出ますか?」

「えっ! えっと、五ひく三たす四で……金貨六枚!」

 なんだその計算は。

「ブー、不正解です。正解は金貨一枚です」

「わ、わかってたわよ!!」

 エリスは口をとがらせてそっぽを向いた。

「本当ですかぁ?」

「さ、最初に金貨を一〇枚持っていたら、一一枚になるんでしょ?」

 お。よくできました……って、増やしただけじゃねえか。

 まあいい。褒めておこう。彼女はプライドが高いから褒めて伸ばすのだ。

「お、今度は正解です。いやー、エリスは賢い」

「ふん、当然よ」

 俺たちの話を、おっちゃんは苦い顔で聞いていた。

「なぁ、坊ちゃん。そういうのは転売つってな。あんまり褒められた行為じゃねえから、やっちゃいけねえぞ?」

「もちろんですよ。だからやるとしたら、向こうの店に行って四枚で売ってましたよって教えるぐらいですね。情報量は大銅貨一枚ぐらいでしょうか」

 おっちゃんは苦虫をつぶした。

 そして俺たちの背後にいるギレーヌに助けを求めたが、彼女はむしろ俺の話を真剣に聞いていた。

 何を言っても無駄だと悟ったのか、おっちゃんは肩をすくめてため息をついた。

 すまんね。どうせ冷やかしだから、見逃してくれや。

「商売をするつもりがなくても、色んなものの値段ってのは知っておかないといけません」

「知っていればどうだっていうのよ!」

「例えば、店まで行かなくても、大体の計算ができる」

「それが何の役に立つっていうのよ!」

 なんの役に……えっと、転売をする時に大体の稼ぎが……あれ?

 よし、こういう時はギレーヌだ。

「ギレーヌは何の役に立つと思います?」

「……いや、わからん」

 え、マジで……わからないか。わかるかと思ったけど。

 じゃあ、いいか。別に授業でもないし。

「そうですか。じゃあ何の役にも立たないのかもしれませんね」

 あくまで俺の勉強だ。

 理解が得られなくてもいい。

 市場を見かけたら、まずはそこで売られているものの相場を調べる。ネトゲではずっとやってきたことだし間違いはないと思う。けど、自分の足で調べるのは初めてだし、やって意味があるのかもわからないしな。

「役に立たないかもしれないのに、なんでやるのよ!」

「俺は役に立つと思ってるからですよ」

 エリスは納得のいかない顔をしていた。

 俺だって、なんでもかんでも答えられるわけじゃないんだ、少しは自分で考えてくれや。

「自分で考えてみて、役に立つと思えば真似すればいいし、役に立たないと思えば指さして笑えばいいんですよ」

「じゃあ私は笑う側ね!」

「あはははは」

「あんたが笑ってどうすんのよ!」

 殴られた。ぐすん。

 

    ★ ★ ★

 それからしばらく周辺を回って、露店をチェックし終えた。

 立派な店構えの高級店は敷居が高いので遠慮し、さらに町の外側へと移動する。

 少し歩くと、売っている物がガラリと変わる。

 値段も金貨五枚前後から、金貨一枚前後へと安くなった。

 まだ高い。俺の買えそうなものはない。

 だが、周囲に人は増えた。

 貴族っぽい人から冒険者っぽい人まで。商人も売ろうとしていて、活気がいい感じだ。金貨一枚ぐらいが、高いけどギリギリ買う値段、といったところなのかもしれない。

 

 メモを取っていると、ふとある店が目に入った。

 本屋である。

 フラフラと入ってみる。

 店内は閑散としていた。エロ本をメインとする店舗の一般紙コーナーとでも言うべきか。

 本棚は二つ。同じタイトルの本が二~三冊ずつ並んでいる。一冊大体、金貨一枚かそこら。

 残ったスペースには、かぎの付いたケースに入った本が並んでいる。

 こちらは平均金貨八枚で、一番高いものが金貨二〇枚だった。目玉商品か。

「……ふあぁ」

 店主は俺の姿を見た瞬間に冷やかしと見切って非対応、あくびを一つ。

 だが、俺が一つずつタイトルをメモっていくと、店主の目がいぶかしげなものに変わった。内容を写されているのかと心配になったのだろう。

 大丈夫ですよー、本にはノータッチですよー。写したりはしませんよー。

 という態度で、本棚から離れた。

 ふと、ケースの中を見ると、見たことのある本があった。

「植物辞典、金貨七枚……」

 五歳の誕生日にゼニスから渡された本だ。

 たけー。金貨一枚を一〇万円と仮定すると、七〇万円っすよ?

 ウチの母さんはどんだけ無茶したんだ……。

「ふむ」

 やはり辞典系は高いらしい。『シグの召喚魔術』とかぜひ読みたいけど、金貨一〇枚。

 月給銀貨二枚の俺には買える要素なし。

 ちなみに、一番高いのは『アスラ王宮宮廷儀式』。これはいらない。

「なにを物欲しそうに見てるのよ」

 ふと、エリスが話しかけてきた。

 いつの間にか彼女も店内についてきていたらしい。

 メモも取らずに見ていたので、気になったのだろう。

「いや、なんか面白そうな本ないかと思って」

「そういえば聞いたわよ! あんた本が好きなんですって?」

「誰から聞いたんですか?」

「お父様よ!」

 フィリップか。書庫を見せてくれって頼んだしな。

「な、なんだったら一冊買ってあげてもいいわよ」

「軽く言いますが、エリスはお金を持っているんですか?」

「お様が出してくれるわ!」

 ですよね。

 甘えさせちゃいかんな。金は有限であることは、きちんと理解させないとな。

 本は欲しいけど……本は欲しいけど!

「いらないです」

「なんでよ!」

 エリスは、口を尖らせていた。

 不機嫌な時の顔だ。これが悪化すると、鬼の形相で殴ってくる。

 なので、まだ大丈夫。まだ理性がある。

「エリスが自由にしていいお金じゃないからです」

「どういうことよ」

 エリスが眉を寄せた。意味がわからないから、どんどんイラついているのだ。最近、エリスの怒りのボルテージメーターが見えるようになってきた気がする。

 どう説明するべきか。

 そもそも、貴族の娘に金の使い方を覚えさせる意味はあるのか?

 ええい、ままよ。

「俺がエリスに勉強を教えて、月にいくらもらっているか知っていますか?」

「………金貨五枚ぐらい?」

「銀貨二枚です」

「安すぎるわよ!」

 エリスは叫んだ。店主がうるさそうに顔をしかめている。すまんね。

「いえ、実績もなく年齢も幼い俺には、妥当な線でしょう」

 魔法大学の学費を肩代わりしてもらうって話もあるしね。

「で、でもギレーヌは金貨二枚だって……! ルーデウスの方がいっぱい教えてるじゃないの!」

「ギレーヌは実績もあって、剣王という肩書きを持っています。また、護衛という仕事も兼任している。給料が高いのは当然です」

 もっとも、ギレーヌの給料の高さには、ボレアス・グレイラット家の悪しき伝統も含まれているんだろう。

 あそこの家なら『獣族の女子優遇!』とかやりそうだし。

「じゃ、じゃあ私だったら?」

「魔術も剣術もできなくて実績のないお嬢様の給料は、どれだけ高くても銀貨一枚が関の山です」

「むぅ……」

 関の山とはいうものの、エリスはお小遣いさえもらえていない。

「誰かに何かを買ってあげるとかは、自分でお金を稼げるようになってからにしてください」

「わかったわよ……」

 エリスは珍しくしおれていた。いつもこれぐらいなら楽なんだが……。

「まあ、お小遣いをもらえるように、帰ったらフィリップ様に頼んでみましょう」

「ほんと!?」

 ピコンと、エリスが顔を上げた。

 好感度の上昇を感じる……。

 ま、お金を与えず、欲しいものを与えるってのも、また甘やかしだからな。

 ちょっとだけお金を与えて、お金の使い方を学ばせたほうがいいだろう。

 めぼしい本のタイトルをメモって、店を出た。

 今日一日で、欲しいものと値段は大体わかった。

 

    ★ ★ ★

 帰り道はれいな夕焼け空だった。

 どこの世界でも、夕焼けというものは同じように見えるようだ。

 そう思って空を見上げると、城が浮いていた。

 雲に混じって、うっすらと、しかし泰然と。

「なぁっ!」

 驚いて空を見上げ、指さす。

 周囲の人々が一瞬だけ俺の指の先を見て、すぐに興味を失った。

 え? 見えてるよね?

 俺だけ? 天空の城ラ○ュタが見えてるの、俺だけ?

 父さんはうそつきだった?

「見るのは初めてか? あれは『こうりゅう王』ペルギウスの空中城塞だ」

 ギレーヌが俺の疑問に答えてくれた。

 知っているのかライデ……ギレーヌ!

 それにしても、空中城塞か、ほお、かっけえなー。

「ペルギウスって?」

「知っているだろう?」

 聞いたこともある気がするが、思い出せない。

「なんでしたっけ?」

 ギレーヌが、ちょっと驚いた顔をして、言葉を選んでいる。

 と、エリスが俺の前に出てきて、腕組みで仁王立ちした。

「私が教えてあげる!」

「お願いします。教えてください」

「いいわ! ペルギウスっていうのはね、魔神ラプラスを倒した三英雄の一人なのよ!」

 胸を張ってエリスが言った。

 魔神ラプラス、あれ、どっかで聞いたような……?

「すっごく強くってね。十二人の下僕を率いて、空中要塞でラプラスの本拠地に乗り込んだのよ!」

「へぇ、それはすごいですね」

「でしょ!」

「お嬢様は博識ですね。ありがとうございます」

「うふふ! ルーデウスもまだまだね!」

 突っ込んだ質問をすると、また殴られるからな。

 俺だって学習するのだ。

 

 なので、帰ってから自分で調べてみる。

 フィリップに聞いてみたところ、どこかにその手の本があったはず、とのこと。

 頼むより前に執事の人が探して持ってきてくれた。

 お手数かけます。

 結論からいうと、ブエナ村の実家にあった本だった。

『ペルギウスの伝説』。

 てっきりおとぎばなしだとばかり思っていたが、どうやら史実だったらしい。

 

『ペルギウスの伝説』を要約すると、こんな感じだ。

『甲龍王』ペルギウス。

 の者がどこで生まれ、どこで育ったのかは誰にもわからない。

 当時、まだ有名ではなかった若かりし頃のりゅうじんウルペンに連れられ、冒険者ギルドへとやってきたのが、最古の記録である。

 ペルギウスは瞬く間にその実力を示し、龍神ウルペン、北神カールマン、双帝ミグス・グミスらとパーティを組んで、あらゆる敵を撃破した。ウルペンの弟分のような存在であったがゆえか、いつしかペルギウスはいにしえの伝説に残る龍神の配下『五龍将』の一人と同じく『甲龍』と呼ばれるようになる。

 その力は、ラプラス戦役においても遺憾なく発揮された。

 ペルギウスは己の得意とする召喚魔術を用いて、十二体の使い魔を創りだした。

 空虚、暗黒、光輝、波動、生命、大震、時間、ごうらい、破壊、洞察、狂気、しょくざい

 これらの異名を持つ最強の使い魔を操り、古の空中城塞『ケイオスブレイカー』を復活させ、ラプラスとの決戦に臨んだ。しかし、力は一歩届かず、ラプラスを完全に消滅することはできず、封印するに留めるという結果に終わった。

 だが、その力と空中城塞ケイオスブレイカーの威容を見て、人々は彼のことを『甲龍王』と呼ぶようになった。

 アスラ王国は彼の功績をたたえ、戦争終結と同時に新たなる年号を発表。

 それが現在の『甲龍暦』である。(ちなみに、今は甲龍暦四一四年)。

『甲龍王』ペルギウスは、王として君臨も統治もすることなく、ただ空中城塞ケイオスブレイカーで世界中の空を飛び回っているらしい。

 その真意を知る者は、誰もいない。

 てか、四○○年て、本当にまだ生きてんのか?

 あるじのいない城がふわふわ飛び回ってるだけじゃないよね。

 でも、いつか行ってみたいな。

 

    ★ ★ ★

 翌日。

 エリスの機嫌が最高によくなっていた。丸一日遊び通すのは初めてだったからだろうか。それとも、いつもは高級店の所までしか行けないからだろうか。

 どちらにせよ、やはり休日を作るのは正解だったらしい。

「また連れていきなさいよ!」

 腕を組んだ仁王立ち。

 いつものポーズのエリスだが、ちょっとほおが赤かった。

 この頬の赤さはどっちだろうか。

 怒りか、屈辱か……。

 え? 照れ? そんなわけないじゃないですか。あのエリスですよ?

「えっと……」

 俺が迷っていると、エリスがギリッと奥歯をかみしめた。

 そして、髪を両手でもって腰をつきだして……。

「つ、連れていって、くださいニャ……」

「はい、連れていきます、連れていきますからそれはやめましょう!」

 慌てて止めた。

 あれは確かに可愛かわいいかもしれないけど、心臓に悪いんだ。

 一回やられる度にカルマが溜まっていく気がする。そしてカルマは拳で清算されるのだ。

「ふん! わかればいいのよ!」

 エリスはパッと髪を散らした。

 腰まである赤い髪がふわりと落ちきる前に、彼女はストンと机に座る。

「さあ! 授業の続きをしなさい!」

「今日はやる気ありますね」

「どうせ、いい子にしてないと連れていかないっていうんでしょう!」

 お、お嬢様がこんなにお利口に!?

「そ、その通りです、いい子にしていればまた連れていってあげますとも!」

 俺は感動しながら、その日の授業を終えた。


名前:エリス・B・グレイラット

職業:フィットア領主の孫

性格:やや凶暴

言うこと:聞いてあげる

読み書き:読みは結構いける

算術:けたの変わる引き算もできる

魔術:初級を修行中

剣術:剣神流・初級

礼儀作法:普通の挨拶もできる

好きな人:おじいちゃん、ギレーヌ


第五話 「お嬢様は十歳」

 一年が経過した。

 エリスの教育は順調である。

 剣術の筋がいいらしく、彼女は十歳になる前に中級へと上がった。

 中級ということは一般的な騎士と渡り合える力がある、ということだ。ギレーヌいわく、数年中には上級に上がれるらしい。まだ九歳なのに……うちのお嬢様は天才じゃなかろうか。

 俺は? と聞くと、目をらされた。

 俺に剣術の才能は無いらしい。

 

 エリスは読み書きも、まあできるようになってきた。

 ギレーヌに、文字が読めなければ何もできない、色んなヤツにだまされ、挙句は奴隷として売られてしまうなんて言われれば、必死に憶えもしよう。

 ただ、算術の成長は遅かった。苦手なのだ。

 焦ることはない。エリスが将来どんなことをするようになるのかはわからないが、この世界では高度な数学は必要ない。五年で四則演算をマスター。それぐらいでいい。

 

 魔術も順調だが、やや行き詰まりを感じている。

 詠唱による初級魔術はだいたいできるようになった。

 エリスが土以外の系統をほぼマスターしたのに対し、ギレーヌは火だけだ。同じ授業をしているのに差があるのはなぜだろうか。水、風、土がギレーヌの苦手系統なのか。

 苦手となりそうなエピソードがありすぎてわからない。

 とにかく、魔術教本に書いてあるものを詠唱すればできるというものではないらしい。

 その部分に関しては、俺も努力して覚えたわけではないのでわからない。

 また、最近は無詠唱を練習させているが芳しくはない。シルフィはすぐにできたのだが、年齢の問題だろうか。それとも、シルフィは特別才能があったんだろうか。

 無駄なことを教えているのかもしれない。さっさと中級に進んだほうがいいのか。

 でも、ギレーヌもエリスも剣士だ。

 雑事に使える初級をマスターしたほうが有効だろう。

 なら、今のままでいい。

 きっといつかできるようになる、と信じたい。

 

    ★ ★ ★

 もうすぐ、エリスは十歳の誕生日を迎える。

 十歳の誕生日は特別だ。

 五歳、十歳、十五歳の誕生日は大規模なパーティを開催し、盛大に祝うのが貴族の風習だ。

 エリスの誕生日にはやかたの大広間と、それに続く中庭が開放される。

 そして領地中から贈り物が届けられ、町中の貴族が招かれるのだ。

 サウロスが無骨な武官であるため、当初は無頼な立食酒飲みパーティという形で計画が進んでいたが、フィリップが口出しして、近隣の中級貴族も参加しやすいようにと、ダンスパーティへと形を変えた。

 

 その日は屋敷中がパーティに向けて、慌ただしく動いていた。

 イヌミミのメイドさんが廊下を走り抜けていく。

 普通、メイドは走らないようにと言いつけられるようだが、この家はやはり特殊らしく、忙しい時はメイドも走る。全力疾走だ。曲がり角で転校生とぶつかったら星の彼方までぶっ飛ぶんじゃないだろうか。

 俺は邪魔にならないよう、廊下の端を歩いていく。

 向かう先は特にない。なにせ、散歩だからだ。

 そう、散歩。

 俺はこの慌ただしさとは無縁であった。

 現在、エリスがパーティの主役として礼儀作法の特訓を受けているため、授業が無いのだ。

 フィリップは「せめて十歳の子供らしく、恥をかかない程度に」と言っていたが、その程度も芳しくないようで、エドナが疲れた顔をして、授業の大幅な増加を求めてきた。

 俺はそれに応じ、最近はエドナが一日中つきっきりで訓練をする日が続いている。

 よって、俺は暇だ。

 一応、俺も食客の一人としてパーティに参加するようではあるが、あくまでエリスの誕生日である。何をするでもなく、隅の方で料理でも食っていればいいだろう。

 特別にやるべきことはない。

 暇なら、自分のことでもやっておけばいいと思うが、さすがに毎日自主練ばかりでは、飽きるというものだ。

 それに、何やら慌ただしい屋敷の中を見て回りたかったというのもある。

 こうした大規模な催し物に参加するのは初めてだ。

 なんだったら、どこかの部署で何かを手伝ってもいい。

 といっても、俺にできることなんて、料理の味見ぐらいなものだろうが。

「そういえば、こっちの誕生日って、ケーキとか出るんだろうか」

 ブエナ村では出なかった。

 存在はしているらしいが、見たことはない。

 たまには甘いものも食いたいものだ。

 

 なんて思いつつ、俺はちゅうぼうに足を向けた。

 ケーキの有無ぐらい、そこらのメイドにでも聞けばわかるのだが、散歩というものは歩いてなんぼだ。運が良ければ、誕生日用の試作料理なんかにもありつけるかもしれない。

 うん。ていうか、腹減ったな。

 お昼ご飯はまだかしら。

 なんて思っていた時である。

「もういい!」

 目の前の扉がバンと乱暴に開かれ、中からエリスが飛び出してきた。

 彼女は肩を怒らせつつ、廊下をとんでもない速度で走り抜け、曲がり角へと消えていった。

 彼女を追いかけるように部屋から出てきたのは、エドナだ。

「お嬢様……!」

 彼女は廊下の左右を見渡し、エリスの姿がないと見ると、ため息をついた。

「はぁ……」

 ため息の最中、彼女は俺の存在に気づいたらしい。

 こちらに弱々しい笑みを浮かべた。

「これは、ルーデウス様」

 話を聞いてくれ、と言わんばかりの笑みだった。

 エドナがこんな顔をするのは珍しい。

「お疲れ様です、エドナさん」

「お見苦しいところをお見せしました」

 俺が片手を上げつつ近づくと、エドナは優雅に礼をした。

 実に洗練された動きである。

 俺は上げた片手を胸に添えて、改めてゆっくりと礼を返した。

「どうしたんですか?」

「はい……実は、お恥ずかしい話ながら、お嬢様に逃げられてしまいまして」

 そりゃ、見てたからわかる。

 エリスの逃げっぷりは、すごかった。あっという間だったもんな。俺も逃げるのは得意だが、あそこまでじゃない。

 エドナは困ったようにほおに手を当てた。

「実は、最近ダンスを教えているのですが、どうにもうまくできないご様子で。ここ最近はダンスになるとどこかに行ってしまうのです」

「ほお、そりゃ大変ですね。気持ちはわかりますよ」

 俺の時も、よく逃げていたからな。

 エリスは嫌なことはやらない主義なのだ。

 エドナも大変だな。逃げるエリスを捕まえるのは難しいもん。

「……お誕生日まで、あともう一月もないというのに、このままでは、お嬢様はお客様方の前で大恥をかいてしまいます」

 エドナは大変なことのように言う。

 けど、今更だろう。エリスはこのかいわいでは暴力の世界の生き物という認識をされている。

 人前でダンスが踊れない程度では、恥にもなるまい。

「せっかくの十歳の誕生日だというのに、笑いものにされるなんて……いくらなんでもあんまりだと、ルーデウス様も思いませんか?」

 チラチラと、エドナはこちらを見ていた。

 言いたいことがあるなら、ハッキリ言ってほしいものだ。

「つまり、僕に何をしてほしいと?」

「……その、ルーデウス様の方からも、エリス様を説得してはいただけないでしょうか。ダンスの練習に戻るように」

 そういうことだった。

 

    ★ ★ ★

 なぜ俺がその依頼を受けたのか。

 暇だから、と言ってもいいのだが、エドナの言葉に少し思うところがあった。

『十歳の誕生日に笑いものにされるなんてあんまりだ』

 この世界では、五歳ごとに盛大に祝う習慣がある。

 五歳、十歳、十五歳。

 三度しかないのだ。

 その記念すべき日を苦々しい思い出で彩るのは、あまりにも悲しい。

 ちょっと努力すれば、ものすごく楽しい思い出になるのに、ちょっとできなかっただけで悲しい思い出になる。

 俺も中学時代に、もうちょっとだけ勉強しておけば別の学校に入れただろうし、そうなればひどい目にもあわなかっただろう。引きこもることもなかったはずだ。エリスが俺のように引きこもるとは思えないが、嫌な思い出として、後々まで尾をひいてしまう可能性もある。

 そう思い、俺はエリスを探した。

 

 幸いにして、エリスはすぐに見つかった。

 馬小屋の裏手、大きく積まれた干し草の上で、あおけに寝転がっていた。

「ふん」

 彼女は俺を見ると、不機嫌そうな息を吐いた。

 俺は干し草によじ登り、エリスの隣に腰掛けた。

「……ダンス、うまく踊れないの…うおおあ!」

 いきなりり落とされた。

 なんとかうまいこと着地し、振り返って構える。エリスは攻撃を開始したら必ず追撃を入れるタイプだ。ガードしなければ後頭部にドロップキックが飛んでくる。

 そう思ったのだが、追撃は来なかった。

 エリスは干し草の上で寝転がったまま、空を見上げていた。

「……」

 俺は干し草の上に登り、再度エリスの隣に座った。

 今度は蹴られても落とされないように、両手で干し草をつかんでおく。

 と、思ったら、頭の上に衝撃がきた。

「いでっ」

 エリスのカカトが俺の脳天に載っていた。

 かかと落としというほど威力のあるものではなく、ただ俺の頭に足を載せただけのような感じだ。

 機嫌は悪そうだが、しかし元気はなさそうだ。

「……練習、戻りませんか?」

「ダンスなんて、必要ないわ」

 ちらりとエリスを見ると、彼女は相変わらず空を見上げていた。

「でも」

「誕生日も、絶対に踊らないわ」

 エリスはきっぱりと言い切った。

 しかし、ダンスパーティで主役が踊らないわけにはいかないだろう。

 俺はダンスパーティなんぞ参加したことはないが、しかし、なんのかんのと理由を付けられて引っ張り出されて踊らされるハメになるのは目に見えている。

「うまくできないことを、なんでやらないといけないのよ」

 エリスは口を尖らせ、不機嫌そうに言った。

 気持ちはわかる。

 だが、ここで逃げ出せば、もっと嫌な思いをすることになるかもしれない。

「そうですね。なぜと聞かれると、難しい問題かもしれません」

 どうすれば納得するだろうか。

 少なくとも、将来後悔するから、なんて言っても納得はすまい。

 それは後悔した大人の理論だ。後悔というものは、してみなければわからないのだ。

「なんでもできるルーデウスには、わからないわ」

「いや、僕にもできないことぐらい、ありますよ」

「あるの?」

「そりゃ、もちろん」

「ふぅん……」

 エリスはどんなことが、とは聞かなかった。

 信じられないわね、と言わんばかりの表情で、つまらなさそうなあいづちを打っただけだった。

「でも、うまくできないことだからこそ、一生懸命頑張って、できるようになった時の達成感も、すごいんじゃないでしょうか」

「そうかしら」

 エリスはわからない、という感じで空を見上げていた。

「なんだったら、僕も手伝いますよ。ダンスの練習、もう一度してみませんか?」

「……しないわ」

 それっきり、会話が途切れた。

 これ以上の言葉が見つからない。

 やはり、俺には無理か。

 ギレーヌあたりに頼んだほうがいいかもしれない。

 けど、ギレーヌも、ダンスがなぜ必要か、なんてことはわかるまい。俺だってわかっていない。必要性をわかっているのは、エドナとかフィリップとか、あのへんだろう。じゃあ、フィリップあたりに頼むか。

 ──そう思った時。

 エリスが足を俺の頭からどかした。

 そして、足を大きく振り上げ、反動を利用して、ポンと干し草の上から飛び降りた。

「ルーデウス」

「なんでしょう」

「ダンスの練習に戻るわ。ついてきなさい」

 俺の言葉が効いたのか。

 それとも単なる気まぐれか。

 何にせよ、やる気を出してくれたようで、何よりだ。

「わかりました。お嬢様」

 俺は彼女について、ダンスホールへと戻った。

 

    ★ ★ ★

 ダンスの練習を手伝う。

 ということで、俺もダンスを習うことになった。

 こういうのは、相手がいたほうが、上達が早いのだ。

 もっとも、俺はダンスなんぞ生まれてこのかた一度も踊ったことはない。せいぜい、中学時代にゲーセンでダンスゲームをちょこっとやった程度だ。

 だから、少し心配していたのだが。

「素晴らしいです。ルーデウス様は才能がおありです」

 案外あっさりと、俺は初心者用のステップをいくつかマスターした。

 ダンスとは言っても、ようはリズムに合わせて決められたステップを踏むだけだ。ロクに運動もしていなかった生前の俺ならまだしも、この世界では体幹から鍛えている。一番簡単なものなら特に練習もいらなかった。

「……ふん」

 俺がエドナに褒められていると、エリスがムスッとしていた。

 自分が何ヶ月掛かってもできなかったことがあっさりできたのだから、心中穏やかでないのだ。

 しかし、俺もただ習っていたわけではない。

 なぜ、エリスが、ダンスを苦手としているのかを、じっと観察していたのだ。

 

 理由は二つあった。

 まず一つ目。

 エドナは教え方がヘタだった。

 いや特別ヘタという程ではない、教師としてはこれぐらいが普通だろう。

 これはこういうもので、あれはああいうものだから、とにかく覚えなさい、という感じだ。

 なぜ重要だとか、何がポイントだとか、そういった部分には一切触れない。

 俺の中学時代にも、こういう教師はいた。

 そいつはわからない部分は自分で考えろと言っていたが、教わる方としてはたまったもんじゃない。疑問を疑問のまま残して、どうして気持ちよく勉強できるというのだ。

 二つ目。

 エリスには弱点があった。

 彼女のステップは速すぎて、そして鋭すぎるのだ。

 彼女の性格や動きは、剣神流との相性が良い。

 だが、それがダンスでは裏目に出ていた。

 リズムに合わせてトントンとゆっくり動くところを、サッサッと最速で動こうとするので、相手とのリズムがズレてしまうのだ。

 エリスは自分のリズムが狂わされるのを本能的に嫌がっている。どんな時でも自分のペースを守ろうとする。他人に惑わされない。それは戦いにおいて、立派な才能だろうが、ダンスでは足を引っ張っている。

 なにせ、ダンスは相手に合わせなければいけないのだから。

 エドナ曰く、こんなに才能のない生徒は初めてだというが、そんなことはない。

 最速で動けるということは、キレのある動きができるということなのだから。キレのあるダンスってのは、そりゃ美しいもんだ。

 だから、教え方が悪いだけなのだ。

 といっても、エドナを責めてもエリスの動きは矯正されない。

 だが、手はある。

 

 俺は相変わらず不器用にステップを踏むエリスに、あることを試してみることにした。

「エリス、目をつぶって、自分のリズムで身体を揺すってみてください」

 そう言うと、エリスはいぶかしげな顔をした。

「……目をつぶらせて何をするつもりよ!」

「……ルーデウス様?」

 エドナの柔らかい笑みがちょっと崩れた。

 いや、違いますよ?

 キスしようとかは思ってませんよ?

 失礼な人たちだな、俺のような紳士を捕まえて……。

「ダンスができるようになる魔法を使います」

「え! そんな魔術があるの!?」

「いえ、魔法です。術じゃないです。不思議現象です」

 エリスは首をかしげながらも、俺の言葉に従う。

 剣術の授業で、何度も目にしたリズム。

 素早く細かく鋭く、決して規則的ではなく、読み切ることができず、自然と相手のリズムを崩す、決して俺が真似することのできない、天性のワガママリズム。

「今から手を鳴らすんで、それに合わせて攻撃をけるつもりでステップを踏んでください」

 そう言って、俺は規則正しく、パン、パンと手を鳴らす。

 エリスは、それに合わせて、クイッ、クイッと身体を動かす。

 しばらくそれを繰り返し、あるタイミングで声を掛ける。

「ハイッ! ハイッ!」

 タイミングは手をたたく寸前。

 するとエリスは、一瞬だけ待ってから、手にだけ反応する。

「こ、これはっ!」

 エドナがきょうがくの声を上げた。

 

 エリスはステップを踏めていた。

 

 まだちょっと速いが、合わないことはないはずだ。

 エドナが拳を握り、珍しく興奮した笑みで、叫ぶ。

「できています! できていますよお嬢様!」

 エリスが目を開けて、喜色満面の笑みで聞き返す。

「本当!?」

 俺は二人に水をさすように、指導を続けた。

「ほらほら、目を開けないで。今のを覚えるんですよ」

「覚えるって……フェイントを見切って攻撃を避けるだけじゃない!」

 そう。この訓練は剣術の授業中にやったものだ。

 ギレーヌの攻撃を避ける授業。

 フェイントを掛ける際に、ハイッと言うので、それに釣られないように本命だけ避ける。

 ギレーヌの本気の殺意がこもったフェイントに反応しないことに比べれば、殺気の篭っていない俺の声を判別してから本命を避けるなど、簡単なことだ。

 ちなみに、その授業は俺の方がエリスより成績が上だ。

 エリスは素直なので、フェイントに引っかかりやすいのだ。

「エリス。一つの授業で学んだことは、他の授業でも応用できます。うまくできない時は、他の授業で似たようなことがなかったか、よーく思い出してみてください」

「う、うん」

 エリスは珍しく、目を見開いたまま、何も言うことなく素直にこくこくとうなずいた。

 これなら、ダンスは大丈夫だろう。

「さすが、お嬢様に一年も算術を教えているだけのことはありますね」

 エドナはさぞ感服したらしい。感動のまなざしで俺を見ていた。

 ていうか、さすがって……。

 それほどエリスに算術を教えるのは絶望視されていたのか。

 うん。まあ俺も結構苦労したけど。

 半分はギレーヌのおかげだしな。

 調子には乗るまい。

「このエドナ、目からうろこが落ちる思いです。剣術とダンスには通じるものがあるのですね」

 エドナは信じられないものを見たという顔をしている。

 私は今、奇跡を見た、おお神よ、そこにいたのですね、って顔だ。

 大げさだな。

「まぁ、剣を使った踊りもあるぐらいですからね。ダンスと剣術は親和性が高いはずですよ」

「剣を使った踊り? あら、そんなものが?」

 エドナは不思議そうに聞き返してきた。

 剣舞ソードダンスは俺の中では中二病知識の中における一般常識だが、この世界には無いのかもしれない。

「え? ええ、僕も本で読んだだけなので……」

「まあ、そのような文献が……どちらの踊りなのでしょう?」

「さ、さあ、文献では、砂漠の国で見たと」

「砂漠……ベガリット大陸の方でしょうか?」

「わかりません。案外、魔大陸で魔族が踊っていたのかも。小さな部族が多いと聞きますし、剣を使った踊りを踊る人たちもいましょう」

 と、適当に言っておく。

「なるほど、そうした知識の集積こそが、ルーデウス様の知恵の源なのですね」

 エドナは柔らかい笑みに戻り、俺を褒めてくれた。

 勝手に納得したらしい。

「そうよ、ルーデウスは凄いのよ!」

 なぜかエリスが胸を張って答えていた。

 いいぞ、もっと言ってくれ。

 俺は褒めて伸びるタイプだからな。フハハハハ!

 

    ★ ★ ★

 ダンスパーティ当日。

 着飾ったエリスをお姫様のように座らせ、サウロスが高らかに開幕を宣言した。

 俺は会場の隅の方に陣取って、それを聞いた。

 

 パーティの序盤。

 グレイラット家に取り入ろうと群がってきた中級貴族や下級貴族を、フィリップと奥方が上手にさばくという感じで進んでいく。二人はさすがというべき立ち回りで、誰一人として付け入るすきを見つけることはできなかったようだ。ならばとサウロスに直接取り入ろうとしたものは、あの大声と理不尽かつ一方的な対応で、ほうほうていで逃げ出した。

 逃げ出した彼らは、最後の望みとばかりに、このパーティの主役であるエリスの所へと行く。

 エリスには何の権限も無いし、政治的な話はわからない。だから、どうかお父様にお伝えくださいね、と伝えるだけのロボットになっていた。

 ある者は、我が息子を紹介しましょう、と育ちのよさそうな青年や中年を連れてきていた。同い年ぐらいの子も何人かいたが、ほとんどはすでにかなり脂ぎっていた。きっと、家の中でぬくぬくと育ってきたのだろう。

 昔の俺を見ているようだ。

 心の中で親近感を覚えていると、ダンスの時間となった。

 

 俺は当初の予定通り、エリスのダンスの最初のパートナーを務める。

 子供らしく、一番簡単なステップで、しかし主役なので広場の真ん中で。

 練習通りにやればいい。

「な、な、な、なによ……!」

 音楽が鳴り始めた時、エリスはガチガチに緊張していた。

 これでは、うまく踊るどころではないだろう。

 それどころか、唐突に俺を殴り倒してその場から逃げ出す可能性すらあるだろう。

「……」

 軽く目線と踏み込みでフェイントを入れてやる。

 すると、エリスはピクリとフェイントに反応して、唇を尖らせた。

「なによ」

 と、もう一度小さくつぶやいた時には緊張が解け、いつもの調子に戻っていた。

 その後、何度か足を踏まれたものの、転んだりすることもなく無事にダンスを終えることができた。

「お疲れ様です、ルーデウス様」

 ダンスが終わると、エドナが話しかけてきた。

 遠目にもお嬢様の緊張が解けるのが、ハッキリとわかったらしい。

 どうやったのかと聞かれたので、練習でやったことをそのまま、と答えた。

 不思議そうな顔をするエドナだったが、もっとも剣術のですけど、と付け加えると、くすりと笑った。

 

 俺の役目は終わった。

 なので、食料を漁る。

 今日は珍しい料理が多い。

 なんかよくわからない甘酸っぱい果実を使ったパイだとか、牛を一頭まるごと使った肉料理だとか、れいに盛りつけられたケーキだとか。

 それらを満足気に、もきゅもきゅと食っていると、警備をしているギレーヌと目が合った。

 なにか訴えるような目線ではなかったが、口からよだれが垂れていた。

 俺は空気が読める男だ。

 料理を少しずつナプキンで包み、メイドに言って自室へと運ばせた。警備や使用人にはこの後にいつもよりちょっと豪勢な食事が出るようだが、この場にあるような料理は出ないのだ。

 

 あらかた料理を運び終えた頃、ふと気づくと目の前にれんな少女が立っていた。

 お初にお目にかかります、と前置きをおいて名乗る少女。

 中級貴族の娘らしいが、名前は長かったので憶えきれなかった。

 ともあれ「踊っていただけません」と言われたので、簡単なステップしかできませんが、と前置きしてから広場へと赴いた。

 うまく踊れたと思う。

 戻ってくると、別の女性が来た。次は私と踊っていただけませんか、と。

 なんだよおい、俺も結構モテるじゃん、と思っていると、次々と来た。

 中には三十路を超えたおばちゃんや、俺より幼くて踊れない子もいた。

 身長差なんかで踊れない相手はさすがに断ったが、基本的には全員相手にした。

 俺はノーといえる日本人だ。

 だが、最初の一人にオッケーを出した手前、他の子を断りにくかった。

 下心はもちろんあったが、顔も名前も覚えられない量で、さすがに疲れた。

 モテ期があらかた収まった頃、フィリップが来て説明してくれた。

「父さんのせいさ」

 なんでも、最初にエリスと踊った少年は誰かと聞かれたサウロスが自慢気に、グレイラット姓を名乗る人物だとバラしたらしい。

 つまり、全てはサウロスじいさんのせいだ。

 とはいえ、爺さんを責めはすまい。

「初めてのダンスでお嬢様の緊張を見事にほぐしたあの子は、もしやサウロス様の隠し子では?」

 などと言われ、気を良くしてしまったのだ。当初の予定では俺がグレイラット姓だとは知らせないように、という話だったが、酒も入っていたし、仕方ないのかもしれない。

 つまり、今は分家かめかけの子でも、いずれ名士となるに違いないと、自分ちの娘や孫を送り込んできたというわけだ。

 でも、それならダンスが終わってすぐに来てもおかしくないのでは、とフィリップに聞いてみると、甘いものをナプキンに包んでいる姿が微笑ほほえましくて、終わるまで待っててくれたらしいと教えてくれた。

 見ている人は見ているものだ。

 モーションを掛けてくる女の子をどうすればいいのか、フィリップに聞いてみると、適当に相手をしておけばいいと返答をもらった。

 将来的にどう転んだとしても、俺に政治的な関わりを持たせる気はないのだろうか。それとも、誰かとくっつけば政治的な力になるという判断だろうか。

 俺も政治的な力を持つ気はサラサラない。

 なので、今日のモテ期は泡沫うたかたの夢だ。

 や、でも、偉くなれば可愛かわいい女の子を食いまくれるのかな、金の力で。

 そう、チラっと考えた瞬間、

「でも、パウロのように片っ端からベッドに連れ込むのは家名に泥が付くから勘弁してくれよ」

 と、くぎを刺された。

 

 最後に来た女の子はエリスだった。

 ちなみに今日のエリスはいつものような活発なスタイルではなく、あおを基調としたドレス姿だ。

 髪はアップで、花のあしらわれた髪飾りをつけていて、大変かわいらしい。

 初めてのダンスパーティで、知らない大人から次々に声を掛けられて、さすがの彼女も疲れているようだった。

 けれども、自分が主役のパーティがうまくいっているせいか、興奮もしていた。

「わたくしと、踊っていただけませんか?」

 そこに、いつもの大声、大また、無遠慮、無作法のエリスはいなかった。

 今まで俺に声を掛けてきた女の子に勝るとも劣らない、おしとやかお嬢様の演技で、俺をダンスに誘った。

「よろこんで」

 彼女の手を取り、ホールへと出る。

 エリスはお澄まし顔で周囲を見つつ、フフンと笑いつつ、ホールの中央まで移動した。

 すると俺たちが習っていない、ちょっとだけ難しい、変調で速いリズムの曲が流れ始めた。

 演奏家が気を利かせたのかもしれない。

「あ、うぅ……」

 エリスは一発できょどった。無理して変な演技するからだ。

 どうしよう、と目線で訴えてきたので、音楽に合わせて目線でフェイントを入れた。

 変調だが、むしろこういう曲の方がエリスにとっては踊りやすいはずだ。

 もっとも、ステップの方は適当だ。

 エドナに見せれば、あきれられるか怒られるかするだろう。

 手をつないで、いつもの剣術のけいのように踏み込んだり引いたりする。

 それは音楽に合わせてはいるものの不規則で、周囲から見れば奇異にも映っただろう。

 しかし、エリスは楽しんでいた。

 いつもムッとするかムスッとしてばかりいる彼女が、歳相応の顔で笑っていた。

 それが見れただけでも、このパーティに参加した意味というものがある気がした。

 

 踊り終えると拍手が起こった。サウロスが走りこんできて、俺たち二人を肩の上に乗せ、うれしそうに笑いながら中庭を走り回った。

 元気な爺さんだ。周囲もそれを見て笑っている。

 楽しいパーティだった。

 

    ★ ★ ★

 パーティが終わった後、俺はギレーヌとエリスを自室に招いた。

 本当はギレーヌだけでもよかったのだが、ギレーヌを誘っている時にエリスもいたので、ついでと思って連れてきたのだ。

 テーブルに広げられた食べ物に、エリスはお腹を鳴らした。

 パーティでは緊張したり興奮したりで、何も食べていなかったらしい。

 俺は苦笑しつつ、あらかじめ町で買って隠していた安酒を戸棚の奥から出す。

 ギレーヌ用に買ったものだが、エリスが飲みたがったので、グラスを三つ用意して、乾杯。

 この国での飲酒は十五歳かららしいが、今日は無礼講。

 たまには悪いことをしてやろう。

 最初の一杯を飲んだ後、俺はふとあることを思い出して、立ち上がった。

「丁度いいタイミングなので、今日、渡しておきましょう」

 俺はそう切り出して、ベッド脇の棚の中から、二本のワンドを取り出した。

「なに? これ?」

「エリスにとっては、誕生日プレゼントになりますかね」

「えー、こんなのより、そっちがいい」

 と、エリスが指さしたのは、最近俺が魔術の訓練と称して作っている、土魔術で作った精密模型の数々だ。

 竜とか船とか、シルフィのフィギュアといったものが並んでいる。

 自慢じゃないが、二十代の頃にフィギュアやプラモデルにハマって、ダンボールで塗装ブースまで作っていた時期があるのだ。

 さすがに塗料は高く、スプレーも無いので塗装はしていないが、土魔術でパーツごとに作って組み立てていく作業は楽しく熱中できたため、結構精密にできている。

 といっても、しょせんは素人の出来だが……。

 ちなみに、最初に作った1/8ロキシーは、行商人が金貨一枚で買い取ってくれた。

 今頃世界を旅していることだろう。

 ま、それはさておき。

「俺の師匠によると、魔術の師匠は弟子につえを贈るそうです。作り方がわからなかったのと、材料を買うお金が無かったので遅くなりましたが、よければもらってください」

 ギレーヌはそれを聞くとやおら立ち上がり、恭しく片ひざをついた。

 あ、コレ知ってる。剣神流の門弟が師匠に敬意を払う時のポーズだ。

「ハッ、ルーデウス師匠。ありがたくちょうだいいたします」

「うむ、苦しゅうない」

 なんかかしこまられたので、うやうやしく受け渡す。

 ギレーヌはなんだか嬉しそうな顔でワンドを見ていた。

「これであたしも魔術師を名乗れるのか」

 あ、これってそういうアレなのか。

 名乗れちゃうの?

 そういうのロキシーから聞いてないんだけど……。いや、どう考えても入門用だし、それはないだろ。でも、魔術を習い始めた時点で魔術師は名乗れるのか? あれれ?

 俺の師匠は説明が足りない。

「えっと、エリスはこっちが欲しいんでしたっけ?」

 冗談混じりに1/8シルフィを手にとると、エリスはぶんぶんと首を振った。

「違う! そっち、そっちの杖! 私もそっちのがいい!」

「はい、どうぞ」

 パッと受け取って、しかしギレーヌの畏まった態度を思い出したのか、すぐに姿勢を正し、うやうやしくワンドを両手でささげ持つ。

「あ、ありがとうございます、ルーデウス師匠」

「うむ。よきにはからえ」

 そして、エリスはチラッとギレーヌを見る。

 なんだろう。

 ギレーヌもその視線に気づいて、数秒固まった後、首を振った。

「すまんが、あたしの種族にそういった習慣はなくてな。何も用意していない」

 何かと思ったが、プレゼントの催促だったらしい。

 エリスはがっかりした顔で、ソファに座った。

 雇用人があるじにプレゼントを贈る、という習慣は無いらしいが、大好きなギレーヌお姉ちゃんに何ももらえないのはかわいそうだ。

 フォローしておこう。

「ギレーヌ。こういうのは特別に用意していなくてもいいんですよ。普段身に着けているものとか、お守りになりそうなものとか。そういうのでいいんです」

「ふむ」

 ギレーヌはふと考えると、自分の指から一つの指輪を外した。

 木彫りの指輪で、かなりくたびれて傷が付いているが、何か魔術でも掛けてあるのか光の加減か、はたまた材質か、光がやや緑色に反射して見える。

「一族に伝わる魔除けの指輪だ。着けていると夜に悪いおおかみに襲われないと言われている」

「い、いいの……?」

「ああ、ただの迷信だったからな」

 エリスは怖々とそれを受け取った。

 右手の薬指に着けると、ぎゅっと胸元で両手を握った。

「た、大切にします」

 俺のワンドをもらった時より嬉しそうだった。

 なんだか負けた気分だ。

 まあ指輪だしね。女の子なら、そ、そうだろうよ?

「迷信だった? ということは、ギレーヌは悪い狼に襲われたことが?」

 そこでふと気になったので、疑問を一つ。

 ギレーヌは難しい顔をして頷いた。

「ああ。あれは寝苦しい夜だった。パウロが水浴びでもしようと誘ってきて……」

「あ、やっぱ結構です。その話は先が読めました」

 いかん。この話題をこれ以上続けると俺の株が落ちそうだ。

 パウロのせいでだ。あいつはいつも俺の邪魔をする。

「そうか。まぁ、お前も父親の情事など聞きたくあるまい」

「そうですとも。さぁ、食べましょう。もうすっかり冷めてますけど、楽しく食べましょう。師匠と弟子の持ちつ持たれつの関係ということで、無礼講で」

 エリスの記念すべき十歳の誕生日は、こうして何事もなく経過した。

 

    ★ ★ ★

 翌日、目覚めるとエリスが真横で寝ていた。

 烈火のような性格であるが、寝顔は緩く、可愛らしかった。

「わーぉ」

 大人の階段、登っちゃったかしら、いやん。

 ……んなわけない。ちゃんと覚えている。

 彼女は夜のパーティの最中でおねむになり、俺のベッドにフラフラと倒れこんだのだ。

 それを見て、ギレーヌもそろそろ帰るといい、エリスを置いて自室へと戻ってしまった。

 据えぜん食わぬは男のなんとやら。げへへへ、イタズラしちゃうぞう。

 と、舌なめずりしながらベッドに近づくと、そこにはギレーヌの指輪をして、俺のあげたワンドをギュっと胸に抱き、ニマニマと満足そうに眠るエリスの姿があった。

 下卑た顔した悪い狼は引っ込んだ。

「魔除けの指輪、効果あるじゃん……」

 俺はそう呟いて、エリスには指一本触れず、ベッドの端に静かに潜り込んだのだ。

 

 今はまだ、朝早い。

 窓から外を見ると、空は白み始めてはいるものの、まだ暗い。

 このままエリスの寝顔を見ていてもいいが、起きた時にぶん殴られそうだ。

 なので、俺は散歩に出かけることにした。

 殴られるのは嫌だしな。

 俺は静かにベッドを抜け出て、音を足を忍ばせて部屋を出た。

「さてと」

 肌寒い廊下を歩きながら、どこへ行こうか考える。

 館の門は朝何時だかにならないと開かない。外には出られない。

 選択肢は少ない。

 基本的に、館のどこに何があるのかはこの一年で知っていたが、入ったことのない場所も多い。

 例えば、この館で一本だけ突き出している塔とかには、近づかないほうがいいとは言われていたが、興味はある。

 もしかすると、何かいいものが手に入るかもしれないしな。

 陰干ししてある誰かのパンツとか。

 そんなことを思いながら、階段を登って最上階に移動する。ウロウロと歩き回ると、なにやら楽しげなせん階段があった。

 これが、例の塔への入り口だろう。

 近づかないことと言われたが、昨日はエリスの誕生日。

 今日は無礼講と考えてもらおう。そうしよう。

 そう決めて、階段を登っていく。

 外から見ても高かったが、中の階段の数も多かった。ぐるぐると、何階分登ったのかわからなくなってきた時、上から何やら声が聞こえた。

 ニャンニャンと、発情期の猫のような、悩ましい声である。

 俺は足音を忍ばせ、できる限り音を立てないように登った。

 最上階にサウロスがいた。

 人一人が入れるかどうかという小さな部屋で、ネコミミメイドとにゃんにゃんしていた。

 なるほど、近づくなってこういうことか……。

「む?」

 最後までしっかりと鑑賞した頃、サウロスは俺に気づいた。

 メイドは結構前から気づいていた。気づいて興奮していた。

 ネコミミメイドは、コトが終わると、すぐに俺の脇を抜けて階段を降りていった。

「……ルーデウスか」

 いつもと調子の違う、小さく穏やかな声だった。

 賢者モードだろうか。

「はい、サウロス様。おはようございます」

 貴族流のあいさつをすると、サウロスは手で止めた。

「よい。何をしに来た?」

「階段があったので、登りに来ました」

「高い所が好きなのか?」

「はい」

 とは言ったものの、あそこの出窓から顔を出せば、足がすくむだろう。

 好きと得意は違う。

 もし世界を征服して、この世で一番高い塔を建てたとしても、自室は一階に作るだろう。

「ところで、サウロス様はここで何を?」

わしは、あそこにあるたまに祈っておった」

 へぇ。

 この館の祈るって文化は、随分と退廃的なんだなと思ったが、口にしない。

 普段は厳格そうにしているこいつもグレイラット家の人間、同じ穴のむじなだ。

「珠?」

 出窓の外を見てみると、中空に浮かぶ、ひとつの赤い珠があった。

 光の加減か、中身がちょっと動いているように見える。

 なんだあれ、すげえ。やっぱ魔力で浮いてるのかな?

「あれは?」

「わからぬ」

 サウロスは首を振った。

「三年ほど前に見つけた。しかし、悪いものではない」

「なぜ、そう言い切れるんですか?」

「そう考えたほうがよいからだ」

 なるほど。

 そうだね。手も届かないしね。悪いものだって思ってても精神衛生上よろしくないし、良いものだと思っていて祈ったほうが、珠さんも気分がいいしね。

 俺も祈っとこう。

 どうか空から女の子が降ってきますように……と。

「ルーデウスよ、儂はこれから遠乗りに出かける。ついてくるか?」

「お供します」

 サウロス爺さんは一発アレしたばかりなのに元気だ。

 今日は暇なので遊んでくれるらしい。

 わーい……と喜ぶ演技をすべきなのかもしれないが、疲れそうだ。

「そういえば」

「なんだ?」

「サウロス様に奥方はいないので?」

 ギリッという音がした。

 サウロスが奥歯を鳴らしたのだと気づいて、俺は背筋が寒くなった。

「死んだ」

「そうですか。それは申し訳ないことを聞きました」

 素直に謝っておいた。

 せっかくネコミミをニャンニャンしてたのに、嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。

 この調子なら、エリスに兄弟がいないことも聞かないほうがいいだろう。

「では、ゆくぞ」

「はい」

 今日は休みだ。

 エリスには明日から頑張ってもらおう。


名前:エリス・B・グレイラット

職業:フィットア領主の孫

性格:やや凶暴

言うこと:素直に聞く

読み書き:読みはほぼかんぺき

算術:九九を覚えた

魔術:初級はほぼ詠唱できる

剣術:剣神流・中級

礼儀作法:パーティで恥をかかない程度

好きな人:おじいちゃん、ギレーヌ、ルーデウス

 

第六話 「言語学習」

 十歳の誕生日以来、エリスが素直になった。

 授業も真面目に聞いてくれるようになり、殴られることも少なくなった。

 俺はドメスティックバイオレンスの恐怖から解放され、心に余裕を持つことができた。

 なので、自分の勉強をすることにした。

 まずは、書庫で見つけた歴史書より、この世界の大まかな歴史を調べてみる。

 歴史書によると、世界は一○万年前からあったらしい。

 実にファンタジックな歴史だった。

 大まかに年表で分けると、以下のような感じだ。

◆ 一〇万年以上前 ◆

 世界は七つに分かれていて、それぞれ神が世界を支配していたらしい。

 これを太古の神の時代、と呼ぶ。

 七つの世界と神は以下の通りである。

 人の世界、人神。

 魔の世界、魔神。

 龍の世界、龍神。

 獣の世界、獣神。

 海の世界、海神。

 天の世界、天神。

 無の世界、無神。

 世界は結界のようなもので隔絶されており、簡単には行き来できなかった。

 一つの世界の住人は、他に世界があることなど知らなかった。

 他の世界があることを知っていたのは、一部の神や、隔絶した結界の存在を通り抜けることのできる、力の強い人物だけだったという。

◆ 二万~一万年前 ◆

 龍の世界に、とんでもなく悪い龍神が誕生する。

 すさまじい力を持った龍神は結界をぶち破り、《五龍将》と呼ばれる配下を操って他世界を滅ぼした。

 滅ぼされた世界の生き残りは住む場所を追われ、他の世界へと逃げこんだ。

 あと一つ、というところになって《五龍将》が龍神を裏切った。

 《五龍将》筆頭である龍帝と四人の龍王は圧倒的な力を持つ龍神と戦った。

 五対一の死闘。結果は相打ちであった。

 その戦いの余波により龍の世界は崩壊した。

 そして人の世界だけが残った。

 これが、この世界である。

◆ 一万年前~八〇〇〇年前 ◆

 こんとんの時代と呼ばれている。

 元々住んでいた人族の祖先と、別世界の住人とが入り乱れて戦っていた時代。

 この時代の文献はほとんどないが、学者によると、長い年月を経て、各種族が住み分けられたと考えられている。

 獣族は森に住み、海族は海を支配し、天族は高地を確保した。龍族はほとんど残っていなかったが、人目を避けてこっそり暮らし、無族はどこでも暮らせたので、どこにでもいた。

 そして、人族と魔族だけが平地で争った。

 当時は、中央大陸と魔大陸は陸続きで、巨大陸と呼ばれていたそうだ。

◆ 約七〇〇〇年前 ◆

 武術や魔術が発達し、人も増えてきた。

 ここで第一次人魔大戦が起きる。

 人魔大戦とは文字通り、人族と魔族の大規模な正面衝突だ。

 生前の世界でいうところの世界大戦だろう。

 人族、魔族だけでなく、他の種族も巻き込んでの長い戦いである。

◆ 約六〇〇〇年前

 人魔大戦は激戦状態と小康状態を繰り返しながら千年も続き、勇者アルスが六人の仲間を率いて、《五大魔王》と《魔界大帝キシリカ》を倒すまで続いたらしい。

 名前からするに、魔界大帝は女性だろう。

 俺の頭の中では、ボンデージファッションに身を包んだエリスが高笑いしている姿が浮かんだ。

 てか、勇者アルスってドラ○エかよ。

◆ 約五五〇〇年前 ◆

 人族というのは愚かなもので、魔族を倒した自分たちは強いと勘違いし、他種族に戦争を挑んだり、人族同士で争ったりと、戦いの日々を送ったらしい。

 ちなみに、魔族は奴隷として扱われていたのだとか。

 五〇〇年近くも戦国時代が続いたらしい。

◆ 五〇〇〇年前 ◆

 第二次人魔大戦ぼっぱつ

 一〇〇〇年のうっぷんを晴らすように、《魔界大帝キシリカ》を筆頭に魔族が決起した。

 またキシリカ………襲名制なのか?

 と、思ったが、なんでも不死身の魔帝なので、死んでも何百年かで復活するらしい。

 魔界大帝と呼ばれているのも他の魔帝より頭ひとつ上の存在だからなのだとか。

 魔族は獣族と海族を仲間に引き入れ、人族を圧倒。

 人族を追い詰める。

◆ 四二〇〇年前 ◆

 第二次人魔大戦、終結。

 戦争大好きな人族は、八〇〇年も敗北宣言をせずに戦いつづけ、ついに押し返した。

 なんでも、黄金騎士アルデバランという英雄が頑張ったのだとか。

 こいつがとんだチート野郎で、一人で一万を超える敵軍をらし、魔族の有力者を全て倒し、当時の魔界大帝と一騎撃ち。最後に放った大技で当時の巨大陸に大穴が空き、中央大陸と魔大陸に分かれ、リングス海ができたそうだ。

 一節には、人神その人だとも言われている。

 俺の知っているアルデバランと言えば、必殺技を放てば必ず殺される男だが、この世界の黄金○闘士は規格外に強いようだ。大陸うんぬんまゆつばだが、この戦争で大陸が二つに分かれて、真ん中に新しい海ができたのは事実であるそうだ。

 ともあれ、大陸が二つに分かれたおかげで、念願の平和が訪れることとなる。

◆ 四二〇〇~一〇〇〇年 ◆

 ここで年代が一気に飛ぶ。

 世界は平和だったが、徐々に魔族が中央大陸より駆逐される。

 人族はこうかつで、外交的手段を用いて、魔族を魔大陸に閉じ込めたのだ。

 中央大陸は自然豊かで暮らしやすい土地。

 魔大陸は魔力まりのできやすい不毛な大地。

 人族は、せんな魔族を魔大陸に押し込めようと、三〇〇〇年以上掛けてゆっくりじわじわ真綿で首を締めるように、魔大陸を封鎖した。

 他の種族と連携を取り、二度と人魔大戦が起きないようにとの願いを込めて。

 恐らく、魔族も抵抗はしただろう。外交的手段を用いて、ゆっくりと攻めてくる相手に、しかし戦争まで起こすことはないと。その結果、いつしか魔族は魔大陸より出られないことを疑問に思わなくなった。

 そして、過酷な環境とわずかな資源の奪い合いで、自然と内乱状態となっていく。

 魔族は自然と鍛えられ、しかしその数を減らしていった。

◆ 一〇〇〇年前 ◆

 魔神ラプラス誕生。

 長い歴史の中で、魔王・魔帝は数多けれど、魔神と呼ばれる人物はこのラプラスただ一人だ。

 ラプラスは、瞬く間に魔族をまとめあげ、魔大陸を平定した。

 当時の戦いの記録は残っており、戦記にもなって語り継がれている。

 今もなお、ラプラスは魔大陸のアイドルなのだ。

 ラプラスは長い年月を掛けて、統一魔界帝国のようなものを作り、魔族という種族全体をタフできょうじんに育てていく。

◆ 五〇〇年前 ◆

 ラプラス戦役勃発。

 長い年月を掛けて海族と獣族を説得し、ラプラスは中央大陸へと攻め入った。

 人族は、それまでとは比べ物にならないぐらいキツイ戦いを強いられた。

 ラプラスは、南から侵攻し、人族の戦力を南部へと集め、中央大陸にレッドドラゴンを放ち、山を通行不能にし、北方より別部隊で侵攻して人族を分断させ、一気に南部を攻め落とした。

 あっという間に中央大陸の北部と南部を制圧し、二方向から西部に侵攻した。

◆ 四〇〇年前 ◆

 追い詰められた人族は、最後の賭けに出た。

 七人の英雄が海族を説得して海の封鎖を解除、海路にてミリス大陸を目指した。

 ミリス大陸は侵攻を免れていた。

 理由は多い。

 聖ミリスの結界と屈強な聖騎士団、大軍が上陸しにくい地形、等など。

 また、彼らが引きこもっていたのは、北にある大森林の存在のせいだ。

 獣族は魔族と同盟を結んでおり、ミリス神聖国ににらみを効かせていた。

 なので、七人の英雄は獣族を説得した。

 説得というか、七人で獣族の各族長を回り、子供を人質に取ったりしてどうかつしたらしい。

 かなり美化して、子供が協力してくれた、なんて書き方をしてあるが、俺はだまされんよ?

 決戦予定日。

 中央大陸に唯一残っていた人族の国であるアスラ王国は、総力を持って決戦を挑んだ。

 やや時間をおいて、七人の英雄はミリス聖騎士団と獣族を率いてラプラスの本陣を強襲。

 激戦の末、七人の英雄のうち四人が死亡したが、ラプラスの側近を全滅させ、魔神ラプラスを封印することに成功する。

 生き残った三人。

 龍神ウルペン、北神カールマン、甲龍王ペルギウス。

 彼らを《魔神殺しの三英雄》と呼ぶらしいが……殺してねーだろ。

 ラプラスは倒したものの、人族はかなり疲弊しており、これ以上戦い続けるのは無理だった。

 そこで、ラプラスについていけなくて魔大陸に残っていた穏健派の魔王と条約を結んだ。

 魔大陸の封鎖は解かれ、魔族は他の大陸でも大手を振って歩けるようになった。

 その他にも、魔族だからと差別されていた部分が条約によって禁止された。

 生前の世界でいうなら、世界人権宣言である。

◆ ~現代 ◆

 中央大陸において魔族を差別する風潮は根強く残っているが、おおむね平和である。

 この話でわかったことがいくつかある。

・七がキリのいい数字と言われている理由

 これは歴史からくるものなのだ。

 七英雄、七世界。縁起がいい数字は七。

 六が不吉。《五龍将》とか《五大魔王》とかいるが、ボスを含めれば六だ。

長耳族エルフ炭鉱族ドワーフ小人族ホビットといったもろもろの種族

 彼らは分類としては、一応は魔族であるらしい。

 だが、混沌時代に生まれた新種という説もある。

 もしかすると、最初の方に出てきた無族とも関係しているのかもしれない。

 ちなみに、これだけ長い歴史が残っているのは、寿命がない種族がいるからだそうだ。

 魔界大帝キシリカもそうだし、他にも不死身と呼ばれている魔王は数多くいるらしい。

 体を不死身にする、そういう魔術があるのかもしれない。

 

    ★ ★ ★

 歴史を学んだことで、この世界にある言語についても多少知ることができた。

 この世界で使われている主な言語は以下の通りだ。

 

・人間語:中央大陸で使われている言語。

・獣神語:ミリス大陸北部で使われている言語。

・闘神語:ベガリット大陸で使われている言語。

・天神語:天大陸で使われている言語。

・魔神語:魔大陸で使われている言語。

・海神語:海全般で使われている言語。

 

 おおまか区別すれば、それぞれの大陸に住んでいる種族の神の名前が使われている。

 だが、人間だけは人神語ではない。罰当たりなことだな。

 人間語を使う中央大陸は北・西・南の三部に分かれていて、それぞれの人間語もちょっとずつ違うが、せいぜいアメリカ英語とイギリス英語ぐらいの違いでしかない。

 俺が使っているのは中央大陸西部の人間語だ。

 西部の言葉を北部でしゃべっても通じるが、他の地域では、あまり西部の言葉をしゃべらないほうがいいらしい。というのも、西部から来た人間は裕福だと思われている。そのため、よからぬやからがスリよってくるのだとか。

 ミリス大陸も北部と南部で言語が分かれている。

 北部では獣神語が、南部では人間語が使われている。

 海全般というのは、この世界の海には、海人族という種族が住んでいるのだそうだ。

 海魚族という単語はどこかで聞いたが、町中で見たことはない。

 

    ★ ★ ★

 さて、俺は毎月の給料の他、フィギュアを作って売ったり、休日に日雇いのバイト(フィリップの手伝い)をしたり、ある日購入した商品を数ヶ月後に転売したりと、あれこれ動きまわって、それなりに小銭を稼いできた。

『シグの召喚魔術』を買おうと思って貯めていた金だ。

 だが、あの本はちょっと見ない間に売れてしまった。

 召喚。興味はあったのだが、仕方がない。

 無いものは買えないのだ。

 俺は手元にある金を別のことに使おうと考えた。

 金貨五枚程度で買えるもの。いや、なにも一回で使い果たさなくてもいいだろう。

 そこで目についたのが、知らない言語で書かれた本だった。歴史の話を聞き、言語の話を聞き、やはり言葉を覚えるということは大切だと思い出す。

 ということで、俺は別言語を学ぶことにした。

 まずはギレーヌが扱えるという、獣神語からにする。

 魔神語も習いたい。ロキシーに触りだけでも教えてもらえるように、手紙を出しておこう。

 

    ★ ★ ★

 九歳になった。

 エリスの家庭教師になってから、二年が経過したことになる。

 去年は一年掛けて獣神語を習得した。

 ギレーヌにも手伝ってもらったが、習得にはそれほど時間は掛からなかった。

 覚えるべき文字数が少なく、パターンさえ知ってしまえば、口語も簡単だった。

 生前では外国語は大の苦手だったが、この身体は本当に物憶えがいい。

 

 そして現在。

 俺は魔神語を習っている。魔族の言葉で書かれた本は安かった。

 本屋の店主にも「何書かれてんのかわかんないよ?」と、前置きされた。

 銀貨七枚だったが、六枚に負けさせた。

 

    ★ ★ ★

 さらに三ヶ月が経過した。

 魔神語の翻訳はあまり進んでいない。

 翻訳という作業はなかなか難しい。

 ていうか、ハッキリ言おう。

 何書いてあるのか、まったくわからない。

 せめてタイトルがわかれば、内容を想像しつつ、穴埋めしていくこともできたかもしれない。

 しかし、内容もわからない、言葉もわからないとなれば、俺にはお手上げだ。

 獣神語の習得が容易だったのは、ギレーヌがいたのもあるが、それだけではない。

 教科書として使用した本の内容が『ペルギウスの伝説』に出てくる獣族の英雄の話だったからだ。外伝的な位置付けだったが、手元に『ペルギウスの伝説』をおいておけば、単語を拾うのは楽だった。

 しかし、魔神語はさっぱりわからない。

 考古学者はいったいどうやって文字を解読していたんだろうか。

 確か、単語を拾うのだ。同じ単語を探して書きだして、それぞれの意味を仮定していく。

 多分そんな感じ。

 うん、まぁ、それ以前に、どれが単語かすらもわかんない。

 さっぱりだ。

 

 取るべき手段が思い浮かばなくなった頃。

 ようやくロキシーからの手紙が返ってきた。

 一年以上も音信がなかったので、これは途中で手紙に何かあったか、ロキシーがもうシーローンの王宮にはいないのかもしれない、と思っていた矢先だ。

 ようやくだ。

「ふふ……」

 ロキシーからの手紙というだけでうれしくなる。師匠は元気にしているだろうか。俺ははやる気持ちを抑えて、メイドから手紙を受け取った。

 手紙……というか、小包だった。

 ズッシリと重い木箱である。

 大きさはそれほどでもない。精々、電話帳ぐらいだ。

 木箱の中から出てきたのは、手紙と一冊の分厚い本だった。本にはタイトルが無く、カバーは動物の革。電話帳にカバーを付けたような感じである。

 とりあえず手紙から。

 開ける前ににおいをぐと、ロキシーの香りがしたような気がした。

『ルーデウス様へ。

 お手紙、拝見しました。

 ちょっともしない間に、随分と成長なされたことと思います。まさか、フィットア領の領主のご息女の家庭教師に収まるとは、驚きで開いた口がふさがりません。

 ちなみにわたしはその仕事、面接で落とされました。これがコネの力でしょうか。

 現在、王子様の家庭教師でなければ、しっしていたかもしれません。

 また、それだけではなく、剣王ギレーヌとまで知り合いになって、あまつさえ弟子にしてしまうとは。剣王ギレーヌはとても有名な人なんですよ。なにせ剣神流で四番目に強い人ですからね。

 はぁ、五歳にしてわたしの水浴びをのぞいていた頃のルーデウスはどこに行ってしまったのでしょうか。

 遠い人になってしまいましたね。

 ──本題に入りましょう。

 魔神語を習いたいという話でしたね。

 魔族の各部族には人間族の知らないオリジナル魔術が数多く存在しています。

 文献は残っていないでしょうが、魔神語を喋ることができれば、将来的に部族の集落に赴き、教えてもらうこともできるかもしれません。無論、良好な関係を築ければ、ですが。並の魔術師では習得は不可能でしょうが、ルーデウスならあるいは使いこなすこともできるでしょう。

 そういう期待を込めて、ルーデウスのために一冊、教科書を書き上げました。

 わたしの直筆です。

 かなり時間が掛かったので、売ったり捨てたりしないで大切にしてもらえると嬉しいです。本屋とかで売ってるのを見たら泣くかもしれません……。

 道具屋といえば先日、王子様がこっそり城を抜けだして、わたしにそっくりの彫像を買ってきました。ローブが着脱式で、体型からホクロの位置まで同じでした。

 不気味です。

 もしかすると近日中に呪い殺されるかもしれません。

 心当たりはないんですが……。

 大丈夫そうならまた手紙を出します。

 ロキシーより。

 P.S.冒険者の中ではつえを持っていれば魔術師、という認識があるのです』

 

 なるほど。

 まず、水浴びの件は誤解だ。覗いたわけじゃない。

 偶然見えてしまったんだ。偶然なんだ。ほんとに。

 ロキシーが水浴びする時間は知ってたけど。覗けたのは偶然なんだ。

 ある時間帯に意識的に家の中を散歩したけど、偶然なんだ。

 それにしても、ギレーヌって剣神流で四番目なのか。

 剣神、剣帝、剣王だから………あれ?

 あ、剣帝が二人いるのかな。

 てことは、剣王は一人しかいないのか?

 剣神流の剣士は世界中に大量にいると聞いていた。だから剣王とかも十人ぐらいいると思っていたが、意外と狭き門なのか。

 あと、ロキシー像は偶然にも本人の近くに届いてしまったらしい。

 王子様もお目が高い。

 おっと、そんなことより。

 同封されていた本は直筆本らしい。

 手紙が届くのがどんなもんかわからないが、執筆期間は半年もないだろう。俺のために頑張って書いてくれたのだ。きっと、魔神語の解読に役立つものに違いない。俺も頑張って魔神語を解読しよう。

 そう思い、俺はに座り直し、本を開いた。

 NOW READING。

 ルーデウス読書中、なんちて。

 

「こりゃ、すげえ」

 俺は本の中を見て、驚きを隠せなかった。

 それは教科書であり、辞典だった。

 あらゆる魔神語に、人間語の翻訳がしてあった。

 恐らく、シーローンの王宮にあるであろう言語辞典(辞書)か何かを見ながら書き写したのだろう。単語から、細かい言い回し、発音の仕方までを、完全に網羅してある。

 それで驚くのはまだ早い。

 後半には、ロキシーの知る限りのあらゆる部族の情報が載っていた。

 あらゆる部族の説明と、ロキシーの主観による解説が載っていた。

 この種族はアレがだめ、あの種族はコレがダメ。

 ヘタクソだが挿絵も一応描いてあって、注釈で『ココが特徴!!』と矢印までしてある。

 特に、ミグルド族の項目は五ページにわたって一番詳細に書かれている。ロキシーが俺に自分たちの種族のことをよく知ってもらおうと頑張ったのだとすれば、実に微笑ほほえましい。

『ミグルド族は基本的にみんな甘いものが好きです』

 なんて書いてあったが、本当かな。

 本当なら、今度会う時は甘いものを用意しておきたい。

 それにしても、これを一年足らずで書き上げたと考えると、ロキシーには本当に頭が上がらなくなる。もし出会うことがあれば、その時は足でもめさせてもらおう。

 ロキシーの足は、きっとしいに違いない。

 さて。

 しかしこれは、今の俺にとって最強の教科書であると言えた。

 生前はそれほど成績のいい俺ではなかったが、この身体は妙に物覚えがいい。

 さらに半年もあれば、この本をかんぺきにマスターできることだろう。

 最低でも、簡単な言い回しぐらいはできるようになりたい。

 頑張ろう。

 

★ ギレーヌ視点 ★

 ルーデウスが部屋にこもりだした。

 またなにかやっているらしい。あの少年は度々あたしを驚かせてくれる。

 最初に出会った時は、なんとも頼りない少年だと思った。あの自信家のパウロが親馬鹿で押し付けたのだと思った。

 パウロには義理がある。

 義理以上の感情はないが、義理はある。だから、万が一エリスお嬢様の家庭教師になれなかったとしても、やかたには留めてもらえるように進言しよう、などと考えていた。

 それが、あっという間にエリスお嬢様の信頼を勝ち取り、家庭教師の座へと収まった。

 誘拐事件はルーデウスが企画したもの。

 それを執事が金欲しさに利用したと聞いたが、あたしが現場に着いた時、ルーデウスは執事の雇った男二人と対等に渡り合っていた。まがりなりにも片方は北神流の上級剣士だったというのに、二つの魔術を使い分け、あるいは合体させ、実にユニークな戦い方で圧倒していた。

 まだ子供なせいか詰めが甘かったが、あの歳であの戦闘センスは天性のものだ。

 このあたしでも、一〇〇メートル以上離れた位置から戦いを始めたら、敗北もありうる。

 戦闘センスだけではない。

 エリスお嬢様の授業計画とやらを組み立て、効率的な授業を行いだした。

 授業もわかりやすい。

 まさか、このあたしが読み書きと算術を覚え、あまつさえ杖までもらうとは……。

 村きっての悪童と言われ、十歳にならないうちに旅の剣士に預けられ、剣聖になったもののあらゆるパーティからつまはじきにされ、ようやく居着いたパーティでも、頭の悪そうな軽薄な男から、お前は頭が筋肉だから考えるな、と言われ続けたあたしが、だ。

 もし、今帰れば、集落の連中はどんな顔をするだろうか。

 思い浮かべるだけで笑みがあふれそうになる。

 まさか、集落の連中を思い浮かべて、こんな気分になる日がくるとは。

 自分の息子ともいえるような年齢の子供から、こんなに何かをもらったことはない。

 パーティを解散してからは、奪われるだけの毎日だった。

 詐欺にあって一文無しになり、しかし他人の物に手を付けるなと師匠に厳しくしつけられたため窃盗にも至れず、空腹でロクに仕事もできず、餓死寸前にまで陥っていたあたしを拾ってくれたサウロス様とエリス様。

 あたしはこの二人と同様の敬意を、ルーデウスに払っている。

 師匠……というと剣神様ししょうが「そんなガキと俺様が同列か!」と怒りそうなので、先生と言うべきだろう。

 ルーデウスには、先生として敬意を払っている。

 彼は本当に根気強く、算術や魔術を教えてくれている。

 頑張ってはいるが、あたしは物覚えがいいほうではないし、何度も同じミスを繰り返している。だがルーデウスは嫌な顔せず、懇切丁寧に教えてくれる。それも毎回言葉を変えて、あたしが理解できるようにだ。

 おかげで、あたしは二年という短い期間で火と水の初級魔術をマスターすることができた。

 ルーデウスの教育方針なのか、すぐには中級に移らず、覚えた魔術は無詠唱で使えるようにと訓練を行っている。

 両手がふさがっていても簡単な魔術が使えるというのは、合理的だ。なので、とても理解しやすい。理解できれば、努力もはかどる。もっとも、努力をしてもできないのだが。

 剣の師匠である剣神様は、頭の悪いあたしに『合理』という言葉をひたすら説き続けた。

「合理とは、すなわち基礎である」

 とは、剣神様ししょうのお言葉だ。

 長い年月を経て培われてきた流派の基礎は、合理性の塊である。

 地味な基礎を嫌がる幼きあたしに、師匠は延々とゴリゴリゴリゴリ言い続けた。延々と基礎を練習させ続けた。

 おかげで剣王などという分不相応な力を手に入れた。

 ルーデウスの教育方法は剣神様ししょうとよく似ている。

 エリスお嬢様はルーデウスのいないところで、「もっと派手な魔術を使いたい」と、愚痴をこぼしているが、あたしは今のままでいいと思う。実戦で最も頼れるのは、長い時間詠唱して強大な魔術を使用する上級魔術師ではない。状況に応じて細かく初級・中級魔術を撃ち分けてくれる魔術師だ。

 昔は魔術師など、人同士の戦いではなんの役にも立たない存在だと思っていた。

 だが、今は違う。

 ルーデウスを見た後だから言える。

 高速で動きまわりながら行動阻害と攻撃魔術を同時に行ってくるような相手がいれば、剣士にとってこの上ない強敵となる。

 村ではずっとパウロが相手をしてきたと聞いた。大人げないパウロのことだ、ルーデウスを力のままにたたきのめしたりしたのだろう。

 その結果として、対剣士戦術としてパーフェクトとも言える動きを手に入れたのだとすれば……。

 怪我の功名。

 パウロもたまにはいいことをする。

 もっとも一歩間違えば、ルーデウスが戦いそのものをあきらめ、その才能を埋もれさせてしまった可能性もある。諦めずにやってこれたのは、パウロの負けず嫌いな部分が遺伝したのだろう。

 いずれ、パウロを倒せるような技を教えてやれればと思う。

 もっとも、ルーデウスに剣神流の才能は無い。

 合理性を求めるがあまり、考えすぎるのだ。合理的な動きをしている基礎を、さらに合理的にしようとして、不合理な結果に終わっている。

 ルーデウスの性格を考えれば悪いことではないし、恐らく魔術を使うことを前提にしているのだろう。だが、踏み込み一つで全てを判断し、一瞬の交差で決着を付ける剣神流には向いていない。

 パウロは教えなかったようだが、北神流か水神流の方が合っているだろう。

 あいにくとあたしは剣神流しか使えない。

 教えることはできないが、ツテはある。

 三年後、もしルーデウスがまだ剣術を習うつもりがあるのなら、北神流の誰かを紹介しよう。

 あたしにできるのは、剣神流の基礎を教え続けることぐらいだ。

 基礎ができていれば、北神流を習い始めてもすぐに上達できるはずだ。

 もっとも、それも彼に剣術を習うつもりがあればの話だ。

 今は師に恵まれず行き詰まっているようだが、いずれ、ルーデウスは魔術師として大成するだろう。神級となると人外すぎてわからないが、あるいはルーデウスなら帝級までは習得するかもしれない。

 ルーデウスの将来として何を勧めればいいのか。

 きっと、ロキシーとかいう魔術の師匠も悩んだのだろう。

 結果として逃げ出すとは情けない奴だと思うが、責めるつもりはない。

 むしろ、彼女に感謝するべきだろう。お陰で、あたしは魔術を使えるようになったのだから。

 愚鈍な師の元で学んでも、弟子の頭が押さえつけられるだけ……いずれ、あたしも誰かに剣術を教えることを苦痛と感じる日が来るかもしれない。

 

 思考が脇にれた。

 そうだ。ルーデウスが何かをやっているのだ。

 もっとも、休日と言われて常に暇を持て余しているお嬢様と違い、ルーデウスはいつも何か新しいことをやろうとしている。

 この間も、獣神語を習いたいと言い出して、夕食後に本を片手にあたしの部屋に来た。大森林でしか使えないような言語を憶えてどうするのかと思ったが、ルーデウスは半年かけて言語を憶えてしまった。

 獣神語に難しい言い回しはない。日常会話ぐらいなら完璧にこなせるだろう。

 言語を習ったルーデウスは、さして嬉しそうな顔もせずに言った。

「これで、いつでも『大森林』に行けますね」

 あんな閉鎖的な所に行って何をするのか。

 そう聞いてみると、彼は慌てた。

「え? いえ、特には……あ、可愛かわいい子がいるかもしれませんね。猫耳の」

 その時、あたしは確信した。

 こいつはやっぱりパウロの息子で、グレイラット家の血を引いていると。

 そう。グレイラット家の連中はなぜかあたしのことを変な目で見てくる。

 女として見られているのなら悪い気分はしないのだが、そうじゃない。

 なんとも奇異な視線なのだ。

 大抵、雄という生物はあたしの胸を見てくる。まず顔を見てから、チラチラと別の場所を見ているフリをして、胸を見てくる。それから、すっと視線が降りて、腹、かん、太ももだ。後ろからなら、尻を見てくる。

 まあ、悪い気はしない。

 だが、グレイラット家の男連中は違う。

 最初は彼らも、顔と尻を見ているのだと思っていた。見るぐらいならいいだろう、それ以上を期待されているわけではないだろうし。

 そんな物好きはパウロぐらいなものだ。

 などと思っていたのだが、どうにも視線の位置がおかしいことに気づいた。

 顔を見る視線はちょっと上を、尻というよりはちょっと外を……。

 何を見ているのかと思ったら、耳と尻尾だった。

 エリスお嬢様も、サウロス様も、フィリップ様もそうだ。

 ルーデウスを馬車で迎えに行く前に、なぜ耳を見るのか、と初めて聞いてみた。

 するとフィリップ様は顔色一つ変えず、

「『ボレアス』は獣族が好きなのだ」

 と、断言した。断言しながら耳を見ていた。

 また、ルーデウスは、貴族としての名前は継いでいないが『ノトス』の一族だから違うと説明を受けた。

「もっとも、パウロの息子だから女好きなのは間違いないだろうがね」

 と、付け加えられた。

 さもありなんと、その時は思った。

 しかし、会ってみると、ルーデウスはパウロの息子とは思えないほど紳士だった。

 そしてパウロの息子とは思えないほど努力家で、パウロの息子とは思えないほど勤勉で、パウロの息子とは思えないほど禁欲的……ではなかったか。

 とはいえ、パウロの息子ではないのかもしれない、と思ったのは事実だ。

 だが、考えを改めた。

 間違いない。ルーデウス・グレイラットはパウロの血族だ。

「やはりお前はパウロの息子だな。言葉の通じる同種だけでは満足できんか」

「冗談ですから。そういう言い方はやめてください」

 あながち冗談でもないのだろう。

 この男は将来、女ったらしになる。

 最近、ルーデウスを見るエリスお嬢様の目に、ちょっと色が出始めている。色恋には疎いあたしだが、それぐらいはわかる。パウロにかれ始めた頃のゼニスにそっくりだ。

 

 そんなルーデウスが、最近は魔神語を習得しているらしい。

 獣族の次は魔族か。あの少年は将来、全世界の女の子を探す旅にでも出るつもりなのだろうか。

 パウロも昔似たようなことを言っていた。

 中央大陸中を回ってハーレムを作る、とかなんとか。

 結局はミリス大陸でゼニスに捕まった時に断念したようだが、その意志を継いでいるのか。

 まったく、ロクでもない親子だ……。

 いや、ルーデウスには敬意を払っている。

 うそじゃない。けいべつしているのはパウロだけだ。

 ルーデウスはそのへんりんを見せているだけで、何もしていない。

 まだ、何もしていない。

 彼は尊敬できる少年だ。

 うむ。今のところは。

「どうしたのギレーヌ?」

 考え事をしていると、エリスお嬢様が目の前にいた。

 彼女も、この二年間で随分と成長した。

 初めて出会ったのは五年ほど前になる。

 当初はどうにも手が付けられないワガママ娘だと思った。

 初日に剣術の授業で足腰が立たなくなるまで『可愛がって』やったら、夜中に木剣を持って襲いかかってきた。返り討ちにするとしばらくはおとなしくなったが、それでも何ヶ月も目をらんらんと輝かせてすきうかがっていたものだ。

 自分もかなりの悪童だったので、その行動には親近感がいた。

 あたしも、昔はこんな感じだったな、と。

 最初の頃、剣術のけいをしていても、アレがイヤ、コレがイヤと文句ばかり言ってきた。

 それが最近では、随分とおとなしくなった。

 去年の誕生日あたりからあまり叫ばなくなったし、服も汚さなくなった。

 礼儀作法の授業のおかげというより、ルーデウスによく見られたいからだろう。

 さては、十歳の誕生日にルーデウスが何か言ったのだ。

 パウロ直伝の、子宮の奥をしびれさせるような言葉でろうらくしたに違いない。

 そういえば、十歳の誕生日にエリスお嬢様はルーデウスの部屋に泊まったらしい。

 まさか………いやまさかな、いくらなんでも、二人とも幼すぎる。

 だが、いずれこの二人がつがいになったとしても、あたしは驚かない。

 エリスお嬢様を御せる男は、そう多くはあるまい。

「ルーデウスのことを考えていた」

「ふぅん、なんで?」

 エリスお嬢様は首をかしげた。

 その目には、少しばかり嫉妬の色がある。

 取ったりしないから、安心してほしい。

「なぜ、魔大陸の言語を学んでいるのか、と」

「前に言ってたじゃない」

 言っていただろうか。

 ルーデウスの教えは覚えているつもりだが、唐突に言語を学びだした理由には心当たりがない。

「なんと?」

「何かの役に立つかもしれないからって」

 そういえば、来たばかりの頃、商店で値段と商品名を書きながらそんなことを言っていたか。

 結局、あれは何かの役に立ったのだろうか。

 そういえば、昔パーティを組んでいたシーフは、消耗品の相場に詳しかった。

 いきなりある店を見つけて、ここの治療薬は相場の半値だから買い込もうと言って、粗悪品をつかまされたりしたのは嫌な思い出だ。

 だが、考えてみれば、相場を知らなければ、粗悪品を二倍、三倍の値段で買わされても気づかないのだ。あの時はわからないと言ったが、よく考えれば、やはり相場というものは知っておいたほうがいいのだ。

 ルーデウスに算術を習ったおかげで、もう釣りを誤魔化されることはないが、最初から値段を誤魔化されている可能性もある。

 算術を習ったからといって、商人になれるわけではないが、使う場面は多い。

「ルーデウスのことはいいわ。どうせ考えてもよくわからないもの。そんなことよりギレーヌ。暇なら剣術の稽古をつけてちょうだい

 エリスお嬢様は、ここ最近、熱心に剣術にうちこむようになった。

 理由はわからないが、焦りのようなものを感じているのかもしれない。

 ルーデウスは九歳。お嬢様がルーデウスと出会ったのも九歳。

 当時のお嬢様より今のルーデウスの方がしっかりしていることは一目りょうぜんだ。

 読み書き、算術、魔術は当然のことながら、社会常識や対話能力に至るまで。

 作法はないが礼儀はある。物腰も商人のように丁寧だ。

 ユーモアもある。ちょっと性的な悪戯いたずらが目にあまるが、それもあいきょうだろう。

 本当に九歳かと疑う。

 文字だけでやりとりをしたら、四十歳そこそこと言われても信じてしまうかもしれない。

 そういえば、王竜王国の方では、そういう詐欺が流行っているらしい。読み書きのできる賊が、貴族の青年を装って貴族の子女に手紙を出し、長い時間を掛けて信用させて、ある日いきなり呼び出して捕まえて奴隷屋に売るのだとか。

 エリスお嬢様は、そんなルーデウスにせめて何か一つ、勝てるものをと思ったのかもしれない。

 それが剣術なのだから、あたしとしては嬉しい限りだ。

「わかったエリス。中庭に行こう」

「うん!」

 エリスお嬢様は元気にうなずいた。

 彼女には剣神流の才能がある。

 このまま本気で剣の道を歩めば、いずれあたしをも超える使い手になるかもしれない。

 今はまだ中級だが、三年間ひたすら基礎を教え続けた結果が、最近如実に現れ始めた。

 踏み込みは鋭く、はやく。

 身体には『闘気』が乗るようになってきた。『闘気』を自覚的に御せるようになれば、晴れて剣神流の上級剣士となる。

 完全に御せれば、剣聖だ。

 そう遠い未来ではないだろう。

 エリスお嬢様がどこまで伸びるかわからないが、もしもあたしが教えている間に剣聖になったら、一度師匠に会わせよう。

 できれば、ルーデウスも一緒に。

 師匠はどんな顔をするだろうか。

 楽しみだ。


名前:エリス・B・グレイラット

職業:フィットア領主の孫

性格:やや凶暴

言うこと:素直に聞く

読み書き:書きも上達

算術:割り算がまだ苦手

魔術:無詠唱はまったくできない

剣術:剣神流・中級(もうすぐ上級)

礼儀作法:淑女の真似事

好きな人:おじいちゃん、ギレーヌ、ルーデウス


 

第七話 「確約」

 そんなこんなで、俺ももうすぐ十歳だ。

 

 この二年間は語学学習に費やした。

 魔神語、獣神語の他に、闘神語も習得できた。

 闘神語は人間語にほど近く、習得するのはそう難しくなかった。

 英語の中に、ちょこっとだけドイツ語が混じっている感じだ。

 単語や言い回しが違うだけ。文法の基礎は人間語と一緒だ。

 この世界の言語は、そう難しくない。一つ覚えれば、他でも応用がきく。世界中を巻き込んで戦争をしていた影響だろうか。

 もっとも天神語と海神語は文献もなく、使う人もいなかったため、習得することができなかった。

 

 ま、フォースリンガルともなれば、生きていくうえでは十分だろう。

 剣術の方は、なんとか中級になれそうだ。

 エリスがたった二年で中級から上級になってしまったので、俺ではもう相手にならない。

 才能の差を感じるね。

 まあ、休みの日にも努力していたみたいだし、そういうものか。

 俺が言語学習に費やした時間を、彼女は剣術に費やしたのだ。

 差が出てしまうのも当然だろう。

 

 魔術はフィギュア制作の訓練をする程度だ。

 より細かい作業ができるようになってきたので、上達はしているはずだ。

 とはいえ、行き詰まっているのも確かだ。まあ、こっちは魔法大学で学べばいいだろう。

 焦ることはない。

 それにしても、この世界にきてもうすぐ十年か。

 感慨深いものを感じるな。

 

    ★ ★ ★

 俺の誕生日の一ヶ月ぐらい前から、エリスを筆頭にやかた中の人間がそわそわとし始めた。

 何事だろうか。

 もしかして誰か重要人物がやってくるのだろうか。他のグレイラット家の誰かとか、あるいはエリスのフィアンセとか……。

 いやまさか、そんなまさか。

 エリスにフィアンセなんて、変な笑いが出そうだ。

 でも不安になったので、ちょっと調べてみる。

 エリスの後を華麗に尾行すると、台所でエリスとメイドがうれしそうに会話しているところに遭遇した。

 ギレーヌもいたが、どうやら俺には気づいていないらしい。

 屈強な獣耳剣士の目は料理前の食材なまにくくぎ付けだった。

「ルーデウスが驚くところを見るのが楽しみね! 泣いて喜ぶかも!」

「どうでしょう。ルーデウス様のことですから、内心でびっくりしていても、顔には出さないかもしれませんよ」

「でも、嬉しいとは思うわよね?」

「そりゃあもちろん。分家ということで、大変苦労しておられるでしょうから」

 別に苦労はしていないんだが……。

 しかし、一体なんの話をしているのだろうか。

 陰口だろうか。うまくやっている自信はあったんだが、そう思っていたのは俺だけで、この家の人間は疎ましく思っていたのだろうか。

 だとしたら泣く自信がある。

 マクラをウェットティッシュみたいにして、メイドさんの仕事を増やす自信が。

「ルーデウスの誕生日までに間に合わせないと!」

「焦っても、うまくできませんよ?」

「うまくできないと、食べてくれないかな?」

「いいえ、ルーデウス様なら、どんなものでも食べてくれますよ」

「ほんと?」

「ええ、サウロス様がその場にいる限り」

 あ。これ、もしかして、あれか。

 サプライズバースデイの準備か?

「ルーデウスも、あんな家の生まれじゃなければね……」

 エリスがびんそうに言った。

 なるほど、と俺は話の流れに納得して、その場を離れた。

 どうやら俺はあまり表にはできない人物らしい。そうだな、あんなヤツの息子では隠したくもなろう、と思うが、もちろん、そういう意味ではない。

 ここ数年で知った話だ。

 パウロの本名は、パウロ・ノトス・グレイラットと言う。

『ノトス』というのがパウロの貴族名である。

 パウロは大昔にノトス家から勘当され、ヤツの弟だか従兄弟いとこだかが現当主となった。

 ま、それはいい。終わったことだ。

 だが、終わったことにしていない、したくない人物が何人かいるらしい。

 ノトスの現当主がパウロ以上のクズなので頭をすげ替えようとする一派だ。

 現当主もその気配に敏感で、取って代わられそうな相手は極力排除しようとしている。

 なので、現在ボレアス家で保護されている俺がノトス家であると声高に叫ぶのはまずい。

 俺にはまったくその気はないのだが、パウロの息子がボレアス家という後ろ盾を得て、ノトス家を取り戻そうとしている、と考えられる可能性もあるらしい。

 権力者ってのは疑心暗鬼が好きだからな。

 最悪、暗殺者を送り込まれるかもしれない。

 だから隠さなければならない。

 そこまで理解したところで、話は盗み聞きした内容へと戻る。

 ルーデウスは本来ならエリス以上の扱いを受ける立場なのに、使用人のごとき扱いを受けている。

 なので、貴族の中では恒例中の恒例、特別な一日とも言える十歳の誕生パーティも大々的には行えない。

 不憫。実に不憫だ。

 そこでエリスが久しぶりにお様ことサウロスにワガママを言って、内々で誕生パーティを開催することを決めたらしい。

 館の人間だけの、ささやかなホームパーティを。

 俺のためにだ。

 泣かせる話じゃないのよさ。

 それにしても危ないところだった。

 知識では知っていたが、俺には十歳の誕生日が特別とかいう意識はあんまないからな。

 まして俺の常識でのパーティといえば、先日のエリスの誕生日のような大々的なものではなく、ホームパーティだ。

 身内だけでお誕生日会をすると言われても「ああ、そうなんですか。どうもありがとうございます」としか返せないところだった。

 今回は、エリスの企画だ。

 同年代もいなかったし、こういうことをするのも初めてだろう。

 俺が喜ばなければ、彼女もガッカリしてしまう。

 水の魔術を使って泣く練習をしておくとしよう。

 俺は空気が読める男だからな。

 

    ★ ★ ★

 当日。

 俺は館中がそわそわとしているのに気づかない振りをしつつすごした。

 昼の授業を終えて暇な時間になると、ギレーヌが俺の部屋にやってきた。珍しく緊張した様子で、シッポがピンと立っている。

「ま、魔術で教えてほしいことがあってな」

 いつもは獲物から絶対に離さない目が泳いでいた。

 どうやら俺をこの部屋に釘付けにしておきたいらしい。

 オッケーオッケー。乗ってやろう。

「ほう、どんなことを?」

 そう聞くと、予め決めていたのだろう。

 彼女は俺の目を見て、真面目な声音で答えた。

「聖級の魔術というものを見せてはもらえないだろうか」

「いいですけど、町に被害が出ますよ?」

「なに? どんな魔術なんだ?」

「水聖級は暴風と嵐雷ですね。頑張ればこの町ぐらい水没させられますよ」

「それはすごいな……今度ぜひとも見せてもらいたいものだ」

 珍しく、やけに持ち上げてくる。

 そういう作戦か。

 よし、ちょっとからかってやろう。

「わかった。そこまで言うならやりましょう。二時間ぐらい馬で移動すれば、なんとか範囲の外に出られるでしょうから。今から行きましょうか」

 ギレーヌのほおがヒクッと動いた。

「二時間!? や、いや、まて。今からだと帰りが遅くなる。夜は魔物が出やすい。平原でも危険だ」

「そうですか? でもギレーヌがいれば大丈夫でしょう? 獣人族って、音にも敏感だから夜中の警戒もうまいって言ってましたよね」

「確かにそうだが、過信は禁物だ」

「そうですね。聖級を使うと結構な魔力を使いますし。今度の休日にしましょうか」

「あ、ああ。そうだ、そうしよう」

 キリの良いところで切り上げる。

 普段何事にも動じないギレーヌをからかうのはなかなかに面白い。

 動揺すると尻尾がピンッと動くのだ。

 俺の言葉ひとつで尻尾が動くのだ。

 それだけで、なんだか幸せな気分になれる。

「あ、そういえばお茶も出さずにすいません。お湯をもらってきます」

「いやいい、構うな。動くな。のどは乾いていない」

「そうですか」

 まぁ、お湯なんて自分で出せるしね。気づいてないようだから言わないが。

 よし、この調子なら、俺が外に出ないように全力を尽くすに違いない。

 ちょっとセクハラしてみよう。

「そういえば、今俺が作ってる人形フィギュアなんですが」

 と、製作中の1/10ギレーヌを戸棚から取り出す。

 最初の頃に比べ、かなり上達してきた自信がある。

 この筋肉の流線なんかプロ並みだろう。

 ギレーヌはそれを見ると、ほうと息を漏らした。

「これはあたしか? なかなかうまくできているな。前にエリスお嬢様の人形を作っていた時もうまくできていたが……うん? 尻尾がついていないな」

「どうにもそのあたりの知識があいまいで、いつもは想像で作っているんですが、今回は出来がいいのでリアル志向にこだわってみたいと思いまして」

「ふむ」

 ギレーヌは考えこむような仕草で尻尾を振った。

 ふっ、どんな顔をするか楽しみだぜ。

「見せてもらえませんか? 尻尾の付け根の部分」

「お安いご用だ」

 そう言って、ギレーヌは俺に向かってぺろんと尻を見せた。

 一瞬のちゅうちょもなかった。

 俺の目の前には、ギレーヌの筋肉につつまれた尻と、その尻尾の付け根があった。

 すごい! さすが僕らのギレーヌだ!

 男らしい! こいつは勝てない!

 いや、ひるむな。まだだ。せっかくガードの固いギレーヌに公然とエロいことができるチャンスなのだ。ここからが勝負だ。

「ちょ、ちょっと触ってみてもいいですか?」

「ああ。もちろんだ」

 ぺたりと触る。

 硬っ!

 えっ!?

 ちょっとまって、これ尻?

 尻だよね?

 すげぇ、鋼みたいに硬い。でもなんていうか、柔軟性を感じる。

 なんていうか、理想?

 あこがれの筋肉です。男なら誰しも一度は憧れる筋肉ですよ。

 赤筋と白筋の両方の性質を兼ね備えたピンク色の筋肉ですよ!

 ちょっとこれにエロさを感じるのは難しいですね。

 マッスル様はエロ神様と対極に存在するありがたい存在です。

 ありがたや、ありがたや。俺にも筋肉をお授けください……。

「もう、いいです」

 うちひしがれた気分で、ギレーヌの尻から手を離した。

 ギレーヌはズボンをはきなおし、こちらに向き直った。

「一度エリスお嬢様が絵師に自画像を描かせていたのを見て、あたしも今の自分の姿を残しておきたいと思っていたのだ。完成が楽しみだな」

 素で嬉しそうな顔をされた。

 負けた気分だ。

 男として、男らしさで。

 俺ではギレーヌの男前には勝てないのか……。

「……そろそろ夕飯の時間ですね」

「ふ、ふむ。もう少し先じゃないのか?」

 最後に一回だけ尻尾をピクらせた時、メイドが食事に呼びにきた。

「よし、ルーデウス。飯の時間だ、行くぞ」

 ギレーヌが俺をかすように立ち上がった。

 本番が始まるらしい。

 

    ★ ★ ★

 食堂に入った瞬間、拍手が巻き起こった。

 館で一度は見かけたことのある人たちが勢ぞろいしていた。もちろん、サウロスやフィリップ、滅多に姿を見ないヒルダもいた。

 パーティ会場はいつもの食堂であった。

 しかし、そこはれいに飾り付けられ、いつもは見ない豪華な料理が並んでいる。

 料理も飾り付けも、エリスの誕生日ほどではない。

 だが、彼女の時と違い、見栄の感じられない、温かみのある空間が出来上がっていた。

 俺はさも、何もわからないような顔をして、周囲を見渡す。

「こ、これは……?」

 後ろを振り返ると、ギレーヌも拍手していた。

「えっ? えっ?」

 うろたえる演技。

「ルーデウス! お誕生日おめでとう!」

 真っ赤なドレスを着たエリスが大きな花束を持っていた。

 うろたえた表情のまま、受け取る。

「あ、そっか。僕、今日で十歳か……」

 さも、今気づいたかのように、予め練習しておいたセリフを言う。

 そして、練習通りにくしゃっと顔をゆがめて、袖で目元を覆う。

 と、同時に水魔術を使って目の中から涙をあふれさせる。

 しばらくすると、鼻のおくがツンとして、鼻が詰まった。

「ご、ごめんなさい。お、俺、こんな、こんな……初めてで、ここにきて……失敗しちゃいけないって思ってて、歓迎されてないって……失敗したら、と、父様に迷惑がかかるからって……い、祝ってもらえるなんて……お、思ってなく……て……ぐすっ……」

 袖をどけてみると、エリスのぜんとした顔が見えた。

 フィリップやサウロス、館の人々も拍手の手をとめて、ぽかんとしていた。

 ヤバイな。演技がクサすぎたか……?

 いや違うな。

 逆か。演技がうますぎたか。

 失敗したな、そこそこでよかったんだが。

 はあ。こんなことを考えるとは、俺も嫌な大人になったな……。

 まあいいか。

 初志貫徹。このままいこう。

 エリスが狼狽うろたえて、「どうしよう、どうしよう」と執事に聞いている。

 俺が泣くのがそんなに大事件か。

 可愛かわいかったので抱きしめた。

 そして鼻声のまま、耳元でささやくようにお礼を言う。

「エリズ、ありがとう……」

「い、いいのよ! ルーデウスは、か、家族なんだから! 当然よ! ぐ、グレイラット家としてこれぐらいは、ね! お父様! お祖父様!」

 いつものエリスなら「感謝しなさいよ!」とかいうところだろうが、何かいいワケをするようにフィリップに同意を求める。

 するとサウロスがえた。

「せ、戦争じゃぁ! ノトスんところと戦争じゃあ! ピレモンをぶっ殺してルーデウスを当主に据えるぞ! フィリィップ! アルフォォンス! ギレェェィヌ! わしに続けぇぃ! まずは兵を集めるぞ!」

 こうして、ボレアス・グレイラット家とノトス・グレイラット家の戦争は幕を開けた。

 血で血を洗う戦争は残り二つのグレイラット家をも巻き込み、アスラ王国を長い内乱の歴史へと引きずり込んだ。

 ……なんてことには、もちろんならず。

「ち、父上、抑えて! 抑えてください!」

「フィリィィップ! 邪魔立てするか! 貴様とて! あんなクソたわけより、ルーデウスが当主になったほうがいいと思うであろうが!」

「思いますけど落ち着いて! 今日はおめでたい日なんですから! それに戦争はまずいです、ゼピロスとエウロスも敵に回します!」

「愚か者ぉ! 儂一人でも勝ってみせるわ! 離せ、離せぇぇえい!」

 サウロスは、そのままフィリップに引きずられて退出した。

 部屋を出ても、しばらく声が届いていた。

 唖然。

「こ、こほん」

 エリスはせき払いを一つ。

「お、お祖父様のことは置いといて……。今日はルーデウスがビックリするものを用意したわ!」

 エリスは顔を真っ赤にしたまま、えっへんと胸を張った。

 最近ちょっと大きくなってブラジャーなど着けるようになった、可愛らしい胸である。

 今はまだ可愛らしいが、将来はかなり生意気に育つと仙人は言っていた。

 ありがとう仙人。

「ビックリするもの、ですか?」

「なんだと思う!?

 びっくりするもの。

 なんだろう。俺が喜びそうなもの。

 パソコンとエロゲー? いやいや。

 エリスが思い付きそうなもの。

 俺の境遇。家族から引き離されて、何年も一人。寂しかろう。

 そんな中での誕生日。

 エリスが自分だったらどんなプレゼントを喜ぶ?

 ギレーヌかお祖父様に来て、祝ってもらうことだろう。

 それを俺に当てはめると。

「まさか、父様がここに……?」

 そう言うと、エリスの顔が曇った。

 エリスだけじゃない。メイドや執事も、気の毒そうな顔に変化した。

 ハズレだったか。

「ぱ、パウロ……さんは、最近、森で魔物が活性化してるから来れないって……で、でもルーデウスなら別に俺なんかいなくても大丈夫だって……ゼニスさんも、子供が急に熱を出したからって」

 エリスはしどろもどろになって答えた。

 あー。一応、呼んだのか。

 まぁ、しょうがないだろ。パウロはあの村では結構頼りにされているし、妹たちが病気なら、リーリャに任せっきりにするわけにもいくまい。

 久しぶりに顔も見たかったが、まあいいだろう。

「え、えっと、あのね、ルーデウス。その、ね……」

 エリスがまたオロオロし始めた。

 普段は強気な猫が困ってるみたいで可愛いなぁ。

 安心しなさい。パウロはむしろ、こういう場にはいないほうがいいんですよ。

「そうですか、父様も母様も来ていませんか……」

 気にしていない風を装ってそう言ったつもりだったが、涙を出したせいで鼻声になってしまった。

 かなり落胆した風だったのだろう。

 メイドさんの中にも鼻をすする者が出てきた。

 失敗した……こんな空気にするつもりじゃなかった。

 ごめん、俺、やっぱ空気読めてなかったよ……。

 と、思っていると、いきなりヒルダが走りこんできて、俺を抱きしめた。

 思わず花束を取り落とした。

「うわっ」

 ヒルダとはほとんど話したことがない。

 彼女はエリスと同じ赤毛を持つ、ザ・未亡人って感じの色気を振りまく妙齢の美女だ。タイトルに若奥様とか未亡人とか入っている系エロゲーに出てきそうな人だ。もちろん、フィリップが生きている限り未亡人ではないんだけど。

 要するにこの人……てか、おっぱいでけえ!

 もしや、エリスも成長するとこのレベルに!?

「大丈夫よルーデウス、安心していいの。あなたはもうウチの子よ!」

 俺をぎゅっと抱きしめながら、ヒルダはわめくように言った。

 あれ? この人、俺のこと嫌ってたんじゃなかったっけ?

「誰にも文句なんて言わせないわ! 養子……いえ、エリスと結婚しなさい! そうよ! 名案だわ! そうしなさい!」

「お、お母様!?

 ヒルダが唐突にテンパりだした。

 結婚て。

 さすがのエリスもびっくりだ。

「エリス! あなたウチのルーデウスのどこが不満なの!」

「ルーデウスはまだ十歳よ!」

「年齢なんて関係ないわ! あなたは言い訳ばかりしていないでもっと女を磨きなさい!」

「してるわよ!」

 暴走するヒルダ。言い返すエリス。

 入り嫁だと聞いていたが、やっぱりこの人もグレイラットの人間か。

 サウロスと同じ気配がする。

「はいはい。また今度ね」

「キャッ! あなた! 何を! 離しなさい! 可哀想なあの子をわたくしが救わなくては!」

 サウロスを抑えて帰ってきたフィリップが、華麗にヒルダを退場させた。

 フィリップは、全員が混乱してる時でも、ただ一人氷のように冷静に状況を見てやがる。

 クールだ。大魔導士だ。頼れる男だ。あらゆるリファレンスになる。

 さて、気を取り直して。

「で、なんです? その、ビックリするものって」

 花束を拾い直して、改めてそう聞く。

 するとエリスは、腕を組んで、ぐっと胸を張り、あごをつき出したいつものポーズ。

 このポーズも久しぶりに見る気がする。

「ふふふん! アルフォンス! 例のものを!」

 と、エリスが指をパチンと鳴らそうとして、スカッとかすれた音が。

 エリスが赤い顔をして、しかしアルフォンスは気にせず、俺に見えない彫像の陰から一本のつえを取り出した。

 杖。

 ロキシーが持っていたのと同じような、魔術師の杖だ。

 節くれだった木製のスタッフ。先端には高そうなでかい魔石がついている。

 俺は一目見てわかった。

 この杖は──高い。

 俺もワンドを二本作ったからわかる。

 杖のランクは柄となる木材と、先端の魔石で決まるのだ。

 木材の方は各種系統の相性が関係してくる。

 火・土系統と相性のいいクロガキ、水・風系統と相性がいいエンジュが一般的だ。

 もっとも、相性が悪ければ威力が減少するというわけではないので、素材はなんでもいい。

 重要なのは魔石だ。

 魔力を魔石に通すだけで、魔術の威力が増幅される。

 魔石はピンからキリまであるが、より透明度が高くて大きいものだと効果が高くなる。

 効果と一緒に値段も増えていく。天文学的に。

 俺がエリスとギレーヌに作ったワンドに使用した魔石は、一粒で銀貨一枚。

 もっと安いものもあったが、ロキシーからもらった杖についていた大きさを思い出して、そのサイズにした。

 それが小指の先ほどの大きさである。

 この拳大ほどの大きさの魔石なら、金貨一〇〇枚は優に超えるだろう。

 まして、この魔石は群青色の水魔石だ。

 色がついている魔石は色に対応した系統が大幅に強化される。

 そしてお値段も以下略。

 これ一つで一体いくらするか……。

 ちなみに、迷宮で取れる魔力結晶も魔石の一種ではあるが、魔石と違い魔力を増幅する効果はない。その代わり魔力を内包しているため、杖ではなく魔道具や魔力消費の大きな魔術に用いられる。

「気に入ってくれたみたいね!」

 俺が杖を見定めていると、エリスが満足気な顔でうなずいた。

「アルフォンス、説明よ!」

「はい、お嬢様。杖素材はミリス大陸・大森林東部に生息するエルダートゥレントの腕を用いました。博学なルーデウス様はご存知かと思いますが、エルダートゥレントはレッサートゥレントが妖精の泉より養分を吸い上げることで生まれると言われる上位亜種で、水魔術を操るA級の魔物でございます。魔石はベガリット大陸北部、はぐれ海竜より出た、これまたAランクの逸品。製作者はアスラ王国・宮廷魔術団でも随一の杖製作師ロッドディレクター、チェイン・プロキオン」

 アルフォンスのつらつらとした説明。

 すげえな。聞いた感じ水魔術特化なのか。

 でもお高いんでしょう?

「どうぞ、お嬢様の手より、お授かりください」

 杖がエリスに渡され、エリスの手から、俺へと差し出される。

 この際、値段は気にすまい。エリスには無駄遣いするなと教えたが、今日ぐらいはいいだろう。なんか俺のためにオーダーメイドしたっぽいし、拒否したら気まずい。

 金ってのは、こういうもののために使うものだ。

「銘は『傲慢なる水竜王アクアハーティア』」

 受け取る手が一瞬止まった。

 いま、ちょっと中二っぽい何かが聞こえた。

「受け取って! これはグレイラット家からの贈り物よ! お父様とお祖父様が頼んでくださったの! ルーデウスはすごい魔術師なのに、杖を持ってないなんておかしいものね!」

 エリスの声で我に返り、『傲慢なる水竜王アクアハーティア』を受け取る。

 見た目に反してかなり軽い。

 両手で構えて、くいくいと動かしてみる。動かしやすい。

 魔石がでかい割に重心のバランスがいいのだ。

 さすが、高いだけはある。

 名前はあれだけど。

「ありがとうございます。パーティだけでなく、こんな高価なものまで……」

「値段のことなんていいわよ! さぁ、早くパーティを再開しましょ! せっかくのお料理が冷めちゃうもの!」

 エリスは上機嫌で俺を引っ張り、巨大なケーキが目の前に鎮座するお誕生日席へと案内してくれた。

「私も手伝ったのよ!」

 エリスの初めての手料理はひどい味だったが、でもしかった。

 

    ★ ★ ★

 パーティが始まると、エリスはしばらくマシンガンのようにしゃべっていた。

 この料理はどうだこうだ、杖を買うのにどうだこうだ。

 俺はうんうんと聞いていたが、エリスは途中から疲れたのか、言葉が段々と少なくなっていき、次第にうとうとし始め、最後にはうたた寝を始めてしまった。

 はしゃぎすぎたのか、それとも緊張の糸が切れたのか……。

 ギレーヌがお姫様だっこで寝室に運んでいった。

 お疲れ様。

 サウロスとヒルダも途中から戻ってきた。

 サウロスは俺に酒を飲ませようとしてフィリップに邪魔され、ちょっとイジけていたが、ヒルダに酌してもらい、最終的には泥酔。真っ赤な顔に笑みを浮かべ、上機嫌で笑いながら自室に戻っていった。

 それと同時に、ヒルダも最後に俺におやすみのキスをして、自室へと戻っていった。

 料理もほぼ食べつくし、メイドたちもやや眠そうな顔で空の皿を下げていく。

 フィリップと俺だけが残った。

 

 二人になってしばらく、フィリップは静かに酒を飲んでいた。

 ワインだろうか。

 エリスの誕生日の時に知ったが、アスラ王国では地域によって飲まれる酒が違う。

 このへんでは麦から作ったものが多いが、お祝いの時にはブドウから作ったものが用意される。

 彼はパーティの最中、あまり喋らなかった。

 サウロスやヒルダをいさめたりはしていたが、にこやかな顔で俺たちを見ているだけだった。

 そんな彼は、俺と二人きりになった時、ぽつりと言葉を発した。

「私は、跡目争いに負けてね。今はエリスしか子供がいないんだ」

 何やら真面目な話をするらしい。

 俺は居住まいを正し、フィリップの方を向き直った。

「君は、どうしてエリスに兄弟姉妹がいないのか、気にならなかったかい?」

「少しだけ」

 俺は静かに頷いた。

 気にはなったが、結局聞くことはなかった。

「実はいないわけじゃないんだ。エリスには兄と弟が一人ずついる。弟は君と同い年かな?」

「跡目争いに巻き込まれて……死んだんですか?」

 すると、フィリップはビックリした顔でこちらを見た。

 思わず、単刀直入に聞いてしまった。

 失敬。

「まさか。死んではいないよ。生まれてすぐに、王都に住む兄に取られたのさ」

「取られた? どういう意味ですか?」

「表向きには王都で勉学を学ばせるための養子。でも本当はただの……伝統かな」

 それから、フィリップはボレアス家の伝統を語ってくれた。

 ボレアス家の跡目争い、それにつながる伝統を。

 

 サウロスには十人の息子がいる。

 その中でも、特に優秀だったのは三人。

 フィリップ。

 ゴードン。

 そして、ジェイムズである。

 機関車のような名前だ。

 サウロスは三人のうち誰かを次期当主にすると決め、争わせた。

 結論から言うと、次期当主はジェイムズになった。

 フィリップとゴードンは敗北したのだ。

 権力闘争の前半。

 まず、ジェイムズは秘密裏にゴードンをエウロス・グレイラットの令嬢と引きあわせた。

 お互いの身分がわからないように画策し、恋を燃え上がらせた。

 ゴードンは恋にかまけ、最後にはジェイムズの手引きによって電撃的に婿入り。

 ボレアスの当主の道が途絶えた。

 権力闘争の後半。

 フィリップとジェイムズの状況は伯仲していた。

 互いに裏で糸を引き合い、あらゆる人物を使って戦いを続けた。

 そこに劇的な何かがあったわけではない。

 ただ、フィリップは敗北した。

 地力の差と言えば、それだけの話だろう。

 ジェイムズはフィリップより六歳ほど年上で、王都でも顔が広く、大臣の補佐職についていた。人脈もあり、金もあり、そしてなにより権力を手に入れていた。

 フィリップも優秀だったが、六年分の差はいかんとも埋め難かった。

 ジェイムズはボレアスの当主となった後、フィリップにフィットア領ロアの町長の仕事を与えた。

 フィリップは当時まだ負けたつもりではなく、再起を図ろうとしていたが、フィットア領は田舎で、力を蓄えるのは難しかった。

 ジェイムズは王都からは離れず、フィリップが四苦八苦している間に大臣としてばんじゃくの地位を築いていき、決定的な差がついてしまった。

 その後、ジェイムズはフィリップに男児が生まれると、養子と称して取り上げたのだという。

「男児を全部持っていくなんて、横暴じゃないですか?」

「いいよ、それは別に。伝統だし」

 ボレアス・グレイラット家では、生まれた男児は全て次期当主の家で育てられる。

 これは、権力闘争に負けた者を、次代の権力闘争に参加させないための措置である。

 息子を擁立しての権力闘争。

 ありがちな話で、アスラ王国でもかつてはよくやられていたらしい。

 息子を取り上げるのは、それを防ぐ措置だ。

 ゴードンの嫁いだエウロス家ではまた伝統が違うらしいが、フィリップは伝統に則り、男児を全てジェイムズへと差し上げた。

 物心付く前から、ジェイムズを親だと認識するように。

「私が勝っていれば、立場は逆だったしね」

 フィリップは納得していた。

 彼自身も、サウロスの実子でないのかもしれない。

 しかし、奥方であるヒルダはそうはいかなかった。

 フィリップにあてがわれた彼女は、ごく普通の貴族の娘だ。

 生まれたばかりの子供を取り上げられ、心中穏やかではなかったらしい。

 彼女は長男を取り上げられた後、しばらく不安定になってしまった。

 エリスが生まれたことで安定しかけたが、エリスの弟が取り上げられて、また不安定になったそうだ。

「彼女は君を嫌っていたよ。自分の息子はここにいないのに、なんでの子供が我が物顔で館を歩いているんだ、ってね」

 嫌われているのはなんとなく気づいていたが。

 そうか、そんな理由があったか。

「しかも、残ったエリスは淑女とは正反対のお転婆だ。どうしようもないと思ったね」

「どうしようもない、とは?」

「娘を使ってジェイムズを失脚させるのも難しいってことさ」

 失脚って……。

 あ、この人、まだボレアスのトップになることをあきらめてないのか。

「しかし最近、君を見て、まだちょっと希望が出てきた」

「……はあ」

「君はヒルダや父さんをだませるぐらいの演技もできる」

 フィリップは、どうやら俺の演技に気づいていたらしい。

 しかし騙すとは人聞きが悪い。空気を悪くしないように振る舞っただけだ。

「金のことも大事だとわかっているし、社交辞令というものも知っている。人の心を得るために体を張ることだっていとわない」

 体を張るってのは、例の誘拐騒ぎのことだろうか。

 それとも何年もエリスに殴られ続けたことだろうか。

「そして何より、君のお陰でエリスがあんなに成長した」

 こんなことは想定外だ、とフィリップは言った。

 パウロから優秀だとは聞いていたが、幼くしてメイドのスカートをめくることを生きがいとするようなパウロの息子、しょせんはちょっと出来のいい悪ガキだろう、うちの悪ガキとぶつけ合えば、あるいは何か面白い化学反応が起きるかもしれない。

 その程度の認識だったらしい。

「パウロが泣きついてきた日が懐かしいよ」

 と、フィリップはうそぶいた。

 聞けば、パウロは結婚するからまとまった金と住む場所と安定した仕事が必要だけど、上級貴族には戻りたくない、とフィリップに泣きついたらしい。

 パウロは俺のために土下座したらしい。

 リーリャの時はしなかったのに……。

 まあ、それはいいや。

「エリスは、僕がいなくても、なんとかなったんじゃないですか?」

「なんとか? そんなわけがない。私だってエリスのことは絶望視していたんだ。これはもう、貴族としては無理だから、将来は冒険者にでもしようとギレーヌに剣術を教えさせるぐらいにね」

 そう言って、フィリップはエリスのエピソードをいくつも語ってくれた。

 聞くに堪えないエピソードばかりだった。

 エリスという名の暴れん坊将軍は、九歳の時には完成されていたのだ。

「どうだい。エリスと結婚して、一緒にボレアス家を乗っ取らないかい? なんだったら、今から君のベッドに両手を縛った娘を置いておこう」

 それは魅力的……。

 あのエリスが縛られて好きにできるなんて。

 最近どうにも性欲の高ぶりを感じるし、最高のシチュエーションで、捨てるなんてトンデモナイものを捨てられるのではなかろうか。

 いやいや。まてまて。冗談じゃない。その前文を読め。

 ボレアス家を乗っ取る?

「十歳の子供に、何をさせようっていうんですか……」

「君もパウロの息子だろう?」

「そっちではなく」

「乗っ取りは私がやるよ。君はただ、座っていればいい。なんなら、他の女の子も付けよう」

 女を与えれば言うことを聞くとでも思っているんだろうか。

 パウロの悪名が憎い。

「……酒の席での話ということにしておきましょう」

 そう言うと、フィリップは静かに笑った。

「そうだね。それがいい。でも、ボレアスうんぬんは抜きにしても、エリスのことは好きにしていいんだよ? 娘には、何の責任もないし、どうせ嫁に出しても戻ってくるだろうしね。君がもらうなら、それが一番だろうさ」

 フィリップは静かに笑った。

 嫁に出し、数日中に夫を殴り殺すエリス。

 簡単に想像できた。

 そして、手を出したが最後、フィリップの手のひらの上で踊らされる自分の姿も。

「さて、そろそろ寝ようか」

「はい、おやすみなさい」

 こうして、エリス主催の誕生パーティは終了した。

 

    ★ ★ ★

 部屋に戻ると、眠ったはずのエリスがベッドに腰掛けていた。

「あ、お、おかえりなさい……!」

 赤いネグリジェ姿だ。

 やけに色っぽい。

 今まではあんな格好をしていたことはなかったはずだ。

 なんだろう。ちょっと背伸びしすぎじゃないだろうか。

 ていうか、寝たんじゃなかったんだろうか。

「どうしたんですか、こんな時間に」

 そう聞くと、エリスは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

「る、ルーデウスも一人で寂しいだろうから、今日は一緒に寝てあげるわ……!」

 どうやら、さっきのパーティで両親が来ないのかと言った件を気にしているらしい。

 エリスは十二歳にもなって家族とべったりだからな。

 三年も会えないと考えて、いたたまれない気持ちになったのかもしれない。

 いや、案外、ヒルダあたりの策略かもしれない。

 たたき起こして、ネグリジェに着替えさせて、ここに送り込んだのだ。

「……」

 しかしこうしてみると……。

 まじまじとエリスを見てみる。

 まだまだ女らしいとはいえない体つきだが、それでもきちんと女の子とわかる。剣術をやっているせいか、手足はスラッと引き締まっているし、女子にしては背が高いせいか、それともネグリジェなんて着ているせいか、いつもよりずっと大人びて見える。

 エリスももう十二歳だ。俺のストライクゾーンには入っている。外角低めギリギリだが。

 俺の身体はまだ幼い。オトコノコの日もまだきていない。

 だが、そろそろだろう。

 ツンデレロリお嬢様のハジメテでハジメテのハジメテを迎える……。

 そんなフレーズを思いついた瞬間、俺の脳内を一瞬で三十四歳住所不定無職(若干ロリコン気味)が支配した。ニキビ面で気持ち悪いデュフフ笑みを浮かべて、エリスに襲いかかろうとしている幻覚が見えた。

 一瞬で我に返る。

 いかんいかん。手を出してはいかん。フィリップの手のひらで踊らされる。

 パウロが逃げ出して、フィリップが負けるような、厳しい権力闘争に足を突っ込んでしまう。

 そんな得るものの少なそうなものに足を突っ込みたくはない。

 ここは丁重にお引き取り願おう。

「きょ、今日は寂しい気持ちなので、エッチなことをしちゃうかもしれませんよ?」

 エリスは日頃から俺のセクハラを嫌がっているから、こういえば退散するはずだ。

 そう思っての言葉だったが、意外な答えが返ってきた。

「ちょ、ちょっとぐらいなら、い、いいわよ!」

 まじすか!?

 きょ、今日はぐいぐいきますねエリスさん。

 お、オジさん、そんなこと言われちゃうと、が、我慢できなくなっちゃうんだな。

 どうしよっかな……。

 じゃ、じゃあお言葉に甘えて、ちょっとだけね。

「……」

 エリスの隣へと座った。

 ベッドがキィと小さな音を立てた。もし生前の俺だったら、ギギギとすごい音を立ててムードを台無しにしただろう。

 もう頭の中には、難しいことは何も考えていなかった。

 手のひらの上で踊らされる?

 いいじゃないか。ツンだった三年前のエリスがここまでデレたんだ。据えぜん食わぬは男のなんとか。

 多少のリスクは甘んじて受け入れるべきだろう?

「声が震えていますよ?」

「き、気のせいよ」

「本当ですか?」

 エリスの頭をでる。

 さらりとした髪の毛。上級貴族とはいえ、この館には風呂はない。

 なので、毎日髪を洗えるわけではない。

 毎日外で剣術の修行に明け暮れているエリスの髪は、いつもはもっとがさついている。

 今日は俺のために準備して、気飾ってくれたのだ。俺のために。

「エリスは可愛いな」

「な、なによ、いきなり……」

 エリスは耳まで真っ赤になってうつむいている。

 肩を抱いて、頬にチュっとキスをしてみた。

「はう……!」

 エリスは体を硬直させる。逃げようとはしていない。

 ああ、これ、本当にオッケーなんだな。

「触るよ」

 俺は我慢できず、エリスの胸へと手を伸ばした。

 まだ小さいが、育ち始めた胸。

 だが、確かにこれはおっぱいだ。

 触ることを許されたオッケー果実だ。

 いつものように恐る恐る、殴られることを覚悟して触るものではない。

 服ごしだが、俺はたしかに今、ロリっこのおっぱいを自在に操っている。

「んー……」

 エリスは感じているわけじゃないだろう。

 ただ、恥ずかしいことをやっていることには気づいている。知っている。戸惑いと恥ずかしさをこらえて、涙目になって口をつぐみながら俺を見ていた。

 可愛い。

 そろそろと背中を撫でる。

 剣術のけいのおかげで、エリスの背中には質のいい筋肉がついている。

 ギレーヌほどではない。

 だが程よく、子供らしく、しなやかな筋肉だ。

 エリスが目をギュっとつぶって、すがるように肩をつかんできた。

 もしかして、これ、オッケーなんでしょうか?

 オッケーですよね?

 最後までやれますよね?

 いけますよね?

 よ、よし。い、いただきます。

「……」

 エリスのうちももへと手を伸ばす。

 初めて触る女の子の内股。

 温かくて、しかし柔らかいだけじゃなく、ぎゅっと肉が詰まっている。

「いやぁっ!」

 ドンッと、突き飛ばされた。

 パァンと、頬を張られた。

 ドガッと、り飛ばされて床に転がった。

 ゴヅッと、追撃が入った。

 ゴヅッと、二回目の追撃が入った。

 戸惑う俺は、何もできずに全てを無防備に食らった。

 あおけに寝転がったまま見上げる。

 エリスは立ち上がり、真っ赤な顔で俺をにらみつけていた。

「ちょっとって言ったじゃない! ルーデウスの馬鹿!」

 そのまま、扉を蹴破るように開け放ち、風のように去っていった。

 

    ★ ★ ★

 俺はそのまま、ぼうぜんと天井を見ていた。

 何かに操られるように熱を持っていた頭は、もうすっかり冷えていた。

「これだからDTは……」

 自己嫌悪。

 完全に読み違えた。突っ走りすぎた。

 途中から相手が子供だってことを忘れていた。

 我を忘れていた。

「ああ、くそっ、なにやってんだ……」

 エロゲーをたくさんやって、ヒロインの気持ちがわかった気にでもなっていたか。

 確かに昔は鈍感系の主人公を見て、さっさと押し倒せば解決だ、なんて無責任に思ってた。

 その結果がコレだ。

 プレイヤーの視点ならヒロインの独白を見ることもできる。

 しかし、主人公の視点では、そんなことがわからないのだ。

 世の鈍感系主人公は、十中八九、自分が好きだと確信していても、こういうことが起こりうるから、気づかないフリをして、少しずつ距離を縮めていたのだ。

 彼らと比べ、俺のなんと浅はかなことか。

 特に、フィリップとあんな会話をした後だ。

 何が、酒の席での話にしておきましょう、だ。

 言ったこととやったことが真逆じゃないか。

 エリスを抱けばどうなるかぐらいわかってただろう。

 抱いた、デキた、結婚した。

 華麗なコンボで見事にボレアス家の仲間入りだ。

 それとも、ヤったあと、ドロドロの権力争いは嫌だと言って逃げたのか?

 責任を取らないつもりだったのか?

 一夜だけの関係だと言い逃れるつもりだったのか?

 馬鹿な。どうせ毎晩毎晩、猿のようにエリスを求めたに決まってる。生前はかなり性欲が強いほうだったし、こっちの身体もパウロの事例を見るまでもなく、性欲が強い。

 一度で我慢できるわけがない。今日は向こうから来たけど、次からは俺が出向くだろう。

 フィリップもヒルダもそれを望んでいるのだ。

 誰も止める者はいない。

 そして、俺は一時の快楽を餌に、ドロドロの権力闘争に沈んでいくのだ。

「あ」

 ふと、部屋の隅に立てかけられている杖が目に入った。

「……っ!」

 そうだ。

 エリスの気持ちも忘れていた。

 お金を出したのはフィリップとサウロスだが、俺を喜ばせるためにパーティを企画して『杖を贈る』ということを思いついたのはエリスだろう。

 そしてパーティでの会話を気にして、寝る前に俺を慰めにまで来てくれた。

 今日の彼女は、ずっと俺のことを考えてくれていた。

 それなのに俺は、自分の欲望のままに彼女をじゅうりんしようとした。純粋に人として俺のことを考えてくれた子を、思うがままにしようとしたのだ。

 メイドと話してた時の、エリスの嬉しそうな顔を思い出せよ。

 俺はあれを踏みにじろうとしたんだよ。

「…………はぁ」

 俺はクズだ。

 パウロをどうこう言う資格なんてない。誰かに何かを教える資格もない。

 クズは異世界に来てもやっぱりクズのままだったのだ。

 明日にでも荷物をまとめて出ていこう。

 クズらしく、ゴミのようにそこらでのたれ死のう。

「あっ!」

 気づくと、部屋の入り口にエリスがいた。

 半分だけ顔をのぞかせて立っていた。

 俺は慌てて身体を起こし、立って…………いや、このまま土下座だ!

「さ、さっきはごめんなさい」

 亀のように丸まって、土下座。

「……」

 チラッと見る。

 エリスは目線を泳がせ、

 もじもじと内股をこすり合わせていたが、ぽつりとつぶやくように言った。

「きょ、今日は特別な日だから、特別に、許してあげる……!」

 ゆ、許された!

「ルーデウスが、すごくエッチだってことは、知ってたもん」

 誰だそんなこと教えたのは!

 いや、エッチでした。

 すいません。俺です。俺がエッチマンです。

 俺が悪いです。おまわりさんこっちです。俺です。

「でも、こ、こういうのはまだ早いから……五年! あと、五年経って、ルーデウスがちゃんと成人したら、その時は……ごにょ……そ、それまで我慢しなさい!」

「ははぁ……!」

 平伏。

「じゃ、じゃあ、私、もう、寝るから。じゃあねルーデウス。おやすみ。また明日から、よろしく」

 しどろもどろになって、エリスは本当に帰っていった。

 走って遠ざかっていく音が聞こえる。

 それが完全に聞こえなくなるまで待ってから、俺は扉を閉めた。

「ふぅぅぅ~~~~~~~」

 ズルズルと扉にもたれて座り込む。

「よかったぁぁぁ~~~~~~」

 今日が誕生日でよかった。

 今日が特別な日でよかった。

 もっとひどいことをしなくてよかった。

「そして、よっしゃぁぁぁ!」

 五年後。確約!

 あのエリスが!

 約束!

 よし、それまでは二度と軽薄な真似はすまい。

 五年後。

 十五歳だ。

 長い年月だとも。だが我慢できる。

 確実にもらえる商品があるなら、頑張れる。

 それまでは俺は紳士だ。変態ではない紳士だ。

 今までのようなセクハラもやめよう。

 酒は何年も寝かせて、初めて味に深みが出るのだ。

 ちょいちょいと味見をしていては、五年後の味が楽しめないかもしれない。

 チャージショットはめれば溜めるだけ威力が増すのだ。俺はどんなエロイベントにも屈しないきょうじんな男になる。今度こそ、鈍感系主人公を目指すのだ。

 Aボタンを押しっぱなしにして、五年後に放すのだ。

 そう心に誓った。

 イエスロリータ、ノータッチ。

 ん?

 まてよ、今から五年後……?

 鈍感系?

 俺の脳裏に、青白い顔でにこりと微笑ほほえむシルフィの顔が思い浮かんだ。

 

    ★ ★ ★

 翌日、目覚めるとパンツがカピカピだった。

 うっかりAボタンを離してしまったらしい。

 あ、明日から頑張るんだぜ。

 

 ちなみに、洗濯物を回収しにきたメイドさんに、エリスには黙っててくれるように言うと、クスクスと微笑ましいものを見る目で笑われた。

 ちょっと恥ずかしい。


名前:エリス・B・グレイラット

職業:フィットア領主の孫

性格:やや凶暴・所によりしおらしい

言うこと:素直に聞く

読み書き:ほぼかんぺき

算術:割り算もできる

魔術:無詠唱は無理、中級も難しい

剣術:剣神流・上級

礼儀作法:難しい宮廷作法を勉強中

好きな人:おじいちゃん、ギレーヌ

大好きな人:ルーデウス

第八話 「ターニングポイント」

 シーローン王宮。

 ロキシー・ミグルディアは窓の外を見て、眉をしかめた。

 空の色がおかしかったのだ。

 茶色、黒、紫、黄色。

 普段は見られない空の色に変化していた。

 しかし、どこかで見たことのあるような色。

「あれは、なんでしょうか……」

 色彩には覚えがある。

 だが、空がそんな変化を起こすところは、一度も見たことはない。

 ただの自然現象ではないのは、誰の目にも明らかだ。

 恐らくは、何らかの理由で魔力が暴走しているのだろう。

 あの規模。遠目にも、魔力が渦巻いているのが見えるようだ。

 そこまで考えてロキシーは思い出した。

 あの光り方。どこかで見たことがあると思ったが、魔法大学だ。

 召喚魔術の光に似ているのだ。

「あの方角は東……アスラ王国でしょうか。まさか、ルーデウスが?」

 ロキシーは、かつての弟子である一人の少年を思い浮かべた。

 あの少年は、五歳の時に涼しい顔で嵐を起こしてみせた。

 今は十歳。半分の年齢で底知れぬ魔力を完全に制御下に置いていたのだから、あれぐらいはできるかもしれない。

 召喚魔術は勉強できなかったと、最近の手紙には書いてあった。

 だが、何らかの理由で教本を手に入れたか、師匠でも見つけたのだろうか。

すきありぃ!」

 物思いにふけっていると、いきなり背後から抱きつかれた。

 そのまま胸をまれると同時に、太もものあたりに固い感触。

「はぁ……」

 ロキシーはゲンナリした。

 分厚いローブごしに揉んだり押し付けたりしたところで大した感触など味わえないだろうに……。

 もっとも、やる方がどんな感触を得ていようと、やられる方としては不快だ。

「爆炎を身体に、バーニングプレイス!」

「ギャゥ!」

 身体に炎の結界をまとい、背後の人物をはじき飛ばす。

 まだまだルーデウスのように無詠唱とはいかないが、この五年でかなり詠唱を短縮できるようになった。

 ルーデウスは自分の弟子にも無詠唱を練習させているのだと聞いて、自分も詠唱省略を練習してみたが、そんな簡単にできるものではなかった。

 あの天才少年は自分の弟子にどれだけ期待しているのだろうか。

 皆がみな、彼のような才能があるわけではないのに。

 ロキシーは振り返ると、寝転がる少年へと視線を向ける。

「殿下。背後から女性の胸を揉んではいけません」

「ロキシー! 貴様は余を殺す気か! ろうにぶちこむぞ!」

 シーローン第七王子パックス・シーローンは、今年十五歳になった悪ガキだ。

 最初の頃は微笑ほほえましかったが、最近は色を覚えたのか、昼間からストレートな性欲を振りまくようになった。

「それは申し訳ありません。あの程度で死ぬとは、殿下は羽虫のような生命力しか持ちあわせていないのですね」

「ぐぬぬ! 不敬罪だ! 許さんぞ! 許してほしければ今すぐそのローブをくしあげてパンツを見せろ!」

「お断りします」

 メイドは何人もお手付きになり、国王も頭を悩ませている。

 そして、最近は無愛想な家庭教師を自分のモノにしたいらしい。

(こんな野暮ったい女のどこがいいのか)

 ロキシーには理解できない。

 ともあれ、あれこれと性的な要求はされるものの、王子の命令に従う必要はない。

 国との契約では、王子がわがままを言っても教師の裁量で判断せよ、となっているからだ。

 この城に住む人間で王子の命令を直接聞く人間は少ない。

 しょせんは第七王子。

 王位継承位は低く、権限もほとんどない。

 権利だけで見れば、限定宮廷魔術師であるロキシーの方が偉いぐらいだ。

「ロキシー。余は知っているぞ。お前に恋人がいることをな!」

 だから、王子は別の手を使う。

「はて、このわたしにいつの間にそんな大層なものができたのでしょうか」

 唐突に寝言を言い出した王子に、ロキシーは首をかしげた。

 恋人。欲しいと思ったことはあるが、理想の男性にはまだめぐり合っていない。

 めぐり合ったところで、ミグルド族特有のこの体では、見向きもされないだろうとあきらめている。

 王子は異常なので、こんな自分の体も一度は味わってみたいと考えているようだが、そんな軽い気持ちで体を売るほど安くはないつもりだ。

「ククク、お前の部屋に忍び込んで棚の奥にまっていた手紙を見たのさ! どこの馬の骨かしらんが、余の権力でそいつをたたつぶすこともできるのだぞ! 愛する男が無残に処刑されるのを見たくなければ、余の女になれ!」

 王子の使う別の手段とは、つまりこういったものだ。

 手を出したい相手の恋人を人質に取り、恋人を助けたければ身体を差し出せと言うのだ。

 恋人の目の前で犯して、征服感を味わうのがたまらないのだ。

 無論、王子にそんな権限はない。

 とはいえ、曲がりなりにも一国の王子だ。好きにできる手勢はあるし、実際に恋人を人質に取られたメイドがいるとのうわさもある。

(悪趣味。嫌悪感しか浮かんできませんね)

 ロキシーは思う。わたしに恋人がいなくてよかったと。

 手紙は全てルーデウスとのものだ。

 ルーデウスは尊敬すべき弟子であり、恋人ではない。

「どうぞご自由に」

「なに! 本当にやるぞ! 謝るなら今のうちだぞ! 今ならお前の身体だけで済むんだぞ!」

 王子は考えなしだ。

 そもそも、ルーデウスの居場所すらもつかんでいないだろう。

 この調子では、手紙の中身すら読んでいないに違いない。

「ルーデウスをどうにかできたら、わたしの身体を好きにしてもいいですよ」

「な、なんだその自信は……お前だって余の権力は知っているだろう!?

 ロキシーは知っている。

 王子の権力が王族としては鼻で笑う程度しかないことを。

「ルーデウスはアスラ王国の上級貴族ボレアスの下にあります」

「ボレア……? 上級貴族ごときが王族である余の思い通りにならんわけがない!」

 アスラ王国の上級貴族の名前も知らない。

 その事実に、ロキシーはため息をもらした。

 一体、他の家庭教師は何を教えているのだろうか、と。

 アスラ王国のノトス、ボレアス、エウロス、ゼピロスの四大地方領主は有名だ。

 アスラ王国が戦争になったとき、真っ先に矢面に立つ存在であり、代々の武人が務めている。

 シーローンで式典があれば、あるいは、それらの名を持つ貴族が来国してもおかしくない。

 憶えておくべき貴族の一つだ。

「アスラはシーローンの一〇倍は大きい国です。その上級貴族の子弟にいわれのない嫌疑を掛けて処刑台に送るには、それはもう高い政治力と謀略が必要になるでしょう。殿下の権力では、とうてい無理ですね」

「あ、暗殺してやる! 余の親衛隊を送り込んで……」

 親衛隊と聞いて、ロキシーは内心でまたため息をついた。

 本当にこの王子は、何も考えていない。

「親衛隊が国境を越えられるわけがないじゃないですか。それに万一越えられたとしても、ボレアスには今、剣王ギレーヌが食客として招かれています。フィットア領のじょうさい都市のやかたに忍び込んで、剣王ギレーヌの眼をかいくぐり、魔術の達人を暗殺する? できると思っているんですか?」

「ぐ、ぐぬぬ……」

 王子はぎしりをして地団駄を踏んだ。

 その様子を見て、ロキシーはまたまたため息を漏らす。

(はぁ。まったく、もう十五歳だというのに、分別のふの字もない)

 ルーデウスの教えているエリスというお嬢様は、三年前は手がつけられない野獣のようだったが、最近はかなりおしとやかになったと聞く。

 対してウチの殿下はこのザマだ。

 昔はまだ可愛かわいらしさもあったし、魔術の才能もあった。

 それが、自分の権力に気づいてからは、上達する意志がみるみるなくなって、今では授業中は半分以上寝ている。

 自分の教師としての才能の無さを感じる。

「もっとも、わたしはもうすぐ殿下の家庭教師を辞めるので、今から暗殺者を送り込んだのでは間に合いませんがね」

 そう告げると、王子はきょうがくの声を上げた。

「な! なにぃ! 余はそんな話は聞いていないぞ!」

「覚えていないの間違いでしょう」

 最初から殿下が成人するまでという約束だった。

 当初ロキシーは契約期間が終了しても請われるなら居続けてもいいと考えていた。

 だが、王宮内にはロキシーの存在を快く思わない者たちも多い。

 ここらで身を引くのが賢い立ち回りなのだ。

「いい機会ですしね」

「なにがいい機会なんだ?」

「西の空に異変があったので、見に行ってきます」

「な、なんだそれは……」

 久しぶりにルーデウスの顔が見たい、とは言わなかった。

 言えばげっこうするに決まっているからだ。

「よ、余にはまだロキシーが必要だ! 授業もまだ途中じゃないか!」

「途中も何も、いつも寝てて聞いてないじゃないですか」

「ロキシーが起こしてくれないのが悪いんだ!」

「そうですか。では悪い教師はすぐにでもいなくなりますね。今度は起こしてくれる人を雇ってください。わたしはゴメンです」

 ロキシーは思う。

 この王子は、わたしには無理だ。

 どうしてもルーデウスとくらべてしまう。

 ルーデウスはこちらが何かを一つ教えると、自分で勉強して十も二十も学んでいた。

 あんな生徒に出会ってしまったわたしには、二度と教師などできないかもしれない、と。

 こうして、ロキシーはシーローンより旅立った。

 出がけに第七王子と、その息の掛かった騎士たちに襲われたが、撃退した。

 第七王子はロキシーが自分を攻撃した、許されざる暴挙だ、指名手配して自分の前に引っ立てるべきだと強弁した。だが、シーローン国王がそれに取り合うことはなかった。

 むしろ、『水王級魔術師ロキシー・ミグルディア』を国に引き込むことができなかった第七王子をしかりつけ、厳しく処罰したという。

    ★ ★ ★

 空の異変に気づいたのは、ロキシーだけではなかった。

 世界のあらゆる場所で、あらゆる人物が気づいていた。

 その異常性、その突発性に。

 世界に名をせる者たちは気づいていたのだ。

◆ 赤竜山脈にて ◆

りゅうじん』オルステッドは西の空を見上げた。

「魔力が集まっていく……? なんだ。どこで狂った?」

 いぶかしげに顔をしかめ、

「まあいい。行ってみればわかることだ」

 そのまままっすぐ西へと進んでいく。

 たった今、一撃で仕留めたばかりの赤竜レッドドラゴンの死体を乗り越えて。

 その周囲には、羽虫のごとき数の赤竜レッドドラゴンが旋回していたが、どの個体も手を出さない。

 彼らは、今地上を歩く生物が何者かを知っている。

 自分たちが束になって掛かっても殺されるだけだとわかっている。

 また、こちらからちょっかいを出さなければ殺されることはないと知っている。

 あれは龍神。

 世界のことわりからはずれし者。

 決して手を出してはいけない。

 プライドの高い若い竜が、また一匹、身の程をわきまえずにオルステッドへ襲いかかった。

 一瞬で肉塊に変わった。

 赤竜レッドドラゴンたちは知っている。

 あの生物が気まぐれを起こさない限り、空さえ飛んでいれば安全だということを。

 赤竜レッドドラゴンは、中央大陸の絶対強者である。

 だが、それは戦闘能力だけにあらず。

 赤竜レッドドラゴンは、賢いからこそ強者なのだ。

 赤竜レッドドラゴンは知っている。

 あれは世界最強とも噂される男だと。

 何匹で束になってもかなわぬ相手だと。

 彼はゆっくりと山を降りていった。

 赤竜レッドドラゴンに見守られながら……。

 その目的は誰にもわからない。

◆ 空中城塞にて ◆

 三大英雄が一人、『甲龍王』ペルギウスは北の空を見下ろした。

「なんだ、あれは。魔界大帝の復活の光と似ているが」

 脇にたたずむ、白きからすの仮面。

 黒き翼を持つ天族の女が、ささやくように言った。

「魔力の質が違います」

「そうだな。あれはどちらかというと、召喚光に近い」

「はい。しかしさて、あのサイズの召喚光……見覚えが」

「我が空中城塞ケイオスブレイカーを創りだした時と似ているな」

 ペルギウスは行く。

 今日も空中城塞ケイオスブレイカーの玉座に座り、十二人の下僕を従えて。

 ただ地上の監視を続ける。

 目的はただひとつ。憎きかたき、魔神ラプラスを復活直後に倒す。

 ただその封印が解けるのを、空にて待っていた。

「もしや、魔界大帝がラプラスの封印を解こうとしているのか?」

「ありえますね。復活してから三〇〇年。魔界大帝は不気味なほどに静かです」

「よし。アルマンフィ!」

「ここに」

 黄色の仮面を被った白衣の男が、音もなくペルギウスの前にひざまずいていた。

「今すぐ行き、調べ……いや、どうせロクでもないことをしているに違いない。怪しい奴は見つけ次第、殺せ」

「御意」

『甲龍王』ペルギウスは動く。

 十二人の臣下を従えて。四人の親友の仇を取るために。

 今度こそ魔神ラプラスに、確実なるとどめを刺すために。

◆ 剣の聖地にて ◆

『剣神』ガル・ファリオンは南の空を見上げた。

「なんだあの空……てか」

 ちょっと意識を取られた瞬間、可愛い愛弟子が二人同時に打ち込んでくる。

「よそ見してる時にくるんじゃねえよ」

 その表情は余裕。

 対する二人の愛弟子は息も絶え絶えである。

 相変わらずセンスのない奴らだと、剣神は思う。

 こいつらは剣帝とか呼ばれて調子こいてるが、所詮はこの程度だ。

 くだらねえくだらねえ。剣術に名声はいらんよ。

 ただ強くなれりゃあ、それでいいのよ。

 名声で得られるものなんざ、せいぜい権力と金だ。

 そんなものには何の価値もねえ。

 そんな、誰にでも手に入れられるものなんざ、俺様の剣で一刀両断よ。

 強けりゃワガママを通せる。

 ワガママを通すのが生きるってことよ。

 ギレーヌはそのへんが一番わかってたが、段々甘くなった。

 だから剣王程度で行き詰まっちまった。

 生きるってことにどんよくな奴は、力が弱くてまともに剣が振れなくても強ぇのに。

 力が強くなると貪欲さを失っちまう。

 今のギレーヌはダメだ。もうワガママが足りねえ。

 コイツラも大して才能があるってわけじゃねえが、薄汚い欲望のおかげでここまでこれた。

 決死の戦場で生きるコツは、飽くなき欲望よ。

「オラオラ、さっさと掛かってこいや。俺様を倒したら二人で殺し合いでもして剣神を名乗りな!

 金は人生百回遊んで暮らせるぐらいにガッポガッポ、女はそこらの奴隷から姫様までずらっとケツ並べさせてパッコパッコ、名前だしゃあ誰もがビビって腰抜かし、一歩歩きゃあ人の海が真っ二つよ!」

「自分はそんなことのために剣を習ったのではありません!」

「師匠! 見くびらないでください!」

 これだ。

 こいつらも、もうちょっと自分に正直になろうぜ。

 そうすりゃ、俺程度簡単にぶっ殺して剣神を名乗れるってもんだ。

 剣神は南の空のことなど、とっくに忘れていた。

◆ 魔大陸のどこかにて ◆

 魔界大帝キシリカ・キシリスは東の空を見上げた。

「フッ、わらわぐらいになると逆を向いていても見えるのだ! どうだ、すごいだろう?」

 しかし返事をする者はいない。

 周りに誰もいないからだ。

「無視か! ファーハハハ! いいともいいとも、許してやるぞ人間ども! ていうか、平和なせいで妾の近くに誰も擦り寄ってこないので許してやる他ないぞ人間ども! ファーハハハ、ファーハハハハハ! ファーハげほげほ……」

 キシリカは孤独だった。

 なにせ、誰も構ってくれないからだ。

 復活した瞬間、「魔界大帝キシリカただいまふっかーつ! 皆の衆待たせたな! ファーハハハハ!」と叫んだが、誰もいなかった。

 ならばと町にいってもう一度叫んだが、かわいそうな子を見る眼をされた。

 以来、ずっと誰も構ってくれない。

 古い友人の元を訪れたが、今は平和だからおとなしくしていてくれと言われた。

「人族の占い師はなにをやっとるのだ。昔は妾が復活となると、急にガタガタ震えだして奇声を上げながら窓からフリーダムフォールするというパフォーマンスをやってくれたというのに。あの前座がなければ、妾の復活にハクが付かんではないか……。はーまったく。最近の若いのはなっとらんのう」

 キシリカは地面の石をって、魔力渦巻く西の空を見上げる。

 魔界大帝は別名『魔眼の魔帝』。

 十を超える魔眼を持ち、一目見ればそこにあるのが何かわかる。

 どんな遠くにあっても一目りょうぜんである。

 強大な魔力。見慣れた召喚光。そしてそれを制御する者。

「なんじゃ、見えんではないか。結界でも張っておるのかのう。あんな大きなことしでかして顔を見せないとか、恥ずかしがり屋なんじゃからもう……」

 キシリカの眼は万能ではない。だから魔界大帝止まりなのだ。

 いつまでたっても魔神と呼ばれないのだ。

 そのこと自体を気にしてはいないが。

「勇者でも召喚されればええんじゃがのう。でも最近は猫もしゃくもラプラスだからのう……キシリカ? 誰そいつ? じゃからのう……。やっぱ勇者もラプラスとかいう若手イケメンの方に行ってしまうのかのう……。目立ちたいのう。また脚光を浴びてパレードとかしたいのう」

 ため息をつきながらキシリカは旅立つ。

 適当な方向へ。

★ 同時刻・ルーデウス視点 ★

 俺は城塞都市ロアの郊外の丘へと来ていた。

 誕生日に交わした約束を守るため、ギレーヌに聖級水魔術を見せるのだ。

 当然のようにエリスも付いてきている。

傲慢なる水竜王アクアハーティア』を取り出し、布を外した。

 一応、魔石部分に布を巻いておいたのだ。かっこうだが、あんな高価なものを見せびらかして、盗賊が寄ってきたら話にならない。隠したいほど大きな魔石が入っていると思われるよりは、魔力のこもった布で強化していると思われたほうがマシだろう。

 水聖級をやる前に、『傲慢なる水竜王アクアハーティア』の試し撃ちをする。

 いつもと同じように魔力を注いで水弾を作ると、普段よりはるかに大きい水弾ができた。

「おお、でかい」

 より小さく圧縮しようとすると、小さくなりすぎて、視認できなかった。

 ちょっとずつ調整していく。

 三○分ほど試した結果、水魔術に関しては五倍ぐらいの効果が出ることがわかった。

 攻撃魔術をより強く、あるいは同じ威力で消費魔力だけ少なく。

 数字で表すと、

 つえなしの状態:消費10、威力5

 杖ありの状態:消費10、威力25

 杖ありの状態:消費2、威力5

 そんな感じだろう。

 要は虫眼鏡か顕微鏡だ。

 細かい調整が難しいが、慣れればいけるかもしれない。

「ど、どう?」

 エリスが不安そうな顔を向けてくる。

 安心しろ、俺は新しいオモチャに夢中だ。

「調整が難しいけど、すごいですねこれは」

「そ、そう! よかった!」

 それからしばらく試して、火の魔術が二倍、土と風がそれぞれ三倍になるということがわかった。

 この杖を使って魔術を混ぜるのは難しそうだ。

 いや、それも慣れかな?

「よし、それじゃあ、皆様お待ちかね。ルーデウス・グレイラットの最強最大の奥義をお見せしましょう」

「わぁ!」

 エリスがうれしそうに拍手をする。

 ギレーヌも興味深そうだ。

 俺もノってきた。ここはかっこよく決めよう。

「フハハハハ! 集えよ魔力! 雄大なる水の精霊にして、天に上がりし……あれ?」

 水聖級魔術をわざわざ詠唱で発動しようと、杖を両手に持って天に掲げた。

 そこで、俺も気がついた。

「む?」

「なによ、あれ?」

 俺の視線の先、全員の意識が空へと向いた。

「空の色が変わっていく? なんだ?」

 空が変色していた。気持ち悪い色だ。紫と茶色がマーブル状になって……。

「……」

 ギレーヌが無言で眼帯を外した。

 眼帯の下からは濃緑の色彩を持つ眼が現れた。

 隻眼じゃなかったのか。

「なんなんですか、あれは」

「わからん、すさまじい魔力だ……!」

 あの眼は魔力が見えるのだろうか。三年越しに知る、ギレーヌの真の能力……魔眼。

 ギレーヌはすぐに眼帯を戻した。

「とりあえず、町に戻りましょうか?」

 この異常な空が何の前触れかはわからないが、空に異変があったなら屋根のあるところに避難したい。やりでも降ってきたら困るしな。

「いや、町に近づくほど魔力が濃くなっている。ここから離れたほうがいいかもしれん」

「だったら、せめて館に戻ってそう伝えないと!」

 フィリップたちに言って町人を避難させたほうがいいだろう。

「ではあたしが戻っ……ルーデウス! 伏せろ!」

 反射的にしゃがんだ。

 同時に、頭のてっぺんを、ヴォっという風切り音を残し、何かが高速で通り過ぎる。

 背筋がぞっと泡立つ。

 なに。何が起こった?

 今、何された?

「貴様!」

 視界の中、ギレーヌが腰の剣に手を掛けて、いっしゅんブレる。

 次の瞬間には、ギレーヌは剣を振り終えたポーズで止まっていた。

 何度か見せてもらったアレだ。

 剣神流・剣聖技『光の太刀』。

 完全に極めれば剣先が光の速度に達すると言われている、剣神流の奥義。

 この技があるからこそ、剣神流は剣術の流派で最強なのだと、ギレーヌは教えてくれた。

「むっ」

 ギレーヌが眉をひそめる。

 なぜかわかった、はずしたのだと。

 回避されたのだ。あの目にも留まらぬ必殺剣を。彼女は警戒色を強めた表情で、俺の背後をにらんでいる。

「……」

 俺はゆっくりと振り返った。

 俺に何かをして、ギレーヌの斬撃を回避した相手の姿を確認するために。

「誰……?」

 そこには男が立っていた。

 金髪に、白い学生服のようなカッチリした前留めの服。

 おそらくイケメンであろう顔は、黄色い仮面に隠されている。

 キツネに似た動物をモチーフにしているのだろうか。

 右手には、大振りのダガー。

 あれだ。あれが俺の頭をかすめたんだ。

「何者だ、名を名乗れ!」

「……」

 ギレーヌが怒鳴った次の瞬間、男の顔が光った。

 凄まじい光の量、一瞬で視界が真っ白になる。

 俺はとっに目をつぶった。

「ガァッ!」

 ギレーヌのえ声が聞こえる。

 キンッと金属のぶつかり合う音。

 誰かが走り回る音。

 二度、三度の金属音。

 視界が復活する頃、ギレーヌは俺の前に出ていた。

 眼帯が外れている。

 そうか。あの光で視界を奪われた瞬間、眼帯を外して残った眼で見たのだろう。

「貴様。何者だ。グレイラット家に敵対する者か!」

「……光輝のアルマンフィ。それが我が名」

「アルマンフィ?」

「この異変を止めに参上した。それがペルギウス様の命である」

 ペルギウスという名前は聞いたことがあった。

 確か、『魔神殺しの三英雄』(殺していない)の一人だ。

 十二人の使い魔を操っているとかいう召喚術師。

 そして連鎖的にアルマンフィの名前も思い出した。

 ペルギウスの十二の使い魔の一人、光輝のアルマンフィ。

「気をつけてギレーヌ、文献によるとそいつは光の速度で動くそうです」

「ルーデウス、お前はお嬢様を連れて下がっていろ」

 言われるまま、俺はエリスを背中にかばうようにして、二人の邪魔にならない位置へ。

 しかし遠くはなりすぎないように。

 いざとなったらギレーヌを援護できる距離で。ギレーヌの援護が間に合う位置で。

 あれが本当に光輝のアルマンフィなら、剣ではダメージを与えられないはずだ。確か、『ペルギウスの伝説』には、そう書いてあった。

 しかし、この男、どこに潜んでいたんだ?

 ……いや、確か光輝のアルマンフィは光を司る精霊。

 目で見えている部分なら、どんなに離れた距離でも一瞬で移動できると書いてあった。

 本で読んだ時はできるわけないじゃんと思ったが、俺の背後に一瞬で現れた。

 ギレーヌが油断するとは思えないし、前々から潜んでいる理由もない。

 飛んできたのだ。文字通り、光速で。

 そういう能力があるのだ。

「女、どけ。その小僧を殺せば異変が止まるやもしれん」

 ていうか、なんなんだ。異変って、空のアレのことか?

 なにを勘違いしてるんだ?

「あたしは剣王ギレーヌ・デドルディアだ。あれとあたしらは関係ない。引け!」

「剣王? 信じられるか。証拠を見せろ」

「見よ! 剣神七本剣が一つ名刀『ヒラムネ』だ! この剣の名を見ても、まだ信じられんか!?

 ギレーヌが剣を握ったまま拳を突き出して、アルマンフィに見せた。

 あの剣、そんな銘があったのか。……ヒラ胸。ギレーヌには似合わない名前だ。

「師と一族に誓え」

「我が師、剣神ガル・ファリオンと、ドルディア族の名誉に誓う!」

「デドルディア……よかろう。無実でなかった場合、後日ペルギウス様がを下す」

「構わん」

 アルマンフィがダガーを収めた。……よくわからんがなんとかなったらしい。俺の常識だと、ちょっと口で誓いだのなんだの言ったところでまゆつばものだが、異世界の常識では違うのか。

 ていうか、それだけギレーヌという人物の誓いの言葉に信用があるってことか。

 ローマ法王が神に誓うような、そんな信用が。

「お前たちでないのなら、いい」

「……唐突に襲ってきて謝罪もなしか?」

「こんな場所で怪しいことをしているほうが悪い」

 光輝のアルマンフィはそう言ってきびすを返した。

 少し落ち着こう、冷静に考えよう。

 まず、空に異変が起こり、次に唐突に男がやってきた。

 彼は本にもなるような伝説の英雄の使い魔だという。

 そんな有名人が、唐突に現れて、俺に襲いかかってきた。どうやら、俺があの空の異変を引き起こしたと思っているらしい。もちろん違うが……彼は、空の異変について、何か知っているのだろうか。いや、知らないから俺に襲いかかったのだろうが……。

 でも、少しぐらい話を聞いてみてもいいかもしれない。

「あの……」

「ん?」

 話しかけようとした、まさにその瞬間だ。

「あ」

 俺の目はとらえていた。

 白く染まった空から、一条の光が地面へと伸びるのを。

 そして、それが地面に着いた瞬間。

 光が凄まじい速度で膨らみ、その奔流があらゆるものをかき消しながら津波のように迫っているのを。館を消し、町を消し、城壁を消し、草花や木々を飲み込みながら迫ってくるのを。

 アルマンフィは振り向き、それを目にした瞬間、金色の光となって一瞬で消えた。

 ギレーヌはそれを目にした瞬間、こちらに走り込もうとして光の中に消えた。

 エリスはそれを目にした瞬間、ただ意味がわからなくてぼうぜんと動きを止めた。

 俺はせめてエリスを守ろうと、彼女に覆いかぶさった。

 次の瞬間、純白の光があたりを支配した。

 俺は地面か空か、どこかへと引きずり込まれるような感覚の中、意識を失った。

 ただ、意識を失う寸前まで、エリスだけは離さなかった。

 

 その日、フィットア領は消滅した。

 

 

「エピローグ」

 フィットア領消滅から、半年後。

 フィットア領にたどり着いたロキシーは、何もない『草原』を前に目を見開いていた。

 

 ただただぜんとしていた。

 今ロキシーの立っている街道は、アスラ王国が整備した石畳の道だ。

 これほど見事な道は、他の国では首都近辺でしか見られないだろう。

 アスラ王国は端から端まで、この石畳の道が敷いてある。

 そのはずだ。

 なのに、目の前ではある境界線から道が消えていた。

 何事もなかったかのように、草原が広がっている。

「……」

 何かがあった。それはわかった。

 何があったのか。それはわからない。

 自分には結果しかわからない。

 フィットア領は消えたという結果しか。

 ブエナ村も消えたという結果しか。

 あのルーデウスも、魔族である自分を簡単に受け入れてくれた優しい家族も、みんな消えてしまったという、ただ一つの結果しか。

 そんな話は、ここに来る途中に何度も耳にした。

 まさか、と思った。

 自分は担がれているんだ、と。

 とにかく信じようとはしなかった。

 絶対に生きている、何事もなく、存在していると信じていた。

 いちの望みにかけていた。

 

 目の前にある現実を見るまでは……。

 ロキシーはひざから崩れた。

「あんたも、家族を失ったクチかい?」

 ここまで乗せてもらった馬車の御者がいつのまにか後ろに立っていた。

「優秀な弟子を」

「弟子か。でも、魔術師の弟子ってんなら、命を落とすのも覚悟の上だったんだろう?」

「彼は、まだ十歳でした」

「そりゃあ……早すぎるな……」

 御者が慰めるように、ロキシーの肩をポンとたたいた。

 ロキシーはしばらく何もできず、ただうつむいて、足元の地面を見ていた。

 何も考えたくなかった。何も考えられなかった。

 この後、どうしていいのかもわからなかった。

 御者はそんなロキシーを黙って見ていたが、ぽつりと言った。

「実はフィットア領の難民キャンプがあるんだ。行ってみるかい? まぁ、十歳じゃ生き残るのは難しかっただろうけど、もしかしたらいるかもしれねえ」

 ロキシーはガバッと顔を上げた。

「行きます!」

 ルーデウスたちなら、きっと大丈夫だ。

 機転を利かせて生き残ったに違いない。

 きっと、その集落で元気に暮らしているはずだ。

 ロキシーは一縷の望みを、もう一度だけ抱いた。

 

    ★ ★ ★

 難民キャンプは木でできた建物が何軒も建ち、一つの村といえる規模になっていた。

 人は多く、せわしなく動いている。

 けれども活気はなく、どんよりと沈んだ空気が流れていた。

(このアスラ王国でこんな空気に触れるなんて)

 ロキシーの知るアスラ王国とは、世界で最も豊かな国だ。

 活気に満ちた人々の顔と、笑顔があふれる場所だ。

 食べ物は豊富で、魔物も少ない。

 生きていくのに最も楽な場所だ。

 

 だというのに、そこには笑顔がなかった。

 

 この集落でも、食べ物で困っているようには見えない。

 もともと豊かな場所だ。

 そこらの草でも引っこ抜いて食べれば、飢えることはない。

 飢えがなければ人は笑顔でいるはずなのだ。

 嫌なことはあろうとも、魔大陸のような殺伐とした雰囲気はない。

 そのはずなのだ。

 だが、目の前の光景に、ロキシーは顔をしかめざるを得ない。

 

 難民キャンプの臨時冒険者ギルド。

 本来なら、いくつもの依頼が貼り付けられている掲示板の前。

 そこに最もいんうつとした空気が充満していた。

 家を失い、家族を失った男が、掲示板の前で号泣している。

「なんなんだ、なんなんだよこれは! 俺は、半年、ここに戻ってくるまで半年も掛かったのに、ちくしょう! ローラ、フランシス、なんでみんな死んじまってるんだよ!」

 男は家族を失っていた。それだけではない、家も、土地も、商売道具も、何もかもを失ってしまっていた。

 その悲痛な叫び声は耳障りだったが、誰も彼のどうこくを止めることはできなかった。

 ただ共感だけがあった。

「神よ! これがあなたの仕打ちか!」

 あるそうりょは、己の商売道具であるミリス教団のシンボルを地面に叩きつけていた。

「もはや何も信じない! お前たちは神などではない、人をあざけり、殺すだけの、冷酷な悪魔だ!」

 天を仰ぎ、怒りと憎しみのこもった表情で叫ぶ僧侶。

 この場にはミリス教徒が何人もいたが、しかし神に祈る者はいない。

「とめるな!」

「おい、やめろって! 死んでどうなるってんだ。生きてりゃあ、何かいいこともあるって」

 ある商人はナイフで己の首をき切ろうとして、周囲に止められていた。

「い、生きてりゃあだぁ! お前は本気でそんなこと思ってるのかよ! ちくしょう、俺はな、命より、命よりも大切なものを失ったんだ! 死なせてくれよ、頼むよぉ……ちくしょう、ちくしょう」

 絶望的な顔でしゃがみ込み、涙を流してうずくまって、静かに身を震わせた。

 ひどい場所だ。

 誰もが悲痛な表情をしていた。

 ロキシーはこれほどまでに悲しみに支配された場所を知らなかった。人が死ぬのは何度も見てきたし、自分自身も修羅場をいくつもくぐり抜けてきたつもりだ。

 けれど、ただ悲しいだけの場所は、初めてだった。

(これは、ダメかもしれませんね)

 ロキシーはその場の雰囲気に引きずられ、泣きそうな気分で情報収集を始めた。

 

    ★ ★ ★

 一時間後。

 ロキシーは何が起こったのかを大体把握していた。

 あの空の異変の後、フィットア領全域において、大規模な魔力災害が起こったのだ。

 爆発を伴うようなものではなかったが規模は大きく、フィットア領の人々は残らず世界中に転移した。

 建物や木々はどこかへと消え、人だけが、世界のどこかに飛ばされたのだ。

 飛ばされた人々の何割かは、何とかしてフィットア領へと戻ってきた。

 そして、故郷に何も残っていないことを知り、希望をも失ったのだ。

「……ひどいものですね」

 ロキシーはそうつぶやきながら、掲示板を見る。

 そこには、「死亡者」と「行方不明者」の名前が連ねられている。

 またさらに隣には、家族への伝言や、『旅先でこんな人物を見かけたらここまでつれてきてくれ』といった内容の依頼が、何件も貼られていた。

 ひときわ目立つ場所に、フィットア領主の名前で、行方不明者・死亡者の情報を求む、と書いてある。

 その数は、かつてないほどだ。

 ロキシーは冒険者として、それなりに活動してきた。

 それでも、これほど依頼の溢れる掲示板は見たことがない。

 そして、これだけ必死で、悲痛な感じのする依頼だらけの掲示板も、見たことがない。

 この災害の規模の大きさがうかがえる。

 死亡者、行方不明者。

 もしかすると、ここまで来る間に、そうした人物を見たかもしれない。

 人がいきなり現れた、といううわさも聞いたことがある。

 そういった与太話はいくらでもあるので気にもとめなかったが、もし覚えておけば、彼らの力になれたのだろうか。

「いえ……」

 そう考え、ロキシーは首を振った。

 彼女が通ってきた道は、中央大陸を横断する最も大きな街道である。あそこで聞けることなら、きっと誰かが聞いて、情報として得ていることであろう。

「……」

 ロキシーはそれ以上は考えず、死亡者欄から順に見ていくことにした。

 死亡者の数は規模に対して少なく、見知った名前は無い。

 対する行方不明者数は多い。目がチカチカしてくる量だ。

 なにせ、世界中への転移だ。

 魔物に襲われて死んで、骨も残らないような者もいるはずだ。

 山の上や、空の上、海の中。即死したものも少なくないだろう。

 死亡が確認できただけでも、上出来なのだ。

「あった……」

 ロキシーは眉をひそめた。

 行方不明者の欄に、ルーデウスたちの名前を見つけたからだ。

 ルーデウス・グレイラット。

 ゼニス・グレイラット。

 リーリャ・グレイラット。

 アイシャ・グレイラット。

 リーリャがパウロの妻の一人になったことは知っていた。

 ルーデウスの手紙に書いてあったのだ。

 アイシャというのは、確か妹だったか。もう一人いたはずだが。

 パウロとノルンの名前には線が引いてあった。

 まさかと思って死亡者欄をもう一度見る。

 無い。

 ということは、生きているのだろうか。

 いや、情報が抜けている可能性もある。

 ぬか喜びはすまい。

「とりあえず、死んではいないことを喜ぶべきでしょうか……」

 ロキシーはぼんやりしながら伝言板の方も見る。

 捜索を依頼する内容。

 どれも書いている者の必死さが窺える。

 少しだけ、うらやましくも感じる。

 自分には、こんな必死に探してくれる人はいない。

 そういえば、故郷の両親は元気だろうか。

 けん別れをして集落を飛び出して、もうかなりの年月が経っている。

 少し前までは、ミグルド族にとっては、ほんの少しの年月だと思っていたが。

 月日が経つのは早いものだ。

 手紙の一つでも送ったほうがいいかもしれない。

「これは……」

 そこで一つの伝言を見つけた。

 書いた人物は、パウロ・グレイラット。

 

『ルーデウスへ。

 ゼニスとリーリャ、アイシャが行方不明だ。

 ノルンは俺が保護している。

 お前が現在どこにいるかはわからん。

 だが、お前なら一人でもここにたどり着けると考えている。

 よって、お前の捜索は後回しにする。

 オレはミリス大陸へと行く。そこがゼニスの生まれ故郷だからだ。

 リーリャの故郷・実家にも伝言を残しておく。

 お前は中央大陸の北部を探せ。

 見つけたら下記まで連絡をくれ。

 ゼニスやリーリャも、これを見たら同様に連絡をくれ。

 

 また、オレや家族のことを知る人物、あるいは元『こくろうきば』メンバーへ。

 捜索を手伝ってほしい。

『黒狼の牙』の元メンバーは俺に思うところもあるだろう。

 水に流せとは言わない。ののしってくれてもいい。

 靴をめろというなら舐めよう。

 財産は全て消えたので報酬は出せないが、頼む。

 オレの家族を探してくれ。

 

・連絡先

 ミリス大陸ミリス神聖国首都ミリシオン冒険者ギルド

 パーティ名『ブエナ村民捜索隊』

 クラン名『フィットア領捜索団』

 

 ──パウロ・グレイラットより』

 

 パウロが生きていた。

 そうと知って、ロキシーは少しだけあんした。

 彼はルーデウスの手紙ではこき下ろされていたが、こういう状況でこそ頼りになる人物だ。

「……」

 そして考える。

 自分も捜索に参加するべきだろうか、と。

 あの家族には世話になった。

 あの家族と過ごした二年間は、今でもいい思い出だ。

 いろんな意味で。

 なので、助けるのはやぶさかではない。

(よし、捜索に参加しよう)

 ロキシーはそう決めた。

 決めた瞬間からロキシーの思考は回り始める。

(でも、誰をどう探すべきか……)

『黒狼の牙』は、恐らくパウロが前に所属していたというパーティだろう。

 その面々はルーデウスとは面識がないはずだ。

 リーリャとも面識はないだろうが、自分は後回しにされているルーデウスを探そう。

 パウロはルーデウスが帰ってくると思っているようだが、あの少年は適応力が高い。

 転移先に居着いてしまう可能性もあるだろう。

 もしそうなら、何が起こったのかを知らせてやり、ここに連れてきてやらねばならない。

(ルディを探すとして、じゃあ、どこを探すべきか)

 パウロはミリス神聖国の首都に移動した。

 ということは、その経路には伝言を残しているはずだ。

 アスラ王国の国境、王竜王国のイーストポート、ミリス神聖国のウエストポート。

 最低でもこの三つには、伝言を残しているだろう。

 なら、その経路の外を探すべきだ。

 中央大陸北部か、ベガリット大陸か、魔大陸。このあたりだろう。

 ベガリット大陸には行ったことがないが、魔物と迷宮の多い場所だと聞いたことがある。

 魔大陸は多少の土地勘はあるが、一人で旅するには危険な土地だ。

 安全を取るなら、北部だが……。

 いや、だからこそ行くべきなのだ。

 危険な土地だからこそ、行ける者は少ない。

 自分なら、その二つを旅できるパーティに潜り込める。

 よし。

 そうと決まれば、ここに長居は無用だ。

 王竜王国のイーストポートに移動しよう。

 そこで、ベガリットか魔大陸にいくパーティを探すのだ。

 

 そうと決めると、ロキシーの行動は早かった。

 即座に旅の支度を終え、難民キャンプを後にした。

 足を動かせば、不思議と悲しい気分は吹き飛んだ、それどころか、不思議とルーデウスが生きているという確信すら湧いてきた。

(また、一度ぐらい皆で食卓を囲みたいものですね)

 ロキシーはボンヤリとそう考えつつ、南へと足を向けた。

 

 この日より、ロキシー・ミグルディアの長い旅が始まった。

(次巻へ続く)

番外編 「森の女神」

 アスラ王国より山を越えて真東。

 中央大陸の中心に位置するその区域は数多くの小国からなり、それらの小国は一帯の覇権を求め争っていた。

 小国が建国と滅亡を繰り返すそこを、人は紛争地帯と呼んだ。

 

 紛争地帯にある小国の一つ、マルキエンようへい国。

 とある大傭兵が打ち立てたその国は、近隣の国に傭兵を派遣することを生業なりわいとした戦闘国家である。

 マルキエン傭兵国の片隅にある酒場。

 そこでは、ある傭兵が、別の傭兵に、己の肩口についた傷を自慢していた。

「へへ、見ろよこの傷。ルドミンの防衛戦での傷よ」

「おぉ、あの戦か、激戦だったらしいな」

「お前はどこに行ってたんだ?」

「アルズとりでの東門だよ。あそこは地獄だった……もうちょっとで、このいとしい愛しい右腕ちゃんを失うところだったぜ」

「地獄も何も、アルズの砦の東門っていやあ、側面つつかれて壊滅しかけたって話じゃねえか!」

「ルドミンの防衛戦だって、似たようなもんだろうが。補給路が絶たれて、傭兵の食いがなかったって聞いたぜ?」

 マルキエン傭兵国はあらゆる国を分け隔てなく支援した。

 そして、派遣された傭兵たちは恐怖された。

 いわく、その兵士は一騎当千。

 曰く、指揮官は常に冷静沈着。

 曰く、軍師は遠謀深慮にける。

 ひとたび戦闘になれば、味方した勢力に必ずや勝利をもたらす。

 戦場における勝利と恐怖の象徴。

 それがマルキエン傭兵である。

「お互い、よく生きてたよな」

「まっ、森の女神様のおぼしってやつよ」

 傭兵の一人は、懐からペンダントを取り出した。獣のような耳を持つ、女の横顔のレリーフが刻まれた木彫のペンダントである。

 それを見て、もう片方の傭兵は、腰の短剣を抜き放った。

 剣は塗料で赤く染められていた。

「じゃあ、森の女神様レーヌに、乾杯!」

「次の戦にも勝利を授けたまえ! 乾杯!」

 二人はそれぞれペンダントと短剣を持ち、もう片方の手にしゅはいを持ち、一気に飲み干した。

 これが彼らの祈りである。

「かぁー、うめぇ」

「やっぱ、戦いの後は酒だな。マルキエンの酒が一番だ」

「あと女だな!」

「この後にしょうかんでもいくか」

「カミさんにはナイショでな」

「ガハハハ!」

 二人は楽しそうに酒盃を交わし、夜は更けていく。

 

 森の女神レーヌ。

 それがマルキエン傭兵の信奉する神である。

 言い伝えによると一〇〇年前、マルキエン傭兵国が滅亡の危機にひんした時に現れ、伝説の大将軍を導き、国を窮地から救ってくれた救国の女神であると言われている。

 その言い伝えから、マルキエン傭兵たちは、自分が死に瀕した時、どこからともなく森の女神レーヌが現れて救ってくれると信じている。

 ゆえに、傭兵たちは女神に祈る。

 戦いのための祈りと、生に対する祈りを。

 そうして、また戦場へと旅立っていくのだ。

 

 しかし不思議な事に、森の女神レーヌを信奉するのは、世界広しといえどマルキエン傭兵国だけである。

 どうしてこの国だけにそのような風習ができたのか。

 そこには、一つの逸話があった。

 

    ★ ★ ★

 こうりゅう暦四一七年。

 アスラ王国に転移事件が起こったその年、マルキエン傭兵国は傭兵王マルキエンが建国を宣言してから、わずか二年しか経っていない新興国家であった。

 当時、マルキエン傭兵国は滅亡の危機に瀕していた。

 珍しいことではない。この紛争地帯では、小さな国が建国と滅亡を繰り返している。

 人々はあわよくば自分の国を持とうと画策し、周辺一帯を統一して一大国家をつくりあげようと野心を持ち、そして夢破れて散っているのだ。

 マルキエン傭兵国もまた、そんな雑多な国と同じ運命を辿たどろうとしている。

 それだけの事である。

 

 とはいえ、何事にも理由はある。

 滅亡への道を歩みだすことになった発端は、外交である。

 傭兵の派遣を経済の中心としていたマルキエン傭兵国は、兵力・国力共に新興国家とは思えない力を秘めた国であった。

 しかし、それがゆえか。

 マルキエン傭兵国は隣接する二国、ディクト王国とブローズ帝国に警戒され、画策され、外交で失敗し、同時に宣戦布告を受ける運びとなった。

 さしもの傭兵国家とはいえ、二国から攻められればひとたまりもない。

 激しい抵抗は見せたものの、要所の砦は一瞬にして陥落し、いくつかの大きな戦闘の後、領土の半分を失った。

 この国に先は無い。

 そう思った傭兵たちは別の国へと逃げ、あるいは寝返った。

 最後の決戦となったのは、後にマルキエン決戦跡と呼ばれる、大きな盆地である。

 

 マルキエン傭兵国は戦力を結集し、二国の連合軍を相手に陣を敷いた。

 それまで二国は別々に侵攻をしていたが、要所となる盆地は両脇を魔物の出没する森に挟まれており、通行に激しい制限が課せられていた。合流せざるを得なかったのだ。

 また、それがゆえにこの盆地は最重要地点でもある。マルキエン傭兵国が滅びた後、首都近隣の支配権を得るには、この盆地の占領こそが大事であった。

 ゆえに、この決戦の後、続けてディクト王国とブローズ帝国の戦いが繰り広げられるであろうことは、想像にかたくなかった。

 マルキエンはその仲の悪さにつけ込もうとしてはいたものの、すでに戦力は少なく、対抗できるだけの力はほとんど残されていなかった。

 ただ一計、起死回生の策を練るので精一杯であった。

 

    ★ ★ ★

 マルキエン傭兵団・第三部隊長ビゴ・マーセナルは、一〇名の部下を従え、森の中を進んでいた。

 エジンの森と呼ばれるこの森は、大量の魔物が出没する。その危険さは、古来よりこの地一帯の統治者が通行を禁止するほどであった。

 近隣の人々は口をそろえて、こう言った。

 エジンの森には木こりも入れない。

 当然ながら軍で進行することも不可能であり、今回の戦争においても、マルキエンを攻めている二国もまた、この森を避けていた。

 そこに、傭兵王マルキエンは目を付けた。

 森の中を突破し、二国のどちらかに奇襲を掛ける。単純だが、効果的な案であった。

 とはいえ、すでにマルキエンに兵力はない。ただ森の中を侵攻したところで、道中で魔物との戦闘によっていたずらに力を失い、強襲を掛けたところで無様に散るだけであろう。

 そこでマルキエンは一計を案じた。

 先の戦いにおいて手に入れた、ブローズ帝国のよろい

 これを配下に着せ、ディクト王国を後ろから襲うのだ。

 二国間では、マルキエン傭兵国を倒すまではと同盟が結ばれているようだが、この決戦の後に覇権を争って戦うのであれば、あってないようなものである。二国は決戦の後、互いの国に対してどう有利に事を運ぶかばかりを考え、ピリピリとしている。

 ほんの少し、突いただけで、糸が切れるように同士討ちを始めるであろうことは明白であった。

 それを誘発させるのだ。

 作戦指揮には、勇猛果敢で知られるビゴ・マーセナルが手を上げた。

 森を越えての背後からの少人数での強襲。

 非常に難しく、そして作戦が成功しても生きては帰ってこられない。

 強襲が成功した暁には、捕虜となるのを防ぐため自らの命を絶たねばならない可能性もある。

 身元を明かせるようなものも持っていてはいけない。

 どこの誰とも知れぬ者として、名誉も得られず、裏切り者として死ななければならない。

 だが、ビゴはマルキエンに言った。

「心配めされるな。この大戦争を勝利に導いた英霊として語り継がれるのだ。かの大英雄『双神ミグス・グミス』のように。名誉なことではないか」

 四〇〇年前、ラプラス戦役にて死んだ英雄の名を持って、ビゴは大役を請け負った。

 

 部下は一〇名。

 北神流の中級剣士三名に、流派を持たぬ傭兵が七名。

 ビゴ自身は剣神流の上級剣士であったが、治癒魔術を使える者はおらず、練度も個人技能も高いとはいえない。

 ここらでは魔術師は貴重であり、また決戦に備えて、捨て石となる部隊に強力な兵士を割くだけの余裕はなかった。ただ同士討ちを誘発させるだけでなく、戦争に勝たねばならないのだ。

(ふっ、俺がまさか、こんな真似をすることになるとはな)

 ビゴはちょうげに笑った。

 ビゴは生まれついての傭兵であった。彼は傭兵団で生まれた。父親はビゴが母親の胎内にいる時に戦死しており、母親はビゴが物心ついてすぐの頃に戦死した。ビゴは奴隷として売られ、マルキエン傭兵団の前身となる傭兵団に買われた。そこで剣を学び、戦いを学び、金と命だけのためだけに、今まで生きてきた。

 それがまさか、最後の最後で名誉のために戦うとは。

(どこの騎士様だ)

 名誉で死ぬのは騎士と決まっている。

 だが、ビゴはふと思った。

(俺はマルキエン傭兵国の騎士なのかもしれないな)

 そう思えば、なんとはなしに誇らしい気分になった。

 マルキエン傭兵国は、故郷を持たないビゴにとって、やっとの思いで手に入れた故郷である。

 その故郷を守るために戦う。

 かつて馬鹿にしていた者たちの言い分だが、自分がその立場になってみると、悪くはなかった。

「隊長、もうすぐです」

「油断するなよ。ここまで来たら、人間に殺されたいからな」

「ははっ、そうですな」

 ここに来るまで、ほとんど魔物には遭遇しなかった。

 丸一日歩きづめで、たった二度、奇跡的なことであった。

 だというのに、部下が一人死んでいた。

 注意深く進んでいたはずだが、草陰に身をひそめていたレッドリーフタイガーを発見できず、襲われ、殺されたのだ。

 魔物はすでに傷だらけであり、何者からか逃げているようだった。

 この森で最も恐ろしい魔物とされるレッドリーフタイガーが。何者からか……。

(その何者とは、この森の主かもしれないな)

 この森の中の主のうわさはビゴも聞いている。

 A級の魔物、体長五メートルに届く巨体を持つリザード。カレントサウルスの存在を。

 本当に実在するかどうかはわからぬが、かの魔物ならば、B級下位に属するレッドリーフタイガーをボロボロにすることも可能であろう。

 そして、そんな魔物に襲われたなら、ここにいるビゴ以下九名も、ただでは済むまい。

 ゆえに、ビゴたちは慎重に歩を進める。

 幸いにして、彼らも森歩きには多少の慣れがあった。

 魔物と遭遇しないように、あるいは遭遇しても、仲間を呼ばれる前に即座に倒せるだけの力はあった。このあたりで戦いを生業なりわいとするものであれば、当然のことだ。

 もっとも、その当然とは。

 ビゴたちだけに当てはまるものでは、無かった。

「なっ!」

「えっ!」

 気づいた時には、二つの部隊は鉢合わせていた。

 人数は同じく一〇名。

 彼ら二〇名は、全員がブローズ帝国の鎧を着ていた。

 ただ一つの違いがあるとすれば、ビゴたちが偽者であるということだろう。

「貴様らどこに所属する部隊だ! 名を!」

 ビゴの目の前、ひときわ豪華な鎧を着た男がすいした。

「抜剣! 一人も生かして帰すな!」

 ビゴはその問いには応えず、部下へと怒鳴るように叫び、部下全員が剣を抜いて、彼らに躍りかかった。

「脱走兵か! ええい!」

 ブローズ帝国の隊長は、唐突に襲いかかってきたビゴたちを脱走兵と判断した。

 間違いであるが、間違っていたからといってやることは変わらない。脱走兵だろうと、ブローズ帝国に成りすました敵国の兵士だろうと、変わりはない。

「殺せ! 戦から逃げる弱卒は我らブローズに必要なし!」

 ブローズ兵は、速かった。

「ぐああぁ!」

「ち、ちくしょう……!」

 瞬く間にビゴの部下二人がり捨てられ、ビゴたちは一瞬にして劣勢に追い込まれた。

 ブローズ帝国の兵士は、きわめて練度が高かった。

 ビゴは知らぬことであるが、彼らが戦っていたのはブローズ皇帝の身辺を守る親衛隊である。

 親衛隊が、なぜ皇帝のそばを離れ、森の中にいるのか。

 それは、ほんの一時間前の出来事が関係している。

 ブローズ皇帝が自ら陣地を見て回り、兵たちを鼓舞して回っていた。

 その時、突如として森から魔物が現れ、ブローズ皇帝を強襲、その腕に小さなかすり傷を負わせた。魔物はすぐに退治され、傷はすぐに治療されたが、兵たちの前で王が襲われたという事実は残った。

 士気が下がるのを感じたブローズ皇帝は、自らの威信にかけて、親衛隊に出動を命じた。

 凶悪な魔物の皮を取ってこい。それと戦い、傷を負ったことにする。

 親衛隊はすぐに動き、森へと入った。

 しかし、不思議と魔物に遭遇せず、ビゴたちを発見するに至ったのである。

「こ、こんな所で……」

 ビゴの部下の中で最も腕の立つ男が、ブローズ親衛隊にあっさりと斬り伏せられた。

「貴様らも知っていよう、俺は親衛隊長クライン・ディノルタス! 水聖クラインだ! 勝てると思ったか!」

「くそっ!」

「抵抗をやめて投降すれば、命だけは助けてやる!」

 ビゴは焦りを感じていた。投降などできようはずもない、捕まって取り調べを受ければ、すぐにブローズの人間でないとバレる。

 そうなれば、作戦は失敗だ。

 マルキエンは滅びる。

 その後、ブローズ帝国とディクト王国が戦い、どちらがこの地を手に入れるのかはわからないが、ビゴたちがやっとの思いで手に入れた故郷は、消えうせる。

 だが、打つ手は無かった。

 力の差は歴然、このまま戦い続けても、全滅は必至であった。

(マルキエン、すまん)

 ビゴは心の中で、肩を並べて戦い続けてきた戦友にびた。

 その時である。

 

「ゴアアァァァァ!」

 

 巨大なトカゲが飛び込んできた。

 五メートルはあろうかという、鮮やかな緑色を持つトカゲ。

 しかし、威風堂々たるその姿は傷だらけで、各所から血を流していた。

 トカゲは口から血の泡を吹きながら、ビゴたちの間に割って入るように倒れこんだ。

 それに一瞬遅れて、

 

「ガアアァァァァァ!」

 

 野獣が飛び込んできた。

 野獣はすさまじい雄たけびと同時に大きく跳躍し、トカゲの頭に飛び乗ると、手に持った剣を、その頭へと突き刺した。

 トカゲは断末魔の悲鳴を上げて、絶命した。

 何が起こったのか、それを判断する時間は無かった。

「なっ!」

 野獣はトカゲを殺してもなお、動きを止めなかったのだ。

 野獣はトカゲの頭から飛び降りると、瞬く間にブローズ親衛隊を二人斬り伏せた。

「なにをする!」

 ビゴは、一瞬、その野獣こそがこの森の主だと考えた。

 だが、野獣は人の形をしていた。チョコレート色の肌に、灰色の髪、ピンととがった二本の耳を持つ獣族であった。

 野獣は剣を持っていた。薄い刃の片刃剣、刀身は赤く不気味な輝きを放っている、名のある銘であることが見て取れた。

「何者だ!」

 ブローズ親衛隊長クラウンが前に出つつ叫んだ。

「名を名乗れ!」

「グルルルル!」

 野獣は答えなかった。

 ただ目の前にいる敵、剣を持った敵に、反応した。

「ガァァァ!」

「くっ、応戦しろ!」

 雄たけびと共に、クラインへと斬撃を放った。

 クラインは水聖。水神流はあらゆる攻撃を受け流し、必殺のカウンターを打ちこむ流派。

 そのはずだったが……。

「ひ、光の太刀だと……け、剣神流か……」

 野獣の剣を受けた時、クラインの剣は真っ二つに折れていた。

 そして、それに続くように、クラインの鎧に真一文字の亀裂が入り、服が、皮膚が、肉が、骨が断裂され──。

 そして、クラインの上半身と下半身が、離れた。

 ゴトリと落ちた己の隊長の上半身を前に、しかしブローズ親衛隊はひるまなかった。

「おのれ!」

「よくも隊長を!」

「隊長のかたきを取れ!」

 彼らは全員が水神、あるいは北神流の中級以上の剣士だった。

 決して弱くはなかった。

 だが。

「ガアアァァァ!」

 野獣がえ、その赤き剣を振るう度に、一人、また一人と真っ二つにされた。

 野獣はせんこうのように動いた。その声には、人をしゅくさせる効果があった。誰も野獣には追いつけなかった。

 一瞬にして親衛隊は全滅した。

「……」

 ビゴたちは動けないでいた。

 何が起こったのかわかっていなかった。野獣は親衛隊の横手から現れて、圧倒的な強さでじゅうりんした。だが、なぜ、なんのために。

「グルルルル」

 野獣がこちらを向いた。

 その眼は完全に正気を失っていた。

 殺気だけがこもった目は、ビゴたちをとらえ、恐怖だけを増幅させた。

 露出の高い服装であるが、恐怖は憶えども、劣情を催すことはないだろう。

 劣情。

 そう、野獣は女だった。女の姿をしていた。

 それに気づいた時、ビゴの脳裏に思い当たるものがあった。

 ビゴに剣を教えた、とある剣聖の話である。

 剣聖は剣の聖地で修行をした由緒ただしき剣神流の剣士で、なぜ傭兵になったのかは決して口を割らなかったが、それ以前の、修行時代の話はよくしてくれた。

 乱暴者で、話を聞かない、狂犬みたいな奴がいる。

 そいつは俺を追い抜いて剣王にまでなっちまったが、馬鹿なだけで悪い奴じゃあ、なかった。

 ただ、極限状態に陥ると正気を失って、敵味方関係なく襲いかかる時があるから、みんなには嫌われてたけどな。

 そんな話に出てくる剣王と、目の前にいる女。

 特徴が合致していた。

「もしや!」

 ビゴはそういいつつ、師に習った、剣神流の礼を取る。

 片ひざをついて首を差し出すそのしぐさは、相手への降伏と尊敬を表す。

「剣王ギレーヌ・デドルディア様ではございませんか!」

 そう言った途端。

 野獣の動きが止まった。

 

 しばらくして、ギレーヌは正気を取り戻していた。

「お噂はかねがね聞いております、まさかこのような場所でお会いできるとは思いもよりませんでした」

「お前、この近くで十二歳ぐらいの真っ赤な髪をした少女を見なかったか? あるいは、十歳ぐらいの魔術の達者な少年でもいい」

 ギレーヌはビゴの言葉には答えなかった。

 ただ、血走った眼でビゴをにらみつつ、淡々とたずねた。

「いえ、見かけていませんが……」

 ビゴは首を振りつつ、聞かれた言葉をはんすうする。

 十二歳ぐらいの赤髪の少女。

 十歳ぐらいの魔術師の少年。

 今まで生きてきて、そうした奴隷は何人か見かけた。だが、この近くでといわれると、首を振る。

 なにせ、ここはエジンの森。魔物の出る森である。

 そんな場所に、なぜ子供がいると思うのか。

「そうか、邪魔したな」

 ギレーヌはそういって、ビゴたちの前を去ろうとした。

 数歩歩いてから、はたと足を止め、振り返って首をかしげた。

「ところで、ここはどこだ?」

 ビゴも首をかしげた。

 

 ビゴはここが中央大陸であり、南部であり、その中でも北に位置する『紛争地帯』であり、紛争地帯の中でも北の方にあるマルキエン傭兵国の森の中であると伝えた。

 作戦行動中であり、本来ならそんな暇はなかったが、今しがた命を救われたのもあり、そして機嫌を損ねれば次は自分かもしれない、という危機管理能力も働いていた。

「馬鹿な」

 ギレーヌは取り合わなかった。

 自分がそんな所にいる理由がわからなかったからだ。

 ビゴは、彼女から詳しく様子を聞いてみた。

 彼女はアスラ王国のフィットア領で、とある少女の護衛をしており、そこで敵襲を受け、何がなんだかよくわからないうちに光に飲み込まれ、気づいたらこの森にいたという。そして魔物の群れと戦ううちに興奮状態に陥り、向かってくる者全てを打ち倒す狂戦士と化したという。

「ともあれ、ここは紛争地帯、マルキエン傭兵国です。間違いありません」

「……そうか」

 ギレーヌは考える。

 彼女が何を考えているのかビゴにはわからなかった。

 たっぷりと五つ数える間、ギレーヌは考え続け、やがて空を見た。

「ならば、アスラに戻るには、南だな」

 ギレーヌは太陽の方角より、まっすぐに南に足を向けた。

 それは、ビゴたちの進行方向と一緒であった。

「まってください。そちらには、敵国が陣を構えています」

「それがどうした」

「どうしたって……どうするつもりなのですか?」

「あたしの目の前に出てくる者は、誰であろうと斬り伏せるのみだ」

 ギレーヌの眼は、正気を保っているとは思えないほどに据わっていた。

 ビゴは言葉を失った。

 一体、何が彼女をそこまで突き動かすのか。

「ルーデウスがエリスお嬢様と一緒にいればいいが、あたしと同様、別々の場所に飛ばされた可能性もある、急がねば……」

 その言葉を聞いて、ビゴはに落ちた。

(今の俺と同じか)

 剣王にとっては、先にあげた二人の子供、特に赤毛の少女の方が、何よりも大切なのだろう。

 大切なものを守るため、必死になっているのだ。

「ならば、途中までご一緒しましょう。俺たちも、そっちに用がありますので」

「よかろう」

 ビゴは、なんとはなしに誇り高い気持ちになった。

 目的は違えども、かの剣王にも守るものがあり、肩を並べて闘えるのだと。

 

 そして、ビゴたちとギレーヌは森を抜け、ディクト王国の背後より強襲をかけた。

 運が良かった。

 マルキエンとの戦端が開かれんとする瞬間であり、全ての将兵の意識が前方へと集中していた。

 ブローズ皇帝は親衛隊が戻ってこないことを不信に思っていた。あるいはディクト王国の伏兵が自分たちをたんたんねらっており、それを発見したから親衛隊が殺されたのかもしれないと疑っていた。

 見れば、ディクト王の本陣は森に近い。あれは森の中に兵を隠しているからではないか。

 そう疑い出せばキリがなかった。

 実際には、ディクト王はおくびょうな男で、ブローズ帝国から奇襲を受けない位置として、森を背にしていただけなのだが──。

 それらが積み重なった結果。

 ビゴたちの強襲は成功した。

 ビゴたちはディクト王国へと強襲を掛けた、ギレーヌが吠え、ビゴが雄たけびを上げながら敵陣地へと突進した所に、ディクト王の天幕があった。

 ディクト王は森から飛び出してきたビゴたちを見て驚天動地した。そしてその服装を見て、ブローズ帝国が森の中から奇襲を仕掛けてきたのだと考えた。すぐに側近に呼びかけ、ブローズ帝国への攻撃を開始させるように命じ、自分も退避を始めた。

 その、ほんの一〇秒後。

 ディクト王はギレーヌの剣によって切り裂かれ、崩御した。

 あるいはディクト王が生き残っていれば、ビゴらがブローズ帝国の手のものではないと見抜き、命令を撤回できたかもしれないが……勅令によって発せられた言葉は、絶対の効力を持ち、ディクト王国はブローズ帝国へとなだれ込んだ。

 ブローズ帝国も、予想とは違うタイミングであったが、しかしいずれかのタイミングでディクト王国と戦うことは予想していたため、これに反攻した。

 そこにマルキエン傭兵国が戦端を開いた。

 どもえの混戦となった。

 

 ビゴは敵に囲まれながらも、生きていた。

 死体をさらし、そしてブローズ帝国の仕業だと思わせるのが彼の仕事であったが、彼は生にしがみついていた。

 すでに部下とははぐれ、周囲に見える味方は、ただ一人だけだった。

 味方は目の前にいた。

 ビゴはチョコレート色の背中と、その背中の放つ赤いけんせんを追いながら、ただひたすらに敵を斬り倒していった。これほど頼もしい背中は、今までなかった。そしてこの背中を守れることを、誇りに思った。

 やがて、ディクト王国の鎧が見えなくなり、周囲がブローズ帝国だらけになった。

 ブローズ帝国は、見知らぬ赤い剣を持った女の乱入に驚きつつも、次々にディクト王国の兵を斬り捨てる姿と、その背中を守るブローズ鎧のビゴを見て、味方だと誤認した。

 そこに、さらにマルキエン傭兵国がなだれ込んだ。背後で戦闘を始めた同盟国は動揺し、連携どころか陣形すらも崩し、数で劣るはずのマルキエン傭兵国に前線を突破されたのだ。

 乱戦となった。

 ビゴは激しい戦闘の中、ギレーヌとはぐれた。

 だが、それと時間差で、味方と合流した。

 マルキエン傭兵はビゴの顔を見て歓声を上げ、その周囲を固めてくれた。

 ビゴは後ろに下がることなく、前線にとどまって戦い続けた。

 戦闘が進み、泥と血にまみれ、どこに何があるのかもわからなくなった。

 ビゴは左目に矢を受け、もんの表情で射手を確認しようとしたとき、見た。

 ビゴは、見てしまった。

 ひときわ大きな旗印の下。

 豪華なブローズ鎧を身に着けた、黒ひげの男を。

 その黒ひげの男が、ブローズ皇帝が、チョコレート色の肌を持つ女の赤き剣閃によって、首をはねられる瞬間を。

「ハッ、ハッ、ハハハハハハ!」

 ビゴは笑い、笑いながら闘い続け──。

 そして、生き残った。

 

 決戦は、マルキエン傭兵国の勝利であった。

 

    ★ ★ ★

 この功績により、ビゴ・マーセナルは将軍の位を手に入れた。

 決死の作戦を成功し、なおディクト王の首級まであげた英雄として祭り上げられた。

 その後も目覚しい活躍を見せたビゴ・マーセナルは、マルキエン傭兵国屈指の大将軍と呼ばれるようになるのだが、それはまた別の話である。

 

 そんな大将軍ビゴは、あの決戦の後、ある不思議なことをするようになった。

 獣の横顔が刻まれたレリーフを首から下げ、己の剣の刀身を赤く塗るようになったのだ。

「おまじないさ」

 このおまじないこそを部下が真似、その部下から話を聞いた者が真似、次々と広まり、今のような形になった。

 なんのおまじないかと聞くと、ビゴはこう答えた。

「あの決戦では、女神様に助けてもらったからな。それにあやかるのさ」

 彼のまじないと言葉より、森の女神レーヌは作られた。

 女神の名はギレーヌ。

 しかし『ギレーヌ』は中央大陸南部では、やや発音しにくい名前であった。

 やがてギレーヌはなまり、レーヌと呼ばれるようになった。

 森から現れ、大将軍の命を救った救国の神『森の女神レーヌ』と。

 それから一〇〇年かけて森の女神レーヌはマルキエンの守り神として崇められるようになり、兵士一人ひとりの心の支えとなっていく。

 無論、その呼称をギレーヌ本人が知ることは、ない。

 

 その後、ギレーヌがどこへ行ったのか。

 生きているのか。

 戦争を生き抜き、アスラ王国へと帰ることができたのか。

 大事なお嬢様と出会うことができたのか……。

 ビゴ・マーセナルが知ることは、ない。

人物设定草案

作者闲话

『無職転生 ~異世界行ったら本気だす~  2』
理不尽な孫の手先生 こぼれ話

 2巻からの方は(あまりいないと思いますが)はじめまして。
 1巻からの方はありがとうございます。
 WEB版の方から読んでいただいている方は、いつもありがとうございます。
 理不尽な孫の手です。

 このコーナーはこぼれ話という事で、1巻の時は誕生秘話について書きました。
 なので、今回も誕生秘話を書こうと思います。
 2巻までに出てきた、三人のヒロインの誕生秘話、初期コンセプトについてです。


・ルーデウス・グレイラットという人物
 ヒロインを語る前に、まず主人公についての説明をしておきましょう。
 彼は前世の知識と、極めて高い魔術の才能を持って生まれた人物です。
 1巻では、彼はその才能を伸ばすべく、切磋琢磨を始めます。
 環境にも恵まれ、前世の知識もあって彼は周囲から天才と呼ばれるようになります。
 ですが、前世の記憶というのが正の部分なだけではなく、負の部分も受け継いでおり……というのは、1巻を読んで頂いた方にはわかっていただけるかと思います。

 この主人公にはどんなヒロインが似合うか。
 彼が好きになるのはどんな女性か。彼を好きになるのはどんな女性か。
 そういった時にまず考えたのが、主人公の前世のダメな部分を助けてくれるヒロインです。
 ロキシー・ミグルディアの誕生です。


・ロキシーという人物
 彼女は、主人公の弱い部分を担当しています。
 前世が原因でどうしようもなく落ち込んでいる時に現れて助けてくれるのが彼女です。
 彼女は何事についても一生懸命で、主人公が無理だろうと思うような事でも自分なりに考え、対処しようとします。
 主人公はそんな彼女を尊敬するようになります。
 憧れのお姉さんのようなポジションのキャラクターですね。

 しかし、このままでは非常に一方的な恋愛模様になってしまいます。
 主人公が好きになるヒロインの次に、主人公を好きになるヒロインが必要だと考えました。
 ロキシ←主人公←誰か、という矢印にすることで、バランスを取ろうとしたわけです。
 そこで登場したのが、シルフィエットというヒロインです。


・シルフィという人物
 彼女は主人公の強い部分を担当しています。
 シルフィは自分の意見が弱く、非常に依存的な性格をしています。
 彼女から見た主人公は、何でも自分で決めて、何でも自分で進んでいくスーパーマンです。
 主人公の真似をして魔術を習うシルフィは、彼のようになろうと一生懸命ですが、追いつく事はできません。
 ゆえに主人公にとってシルフィは弱く、守るべき存在であり、彼女を守る事が自分の力の証明になります。

 と、ここまで考えて、シルフィというキャラクターが非常に弱い事に気づきました。
 自分の意見を持たず、依存的で相手の言うことをなんでも聞いてしまう。
 そんな人物のことを「異世界でやり直そう、頑張ろう、一人前になろう」と思っている主人公が惚れるでしょうか。好きになるでしょうか。
 否です。同情も欲情もするでしょうが、愛情には発展しないでしょう。
 そこで、彼女にはしばらく修行してもらい、主人公に惚れてもらえるような自立心を育んでもらい、別のヒロインを出す事にしました。
 シルフィと対照に位置するヒロイン。
 そう、エリス・ボレアス・グレイラットです。


・エリスという人物
 彼女も主人公の強い部分を担当しています。
 エリスは非常に強い自我を持ち、人の言うことを聞きません。
 極めて高い剣の才能を持っており、魔術師として成長する主人公と同じようなスピードで強くなっていきます。
 シルフィと同じように、主人公を自分に出来ないことができるスーパーマンとして見ますが、その心情はシルフィと真逆です。
 主人公を守ってやろう、並び立って一緒に戦おう、という強い意思を持っているのです。
 主人公にとってエリスとは自分を守ってくれる存在であり、彼女に認められるという事が力の証明となります。

 主人公と同じ方向を向いて後を追うシルフィと、真逆の方向を向いて主人公を追うエリス。
 そして、主人公の先にいるロキシー……。

 それが、無職転生ヒロインズの初期コンセプトになります。

 あくまでコンセプトであり、実際に書いてみると想定と違う感じになってしまった部分もありますが、そういうものがあったんだなという事を念頭に置きつつこれからのお話を読んでいくと、より楽しめるかもしれません。
 WEB版を読んでしまった、という方は「へぇ、こういうコンセプトがあったのにああなったのかー」と思いつつ、創作のままならなさについて想いを馳せてみたりしてください(笑)

 では、以上です。

– 第二巻 完 –

文库版 无职转生~到了异世界就拿出真本事~